住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

571 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (144)

2008-01-31 23:44:01 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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古代を訪ねる旅(11)


昨日、通詞島のいわれを書くのを忘れたので追加する。
ヴォランティアさんの話では、天草の人は船で、日本中を行き来していた。
それで、各地のお国言葉に通じており、何処に行っても話が出来た。
あるとき、天草沖で、遭難した船があり救助したが、言葉が通じなかった。
そこで、現在の通詞島の近くに通詞と地名のところがあるが、そこの漁師に来てもらって話をしたら通じた。
その船は沖縄の船だったらしい。
それで、通詞と言う地名が残った。
通詞島は、地元の人はただシマとしか呼んでいなかったが、明治に国土地理院が勝手に通詞島としたと言うことらしい。


571-1 フェリーで天草を後に

 資料館から鬼池まで車を走らせ、丁度12時半出発のフェリーに間に合った。


571-2 口之津港へ

鬼池からフェリーで30分、島原市の口之津港へ。



571-3 口之津歴史民族資料館

 船が港の入り口を通過す時、船から直ぐ近くに、歴史民俗資料館があるのが見えた。
下船してすぐ5分ほど車を走らせて資料館に到着。
ここは有料で200円取られた。
 


571-4 中世の船

口之津は、有馬藩が貿易港として開港したので、ポルトガル船が何度も入稿した。

拡大できます。



571-5 石炭の積込み

 この絵は、明治時代のものらしいが、だんべ船で石炭を運び、人海戦術で、石炭を積み込んだらしい。
見事なものだ。
人間コンベヤーは女性のようだった。



571-6 古民具
 
今回、こういうものにはあまり興味はなかったが、縄文、弥生、古墳時代の出土品はないかと探して廻ったが、そういう物はないようだった。
折角200円払ったのだから、多少は見ないと元が取れない。



571-7 古民具

終戦直後位まで、こういう農具が見られたが、戦争が終わって、工場は兵器から民需に転換し、小型のエンジンやモーターがだんだん出回り、やがて農機具の機械化が始まって、こういう道具が見られなくなった。
未だ使われ居るとは思うが。


571-8 大村湾

大村湾を左手に見ながら、佐世保に向かって車を走らせた。


571-9 妙な木

家内の両親がハウステンボスの近くの施設に入っている。
そこを見舞って、家内の妹の家で、夕食をご馳走になりその夜、下関に帰着した。
夜9時。
これで、今回の古代を訪ねる旅は終了した。全行程800km。
ご愛読ありがとうございました。
ここまで、読んでいただいた方々には、お茶なと一服差し上げたいですが、借りにして置いてください。

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この木はソテツだったのか?


570「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (143)

2008-01-30 23:57:49 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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古代を訪ねる旅(10)


2時間に及ぶ見学だからまだまだ有るが、
魚網、製塩、についてのみ取り上げよう。


570-1 錘石

 このような石も多数出土した。


570-2 錘石説明





570-3 魚網

 魚網は現代のもの、しかし古代にも使われていたと思われる。
ヴォランティアさんによれば現在も石器時代は続いている。
石の錘は錆びないし現在も一部では使われている。

 


570-4 不思議な土器片

一体この土器は何なのか?



570-5 製塩土器

 製塩土器と思われる。




570-6 製塩土器の使用方法
 
弥生人はもっと能率の良い使い方をしていただろうとguuchanは思う。



570-7 製塩の説明

天草は塩の一大生産地だったようだ。

拡大できます。


570-8 製塩の遺跡

土器製塩の歴史。
古墳時代ということで、guuchanはいささか不満だ。
弥生時代は塩はどうしていたのだろう。
イザナギ、イザナミは塩田に国の地図を描いたと書いたのだが、、、。

拡大できます。



570-9 塩の生産地

地名に釜がつくのは昔製塩を行っていたところではないかと思うとヴォラティアさんは語る。


570-10 沖の原古墳の時代

沖の原古墳の出土物の年代鑑定興味がある。
客観的な年代測定の方法は無いものか。
出土物の相対的年代推定は危ういところもある。


570-11 ヴォランティアさんと

10時から12時まで、天皇皇后に説明するみたいに熱心に説明していただいた。
天草のイメージが一層確かなものとなった。

ヴォランティアさん、ありがとうございました。


「もしも、徐福が日本に来ていたら」 目次3

2008-01-30 12:41:28 | もしも、徐福が日本に来ていたら


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569  「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (142)

2008-01-29 22:23:31 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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古代を訪ねる旅(9)


五和町の歴史民族資料館に着いたのは午前10時だった。
受付で、「通詞島という名は何から来ているのですか。」と聞いてみた。

満足な答えが返って来なかったので

「何時の時代の通詞ですか?ザビエル?天草四郎?江戸時代?通詞は何語?中国語?ポルトガル語?オランダ語?英語?」

「さあ、詳しい人が10分ほど前に発掘調査しているところに写真撮りに言ったんですよねえ。呼んでみますから、お待ちください。」とのこと。

10分ほどして一人の初老の男性が息せき切って駆けつけてきた。
息を切らして、しばらくは、途切れ途切れにしか話せないほどだった。

先ほどの質問をぶつけてみた。
それには答えず、「先ずこちらにどうぞ」と、展示室に案内して端から説明を始めた。

それから、2時間隈なく説明された。
撮った写真は90枚。とても、それらを全て紹介することはできないので、ほんの掻い摘んで紹介することになる。


569-1 早崎の瀬戸

 先ず、最初に在ったこの図の前に立たされて説明を受けた。
広大な有明海の出入り口はほとんど、この早崎の瀬戸一つでまかなわれる。
そのため、有明海の大きな干満差のため、非常に早い潮流が起こる。
生息している魚介類は、その潮流に耐える、適したものとなる。
この図を覚えておいて貰いたい。

拡大できます。
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569-2 貝類

こんな陳列棚が4つも並んでいた。



569-3 アワビの成長

 何故かアワビにこだわりがあった。

 


569-4 沖の原遺跡出土の石斧

色々な石の道具があった。



569-5 尖頭状石器

 尖頭状石器(双角式と単角式のものが沢山出土した。
しかし、これが何に使われるものか、最初よく分からなかった。

しかし、天草の漁師たちがこれを見て、自分達が使っている道具によく似ていると言った。
それは、アワビ起こしだった。




569-6 海士(ダイバー)
 
早崎の瀬戸の早い潮流に流されないよう、確りと岩に張り付いて育った大きなアワビは、これが無いと絶対に取れないそうだ。
そして、天草は海士発祥の地と自負している。
土地の漁師は今でも素手で鯛でも何でも取るという説明を受けた。

「あっ!」と思った。

魏志倭人伝には倭人は沈没して魚を取るとあるからだ。
ますます、天草こそ邪馬台国(guuchanは邪馬壹國)であるという確信が強まった。

日本では、潜って漁をする男や女を海士(あま)、海女(あま)と昔から呼んでいる。
これは天草のアマであり。
天の漁法で、最初、天の猟師達を連れて行って各地で取らせたので、最初は天の人という意味のアマが、そういう漁師をアマと呼ぶようになったのではあるまいかと思った。



569-7 のしあわび

現在の熨斗とミズヒキは、お上がアワビを大変好まれたので、よく献上品として用いられた。
しかし、生では日持ちがしないので、のしアワビにされた。 


569-8 のしとみずひき

その熨斗アワビをミズヒキで縛って献上したのがはじまりで、今のお飾りは、アワビの代わりの献上品ですという意味で、飾り物の熨斗とミズヒキを用いるようになったのだそうである。

こう説明を受けたが、どこまでが歴史的実で、何処から先が、この案内者の思い込みなのかは分からない。

だが、面白かった。
まだまだ説明は続いた。



568 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (141)

2008-01-28 22:36:42 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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古代を訪ねる旅(8)


今朝は、家内の提案で、五足の靴の辺りを少し散歩することにした。


568-1 展望台

 今朝は、十三仏崎までは行かなかったが、その途中の国民宿舎などがある、五足の靴の宿の下の展望台に車を止めた。
オートタイマーでシャッターを切る。
背景は天草灘、その先は東シナ海、そしてその先は江蘇省。
徐福等の子孫が時に里帰りして貿易したと睨んでいる。


568-2 奇岩

高い崖の上から見下ろす海。
穏やかな海、荒れた海、何時見ても、何時まで見ていても飽きないだろう。



568-3 奇岩

 何時までもこういう風景を壊さず残したいものだ。

 


568-4 文学遊歩道

少し山の方に登ってみることにした。
五足の靴の由来は与謝野鉄幹が、まだ学生の身分だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇を連れてこの地を音連れたことによる。


568-5 沈丁花

 道端の低いところに沈丁花が咲いていた。
種類が違うのか、天草が暖かいのか。



568-6 短歌
 
短歌大会が毎年行われているのか。
家内が一番右の歌を見て、今の自分の心境を歌ったみたいと囁いた。

拡大できます。



568-7 妙見が浦

この辺りを妙見が浦というのだろうか?
徐福やその子孫も、波の荒いときは岩に打ち付けられて遭難する危険を常に味わっていただろう。
 


568-8 下津深江川

下田温泉のところまで、帰ってきた。
下津深江川にかかるこの橋の下は、予想通り深く、木造船ならかなり大きな船まで上流に入れそうだ。
温泉街のあるところまでなら、問題ないだろう。

この温泉が開かれたのは今から800年位前と言われているが、いかなる根拠によるものか?

guuchanはきっと徐福らは知っていただろうと思う。
温泉宿は無かったかもしれないが、もちろん当時の住民も、楽しんでいただろう。

これを渡って、昨日来た道を通詞島に向かう。




568-9 通詞島

妙な名の島だ。
何時頃の通詞の話だろうか?
ザビエルの頃か?
江戸時代の話しか?



568-10 五和町歴史民族資料館
 
五和町歴史民族資料館、ありがたい、無料だった。

下に拡大しました。


568-11 趣意書

素晴らしい。
ここで、また素晴らしい出会いがあった。
それは明日のお楽しみ。