813-1 教会の花 金鶏菊と萱。 花器が面白く、ユーモアを感じる。 この日のメッセージは信徒の一人の奨励。 聖書:ルカによる福音書15章11~32節 「もう一人の放蕩息子」 すばらしい奨励だった。 |
812-1 貝の飾りの塀 5月28日、宿を出て風頭公園に向かう途中、面白いブロック塀に出会った。 貝の数がどれくらいか、手が込んでいるが、なかなか綺麗だ。 風雪に晒されて、白っぽくなっているのも味わいがある。 沖縄など、南の島の風物として出会いそうな光景だ。 |
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812-2 風頭公園(かざがしらこうえん) 昨夜泊まったホテルは、稲佐山のの中腹だが、湾を隔て向かい側に風頭公園がある。 亀山社中のあるところだ。 |
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812-3 はた 風頭公園の入り口に凧を売る店がある。 毎年、4~5月頃風頭公園で凧(長崎ではハタという)あげをして互いにその糸を切りあうハタ合戦が行われているそうです。 この店に、修学旅行生が訪れ、奥の部屋で凧作りをしていたようでした。 | |
812-4 上野彦馬 竜馬伝にも出てくる、日本初の写真家、上野彦馬のお墓がありました。 |
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812-5 坂本竜馬銅像 風頭公園には、坂本竜馬の大きな銅像がありました。 長崎は、前日から、竜馬伝の現地ロケも行われ居り、混雑に行き会うのではないかとガイドも心配していました。 | |
812-6 竜馬も眺めた風景 竜馬が生きていた時代にも、この湾にはたくさんの異国船が、停泊していた様子が絵に描かれています。 外国のニュースに飢えていた竜馬たちには、どこの船が入ったか、いち早く知りたかったことでしょう。 |
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812-7 若宮稲荷神社 風頭公園を歩いて下りながら亀山社中に向かいました。 途中、若宮稲荷神社というのがあり、楠正成を祭っていると言うことで、勤皇の志士たちがよく参拝したとか。 | |
812-8 竜馬のブーツ 羽織袴にブーツが竜馬のいでたち。 海援隊を作って、海外に行きたかった竜馬。 遠く何を望んでいただろう? | |
812-9 亀山社中で 床の間に竜馬の絵と、刀、ピストル。それにお竜さんが使ったという月琴が飾ってあった。 |
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811-10 饅頭屋長次郎 竜馬の道を下っていたら、近藤長次郎の案内板があった。 長次郎は、長崎から外国船に乗ろうとして捕まり、切腹したとあった。 | |
812-11 興福寺 中国人の居留民が多く、その出身地ごとにお寺を建てていたそうだ。 アジサイがきれいだった。 | |
812-12 眼鏡橋 さて、昼食をとるために、昔の花柳界に近づいてきた。 眼鏡橋である。 |
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812-13 おたくさ アジサイのことをオタクサとよぶ。 シーボルトが、その愛人おたきさんの名をつけて西洋に紹介したので外国ではそういう名で知られているらしい。 アジサイは、長崎の花である。 | |
812-14 昼食 クラス会もこの昼食を持って、お別れだ。 竜馬もよく来たと言う。 江戸の吉原とその賑わいを競ったと言う遊郭の丸山にあった店が現在は花月という名で由緒ある料亭である。 | |
812-15 花月の庭 2階から、眼前に広がる庭が見事。 竜馬もこの庭を好んだと書いてある。 | |
812-16 竜馬が傷つけたという床柱の傷。 思えば、大河ドラマ竜馬伝の影響もあってか、長崎は竜馬、竜馬、竜馬と竜馬一色だったような気がする。 奥ゆかしく語られる話には、共感するところもあるが、こう押し付けがましく聞かされては、いささか興ざめの感無きにしも非ずだ。 ガイドはサービスのつもりだろうが、、、。 しかし、それも記念すべき時代の象徴だったのだろう。 幹事様の責任ではない、楽しませていただきました。 行き届いた配慮、あらためて感謝します。 |
811-1 クラス会 5月27、28日とクラス会に行ってきた。 今年は卒業から50年目の記念クラス会。 長崎在住幹事の地元で開いた。 長崎は日本近代化の重工業技術発祥の地。 級友の一人が、造船所長を勤めた。歴代所長の記念植樹がこの展望台にある。 |
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811-2 造船所 ドックの見える風景は撮影禁止。 戦時中の、戦艦建造時から撮影禁止は解けていないらしい? |
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811-3 女神橋 桁下が65mあって、橋の下を豪華客船のクイーンメリー2世号高さ62mが通ったと言う。 クイーンメリーが通れるように橋は設計され、三菱で作った。 | |
811-4 史料館 写真の機械は、日本最古の工作機械。1857年に徳川幕府がオランダから購入し、長崎鎔鉄所(後の造船所)に据えられたもの。 一造船所の歴史でなく、日本の工業全体の歴史。 |
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811-5 岩崎弥太郎 NHK大河ドラマ、竜馬伝の語り手の岩崎弥太郎は三菱重工業の創業者だ。 史料館の一角に、その資料が展示されていた。 写真は、資料館の資料から。 | |
811-6 占勝閣 昔は、皇族方がお泊りになったという迎賓館。 級友も造船所副所長になるまでは入ったことがなかったとか。 |
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811-7 孫文の書 玄関に、孫文の手になる額がかけてあった。 | |
811-8 夜景 その夜泊まったホテルからの夜景、竜馬が居たころの長崎は、これほど明るくはなかったと思うが。 今彼らが見たらどう思うだろう。 |
810-1 教会の花 5月23日(日)、この日はペンテコステ(5旬節、聖霊降臨日)だ。 復活節から50日目である。 弟子たちに聖霊が降ったことが聖書に書いてある。 教会の誕生日だ。 | |
810-2 全てドメスティック アマリリス、バラ、シンビジウム、ホタルブクロ、アスチルベ、名前が出ない白い花、矢筈薄、斑入りギボシ この日の教会の花、いろいろ差してあるが、全て我が家の庭に咲いたものらしい。 へえ?猫の額ほどの庭だが、 シンビジウムがどこに咲いていただろう? 家のアスチルベはピンクだったと思ったが? 聞けば、ピンクのアスチルベはいつの間にか消えてしまったらしい。 最近、花の写真を撮ることが少なくなったので、家から出ないことが多くなっていた。 | |
810-3 フランネルフラワー? アップするとこんな花です。 茎は産毛が生えていて、フランネルと言う感じはするのですが、ネットで調べたフランネルフラワーに比べると花の中心が小さいようです。 ナデシコ科かな? ひょっとしたら、 ナデシコ科 オーシャンパール? |
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809-1 蓮弧文銘文鏡 5月20日(木)、久しぶりに、下関市公庫博物館に行った。 この鏡を見たいがためである。 3年前に訪れたとき、この鏡に屈原の詩が書かれているということが、分かっているのなら、どういう詩が書かれているのか、その詩文を合わせて展示してほしい。 分かったら連絡してほしいと、連絡先を書いてきたのだが連絡がなかった。 学芸員さんにそのことをいうと、帰りかけたguuchanを追っかけてきて一枚のコピーを渡してくれた。 | |
809-2 立岩遺跡蓮弧文鏡 それは、福岡県の立岩遺跡から出土したものの拓本の写しだった。 なるほど連弧文鏡の形状はよく似ている。 稗田出土のものは状態が良くないので、詩文はほとんど見えない。 | |
809-3 立岩遺跡蓮弧文鏡の銘文 そんなことで、ネットで調べてみると、鏡には屈原の詩の一部が記されているものが多いことを知った。 そして、この時代、楚辞、特に屈原の詩は流行であったと思われる。 この時代の日本と中国との関係の深さが伺える。 | |
809-4 連弧文清白鏡 ネットで調べるうちに ★福岡県朝倉郡夜須町 峯遺跡出土 連弧文清白鏡 福岡・夜須町教育委員会【113k】 に行き着いた、これはよく似ている。 比較のため転載させていただいた。記して感謝の意を表する。 | |
809-5 比較 下関考古博物館の文字は読めるものが少ないが、あるいは一致しているかもしれない。 屈原の詩と断定したからには、その根拠があると思うのだが、示してほしいものだ。 |