まなびの途中

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色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

高校1年生を持つ親の相談にからんで。

2006年10月26日 | 教育、文化、少子化
読売新聞のオンライン。
そのなかのコーナーにおいて、「教育」という項目の中。
最近のメディアでは、案外、こういうところ、充実し始めている。

その中の「教育相談」にて。
外国を侮辱する暴言を吐く息子

  高校1年生の息子のことでご相談します。テレビで北朝鮮や中国などの外国の
  報道をみては、両国をはじめ外国を酷評し、最後には「あんな国なんか無くな
  っちまえ」などと暴言を吐き、聞くに耐えません。「他人を悪く言うのはよく
  ないよ」と親の気持ちは伝えてきましたが、これに関しては反抗的態度を取る
  ばかりです。先日父親が厳しく指摘したら、激しく反抗し取っ組み合いになり
  そうでした。外でおおっぴらにこのような発言はしていないと思いますが、こ
  のような狭い了見では、とても人様とは上手くやっていけないだろうと心配で
  す。息子の言動をどのように考え、どのように接して行けばよいでしょうか。

大阪学院大学助教授 加茂 英司 さんが回答をいたします。

  ひとつ息子さんに確認していただきたいのですが、息子さん自身、もしくは親
  しい友人などが直接に北朝鮮や中国の方と、これまでに何らかのトラブルがあ
  ったのでしょうか。そうであれば話はわかりやすいのですが、息子さんが北朝
  鮮や中国のことを悪く言っているのは単にそれらを批判しやすいからに過ぎな
  いのであって、とりたてて北朝鮮や中国とはなんら関係がないでしょう。

トピックス的に、朝日新聞ではないので、そこまで「こじつけた」内容には
しないだろうと、読んでおりました。

  むしろ息子さんが荒れている原因は何か別のことでストレスを感じているから
  だと思われます。学校の勉強についていけないという問題も考えられますが、
  最も一般的なケースは、新しく進学した高校で友達が出来にくいという人間関
  係のつまづきです。おっしゃっているような「このような狭い了見では、とて
  も人様とは上手くやっていけないだろう」ではなく、「人様と上手くやってい
  けないから、このような狭い了見になる」のです。順序が逆です。

この表現は、気がつきませんでした。もう、「座布団1枚」。
このフレーズは、「真理」です。いただきます。

  ただ学校内での人間関係といっても複雑です。単純に友達がいないのか、それ
  とも親しい友達がいたけれども何かの際にうまくいかなくなったのか、あるい
  は異性問題なのか。そのあたりはきわめてプライベートな問題で、聞いても正
  直に答えてくれないのが普通です。学校の先生に聞いてもわからないと言われ
  ます。多くの場合、息子さんが一人で悩んで一人で解決していくのを、周りの
  大人達はただ遠巻きに見守るしかありません。

自宅では、ええ、簡単に聞いてしまいます。
「仲間はずれになってんの?」とか、「いじめられてんの?」など。
平気です。
「浮いちゃったの?」など、ずかずか聞きます。
一瞬、小学校のとき、親を頼りにせず、心を閉ざしかけたり、もろ、反抗的に
なったりしたことがありましたが、

相手は子供なんで、話題をあっちこっちに振ると、簡単に、話し始めます。
これも、日ごろから、あらゆることを、本当に、幼い頃から、解ろうが解るまいが
話しかけていた「成果」なんだろうと、思っていますが。
ええ、自分は参加しているだけで、もっぱら、奥さんの力ですが。

  これでは相談の回答にならないので私なりに提言できることを申し上げますと、
  「お母さんはそのことを心配しているのよ」というシグナルを送ってあげるこ
  とで息子さんの気持ちはずいぶんと楽になると思います。答えてくれなくて
  も、友達のことを聞いてあげてください。息子さんがお母さんのシグナルを受
  け止めた時、北朝鮮や中国など外国のことはどうでもよくなると思います。

今でも、当然ながら、家族で遊びに出かけます。
泊まりはいたしませんが。
こなしていくうちに、家族の中でも役割分担が結構できることがあって、
それぞれが、失敗もありますが、「役に立つ」ということと、
「必要とされている」という実体験は、つくようですね。

ええ、子供にとって、学校は確かに中心でしょうが、家族もあるんで、
家族も、色々、日常、抜き差しならぬスケジュールがあって、
子供といえども、参加を強いられ、必要とされているわけで、
いじけたり、すねている暇なんて、無いわけなんですよ。

さらに言うと、地域で参加型のプロジェクトがあれば、
勝手に「突っ込んで」おくわけで、もちろん、安い、3日間預けられる、
という親にとっても「特典」があったりするんですが。

そうやって、異なる集団で、異なる「目的」をもった、「構成員」と、
数多く過ごしていくと、
本人、結構、「わきまえた」フィーリングをもてるようで、
たくさん、人間観察、大人観察もしてくるようで、

「あの子は、こういうんだけど、その前に、こういうことがあって、
 いつも、こういう風にしているから、こうとられちゃってさぁ、
 なんだか、みんな引いちゃってるだけなんだよね」
って、見事な解説ができるようになってきました。

自分にも、この解説を「適用」できているようで。
ここまできたら、少しは、大丈夫なのかなぁ、と、考えておりますが。
えーと、自分の高校1年生のとき。
振り返ってみると、まるまる、1年間弱、「朝刊、夕刊」の新聞配達をしていました。
なんででしょうねぇ、なぜ、やる気になったんでしょうか?

朝、4時半に起床。母親には、本当に、迷惑な子供だったでしょう。
夕方、4時半には夕刊です。
で、夕刊時、学校の行事の関係で、「配達」が遅れたときがあって、
お客さんから怒られたことがありましたね。

「すいません、学校の用事で遅れました」
といって、この言い訳は、通用するだろうと、みるからに「苦学生」。
これは、最強だろうと。
ところが、そのお客様、
「そんなこと、俺には関係ねぇ。新聞変えるぞ!」
怒鳴られました。
考えてみると、当たり前ですよね。その時の自分も、そう思いました。
「仰るとおりです」って。

まぁ、そんなことやらあって、学校生活なんて、飛んでいましたね。
今年参加した、高校1年の「同窓会」で、自分を記憶していた人間が、
少なかったのを、思い出しました。ははははは。

すいません、「おち」は、無いです。