まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

ボランティアから始めよう。

2006年10月20日 | 教育、文化、少子化
マンガを題材にして、テレビ番組や映画制作される。
最近、話題になっている番組、ドラマに、その傾向が高い。
「ノダメ」とか、あれっつ?出てこない.....。ごめんなさい。

ええっと、そういう中で、コラボなのかどうかわからないが、
「県庁の星」というマンガ。織田裕二が主演した「県庁の星」という映画で
有名ですが、あれは、今でも、スペリオールという雑誌で展開中です。

映画を見たことがないので、どういう構成になっているのかわからないんですが、
あの作品の「妙味」は、どう考えても、「世間を知らない」「高飛車」な
「勘違いしたエリート意識」などなどで、
主人公は、なぜか、「社会という現場」に派遣され、様々なトラブルを乗り越え?
様々な「人間関係」を通して、
つまり、「人間」に目覚めていく。

そういう感じだったと思います。

公務員。しかも上級職になっていけば行くほど、試験というものがあって、
その難易度もさることながら、ある意味、「試験さえ通れば」という
通念的には、社会性も人間関係も、無知であってもOKが
まかり通っている。

特にこの主人公は、純粋な「意気込み」に燃える若者で、
理想は高く、されど、現実を知らず、履き違える、そんな「ステレオタイプ」に
書かれており、やることなすこと、果てしなく滑りまくっていく。

「俺の指導が」ということに、恐ろしく「意味」を感じ、
来てやったんだ、という初期の「志」が、単なる「無能者」扱いを通じ、
崩壊していく様が、主要な部分。

でね、多分、これって、多くの人間が、共感していたり、納得しているはず。
警察署内でも、よくドラマになっているが、
キャリアと称される人間たち。
いきなり自分の子供と同じくらいの「若者」が、所長として赴任。
そういうのありますよね。

前からちょっと書いてきましたが、
この「社会性」が欠落している。現実社会のことを知らなすぎる。
他業種の人間との「交わり」が、多く取れない。
そして、社会的規範を体現するものとして、むちゃなことができない。
さらに言うと、人に頭を下げることよりも、下げられることが多い。
社会で当たり前である、「金を稼ぐ」ということから、最も遠い。

そして、「先生」と、いきなり呼ばれまくる。

くどいくらい書いてまいりましたが、
申し上げている職種は、「教師」のことです。

もちろん、極端に書いたのは事実です。
多くの立派で、尊敬できる先生がいらっしゃるのも事実ですし、
365日24時間体制で、骨身を削ってでも、職に殉じようとする方々も
いらっしゃいます。

そのことを踏まえた上で、県庁の星に出てくる、ああいう勘違いもした人間が
いるのも事実でしょう。
2年前女性教諭も暴言 中2自殺の三輪中 女生徒不登校に 「ばか」「頭おかしい」

  女性によると、2年前の7月、清掃の時間に女性が友人数人と私語を交わしな
  がらほうきで床を掃いていた際、見回りに来た女性教諭が「話をせずに掃除し
  なさい」と注意。直後に女性の顔を見ながら「あんた、ばかじゃないの」「頭
  がおかしい」とののしった。

  女性は「なぜ、先生からさげすまされないといけないのか」と衝撃を受けた。
  納得できず女性教諭の自宅に電話した際、女性教諭は「転校してくる前の学校
  でも頭が悪かったらしいね」「茶髪に染めていたんでしょ」などと発言。抗議
  すると「本当のことを言っただけでしょ」と話したという。

せめて、人間としての「付き合い」の作法から学ぶべき人間がいるのは、
事実だと思いますが、これは、これは、とても酷過ぎる。

児童・生徒に「ボランティア」を(これもくどい位言ってますが)
と検討されているようですが、
どうか、まず手始めに、世間に教師を「混ぜる」という作業を、
ボランティアを通してさせることから、始めてほしい。

それと同時に、保護者も、おんなじ。
ボランティアをしましょう。
大人ができもしない、やりもしないことは、すべて、子供は「偽善」と見抜くまで
時間はかかりません。

もう、地域社会の崩壊とか、そっちの論は有効性が高くないから、
できることからはじめないと、危険なのは、子供たちです。