まなびの途中

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教師が謝罪をするたびに、子供はどんどん軽んじていく

2006年10月13日 | 教育、文化、少子化
何でかわからないけど、gooの記事のほうが、引用元より詳しいんだけど。

「なれ合い型」学級崩壊が急増 「反抗型」影潜め 一見和やか 先生は友達…

  子供の教師への反発が広がって学級運営が立ち行かなくなる「反抗型」の学級
  崩壊が影を潜める一方で、友達感覚の優しい先生とのなれ合いの末に秩序が崩
  れる「なれ合い型」の学級崩壊が都市部の小中学校を中心に急増していること
  が、都留文科大学の河村茂雄教授(心理学)の調査研究で分かった。

  「最近の学校は個性重視が説かれ、個に寄り添える教師が増えた。その半面で
  教師も子供も集団形成や統制が苦手で、学級は集団というより群衆に近い状態
  になっている」と語っている。

最近、教師の指導力不足とか、公教育における制度の問題だとか、
いやいや、家庭の問題だとか、そんなことではない、
日本における哲学的な問題だとか、格差社会の歪みが噴出しているんだとか、
もう、百花騒乱状態な感じです。

その向こうで、ひっそりと、そして確実に、教育の現場は、随分も前から、
崩壊してきたと考えてよいでしょう。

よく言われているのが、「個々を尊重する」といった話。
ほめて伸ばす、とか、よく話を聞く、とか、
個性と言う文言が、子供の「人権」とリンクして、一時期、大変もてはやされました。

さらに、「不平等」「理不尽」という文言が、かなりの威力を奮い、
「一方的に」とか「私ばっかり」という、強力な呪文が、猛威をふるっています。

マスコミは、当然ながら、記事を完結するために、
じゃぁ、誰の責任なんだ、というマトメ方をしがちですが、
もう、そこには、日常におきた、様々な要因はともかく、
学校、教育委員会は、そのまま「権威」の存在として、
児童・生徒側は弱者、公的機関は強者、という、絵図ができあがっているようです。

組織というのは、人類学者からも、とうの昔から指摘されていることなんですが、
リーダーが、なめられたら、最後です。
記事にもありますが、あっという間に、そこは「群集」になります。

子供こそ、社会性が「欠落」している、いわば動物状態の時期です。
その時期に、群れのリーダーの存在を、認知できない、することができない、
この状態は、著しく「危険」です。

かって自分は、そのリーダーたる教師の「裁量」によって、
クラスの過半から、「村八分」にされてしまうという事態がございました。
もっとも、思い起こせば、自分に、しかるべき背景があったのも事実。

幸いなのかもしれませんが、自宅が「延焼」して、学校を転向することで、
事態は改善されてしまいましたが、
その後、元の学校の教師が、転校先の学校で、私が「委員」を勤めたりするのを
聞いて、「自分たちの指導」を正当化するために、
わざわざ、転校先を訪問して、いかに、すごい児童だったかを、レクチャーしに
来たのには、「笑え」ましたが。

はっきり言って、全員を「おもてなし」することは、全く、不可能です。
さらに、児童にとって、教師が「権威」ある存在として、認識できるのは、
優しさではなく、「怖さ」に拠るものです。
先の学校も、優しさ一杯の臨時教員の登場で、思いっきり「荒れました」。

この「怖さ」を演出することができなくなった、
手段が、かなり限られている。
それなのに、一人一人を、限りなく、温かく見守っていく、なんてことを。
それができるのは、家庭だけです。

配慮のない言い方で、非難を浴びそうですが、
いじめられている、クラスで浮いている、そういう子供は、毎日見ていれば
必ず、わかります。
さらに言うと、親は、わからないはずがない。
何かが起こって、テレビに向かって言う親を時々見ますが、
ごめんなさい、私には、理解できません。

もちろん、学校にむけて、アクションを起こしている最中に起こったものは、
しかるべき検証が必要だと思いますが、それと、これは別に考えています。

そして、親が怒鳴り込んで、教師を「罵る」「謝罪させる」という行為は、
結局、その学校に子を預けている、親に、限りなく跳ね返ってきます。

親に言われて、謝る教師。
完全に、「権威」は失墜いたします。
親も、その「成果」を黙っているはずはないですから、
いっきに、他の親、そしてその子供に「伝播」して、
子は、学校、そして教師の置かれている「立場」を、完璧に理解します。

こんなことを書いて、いっぱい怒られそうですが、
いじめられたことも、いじめたこともある人間として、
それが、ある意味、社会性を築く、そのプロセスなんだと、
そして、教師の権威は、何に拠るのか、
個人的には、そのように思っている次第です。