名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

新たなる出発

2023-05-21 | 思う事


若い頃は、とにかく本を読んだ。

家には大きな本棚が3個と、中型の本棚が2個あった。

写真の本棚は上下がスライド式になっていて、
大きな収納能力があった。

この本棚1つで
約500冊の本が収納されていた。

蔵書の数は数千冊を超えた。

若い頃は、本棚に並べられた多くの本を眺めて優越感に慕っていた。

渡辺昇一さんの書いた「知的生活の方法」を読んで
それに憧れた。

陳列された多くの本を眺めていると、
本を読んだ分だけ
頭が良くなったような錯覚に陥る。

これだけの本を読んだのだから、
本を読まない人間と比較するなら、
多少なりとも自分は高等な人間である・・・・



そんな自己満足と優越感に酔いしれた。

一度読んだ本を読み返すことは、ほとんどない。

それでも本は捨てたり売ったりできなかった。



今、思えば、読んだ本はすぐに古本屋に持って行けば良かったと思う。

それで浮いたお金は慈善事業に回せばよかった。

新品の本を買っても、
読んだ後すぐに売れば高く売れる。

古本屋は発行年月日が新しい本はど高く買い取ってくれる。

それでも、膨大な量の「読み返す可能性の少ない本」を「収集」し続けた。



若い頃は、(40歳頃までは)

「読書は教養と人格を形成するための必要条件」
と思っていた。

今は、そう思わない。

「読まないより読んだ方が少しはマシ」
「沢山読むことに大きな意味はない」
「読書量と頭の良し悪し、能力とは無関係」
「有力者・成功者は必ずしも読書家ではない」

悪い意味での「昭和」と決別。

「読書家で文化人気取りの自己優越人間になってしまったら治療は不可能」

その程度に思っている。

読書に勝る教養の源とは・・

 人間観察 社会観察 自己分析
状況分析 実体験 危機管理
働いて金を稼ぐこと

と・・・思える。

 

今までの経験のなかで
色々なタイプの読書家を見てきた。

「私は年に100冊以上本を読む」
と自称する人もいた。

私の眼から見て・・
「多くの本の中から、自分の知っている言葉を探し続けている人」
としか思えてならないお方だった。

私の場合、そこまで重症ではないかも知れないが、
少しだけ、自分にも当てはまる事であるような気もする。



その反対の、極端な例としては、
「私は本など読まない」「読んでも年に1~2冊」と豪語する
人と知り合ったことがある。

この人は、社会的にも経済的にも家庭的にも成功者の類だった。



現在58歳・・
新しい未来の為に、
過去を捨て去り、
脳味噌を刷新しようと思う。

悪い意味での「昭和」と決別。

古い価値観や教養、
古いプライドなど捨て去ろうと思う。



現在の若者は優秀だ。

いや、いつの時代にも若者は優秀であった。

それ故、歴史は若者が動かして来た。

古い価値観、プライドや、硬い頭を捨て去ろうと思う。

悪い意味での「昭和」と決別。



大量の蔵書を処分した・・・・・

大切に保管してきた希少本も
BOOKOFFに持って行けば、
買い取り価格・・一冊50円程度。

現代の古本屋は、発行年月日を見て、
「古いので値段は付きません」
「買取価格10円です」

捨てるか、欲しい人に貰ってもらう方がマシだと思える。

現実問題、貰ってくれる人も滅多にいない。

膨大な量の本を処分するのに
約、半年掛かった。

残された本は10~20冊程度

私にとって、
新たなる人生の幕開けを象徴する作業であった。

 身が軽くなった・・・・

もうこれかららは、
精神論や思想・宗教に関する本は読まない。

一旦、死んだつもりで、新たな人生をやり直そうと思う。


一寸先は光です。



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