名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

この秋は雨か嵐か知らねども

2021-09-11 | 思う事


私は96歳まで、現役で生きる予定です
それにはイロイロな訳があります
96歳まで生きると仮定して人生設計をしています
これからの時代、年金などあてにしていては
生きてゆけない。

年金はもらえないという前提で
生涯設計をしている。

年金は
「 もし、もらえたら 儲けもの 」
程度に考えている。

それにアテにして、その他は何も考えないなら
それは
宝くじ が当たる事を あてにしている事と同じに思える。

「 弱者を見殺しにする気か! 」

こんな言葉をよく耳にする。

この言葉は・・・

「 アリ も キリギリス も平等だ! 何とかしろ!! 」

と、私の耳には聞こえる。

アリ になるか キリギリス になるかは
その人の自由
どちらが良い悪いの問題ではない。

神は人間に 運命選択の自由 を与えた。

その代わり、

自分の意思で選んだ生き方 に対しては責任を持たなければいけない。

結果を人のせいにしたり
政治のせいにしたり
運命のせいにしたり
天を怨んだり

それは オカシイと思う。



誰かが助けてくれるだろう・・・と考えるのもオカシイと思う。

誰かが助けてくれる???

それ即ち、人様に迷惑をかけると云う事だ。

立派な人間になる必要などない。

最低限の事として、人様に迷惑をかけない

これが大前提であると思う。



将来を心配するな・・
徳さえ積んでいればお金は自然に寄って来る・・・

悟ったような口ぶりで
こう云う耳障りのよい事を偉そうに宣う者を知っている。

こう云う輩は、耳障りの良い言葉で
その場を誤魔化すのが習慣化しているだけある。

危機管理という概念が希薄であるが故に、
言っている本人の内情は火の車・・・てあることが多い。



未来はどうなるか分からない。

コツコツ貯金しても、大震災が起きれば
一瞬にして全てを失う。

日々、努力しても、
人間いつ死ぬかは分からない。

96歳まで生きると言っていても、
60歳で死んでしまうかも知れない
それどころか、明日の事も判らない。



それでも、未来を見つめて
日々精進しなければならない。

こう云う姿勢(生き方)こそが
 誠意 であると信じる。

誠意を尽くせば、結果など二次的な問題であると思う。



未来に何が起きるか分からない・・・
されど、
答のない世界で、明るく希望を持ち、危機感と共存しながら
懸命に誠実に生きる・・・

この辛さは 稲作 と同じであると思う。

私の父親は兼業農家だったので
百姓の苦労がよく理解できる。 

稲を苦労して 手塩にかけて育ても
もし、秋に大きな嵐がやって来たり
水害があったりしたら
稲が全てダメになってしまう。

それまでの苦労が全て 水の泡 となる。
そんな事を考えると、いまやっている事がバカらしくなる
それでも、とにかく、
いま出来る事を
「 今日の勤めと 」 自分に言い聞かせて
地道に 辛抱強くやって行かなければならない。

この秋は雨か嵐か知らねども、今日の勤めに田草とるなり

             これは 二宮尊徳 が詠んだ歌です

 二宮尊徳先生のように生きてゆきたい 

私は机のまえに 二宮金次郎の写真を常に掲げている
この写真は私が20歳の頃、(36年前)
 七所社 という神社で撮影したものです。



二宮尊徳 は偉大なり

コメント
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