人生の中で起こる多くの不幸、や苦悩、苦難、最大要因はなにか?
不運な人は徹底的に不運
幸運な人は徹底的に幸運
いったい不運の原因は何なのか?
わたしは思う。
罪の意識
これこそが人間を不幸ににする最大要素。
人間の本性は 神 であり 仏 である。
全ての人間は神の自己実現であり、
仏の化身でもある。
この完全なる、絶対的な本体の上に覆いかぶさるものが
罪の意識
見方を変えれば、
「 罪の意識 」 があること自体、人間が仏の化身である証拠では無いだろうか。
人間は本来 完全無欠の存在なるが故に、
自分に関わる不完全な事象が容認できない。
それ故、無意識の内に、心の奥底で 罪の意識が 蓄積される。
心の奥底で、蓄積された 罪の意識 はやがて大きなマイナスエネルギーに変貌する。
このマイナスエネルギーの名は
自己処罰
無意識うちに、自分で自分を処罰し始めるのだ。
結果的に、自分にとって不利となるモノの考え方をしたり、行動をしたり、
不利な選択をしたり、
これらの行為を自己処罰 と呼ぶ。
自己処罰はやがて、自己破壊 に姿を変える。
以前お話した、 「 ちょっと乗せてってオジサン 」 はまさにこのパターンです。
過去に悪い事 ( 罪 )が10個あったとしたら、
これから10個の 良い事 ( 善行 )を行えば帳消しになる・・・・
こういう考え方が間違っている訳ではない。
しかし、この考え方で全ての 悪業や因縁を消し去ることはできるのだろうか?
不可能だと思う・・・・
これは、潜在意識の自己審判による 罪の意識の浄化行為であり、
不安を解消するだけの意味しかないように思えてならない。
自分の内に蓄積された 罪の意識 や 因縁 とは
借金を返すようなつもりで、いくら善行を行ったとしても追いつかないほど
無限大に多くの要素を内在している。
それ故・・・・
そういった 駆け引きのような発想で罪の意識を消し去ろうと思っても、
必死になればなるほど、罪の意識は凝縮され、強固なものになるばかり、
善行を積む 、徳を積む、 といった事のみに妄信的に意義を求めることは愚かと思える。
徳を積む、と言う事自体は決して間違った考え方ではない。
尊い行いだと思う。
でも・・・・
多くの徳を積んでいるにも関わらず、
これでもか!!! これでもか!!!
言わんばかりに、ありとあらゆる苦難、苦悩、不運、障害 が怒涛のごとく押し寄せ、
結局そのまま一生を終わってしまう人が多くいる事も確かだ、
理不尽すぎる!!!!!
「 徳を積む 」 「 徳を積まない 」
と言う事以前に何らかのの問題があるとしか思えない。
徳を積む 事以前にやらねばならぬ事
1 ・・・ 自分自身への感謝。
2 ・・・ 自分の親と先祖に意識を向け、感謝。
3 ・・・ 自分に縁がある全ての人に感謝。
4 ・・・ 生きている事への感謝。
5 ・・・自分を裁かない。
2 ・・・ 自分の親と先祖に意識を向け、感謝。
3 ・・・ 自分に縁がある全ての人に感謝。
4 ・・・ 生きている事への感謝。
5 ・・・自分を裁かない。
この5点ではないだろうか。
これが出来た上で、行う行為は、
善悪など意識する必要も無い、
駆け引き的発想をする必要も無い、
自然に込み上げてくる気持ちに従いさえすればよい。
善行を重ねるとか・・・・徳を積むとか・・・・天に宝を蓄えるとか・・・
そんな発想をするまでも無く、
ただそれだけで、無意識のうちに
最も自分にとって適切で、意義のある、理にかなった行為や選択を行うように
なっているはず、
神は人間を裁かない。