傾聴ボランティア~緩和ケアにて~

~薬剤師・社会福祉士による小さなボランティア活動~

インフォームドコンセント

2005年12月15日 | 在宅ホスピス
再発した方に対して、

今後の治療方針として二つあるから、よく考えてどちらかに決めてきて下さい

と先生に説明を受けて、

家族の意見は分かれるし、私はどうしたらいいのかわからなくて困ってる

という話しがありました。

さすがに悩む気持ちが察せられます。

しかも初めてがんになった時より再発の方が精神的につらいとも言います。

納得のいく医療とは、難しいんですね。


もうすぐクリスマス

2005年12月14日 | 在宅ホスピス
ハワイのホスピスにいた頃こんな話しを聞きました。

ホスピスケアを受けている人は

クリスマスとか誕生日とか、楽しいイベントの後、

または遠く離れた子供が帰ってきてくれた後

その後に亡くなることが多いそうな。

それをすごく楽しみにしてて、

実際楽しくすごしたら

穏やかな気持ちになるのかな。

なんか少しほのぼのかつ切ない話しだなって思いながら聞きました。

だからクリスマス後の年明けは忙しいんですって。

もうすぐクリスマスですね。

それで思い出しました。



悲嘆の作業

2005年12月13日 | 在宅ホスピス
ブログには不似合いな内容になってしまいましたが…。


長い間会っていなかったおばが今年亡くなりました。

告別式の最後、棺にお花を入れながら親族は別れを惜しむのですが

久しぶりに見たおばの顔をみてはじめて

強烈に死を意識したのを覚えています。

ありきたりですが、

告別式は遺族の悲嘆作業を進める大事な儀式なんだと実感しました。


今は葬儀屋が取仕切る時代。

遺族はどこまで故人の世話をするのでしょう。

本で読んだ話しですが、遺族が身の回りの世話にたくさんかかわるほど

悲嘆がスムーズに進むらしいですね。

資本主義経済の結果…

2005年12月12日 | Weblog
10数年前、FBIFBI心理分析官の本を読んだとき

アメリカってのは、理解の範疇を越えた異常犯罪、性犯罪が多いんだな、恐ろしいな、

なんて思って読んだ覚えがある。

でも現代の日本はそのような犯罪が頻発している。

良くも悪くも日本の社会状態はアメリカに追随しているのは事実だろう。

例えは悪いが最近そんな事件をよく聞くので敢えてだしてみました。

(もちろんよい意味での追随もたくさんあります!!)


最近、日本が資本主義に本格的に進もうとしていて(もちろんこれまでも資本主義だったが)

その結果として受けることのできる医療に差がでてくるんじゃないかなと危惧している。

そこで資本主義国であるアメリカはどうだろうか。

1970年代以降、資本主義経済を押し進めた結果

所得格差が大幅に広がり、

低所得者の生活状態、健康状態は悪化したらしい。

その平均寿命は50代後半だとか。

同時に高所得者の健康状態も悪化したらしいが…。

これは単にあちらの国の話しではない気がする。

将来の日本を考えるととても不安に思う。

心配をあおるつもりはないが、近頃の私の心配です。

妻の言うことは・・・

2005年12月09日 | 薬剤師
私の気のせいだといいんですが。

世の中の「夫」達ががんのような重い病気にかかられたとき、そばにいて看てくれるのは、「妻」、であることが多い。

心配してくれるのも、もしかしたら一番多いのかもしれません。

その「妻」がいうには、

「心配でね、こうしたら、ああしたら、って言うんだけどね、

夫はちっとも私の言うことをきこうとしないの。

子供たちや他の人の言うことはきくのに。ほんと悲しくなるわ…。」

なぜ「夫」は「妻」の言うことに耳を傾けないのでしょうか。

このような話しを度々聞くような気がするのは私の気のせい!?偏見か?

そんな話しを聞くとなぜか私も心配になります。

病気の本人はたいへんなのは当然ですが、

同じくらい悩んでいる人がそばにいてくれることに対する感謝の気持ち、

いつか持ってくれたらいいのにな、と思いつつ、送り出します。

ふっ。健康食品

2005年12月08日 | Weblog
ブログを書き込む時の項目に、ジャンル、という欄が増えています。

これはいったいなんなんでしょう??

という独り言はさておき、

今日「健康食品ってほんとにがんに効くの?」

って聞かれました。時々聞かれます。

抗がん剤の開発をしていた私に聞かないで!って思いますが。

相手が健康状態良好な方ですと、率直に回答するのですが、

相手がそれを試そうかと真剣に考えている方だったりすると、

・・・回答に窮します!


有名な某腫瘍内科医の先生が講演中堂々と

「不健康食品!!」

と豪語されていました。

医療関係者は、科学的な根拠に基づいて治療をしているので、

根拠がないものは信じられない、というのが本音でしょうね。


治療する在宅ホスピス

2005年12月07日 | 在宅ホスピス
ホスピスって、積極的な治療をしないところなんでしょ!?

ただ痛みをとって黙って見ているところでしょ!!??

と決め付けるのはどうでしょう。

在宅ホスピスでも抗がん剤による治療を行うのを実際目にしました。

ホスピス・緩和ケアってこんなもの!

って枠にはまらないのがホスピス・緩和ケアですね。

患者さんの希望は何よりも優先させたいと考えて、みんなケアしています。

百人いたら、百通りのケアがあります。

疼痛緩和のガイドラインはあっても

ケアのマニュアルはありません。


同居家族と離れた家族の温度差

2005年12月06日 | 在宅ホスピス
自宅で最期を迎えた時、

ずっと看てきた同居ご家族は、死に行く方の穏やかな姿をみて、わりと静かに看取ることができたけど、

最期に呼ばれてきた遠方のご家族は、

がんばれ、まだ生きて、がんばれ

と必死で引き戻そうとした(抵抗した?)話を聞きました。


これってとても深い意味を含んでいると思います。

このご家族にとっては、自宅で看病することが、死を受け入れる過程になったのかも知れません。

病状の経過をそばでつぶさに見ていたこと、患者さんとの会話を重ねてきたことが大切だったのだと思います。


ギアチェンジ

2005年12月02日 | 医療関連
完全にガンが治るまでとことん治療をする、という段階から

痛みの治療を主な目的とするホスピス・緩和ケアに移ることを

ギアチェンジ

といいます。

さまざまな学会や研究会を聞くたび、

ギアチェンジが遅いとか、
いやギアチェンジは徐々に行うんだとか、

いろんな話を聞きます。

私は最初の告知段階から緩和ケアのことを知り、

治療をしながら緩和ケアも受けることが個人的には好ましいんじゃないか、

もっと言うと健康な時から緩和ケアを知るべきでは、

と思っています。

できるだけ早く緩和ケアを知る機会を持ってほしいと思っています。

そんな仕掛けができたらいいなぁと、考えています。

緩和ケアへの入り口 その3

2005年12月01日 | 在宅ホスピス
在宅ホスピス患者さんへの心理社会的支援をしたいと思った私は、在宅ホスピスについて勉強しようと思いました。

よしっ。在宅ホスピス先進国である米国で、研修してこよう!

しかし調べたところ…

医師以外を対象にした研修がなかったため、考えた末、

ボランティアとして活動することに決めました!

その後、ボランティアに行った先で、

San Diego Hospice で Education course がある

ということを教えてもらったんですがね…。

最初はフロリダ、ワシントン、ニューヨーク

(自分の好きな土地ばかりです・笑)

などのHopice を調べて電話でコンタクトをとりました

(e-mail のレスポンスはかなり悪かったため)。

なんだか冷たい印象だったのと、研修の時期があわなかったためどうしようかと思い悩んでいた

そんな時、

ふとハワイのホスピスに電話しました。

南国のせいなのか、日系人が多いせいか、

オアフ島もハワイ島もフレンドリーで感じがよかったんです。

一番は英語がゆっくり、というところでしょうか(笑)。

で、研修の日程が希望通りのところに決めたんです。

それがハワイ島HILOにある Hospice of Hilo。

20時間の研修を受け、
2時間のインタビューを受け、
私の知人へのインタビューをし、
ツベルクリン検査を受け、
レントゲン検査も受け、
検査結果を待って
・・・

やっとです、ボランティアに登録できたのは。

長かった…。

ボランティアでは、

患者さん宅へ訪問して見守りとか身の回りのお世話、送迎などしたり、

遺族のためのビリーブメントケアへの参加と発言、

オフィスワークの手伝いや、ニュースレターの準備、

月に2回のボランティア研修、

なんとご好意で薬局の密着見学もさせていただきました!!

ボランティアとは別に

ホスピス近くの病院の看護師さんと一緒に仕事をしたりして、


いろんな中から米国のホスピスを勉強することができました。


米国のホスピスは95%が在宅で提供されています。

私が行ったHospice Of Hilo も入院施設を持たない在宅専門のホスピスです。

ホスピススタッフの業務を見ていて、一番興味を持ったのが

Medical Social Worker でした!

心理社会的支援をする、という私の考え通りなんです。

Medical Social Worker の方には時間をもらって

いろいろ彼らの仕事を教えてもらいました。

帰国時点で、私がしたいと考えていること、そのイメージは

Hospice of Hilo でみた Medical Social Worker

でした。

それからほとんどイメージは変わっていません。

日本でも受け入れられたらいいのになぁ、と思うのです。