最近 がんばって BBCを聞くようにしている。
そこで ミャンマーサイクロンのニュースを知り、即ネットで調べたけれど 軍事政権化にあるため 報道陣やUN等の活動が制限されているようで 被害状況が数字でしかわからない。
5年前 東南アジアをバックパッカーで旅したとき もちろんミャンマーにも行った。
東南アジア三大仏跡の一つ パガン遺跡群に行くためだった。
パガン遺跡は 私の想像と期待を遙に超えた すばらしい壮大な遺跡群だった。
しかし それよりも感動したのは ミャンマー人の 優しさ 純粋さ 温かさだった。
それ以来 ミャンマーは私の好きな国の一つで(政治は別として) 今回も インドでの就職を考えつつも ミャンマーの仕事も探していた。
ミャンマーでの 大災害で 優しくて 温かい ミャンマー人が 被害にあったのかと思うと 何か自分にできないものかと考えさせられる。
と 同時に、「もし 自分がミャンマーで働いていたら・・・」と考えざるを得ない。
ルワンダの涙 という映画と Hotel Rwanda という映画を見た人は多いと思うけど どう思いましたか?
あの映画は ジェノサイドの悲劇だけではなく、私達 外国人の無力さ、弱さ、無関心さ、もあらわしていると思う。
ジャーナリストやNGOだけでなく UNすら 殺されゆくツチ族、穏健派フツ族を見捨て、その場から逃げてしまった。
でも じゃあ 自分が その場にいたら どうする?
ルワンダ人を見捨てられないからと ジェノサイドの混乱の中に一人残るのか。
それとも 外国人だから避難できる手段があるのだから 急いでその避難トラックに乗るか。
ミャンマーの大災害を考えつつも、つい自分がその場にいなくてよかったなんて思ってしまうこの現実。
これが現実?
じゃー 私達って 何ができるんだろーね
何もできないのか。
途上国にいたって 先進国にいたって 生きていくことが 大変なことには変わりはないし 命が惜しいということも同じだ。
やっぱり 人間 自分が一番かわいいのかも。
自分の安全が確保されていなければ 相手のことを心配できない。
そんなこと 考えてる時間があったら 無力なりに 何かできることを どんなに些細なことでも 探せー だね
でも 私は今フィジー。 何ができるのかな。
そこで ミャンマーサイクロンのニュースを知り、即ネットで調べたけれど 軍事政権化にあるため 報道陣やUN等の活動が制限されているようで 被害状況が数字でしかわからない。
5年前 東南アジアをバックパッカーで旅したとき もちろんミャンマーにも行った。
東南アジア三大仏跡の一つ パガン遺跡群に行くためだった。
パガン遺跡は 私の想像と期待を遙に超えた すばらしい壮大な遺跡群だった。
しかし それよりも感動したのは ミャンマー人の 優しさ 純粋さ 温かさだった。
それ以来 ミャンマーは私の好きな国の一つで(政治は別として) 今回も インドでの就職を考えつつも ミャンマーの仕事も探していた。
ミャンマーでの 大災害で 優しくて 温かい ミャンマー人が 被害にあったのかと思うと 何か自分にできないものかと考えさせられる。
と 同時に、「もし 自分がミャンマーで働いていたら・・・」と考えざるを得ない。
ルワンダの涙 という映画と Hotel Rwanda という映画を見た人は多いと思うけど どう思いましたか?
あの映画は ジェノサイドの悲劇だけではなく、私達 外国人の無力さ、弱さ、無関心さ、もあらわしていると思う。
ジャーナリストやNGOだけでなく UNすら 殺されゆくツチ族、穏健派フツ族を見捨て、その場から逃げてしまった。
でも じゃあ 自分が その場にいたら どうする?
ルワンダ人を見捨てられないからと ジェノサイドの混乱の中に一人残るのか。
それとも 外国人だから避難できる手段があるのだから 急いでその避難トラックに乗るか。
ミャンマーの大災害を考えつつも、つい自分がその場にいなくてよかったなんて思ってしまうこの現実。
これが現実?
じゃー 私達って 何ができるんだろーね
何もできないのか。
途上国にいたって 先進国にいたって 生きていくことが 大変なことには変わりはないし 命が惜しいということも同じだ。
やっぱり 人間 自分が一番かわいいのかも。
自分の安全が確保されていなければ 相手のことを心配できない。
そんなこと 考えてる時間があったら 無力なりに 何かできることを どんなに些細なことでも 探せー だね
でも 私は今フィジー。 何ができるのかな。
さばききれなかったり横領されたりだし。
スリランカも津波の時、そうだったらしい。
とはいえ、軍事政権下だとあまり他国から
ボランティアがどんと押し寄せてくるのも好ましく
思わないだろうし…。
ま、あまり背負いなさんな。うちらの小さい背中で
背負えるもんなんてたかが知れてますよ。
しかも 国民は 軍からサイクロンの規模や情報をちゃんと伝えてもらってなかったらしいね。
フランスかどっかの政府も 「お金を送っても 軍事政権が正しくお金を使うかどうかわからないから 不安だ」とか 言ってたよ。
しかも こんな状況下で 選挙続けるとか言ってんでしょ?
ほんと、私達にできることなんて なんもないんだよねー
私がミャンマー人だったら 「世界の人達ー 助けてよー!」って思うだろうけどさ、実際 その「世界の人達」はニュース見て 同情するだけしかできないんだよね・・・
でも なんかしたい!
いきなり「世界の人達助けてよー!」と思うのは
依存心が強すぎるんじゃ…。ミャンマーの
人達がどう思っているか謎だけど。
まずは Do it youreself! で。
冷酷なのかな、わし?
私 Hotel Rwanda に影響受けすぎかもね(笑)
確かに まず 自分で出来ることは 自分でやらなくちゃね。
私も それは トンガにいたとき 何度も思ったなあ。
そうなんだよね。
そういえば トンガの暴動の後、首都の中心地の8割が燃えてしまったとき、「今こそ トンガの底力が問われる時だ!」と 一人熱くなって でも 結局トンガ人は他力本願で 他国の援助に頼りっぱなしで なんか悲しくなったことがあったなあ。
特に 南アジアのスリランカなんて そういう意味で タフな現実 多いよね。。。。
ほんと、援助って難しいよね。
与えすぎてもダメ。でも 無視してもダメ。
そこら辺の 駆け引き、難しいね。
結局は 国際援助なんて 利害関係あってのものなんだよね。現実。
でも 今度のミャンマーは 天災だからなあ。
とにかく ミャンマー政府が早く 国際社会に対して 門を開いて欲しいなあ。
ここのサイトから→www.ekokoro.jp/
バヌアツにいたころ、ミャンマー人のWHOから派遣されているDrと一緒に仕事をしていました。彼は家族を祖国に残して仕事をしていました。ミャンマーにいると医者という職業だけに軍事政権に利用されるのが嫌という理由で。南南援助なんて聞こえは良いけど、そのDrの立場がとても気の毒でした。
今何しとるとですか?大洋州のどこかで全身の95%を
露出して走り回ってるとですか?(妄想88%!!)。
ゆーきって 外見に似合わず意外とホットなとこあるのよねー うそうそ(笑) URLすごく参考になった!クレジットカード私持ってないから、ワンクリック募金をすることにしたよ! あと1ヶ月で日本にも帰るし、そしたらちゃんと募金しようと思う。
ミャンマーにいると 軍事政権に利用されるからと 母国を離れるって医師 結構多いのかもね。
ミャンマーの医療事情は 医師も看護師もかなり不足しているんだろうねえ。フィジーで 足怪我したってわめいてる場合じゃないねえ。
>まあくん
ゆーきは 「上司のよきYes man」として ちゃんと日本社会に復帰したそうだよ。
帰国後、東京に住んでいる語学クラスのメンバーで会ったけど ゆーきは 忙しくて来れなかったんだよー
毎日 忙しく働いて 偉いねえ。