before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

義援金と寄付金と支援金??

2011-04-05 21:46:30 | 日本での暮らし・考える事・思う事


義援金、寄付金、支援金、、、

どこが違うの? 全部同じ意味?

答えはNOですね。

義援金 も、支援金も 寄付金の種類です。

では 義援金と支援金の違いはなんでしょうか。

義援金

日本赤十字、報道機関、被災自治体などで募っている義援金。
この義援金は、上記の団体などで構成される「義援金配分委員会」でまとめられます。

そして被災状況の全容が明らかになった後、この「義援金配分委員会」が、被害の規模(全壊か半壊かなど)によって配分を決め、
被災者個人(世帯)に「お見舞い金」のようなイメージで口座に直接振り込まれるのです。
つまり 被災者に平等に分配されるしくみです。
しかし、公平、平等というメリットと共に、
各自治体が被災者数や被災状況を正確に調査してからの分配なので、実際に被災者に届くまでに数ヶ月かかってしまうというデメリットもあります。


支援金

ボランティア団体、NPOなどの民間の団体が募っているのが支援金。
各団体が集めたお金は、その団体が必要と考える人々、地域に対して、物資援助、避難所への物資、炊き出し、心のケアなどの取り組みという形で使われます。
つまり、直ちに緊急の各種支援活動に使われるます。
しかし、即効性があるというメリットと共に、
お金の使い道が団体によって異なるので、「万人に対して渡される」という義援金と比べると不公平さが発生します。

募金する人が、各団体の活動をよく調べて、必要だと思う団体に募金することが大事です。



義援金と支援金。
どちらもとっても大事ですね。

義援金は、被災者の未来をサポートしていくものだから、とっても大事。

でも、未来は現在がなくては成り立たない。被災者の現在を支えるのは支援金。


私は、義援金と支援金の違いなど深く考えず、
地震の直後、日本赤十字の義援金募集に賛同して 指定口座に入金しました。

その後、義援金には即効性はないことを知り、都庁やその他の団体に物資を買って送りました。

義援金は、かなり高額を入金したのですが、
後で考えると 義援金と支援金 に半々で募金すればよかったなあーと思った。

いろいろ学びますねー。

今回の地震で、 いろんなことを考えるきっかけになっています。

うん。

自分らしく生きよう。

今日 そう決めました。

私は 元 協力隊だあー


まほうのことば

2011-04-03 18:59:44 | 日本での暮らし・考える事・思う事
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(時事通信) 2011年03月27日 15時03分

東日本震災で孤立した石巻市の雄勝半島。医師がいない状態が続いたこの地域に、国際医療支援に取り組むNGO「ジャパンハート」(東京都台東区)の医師石田健太郎さん(28)が入り、
避難所で診察に当たった。「大丈夫の一言が何よりの薬」。こう振り返る石田さんは、前向きに生きようとする被災者の姿に感銘を受けたという。

雄勝半島は津波により通じる道路が崩れ、インフラも途絶した「陸の孤島」となった。
ヘリコプターなどで医療物資は届いたが、人が出入りできるのは干潮時のみ。長時間診療する医師はおらず、医師が来る前に避難所で亡くなった高齢者もいたという。

石田さんが駐在した大須小学校の避難者は約600人。みな不安な表情で、診察が始まるなり100人以上が殺到した。
石田さんは安心させようと、診断を告げる前にまず「大丈夫だよ」と声を掛けた。症状はさまざまだったが、その一言で、みんな生き返ったように表情が和らいだという。

声をかけ続けた結果、翌日以降は混乱も収束。石田さんは「薬よりも安心できる一言が大事なんです」と強調した。

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私には 大切な「心の家族」がたくさんいます。

その人達は、一緒に苦楽を共にして 一緒に泣き笑い、励ましあい、生きてきた人たち。

「友達」という表現では その存在感を表現しきれず、
「仲間」という言葉でも まだ足りない。
一番 しっくりくるのは「家族」でしょうか。血のつながりはないけど、心は繋がっている「心の家族」

今までも これからも ずっと繋がっているであろう人たち。

以前、このブログでも書きましたが、

事故のあと、

私の肉体の命を救ってくれたのは お医者さんですが、

私の心の命を救ってくれたのは 「心の家族」たちでした。


事故に遭ったとき、

肉体が助かっても、心が助からなかったら、「生きている」って言えないんだと 知りました。

そして

人の心を助けるのは

心を込めた「言葉」なんだと 知りました。


私を救ってくれた「心の家族」たちの 一人は今 韓国にいます。
私の大好きな人です。
人を思いやる清らかな心、温かい心を、ナチュラルに持ち合わせている人です。
こういう人になりたいな。と 思い 私が尊敬している人です。

上の写真は、その人が 当時の私に送ってくれた言葉。

その人は 電話口で、泣いている私に

「大丈夫だよ」と言ってくれた。

その人の その一言は、不安と恐怖の闇の中にあった私の両肩を ガシっと掴み 闇の中に落ちていきそうな自分を止めてくれた。

その人が ありったけの想いを込めて言ってくれた 「だいじょうぶ」という言葉は 本当に魔法みたいだった。

その一言を聞いただけで、パーッと 光が差したような 地に足がついたっていうかなんというか、、、 とにかく見ている世界が変わった。

「安心」したのかな。ひとことで言うと。

後日 「あの日言ってくれた"大丈夫”という言葉、本当に私を救ってくれたんだよ」と その人に言うと、
その人は すぐにその言葉を色紙に書いて(上の写真)送ってくれた。
その色紙が届いたとき 泣きました。「えーん」と子供みたいに泣きました。

私の宝物です。


「言葉」ってすごい。

だから 東北太平洋沖地震の被災者にも、寄付金、義援金、救援物資、瓦礫撤去のマンパワーだけでなく、「言葉」が必要なはずと思っていたところ、

冒頭に貼ったニュースを見つけて、やっぱりそうなんだー。。。と改めて「言葉」の力、必要性を感じました。

そして 昨日テレビで、阪神淡路大震災に被災した人も 「医療よりも"言葉"、人と人とのつながりが感じられる”言葉”が救ってくれたんです。」というようなことを言っていた。

もちろん、

医療は一番 大事。

肉体の命を救うことは 一番大事。

それは大前提。

でも 医療だけでカバーできないことってある。 悲しいけど、「心の命」は「体の命」と連動していないこともある。

「心の命」を救うと、「体の命」が救われることもある。

「言葉」の力で。

でも ただ やみくもに 「大丈夫。」「ずっとずっと一緒にがんばっていこう。」「ひとりじゃないよ。」と言えばいいってわけじゃない。

その言葉に力を持たせるには、「心」を込めなくてはいけない。

「心」がこもっていない言葉は、ただの文字。

結局のところ

やっぱり 本気で相手のことを思いやれるかどうか なんだなあ。


私の大好きなその人は、今 韓国で「被災者に何も出来ない自分が無力でもどかしい。辛い。」と言っている。

でも 私は 思う。

その人の心は、思いやりの心は きっと被災者に届くと。

真の思いやりの心を持っている人の優しさや愛は、たとえ物理的な距離があったとしても、時間がかかったとしても
何らかの形で絶対に届く。

なぜなら その人には その力があるから。

そして その人にも 言いたい。

「大丈夫、ひとりじゃないよ。 私たちが一緒だよ!」と。 
「一緒に 東北を支えていこう」と。



名もないネコ (トータス松本)

名もないネコ おまえは何故鳴くの
行きたいとこが みつからないの
名もないネコ お前は何を見てる
信じる人が だれもいないの
名もないネコ おまえは何故行く
俺の気持ちも 知らないで
さあ おいで
ひとりじゃないんだよ

もう大丈夫
ひとりじゃないんだよ

http://www.tortoisematsumoto.com/news/2011/04/post-35.php


行動して学ぶこと(届けるモノについて)

2011-03-27 21:22:57 | 日本での暮らし・考える事・思う事

やっぱり

こういうときは、

元青年海外協力隊としては、

現地に行って何か手伝いたい。
自分の身を捧げてでも 何か力になりたい。

と思ってしまいます。


しかし、今行ったところで素人の私にできることなどなく、逆に現地の人達の貴重な食料や石油などを消費するだけで邪魔になるだけでしかない。

ということで、自分に出来ることを一つずつやっていくことにしている。

まずは 赤十字に募金した。

先週の土曜日は、知人の会社が有志で千葉県の液状化の影響で積もり固まった泥を かき出す作業をするというので、その会社の人達に混じって 6時間 泥をかき出した。

で、都庁が救援物資を受け付けていたので 仕事のお昼休みを使って 都庁にダッシュし 同僚と一緒に 大人用オムツと 生理用品、体もふけるウェットティッシュと ホッカイロを届けた。

そして 今日は、とある団体が 救援物資を受付ているので、これまた職場の同僚と一緒にお手伝いに行った。
業務は 物資の受付と仕分け。

東北の人が、苦しんでいるのに、福島の原発では命をかけて作業をしている人がいるのに、自分は毎日普通に暮らしていていいのか、、、という思いは日に日に募るばかりだけど、
こうやって 何か行動をしていると、ちょっと気持ちが落ち着く。

結局のところ自己満足なんだけど でも一つ一つの行動が 少しでも東北の人に役に立てば、、、と思い 心を込めて作業をしている。


それにしても、それぞれのボランティア受け入れ先で、関東の人達が こうやって結束して何かをしようとしている姿を見るのは ちょっと感動だ。

泥かき作業は、ある会社の有志の方たちが発起人となって活動をしていたのだけど、本当にみなさん思いやりのある人で、
一緒に泥をかきながら、「東北の人たちはもっと辛いのよねー」なんて言いながら みなさん ほっとんど休まず6時間泥と格闘した。

都庁には 山のような物資が届いていて、仕分けボランティアは 毎朝 わずか20分でボランティア受付が締め切られたらしい。

そして 今日は某団体のお手伝いだったけど、朝9時から夕方5時まで、途切れることなく物資が届いた。
そしてボランティアのみなさんは これまたほとんど休まずに仕分けをした。

関東も捨てたもんじゃない、、、

自分は東京に生まれたので、よく地方の人から「東京の人は冷たい」と言われてきたし、自分も そう思っていたけど、
東京の人も やっぱりあったかいじゃん!と 思う今日この頃。


さてさて、本題。

今日、実際に仕分けして思ったこと。

都庁の物資受付の際に、都庁のホームページに掲載されていた「受付物資」について、なんか 制限が厳しいなあー と思っていた私。

---都庁の受付品目(未使用のもの)-------------

  1. 赤ちゃん用品
    熱さまシート、紙おむつ(新生児S、M、L、ビッグサイズ)、おしり拭き、ベビーローション、ベビーオイル等
  2. 高齢者用品
    大人用紙おむつ、介護用ウェットシート、介護食用とろみ剤等
  3. 生活用品
    コンタクトのケア用品(洗浄液、コンタクトケース)、使い捨てカイロ、生理用品、紙コップ、サランラップ等
  4. 飲料水

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「こんな事態なんだから、洋服とか毛布とか、食料も受け付けてくれればいいのに」

とか

「なんで、未使用の物だけしか受け付けてくれないんだろう。湯たんぽとか、ランプとかだったら 使用後のものでもいいじゃん」

って思ってたんだけど、、、、、


今日、痛感しました。

やはり、「洋服は新品もしくはそれに準ずるレベルのものがよい」「洋服以外も 出来る限り新品及び新品に準ずるもの、未使用、食品は必ず 新品、未開封のものがいい!」
ということを、、、

というのも
今日の団体は、今日の団体は 洋服も受け付けていました。 洋服は 新品 OR 選択済み のもの という制限でした。
その他の生活雑貨も 食料も 幅広く受け付けていました。
その結果、
やはり 仕分けていく段階で、、、、
「これは、、、、さすがに、、、、送れないよね、、、、、」 と 仕分けした人ほとんどが そう判断せざるを得ないレベルのものがたくさん出てきてしまうのです。
いくら 非常事態だからといって、、、、、
「これは、、、、 単にいらないもの、捨てる予定だったものを 持ってきていないか?」と 思ってしまうような残念なものも、、、


これは自省も含めててですが
自分が使った物、着ていた物って 愛着もあるし やはり贔屓目で見てしまうけど、他人から見たら、やはり古着なのです。

いくら非常事態でも、着ることに躊躇してしまうような状態の服を送るのは、、、、
髪の毛がたくさんついたピンや ゴムとか、、、
かなり汚れたぬいぐるみとか、、、 
食料も同じで、使いかけの調味料とか、、、正体不明の海外の食品とか、、、 

ちょっと 「うーーーん。どうなの?」 と迷ってしまいます。 


これまでの災害支援では、物資を送る側のみでの協力だったので、
今回 仕分ける側、実際に取りまとめる側になってみて、初めて学ぶことがたくさんありました。

これまでは 自分も、「現地の人は きっと 物資がなくて困っているから 使い古した毛布や洋服でも きっと無いよりはましだろう。一枚でも、一つでも多く送ってしまおう」と思っていたけど、
自分の持ち物に対する基準は やはりちょっと緩かった(贔屓していた?)と思う、、、(^^;)

こういう線引きって 難しい。

そして 今日 作業していて得た情報ですが、

こういう時

自衛隊が かなりの量の毛布を持って行っているので、毛布などは十分足りているということだし、

洋服も、他のどんな物資よりも集まりが良く、これ以上受け付けても配布しきれないほど届いているということだったし、、、、

そうなると、、、、

量をたくさん送るのではなく、 必要なものを必要な分だけ そして求められているレベル(状態)のものを 送ることの大切さを学びました。

だから、、、やはり 可能であれば 新品、もしくは ほぼ新品に近い状態のものがいいと思う。
特に 洋服などは提供者が非常に多いので、ちょっと状態の悪いものならば送らず、いいものだけを送っても 十分足りるのだということが わかった。
実際 今日の団体でも、 もう洋服は新品しか受け付けない(可能であれば 洋服以外の提供をお願いしたい)という方向に変わりましたし、、、

何がいいたいかというと、

都庁とかその他の自治体が 受付物品の間口を狭くしていることは、ある意味正しいと感じたということです。
そして、都庁が 約1週間ほどで物資の受付を閉めきった(必要な量が集まったから しばらく見合わせる)判断も 正しいと思いました。

人々は、各団体が規定した物資に合ったものを持ってくること。
そして、各団体は、個々人によって基準がまちまちになってしまう物品指定の仕方はしないこと。

これ、大事です。

実際に活動してみて 初めて学ぶことがたくさんあった。

加えて、
繰り返しになるが、
こんなに みんなが物資を持ち寄り、そしてボランティアでたくさんの人が仕分けを手伝っている様子はとても素敵だった。
中には小さな子供を背負ってボランティアをしているママもいた。
あ、
あとね、どこのボランティアでも 「子供」が がんばっているんだよ! しかも小学生くらいのコ達がさ!
泥かきの日も、汗をかきながら、水を含んだ重い泥を 小学生が文句も言わず 泥を運んでいるんだよ。泣けるよね、、、
東京にいる小学生の多くは、四六時中DSやってる子ばかりだと思ってのに、、、
あと、腰痛持ちのおばさまも 泥かき がんばっていた。 なんか すごい。

日本はひとつ。

本当にそう思う今日この頃。

あ、あと 積み上げられた物資の山を見て思った。

一人ひとりが 一つずつ協力すると でっかいでっっかい山ができる ということ。

人の力って すごい。(;△;) かんどー


届けるタイミング

2011-03-22 23:36:50 | 日本での暮らし・考える事・思う事

この度の東北太平洋地震で被災された方、ご家族、ご友人が被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。

地震が起きてからもう10日以上経つというのに、テレビのニュースを見て涙を流さない日はありません。

こんなことが現実に起こるなんて、、、
一瞬にして全てが失くなってしまうなんて、、、
人の命が こんなにも儚いなんて、、、
そして 一度失ってしまった命は、どんなに願っても お金を積み上げても戻ってこないなんて、、、

1年半前、九死に一生を得た自分は、そんなこと身を持って知っていた筈なのに、それでもやはり受け入れられません。家族や友人達を失った方達の苦しみを思うと、心がズキズキ苦しいです。

地震、とってもとっても怖かったです。
地震発生時、私は上司と一緒に、今度のプログラムでお世話になる中小企業の町工場で打ち合わせの最中でした。
相当な揺れで、机の下に隠れましたが、上から額縁が落ちてきて割れたり、花瓶が割れたり
「これは、、、マジでやばいかも、、、こ、恐いかも、、、」と思ったけど 
打ち合わせ先で 取り乱すわけにもいかず
「きゃー」などと一言も発せず、黙って揺れが収まるのを 机の脚をしっかり握って待ちました。

大きな揺れと余震が収まった時点で、上司と「とりあえず オフィスに戻ろう」とタクシーに乗り込んだ。
(地震直後だったので まだタクシーをつかまえられた) 
タクシーの中で上司のワンセグで 津波の映像を見たとき、息が止まりました。
タクシーのラジオからは、

「津波到達時間は◯時◯分です。急いで高台に逃げてください!あ、すでに津波到達時刻です!映像でも大きな津波が次から次へと陸に近付いているのが分かります。今すぐ高台に逃げてください!あ、今、津波が到達しています!」

と 繰り返す声。。。

怖くて 怖くて、、、

自分の家族、友人達は無事か、、、
ドキドキしました。

結局 家族とは公衆電話から連絡がついて、一安心。
帰宅難民になったものの 夜中3時にはなんとか自宅到着。

本当に怖かった。


でも東北の方達が感じた恐怖、そして今も持ち続けている恐怖と苦しみに比べたら
関東の私たちの恐怖心や苦しみなんて ノミよりも小さいです。

一瞬にして 愛しい人たちの命がこの世から消えてしまう。

そんなこと 絶対に耐えられるわけがない。
私だったら 泣いて 発狂して 心が壊れてしまうかもしれません。

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人が本当に苦しい時、人生でおそらく一番キツい状況、強い悲しみに襲われているとき。
周りの人は 何をすべきか。

芸能人やスポーツ選手が
「俺達はお笑い芸人だから、こういうときは笑いを届けるのが俺達の役目だ!」
とか
「私は歌手だから、この歌声を被災地に届けるつもりで歌をうたう!」
とか
「私たち選手が 精一杯プレーしている姿で被災地が元気になれば、、、」
とか
言う人がいるけど 私は そういうの「うーん どうかなあ。」って思っちゃう。


人って、本当に辛くって 苦しくって、悲しくって、不安なときは、 
どんなに 面白い話を聞いても、元気の出る歌を聞いても 一生懸命プレーしている姿を見ても、
一切 受け付けられないと思う。
そういうことを受け付けられるようになるのは、一つ段階が落ち着いてから。
そうなる前に、無理やり面白い話を聞かされたり、ジョークを言われたり、元気の出る歌を聞かされても
「私の気持ちなんて わからないくせに!」と 感情を逆撫でるだけなんです。

人が一番辛い時、人生で一番苦しい時は、 「だいじょうぶ、一緒にいるから。ずっと 一緒にいるから。 私たちがあなたと一緒にがんばっていくから。」って 側で言ってもらうことだと思う。

これは 自分の実体験から感じたこと。
1年半前 事故に遭って意識不明の重体になり、死んでいてもおかしくなかった状態から、私は奇跡的に生還しました。でも 生還したからといって 全てがすぐに元通りになったわけではありませんでした。

頭から顔、口、腕、全てがもう傷だらけのぐちゃぐちゃで、「もう誰にも会えないのかも。」「外にも出れないのかも。」「もう働けないよ。」という恐怖と不安、悲しみは日に日に強くなっていったんです。
だから毎日泣いていました。

最初は 「やだねー フランケンシュタインみたいー(笑)」なんて冗談をいって強がっていたけど、そのうち強がることもできなくなって、人の優しささえも 時には受け入れられないこともありました。

そういう苦しい時期を助けてくれたのは、
地元仲間が「ずっと側にいるから。一緒によくなっていこう。」って言ってくれたこと。
トンガの同期が 「大丈夫だよ。」と言い聞かせてくれたこと。
家族が諦めずに側にいてくれたこと。

この時 「言葉の力」って本当にあるんだと知りました。

本当に 傷がよくなる保証もなかったし、後遺症だって どうなるかお医者さんだってわからなかったけど、
大事な友人が心を込めて言ってくれた 「大丈夫」「一緒に」というキーワードが
どれだけ私を救ってくれたか、、、 
言霊?言葉って ただ文字が並んでいるだけじゃなくって 本当の思いを込めることができる。
友の言葉は 「うん、そうだね。」って思って 信じることができた。

そうやって たくさんの人たちが 諦めずに ずっと私と一緒に歩いてくれて
少しずつ元気になってきて、
その時点で、初めて お笑い番組、歌、スポーツの力を受け入れるようになった。


だから、
今は まだ余震も続くし、生存者の懸命な捜索が続いているし、原発もどうなるかわからないし、
家族を失って絶望の中にいる人がたくさんいる。また、遺体が見つかっていないから気持ちの整理すらつけられない人がいる。

そういう中で
お笑いや歌、スポーツで 被災者を元気づけよう!って考えは、、、、、

うーん、、、

そういうのって まだ早いよなあー って個人的には思っていたんだけど、

ビートたけしが

「こういう時にさ『芸人は被災地に笑いを届けることしかできない』なんて意見も あるけどさ、そういうのは戯言でしかないんだよね。飯がちゃんと食えてさ、
ゆっくり眠れる場所があって、初めて人間は心から笑えるんじゃないかな」。
「所とも話したんだけどさ、こういう事態の時にさ、着ぐるみなんか着てやってられないよ、って。こういう時には芸人は何にもできないよ。粛々とする
しかないんだよ。この震災が何とか落ち着いてから『これから頑張って立ち上がっていこう』って時に、芸人が役に立つんだ」

と言っていたとニュースで知り、 
こういう本当の意味で 被災者を思いやることのできる心を持っている人が著名人の中にいるんだなと
ちょっと嬉しかった。

あとACのサッカー選手のCM、海外にいる選手が応援メッセージを言っているやつ。あれもいいと思う。

今必要なのは、スポーツ選手がスポーツをすることなのではなく、
「私たちが応援しています。側にいます。日本全体が見方です。」という言葉をシンプルに送ること。


私は今回 被災したわけじゃないし、大切な人を失ったわけじゃないけど、 事故のあと 立ち直れなかったときの状態を振り返るとビートたけしの言っていることは正しいと思うし、ACのサッカー選手のCMは素直に受け入れられると思う。


「救援」が「復興」にシフトしてきたら、そのタイミングで初めて スポーツやお笑いや歌の力が必要なんだよね。

私自身も、当時はウルフルズに助けられたし。でもそれは 体も心もある程度元気になってからの話。一番のどん底にいたときは歌なんて聞く気力さえもなかった。

今 自分たちができること、届けるべきことは

お笑いでも歌でもスポーツでもなく、そういった派手なパフォーマンスではなく

義援金を送ること、物資を自治体を通して送ること、節電すること、現時点で許される範囲のボランティアをすることだと思う。そして、そういうアクションを通して 被災者たちに 「ひとりじゃないよ。みんながいるよ。」と 伝えることかなと思う今日この頃。

ビートたけしと江頭、すごいと思う。


半襟

2011-03-06 23:50:14 | 日本での暮らし・考える事・思う事

年末は 忙しく 1月はやや体調を崩し 2月は こりゃまた忙しく

ということで しばらくお茶のお稽古に行けませんでした。

なんかねー 体力がないんですよね 最近。 土曜か日曜 どっちかは休みたい。でも休めないのです。

で、運良くどちらか休めたら 一日寝こむ。

うーん。

体力がないなあ。

部屋の中に溜まっていく洗濯物。見て見ぬふりでまた一週間が過ぎていくー

夏が終わったら 夏が終わったら お稽古事、ちょっと休まねば体がもたん、、、

そんなこんなで 今日 やっとお茶のお稽古に行けることになったのですが、

疲れが溜まっているのでぎりぎりまで爆睡。

で、パッと目が覚めて 桐の箪笥から 長襦袢を出したら 

ありゃ~

半襟 付け替えてないから 汚いー

けど 付け替える時間がない。。。

うー 恥ずかしいけど 仕方ない。

半襟も付け替える余裕ない生活、ダメだよねー 乙女として、、、


お茶の先生のおうちについて、3ヶ月ぶりのお茶のお点前。

意外にも 思ったよりお点前を覚えてた。

あー やっぱりお茶は いいねえ~

心が浄化されるなあ。

いつもドタバタしている生活の中で 唯一の「静」だわー

いつもの自分とは違う もう一人の自分でいられるのです。

今日は、お稽古するお部屋に、7段のお雛様が飾ってあった。
代々 受け継がれてきたお雛様。

お軸は、先生のお父様が詠まれた お雛様の詩が書かれたものだった。

お庭の椿は 美しく咲いていた。

主菓子は きれいな鶯色。その上に桜の花。

先生の帯には 桃の花と菜の花。

いいな。

美しいなあ。

日本って。


泣ける

2011-01-21 21:10:19 | トンガ 青年海外協力隊活動記

↓ これ見て泣けた私は、、、疲れているんだろうか、、、(笑)

サザエさんNo6250 お兄ちゃんやめます


私も サザエさんの良さがわかる大人になったのだ。


2010年京都弾丸旅行wトンガ隊員

2011-01-08 13:42:59 | 日本国内旅行

引き続き まだ昨年の話。
いやー 昨年末は 楽しいこといろいろあったけど、9月以降から忙しくてブログにアップできなかったから、
今更アップ。

昨年10月の話、協力隊のトンガ隊員仲間のカネゴンが、諸用で土日で京都に行くという。

京都といえば、トンガ隊員の同期、Mすちゃんがいるとこじゃん。

「はいはい!私も 京都について行く!!」と カネゴンの京都行きに一泊二日でついて行くことに決め、さっそくMすちゃんに連絡。その他のトンガ隊員仲間にも連絡!!

Mすちゃんは 「京都でどこ行きたい?」と 京都旅行のプラン作りに超乗り気だったので、

「和菓子作り体験は MUST!後はね~ ますちゃんプランに任せる!」というと

「OK!じゃあー 朝から京都のマクドに行ってから、ビックカメラでしょ?ヨドバシカメラにハシゴして、まぁ~最後はやっぱり漫喫だね!これ 僕のゴールデンルートやから!」

というので、全力でこのコースを否定し、とにかく Mすちゃん得意なAKIBA系要素は組み込まないで欲しい旨 丁重にご説明。
そんなこんなで、京都でのプランはMすちゃんにお任せ!
久しぶりに トンガ隊員のみんなに会えるーーーーーー! ワクワク~


台風が来ている中、新幹線がストップしちゃうんじゃないか、、、、?という不安の中、土曜日の夕方に京都に到着!
Mすちゃんとカネゴンと京都で合流!

もう、再開した途端に ま~ ま~ 笑いがとまらない!

大爆笑しすぎて、腰が痛い!

トンガの時は、3ヶ月に一回仕事で 離島から本島に上がってみんなと再開するたびに こんなふうにお腹がつるほど笑ってたなあ~

それにしても、毎年何百人も協力隊員が生まれているのに、こうやって価値観が一緒で、笑いのツボが一緒で、家族みたいなメンバーと
同時期にトンガで活動できていたのは、本当にキセキだったなあ~ と思う。
当時は 当たり前だったけど、今思うと やっぱり自分はラッキーだったなあと思う。

再会して、まずMすちゃんの先導のもと夕飯を食べに。
行った先は、Mすちゃんが得意の食べログで調べた女性に人気のお店。



京のおうちごはん ここら屋
http://kokoraya.moss-co-ltd.com/shopdata/ponto.html

いや~ ここがね!すっごい素敵な場所だった~!
なんか 京都の なんとか小道? なんか 京町屋造りのオシャレ居酒屋さんが続く道を進んで、道を一本入ったところにある。
何通りって言ったかなあ~ なんか 「二日酔い通り」?じゃなくて 「ちどり足通り」みたいな名前だった気がする、、、

お店は、京町家の作りで、古民家風で、めっちゃ素敵!

料理も 最高でした!

↓ 京野菜




↓ 生湯葉



↓ 生麩田楽




Mすちゃん 「土曜の夜、何食べたい?」

きょん    「うーん 京料理的なもの!」

カネゴン  「うーん 肉。」

という私たちのざっくりとしたリクエスト(とくに最後の人は食の種類ではなく食材指定、、、)から、よくぞこんなオシャレなお店を検索できたね!
さすが Mすちゃん 四捨五入すると四十路!リスペクト!



ま~ 初日の夜から笑った笑った!笑いすぎて 腰が痛いし、顎も痛い。お腹もつる。

なんで、ただ集まっただけでこんなに笑えるかねー 

嗚呼、ここに 同期の残り二人 Yうちゃん Aさちゃん もいたら、笑いすぎて心臓麻痺起こしてたね。きっと。 

ほんっと No 笑い  No Lifeですね。 激務の仕事と寒い都会生活で疲れていた心が一気に癒されたよ。みんなと笑うだけでさ~


↓ 四十路 と パフェ




笑いに笑って、気がつけば夜も更け 「じゃ また明日ね~!」といって解散。私とカネゴンは宿へ。

「また 明日」っていい言葉だよね。

ほんと、トンガの時は よく言い合ってたけど、日本に帰ってきてから みんなと会えたとしても 一日とか半日という短い時間で

「また 明日ね」じゃなくって 「また 今度会おうね」としか 言えなかったけど、
明日もみんなと会えるっていうのは 素晴らしいことだ。

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翌朝 日曜日

カネゴンは夕方まで用事があるので 別行動。

そして 夜行バスで到着した 野生児Kりんちゃん と合流。
この子はすごい。夜行バスで早朝京都に到着して、やることがなかったから、嵐山に登ってから待ち合わせ場所にやってきた。
原始人としか思えない、、、、。

そんな、KりんちゃんとMすちゃんと、これまたMすちゃんの一押しカフェで ブランチ!

↓ 鴨川沿いにあるオシャレカフェ! efish http://www.shinproducts.com/efish/cafe.php
  Mすちゃん 大丈夫?こんなオシャレスポットが続いて、倒れちゃうんじゃないかい?!なんでこんなとこ知ってんの?!



↓ きな粉黒ごまチャイ 、、、だったかな? バリ旨し。




↓ サンドイッチも 旨し!



さてさて、楽しいブランチの後は、鴨川沿いを歩き、電車に乗って 途中で Cぼーと Iエくんと合流し、、、、

途中 偶然見つけたナイススポットで写真を撮り

↓ キターーーーーーーッ(>▽<)/!

↓ ギザ カワユス\(゜w゜)/!




↓ ちゃっかりお邪魔。の模様。ありがとうっ!!





そしてそして、和菓子作り体験へ!
2000円で 上生菓子3個、干菓子 1種類を作成でき、お抹茶もいただけるというナイスプログラム!

↓ 本当に自分たちでつくるんですよ~



↓ こんな風にしたりしてー、、、




↓ あっという間に秋らしい4種類の和菓子がつくれちゃいました!思ったよりうまくできた?




お抹茶と一緒に 実食!! 味付け等といった材料の下ごしらえは私たちが作ったわけじゃないので、味は最高!!



↓ 作成終了後、抹茶を飲みながら 自分が作ったお菓子をいただきま~~す!



↓ お持ち帰りもできます!(みんなの作品を並べてみました~)




↓ 一番 先生の話を聞かずに 自由に作った人 (先生にも苦笑される)



↓ その自由人がつくった カッサカサの作品 何故こんなに ひび割れ?!




和菓子作りの後は、三十三間堂に立ち寄り 仏像の顔をあれこれ見比べて 「あれは誰に似ている」「あれはソース顔だ」などと
不届きな事をいって 周囲の人の反感をかいつつも見学を堪能。
いや~ 三十三間堂はすばらしい!

で、三十三間堂近くの高級ホテルのラウンジで ティーをいただく。ここも Mすちゃんの案内。
それにしても Mすちゃんが 漫喫以外のカフェやこういう高級な場所も知ってて ohovale `aupito!
今回の旅で、Mすちゃんが一生分のオシャレパワーを使いきってしまったのではないか、、、?と私は心配している。

夕方になり、京都駅前で カネゴンと合流、 Rえちゃん、Dごさんとも再会し みんなで焼肉屋さんへ!

懐かしいみんなと ワイワイ食卓を囲むのは楽しいね~!!

ドミにいるみたいだわ。

あっという間の1泊2日でしたー

でも ひっさしぶりに 大笑いして ストレス発散でした!

友達と笑いって 人生で必要不可欠なものだね。

Mすちゃんの おかげで超充実した京都旅行でした!

みなさん Toki sio e------------!!









沖縄旅行2010(人と人とがつながっている島 竹富島へ)

2011-01-03 13:46:06 | 日本国内旅行

゜*。・*。゜・。3日目つづき(DEC 28th)゜*。・*。゜・。

西表島でカヤックツアーをした後、「野菜ソーキそば」を食べて、宿の優しい女将さんに港で見送られて 船で石垣島へ。
石垣島の港に着くと、そのまま別の船に乗って10分 伝統芸能の島 竹富島へ。

竹富島といえば、、、

国の重要伝統的建造物群保存地区の一つで、沖縄の原風景 赤瓦の集落が残っている島です。


サンゴを砕いた白砂の道、その道を通る水牛車、家々の庭にはブーゲンビリアが咲き誇る、、、

そしてそして、年間を通して数多くの伝統的なお祭りが行われることでも有名だし、
私が習っている八重山民謡の「安里屋ゆんた」という超有名な曲も、ここ竹富島で生まれました。

「安里屋ゆんた」という曲は、八重山民謡を習う人は、たぶん一番初めに練習する曲だと思います。

歌の内容は、
かつて竹富島に実在した 安里屋 クヤマ さんという絶世の美女のお話です。

琉球政府から竹富島に派遣された役人の中の目差主という地位の役人さんが、このクヤマに一目惚れをし、
クヤマに「俺のところへ来い!」と求婚をします。
しかし、それは正妻としてではなく、妾になるということなのです。
クヤマは、どんな人と結婚しても苦労するのだから、それならば沖縄本島に拠点があり、奥さんもいる目差主と結婚するよりも、
ここ竹富島の男の人と結婚した方がいいわと、頑なに目差主の誘いを断る という歌でございます。

そして、その絶世の美女 クヤマさんの生家もきちんとあるんですよ~
↓ こちら!


↓ こちらでございます。




いつも弾いている歌が生まれた場所に行くっていうのは、なんだか不思議な感じです。

そして、竹富島といえば、、、
私の三線の先生の先生、(大先生とでも呼びましょうか)の出身地なのです!
しかーも
この前 三線の発表会があったのですが、その時に踊りを担当してくださった方々もみんな竹富島出身!

出発前に、みなさんに

「竹富島に行くんです~」と言うと、

 「あらあ!本当?!いいわね~。 どこに泊まるの? え? 高那旅館? あそこは私の同級生がやってるのよ~」
 「水牛車に乗って三線弾いているのは、俺の同級生さ~」
「◯◯にも 私の同級生がいるのよ~」

「是非、私たちの名前言ってみて!すぐ わかるとおもうよ~」 
とのこと。

そして、実際、

その通りだった

私が 三線背負っていると

「三味線やるの?」と 聞かれ 「はい、◯◯先生に習っています。竹富出身の。」と答えると
「◯◯?え? ◯◯△△(フルネーム)か?知っているさ~ よろしく言っておいて~!」と言われたり

宿の人も 「え? ☆☆さんと知り合いなの?いや~ 私 同級生よ~ 私の姉はね、◯◯先生と同級生よ~ 三味線弾くの? 私も今練習しているから一緒に弾こうか?」

と まあ~ アットホーム

こういうの大好き~

旅って、やっぱり 世界遺産や綺麗な景色を観るのもひとつだけど、やっぱり私は「人と人とのつながり」「人との出会い、笑顔との出会い」を感じるために旅に出たくなるんだよねーと 毎度のことながら感じました。

宿の女将さんと一緒に 「鷲ぬ鳥節」(お正月に歌われる歌)や「つぃんだら節」などを一緒に弾きました~ 嬉しかった~

↓ 宿のおじちゃん 先生の同級生だったさ~



ちなみに泊まった宿は 高那旅館! 素泊まりにしたんだけど、サービスで 毎朝 ホットケーキとかシフォンケーキとか出してくださって、感激!
ほんと 心温まるおもてなしでした~ カチャーシーも教えてくれたよ~
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/hayasaka-my/




さてさて、竹富島初日は、西桟橋で夕陽を見ました~



夕陽も綺麗たったけど、それよりも衝撃的だったのは 私たちの後ろに子連れの夫婦がいたんだけど、その旦那が囁いた発言が聞こえた。

 「夕陽きれいだね~ でも◯◯ちゃんのほうが もっと綺麗だけどね。」

 

石田純一以外にも、そんなこと言える人がいたんだ、、、
なんか 一気に血の気が失せて貧血になりそうだったので、すぐその場をさりました(笑)





゜*。・*。゜・。4日目(DEC 30th)゜*。・*。゜・。

この日は、この旅初の曇り空、、、しかも風が強くて肌寒し。。。
途中 ザーッと雨が降ったりしましたが、それでもちょこちょこ晴れ間がのぞいて、のんびり島歩き、買い物をしました~

竹富島では 「何もしない」「のんびりする」のが正しい楽しみ方と聞いていたので、のーーーーーーんびりしました。


お昼は、三線教室の生徒さんから勧められた 「竹の子」の ソーキそば! 
http://www.taketomi.net/takenoko/


綺麗な町並みを のんびり歩いて、、、

お土産屋さんをめぐったり、、、


牛ちゃんと戯れたり、、、



画期的なポストを見たり、、、




この日は曇り空だったので、夕焼けは見えなかったので、宿に戻って夕飯までの時間 小休憩。

実は、私、前夜 20時に寝てしまいました。
三十路の体力の限界ですな、、、(笑)

前夜20時に寝たくせに、この日も 夕飯前の時間に2時間昼寝。

寝過ぎだ!!

たぶんね 第4次成長期。 来たね。


夕飯は 宿の目の前にある 食事処「かにふ」さんで 私はフーチャンプルー定食、 ナゴは ゴーヤチャンプルー定食を食べました!
http://www11.ocn.ne.jp/~kanihu/
美味しかったさ~

沖縄旅行最後の夜だったので、食後に、夜道をぶらぶら、、、、

が、、、、、

暗い!!

人が道にいない!!

ちょっと 怖くなって、かつ迷子になりそうだったので(方向音痴)

同じところをぐるぐる回って(わざとではない、、、) 宿に戻りました。 きっと夏の夜とかだったら 夜道を歩いても楽しいと思うけど、冬の夜道はちょっと怖かった。ひとりだったら確実に泣いてたね。

宿では Superflyとかトータスを歌いながら

最後に トータスの 「ハッピーアワー」を布団の中で聞いて 眠りについたのでした。

「飛べない時の悔しさが 枕の中 やればよかった 
 
言わなきゃいいのになんて 夢をみる

 一番好きなもの ずっと変わらないもの 
 家族 あの子 そして自分 いつでも 続く旅のよう

 ぜんぶ片付いたら 飛び立つっていうけど 今すぐにだって行けるよ きっと

 あたらしい朝が来て 歩き出す 次の場所へ 負けへんぞ 
 何があっても 今日は昨日とつながってる 

 あたらしい夜が来て 走りだす すべての想い 泣かへんぞ 
 ちょっとやそっとじゃ 今日の続きはまた明日」


今宵のDJ ナゴ  ナイスチョイス!

゜*。・*。゜・。5日目(DEC 31st)゜*。・*。゜・。


あ~ いよいよ最終日さ~

最終日は 水牛車の始発に乗って竹富島をぐるっと見納め、、、

早朝の水牛車、なかなか素敵でしたー 朝の空気って新鮮だし!



そして、宿の女将さん、ご主人とお別れをして、港へ。
港のおみやげやさんで、悲劇が起こる、、、

旅の最終日となり、ついに あたくしの財布の紐が緩んだ。

緩んだというより 壊れた。

かわいいバックや小物を大人買い(同じものを2つずつ買う)してしまい、樋口一葉と 数名の野口英世が 私の元を足早に去っていった。

ちなみに 胃袋の入り口も壊れたらしい。 食欲が アンストッパブル!

さてさて、ここで 八重山民芸について ちょっとおはなし。

NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」を見ていた人は知っていると思うけども、
八重山の民芸品「ミンサー織り」



このミンサー織りの帯を、いつも三線の発表会の時に締めているんだけど、
ミンサー織りに込められた意味を、「ちゅささん」でエリーが言っているのを聞いていたはずなのに、
今回 竹富に来るまで忘れてた(笑)

かつては 主に男性用の帯として織られていたミンサー織り。

四つと五つの四角形がそれぞれ模様を作っていますが、
これは
「いつ (五) の世 (四) までも末永く私と共にいてください」 という意味で、
愛のしるしとして、女性が自分で織り上げた帯を婚約者へ贈っていたんだって。
そういえば、そんなことエリーが言っていたよ~

また両端のむかで脚のような柄は、昔の通い婚の名残を残し「足繁く私の所へ通って来て下さい」 という気持ちが込められているんだって。

なんか、沖縄の文化って 素敵だなあ~

日本には、ミンサー織り意外にも、博多織とか西陣織とか大島紬とか地域によっていろいろあるけど、ミンサー織りみたいに乙女の願いがメッセージとして込められている織物って 他にないんじゃないかしら?
(私が知らないだけ?)

あと、世界にも、あんまりないんじゃないかなあ。

あと、てぃさーじ(手ぬぐい:元は染物ではなく織物だったらしいけど)も、想いを寄せる人へプレゼントしたりしていたんだってさ~

そう考えると、沖縄って、特に八重山諸島って 「愛の島」だね~

前から決めてたけど、自分の結婚式の引出物は やっぱり琉球グラスとミンサー織りコースターやね!

おかしいな~ 引き出物も、余興を頼む人も、DVDをつくってくれる人ももう決まっているのに、相手だけいない、、、!
今年こそ 不毛地帯を脱出するぞ!

あ、でも そういえば 石垣島のおばさまが 「沖縄の人はね 恋愛に情熱的よ~!でも、離婚も多いよ!」と 言っていた、、、 ナルホドナルホド。


Lovely island 竹富島を去り、石垣港へ。
最後の買い物をし、(ここでも 私の財布のひもは 爆破された、、、 気がついたら両手に大きな紙袋、、、)

石垣牛ハンバーグを ペロリ (胃袋も底なし状態に、、、食べても食べても腹がへる、、、)

琉球ガラス作成体験をして、
http://www.glass-island.com/


石垣島から 那覇空港へ飛び、 那覇空港で ラスト ソーキそばを食べて (もう ほんとう 成長期だしょ?) 東京羽田へ。

そして、23:30、年が明ける30分前に自宅到着! 紅白、嵐のメドレーを見逃したのは痛かったが まあよしとしよう。



いやあーーーーーーーーーーーーーーーーーー

八重山旅行、 サーーーーーーイコーーーーーーーーーーーーでした!

竹富島も西表も絶対また行くぞ!

4泊5日で 食べたソーキそばの数 5杯!! 一日一杯は食べたね。

はー 本当に心が洗われた、久しぶりに 「生きてる~」「地球に 生きてる~」って感じたさ~

にーふぁいゆー



 


沖縄旅行2010(星の音が聞こえる西表島へ)

2011-01-02 20:52:28 | 日本国内旅行

゜*。・*。゜・。2日目(DEC 28th)゜*。・*。゜・。

二日目は朝早くから 石垣港からフェリーに乗り、約1時間かけて西表島へ!

西表の港では、今回滞在する まるま荘の女将さんが迎えに来てくれていた。
予約の時から 「優しい人だなあ~」て思っていたけど、会ってみて改めて女将さんの優しい人だなあ~って思った

まるま荘
http://www.ishigaki.in/view-iriomote-maruma.html
まるま荘は、ダイバーに人気の宿らしいけど、それも納得!
宿の裏には、きれいな海が!! 海から上がってきてシャワーを浴びたりできるスペースもしっかり用意されているし~

個人的には、また西表に来るときは、絶対ここに泊まりたい!

理由はいろいろあるけど、

庭が広くって、東屋やハンモックがあるっていうのが でかい! ここで三線弾いて歌うと最高さ~!

↓東屋


この東屋を見ると、サモアのビーチファレを思い出すわ~あ!!
やっぱ 沖縄の文化って大洋州の島々、特にポリネシアの島と酷似しているさ~


↓ ハンモックとその向こうに広がる海~

↓ 宿の裏手にあるビーチ 綺麗~  冬でこんだけ綺麗だったら、夏はもっと綺麗なはず!
  嗚呼、泳ぎたいっ!!めっちゃ泳ぎたい!!



宿に荷物をおいた後、レンタカーを借りて ナゴの運転のもと島内ツアーをすることにしました~

レンタカー屋のおじさんに

ナゴ 「車って多いんですか?」

と聞くと

おじさん 「そうね~ 年末だからね、ちょっと車多くなってきてるね~」

との返答。

結構 急カーブが多いし、ヤマネコとかの野生動物も出てくるらしいから、更に車も多いとなると、恐いね~と言っていたら、、、、



No Car!!
対向車 ゼロ!!
全然 混んでないダヨ?

音楽をかけながら、Begin、トータス松本、Superflyやコブクロなどジャンルを問わず大声で歌う。
気持ちいいさ~

途中で イリオモテヤマネコも発見。

(ウソ)

ドライブの途中で川も見て~



マングローブの林も見て~


ちゅらさんの舞台、小浜島も見えたよ~
(私たちの後ろに写っているョ)


途中で、サトウキビジュースを飲んだりもして、ただドライブしているだけなのに、大満喫!

そしてそして、西表島から水牛車にのって(15分ほど)由布島へ。
http://www.yubujima.com/index.html

↓シーズンオフなのに、由布島は人気ですね~ 


由布島は 昭和44年まで100人ほどの人が住んでいて25世帯もあったとか。
でも同年の台風の高潮で大打撃を受け、島のほとんどが浸水してしまい、その後台風の影響を恐れて島民は対岸の西表に移住したのだとか。
しかし、西表正治さんという、おじぃだけは島に残って「南国の楽園」を夢見てヤシを植え続けて、現在の由布島の基板を作ったそうです。

地球温暖化がグローバルイシューになってから、大洋州の国々では あと数十年後には国が水没して消えてしまうという現実と向きあって日々を暮らしている国がいくつかある。
でも、地球温暖化が始まる前から、大洋州の国々や 沖縄などの島国にとっては、台風などで水没したり、水害にあったりすることは日常茶飯事なんですよね。

由布島で、遠くツバルのことを考えたりしました。
ツバルの人たちは、自分たちの国があと数十年で沈んでしまうっていうのに、「神様が助けてくれる。」「神様が、このBeautiful islandsを地球から消してしまうわけがない」と信じて疑っていなかったっけ。

大洋州の人々のように のんびーりとしていて 「なんとなかるさ」っていう価値観がない国民(西欧人、日本人)にとっては、「そんな悠長な!」って思ってしまうかもしれないけど、
でも、彼らは私たちよりも遥かに自然の災害と隣合わせで暮らしてきていて、遥かに困難を味わってきている。
そういう人たちは 辛いことや 天災などでどうしようもない状況におかれたとき 「なんとかなるさ」って思わないと やっていけないのが事実。
だから、 「なんとかしようよ!やばいよ!」って思うより、 「なんとなかるよ。ならなかったら その時考えよう。」っていう考え方の方が 実はその土地にあっていて、正しいのかもしれないって思ったりする。
島が水没しないように、あらゆる技術を屈指して堤防を築いたり、コンクリートを使ったりする先進国的考え方よりもね。

なーんてことを パッと考えたりした ブーゲンビリアの咲き乱れる美しい由布島でした~


由布島を後にして、ソーキそばを食べて、今度は島の西側へ!!

途中、気になった場所があったらその都度ストップして、物色したり、景色を眺めたり。



そして、夕日を観に 月ヶ浜(トゥドゥマリ浜)へ。

月ヶ浜だなんて、なんとも素敵なネーミング。 沖縄の方言のトゥドゥマリとは 「留まる」の意味だとか。

沖縄の言葉って響きがいいねえ。 にぬふぁぶし(北極星) とかも なんか響きが好きだわよ。 

この日は、本当に天気がよくって 半袖でもちょっと走りまわると汗ばむほど。
夕日も それはそれは美しかったのです。


夕日が沈むのをここまでしっかり見ることができるのって、かなり稀ですよねー

海の中に溶けていく、アイスのような夕日。とろける夕陽。

 



こういう風に、夕陽が沈むのを見て「ああ、一日が終わったんだな。今日も一日、みんな ありがとう。って思えるのは いつぶりだろうか。
こういう時間が、自分には必要なんです、、、
西新宿のビル群からは いつ夕陽が沈んだのかなんて わかんないよね。当たり前だけどね。気づいたら22時くらいになっていて 電車に乗って帰宅途中に日付が変わる。
「あー1日終わった、今日もありがとう」なんて思う心の余裕はなくって 「疲れた。疲れた。ホームの酔っ払いムカツクーっ!」ってイライラ気分で一日が終わるのです。
そういう生活が、普通だって思える一般東京人にならなくてはいけないのは わかっているけど、なかなか簡単には割り切れないんだよねー
だから、年に数回は、こういう時間を求めて息抜きの旅にでなくてはいけないねえ。

夕陽が沈んで、宿に戻って夕食タイム~
1泊2食付きで 5000円というやすさなのに、この豪華な料理! 女将さ~ん






夕食後は、再度レンタカーで 日本最南端の西表温泉へ!
http://www.iriomote.com/v3/spa/spa.html

ここは、水着着用で露天風呂に入るので、さぞかし観光客がごったがえしていると思いきや、、、、

No People!
星空の下の露天風呂を貸し切り!

最高じゃないっすか~

貸切露天風呂を満喫した後、真っ暗闇の道を、宿へと戻る。
途中、ナゴが車を止めて 「車のライトも全部消してみようか?」といってライトを消した。
外灯もないので、当たりは漆黒の闇

そして 空を見上げると、、、

息を呑む。

 こぼれ落ちてきそうな星空

本当は、毎日こんなにたくさんの星が輝いているんだよね。

なんか 胸に染み入る風景。

星の光のシャワー を浴びているみたい。。。

星空の美しさもさることながら、私たちを取り巻く夜の音。

つまり、自然の音。例えば 虫の声とか、川の音、波の音。

私たちが口を開かない限り、自然の音しかしない。

あまりにも心地良い音で、体が溶けそうだった。

こんなに美しい音、耳に優しい音、心に染み入る音、キラキラした小さな宝石のような音、

そして なんか 星の音も聞こえるような気がした。

今回の旅の Best moment ですね。紛れもなく。

宿に帰ってから、しばらくハンモックに寝っ転がって目を瞑って音を聞いてみる。

さっきよりも海に近いから、波の音も聞こえて 本当に気持ちいい時間だったさ~


本当に美しい星空は、星の音が聴こえるから、音楽とかいらないなーって思った。
コブクロの「流星」とかも いい歌だけど、なんか違うのよねー 

こういう時、もし聞くとしたら やっぱり 八重山民謡ですかねえー 「月ぬ美しゃ」かなあ。


 

。゜・☆*。「月ぬ美しゃ」☆*。゜・☆*。

(1)
月が最も美しい一三夜―――まだ満ちていない頃
乙女が最も美しい一七歳―――まだ成熟していない頃

(2)
東から上る満月の夜
沖縄を 八重山を 照らしてください

(3)
あれほどの美しい月の夜
みんな今日は宴をしよう

(4)
寺の大札に 絹のような花
黄金のような花 咲かせてください

(5)
愛しいあなたの家の 東側に
ジャスミンの花を咲かせましょうね
それを採り あれを採るふりをして
愛しいあなたの家の花

(6)
娘の家の門のそばに
花染めの手ぬぐいを落として
それを採り あれを採るふりをして
娘の家に伺います

(7)
かまどの前にいるおばあさん 何がおいしいの
煙草の下葉がおいしいよ
お茶を飲んでもおいしいよ

゜*。゜・。3日目(DEC 29th)゜*。・*。゜・。・

翌朝は、朝食を食べながら「ゲゲゲの女房」の再放送を見て、涙を流し、
宿から徒歩3分のところにある「でんさ節の碑」(でんさ節=八重山民謡の教訓歌)を見て、




前日に申し込んだピナイサーラの滝までのカヤックツアーGO



わたくし 初カヤックです!!
いや~ これがね~ 予想以上によかった
たぶん、閑散期だったから、カヤックでマングローブの林の間を通っている時も、私たちが口を閉じれば、
鳥の声や川の音、カヤックを漕ぐ音しか聞こえない、、、。

加えて、森のマイナスイオン! とぉーーーーーーーーーっても いい匂い。

なんだろう。檜のような いい匂い。。。



最高に 気持ちい~っ!!




マングローブの間を どんどん進む!



そして 滝の近くでカヤックを降りて、もののけ姫的な森をトレッキング 20分。

ピナイサーラの滝に到着~!



滝の近くは、霧?が森の中に漂っていて幻想的。
夏だったら、みんな滝壺で泳ぐらしいけど、さすがに寒いので断念、、、

「さようなら2010。来年 いいことがありますように。」と 滝に祈りました。
初日の夜、沖縄料理やさんでの三線ライブを聞いているとき、三線弾いて歌っているお兄さんが
「これから、オジー自慢のオリオンビールを歌います。歌の最後に、“◯◯祝いで あっり かんぱーい”と 言うところがあるので、
みなさんのお祝い事を◯◯のところに入れて歌おうと思います。
何か、おめでたいこと、お祝い事、いいことが、今年あった人いますかー?
と聞くので、
お客さんが
 「新婚旅行できました~」とか 「今月 彼女の誕生日でーす」とか 次々と お祝い事や いいことを言う中、
私とナゴは、どんだけがんばって考えても
「あっり かんぱーい」するほどの 
いいことが、、、、
人に言えるほどのいいことが、、、、


ない  


ことに気がついた、、、

来年は、人様に自慢できるようないい事が起きますように、、、滝に願いました、、、




再びカヤックに戻り、ナゴのソウルソング、「カントリー・ロード(耳をすませばVer)」を大声で歌ったり、
その歌を替え歌にしたり、Superflyの「愛を込めて花束を」を替え歌にしたりと
我々の小学生的なエンジョイっぷりに ツアーガイドのおにいさんも 呆れていたことでしょう。

↓ そんなお兄さんと最後に一枚!


西表には一泊だけだったけど、本当に濃い滞在だったわ~ 西表島、予想以上にすばらしかった!
私の心が求めているものを提供してくれたね、西表島は!

やっぱり大自然だね~

そして、西表に着いた時から感じていたのだが、

この島、私が協力隊でトンガにいたときに住んでいた離島エウアに超似ている、、、

島の地形とか、人口の少なさとか、、、

懐かしい~


沖縄旅行2010(石垣島)

2011-01-02 19:11:08 | 日本国内旅行

はいたーい!!

沖縄は八重山諸島、石垣島、西表島、竹富島に行ってきたさ~

もーーーーーーーぅ 最高だった!

シーズンオフだから 観光客も少なくってのんびりできたし、運良く天気も良くって半袖でOKだったし、何よりも心が癒された~
やっぱり トンガと沖縄って似ているね~

ちなみに、私が三線教室で習っている民謡は「八重山民謡」です。

三線の民謡は実は3種類に分かれていて、

沖縄本島とその周辺の民謡は「沖縄民謡」
石垣島、竹富島、西表島、黒島、小浜島、鳩間島、新城島、波照間島、与那国島などの八重山諸島で歌われているのは「八重山民謡」
宮古島で歌われているのが「宮古民謡」

今回は、いつも歌っている八重山民謡の舞台に行けるということでもテンション上がります!

では 元トンガ隊員の皆様、日本のトンガを御覧ください。

゜*。・*。゜・。1日目(DEC 27th)゜*。・*。゜・。

羽田空港をAM6:25に出て、9時頃那覇空港到着。
小腹が空いたので、さっそくジューシーお握りを買って食べる。おいし~

那覇空港で乗り継ぎ便を待って、11:00過ぎに石垣空港到着~。

空港に降り立って、ぽっかぽか陽気にびっくり! 何?! 東京、極寒だったのに?!何 ここ?! 夏ジャン?!

うきうき わくわく~

関西空港からやってくるナゴと、石垣のホテルで2時過ぎに合流し、まずは腹ごしらえ。

↓ まずは やっぱり 八重山そば!! おいシーサー



まずは、石垣港周辺のかわゆい雑貨屋さん巡りをして、

その後 海沿いを歩いて

CAFE・BAR Puffpuff へ。

http://www.churashima.net/shima/special/cafe/yaeyama/puff%20puff/index.html



海~!!綺麗~っ!!


↑ ハイビスカスティーを頼みました。

CAFEで、のんびーりした後、歩いて石垣港近くのホテルに戻って一休憩。






夕飯を食べに ぶくぶく茶屋 うさぎや別館 へ!
http://jaima.net/modules/mxdirectory/singlelink.php?cid=46&lid=672

ラフテー、ゴーヤチャンプルー、ジューシーお握り をオーダー

全部 おいすぃ~!



たらふく食べて、お腹も満腹~
食欲が満たされると、さすがに昨夜の寝不足が響いてきて、今にもとろけそうな程の
魔が、、、
早めにホテルに戻って 明日の西表島への船旅に備えて早く休もうさ~と席を立とうとすると、
三線抱えた お兄さんが登場!!

島ん人の宝や、涙そうそう、島唄などを歌い、安里屋ゆんたなどを次々と歌ってくれて、
オジー自慢のオリオンビール で 「あっりカンパーイ」 と盛り上がり 最後は 豊年音頭で カチャーシーをお客さん全員で踊りました~!

楽しかった~



こうして、沖縄らしい夜が更け、初日が終わったのでした~


May 2011 be filled with tons of smiles.

2011-01-02 18:04:37 | 日本での暮らし・考える事・思う事

あけまして おめでとうございます。

今年も 自分の大事な人達はもちろん、その人たちの伴侶、子供、両親、兄弟、みんなが健康で笑顔にあふれた1年になりますように。

(↑ 去年の年賀状ね 笑 今年のは まだみなさんのお手元に届いていないと思うので。ちなみに去年の年賀状は自分が訪れた国の笑顔を撮った写真で作りました。)

いやー それにしても

小学生の時は、1年ってとっても とっても長かった。

大人になると、1年ってあっという間ですね。

小学生の時より、大人のほうが仕事で忙しいから1年を短く感じるのだろうけど、
でも、小学生の時は、四季折々の行事が(ひな祭り、七夕、運動会などなど)学校で開かれていて、
きちんと四季の移り変わりを感じていたから、1年の時間の流れをきちんと感じることが出来ていたので、
1年が今よりも長く感じられていたのかも。

何事も 心の余裕なんだよね。

年末 沖縄の八重山諸島を旅して、なんか 久しぶりに「生きてるー」って思えた。

私、東京の生活 ほんと あってないんだな~(汗)と感じたさ。

自然の木々のにおい、おいしい空気、三食きちんと食べる生活、美しい海と空、そして何よりも人と人のつながり。


↑ 竹富島のブーゲンビリア

竹富島で 「子供は地域のみんなで育てるさ~」って書いてある看板があった。

こういう考え方は、沖縄とトンガって同じだなあーって思った。

もう東京にはない習慣だよ。。。

沖縄から戻って、羽田空港で防寒着を着込んでいたら、 子連れ一家が椅子に座っている様子が目に入った。
両親は、椅子に座って必死に携帯をいじっている。
子供は椅子の上で爆睡。 なんと、靴を履いたまま 椅子に寝っ転がっている。もちろん靴の底はしっかり椅子の上に乗っている。

おいおい!

最近、電車の椅子に靴を脱がせないで子どもを座らせるという 常識のない親が増えている。
けど 下手に注意すると 東京の人たちは逆ギレするから、怖いので、いつも注意しようかどうしようか迷って、結局注意できないまま終わってしまう。
でも!
大晦日だし!
やっぱり間違っていることを、周りの人がちゃんと注意しないから 変な世の中になるんだし!

と 勇気を振り絞って

「あの、、、お子さんですか? 靴が椅子の上にのっかっていますよ?」と 笑顔で優しく言ってみた。

すると 奥さんのほうが 携帯画面から目を私に向けて キッと睨み

「どうも わざわざ ありがとうございますっ!と嫌味たっぷりに言われた、、、

しかも 私が去った後も、大声で

「そんなことで、わざわざ!?こんな 些細なことで!?」と 憤慨している奥さん。

私、間違っているのかしら?

トンガだったらさ、自分の子供じゃなくっても、悪いことをしていたら、マナー違反なことをしていたら、注意したり、お尻叩いたりして起こるのが普通だったし
きっと 昔の東京も そうだったと思うけどな。

「そんなこと」程度 「些細なこと」って思ってるなら、携帯いじってる暇あったら、子供の靴脱がせるくらい簡単だと思うけどなぁー

これだから 東京はいやさ~ 最近、夫婦揃って常識ない家族って多い気がする、、、
幸い うちの地元仲間で親になった子たちは 「うちの子が悪いことしたら どんどん遠慮無く叱って!」という同じ感覚の持ち主だから救われるけどさ。

でも、

今年は こういうこと、赤の他人であっても、きちんと注意しようと思う。(ナイフとかで刺されない程度に 汗)

子供に、間違っていることを指摘できない大人にはなりたくないさ~ たとえ都会であっても。

東京に帰ってきて、

電車に乗って、みんながみんなi-phoneやDSを病的なまでに黙っていじっている姿は相変わらず うんざりしてしまうし
やっぱ 東京って好きじゃない。

でも 年に4回くらい 八重山とかトンガとか大好きな国で息抜きをして 心のバランスを保ってがんばろうと思う。

今年は、きっと昨年に引き続き 仕事の方向性でモヤモヤしていると思う。
でも もう少し外務省関係のお仕事をやらせてもらって、しっかり貯金もして、来年までには自分らしい道をしっかり進めるように土台作りをしよう!

今年末には、自分らしく笑える道を進むめどがつくよう、がんばろっと。

今年の目標は、

①最近さぼっている英語のブラッシュアップ
②アート(絵、けしごむスタンプづくり、裁縫)に のめりこむ。ミシン買う。
③体力づくり
④セミナーに参加しまくる
⑤三線、茶道、引き続きがんばる


今年の訪問予定地、参加イベントは
①モンゴル
②トンガ
③八重山
④夏フェス
⑤韓国
⑥富山

モヤモヤしている1年になると思うけど、でも 暗闇の中でも走り続けないと、歩き続けないと一生出口に辿りつかないと思うから
とにかく やみくもに歩こう(←この前大学の先輩と話していて思ったこと。)

そういう1年にしよっと。

。゜*。・*。。゜*。・「命どぅ宝」。゜*。・*。。゜*。・*。

本当に、そうさ~ がんばろう。

でも 「なんくるないさー」 「Saipe saipe」 精神も忘れずに、根を詰めすぎないことも大事だねえ。 

皆様 今年も 忙しさにやられて伸びている私をどうか見捨てず(笑) よろしくお願いいたしまーす。




↑ 西表島の夕日。


めんそーれー!

2010-12-27 13:09:27 | 日本国内旅行

ということで、私は今 石垣島にいまーす。

年内に振休を消化せよというお達しを喜んで受け、

27日、28日で振休をとって 29日以降のお正月休みをプラスし、
27日から31日までの八重山年末旅行に来ましたー

今回のつれは、ウルフルズや夏フェスコンサートでおなじみ 協力隊同期、マーシャル隊員のナゴ。

結局 いきつくところは地元仲間か協力隊仲間ってことで おちつくわ~志が同じ人たちって(笑)

何故、この忙しい年末に、沖縄旅行に来たか、、、

それは すべてナゴからの思いつき電話から始まった。

ナゴ 「ねえねえ きょんち、年末 トンガに連れてって~」 

丸投げっ!!

と、いつものように 突然 始まった。

しかーし

お互い仕事が忙しいから もたもた準備をしていたら、気がついたらトンガ行きのフライトがとんでもない金額になっていた、、、今 エアパシが 成田-フィジー間を飛んでないから AUSかNZまでいかなきゃいけないからトンガまで高いお金を払って行っても滞在日数が超短いし!

ということで、トンガを断念し、

じゃあ タヒチ? → もっと高い

ハワイ? → 「お正月にハワイ」、ベタすぎる。

カナダでオーロラ鑑賞? → これも高い

ラスベガス → なんで?

屋久島 → 冬は極寒、、、

九州 → 年末はお店とかどこも閉まっているんじゃ、、、

国内は、年末きっとお店はほとんど閉まってるから、、、

だったら とことん「ぼー」っとできる 沖縄の離島だ!!

ということで 八重山諸島旅行になりました。

それにしても 年末は忙しいのぅ。

私、昨日まで、自分のフライトの時間確認する余裕無くって、昨日の夜21時ごろ年賀状を印刷しながら、ナゴと電話をしていて、明日の話をしがてらEチケットをチェックすると、もう昨晩中に家を出て新宿か品川で夜をこさないと出発時間に間に合わない(フライトは 朝の6:25)と気がつき、顔面蒼白になり、
急いで 旅行の準備をして、お風呂は行って、年賀状印刷したのを住所録と一緒に持って ダッシュで最終電車に乗ったのでした、、、そして新宿の漫画喫茶で夜を明かし、始発で羽田空港へ、、、

あぶなかった、、、

つーか やっぱり年末 忙しいのに 無理やり旅行に来たツケですな。。。

漫画喫茶 滞在時間は3時間半だった。寝ようと思ったのに、NANA読んで泣いてしまった。
気がついたら3時間半、年賀状の宛名書きとNANA鑑賞で使ってしまい 寝ていない、、、バカか。

でも石垣についたら元気になった!
今日は 石垣にとまって 明日は西表、明後日から竹富に二泊。

もちろん マイ三線も持ってきた!

リフレッシュ休暇でーす。命の洗濯よ

あー やっぱ 海があるといいなあー トンガとかフィジーみたいで懐かしいよー

では 皆様 良いお年を ぴょんぴょん。


生きるって

2010-12-23 12:31:31 | 日本での暮らし・考える事・思う事

祝日って すばらしい、、、 10時間近く寝て 生き返りました。

祝日に見るマスト番組 「いいとも」 を観てたら 戦場カメラマンの渡部陽一さんが

「インドが一番好きですね。仕事でも、プライベートでも。衣服、食事、ひとつひとつとっても毎日がドタバタで自分が映画の主人公になったような気がします。」

って言っていた。

そうだったなあ。

インドに限らず、いわゆる発展途上国といわれる国々での生活は、

毎日がドタバタで、生活の一つ一つがうまくいかなくって、ドタバタがおきるたびに現地の人と泣き笑いして、

ひとつのドタバタを解決しようとたくさんの人と協力して

毎日が 笑い顔 泣き顔 怒り顔 喜び顔 驚き顔 嬉し顔 があふれていて

人生の喜怒哀楽が毎日毎日繰り広げられていて、

毎日 「生きている」って感じてた。

だから 海外で働くことが大好きだったんです。

渡部さんの言っていること、共感。

日本に限らず 先進国の 更に大都会の日々では 買い物も食事も、移動も、入浴も、洗濯も すべてスムーズにできて

日本人同士だから言葉の壁もなく 意思疎通も簡単にできる。

でも なんでだろうね。

言葉が違って、意思疎通が難しいときのほうが、

感情を表情で伝えようとするから、「心の中の思いを精一杯伝える」っていう 人間が本来すべき作業を自然と行うことができる。

そういう生活のほうが、きっと私は好きなんだな。

精一杯の人と人の繋がりが。

純粋で、シンプルな 人と人の繋がりが。

途上国だと、人々の表情が本当に豊かで色がある。生きているなって感じる。でも 日本だと人々の顔に色がない。

今 仕事で これまでの交流プログラムとは違う インフラ整備とか土木工学の研修要素を含んだプログラムの立案にちょっとかかわった。
正直、「交流プログラム」だと物足りなさを感じていたから(協力隊で2年間現地の人とどっぷり生活をともにしていると、わずか9日間の交流プログラムだと どんなにすばらしく充実したプログラムを組んで大成功しても、個人的に物足りなさを感じてしまう、、、)
こういう研修要素も含んだプログラムにもっとかかわりたいなあー キャリアになるし、気持ち的に割り切れるしね。

30代、どういう方向に進んでいこう、、、


私のいぬ間のバーチャル孫体験

2010-12-20 22:19:49 | 日本での暮らし・考える事・思う事

こんな時間に 家にいるなんて し あ わ せ ~ 

先週金曜までは なんか激務続きで 深夜残業ばかりで死ぬかと思ったー
徹夜もしちゃったしー、、、

でも もう先週で多少落ち着いたから 早く帰れる~ うれしーよー

先週の金曜日は 終電ギリギリまで働いて 
「やばい!終電の時間に間に合わないかも!」と デスクから立ち上がって走り出そうとしたら
課長が 「大丈夫? これ 持っていきなさい」とタクシーチケットをくれて、嬉しかったけど
結局 ダッシュで終電キャッチ。タクシーチケットを使うなんて なんか申し訳なくてねえ、、、

で結局家に着いたのが2時近く、、、

もぅ、、、私、、、、 ダメ、、、、

と 倒れこんだのが3時。

で、翌日の土曜日は 三線のお稽古だったんだけど、さすがに休もう。休んでしまおう。って 思ったのに!
もうすぐ 課題曲の発表があるから 行かねば、、、と 重い体を布団から引きずってお稽古へ、、、

お稽古しながら途中意識が飛びそうでしたよ

そんな中、ウルフルズのサムライソウルが鳴り響く。
あ、私の携帯の着信だわ。

出ると 地元仲間の けつお だった。

けつお 「あのさー 今日 家にいる? 先日 サイ(けつおの娘)の七五三で借りた ごーちゃん(あ、これ私の昔のあだ名ね)の三歳児の時の草履を お礼がてら返しに行きたいんだけど」 

私 「あ、ごめん 私 今日 家にいないのよ」

けつお 「あ、そう? わかったー じゃあ とりあえず ごーちゃんちに寄って草履を返すよ」

私 「 え? だから私はいないよ? ちなみに 母もいないよ? 父さんならいると思うけど」

けつお 「あ、大丈夫、大丈夫 おじちゃんに渡しとくわ」

私 「あ、そう? じゃあ よろしくー」


といって、私はそのままお稽古をして、用事を済ませて 家に帰宅したのは20時くらい。

私 「ただいまー なんか今日 けつお来たんでしょ?」

母 「あー 来たよ 来たよ! サイちゃんも一緒に来るっていうからさー もう 私たち張り切っちゃって~」

父 「そうそう、もう来るよって連絡きてから ずっと家の外で待ってたんだよ~ サイちゃんが来たら すぐ畑に連れて行って一緒に大根採ろうと思ってさあ~」

は?!大根採り? 草履を返しに来たんじゃないの?

母 「そしたらさ~ 待てど暮らせどこないからさ もう日が暮れちゃってー そしたらお父さんったら ヘッドライトをつけて 更に懐中電灯まで持って スタンバイしてたわけ!」

へ?! ヘッドライトつけて大根掘り?

父 「そんで ようやくサイちゃんが来たからさー もーすぐ畑に連れて行って 大根掘ってさー まあーーーーーー 楽しかったよ~」

母 「もうさー お父さんったら サイちゃん(3歳児)と同じレベルだからさ~ 話合うのよ~ 」

・・・って 何やってんの?!


確かに家には、けつお一家から返却された私が3歳のときに履いた草履が返却されていて、内祝いの綺麗な風呂敷もあった。

だが、草履ネタには一切触れず

父母は、 サイちゃんが ああ言った、こう言ったと 大盛り上がりだ。


そして 今日 けつおに電話したところ、

けつお 「いやあー またもや ごーちゃんのおじちゃんと おばちゃんにお世話になっちゃってー  

      サイもまた楽しんだみたいよー 今日、サイが一人でうさぎちゃんとミニーちゃんのおままごとをやっていて

     
  ミニーちゃん : ただいま~
     
       うさちゃん   : おかえり~ 大根採ってきた?

       ミニーちゃん  : うん、暗闇の道端で採ってきた!

      っていうおままごとをやってたくらいだからね!

      しかも 何故か立場がかわっちゃってて ”きょーこねーちゃんのお父さん、サイの大根おいしいって食べてるかなあ?” とも言っているよ (笑)」


とのこと。

それを父に話すと、 「サイちゃんの大根おいしくいただきました~ ってサイちゃんに言っておいて!」と返ってきた。

今度もまた、

私のいない間に、父母は バーチャル孫体験を楽しんだ様子。

3歳児のサイちゃんは、大根は、ヘッドライトを頭につけて、暗闇の道端で採るものだと覚えたことでしょう。

うちの両親にバーチャル孫体験をさせてくれる けつお一家よ、
どうかどうか、私の代わりに 孫体験をわが両親に! 今後ともよろしく頼む!


なんか、東京っていう都会なのに、
こうやって 地元のおじちゃん おばちゃん ひっくるめて 仲間の子供を育てていくのってすごいことだなあ~ 奇跡だなあ~って思う。

この地元に生まれてよかったなあ~って。 本当にそう思う。

願わくば 自分にも子供が欲しいけど、なんか縁遠そうなんで、 自分にとって家族同然の地元仲間の子供を甥っ子、姪っ子としてかわいがるかねえ~


ちょっとしたことで溶かされる

2010-11-21 23:33:18 | 着物 ・ 茶道 ・ 三線 について

忙しい東京砂漠の生活を 緑化すべく趣味にいそしむ。
その結果 土日を趣味の習い事や発表会などの時間で使ってしまい、結局休めない、、、

負のスパイラルです、、、バカな私


とくに、今月は、「茶道」と「三線」の、2つの習い事でビッグイベントが重なっている。

茶道は 「炉開き」(お茶の世界のお正月とされる行事。)

三線は 「発表会」

なんか ほんとーに 体がやばい(汗)

ここ最近 土日、お昼2時くらいから眩暈がするようになってきたー 寝不足続きだからねー、、、

趣味の習い事を一時ストップさせればいいんだけど、でも今月はどーしても休めないビッグイベントがあるので 乗り切るしかない!
来月は、ちょっと 休もうかなあ、、、(´へ`;)

そんな忙しい休日のある日、

ドタバタいろんな用事を午前中に済ませて、午後お茶のお稽古へ。

いつもよりちょっと遅れてしまっていたので、寒空の中、着物にショールを巻いて走る。

冷たい外気が頬に当たって 寒い寒い。


先生のおうちについて、お茶室に入ると、炉の火がシュワシュワないている。

寒い外の世界から区切られたお茶室の空間。

静寂で ほんのりあたたかくって シュワシュワとお湯が沸いている音が聞こえる 静かなやさしい空間。

床の間の掛け軸、

そっと活けられている一輪の椿。


なんか、、、、


いつもお稽古で見ている景色なんだけど、、、、

ここ最近 本当に忙しすぎるから、、、

なんか、、、 い、 癒される~


しかも この日は生徒さんが少なかったから いつもよりお茶室の"静”の部分が際立っていて、すごく 癒される。

そして先に来ていた生徒さんの着物が 淡い色の地に 色とりどりのお花が咲いているパッとしたかわいらしい着物だった。
お二方、そういうお花のお着物を着ていて、これまた パっとした気持ちになって 癒された。

着物は素敵だなあ。

見ているだけで季節を感じたり、心が明るくなったり、とにかく癒される。

お茶のお稽古って、大声で話したり騒いだりすることは厳禁なので、
必然的に、ヒソヒソ話になったり ゆっくりとした動作になったり 大和撫子的な所作になる。

そのお花のお着物を着ている生徒さんたちと、
ペチャクチャ話したり、ギャハハハ笑ったりするんじゃなくって
ちょっとトーンを下げた声で 
「今日のお着物きれいですねえ。とっても似合っていますよ。」
「ありがとうございます。祖母が和裁をしていたので仕立ててくれたんです。」
「えー すごいですねえ。」
そういう話をニコニコしながら ゆっくり話す。
そして笑う声も ゆったりとした笑い声になる。

コロコロした笑い声?

イメージだけど、明治時代の女学生みたいな笑い方(笑)? 若いからおもいっきり笑いたいけど、大声でガハハと笑うのははしたないから、抑えて笑うみたいな。

うふふふ  えへへ  みたいな、笑い声っていうのかなあ?

なんか、こういう風に笑うことって お茶をはじめるまでなかったんだけど、
明治時代の女学生(笑?)みたいに コロコロ笑うのは なんか気持ちがあたたかくなる。

好きだなあって思うし

い、癒される。


ちょっとしことなんだなあと 感じる。

静かに畳の上に座って

炉の湯気を見つめて

シュシュシュとお湯が沸く音を聞き

シーンとした空間でお茶が立てられるサササササという音を聞き

お点前を見て、もしくは 自分がお茶を立てて

花を見て、美しい字を見て、お香のにおいを香る。

コロコロ笑う。

静かに話す。

自然と心が落ち着く。
穏やかになる。

癒される。


リセットされる。


この日、改めてお茶の世界が好きだなあと感じた。


お茶の世界の 計算されつくした小さな気配りの芸術が、

疲れた心を癒す。

その世界にいる人たちの優しい所作が


東京砂漠での ガサガサ ギスギスした心、疲弊した心を溶かして なだめてくれる。

日本人でよかった、、、、



そして 家に帰ったら韓国にいるあさちゃんから電話がかかってきた。
いろいろ話していて なんだか心があったかくなって 泣けてきた。
私にとって協力隊の仲間は お茶の世界と一緒で 私の心を溶かしてくれる大事な存在。

東京砂漠

明日もがんばろう!