鈴木大拙の著書は今までに3冊ほど読んだような気がするが、もう40年以上も昔のことだ。以前はなんか分かったようなつもりで読んでいたが、今回この本を読んでみて、いままでは全然分かっていなかったということが良く分かった。大拙の表現は同じようなパターンが何度も繰り返されるので、そのパターンを記憶してしまうとなんとなく分かったつもりになってしまうのだろう。
大拙の著書はだいたいどれを読んでもよく似ている。空観を通して一度はこの世界を否定したのちにあるがままの世界としてとらえ直す、ということを「分別を超える」とか「絶対の否定と肯定」とかいうふうに、手を変え品を変えて繰り返し説明しているのである。
さて、本文をひと通り読みとおして、ある程度理解できたつもりだったが、どうもタイトルの「日本的霊性」の意味が理解できなかった。どう読んでも禅仏教そのものの解説書であるとしか思えなかったからである。
その辺の事情は巻末の末木文美士氏の解説によってある程度了解できた。この本は第二次大戦の末期に出版されたものであって、当時はびこっていた精神主義を批判する意図で著されたというのである。確かにそのような視点から緒言を読めば、大拙居士の意図は明白であるように読める。
≪つまるところ、精神が話されるところ、それは必ず物質と、何かの形態で、対抗の勢いを示すようである。すなわち精神はいつも二元的思想をそのうちに包んで居るのである。物質と相克的でないとすれば、物質に対して優位を占めるとか、優越感をもつとかいうことになるのである。≫
大拙は霊性を精神や物質を超えたものとして位置付けている。精神は分別意識を基礎としているが霊性は無分別智であるとも言っている。
もともと霊性という言葉は我々にとってなじみのある言葉ではないが、ここで云う霊性は大拙にとっての宗教の源泉のようなものを指しているのであろう。
排他的攻撃的に偏りがちな当時の「日本精神」を批判する意味で、日本民族は「日本的霊性」を自覚する必要があると主張したかったのだろう。
日本的霊性は鎌倉時代の仏教、それも浄土系思想と禅において顕現したという。なかでも親鸞が日本的霊性に目覚めた最初の人であるとしている。大拙は親鸞が越後に配流されたことを重視していて、大地に生きる人々の中に生きることによって京都的公家的上皮部文化から脱することができたと見る。浄土系思想が日本の大地に根差す庶民に根ざすものであるならば、禅は質実な鎌倉武士精神に根ざしたものである。浄土系思想と禅は別の階級分化に根差しながらともに同じ「日本的霊性」に到達した、というのがこの本の大筋である。
この本の内容に対して異論を唱えるわけではないが、タイトルの「日本的霊性」という言葉には若干の違和感がどうしても残る。親鸞について言えば、絶対他力の趣旨に照らしていろんな夾雑物をふるい落としていくわけで、ついには、自然法爾とか「念仏は無義をもって義とす」というような、純粋な「信」に到達する。ある意味において阿弥陀信仰まで否定しているような普遍性に到達しているわけで、いまさら「日本的」という形容詞を付けてもよいのだろうかと疑問を感じるのである。
一方の禅の方にもそれは言えるわけで、大拙は「禅は中国に生まれながら、中国人の生活に根差すことはなかった」と言っているのだが、どうだろう、確かに茶の湯や生け花と言ったような禅の周辺文化が日本文化に溶け込んでいるようには見える。が、しかし、単にそれは表層的なものではないかというような気がしてならない。禅の精神が中国人に根差さなかったというのと同じ意味でやはり日本人にも根ざしていないのではないかと思うのである。現にこの著書のなかでも禅に対する解説には中国の祖師方の言動が多用されている。「日本的霊性」の説明というより禅そのものの説明という印象が強い。
「日本的霊性の特質はその幕妄想のところにあらわれる」と大拙は云うのであるが、この著書の中で、仏光国師が当時の執権である北条時宗に対し「幕妄想」の言葉を与えた故事をあげている。仏光国師は日本史にも出てくるが、鎌倉幕府により中国から招かれた円覚寺の開山無学祖元のことである。ならば、日本的霊性は中国的霊性を日本人に移し替えただけのことではないのだろうか。
農民文化と武士文化は異質のものであり、同じ「日本」というキーワードでくくり出すのは若干無理があるような気がする。異質のものをくぐりぬけてきたものが同じ到達点に達したと言えるなら、その到達点は普遍的なものといわざるを得ないような気がするのである。「日本的」というよりそれは「宇宙的」と言った方が良いような気がする。