中曽根康弘元首相死去 101歳 戦後5位の在任「ロン・ヤス」、国鉄分割民営化
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戦後歴代5位の首相在任記録を持つ中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が死去したことが29日、分かった。101歳だった。
大正7年5月27日、群馬県高崎市生まれ。昭和16年に東京帝大卒業後、内務省に入り、戦時中は海軍に勤めた。22年1月に内務省を退職。3カ月後の衆院選に初当選し、連続20期56年間、衆院議員を務めた。
憲法改正を生涯のテーマに掲げ、現行憲法を批判する「憲法改正の歌」を作詞したり、首相公選制の導入を訴えたりした。原子力の平和利用の推進にも尽力し、原子力基本法制定の先頭に立った。
34年、第2次岸信介内閣の科学技術庁長官で初入閣し、その後も運輸相や防衛庁長官、通産相、自民党総務会長、幹事長などを歴任。55年、鈴木善幸(ぜんこう)内閣の行政管理庁長官として行政改革の旗振り役を担った。
57年11月、第71代首相に就任し、新保守主義に立脚した政治を展開した。
外交では、鈴木内閣末期に関係が悪化していた韓国と米国を就任直後に相次ぎ訪問し、修復に努めた。特に米国とはロナルド・レーガン大統領(当時)と「ロン・ヤス関係」を構築し、自由主義陣営の一員として日米同盟と反ソ連体制を強化させた。
内政では行政改革を中心とする「戦後政治の総決算」を掲げ、電電公社、専売公社、国鉄の「3公社」の民営化を推進した。在任中にNTTとJTを発足させ、国鉄分割民営化法を成立させた。
60年8月15日、靖国神社を公式参拝した。中国や日本国内の一部メディアの激しい批判を浴び、翌年は参拝を見送った。
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