クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

ガラメキ温泉探検記 H-16-7-28

2004-07-28 07:42:20 | 榛名山麓
忘れられた秘湯・ガラメキ温泉探検記

高崎から榛名湖に向かう道の一つが高崎・榛名・吾妻線(県道28号)である。この県道は榛名湖の北に回って国民宿舎の所を左折して吾妻に下り、原町で145号に合流する。この道で榛名湖手前の黒岩付近で右への林道がありその先に「ガラメキ温泉」と言う耳慣れない表示があって気になる存在である。

(1)上毛新聞が呼び覚ました
平成13年、上毛新聞が「語り継がれる郷愁の湯治場」の特集でガラメキ温泉を取り上げたことを切っ掛けに秘湯ブームが静かに起きた。野次馬含みのハイカーたち、林道を走りまわるバイク・オフロード車の面々がこの秘湯を目指し、多くのインターネットサイトにその体験記が掲載され、秘湯関連の本にも載った。しかし、既に平成11年には温泉台帳から抹消されており、道のりも崩落個所があるため地元の榛東村もPRは差し控え、むしろ危険のためとして立ち入りには難色を示していた。

(2)ガラメキの歴史
その言い伝えは古く、2世紀の仲哀天皇(14代)時代の発見と言う。1500年頃、既に館を建てて住んだ人がおり、1560年頃に戦渦によって一旦は焼失するも1848年には有志が再興、1880年の鉱泉分析の後、営業許可がでて数軒の旅館が湯治客、伊香保からの散策客、相馬ヶ原の陸軍の兵隊を相手にして賑わった。しかし、1946年に米軍が旧陸軍演習場を接収する時、付近の山林も併せて強制接収したので温泉は廃業に追い込まれ立ち退きさせられた。朝鮮動乱の最中は演習の実弾が飛び交い薬莢拾いの農婦が殺害されたジラード事件の現場もここである。米軍の引き上げと共に復活の陳情がなされたが、認められないままガラメキは人々の記憶からも消されて現在に至った。

(3)第1次探検
平成16年になって今度は産経新聞が「秘湯サプライズ」としてガラメキを取り上げて掲載した。こうなったら私も探検?を試みる事にした。7/24の午後、軽装で28号を榛名湖に向かう。岩登りトレーニング場として名高い黒岩の少し手前に車両通行止めの柵のある林道入り口がある。地図からみればここがガラメキへの入り口である事に間違いはない。路傍に車を置き林道に入ると、なだらかな下り道が北に巻いて行く。黒岩が左目に勇姿を表し、取付いているクライマーが岩に張付いているのがはっきり見える。
約10分で第一の沢が道を横切っているが、水量が少ないので問題なく渡れる。沢から東に曲がっている。その少し先に分岐があるが、松ノ木の幹に看板があるので其れに従って右の道を行く。この辺から鷹巣山の裾を回り始め、右手の樹間から採石場の剥き出しになった岩山が見え工作機の音が煩い。
道は鷹巣山の南面から東面へと大きく北上するが、出発から43分後、途中の左側の崖が大規模に崩落し、大きな落石が崩落止めの柵を越えて道路を埋め尽くしている。この場を急いですり抜け、第二の沢を越えたところの左側にはっきりした道があり、大正13年の旱魃時に雨乞い祈願したと言う看板が置いてあった。直進すると道は鷹巣山の北面に回りきったあと、急速に東進する。
そこで三叉路に出会う。案内では三叉路を左に登るとあったが、左の道はダラダラ登りでまさにここだと思った。約1㌔以上登っておかしいと気付く。案内には500㍍とあったからである。しかし着いた所は案内通り広場であり前に沢が流れ右手には二つほどの石像もある。沢の向こうには前面の崖を上る道もあり、赤い目印テープもついている。沢の周囲を探すが目指す温泉はない。もしかすると土砂崩れで埋没してしまったと諦めて帰路につく。三叉路に戻る前に突然しめ縄があり崖下に降りる道があった。
多分、近道であろうと思って下ると、夥しい石仏の並ぶ何とも不思議な雰囲気な場所に紛れ込んだ。良くみるとこれらは不動明王の眷属と言われる36童子像であった。地元の信仰の場所なのであろう。暫く下ると、「黒髪山表口」という巨大な石柱に出くわした。黒髪山とは相馬山の事である。後で聞いたら昔は相馬山(頂上に黒髪神社のある信仰の山)にはこの表口から登ったそうであるが、ヤセオネからの道が出来てからここから登る人は居なくなったそうである。更に下ると先程見た雨乞いの看板のところにでた。第一回の探検は勘違いで失敗した。

(4)第二回探検は成功
榛東役場や黒髪神社に電話で問い合わせ、間違いが解ったので7/28に再びガラメキに向かった。先日の場所は手前過ぎたらしい。三叉路と言うから先が二つに分かれるところと解釈したが、実際は前に三叉路が見えるところと言うことで何の事はない一般で言う四つ角のことであった。先日間違えた場所を直進すると林間に広い道が延び、10分も進むと右に「牛祖奇神 馬頭祭尊」と刻まれた石碑がある。牛馬の神様なのか? そこから間も無くで目指す四つ角にでる。間違わないように左の道を登ると説明どうり500㍍で広場につく。周りは草生しているが旅館跡の石垣が残っており、ほっとする。広場を突っ切って沢に下りると左めに茶色に錆びた丸い蓋状のものがあった。取っ手もついているので蓋をずらすとヒューム管に温水が満々としている。温度は低く多分30度くらいか? 湯は透明で何の匂いもしない。但し水面には蓋の錆びや虫の死骸、底には沢蟹が白い腹を見せて死んでいた。 とても入って記念写真と言う気分にならず静かに蓋をした。回りは崩れやすいので少しの雨で埋まってしまわないか心配である。不思議なことに周囲の雰囲気は先日迷い込んだ所と同じであった。
途中の崩壊の状況と温泉の現況は写真を添えて榛東村観光課に詳しく伝えた。




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