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クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

鏡台山北峰から小鐘原ヶ岳へ H-17-7-11

2005-07-12 21:05:00 | 榛名山麓
北峰分岐から東に向かって四合目を通過すると直ぐに「大鐘原ヶ岳1252M」への案内板がある。
此れは別名「地蔵岳」、しかし説明の急登の文字を見て嫌気が差し、石碑群を見物に行く理屈を付けて「小鐘原ヶ岳1225M」に変更して八合目に急ぐ。七合目の少し先にハッキリした
登山口を見つけた。入りこむと直ぐに熊笹の生い茂る中登、一部篠竹の藪で何とも歩き難いが、天狗西の南面下りと同じ白の縒り紐の目印とテープが間断無く付いているのでどうにか35分で稜線、ここからは普通の登山道、間も無く大小13基の石碑群を過ぎると、標識
多数の小鐘原ヶ岳頂上で、展望不良でも三角点はあつた。
帰りは胸までの熊笹原を万歳の形で両手を挙げて、葉で摺らないようにして降り、東に進んで九合目から天狗西嶺を乗り越えて、先日小枝払いをした道を確めながら草ぼうぼうで藪に近くなった種山林道を下って南榛名林道の駐車地点に戻った。近くの橋の名前が
「唐塚橋」とあったが、何の謂れがあるのか珍しい名である。
この頂上に黒ぶちの老眼鏡を置き忘れて来てしまった。拾った方は当方までご一報を。
左写真は登山道入り口、下の写真は県下の6高校の名入り頂上標識。

頂上にある道標

山頂近くにある13の石碑群


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鏡台山 (カズ)
2007-01-15 18:26:03
昨日南榛名林道から入りました。
林道は山頂まで続いておりつまんなかったですが、展望のよさには満足いたしました。その後北峰を訪ね。地図上の南に下りる破線を降りてみました。がルートはありません。途中に炭焼き窯跡がありそこから踏み跡がありました。
ひとつお聞きしたいのですが、天狗の北の山は鐘原ヶ岳と呼ぶようなんですが、俺の最初に覚えたのは旗矢岳でその北が地蔵岳だったように思うのですがどうも自信がありません。1983年に登った時に調べてあるんですから、当時は何もありませんでした。ただの藪山でした。
返信する
鐘原ヶ岳のこと (爺イ)
2007-01-15 20:25:15
いつもコメント有り難う御座います。鐘原ヶ岳に関して爺イの承知している事は次のような事です。勿論、100パーセント他人からの受け売りです。
そもそも、天狗山と北方の天目山の間には地形図上、山名の付いている嶺は存在していません。「小」にしろ「大」にしろ、「鐘原ヶ岳」と通称しているのは簡単な話、その様な頂上標識があり大抵の人がそう呼ぶから。
確かに榛名町地名辞典には地蔵峠の北を「大鐘原ヶ岳」、南を「小鐘原ヶ岳」とされているそうですが、そうすると「大鐘原ヶ岳」とは天目南コースの起点の「湯ノ沢峠」に立つと南に見える巨大な山1274m無名峰になり、「小鐘原ヶ岳」とは現在「大鐘原ヶ岳」と言われる地蔵峠に近い1256m峰や無名の1234m峰、それに「小鐘原ヶ岳」と言われる1225m峰の総称となります。
鐘原ヶ岳の「古名」が「旗輻(ヤ)岳」で武田が箕輪攻めの時、山に旗を立てたことから山名が起こったと伝えられています。以来、1274m無名峰を「旗矢岳」、1256m峰を「地蔵岳」又は「大鐘原ヶ岳」と通称するようになったそうです。
が、昔は鐘原ヶ岳イコール旗矢岳だったかもしれません。
但し、三角点のある1225m峰を何故「小鐘原ヶ岳」と言うのかは知りません。
「大」に比べて少し低い山だからでしょうか?少し低いと言う事なら間に1234m峰もあるのですが、三角点が置かれたからかな?
話しは変わりますが林道南線から鏡台山への林道は何の変哲も無い内に着いてしまうので単調ですが、途中で振りかえると景色が良い場所が数箇所あるので僅かに救われます。
こんな返事で済みません。

返信する
追記 (爺イ)
2007-01-16 13:55:18
「群馬郡誌・鐘原ヶ岳」の項より。
「氷室嶽ニ連ナリテ大小ニ峰ヲナス。ソノ峰間ハ即チ地蔵峠
ナリ。伝エ言フ、武田信玄箕輪城攻メノトキ、山中ニ陣営ヲ構エ地蔵峠ノ間道ニ備エタリト。
大鐘原ヶ嶽ハ氷室嶽ニ連ナリ山勢東南ニ延ビテ車川ヲ
濫觴ス。ソノ原野ハ即チ中野原ナリ。
小鐘原ヶ嶽ハ大鐘原ヶ嶽ト連ナリ山勢東南に延ク。
嶽上ハ即チ中野原ト内野原ノ境ニシテ山脈ノ西南ニ起ル
モノハ南ニ渠門山ニ続クーーー。」
これだけはっきりと「ソノ峰間ハ即チ地蔵峠ナリ」と書いてあるので本来の大鐘原ヶ岳はやはり地蔵峠北の1274m峰で小鐘原ヶ嶽と書かれているのが現在の大・小鐘原ヶ岳の一群なのでしょうか?
但し、「旗矢岳」の既述はありません。
因みに渠門山(ホリノトヤマ)とは現在の通称名「榛名天狗山」、其の既述は「鐘原ヶ嶽ニ連ナリ三峰ニ分ル。
絶頂は厳石重畳シテ石祠アリ。登路二条、一ハ大日陰ヨリシ遠クテ易シ。他ハ梨ノ木ヨリシ近クテ嶮ナリ」
又、「上野国郡村誌群馬郡」には「榛名山村ノ東方ニ(ハタヤガタケ)アリ」
と書かれていますが詳しい記述はありません。
これでは旗矢岳が中途半端なので榛名町・町史編纂室S氏に問合せ中。

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町史編纂室より連絡あり (爺イ)
2007-01-16 19:53:51
榛名支所・町史編纂室長K.Sと長時間電話で旗矢岳に付き意見交換。
全くの偶然ながらこの旗矢と鐘原ヶ岳について確たる定説がないのでK.S氏も頭を痛めているとの事。今年3月に発行する町史改訂版でこの「旗矢岳」「鐘原ヶ岳」夫々について結論を出さなくてはならないからという。
記載の方向付けが決まったら電話を戴けるとか。あと数ヶ月待てばスッキリする筈。
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