
さて、歴史先生氏と別れて次の八束山に向うため、下り専用道路を下る。
こんな道標もあるのだから歩く人も居るかもしれないが、傾斜がキツイので
麓から2.6kも登ってくるのは大事だろう(13.10)。

落ち葉が一杯で滑るのに気を使いながら行くと左側には藤岡の山並とゴルフ場。

やがて右手の山にこんな登山路、これがさっきパスした見晴し台コースの
二つ目の林道横切り個所(13.21)。

先程の入り口前を経てぐんぐん下ると、やがて八束・一郷線が終って
八束・日向線にぶつかる(13.40)。そこにはゲートがあるから今日は下り車線は
閉鎖と言う事か?

似たような林道を更に下ると浄水場に繋がる道の四つ角(13.46)。

前面に八束の全容。

八束東口はここから舗装道路を直進、左右の人家が途絶えたところに三股分岐。
真中の荒れ道を僅かで右の山手にこんなマークで1㍍幅の山道を切り返し(13.57)。

先ず、山裾を巡って尾根の北側に出て尾根登り。
細い尾根ではあるが赤・黄テープやピンクリボン多数、下には赤杭で安心の
登山道。
が、稜線直下から半端ではない急登、四つん這いもしばしば。稜線近くは
伐採が進んで切り倒したものがそのまま土に帰るのを待っているので
道は不明。息継ぎ休止無数で漸く稜線着。そこは八束東肩から100㍍下の
八束第ニ北コースの途中(14.28)。新規に三本テープのマーク付け。

東肩は相変らずの展望台、赤城や

子持山もよく見える(14.34)。
展望を暫く楽しんでから西に向って空濠を越えると八束頂上(14.38)。

銘がわからない石宮は相変らずひっそり。

見慣れない標識が一つ出現。

その代りに「城山」と書かれた貫禄のある標識がなく、それに巻きつけておいた
爺イの吉井三山縦走記念のリボンだけが辛うじて樹幹に残っている。

滅失のものはこれ。

遺構が全て破壊された牛伏山と違って、付近は城跡の感じが残る。だが、
羊太夫所縁の城跡と言う触れ込みながら其の後の経緯は不明の山城跡。
一服のあと、西コースへの下山に掛かるが乾き切った急降の道なので
軽アイゼンを装着。北コース1.5kに対して1.0kなので当然傾斜は厳しい。
「まちすい」設置のロープや木段に大いに助けられ難しい急坂をコナして
何とか、伐採された禿げ尾根、左下に吉井・神戸の四つ角や料亭・やじま、
その向こうにはゴルフ場がよく見える(15.25)。

厳しい下りは未だ続き、漸く杉林を抜けて西登山口(15.36)。

あれあれ、爺イの道標が地べたに落ちて二軍落ち。

少し休んで山口橋を渡って「やじま」前、ここから約3k位の県道歩きが
始まるが上塩地区で牛舎からの臭気に辟易。
かって牛伏山岳会氏と朝日岳の帰途に一緒に歩いたのを思い出して途中から
佐藤金属k.kへの近道、そこで古い道標を見つけた(16.08)。

北西面に「右上塩 東谷道 左 神保吉井道」とあり北東面には
「右 上塩天引道 左 八束 大沢日向道」。裏に多胡村青年会とあるので
さして古くはないかも。青年会等が盛んになったのは昭和初期の戦時色が
濃くなってからだろう。
日暮れを気にしながらドリームセンター着は(16.28)。

もう、三山縦走の体力は無い様なので次は朝日岳とし、やじま裏から登って
甘楽・田口に下山してみるかな?
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
こんな道標もあるのだから歩く人も居るかもしれないが、傾斜がキツイので
麓から2.6kも登ってくるのは大事だろう(13.10)。

落ち葉が一杯で滑るのに気を使いながら行くと左側には藤岡の山並とゴルフ場。

やがて右手の山にこんな登山路、これがさっきパスした見晴し台コースの
二つ目の林道横切り個所(13.21)。

先程の入り口前を経てぐんぐん下ると、やがて八束・一郷線が終って
八束・日向線にぶつかる(13.40)。そこにはゲートがあるから今日は下り車線は
閉鎖と言う事か?

似たような林道を更に下ると浄水場に繋がる道の四つ角(13.46)。

前面に八束の全容。

八束東口はここから舗装道路を直進、左右の人家が途絶えたところに三股分岐。
真中の荒れ道を僅かで右の山手にこんなマークで1㍍幅の山道を切り返し(13.57)。

先ず、山裾を巡って尾根の北側に出て尾根登り。
細い尾根ではあるが赤・黄テープやピンクリボン多数、下には赤杭で安心の
登山道。
が、稜線直下から半端ではない急登、四つん這いもしばしば。稜線近くは
伐採が進んで切り倒したものがそのまま土に帰るのを待っているので
道は不明。息継ぎ休止無数で漸く稜線着。そこは八束東肩から100㍍下の
八束第ニ北コースの途中(14.28)。新規に三本テープのマーク付け。

東肩は相変らずの展望台、赤城や

子持山もよく見える(14.34)。
展望を暫く楽しんでから西に向って空濠を越えると八束頂上(14.38)。

銘がわからない石宮は相変らずひっそり。

見慣れない標識が一つ出現。

その代りに「城山」と書かれた貫禄のある標識がなく、それに巻きつけておいた
爺イの吉井三山縦走記念のリボンだけが辛うじて樹幹に残っている。

滅失のものはこれ。

遺構が全て破壊された牛伏山と違って、付近は城跡の感じが残る。だが、
羊太夫所縁の城跡と言う触れ込みながら其の後の経緯は不明の山城跡。
一服のあと、西コースへの下山に掛かるが乾き切った急降の道なので
軽アイゼンを装着。北コース1.5kに対して1.0kなので当然傾斜は厳しい。
「まちすい」設置のロープや木段に大いに助けられ難しい急坂をコナして
何とか、伐採された禿げ尾根、左下に吉井・神戸の四つ角や料亭・やじま、
その向こうにはゴルフ場がよく見える(15.25)。

厳しい下りは未だ続き、漸く杉林を抜けて西登山口(15.36)。

あれあれ、爺イの道標が地べたに落ちて二軍落ち。

少し休んで山口橋を渡って「やじま」前、ここから約3k位の県道歩きが
始まるが上塩地区で牛舎からの臭気に辟易。
かって牛伏山岳会氏と朝日岳の帰途に一緒に歩いたのを思い出して途中から
佐藤金属k.kへの近道、そこで古い道標を見つけた(16.08)。

北西面に「右上塩 東谷道 左 神保吉井道」とあり北東面には
「右 上塩天引道 左 八束 大沢日向道」。裏に多胡村青年会とあるので
さして古くはないかも。青年会等が盛んになったのは昭和初期の戦時色が
濃くなってからだろう。
日暮れを気にしながらドリームセンター着は(16.28)。

もう、三山縦走の体力は無い様なので次は朝日岳とし、やじま裏から登って
甘楽・田口に下山してみるかな?
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。

久し振り、お元気そうでホットしました。何処かの掲示板でカズさんが消えてしまったと大分心配してましたよ?
八束の西コースは里山にしては少し
歯ごたえがあった?
こちらはすっかり引きこもりでwbcに
続いて甲子園と野球観戦漬け。
未だ一週間は寒気が居座ると言うので
四月になったら又這い出す予定。