クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

久し振りのガラメキ温泉  R- 4- 11-3

2022-11-06 10:05:17 | 榛名山麓
先日、紅葉待ちの間に暫く訪れていないガラメキ温泉へでも
行こうと最近の情報を見ていたら爺イにとっては
驚きの写真を目にした。それが「ガラメキ温泉の
ヒューム管に新しい木の蓋」が作られている画像。



余談だかガラメキと爺イの因縁はこんな事。
2001年、上毛新聞が「語り継がれる郷愁の湯治場」
の特集でガラメキ温泉を取り上げたことを切っ掛けに
秘湯ブームが静かに起きた。この頃爺イは未だ
ゴルフ狂時代で関心は沸いていなかったが
ゴルフ場設備がカート万能になり歩くことが
少なくなって山も趣味に加えたのが2002年の夏から。
そこへ2004年に今度は産経新聞が「秘湯サプライズ」
としてガラメキを取り上げて掲載し野次馬含みの
ハイカーたち、林道を走りまわるバイク・オフロード車
の面々がこの秘湯を目指し、多くのインターネット
サイトにその体験記が掲載され、秘湯関連の本にも載った。
爺イの書いた最初の探検記が2004年だからこの野次馬の一人
だったのだ。今度の訪問は7回目。


今日は好天だが11/3の祭日なのでどこの行楽地も
混雑するからひっそりとしたガラメキが丁度良いと
r-28で榛名に向かう。
「鷹ノ巣林道(仮称)」入口に近いカーブ19近辺の
路傍スペースは先客二台に占拠されていたので
仕方なくカーブ23の黒岩クライミング場下スペースの
末端に無理やり潜り込み。



立ち入り禁止表示は気付かない事にしてのゲートを
潜ると



何となく何時もより落石が多くなった感じ。



数分で旧キャンプ場の方面に左折。この先の林道が
2019年に崩落し2021年には完全に林道ごと谷へ
落下しているでその後に発見した迂回路を採る。



数百メートルで右に迂回路入口に二本の赤テープ目印。



中に入ると驚いた事に林間の草叢だったルートに
細い道が掘られていた。或いは排水路を切削した
のかも知れないが歩くのには大助かり。



急坂をくだって



難なく林道に飛び出し振り返り。



直ぐに林道にクロスする第一の渓流、水量が
多いので少し上流に回って飛び石伝いで。



林道は鷹ノ巣山を反時計回りで大迂回するが
落石と落葉が絡み合い、まるで「青竹踏み」の
ような悪路で東南に向かう。



爺イが使う鷹ノ巣山西登山口通過。登山口とは
言っても小さな水路の窪に入って右土手に這い
上がるだけで登山道などは無い。



南端から北へ大きく回り始めると路面は最悪。



何時の間にか山側の防災壁も途切れて露岩が剥き出し。



突然、谷側が開けて陽が射しガードレールも。
山手には鋼鉄索条の落石防止ネット。
いよいよ、落石多発スポットの始まり。



ネットを飛び越えた落石の痕跡は5-6ヶ所だが何れも
古いので通過には心配無用。



北西に回り切ってガラメキ方面に東進する角に
第二の渓流、極めて水量は少ないので楽々渡河。



その先で小野関氏の雨乞い彫刻の看板が見当たらない。
今日は時間の関係で彫刻を含めた36童子訪問は
パスなので後日よく確かめる。



直ぐ先に相満山表口登山路が左に切り返しに伸びている。
ヤマレコなどを見ると何人ものベテランさんが
ここからの難関を突破している。
「群馬郡誌」に「山嶽峻険ニシテ登路ニ路アリ。沼ノ沢ヨリ
スルヲ後山ト称シテ遠クテ易ク、ガラメキヨリスルヲ
表山トイイ、近クテ難シ」とある様に相馬山へは南の
鷹ノ巣林道からの道が「表」である。



数メートル先に爺イが峠道と思っているP-1215の
通称「柏木山」への標高差350mの登山口。
かっては数回往復したが90歳になる今の爺イには
少し荷が重い。



最初のY字分岐は左選択だが二つ目は立派な左の道に
惑わされずやや小振りで下りの右へ。ブルーリボンあり。



右の林間に林道を背にして目印の石碑。
碑文の「牛祖奇神 馬頭祭尊」の意味が未だに
理解できない。



最後の変則四つ角の分岐は直進。



坂の途中に温泉地の痕跡の石垣があちこちに残って居る。



やがて温泉跡の広場に到着。



新しい標識が二本の巨木に吊り下げられている。
署名の「相満山史跡研究同好会」とは
「陸上自衛隊 相馬原駐屯地の中で作られた
文化部の1つ」で会員の皆様は元自衛隊員。
会長も当然、元自衛隊員。
米軍駐屯地が自衛隊に移管されたのだが、実は
再び自衛隊の人々によってこのガラメキ温泉は
見守られてきていたのだ。感謝。



杉は「ガラスギ」と名付けられその脇に錆びて
朽ち果てた鉄蓋が置いてある。



かってこの杉の木にはこんなのが付けられていた。



沢に降りると周辺が整備された温泉に確かに
新品の様な木製の蓋。
これを見られて本日の目的達成。



蓋を開けようとしたが流水が上に数センチも
流れていて重くて動かず断念。流水の流れを
変える工事がされていると聞いたのに。



付近の石造物。未だよく探せば他にもある筈だが。



昼食・休憩を済ませて帰路に就く。途中の石碑前で
本日の爺イ。温泉では光線の具合が悪く撮れな
かったから。



帰路をせっせとーーいや、息切れしながら歩いて
南端に来ると採石場が見えたが立派な車道が
走り重機も見えた。但し祭日なので稼働は無く静か。



長い登り林道でヨレヨレになって県道着。久し振りの16,000歩超え。



尚、ガラメキ温泉のすべてが判るサイト発見。
是非読んでください。

https://tori-kara.hatenablog.com/entry/garameki2022

ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
登山・キャンプランキング







コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 箕輪城祭り 2022 R- 4-10-30 | トップ | 紅葉巡り 河鹿橋と須賀尾紅... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (山はこれから)
2022-11-08 23:57:05
爺さま、相変わらず健脚ですね。
最後に紹介して下さった、ガラメキ温泉の「同好会」の渡邊会長さんは、ワタシの存じている方でした。
かつて極近所にお住まいで、ガラメキ温泉のことを話したこともありました。看板もさることながら、源泉周辺の石避けや河原の流路作りなど、相当な力仕事だなあ!と思っていましたが、元自衛官の団体と知って
「然もありなん!」と納得した次第です。
ガラメキ周辺~夕日河原東部には、モトクロスバイクの方もたくさん立ち入っているようですが、道でないルートは走って欲しくないですね。倒木等を避けるため本来の道でないルートを走ったり(そこがハイカーの道になる)、特に斜面を走られたりすると、そこが裸地になり、そこから侵食が進んで、沢筋となって崩落していきます。
返信する
お久し振り (クタビレ爺イ)
2022-11-12 13:13:43
(山はこれから)さん
何時もコメント有難うございます。
不思議なことに載せた筈の返信が消えているのに
気付きやり直し。
もう、紅葉関係は打ち止めにして又低山に戻ります。
忘れてしまった黒岩下からスルス峠とか、大伐採事業で全く変貌し登路の痕跡が失われた音羽山東コースとか、思い残しが無い様にボチボチとやってみます。
返信する
ガラめいてる!(゚∀゚) (榛名古道)
2022-11-18 10:03:09
大変に勉強になりました。あの付近によくある、間隔の短い青い目印をつけているのもその人たちだったのかと思いました。(古い蓋は片付けて欲しいですが)

爺イ様のお使いのショートカットは

前橋及高崎近傍17号(共17面)
大日本帝国陸地測量部/編 -- 大日本帝国陸地測量部 -- 〔1910〕 --
http://www1.library.pref.gunma.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1101492384

の008図の黒岩の風穴から東に延びる二重破線と、図の右端で二重破線が左に切り返すのに対して直進する一重破線の一部ではないかと思われます。
その二重破線が黒岩キャンプ場の道を横断する点は爺イ様の取り付き点よりわずかにキャンプ場寄りのようで、植林帯の中をよく見ると道跡らしいものが見えるので、そこではないかと思ってます。この二重破線を、009図にあるように鷹ノ巣三山の北の鞍部の峠まで辿ろうと思って未だに辿れていない「言うだけ」の私です。(今昔マップを見ると堰や道をつくるために地形を崩している所があるので完全には辿れないことがわかります)

ガラメキ温泉のブームは何度かあったようで、以前には池内紀という著者の「ガラメキ温泉探検記」(1990年)(「湯けむり行脚」(2019年)にも収録されており、そちらがおすすめ)がきっかけで世に知られるようになったことがあったとか。

石造物は榛東村誌の1189-1190を見るとガレの中に複数埋もれていると思われます。

新しそうな鳥居の後ろの文字。頭が「凡」ではなく「瓦」に見えます。鳥居で隠れてるところも含めて「瓦裸迷木神」で「ガラメキしん」でしょうか。それとも「瓦裸迷大神」で「ガラメキたいしん」と読ませるのでしょうか?「キ」はどこから?「ガラメキ」は漢字では「我楽目嬉」では?そもそも神様の名前に「迷」を宛てる感覚が疑問です。(「裸」もたいがいですが)
返信する
Unknown (山はこれから)
2022-11-22 22:34:42
(追記)
「小野関三太夫氏の雨乞い碑の案内板」
線彫りのある所に移動されていました。(今年の4月2日に確認)
当日ワタシも、かつてあった場所に見当たらないので、廃棄されたかと思いながら杉林の中を辿って行ったら、一枚岩の脇にありました。誰かが側に移動させたようですね。
この一枚岩の右岸の斜面に下流方向に上っていく道があり、鷹ノ巣山北鞍部へ続いています。このルートこそ、ガラメキからスルス峠への古道(かつての主要道)だと思います。(沢から「湧宇の滝」の水音が聞こえます)
以前に紹介したGogle Map(表示倍率によって)で「黒髪山神社」と表示され、整地されて石垣の跡が認められる場所です。ここは、榛東村誌p.1649の進駐軍撤収後の演習場関係補償の「三十六童子行者堂」(建物)とは、この場のことだと推察しています。是非、ご探訪してみて下さい。
返信する

コメントを投稿

榛名山麓」カテゴリの最新記事