クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

榛東村柳澤寺訪問 R- 4- 4-16

2022-04-20 12:30:20 | 伝説・史跡探訪
今日は先日、「たかたか」さんの記事に出ていた
榛東村の柳沢寺。本来は古刹に映える桜の
見物の積もりだったが時期外しで既に葉桜。
仕方なく境内見学に切り替えた。
かって14年も前に「相満伝説」の跡を追いかけた時
一寸寄ったことがあるが今日は暇潰しに境内隈なく見学。

現地までは至極簡単、r-26の「山子田」を左折して
道標に従って小さな四つ角を右折すれば直ぐに到着。

(参道入口)
入口には大きな標柱が両側に建つ。この寺の正式名称
“天台宗 船尾山 等覚院 柳澤寺”が両側に分かれて
刻まれている。



一旦、参道に車で乗り入れて大きな駐車場。既に目の前に
右から五重塔・赤門・通用門・阿弥陀堂が現れる。



(柳沢不動堂)
再び入口に戻って比較的新しい不動堂。
(平成二年春新築?)
その前の巨大な倶利伽羅剣にびっくり。
この剣は不動明王の立像が右手に持つ剣で
貪瞋痴の三毒を破る智恵の利剣でもある。



(赤門)
石段を登ると右目に貴賓専用の御門・赤門。
勅使門とも云う公用門で、別名「開かずの門」。
入口に「忘己利他」の碑文。
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」に
拠る。




(通用門)
その左隣が通用門、典型的な薬医門で木戸が
ついており「照千一隅」の碑文。
これは最澄の「照千一隅此則国宝」の故事に
拠るもので「「自分の与えられた一つの隅を
守れば、それはやがて千里を照らすことになり
これがすなわち国宝」の意味。
先日、七輿古墳の隣の寺院の
薬医門を見にいったら木戸なしでガッカリしたので
木戸付き薬医門を見られて良かった。




(阿弥陀堂)
通用門の手前に新しい建屋。阿弥陀如来坐像が金色に
輝いていた。



(客殿)
境内に入ると赤門の正面に華麗な「客殿」、その
豪華さは「本堂」かと思わせる。周囲も彫刻が
施された灯篭などで賑やか。
堂内には「釈迦三尊」や上州七福神の1つ、毘沙門天も
祀られており、千手観世音菩薩は
別棟の本堂にあってそこは観音堂とも云われる。



(五重塔)
その右に大きな五重塔。県内初の五重塔で、高さは
21メートル。




(納骨堂)
五重塔の裏に現代的な建屋の納骨堂。
扉は開いていて沓脱で中に入れる。



(英霊廟)
反対の南側には英霊廟。戦中派の爺イには小学生の頃
登校下校の際に拝礼した天皇の写真を収めた
「奉安殿」に見える。資金は、遺族や退役軍人会などの
寄付金。




(仁王門)
少し右手には巨大な仁王門。正面は阿吽の仁王像。
裏の両側に二天(広目天、多聞天)が安置
されている。二天とは仏教の四人の守護神四天王
(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、
北方の多聞天)の中の二人。
四天王の一尊として造像安置する場合の「多聞天」
は独尊像として造像安置する場合には「毘沙門天」。




(冠木門)
仁王門から南に下ると質素な門、表示は冠木門再建と
されていたが冠木門は2本の門柱の上に横木をのせた
もので,2本の門柱の上部に貫を通したものは
釘貫門ではないかな?



(鐘楼)
再び仁王門を潜って奥に行くと木々に包まれた鐘楼。




(閻魔堂)
やや西側に多くの石仏を配した閻魔堂。



(本殿)
最奥に意外に小振りで地味な本殿。
千手千眼観音様が安置されていて元禄年間の様式を
残す方六間の木造青銅葺きの建物。回廊をめぐらし、
内陣を一段低くした造り方。別称観音堂。
「守一隅照千里」と言う表示物が通用門にあった
「照千一隅」と同じ出所で「自分の与えられた
一つの隅を守れば、それはやがて千里を照らす
ことになる」が強調されたものだろう。




其の他不明のもの 旧不動堂?



これで大所の拝観は終了、細かいものをyoutube。

柳沢寺石造物群


柳沢寺16羅漢像


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