台風余波も収まって漸く好天が巡ってきた。もう20日間も山に行っていないので手軽な
夏山として毛無峠から土鍋山・破風岳周回と思っていたが土鍋途中の笹の繁茂が物凄くて
老人の一人旅としては危険を感じて撤退したために破風岳+リンドウ鑑賞で終わってしまった。
大津信号から草津に向かって北上、白根の様子を見てから万座に抜けて行くつもり。
走行距離は片道120kmも掛かるので草津・道の駅で一呼吸、未だ客足は疎ら。(9.00)
大きな蛇行を繰り返して豪快な景観を見ながら進むが白根周辺は相変わらず全て駐停車禁止
でかっては賑わったセンターも大駐車場もまるで廃墟。所々に噴火監視要員が居るので
写真も撮れない。やがて万座への道へ左折して細かく蛇行、温泉街から
r-466(牧干俣マキホシマタ線)で西進する。この県道は長野・高山村の「牧」から群馬・
嬬恋の「干俣」までで両県共通の466号線。別名は「上信スカイライン」。
県道とはいえ山間部の事なので一寸整備が良い林道程度の道を分岐から約6kで
この道標で高山村に入る。
そこから1k程度で須坂まで23kmと書かれた道標。直ぐ左手の切り返し左折道に入る。
やや荒れ模様の細道を3.7k走ると前方が大きく開けて目標の毛無峠に到着。
目の前には御飯山2160mの前山の様な毛無山1941m。ここの標高は1823m。(9.55)
西にはこれから向かう破風岳、この山の左を抜けて土鍋に向かう予定(だった)
ラジコングライダー愛好者が大勢集まっている奥の駐車場を通過して
登山道に入る。蛇行する登山道が此処からでもはっきり見えるが未だ
登山中の人影は見えない。蛇行ルートを目で追うと10回くらいの曲がり。
かって破風岳の左の突起を土鍋山と勘違いしていた時期があったが何回か歩いた
感じでどうも変なので調べたら左の突起は単なる樹林帯で土鍋はその先にあるが
角度の関係で登山道からは見えない。それを教えて呉れたのが某著名サイトに
載ったこの写真、借用してその証拠とする。
中腹から振り返って毛無峠と毛無山。その左に延びるのは御飯岳。
これは毛無山東麓に見える小串鉱山跡地方面。1916年硫黄採掘を開始し
最盛期には2100人の住人が居住していたが1937年に大規模地すべりが
発生、その上に火災も起きて死者245 人(未成年86名)、負傷者32 人、倒壊埋没家屋62 戸、
焼失家屋38 戸の被害を出した悲劇に見舞われる。だが翌年には再開し従業員
625名まで復活するが石油から抽出される回収硫黄との競争に勝てず
1971年に閉鎖。毎年の慰霊祭は7月の第四日曜日と聞くが天空のゴーストタウンとも
言われる。かって破風岳でこの地で生活した方と偶然お会いして
当時の苦闘の歴史を聞いたことがあるので感慨深い。平均標高1600m。
登山道は誠に上手く作られていて大きい横走りは傾斜が僅かで楽々、曲がりで少々
高度を稼ぐの繰り返しなので中々前進距離が得られないことを我慢すれば
爺イの様な足弱の年寄りでも余り息が切れることが無い。
右手に尖がっている破風岳山頂からやや左に逸れて進むと第一の分岐。
ここは直進で土鍋に向かう。
ほんの少し笹原の急登を登ると第二の分岐丁字路を左折。(10.37)
此処からの道は良く知られているように泥濘が続くが置いてある丸太を
上手く渡り歩いた積りでもズブズブと泥に嵌まって裾が泥んこ。
周囲には枯れ木の林立も見られ高原気分満喫。
分かりきった道ではあるがこんな道標にはホッとする。
五味池自然園の表示もある。乳山牧場を中心にしたツツジで有名な
五味池破風高原自然園の事かな?五味池は此処からは数キロも離れているから
広大な自然園と成っているらしい。
やがて道標多数の五味池と土鍋山の分岐を左折。(10.50)
途端に成長した笹が立ちはだかって嫌な感じ。
こんな笹薮をストックで前払いして下地を確認しながら進む。
急降道を慎重に進み度々振り返って復路の為に印象を覚える事を繰り返すと
前面に土鍋山の姿が見えた。
下り道は尚も続くが藪は益々酷く足元が確認できずに大苦戦。足元は石ころ
木の根、窪みがあって一人旅は危ないと思った途端に嫌気が差した。
自分の写真を撮ってみたが矢印を入れないと確認できない位と
撤退の言い訳作り。「気力が失せたら直ぐ撤退」が老人単独山行の爺イのモットー。
再び笹を掻き分けて登り返しに掛かるが分岐の処で大休止。単独行の女性が
通りかかったので雑談。相当な熟練者らしくこの辺の山事情に詳しく
色々と情報をもらったが山レコに参画しているとの事。
この方の雰囲気や出会った時間 11.15から推定すると長野市のkyom4さん?
だとすれば、山裾徘徊程度の爺イから見れば桁違いの上級登山家だ。(11.15)
単独行女史が土鍋に向かうのを見送ってから破風岳に向かう笹道で東に白根方面が見える。
右から本白根、ちょこっと逢の峰そして左に僅かに草津白根。
峠からの道との合流を過ぎるとこんな道標で斜面を水平に北に回るが
リンドウが多くなるのでせっせと撮影。
山頂からは見事な景観が広がる。小串鉱山跡。(11.46)
毛無峠周辺。前方は多分白根山塊。
御飯岳の巨体。横田さんの「三百山」を見ると山頂真西のp1863先の堰堤ガレから
登っているので毛無峠から毛無山を乗り越えて行くのは大変なんだろうが
どっち道、爺イにとっては対象外の眺めるだけの山。
西には北側は凄い切れ落ちの断崖。この山頂は断崖ギリギリにあるのだ。
断崖の底も凄い。
ここで軽食と休憩。突然轟音がして吃驚したら後続で登ってきた若者二人が
ドローンで景色の撮影を始めていた。爺イは間近でドローンの操作を見るのは
初めてだったので撮った映像を解説してもらったりドローンの
機能を教えてもらったりの思いかけない機会を得た。
ドローン青年に撮って貰った本日の爺イ。
この景観を最後にして下山開始、道々リンドウを撮影しながら。(12.16)
峠に着くと丁度ラジコングライダーが笹原に着陸して運び上げてる処に
遭遇したが相当な大型。(13.05)
南に薄く浅間山、その左裾野に小浅間がちょこんと見える。
それに続く山塊は右から鼻曲山・浅間隠・管峰?
駐車場脇にある慰霊碑に一礼して帰路に着く。(13.31)
途中で凄い断崖がむき出しの場所があり路側スペースに何台も車が止まって
居たので釣られて見物。
その先で今まで良く判らなかった万座峠を確認した。特に峠の標識は無いが
この林道山田入線終点の所らしい。始点は七味温泉で全長8.35kとなっているが
現在は崩落によって通行止め。七味温泉といえばこの路線ではなく
笠岳・山田牧場を経るr-66の近くでにごり湯で有名な高山温泉郷の一つ。
この林道は古来、万座街道と云われていたとも聞く。
この路線の状態はこんなものだから通行止めも已むを得ない。
入り口脇には小さなお地蔵様がある。林道の安全を願ったものか?それとも
事故でもあってその供養か? 横倒れになつている台座らしきものには
判読困難な文字が刻まれているが多分「街道厄除地蔵」?
この先は万座温泉から有料道路を飛ばして三原でr-144に出て帰宅。
通行料は消費税値上げ以来 1050円に変わっていた。
往復走行距離235k。歩数8500歩。
本日出合ったリンドウ。
ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
本日のまとめ
デジブック 『破風岳で竜胆三昧』
夏山として毛無峠から土鍋山・破風岳周回と思っていたが土鍋途中の笹の繁茂が物凄くて
老人の一人旅としては危険を感じて撤退したために破風岳+リンドウ鑑賞で終わってしまった。
大津信号から草津に向かって北上、白根の様子を見てから万座に抜けて行くつもり。
走行距離は片道120kmも掛かるので草津・道の駅で一呼吸、未だ客足は疎ら。(9.00)
大きな蛇行を繰り返して豪快な景観を見ながら進むが白根周辺は相変わらず全て駐停車禁止
でかっては賑わったセンターも大駐車場もまるで廃墟。所々に噴火監視要員が居るので
写真も撮れない。やがて万座への道へ左折して細かく蛇行、温泉街から
r-466(牧干俣マキホシマタ線)で西進する。この県道は長野・高山村の「牧」から群馬・
嬬恋の「干俣」までで両県共通の466号線。別名は「上信スカイライン」。
県道とはいえ山間部の事なので一寸整備が良い林道程度の道を分岐から約6kで
この道標で高山村に入る。
そこから1k程度で須坂まで23kmと書かれた道標。直ぐ左手の切り返し左折道に入る。
やや荒れ模様の細道を3.7k走ると前方が大きく開けて目標の毛無峠に到着。
目の前には御飯山2160mの前山の様な毛無山1941m。ここの標高は1823m。(9.55)
西にはこれから向かう破風岳、この山の左を抜けて土鍋に向かう予定(だった)
ラジコングライダー愛好者が大勢集まっている奥の駐車場を通過して
登山道に入る。蛇行する登山道が此処からでもはっきり見えるが未だ
登山中の人影は見えない。蛇行ルートを目で追うと10回くらいの曲がり。
かって破風岳の左の突起を土鍋山と勘違いしていた時期があったが何回か歩いた
感じでどうも変なので調べたら左の突起は単なる樹林帯で土鍋はその先にあるが
角度の関係で登山道からは見えない。それを教えて呉れたのが某著名サイトに
載ったこの写真、借用してその証拠とする。
中腹から振り返って毛無峠と毛無山。その左に延びるのは御飯岳。
これは毛無山東麓に見える小串鉱山跡地方面。1916年硫黄採掘を開始し
最盛期には2100人の住人が居住していたが1937年に大規模地すべりが
発生、その上に火災も起きて死者245 人(未成年86名)、負傷者32 人、倒壊埋没家屋62 戸、
焼失家屋38 戸の被害を出した悲劇に見舞われる。だが翌年には再開し従業員
625名まで復活するが石油から抽出される回収硫黄との競争に勝てず
1971年に閉鎖。毎年の慰霊祭は7月の第四日曜日と聞くが天空のゴーストタウンとも
言われる。かって破風岳でこの地で生活した方と偶然お会いして
当時の苦闘の歴史を聞いたことがあるので感慨深い。平均標高1600m。
登山道は誠に上手く作られていて大きい横走りは傾斜が僅かで楽々、曲がりで少々
高度を稼ぐの繰り返しなので中々前進距離が得られないことを我慢すれば
爺イの様な足弱の年寄りでも余り息が切れることが無い。
右手に尖がっている破風岳山頂からやや左に逸れて進むと第一の分岐。
ここは直進で土鍋に向かう。
ほんの少し笹原の急登を登ると第二の分岐丁字路を左折。(10.37)
此処からの道は良く知られているように泥濘が続くが置いてある丸太を
上手く渡り歩いた積りでもズブズブと泥に嵌まって裾が泥んこ。
周囲には枯れ木の林立も見られ高原気分満喫。
分かりきった道ではあるがこんな道標にはホッとする。
五味池自然園の表示もある。乳山牧場を中心にしたツツジで有名な
五味池破風高原自然園の事かな?五味池は此処からは数キロも離れているから
広大な自然園と成っているらしい。
やがて道標多数の五味池と土鍋山の分岐を左折。(10.50)
途端に成長した笹が立ちはだかって嫌な感じ。
こんな笹薮をストックで前払いして下地を確認しながら進む。
急降道を慎重に進み度々振り返って復路の為に印象を覚える事を繰り返すと
前面に土鍋山の姿が見えた。
下り道は尚も続くが藪は益々酷く足元が確認できずに大苦戦。足元は石ころ
木の根、窪みがあって一人旅は危ないと思った途端に嫌気が差した。
自分の写真を撮ってみたが矢印を入れないと確認できない位と
撤退の言い訳作り。「気力が失せたら直ぐ撤退」が老人単独山行の爺イのモットー。
再び笹を掻き分けて登り返しに掛かるが分岐の処で大休止。単独行の女性が
通りかかったので雑談。相当な熟練者らしくこの辺の山事情に詳しく
色々と情報をもらったが山レコに参画しているとの事。
この方の雰囲気や出会った時間 11.15から推定すると長野市のkyom4さん?
だとすれば、山裾徘徊程度の爺イから見れば桁違いの上級登山家だ。(11.15)
単独行女史が土鍋に向かうのを見送ってから破風岳に向かう笹道で東に白根方面が見える。
右から本白根、ちょこっと逢の峰そして左に僅かに草津白根。
峠からの道との合流を過ぎるとこんな道標で斜面を水平に北に回るが
リンドウが多くなるのでせっせと撮影。
山頂からは見事な景観が広がる。小串鉱山跡。(11.46)
毛無峠周辺。前方は多分白根山塊。
御飯岳の巨体。横田さんの「三百山」を見ると山頂真西のp1863先の堰堤ガレから
登っているので毛無峠から毛無山を乗り越えて行くのは大変なんだろうが
どっち道、爺イにとっては対象外の眺めるだけの山。
西には北側は凄い切れ落ちの断崖。この山頂は断崖ギリギリにあるのだ。
断崖の底も凄い。
ここで軽食と休憩。突然轟音がして吃驚したら後続で登ってきた若者二人が
ドローンで景色の撮影を始めていた。爺イは間近でドローンの操作を見るのは
初めてだったので撮った映像を解説してもらったりドローンの
機能を教えてもらったりの思いかけない機会を得た。
ドローン青年に撮って貰った本日の爺イ。
この景観を最後にして下山開始、道々リンドウを撮影しながら。(12.16)
峠に着くと丁度ラジコングライダーが笹原に着陸して運び上げてる処に
遭遇したが相当な大型。(13.05)
南に薄く浅間山、その左裾野に小浅間がちょこんと見える。
それに続く山塊は右から鼻曲山・浅間隠・管峰?
駐車場脇にある慰霊碑に一礼して帰路に着く。(13.31)
途中で凄い断崖がむき出しの場所があり路側スペースに何台も車が止まって
居たので釣られて見物。
その先で今まで良く判らなかった万座峠を確認した。特に峠の標識は無いが
この林道山田入線終点の所らしい。始点は七味温泉で全長8.35kとなっているが
現在は崩落によって通行止め。七味温泉といえばこの路線ではなく
笠岳・山田牧場を経るr-66の近くでにごり湯で有名な高山温泉郷の一つ。
この林道は古来、万座街道と云われていたとも聞く。
この路線の状態はこんなものだから通行止めも已むを得ない。
入り口脇には小さなお地蔵様がある。林道の安全を願ったものか?それとも
事故でもあってその供養か? 横倒れになつている台座らしきものには
判読困難な文字が刻まれているが多分「街道厄除地蔵」?
この先は万座温泉から有料道路を飛ばして三原でr-144に出て帰宅。
通行料は消費税値上げ以来 1050円に変わっていた。
往復走行距離235k。歩数8500歩。
本日出合ったリンドウ。
ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
本日のまとめ
デジブック 『破風岳で竜胆三昧』
更新されたので安心しました。 この峠でラジコン愛好者が楽しそうに飛行機を飛ばしていたのをにあかず眺めたのは8年前か。 聞けばこの峠は裏日本から表日本への風の通り道で飛行機を飛ばすのに最適な場所とか。 地形を見ると納得。飛行する飛行機が全機長野県に頭を向けたいました。 いい趣味だなと思いました。藪はお手の物でしょうが、その大変さはよく承知しています。もう40年もの昔、浅間隠山の山頂から北に降り、二度上げ峠に戻ったときの方角もままならぬ猛烈な藪漕ぎが蘇りました。途中撤退は賢明なご判断。
まもなく藪山歩きが楽しい季節が巡ってきます。楽しい山行のブログを掲載してください。
今年の夏は台風・甲子園・オリンピックと盛り沢山で
貴重な日々をやり過ごしてしまい、漸く山行き再開です。
涼風を求めると自宅から100K程度は走行しなくては
ならないのが難点ですが今年が最後かな?の
想いで秋口まで遠出の予定。