クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

東毛地区でヒガンバナ鑑賞 H-28- 9-15

2016-09-16 13:58:37 | 前橋・伊勢崎・桐生・太田方面
天候不順が続くのを言い訳にして再び山行きが途絶えている。もう、今年の夏山の機会は
失われたようだ。そこで話題探しで最近のデジブック発表作品を拝見すると季節柄、
彼岸花を題材にしたものが増えてきた。そこで何時もの癖で人様の後追いを試みること
にしてネットで探した彼岸花群落を訪ねた。ここは全国ヒガンバナ十選の七番目に
載っている名所。

行先に決めたのは群馬県伊勢崎市境三ツ木にある「早川渕彼岸花の里」。
「早川の土手を背にしたクヌギ雑木林に地元ボランティアの方々が丹精込めた
10万本の彼岸花」が謳い文句。

この地域は伊勢崎となっているが直ぐ東隣の太田市に奇妙に突出している場所なので
拙宅のある高崎からは遠距離の類。
高崎駅東口から東進するr-24に入る。この道は途中の中居辺からR-354に路線名が
変わるが高崎近辺ではこの北側の高関を東進する道もR-354だから紛らわしい。
駅から23K程一本道を走ると伊勢崎境地区に入り「境上矢島」信号で左折。
工業団地(新田西部工業団地)に向かって0.8Kの四つ角を右折、「クリオン・ユアサ・
澤藤・日野」などの工場群を2.4Kで右折して前方に「上武道路」が見える頃に
案内看板があり細道に入る。

駐車場が狭いので多くの観客の車はボランティアの人たちの誘導で詰め合いながらの
路傍駐車。入り口の看板。



(写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



南端に着いて早川の土手に登って背後の川を眺めると季節柄水量は多いが
大きい川ではない。



再び引き返しながら写真を撮るが平日なのに観客は意外に多く老人ホームから
と見られる車椅子の方々も楽しまれているようで何より。

(写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



ヒガンバナ群生に満足して車上に戻るがこの近辺は爺イの登山テリトリーから
外れているので中々来る機会が無いのでもう一箇所回ることにして
R-354に入り直して大田市に向かう。目指すは太田市上田島町の花の寺で
著名な「紫雲山阿弥陀院常楽寺」。

暫く東進してから「新田中江田町」信号から日光例幣使街道に入って数キロ
東進でこの道標。



山門を潜ると右に七福神像



左に定番の六地蔵。
この辺でネットで見た情景との違いに気付く。参道の両側にびっしり
咲いている筈のヒガンバナが無いので満開時期は未だ先のようだ。



本堂の掲額は「紫雲山」



脇に句碑が一基。『曼珠沙華 咲く野に出でよ 観世音』
帰宅してから写真を良く見たら左隅の葉の蔭に「鶏二」の文字が
窺えるので多分昭和期のエッセイスト・俳人の橋本 鶏ニ(1907 - 1990)の
作品と思われる。



本堂の左には二つの池を中心に見事な庭園が作られていてその周辺に
僅かではあるがヒガンバナが配置されていた。

(写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)





蓮池は勿論花時期ではないのでこんな姿。

(写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



池周りには数体の十六羅漢像。

(写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)




以上で本日は打ち切り。

今日、感じたのは伊勢崎にしても太田にしても平成の大合併に際して合併した
元の町村の名を残すという配慮を細やかにしている。伊勢崎の群落地のあった
地域は「境三ツ木」であるがこの頭に付いた「境」とは元・境町を現しており
境OOOの町名は24もある。太田市でも常楽寺行きで通過した「旧新田町」
地域には「太田市新田OO」と新田を頭につけているが何とそれが28にも及ぶ。
高崎近辺で完全に元の町名が消えた「旧榛名町」地区や「旧群馬町」の
事(倉渕・吉井・箕郷は残った)を思うと複雑な心境。

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デジブック 『早川渕彼岸花の里』

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