クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

高崎市内三角点探訪(5) H-20-12-19

2008-12-19 19:44:33 | 三角点・宮標石その他標石
(31)大仏 本郷町的場 四等 157.22m N-36-21-33-4 E-138-56-11-8



今日の本命は倉淵地区だが途中で数カ所寄り道。
R-29で本郷信号の西300㍍地点、左斜めへの細道を蔵屋敷方面に。
畑の中の農道を南に進み、「七曲一号古墳」の看板のある、失礼ながら
まるで土饅頭のような小さな突起。



全体が分厚い葛の蔦で覆われているが夏の勢いはなく若干沈んだため
過去に発見できなかった白い国土院の標柱が辛うじて首を出していた。
後方に写っている山は積雪の気配が全く見られない榛名山。



枯れてはいるがしぶとい葛を強引に引き剥がすと下から三角点が顔を出す。





(32)神戸 下室田 四等 230.47m N-36-22-37-8 E-138-54-50-9



R-29に戻って更に西進、鳥井沢信号から500㍍西の戸春名神社への
道に入る。途中に旧善秀寺の「お尚堂」。由縁を知らないのは残念だが
後日お勉強。



その少し先の戸春名神社参道の看板で左の細い登り道へ。



林の中にひっそりと戸春名神社。
この戸春名神社、三ノ倉にもあるが、元々は近隣住民の氏神だったが
室町時代に榛名神社の神霊にあやかろうと、氏神に合わせて榛名神社の
祭神を分霊勧請したのでこれまでの無名の氏神は外様名(戸春名)神社と
なったとされるが、爺イはその辺の詳細を理解していない。




更に進むと二又分岐、そこは右を選択して南側の梅林の作業小屋付近で
発見。髭のような細長い草に埋もれていた。




ここまで来たらもう一つの序で。先日失敗した鷹留城址南麓の「根小屋」
リベンジ。室田から覚えたての農道を使って広域農道南麓線、先日は
下から大手口まで乗り入れたが今日は北口。橋の先にこんな看板が。



0.3kの道標に釣られて取敢えず城址を訪問。説明には「中世永録期の
中規模山城の典型。本丸以下の各遺構が原形に近く残っている県内稀な
城址。16世紀、長野業尚による築城、1566年(永録9年)武田の進攻で
落城。城主・長野業通」



近くには「鷹留城長墅大神」の碑も。



城址を辞して一寸距離のある目的の現地に急ぐ。前回と同じに薮を
掻きまわすが、こんな国土院ダンダラポールの残骸らしきものを
発見したのみ。余り時間も取れないので再び撤退して倉淵へ。




(33)相吉 水沼字相吉 四等339.22m N-36-23-49-8 E-138-48-48-8



R-406で道祖神で有名な「落合信号」を通過、暫くで相吉橋方面に左折、
橋を渡って直ぐに細道を左に。オッと行き止まり注意の看板で路傍に
駐車して歩き出す。現地まで0.5Kもあるのに。真っ直ぐな道を急ぐと
路傍近くの電牧のワイヤーの内側で発見。国土院資料では現況は
「報告なし」になっているが金属標の新品に見える。




(34)島山 水沼字島山 四等444.99m N-36-24-00-8 E-138-48-08-9



駐車場所に戻って今度は右手の高台に乗り上げる。1K程で左に小さな
お堂。此の辺の踏み跡から山に入る。



中腹の個人墓地を通過して細道を登ると突然に梅林、斜めに突っ切って
更に野菜畑を越えると前方にやや小高い丘。多分あそこだと接近するが
足元は猛烈な草の種の薮で辟易。



その台地の中で発見。後に見える山が奇麗だ。




(6)に続く。
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