昨夜の予報で、長野・群馬は完全な晴天と確認したのに、早朝の空は
無情にも厚い雲。それでもこれは昨夜南関東に豪雨を齎した冷たい気流が
濃い霧をつくって居るのだと楽観して東御市に向かう。狙いは東・西篭ノ登と
水ノ登の高原ハイキング。
例によってR-18を西進、先週の高峰山の時は往復とも入山峠を通過したので
今回は違うルート。碓氷バイパスに入つて数キロで和美峠に抜ける左への
R-92(松井田・軽井沢線)、一見すると林道風な個所もあるが大方は比較的幅広で
何よりも対向車も極く稀れ、前後にも車両が見えないのでのんびり走行。
バイパスで追いつ追われつで神経使うより遥かに楽な年寄り向きの道。
高岩登山口通過、だが何時もの峻厳な姿と違って天候のせいか、ドロンと
締りがない。
軽井沢I.C前を右折してゴルフ銀座を左右に見て「南軽井沢信号」、ここまで50K、
パイパス回りより4Kも長い事を確認。約10K西進してR-80(浅間サンライン)へ
右折。だが、一向に雲が取れなく厚い曇天のままでやや不安。
R-79からR-94の峠道に入る別府信号の僅か手前に「道の駅・雷電くるみの里」
に寄る。ここは江戸時代の有名な力士・雷電為右衛門(1767-1825)の出身地
(当時は小県郡大石村)とか。
松江藩お抱えの史上最強の大関、生涯254勝10敗、勝率96%。余りの強力の
ため、彼だけは「かんぬき・張り手」を禁じられたとの伝説も残る。
雷電は群馬にも足跡を残している。高崎市倉賀野の下町信号はR-121と
R-133の分岐で1647年から1867年の間に存在した日光例弊使街道の起点、
そこにあるこの1814年建立の常夜灯の台石に寄贈者の一人として雷電の
名があり、目立つようにそこだけ朱入れしてある。
さて、少し先の別府信号を右折してR-94に入ると、直ぐ次の信号が「新張」。
ここに本日の最初のお目当ての代物。名物百体観音の始まりの一番観音。
この新張から峠を越えた鹿沢温泉までの峠道に1町毎に合計百体の観音が
並んでいるのだ。
後半のかなりの蛇行とキツイ登りを乗り切ると地蔵峠、意外にも観光客が
少なくてひっそり。ここまで91K。ロータリー脇にあるのが80番観音で
これで長野側は終わって嬬恋へ引き継がれる。
直ぐに東への湯の丸高原林道に入つて約4.6K先の池の平へ。500円也の
駐車料金を払って大駐車場。未だ半分ぐらいだが外気は吃驚するほど冷たい。
周りの人にならつて薄手の防寒着を着て出発。低い雲なのか?濃霧なのか?
天候は最悪。だが、予報は平地のこと、ここは既に標高2060mだから
文句も言えないなと自ら慰めて出発(9.10)。
先日確認しておいた登山口から入り
直ぐにこんな看板、だが此れだけ登山者で混雑する時期にはクマ公も
遠くに潜んで遠慮しているだろう。だが、一応は鈴を出す。
こんな道標を見ながら平坦道を進むが、等高線は一旦2本下って18本位の
登りの筈だから標高差は左程多くはない。
登山道はこんな感じでやや露岩や木の根の剥き出しが目立つ。やがて下降が
終わって登り道に変つた頃、後から来た単独の中年女性がアッと云う間に
追い越して忽ち鈴の音だけ残して姿が見えなくなった。あれが普通のスピード
なら爺イはやつぱり亀並だ。だが、挨拶も無しで無愛想な奴だな。
暫くで突然目の前にゴーロ(9.33)。
当年、喜寿を迎えた爺イとしては、足元に気を付けてソロソロと登り始めたら
上から大きなカメラを担いだ単独氏、何にも見えないとボヤキながら。
確かに濃霧に包まれたようで条件は悪いが、時たま薄日も漏れるので
微かな望みもある。
岩の道は何処を歩いても良いらしいが折角こんなマークが付いているので
なるべくそれに従って進む。周囲は未だ白濁で何も見えない。風が冷たい。
やがて頂上らしきものが見えた。
僅かの登りで頂上着。アレー! 誰も居なくひっそり(9.53)。
堂々たる一等三角点 點名・篭登山 2227.18m N-36-25-09-5 E-138-26-49-8
国土院記録の現況で「正常」「傾斜」とあるが「傾斜」の意味が判らない。
無人の頂上で本日の爺イ。昔、高い山が信仰の対象であった頃、「加護の搭」と
云われたのが山名の発祥とか。この「搭」とは高いところの意味らしい。
右手には水ノ登山への道標。
休憩しながら、どちらかが見えるのをじっと待つ。
一瞬、西の霧が晴れて西篭ノ登が見えた。
こっちを先にする事にして道標に従って出発(10.05)。直線距離は590m程、
等高線7本下って5本の登りの見込み。
勿体無い位の下降が始まり回りは石楠花の林状。
やがて着いた鞍部は剥げた地肌剥き出しの広場。
直ぐ先にもう一つの剥げ地、丁度霧も晴れて再び西篭ノ登の全景が見えた。
道端にそのまま盆栽になりそうな変形した樹木。さっきの単独女性がもう下って
来てすれ違い。今度は愛想が良い。
やがて東篭ノ登と同じような岩ゴーロの登りが始まる。もう一人下りの単独男性、
「あと15分だけど岩場は気を付けて」と年寄りを気遣っての有り難い一言。
岩の隙間に小さな赤い実、悪い足場で無理して屈み込んでこの写真。
とたんに腰がグキッ、何たる事か?こんな所でギックリ腰、万事休すだ。
ゆっくり腰を伸ばしてみたら痛みはあるがちゃんと伸びるし、足にも
力は入る。軽症だと判って一安心、頂上も見えているからもう一踏ん張り。
超スローのペースで何とか頂上。又もや誰も居ない。地べたに横たわって腰を
伸ばす(10.43)。標高2212m。
東南を振り返ると東篭ノ登山
南に池の平の駐車場と右へ伸びる「見晴歩道」のある稜線。
腰痛は時間の経過と共に酷くなるので、軽症のうちにと下山開始。だが
岩場の段をガクンとは歩を進められないので、一々腰を下し手で岩を
抑えて補助に使いソロソロと。他に登山者が見えないのが幸い。
下り切った鞍部の小さなケルンに一つ積み増しして休憩。
登り返しの途中で振りかえって西篭ノ登。
悪戦苦闘で東篭ノ登へ帰着(11.37)。さっきと違つて多数のグループで
大賑わい。
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無情にも厚い雲。それでもこれは昨夜南関東に豪雨を齎した冷たい気流が
濃い霧をつくって居るのだと楽観して東御市に向かう。狙いは東・西篭ノ登と
水ノ登の高原ハイキング。
例によってR-18を西進、先週の高峰山の時は往復とも入山峠を通過したので
今回は違うルート。碓氷バイパスに入つて数キロで和美峠に抜ける左への
R-92(松井田・軽井沢線)、一見すると林道風な個所もあるが大方は比較的幅広で
何よりも対向車も極く稀れ、前後にも車両が見えないのでのんびり走行。
バイパスで追いつ追われつで神経使うより遥かに楽な年寄り向きの道。
高岩登山口通過、だが何時もの峻厳な姿と違って天候のせいか、ドロンと
締りがない。
軽井沢I.C前を右折してゴルフ銀座を左右に見て「南軽井沢信号」、ここまで50K、
パイパス回りより4Kも長い事を確認。約10K西進してR-80(浅間サンライン)へ
右折。だが、一向に雲が取れなく厚い曇天のままでやや不安。
R-79からR-94の峠道に入る別府信号の僅か手前に「道の駅・雷電くるみの里」
に寄る。ここは江戸時代の有名な力士・雷電為右衛門(1767-1825)の出身地
(当時は小県郡大石村)とか。
松江藩お抱えの史上最強の大関、生涯254勝10敗、勝率96%。余りの強力の
ため、彼だけは「かんぬき・張り手」を禁じられたとの伝説も残る。
雷電は群馬にも足跡を残している。高崎市倉賀野の下町信号はR-121と
R-133の分岐で1647年から1867年の間に存在した日光例弊使街道の起点、
そこにあるこの1814年建立の常夜灯の台石に寄贈者の一人として雷電の
名があり、目立つようにそこだけ朱入れしてある。
さて、少し先の別府信号を右折してR-94に入ると、直ぐ次の信号が「新張」。
ここに本日の最初のお目当ての代物。名物百体観音の始まりの一番観音。
この新張から峠を越えた鹿沢温泉までの峠道に1町毎に合計百体の観音が
並んでいるのだ。
後半のかなりの蛇行とキツイ登りを乗り切ると地蔵峠、意外にも観光客が
少なくてひっそり。ここまで91K。ロータリー脇にあるのが80番観音で
これで長野側は終わって嬬恋へ引き継がれる。
直ぐに東への湯の丸高原林道に入つて約4.6K先の池の平へ。500円也の
駐車料金を払って大駐車場。未だ半分ぐらいだが外気は吃驚するほど冷たい。
周りの人にならつて薄手の防寒着を着て出発。低い雲なのか?濃霧なのか?
天候は最悪。だが、予報は平地のこと、ここは既に標高2060mだから
文句も言えないなと自ら慰めて出発(9.10)。
先日確認しておいた登山口から入り
直ぐにこんな看板、だが此れだけ登山者で混雑する時期にはクマ公も
遠くに潜んで遠慮しているだろう。だが、一応は鈴を出す。
こんな道標を見ながら平坦道を進むが、等高線は一旦2本下って18本位の
登りの筈だから標高差は左程多くはない。
登山道はこんな感じでやや露岩や木の根の剥き出しが目立つ。やがて下降が
終わって登り道に変つた頃、後から来た単独の中年女性がアッと云う間に
追い越して忽ち鈴の音だけ残して姿が見えなくなった。あれが普通のスピード
なら爺イはやつぱり亀並だ。だが、挨拶も無しで無愛想な奴だな。
暫くで突然目の前にゴーロ(9.33)。
当年、喜寿を迎えた爺イとしては、足元に気を付けてソロソロと登り始めたら
上から大きなカメラを担いだ単独氏、何にも見えないとボヤキながら。
確かに濃霧に包まれたようで条件は悪いが、時たま薄日も漏れるので
微かな望みもある。
岩の道は何処を歩いても良いらしいが折角こんなマークが付いているので
なるべくそれに従って進む。周囲は未だ白濁で何も見えない。風が冷たい。
やがて頂上らしきものが見えた。
僅かの登りで頂上着。アレー! 誰も居なくひっそり(9.53)。
堂々たる一等三角点 點名・篭登山 2227.18m N-36-25-09-5 E-138-26-49-8
国土院記録の現況で「正常」「傾斜」とあるが「傾斜」の意味が判らない。
無人の頂上で本日の爺イ。昔、高い山が信仰の対象であった頃、「加護の搭」と
云われたのが山名の発祥とか。この「搭」とは高いところの意味らしい。
右手には水ノ登山への道標。
休憩しながら、どちらかが見えるのをじっと待つ。
一瞬、西の霧が晴れて西篭ノ登が見えた。
こっちを先にする事にして道標に従って出発(10.05)。直線距離は590m程、
等高線7本下って5本の登りの見込み。
勿体無い位の下降が始まり回りは石楠花の林状。
やがて着いた鞍部は剥げた地肌剥き出しの広場。
直ぐ先にもう一つの剥げ地、丁度霧も晴れて再び西篭ノ登の全景が見えた。
道端にそのまま盆栽になりそうな変形した樹木。さっきの単独女性がもう下って
来てすれ違い。今度は愛想が良い。
やがて東篭ノ登と同じような岩ゴーロの登りが始まる。もう一人下りの単独男性、
「あと15分だけど岩場は気を付けて」と年寄りを気遣っての有り難い一言。
岩の隙間に小さな赤い実、悪い足場で無理して屈み込んでこの写真。
とたんに腰がグキッ、何たる事か?こんな所でギックリ腰、万事休すだ。
ゆっくり腰を伸ばしてみたら痛みはあるがちゃんと伸びるし、足にも
力は入る。軽症だと判って一安心、頂上も見えているからもう一踏ん張り。
超スローのペースで何とか頂上。又もや誰も居ない。地べたに横たわって腰を
伸ばす(10.43)。標高2212m。
東南を振り返ると東篭ノ登山
南に池の平の駐車場と右へ伸びる「見晴歩道」のある稜線。
腰痛は時間の経過と共に酷くなるので、軽症のうちにと下山開始。だが
岩場の段をガクンとは歩を進められないので、一々腰を下し手で岩を
抑えて補助に使いソロソロと。他に登山者が見えないのが幸い。
下り切った鞍部の小さなケルンに一つ積み増しして休憩。
登り返しの途中で振りかえって西篭ノ登。
悪戦苦闘で東篭ノ登へ帰着(11.37)。さっきと違つて多数のグループで
大賑わい。
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