クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

双神道祖神巡り(2)  H-19-7-16

2007-07-16 21:49:51 | 双神道祖神・磨崖仏・道しるべ
(上の写真は楽間・榛名神社の道祖神)

何とはなしに台風も去ったが、山は未だ水が染み出しているだろうから
やっぱり道祖神かな?と思っていたら突然の地震だ。すっかり出鼻を挫かれて
午後になってからユックリと出発。

(1) 旧群馬町西国分新田
先日失敗のリベンジで県央高前を通過して熊野神社裏の大墓地へ。
この墓地には古い石像が多くあるので困惑しながらも、北側中心に
丹念に探すがやはり駄目。近くで農作業の人に聞いたらこの墓地には
道祖神など無しとの返事にガックリ。確かに墓地内に道祖神とは
余り聞かないな。ここは諦めて微かな望みを抱いて「西国分西」信号
近くの小さな墓地に移動。勿論もう墓地内を探すのではなく通路を挟んだ
北側の川筋を探すと、目印の「榛名橋」を発見。名前負けの小さな橋。


その東の空き地に面した路傍に漸く発見。見つけ出すのに二日も掛ったが
原因は墓地間違いと榛名橋の探索を怠ったのが敗因。


一番左は双体道祖神ではなく何か楽器のような物を抱えている石像。


文字搭を挟んでニ体が並ぶが右は幣を持って手を合せており、左側は手を
結んでいるが右の方が80年も古い時代のせいか少々痛みが激しい。


(2) 金古信号に戻って西進して旧箕郷町の「松原」に向かう。28号との
東明屋四つ角を右折北上、暫くで右から相馬が原方面からの道が
合さるT字路角にニ体。


左は少し変わっていて一人が鉾を持ちもう一人は手で彼方を指して
いて二人とも雲の上に乗っている。


右の古いほうは手を結んでいるが手が殊更に大きくなっている。


(3) 蟹沢公民館下
白岩観音への道の途中から梅林の道へ。
途中に「これより蟹沢梅林」の道標の脇に


古道標があつたが判読不能。


「右OO経善地至」「後OO経高崎至」「左榛名山の道」とまでは読めた。
梅林を登って蟹沢公民館近くに駐車。鳴沢湖の北回り週回路へ少し下った
草叢に道祖神ニ体発見。目立たない地味な場所。


右のものの女神は右足を上げて寄り添っている。


左は肩を組み手を結ぶ平均的デザイン。


(4) 西明屋
箕郷町中に戻って箕郷支所南の公民館に駐車。直ぐに右の細道を直進。
これは登りで長かったが、不案内のため細道に車を乗り入れる勇気はなし。
坂を登りきった三叉路の新築民家の前に不釣合いな顔をして一体鎮座。



肩を組み酒器を持つている。


(5) 一気に下って行力
大きなガソリンスタンドの少し高崎寄りで釣堀看板の細道を右折すると
田圃の中の四つ角に大きな道祖神の文字搭、ここに双体道祖神がある
はずだったが、古い石碑の残骸のような石ころが沢山転がっているだけで
発見できず。行力地区の道祖神は三箇所にあるとも聞くので後日しらべよう。


(6) 高崎・楽間
行力からそのまま西進して直ぐ傍の楽間の榛名神社に向かう。

境内の左に肩を組み手を結ぶ道祖神ニ体。







ここで時間切れ、雲行きも怪しいので小鳥の幸宮神社もパスして後日回し。

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