相変らずの曇天。午後から今日も道祖神巡り。
(1) 高崎・行力
先日は文字搭に出会ったまでで終ったので延長戦。先ず、釣堀前の
道を楽間方面の西に進み、文字搭のある四つ角を直進して先の四つ角の
右手に「上の道祖神」と云われる一体。「酒を酌む双神」。
「下の道祖神」を探しに釣堀前に戻って南進。三叉路に文字搭と共に一体。
(2) 下小鳥・幸宮神社
市街地に向って環状線を僅かに越えたところの住宅地に幸宮神社。
境内右側の陰に一体。「肩を組み手を結ぶ双神」。
近くに大きな「戦馬従役碑」があるが「日清役」とあるので
110年ほど前のもの。
(3) 旧榛名町上里見・上神 大河原氏宅
里見街道(406号)を西進、室田に入る森下橋の手前で左折して上神地区へ。
この辺りに来ると細道が交錯し道標も無いので感が頼り。目印は上神
公民館だが表示も無いのでウロウロ。結局、通りかかったヤクルト
オネエサンに住宅地図を見せてもらって直接お宅訪問。
敷地の裏庭にニ体。
右はコケシ風な「肩組み手を結ぶ双神」。
丁度、在宅していた大河原氏と暫し雑談。昭和61年に作成された
「榛名町道祖神」なる小冊子も見せていただいた。
(4) 上里見間野・多胡神社
上神から更に西進、48号線に合流して左折、間野地区で多胡神社を
探す。「東間野」バス停の手前に山手への狭い石段発見。
茫茫たる草叢で鳥居も見当らない。
確かに神社名鑑にも載っていない神社らしくまるで藪の中。
社殿近くの草叢を掻きまわしたが発見できなかったが、帰りがけに
石段の終わり地点東側で草に埋もれている一体を発見。
両神とも両手に酒器を持っている。
羊太夫伝説のある多胡神社も余り省みられていないのは残念。
間野周辺には多胡姓の家が多いと聞くが「多胡羊太夫由来記」が
伝わっている筈。羊太夫が朝廷軍に破れたとき、嫡男・宗顕と孫の
宗量が隠れ住んだのがこの間野とされている。多胡神社の南に
二軒屋を建てた事から「二ツ屋」の地名も残るとか。勿論、
鳶に化けて逃れた羊太夫主従も後に合流したとの言い伝えで
「一の鳶」「ニの鳶」「三の鳶」の地名となったとされるが、
確めてはいない。
(5) 上室田・雨堤
湯殿山の南を通過して落合信号で406号線、右折して川を渡って直ぐに
左折、細い判り難い道で雨堤を目指す。神社の前を通過すると丁字路。
其の角に古道標がひっそりと。「大戸通・信州善光寺」「左めうぎ」と
読める。「めうぎ」とは旧仮名使いで「妙義」の事か?
一寸右に行った丘の上に一体。「共に肩に手をかけ寄り沿う双神」
(6) 上室田・斉渡
雨堤から211号線に向かって東進。県道に出る手前に「天満宮」の鳥居。
その右脇の草叢に相当痛んだ一体。詳細不明。
(7) 211号線を一寸北上して新屋入り口から左折。延々と細道を進んで
新屋地区四つ角の右角のお宅の庭に一体。目印も無いので探すのに
数十分を浪費。
(8) 中室田・萩久保
211号を下って中室田小学校入り口の信号の5m北側からの細道を西進。
山手の奥に表示板つきで、しかも区画の中に一体。
俗称「キッス地蔵」。旧榛名町指定文化財。
(9) 中室田江戸村・十二神社
中室田信号から南進して江戸村への細道を左折。公民館に駐車して
山道を数百㍍登ると、地元で「十二様」と云われる神社。
其の右隅にひっそりと一体。「抱き合い手を結ぶ双神」
「石の心上州の石仏」の著者で沼田在住の金井竹徳氏の記述によれば、
榛名町には道祖神の宝庫と喧伝されている倉淵を上回る117体の道祖神が
あるというが、田園の道は道標も無いので、案内書が無ければとても
尋ねる回る事は出来ない。
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(1) 高崎・行力
先日は文字搭に出会ったまでで終ったので延長戦。先ず、釣堀前の
道を楽間方面の西に進み、文字搭のある四つ角を直進して先の四つ角の
右手に「上の道祖神」と云われる一体。「酒を酌む双神」。
「下の道祖神」を探しに釣堀前に戻って南進。三叉路に文字搭と共に一体。
(2) 下小鳥・幸宮神社
市街地に向って環状線を僅かに越えたところの住宅地に幸宮神社。
境内右側の陰に一体。「肩を組み手を結ぶ双神」。
近くに大きな「戦馬従役碑」があるが「日清役」とあるので
110年ほど前のもの。
(3) 旧榛名町上里見・上神 大河原氏宅
里見街道(406号)を西進、室田に入る森下橋の手前で左折して上神地区へ。
この辺りに来ると細道が交錯し道標も無いので感が頼り。目印は上神
公民館だが表示も無いのでウロウロ。結局、通りかかったヤクルト
オネエサンに住宅地図を見せてもらって直接お宅訪問。
敷地の裏庭にニ体。
右はコケシ風な「肩組み手を結ぶ双神」。
丁度、在宅していた大河原氏と暫し雑談。昭和61年に作成された
「榛名町道祖神」なる小冊子も見せていただいた。
(4) 上里見間野・多胡神社
上神から更に西進、48号線に合流して左折、間野地区で多胡神社を
探す。「東間野」バス停の手前に山手への狭い石段発見。
茫茫たる草叢で鳥居も見当らない。
確かに神社名鑑にも載っていない神社らしくまるで藪の中。
社殿近くの草叢を掻きまわしたが発見できなかったが、帰りがけに
石段の終わり地点東側で草に埋もれている一体を発見。
両神とも両手に酒器を持っている。
羊太夫伝説のある多胡神社も余り省みられていないのは残念。
間野周辺には多胡姓の家が多いと聞くが「多胡羊太夫由来記」が
伝わっている筈。羊太夫が朝廷軍に破れたとき、嫡男・宗顕と孫の
宗量が隠れ住んだのがこの間野とされている。多胡神社の南に
二軒屋を建てた事から「二ツ屋」の地名も残るとか。勿論、
鳶に化けて逃れた羊太夫主従も後に合流したとの言い伝えで
「一の鳶」「ニの鳶」「三の鳶」の地名となったとされるが、
確めてはいない。
(5) 上室田・雨堤
湯殿山の南を通過して落合信号で406号線、右折して川を渡って直ぐに
左折、細い判り難い道で雨堤を目指す。神社の前を通過すると丁字路。
其の角に古道標がひっそりと。「大戸通・信州善光寺」「左めうぎ」と
読める。「めうぎ」とは旧仮名使いで「妙義」の事か?
一寸右に行った丘の上に一体。「共に肩に手をかけ寄り沿う双神」
(6) 上室田・斉渡
雨堤から211号線に向かって東進。県道に出る手前に「天満宮」の鳥居。
その右脇の草叢に相当痛んだ一体。詳細不明。
(7) 211号線を一寸北上して新屋入り口から左折。延々と細道を進んで
新屋地区四つ角の右角のお宅の庭に一体。目印も無いので探すのに
数十分を浪費。
(8) 中室田・萩久保
211号を下って中室田小学校入り口の信号の5m北側からの細道を西進。
山手の奥に表示板つきで、しかも区画の中に一体。
俗称「キッス地蔵」。旧榛名町指定文化財。
(9) 中室田江戸村・十二神社
中室田信号から南進して江戸村への細道を左折。公民館に駐車して
山道を数百㍍登ると、地元で「十二様」と云われる神社。
其の右隅にひっそりと一体。「抱き合い手を結ぶ双神」
「石の心上州の石仏」の著者で沼田在住の金井竹徳氏の記述によれば、
榛名町には道祖神の宝庫と喧伝されている倉淵を上回る117体の道祖神が
あるというが、田園の道は道標も無いので、案内書が無ければとても
尋ねる回る事は出来ない。
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道祖神まつりの盛んな土地でも、お年寄りを狙って
聞かないとなかなか所在が掴めません。
それはそうと、天気が悪くてもう1ヶ月近くも山歩きが
出来ません。be.yondさんのゴルフも同じでしょうか?
今のところ、来週の火曜と水曜に晴れマークがついていますが
前日にならないと信用できません。
何とかしてもらいたいものです。