クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

天引城址のアレコレ H-19-12-19

2007-12-19 15:37:43 | 高崎・甘楽・藤岡方面
天引城址関連の記録を集めてみた。
*「甘楽郡史」より引用
天引城は大字天引村の東部にあり、羊太夫が砦を構えし所と言う。されど千余年
の星霜を経たれば、今や砕かれたる。少しばかりの礎、巌に残る胸壁の跡らしき
もの、空しく往昔の面影を留めるのみ、国破れて山河あり、城春にして草木深し。
*「新屋村その史話と名物」より引用
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として天引村に城山を築き、
物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに讒言により官軍に攻めこまれ、
城山を捨てて敗走、八束の城にて防戦す」
そう言えば住吉神社の創建はこの時の官軍の戦勝祝いだったとの言い伝えもある。
*「上野志」より引用
東部の白倉氏、甘尾氏も小幡一族、天引城は国峰城の外防線としての61個の
砦の一つ。
*「上野国志」より引用
箕輪城記に天引城ありきと云、並びに信玄の為に屠られる
*「上野国郡村史・天引城址、村人能く遺事を説く者なし」 忘れ去られた
城址と言う事か?
*「甘楽町史」の記述から引用
天引城址は「一郷山・八束」両城と一線に並んだ単峰式山城、山頂の径
12―13㍍の小郭。二の丸は腰曲輪状に8㍍下、その下に東と南に
小さい腰曲輪が付き其処から下に掘り切り。西北尾根に掘り切りと4段の
腰曲輪、その先3段の虎口受。
甘尾古城、関東管領上杉憲政の旗下・甘尾若狭守居城。
このような記載があるが、実質的には山内上杉の大黒柱の宿老は長野業政で
あり、その女婿の国峰城主・小幡信貞の支配下にあった筈。が、信貞は仲の
悪かった同じく業政女婿の弟・図書介景純の諫言により温泉療養中に国峰城
を乗っ取られ武田に身を寄せ、後の武田の侵攻で奪還する。
信玄は頼って来た信貞に上州の諸将の調略を命じ、「高山・多比良氏」や
「天引・甘尾氏」の武田への内応を約させた。と言う事は天引城は信貞と
ともに武田の輩下に変わったと言う事か。
小幡信貞は信玄の西上州攻略に貢献して武田24将の一人にもなっている。
しかし武田滅亡後は織田信忠に仕え、本能寺の変の後は北條氏直の先鋒と
なっている。1590年の秀吉の小田原攻めの時、信貞は北條側で小田原詰め、
国峰は弟の信秀が守るが、北陸軍・利家、景勝に攻められる。信貞は
家康の牒略に乗って国峰は落城、信貞は旧友・眞田昌幸を頼って松代で
過ごし、子孫も松代在住。(小幡氏の系譜より)
「お菊伝説」の当事者であり、小田原在勤の留守中の事件。
どうやらこの城址は武田の滅亡、小幡氏の拠点・国峰城の滅亡、奥平氏の
進駐と共に忘れ去られ、その後も役割に出会わぬまま、今やひっそりと
三角点だけの無名峰に甘んじているらしい。
林道に現れた新登山口に「天引城」とあるので地元でも見直しの気配が
あるのかな?。

機会があったら地元の郷土史研究家の話を聞いてみたい。


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2 コメント

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天引城の登城口 (横尾)
2008-01-30 21:23:03
今晩は、富岡に居住します横尾と申します。天引城を2月2日に登城しようと思っております。登城口を教えていただければありがたいのですが、また私も歴史好きで、越後、信州など主に城廻をしています。今後もよろしくお願いします。
返信する
天引城跡登路 (爺イ)
2008-01-31 07:16:19
コメント有難うございます。
天引城址は地元では朝日岳北峰で多胡美人とは南峰の
事です。
登路は西・第1北・第2北・東・南・南西の6本がありますが
西・第2北・西南は極めてトリッキーなので除きます。
一番のお薦めは南コースです。案内図は小生がご指南戴いている地元の牛伏山岳会氏の下記URLをご覧下さい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~amada/yama-asahidake.htm
71号線を南進して住吉神社の数百㍍先で、
吉祥寺という何時も無人の寺がありますからそこに駐車される
と良いでしょう。稜線に着いて左に行けば南峰、右に行けば
城址です。三角点と標識があります。
2番目は第1北で71号では神社より500㍍手前に「神戸」バス停があり西への立派な道路があります。約1㌔で峠の頂点に達しますがその左土手の上に地元の設置と思われる
「天引城登山口」の白い看板があります。幅広道路で通行が
少ないので適当に路傍駐車。
3番目は東コースで小生の2007-12-19記事をご覧下さい。
登山口は神戸バス停と神社の間に「やじま」という料亭がありますので、北側の塀に沿って細道を西へ進み直ぐ右折、又左折をすると大きな電柱、その間を入って直ぐ左手に踏み跡と
テープが付けてあります。
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