今朝の高崎地区の天気予報は完全な晴れ。だが朝から霧が掛かったような曇り空で
すっきりしない。
久しぶりの榛名を予定していたのだがこの天気では元々展望は期待出来ない
近くの低山に行く事にした。榛東村の鷹ノ巣山を乗り越えてガラメキ温泉と言う
手馴れたコース。
r-28で榛名に向かうが周辺の山もボヤケるひどい霧。山に掛かってからは
スモールランプをつける始末。
カーブ20が鷹ノ巣林道の入り口だが最近は狭いスペースの路傍駐車が下手になったので
カーブ23まで進んで黒岩下に停める(10.36)。
蛇行する県道を下って林道のゲート。相変わらず関係者以外通行禁止の表示は
見えなかったことにしてゲートを跨ぎ沢筋に向かって長く下る。
この林道には花が少ない。僅かに黄色の山吹だけがチラホラの程度。
左への分岐を通過。このゲートを進むとかっては旧黒岩キャンプ場が存在し
近辺には黒岩風穴も痕跡を残している。又、途中から沢に下りると
ヨハンス・デ・ケーレの石積みを見て右京の無駄掘りを経るとスルス峠に
行かれるハイキングコース。
間もなく第一の渓流を渡るが水量が少ないので靴が僅かにぬれる程度。
水辺に群生する和名でオランダガラシ(和蘭芥子)と云われるクレソンの姿は
見られなかった。
沢から切り返して東南に進むと左の防災壁が途切れて右に谷側の壁が始まるところに
赤テープのマーク。ここが爺イがいつも使っている鷹ノ巣山の西登山口。
勿論、登山道などは無く水路のような凹みがあるだけの藪。入ったら直ぐに
右の台地に登って東進(10.55)。
方角は林道に沿って東進するので南東向き。間伐・枝下しの残材を避けながら。
幾つかの山襞があるが乗り越えてそのまま前進。
やがて前方に南西尾根が見えたところで北上。今日は試しに西から登って見るのだ。
全て真っ直ぐな樹木の中にこんな異端児を右に見て進む。
前進路はこんな感じで斜面とも尾根とも云えるが右に旋回気味に西斜面に
向かって行く。
斜面に近づくと伐採された裸地だが掴まる雑木も少なく傾斜の割合には
労力を要するので根負けして降参。西は諦めて右へ大きくトラバースし
標準コースの尾根に移動。
尾根に着くと丁度目の前にN.G氏のものらしいブルー紐の目印。
道傍に文字の消えた道標。間もなく土に帰るのか?
もう10年近くなるだろうか?初めて見た時は未だ樹幹に打ち付けられていたが
既に文字は判読が困難だった。左は鷹ノ巣山と辛うじて読めたが右は「OOO道」
としか見えなかったが若しかすると「鷹ノ巣林道」だったかも知れない。
もう、登路は明確となってから再び目印テープ。こんなのは下りながら付けたのかも。
そして狭い山頂に到着。高くて目に付く位置に墨書の達筆。かって移動通信の重鎮さんに
聞いたらSARUさんのものとの事だった。SARUさんと云えば爺イのような新参者に
とっては伝説の名人なのだ(11.52)。
恵まれない山と言うのが定説のこの低山に複数の標識が並んでいてマニヤとしては
満足この上もなし。MHCさんのものは紐が切れて落下していたので樹幹に挟み込み。
すっかりご無沙汰しているがリーダーのTさんは相変わらずお元気でご活躍と思う。
今日は忘れずに本日の爺イ。
軽食・休憩の後、ツツジに見送られて
北東に向かって下山開始(12.26)。この頂上台地は南北ではなく北東ー南西、従って
真っ直ぐそのままの方向が北東。
途中で北方の鷹ノ巣三山(仮称)の二番手の山を観察しようとしたが霧に包まれて
全く見えない。
かってスルス岩から見た鷹ノ巣三山の写真。殆ど同じ高さで南北に並んでいる。
いつかこの三山の縦走をやろうと思ってもう数年が経つが枝下ししてない植林地、
急傾斜、ツツジ系潅木の密生に歯が立たずに未だ達成して居ない。
判然としない尾根の左の縁すれすれを下る。
右に窪が現れるが左をキープ。
綺麗な尾根を楽々と。だが、このまま終わる訳ではない。
突然、ゲート状の目印で左窪に下りる。この辺は地形が自然に
南東に流れるので目的地が遠くなるから成るべく左に引っ張る。
こんな平地に近いところを進むと
涸れ沢にぶつかり対岸に移って台地を行っても良いんだが林道が直ぐ傍なので
沢歩き。
そして林道に到着。いつもの白杭の位置より僅かに南(12.52)。
振り返って降りてきた涸れ沢、どう見ても登り向きではないから
ルートとは云い難い。
一寸休んで林道を北上、直ぐに崩落場所が五箇所繋がっている。
かっては三箇所ぐらいと思っていたが地震などで増えたかな?
崩落場所を過ぎると林道は北進から東に向き第二の渓流を越える(13.18)。
そして左に小野関三太夫氏の雨乞いの線刻看板。
中に入ると「黒髪山表口」の巨大石碑。黒髪山とは頂上に黒髪神社がある
相馬山の事。ヤセオネ峠からの相馬山登山路が出来る前はここを通って
相馬山詣りをしたとの事。険峻な道を歩けない人々の為に里宮として
榛東村・井戸尻に黒髪神社がある。
尚、「群馬郡誌」に相馬山に関して下記記載がある。
「山嶽峻険ニシテ登路ニ路アリ。沼ノ沢ヨリスルヲ後山ト称シテ遠クテ
易ク、ガラメキヨリスルヲ表山トイイ、近クテ難シ」
つまり、南の鷹ノ巣林道からの道が「表」である。
左の沢筋には三太夫氏の線刻彫りの岩がある。
ここの上部には「黒髪山不動明王」を先頭にして36童子の石碑が完全な形で残っているが
ここまで全部揃って保全されているのは珍しい。
林道に戻って少し東に進むと左に分岐が分かれるが、この道は直ぐ先で林の中からの
道と合流して相馬山南登山道となっている。かってこのルートで相馬を目指したが
古びた抜けそうな鎖にビビッて撤退したことがあるが、その後にMHCのつれづれさんたちが
女性二人組みでこのルートで踏破したので恐れ入ったことがある。そのつれづれさんも
今は亡い。
更に数十メートルのこの看板多数の所は「柏木山1215m」の南登山口。約300mの高度差を
上手く蛇行しなから相馬山東麓の柏木西鞍部に到達できる。
やがて大きな分岐に来るがここは直進。
左に大きく曲がる角にこの石碑。刻面が後ろ向きなのでうっかりすると見逃す。
ここまで来ればもう僅か。
そして変則四つ角、左折と言うより登りの直進100m。
周辺には数軒の旅館が繁盛していたとの噂どおり随所に石垣とそれに伴う
平地がある。
広場に到着、ここが一番広いスペース。
右手にガラメキ温泉の看板が健在(13.30)。
幾つかの石碑も残っている。これは未だに上の二字が読めない。「業沙」と
云う人もいたが該当する如来は心当たりが無い。読み取り出来る文化人の方、教えてください。(2020-6-29 榛名古道さんからのご教示で「薬師如来」と判明)
不動明王は崩落岩に相当埋もれている。
肝心の温泉は倒木と崩落岩が圧し掛かっていて蓋はびくとも動かない。
とても人力では修復は出来そうもないからこのまま埋もれかな?
少し休んでから帰路に付く(13.39)。この復路は前半が下り、後半は登り。
柏木登山口通過(14.00)。
南に回りきる処から採石場が望める。今日は稼動していないが重機が多数見えるから
休業ではなさそうだ。
北西に進路が変わったところに目印。ここから登れば林間の歩きなどしなくても
尾根を辿れるらしいからこっちが本命の様だ。
「群馬の山を楽しむ」なるサイトで読んだ記憶がある。
軽い登りも距離が長いと相当に足に来る。クタビレ切って漸くゲート着(14.50)。
ガラメキから推定で3K位の歩行距離。
ゆっくりと県道の蛇行を二回ほど繰り返して無事に駐車場着。霧が全く晴れなく
冴えない一日だった(14.59)。12.000歩。
蛇足のその又、蛇足
鷹ノ巣林道36童子の全て
すっきりしない。
久しぶりの榛名を予定していたのだがこの天気では元々展望は期待出来ない
近くの低山に行く事にした。榛東村の鷹ノ巣山を乗り越えてガラメキ温泉と言う
手馴れたコース。
r-28で榛名に向かうが周辺の山もボヤケるひどい霧。山に掛かってからは
スモールランプをつける始末。
カーブ20が鷹ノ巣林道の入り口だが最近は狭いスペースの路傍駐車が下手になったので
カーブ23まで進んで黒岩下に停める(10.36)。
蛇行する県道を下って林道のゲート。相変わらず関係者以外通行禁止の表示は
見えなかったことにしてゲートを跨ぎ沢筋に向かって長く下る。
この林道には花が少ない。僅かに黄色の山吹だけがチラホラの程度。
左への分岐を通過。このゲートを進むとかっては旧黒岩キャンプ場が存在し
近辺には黒岩風穴も痕跡を残している。又、途中から沢に下りると
ヨハンス・デ・ケーレの石積みを見て右京の無駄掘りを経るとスルス峠に
行かれるハイキングコース。
間もなく第一の渓流を渡るが水量が少ないので靴が僅かにぬれる程度。
水辺に群生する和名でオランダガラシ(和蘭芥子)と云われるクレソンの姿は
見られなかった。
沢から切り返して東南に進むと左の防災壁が途切れて右に谷側の壁が始まるところに
赤テープのマーク。ここが爺イがいつも使っている鷹ノ巣山の西登山口。
勿論、登山道などは無く水路のような凹みがあるだけの藪。入ったら直ぐに
右の台地に登って東進(10.55)。
方角は林道に沿って東進するので南東向き。間伐・枝下しの残材を避けながら。
幾つかの山襞があるが乗り越えてそのまま前進。
やがて前方に南西尾根が見えたところで北上。今日は試しに西から登って見るのだ。
全て真っ直ぐな樹木の中にこんな異端児を右に見て進む。
前進路はこんな感じで斜面とも尾根とも云えるが右に旋回気味に西斜面に
向かって行く。
斜面に近づくと伐採された裸地だが掴まる雑木も少なく傾斜の割合には
労力を要するので根負けして降参。西は諦めて右へ大きくトラバースし
標準コースの尾根に移動。
尾根に着くと丁度目の前にN.G氏のものらしいブルー紐の目印。
道傍に文字の消えた道標。間もなく土に帰るのか?
もう10年近くなるだろうか?初めて見た時は未だ樹幹に打ち付けられていたが
既に文字は判読が困難だった。左は鷹ノ巣山と辛うじて読めたが右は「OOO道」
としか見えなかったが若しかすると「鷹ノ巣林道」だったかも知れない。
もう、登路は明確となってから再び目印テープ。こんなのは下りながら付けたのかも。
そして狭い山頂に到着。高くて目に付く位置に墨書の達筆。かって移動通信の重鎮さんに
聞いたらSARUさんのものとの事だった。SARUさんと云えば爺イのような新参者に
とっては伝説の名人なのだ(11.52)。
恵まれない山と言うのが定説のこの低山に複数の標識が並んでいてマニヤとしては
満足この上もなし。MHCさんのものは紐が切れて落下していたので樹幹に挟み込み。
すっかりご無沙汰しているがリーダーのTさんは相変わらずお元気でご活躍と思う。
今日は忘れずに本日の爺イ。
軽食・休憩の後、ツツジに見送られて
北東に向かって下山開始(12.26)。この頂上台地は南北ではなく北東ー南西、従って
真っ直ぐそのままの方向が北東。
途中で北方の鷹ノ巣三山(仮称)の二番手の山を観察しようとしたが霧に包まれて
全く見えない。
かってスルス岩から見た鷹ノ巣三山の写真。殆ど同じ高さで南北に並んでいる。
いつかこの三山の縦走をやろうと思ってもう数年が経つが枝下ししてない植林地、
急傾斜、ツツジ系潅木の密生に歯が立たずに未だ達成して居ない。
判然としない尾根の左の縁すれすれを下る。
右に窪が現れるが左をキープ。
綺麗な尾根を楽々と。だが、このまま終わる訳ではない。
突然、ゲート状の目印で左窪に下りる。この辺は地形が自然に
南東に流れるので目的地が遠くなるから成るべく左に引っ張る。
こんな平地に近いところを進むと
涸れ沢にぶつかり対岸に移って台地を行っても良いんだが林道が直ぐ傍なので
沢歩き。
そして林道に到着。いつもの白杭の位置より僅かに南(12.52)。
振り返って降りてきた涸れ沢、どう見ても登り向きではないから
ルートとは云い難い。
一寸休んで林道を北上、直ぐに崩落場所が五箇所繋がっている。
かっては三箇所ぐらいと思っていたが地震などで増えたかな?
崩落場所を過ぎると林道は北進から東に向き第二の渓流を越える(13.18)。
そして左に小野関三太夫氏の雨乞いの線刻看板。
中に入ると「黒髪山表口」の巨大石碑。黒髪山とは頂上に黒髪神社がある
相馬山の事。ヤセオネ峠からの相馬山登山路が出来る前はここを通って
相馬山詣りをしたとの事。険峻な道を歩けない人々の為に里宮として
榛東村・井戸尻に黒髪神社がある。
尚、「群馬郡誌」に相馬山に関して下記記載がある。
「山嶽峻険ニシテ登路ニ路アリ。沼ノ沢ヨリスルヲ後山ト称シテ遠クテ
易ク、ガラメキヨリスルヲ表山トイイ、近クテ難シ」
つまり、南の鷹ノ巣林道からの道が「表」である。
左の沢筋には三太夫氏の線刻彫りの岩がある。
ここの上部には「黒髪山不動明王」を先頭にして36童子の石碑が完全な形で残っているが
ここまで全部揃って保全されているのは珍しい。
林道に戻って少し東に進むと左に分岐が分かれるが、この道は直ぐ先で林の中からの
道と合流して相馬山南登山道となっている。かってこのルートで相馬を目指したが
古びた抜けそうな鎖にビビッて撤退したことがあるが、その後にMHCのつれづれさんたちが
女性二人組みでこのルートで踏破したので恐れ入ったことがある。そのつれづれさんも
今は亡い。
更に数十メートルのこの看板多数の所は「柏木山1215m」の南登山口。約300mの高度差を
上手く蛇行しなから相馬山東麓の柏木西鞍部に到達できる。
やがて大きな分岐に来るがここは直進。
左に大きく曲がる角にこの石碑。刻面が後ろ向きなのでうっかりすると見逃す。
ここまで来ればもう僅か。
そして変則四つ角、左折と言うより登りの直進100m。
周辺には数軒の旅館が繁盛していたとの噂どおり随所に石垣とそれに伴う
平地がある。
広場に到着、ここが一番広いスペース。
右手にガラメキ温泉の看板が健在(13.30)。
幾つかの石碑も残っている。これは未だに上の二字が読めない。「業沙」と
云う人もいたが該当する如来は心当たりが無い。読み取り出来る文化人の方、教えてください。(2020-6-29 榛名古道さんからのご教示で「薬師如来」と判明)
不動明王は崩落岩に相当埋もれている。
肝心の温泉は倒木と崩落岩が圧し掛かっていて蓋はびくとも動かない。
とても人力では修復は出来そうもないからこのまま埋もれかな?
少し休んでから帰路に付く(13.39)。この復路は前半が下り、後半は登り。
柏木登山口通過(14.00)。
南に回りきる処から採石場が望める。今日は稼動していないが重機が多数見えるから
休業ではなさそうだ。
北西に進路が変わったところに目印。ここから登れば林間の歩きなどしなくても
尾根を辿れるらしいからこっちが本命の様だ。
「群馬の山を楽しむ」なるサイトで読んだ記憶がある。
軽い登りも距離が長いと相当に足に来る。クタビレ切って漸くゲート着(14.50)。
ガラメキから推定で3K位の歩行距離。
ゆっくりと県道の蛇行を二回ほど繰り返して無事に駐車場着。霧が全く晴れなく
冴えない一日だった(14.59)。12.000歩。
蛇足のその又、蛇足
鷹ノ巣林道36童子の全て
さてこの辺り、ワタシはその前日に表口から黒髪尾根を登りました。以前からの念願のルートで、やっと果たしたというところです。途中踏み跡も定かでなく赤テープが頼りでした。 気に入ったので5月29日にももう一度ルート確認と周辺調査のため登ってきました。ツツジが見頃でした。帰りは右京の無駄掘りも立ち寄り、そこから川から離れて西側の山中の道をたどってしまい、デレーケの堰堤を見損ないました。
お尋ねしたいのですが、ガラメキ温泉からスルス峠へは、かつては鷹巣林道のように迂回しないで、表口の石碑のあたりから相馬山の南尾根を越えて峠へ至る道があったのだろうと推測していますが、どのあたりから取りついたらよいのかご存知でしょうか?
林道で表口石碑に入るところから20m東に多数の
看板が付いている箇所から峠道がありますが
ここは相馬の東南ですから1215mの西鞍部に出る道で
「伊香保・つつじが丘」の古い道標がありますから
スルス道とは言い難いと思います。
お尋ねの道はこれが該当するかも知れませんが
見当違いだったらご勘弁下さい。http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/17493dba46f9544233fe64222896847e
微かな窪みを辿ると、おそらく鷹巣の北西に至るであろうと思われましたが、とりあえず、無駄掘りを目指して、爺さんの記から西側の岩の下ということを頼りに右に進んだら到達できました。
最近は訪れる人も少ないようで、5月でも笹原の踏みあとを判別するのが難しい状態でした。
もう日も傾いていたので、ガラメキ温泉方面への探索は止めて、黒岩方面を目指して下山しました。(途中から青テープ目印のオリエンテーションにでも使ったような山中コースを辿ってしまいましたが・・)
またまたお尋ねさせていただきますが、「野山を歩く100コース」(絶版)の「黒岩への道」というルートは、ふれあいの道と接しているのですか?
また「炭焼き窯」とは何処に?
この辺りに、ワタシが求めている道のヒントがありそうで・・。
炭焼き釜はもう直ぐ右京の泣き掘りというところで
大きな涸れ沢を渡ってスルスへ向かって笹原に
入りますが涸れ沢手前の右側です。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/726e2b2649c6858810e8c4a2e63c1914
「黒岩の道」の石積みを登ったところが終点で
そこが関東ふれあいの道です。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/c98b255d21ac731895cf931d05ff99a0
山はこれからさんが探していた道を私も探索してみました。途中まではよかったものの、荒れた笹原で完全に見失い、最後は強引に磨墨峠と1207の標高点の間あたりに出ました。戦前までは松之沢峠より使われていた道らしく、場所によっては立派な道が残っているのですが・・・。
あと、文化人というほどの者でもありませんが、「業沙如来」ではなく「薬師如来」ですよ。「湯前薬師(ゆぜんやくし)」といって、昔からの温泉地には必ずといっていいほど薬師如来が祀られています。四万の日向見薬師堂が有名ですが、草津・伊香保にもあります。温泉の薬効を仏の力と解釈したものです。
念のため榛東村史誌も見てみました。1190ページに、ガラメキ温泉附近に薬師如来の文字塔が二つある記載があります(明治三十五年の高さ200センチのものと、明治十三年の高さ70センチのもの。大きさからいって前者と思われる)
長々と失礼しました(`・ω・´)ゞ
薬師如来の件、早速追記しました。
ご教示感謝します。