クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

小柏峠から熊倉山周回  H-24-3-30

2012-03-31 12:36:35 | 高崎・甘楽・藤岡方面
上の写真は小柏峠の石仏二体

3/29は爺イの79歳誕生日、既に親父の没年を越えているが、何とか健在。
おまけに半年に一回の血液検査と肺気腫レントゲン検査日、幸いに血液検査は
全項目100%の規定値内、肺気腫は進行無しだが気管支の微小な白い点が数点
消えないので心肺を鍛えないと劣化が進む。
平地だけ速歩していても足腰の鍛錬にしかならず心肺の鍛えは酷使が必要。
そんな訳で手馴れたコースのハイキング。同じコースを周る事で前回との
違いを確認できるから。つまり、爺イのハイクは遊びは半分、診断が半分なのだ。

予定コースは甘楽の小柏峠経由で熊倉山、北に急降してお菊の祠に寄って林道歩き
で帰着。高校野球の第三試合も見たいので白倉神社・天狗山はパス。

つい先日も来た小幡の町並みを抜けて宝積寺に向かうが名物の桜は開花気配なし。
こんな状態では日程が決まっている四月上旬の桜祭りが危ぶまれる。
宝積寺までは富岡廻りで自宅から丁度25k、寺の前から林道・水越線に入る。



この林道、途中までは舗装路だが、ダートになってから暫くで東方に分岐させる
新道の開削で砂塵濛々のダンプ街道、果たして下りダンプと行き会い、カーブの
空き地までバックさせられて極めて面倒。何とか駐車予定地の「桜の広場」道標前。



標識前にも下り空ダンプが停車していて「ここは上下ダンプのすれ違い場所だ」と。
仕方なく菊ヶ池方面への支線に頭を突っ込んでギリギリの駐車。新道開削の残土を
上の天狗登山道近くの集積場に積み上げているんだそうだ。
何だかすっかり邪魔者扱いにされ、膨れっ面で天狗山方面に出発(10.20)。
天狗山への傾斜がややきつくなる頃、残土集積場が姿を現す。数年前からの伐採で
何か施設を作るのだろうとは思っていたが土砂の大山が出来つつあった。



おやおや! 天狗山の西面がすっかり伐採されて見事な禿山、全く興が殺がれる変貌。



やがて、登山口入り口。ここも左手が坊主になっていて味気ないこと甚だしい。



少し登って天狗山への分岐を左に見て直進の峠道。今日は天狗も神社もパス。



峠道は手が入っていないので何時もの通り。天狗からの南北稜線の西下をダラダラ登り。



結構な距離を歩いてジグザクの急登をこなすと小さな峠風の乗り越しで稜線の
東側に移る。



直ぐに倒木に蔦が絡まった障害物にぶつかるが右斜面への迂回の踏み跡がはっきり。
そう云えばここで猪に出会ったとの情報を貰った事がある。



落ち葉が深々と堆積する軽い傾斜の登り道を進み、大きな倒木の手前で小柏峠への
小道に入る。直進はそのまま「無名峠」に達する道。
この斜面伝いの細道はリボンもチラホラ見えるし、野生動物の餌場週回路でも
あるらしく有蹄類の深い足跡に混じって熊を連想させる力士の手形の様なべったり形
もあってやや緊張する。



無名峠と小柏峠を分ける山塊を東端まで行くので予想外に距離は長く感ずる。
やがて短い急登を経ると小柏峠で稜線に到着。この稜線は甘楽と藤岡の境界線(11.29)。



この峠の事は甘楽の峠に詳しいamano氏のホームページに次のような説明がある。
「小幡から見た通称「南山」の中ほど、甘楽町轟と藤岡市上日野を結ぶ峠。
一般の地図はもちろん、現在の1/25000地形図上にも記載はないが
昔の地形図にはハッキリ破線で示されており、往時の交易路であったことは
間違いない。」
として「別項の地図を参照願いたい」としているがその別項の地図の一部は下のもの。



そして藤岡への下り道に仏像が二体、かつてこの中の一体は10m程の藤岡側にあつた
らしいが今は揃い踏み。左の仏像(明治9年)の顔が何とも優しいので爺イの
お気に入り。



近くに転がる古い爺イの標識、辛うじて「小ーー」だけが読めるだけ。もう土に
帰してやりたいので修復はしない。



これはもっと古い標識、文字は完全に消えているがかつては小柏峠と達筆で墨書され
ていた。藤岡側に下ると上平バス停に出られると聞いている。



一呼吸置いてから稜線を西に向かう。目の前には三つの突起を持つ峠を
分ける小ピーク。三つ目の頂点に図根点。



ここから湾曲する稜線を下ると「無名峠」。ここにも判読不能の爺イの標識。



ここは峠といっても乗り越しの道は不明で丁字で稜線にぶつかっている感じ。
乗り越しでなければ峠とは言えないんだろうな。でも、ただの鞍部では味気ないし
一山越えで小柏があるから許容範囲かな?



さて、此処からは熊倉山に向かって稜線を西へまっしぐら。地形図上の標高点842mは
この程度の何の変哲も無い高みで標柱も無い。一旦、やや下ってから熊倉に繋がる
長い長い緩傾斜の登りが続く。



やがて右の稜線下に平地が平行して現れる。夏場の雑草繁茂の時期は稜線上は
歩き難いのでここに下りる方が良い。



このルートには珍しい岩尾根地帯を通過。最近、周辺の雑木が綺麗に伐採されたので
直進が楽になった。



そしてそのまま植林地帯に突入すると



その先は林間の綺麗な道。



前方に熊倉山が見えた。北のお菊の祠から見ると標高差200mの巨大な威容を誇る
この山も、稜線の高度が高いので此処から見ると唯の小さな突起で等高線一本強。



北側は名物の急傾斜。帰路には使うが最近は少し下にある獣道を使って楽に
東稜線から北稜線にトラバースする要領を覚えたので急降に悩む事も無くなっている。



難なく、頂上台地の東肩のこの倒れたコンクリート柱地点に到着。



台地の中間の赤白ダンダラポール下に埋もれた三角点。三等で点名は雉平895.96m。



近くの樹幹に爺イの標識(12.39)。普通は小柏峠から往復1時間というからその2倍。
こんなペースが爺イの「普通」、だから同行者に迷惑になるので何時も単独。



かって螺子止めしてあつたG氏の名刺判の標識は数年前から見当たらず。

この山の難点は陽当り場所が無い事・展望皆無である事であるので長居は無用。
北に降りて傾斜の緩い陽当りの良い場所で昼食・休憩。

本日の爺イ。先日の小梨山で携帯用三脚を紛失(置き忘れ?)してから未だ調達して
いないのでセルフが上手く撮れない。



再び、下降を開始するが上の急降に比べれば傾斜が緩いという程度で下りは
半端ではない。周りの巨木に複数の気になる傷。営林用で無いとすれば
マーキング? 樹液が固まっていないから新しいもの。



広い斜面をやや右寄りに沢山ある赤テープを辿って下る。



山頂から直線距離で330mで稜線は右に90度曲がり、高みを乗り切ると林に突き
当たるので手前を左折して又、急降が始まる。なるべく林から離れないのが要領。
斜面に防寒帽子の落し物。中の綿が千切られているのでそのまま放置。



林がやや右に離れ始めたら斜面の左目に進路を変える。赤テープも真ん中に
附けられている。やがて、下にブルーの小屋の屋根。これがお菊の祠。



祠にお線香を立ててお参り、記帳も済ませる(13.35)。



余り目立たないが左右に仏像が一体づつ。詳細は不明。




菊ヶ池はパスして東の林に向かう小道で帰路につく。薄暗い林の中の細道を抜けると
地形図にある林道の末端。ここに菊ヶ池の錆び付いた道標がある(13.50)。



後は変哲の無い平坦な林道をくねくねと曲がりながら桜の広場に帰着が14.19。



下りダンプが待機中なので一緒に一休み。やがて来た上りダンプと入れ違いに
宝積寺に向かって砂塵の中をガタガタと下った。
全体として心肺機能は変り無しの感触。

amano氏の概念図をお借りして今日のルート。



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2 コメント

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Unknown (あにねこ)
2012-03-31 15:06:31
79歳になられたそうで、おめでとうございます。
心肺機能にお変わりがないのも、山歩きを欠かさないおかげでしょうか。
ゆっくりとはいえ、いつも結構険しいところを歩かれているで、敬服しております。
小柏峠の石仏はなかなかいいですね。
ところで、お菊の祠で思い出しましたが、先日登った下仁田のほたる山でも
お菊さんの良く似た話がありました。これって、同じ人でしょうか。
細部が違うような気がしますが。。。
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re:お菊さん (爺イ)
2012-03-31 15:58:19
あにねこさん
御無沙汰しております。ほたる山のお菊の杉には小生も吃驚した記憶があります。下仁田に
「下仁田九峰あり」の記事であちこち廻った時でした。アレの出所は同じ伝説からと思われます。お菊伝説はあくまで伝説なのですが
登場の人物に実在した名が多いので、似たような事件が小幡藩であったのだと思っています。
地域によって原因・いじめられ方・殺され方・
たたりの仕方が微妙に変わっていますが。
宝積寺の他に妙義町中里にお菊の墓と称するもの、安中に似た伝説による八重ヶ淵もあります。
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