クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

最後の御巣鷹の尾根慰霊登山(1) R-5-10-19

2023-10-28 10:43:02 | 神流・上野村
2003-8から始めた爺イの御巣鷹の尾根への慰霊登山は2017年の
第十五回を以って終結としていた。理由は高齢化で現地までの
長距離運転が心許なくなった事と2014年からの墓標の画像記録と
ほぼ全域の動画作成が454名まででそれ以後は進展できず
撮影を収束させたからだ。

所が今年の春先から事故を犠牲者の立場に立って取材をしている
某劇団の演出家と交流を持ち始めてその劇団が犠牲者の人に
光を当てて劇作しようとしているのを知ってもう一度行って
その方の墓標に手をを合わせるとともに2019年の台風被害からの
復活具合を観ようと秋晴れの10/19に上野村に向かった。
演劇界の先輩四名の方から一字づつ貰ったペンネームで活動する
その方からこの一文が劇作の原点と知らされ父親(故人)の慟哭
本人の思い残しが心に響き爺イの背中を押した次第。


冨岡から下仁田を過ぎ「南牧・上野村へ」の標識に従ってr-45を
ひたすら南進。過疎で名高い南牧が意外に車両の通過が多いのは
農産物収穫期の活気かな?
可成り高度が上がると群馬第三位の長さの「湯ノ沢トンネル」入口。
この3.3kmのトンネルは2004-3の完成で従来の塩沢峠越えの旧道に
比べて20分も走行時間が短縮されたという。だが爺イがこのトンネルを
往復とも使い始めたのは2010年6回目からの事でそれまでは
慰霊の園に寄るためと長トンネルが苦手で往路は藤岡・神流経由の
片道90kmを使い2005年の三回目から帰路だけ68kmの湯ノ沢トンネル
経由としていた。



トンネルは対面だが幅広で構内も明るく何よりも全長が殆ど直線で
使って見ると長トンネル嫌いの爺イでも何らのストレスも感じない。
出口は小さな広場で直ぐ脇には紅葉時期には見事な景観を見せる
塩之沢川の深い渓谷。



東から合流してくる旧道方面には「塩沢温泉」などの案内があるが
爺イにはその先の天狗岩・シラケ山・烏帽子ヶ岳登山口が馴染み。



脇の大岩には故・黒沢丈夫氏の筆で「黒沢村を拓くために」との碑文。
元海軍少佐殿の村長の地域発展に対する心意気だ。



上野村へ下るとR-299に丁字路で合流して左折の東進、僅かの距離で
楢原郵便局角を右折、19km先の御巣鷹駐車場を目指す。
数キロでこん満艦飾の道標で左折。「御巣鷹の尾根」「中止の滝」等
満載で見過ごす心配はない。



直ぐに名物の八つのトンネルが連続するが数本は曲がりがきついので
勢い込んで突入すれば壁に激突の危険ありだ。これを過ぎればダム用
道路が終わって村道になる。



左に「中止の滝」看板が現れ爺イも二回ほど急斜面に作られた怖い道を
辿って滝つぼを見物したことがあるが逸話は江戸時代のものと
思ったが実際は明治12年頃とされるので1879年と云う事。



かって撮った滝の写真。



少し路面が悪くなったころ突然この標識、又崩落でもあったらここまで来て
引き返しかとガックリしたがよく読んだら全面通行止めは月曜日の
整備日だけと分かってゲート脇をすり抜けて走行。



完全な山道風の走行の果てに漸く下の駐車場に到着。上の駐車場が
出来たのは2006年の事なので爺イは2003年から2005年までここから
昇魂の碑まで2km標高差約400mを登っていた。



観音像の脇からの登山道は現在封鎖されている様だ。



再び車上に戻り1.3km、標高差180mの延長路線を走り上の駐車場。
見上げると見覚えの様子とはちょっと違う。



こんな階段を登り



上の段に着くと1m立方程度の土嚢がびっしりと積まれて左部分の
破壊されたコンクリート壁の補強が施されていた。



入口には標高1359m、昇魂の碑まで標高差180mとあるから広場は
1539mとなりいつも行く榛名山塊より遥かに高度がある場所だ。



山手を見上げるとこんな事に縁がない様に紅葉が奇麗に始まっている。


歩き出すと右の沢筋には土嚢が埋め込まれているからこの沢が
相当暴れたと推察。



見慣れた木橋も流出で失われたようでパイプと軽金属板の仮橋。



振り返ると沢は荒れたままで2019年の被害の大きさが想像できる。



山守地蔵は安泰だったよう。



スゲの沢の囁きに言葉を残した米国事故調査チームのジム・バーネット氏も
2010年に他界されたと伝わる。



登山中、こんな小さな地蔵様が岩の上に幾つも置かれているのに気づく。



登山道に付けられたパイプの手すりが健在なので年寄りには大助かり。



脇を通過するのがちょっと怖い名物の巨岩に「かぶり岩」名札。



沢の中を見ると多数の流木が搬出されずに片側に纏めて積み上げ。



管理棟下に達した時、運よく作業中の管理人・黒沢さんに出会い
探す墓標の所在を聞いたら「多分2Gの上」のヒントを得た。



地図を確認して方向決め。



方向指示板2G2Fを発見。



スゲノ沢への水平道を進む。



途中で再設置された墓標が並ぶ、材質が同じなので纏めて手直しか?



中には立派なお墓と云えるものもあるが、この方々は爺イも記憶して
いるが従妹同士お子さん四人とその母親のもの。



崩落で行き止まり地点でスゲの沢が見渡せたが150名のご遺体が発見され
墓標がびっしりあった筈の谷底は唯の荒れ地と化して墓標の全ては
失われた模様。



そこから急斜面を登ってこの道標。



漸く2Fの看板発見したがその先は立ち入り禁止。



でも何かある様なので無理やり進行したら念願の墓標発見。これが
頼まれた墓標に間違いないので位置情報も撮影して依頼者に
早急に送付する。



目的を達して昇魂の碑広場まで登りあげ今回が最後になると思うので
念入りに祈りを捧げた。



南の県境稜線には機体が削ったV字溝。



かって7回目の慰霊登山の
2011年にここが御巣鷹山ではなく高天ヶ原山の稜線を実感する為に
慰霊登山から足を延ばしてあの県境稜線を乗り越えて蟻ヶ岳とも
称される高天ヶ原山に行ったことを思い出す。考えられないほど健脚
だったのに12年経って90歳を越えると唯のヨボ爺イとは!



途中で忘れていた本日の爺イ。





帰路につき管理棟で黒沢さんに長年のご協力を謝し南牧で
特産のピレーネを買ってノンビリ走行で帰宅。
表題を(1)としたのは爺イの御巣鷹備忘録を(2)として書くつもりだから。

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