
在りし日の奥山雅久さん 2010年08月08日 ニコラ・ぱいでぃあ記念集会での講演から
▼私の中でずーっと気になっていたことだが、本当はもっともっと早く書かなければならないことがあった。それを書こうと思っていたちょうどその時、あの3・11の東日本大地震が起き、その後に福島第一原発事故が続いて起き、あれやこれやでとうとう今まで延び延びになってしまった。今も私には山のように雑用があり、中々落ち着いて書く余裕がない。でも、もうこれ以上触れないでいるわけには行かない。一言であれ、スチーブ・ジョブズ氏の死についてさえ言及したではないか。何でそれが出来ないか!?そう問われれば、もう、何としても言い訳が立たない。こうして今、自分は生きているのだから。
▼それは全国引きこもりKHJ親の会代表の奥山雅久さんの逝去についてである。今年の春、奥山さんは帯津三敬病院で亡くなった。数度の癌を戦い抜き、身障者の身体となり、杖をつきながらも自らで車を運転し、全国各地を可能な限り駆け回りながら次々と支部を結成し、全国に150万人もいると言われる引きこもりの人たちのために死の直前まで壮絶な戦いを繰り広げた末、ついには厚生労働省での「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」の制定にまで漕ぎ着けた上での、重要な懸案を使命を果たし終えての死であった。
▼私と奥山さんとの出会いは、奥山さんが全国引きこもりKHJ親の会を埼玉で立ち上げたことに始まる。以来、濃淡の違いはあるものの、親密なお付き合いは死の直前まで続いた。毎月岩槻市で開催された親の会には随分参加させていただいた。その間、私どもで発刊していた月刊教育ネットワーク誌『ニコラ』にも関心を持たれ、引きこもりとの共同編集の話もされたが、既に長らく不登校専門に限定して発行してきたこともあり辞退したということもあった。全国引きこもりKHJ親の会専門の機関紙『旅立ち』を出されたのはそれから少し後のことであった。また、奥山さんに請われて当時まだ衆議院議員であった上田清司氏(現・埼玉県知事)のいた衆議院議員会館に請願のため同行し、文科省や厚労省の責任者に要望書を提出するのに立ち会ったこともある。
▼また、病を持っているとはいえ超人的な活動をする奥山さんを援護する意味もあって、毎月「ぱいでぃあ広場」という引きこもりの当事者たちのフォーラムを開催もしてきた。そこに集まってきたのはみな大学生などの高学歴の青年たちであったのは、私たちの広場の特色だった。そして、引きこもりの人のための訪問サポート士の取得講座に招かれたりもした。また、共に県内の保健所の職員向けの講座にご一緒して、二人で県内の職員たちに話したこともあった。また、一昨年、韓国から10名ほどのソーシャルワーカーの人たちが不登校や引きこもりの問題を調査研究するためにやって来て(前年にはやはり韓国からワールドリーダー教育を受けているという10名ほどの中学生たちが訪問していた)、フリースクール・ぱいでぃあでの私たちとの話し合いの後、奥山さん達とのKHJ親の会とも合流し、日本のそういう問題について意見を交し合った。そして、最後にお会いしたのは、昨年の夏、私たち教育ネットワーク・ニコラ結成15周年&フリースクール・ぱいでぃあ設立10周年の記念集会の場であった。
▼その時、奥山さんはご夫人と一緒に来られ記念の会を祝って下さった。奥山さんは元気なお声で講演を行われた。機会があれば是非テープを起こして紹介したいが、とても凛としていて人間的滋養に満ちた講演であった。その講演の中でも、奥山さんは今3度目の癌に罹っているが克服するつもりであること、癌を患ったことによって瞬間瞬間意味ある人生を送っていることなども述べられた。だが、その癌が明るい表情とは裏腹に相当に酷い状態にあり、物凄い苦痛に耐えていることも、講演のあとの休憩時間の時に伺った。それが生前の奥山さんと直にお話した最後となった。訃報が舞い込み、岩槻のお通夜の席で、まるで生きているかのようににこやかに笑いかけてくる祭壇の写真と対面した。しばし無言で合掌した。祭壇の横にはご夫人だけでなく、奥山さんが最後の最後まで心に掛けていたであろう息子さんもその横に座っていた。
▼奥山さんはその死によって、全国引きこもりKHJ親の会(家族連合会)の職を全うしただけでなく、親子の愛憎のドラマにもまた終止符を打ったのかも知れなかった。母親の側に大人しく腰掛け、献花する人たちに会釈を繰り返すまだ初々しさの残る好青年の息子さんの姿を見て、何故か熱いものがこみ上げてきた。互いに激しく罵倒し合い、遂にあなたとの和解はならなかったけれど、奥山さんの行動の陰にはいつもあなたの存在があったのだ。帰り際、副代表の中村氏との会話から出てきたことだが、国会で法制化に漕ぎ着けたことで、奥山さんの心の中には会長としての一つの大きな仕事を成し遂げたという思いが今回の死去と繋がるのではないかということであった。それには私も頷けるものがあった。よくぞここまで満身創痍の身体に鞭打ってきたものだと思う。「奥山さん、もうゆっくり休んでください。後はみんなが引き受けてくれるでしょうから」そう思ったことであった。合掌。
******************************************************
「いきいきニコラ」のサイト
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/
「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイト
http://freeschool-paidia.hp.infoseek.co.jp/
http://freeschool-paidia.hp.infoseek.co.jp/
「ぱいでぃあ通信」(不登校・フリースクール応援マガジン)(ブログ)
01:05 from Twitter for Android
ジョブズ氏に哀悼。2年前、私たちの卒業式のスピーチで彼の生きざまとその言葉《Stay hungry stay foolish!》を紹介し、新たな人生航へ羽ばたく子ども達への餞の言葉としたことがあった。まさか彼自身の黄泉への旅立ちがこんなに早いとは思いもしなかった。
15:56 from FC2 Blog Notify
フリースクールからの高校進学ー不登校支援施設の見分け方(1) http://t.co/dTlFrYla
by ganbarujan on Twitter
ジョブズ氏に哀悼。2年前、私たちの卒業式のスピーチで彼の生きざまとその言葉《Stay hungry stay foolish!》を紹介し、新たな人生航へ羽ばたく子ども達への餞の言葉としたことがあった。まさか彼自身の黄泉への旅立ちがこんなに早いとは思いもしなかった。
15:56 from FC2 Blog Notify
フリースクールからの高校進学ー不登校支援施設の見分け方(1) http://t.co/dTlFrYla
by ganbarujan on Twitter