タモリと赤塚弔辞…タモリ一流のギャグかも
2008年8月7日、タモリこと森田一義は赤塚不二夫の葬儀で弔辞を読んだ。手には白い紙を持ち、時折それで確認するような仕草をしながら、約8分間の弔辞を読んだ。赤塚不二夫とタモリとの出会い、タモリの今があるのも赤塚のお陰であること、その人柄などが語られ、最後に「私もあなたの数多くの作品の一つです」という言葉で結んだ。
感動的な弔辞であった。
ところが、タモリが手にしていた弔辞は実は白紙であり、あの弔辞は原稿なしの全くのアドリブであったのだとか。実は、前の晩にタモリは酒を飲み、原稿を書くのが面倒になり、結局アドリブでやることになったのだとか。ギャグを生きた赤塚の葬儀にはそれでも良かろうという思いもあったようだ。
だが、この場合、タモリの言葉を額面通りに受け取らない方がいいだろう。これもまた、タモリ一流のギャグなのではないか。彼は敢えて白紙で臨んだのだと考えた方がいい。 タモリの「笑っていいとも」は連続放映記録を塗り替えているとのことだが、これも偶然でも奇跡でも何でもあるまい。彼の才能の賜物であろう。
かつてタモリが芸能の世界に登場して来たとき、その多彩な才能に驚いたものである。だが、彼は年輪を深めると共にその爪をひけらかすのを控えるようになった。「笑っていいとも」の最長不倒さはそこにある。だが、それは決して単に若者におもねているというわけではない。タモリはやはりタモリである。
彼が読んだ弔辞の中で、私が特に惹かれた一節がある。
「あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一語で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。」
ここに共鳴する二つの魂がある。見出した魂と見出された魂と。互いに照らし合い、共に相手を認める共鳴体がなければ出来ないことである。ならば、これは赤塚不二夫への言葉であると同時に、またタモリ自身の思いでもあるのだ。そういう共鳴体を持ったもの同士は幸いである。
それとこれは余談だが、本音で語ろうとするときにはかえって原稿がない方が話しやすいということもある。国会での所信表明演説でも述べるならカキンなくまとめるために原稿が絶対に必要だが、逆に言えばそれでは真情は吐露しにくいのだ。
私のアホな経験から言うのだが、原稿から顔を上げて話していて再び原稿に戻ったら、原稿のどの箇所まで喋ったのか分からなくなり、その後は原稿なしで通したという経験がある。それからというもの、私は喋る前には原稿を持たず、状況によってどうにでも展開できるようにメモだけを用意して、原稿が必要な場合には喋ったことをもとに後から原稿を起こすようにした。当意即妙とでもいうのか、その方がその場の雰囲気に合わせて自在に語れるのである。
タモリの場合も、もしかしたらそういうことなのかもしれないと思った。そういう意味では、彼は出来合いの言葉で弔辞を読みたくなかったし、その場での心情のままに自分を語ろうとしたための確信犯的行為なのだと言えなくもない。ただし、メモもなくよどみなくあそこまで語れるとは流石にタモリさんである。白紙の弔辞を持って臨んだタモリにそんなことを感じた。