タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

山陽道を歩く・・鯉が窪湿原と井倉洞(岡山県)

2017年08月24日 | 山陽道を歩く

鯉が窪湿原と井倉洞(岡山県)  2017・8

鯉が窪湿原は岡山の秘境「西の尾瀬」と紹介されていたので期待した

中国道を新見ICで降りて国道182を西へ行くと道の駅「鯉が窪」がある
ここでトイレ休憩の後湿原に向かう

鯉が窪池は江戸時代に灌漑用とため池として築造 その周辺に湿原が広がっている

    

大阪は35度の暑さだが池周辺は涼しかった

   

池一面に広がる水草は「ジュンサイ」。 TVで収穫の様子を見たことあるが本物を見たのは初めてだ
水がきれいな所に生息するそうだ この池も青空を写して澄んでいた

   

湿原はを見ながら池周辺を歩くが、あまり整備されてなくて耕作放置地の様だった

   

 大陸と陸続きだった頃の太古の残留植物があるそうだ
私は野草には詳しくないから判らないが、可愛い花が咲いていた

    

   

 

井倉洞はパンフで見て秋芳洞と同じだと想像したが違っていた

高梁川の対岸は大岩がそそり立つ 橋を渡りその横の小さな穴が入口

クリック

  

中は狭く細い道を登っていく、足元は水があり、岩が出っ張り頭を打ちそうになる
あちこち気を遣いながら周囲の奇石の形をみた

  

「地軸の滝」は見上げる遥か上から水が落ちていた
この上にの鍾乳洞があり鉄骨の階段が作られていて、息を切らしながら登る

垂直な鍾乳石が多い

    

登り切った所で見えない滝の音を聞いて終り
ここからは作られた坑道を300m下って行く 横冷たい水が流れている

  

地上に戻ってきたら外は暑かった

おわり


山陽道を歩く・・⑨山口・・和気藤公園・・防府阿弥陀寺

2017年05月21日 | 山陽道を歩く

防府 阿弥陀寺 アジサイ祭り (2017.6)

東大寺別院 周防阿弥陀寺は大平山の麓にある
アジサイが有名で6月はアジサイ祭りを開催中

 藁ぶきの仁王門 だけど仁王は居なかった

湯屋 石風呂
湯屋は鎌倉時代の古い様式が残る

石風呂は現在も月一回の開催をしているそうだ
窯を炊いた後、砂を敷いて筵の上に着衣のまま寝るという蒸し風呂という

  

「観音橋」石橋の横もアジサイの花

 

坂の石段を上ると本殿がある
本殿の上に沢山の板絵 物語が読めないのが残念

  

奥へ進むと「瓦投げ」 素焼きの小皿に願いを書いて、下にある円の中に通ると叶うそうだ

  

開山堂

水かけ五大尊

アジサイ寺というから、花いっぱいのアジサイを期待していたが
この阿弥陀寺では種類を多く集めているようだった


 山陽道を歩く・・和気藤公園 (2017.4)

 新緑の山陽道を走り 和気の藤公園に行くツアーに参加した

 バスは和気ICで高速道を下りて和気神社へ
奈良時代の人物、和気清麻呂を祭る神社 神社の前に清麻呂像が建つ
この像は奈良の橿原神宮に奉納された朝倉文夫作の像を生誕1250年を記念して和気神社に移されたもの
神社を守る狛犬は「いのしし

   

 本殿

   

 神社の横にある藤公園の花は2~3分咲き、その為に入場料は無料だった

   

 この公園は国内の藤を収集しているので、変わった藤が沢山あった

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 固まって咲く藤、ピンクの藤を私は初めて見た

  

山藤も咲いていた

昼食は 和気鵜飼谷温泉の大広間で頂く
ここは温泉もあり、宿泊も出来る施設である
  

次の見学は吉井川を渡り「ヤクルト岡山工場」
ヤクルト液をボトルに詰める工場
ほとんど無人に機械化されたな見事な流れ作業工程を見るが写真は禁止

 試飲しながら 説明のビデオを見た後見学した

   

 備前市の海の駅に寄ってツアーは終了
いつも通りに西宮で渋滞 帰宅は予定より遅かった 

  

天気が良くて新緑を楽しんだバス旅だった

おわり

 


 

 山陽道を歩く・・⑨山口  (2017.5)

歩きも9回目で顔ぶれが決まってきた23名で、1泊2日旅

1日目
今回も新幹線で新山口駅へ 山頭火の像が迎えてくれる

  

バスに乗り下松市 「花岡」へ

長州藩の「勘場跡」 出先機関の役目で5か所あったそうだ
  

花岡福徳稲荷は「キツネ嫁入り祭り」の奇祭で有名だ

  

祭りの様子の人形があった

 

旧家の酒屋もある

花岡八幡宮は和銅2年(709)に宇佐八幡から勧請された歴史の古い神社
長い石段を登る

  

仁王門の天井には馬の絵が描かれていた

  

多宝塔も本殿も屋根の反りがシャープで美しい
藤原鎌足が建てたとある 

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周南市の山陽道は商店街になっていた

  

ここで昼食 御膳に煮魚が付く、ランチには重すぎたがこの魚が美味しかった

  

山崎八幡宮の参道は変わっている 正面が芝生の坂で階段とスロープは両サイドにある

   

この坂は「本山神事」が行われるためだそうだ
かずらのつるで毎年組み立てられた山車を引き上げた後、この坂から突き落とすと言う

   

参道は坂から海へまっすぐに伸びているが、昔はすぐ前が海だったそうだ

 

神社の内には枯山水の庭があり 大木があった
灯籠と共に航海の目標になった筈である

   

旧街道を歩く 昭和の雰囲気が続くが新しく建て替えた家が多い 代が替れば街道も変わっていく
篤姫が泊まったという本陣は門だけは残されていた

   

この辺りの町の名は「御姫町」という

バスに乗り「富海」に向かう
街道に重要文化財の旧家が残り、富海宿の門だけあった 

  

富海もまた海沿いの山陽道 
道路から少し海側に「飛船問屋」の船蔵が残る

   

道沿いに海からの石段も残る

  

長州ファイブの伊藤博文と井上馨が日本の政変を聞いてロンドンから帰り
ここに上陸したという 

 

富海の海からは国東半島が薄く見える 手前の島影は姫島

  

これで1日目は終了 防府にホテルに泊まる

歩行距離  13,800歩

 2日目
防府は種田山頭火の生誕地でもある。 生家が整備されていた

 

路地を歩く道を「山頭火の小道」と名付けている

  

山頭火の資料館が新しく建設中で今年10月に開館と言う
防府市は周辺を観光地として整備しているようだ

「宮市本陣」は門だけ残り 跡は荒れ地になっていた ここも整備されるのだろうか?

  

防府天満宮は菅原道真を最初に祀ったお宮  2が宇佐八幡 3が北野八幡 だそうだ

  

春風楼は五重の塔の予定を楼閣に変更された建物
ここからの市内を見晴らせる

 

床下の木組みは塔の造りになって残る

 

望東尼は高杉晋作を擁護した歌人 二人が読み合った歌碑が立つ

    

小郡宿へバスで向う

小郡勘場跡は標識のみ残る

山陽道と山陰道の交差点の道標
  下関に行く道と石見に行く道が繋がる場所、昔は賑わっただろう

   

山陽道の街並みが残る道は短かった
  

本陣跡は駐車場になっている

新山口駅のグランドホテル地下で昼食
地下道にSLと山頭火の絵がタイルで描かれていた

   

昼食後は再びバスで宇部市の山中宿へ
すぐ横に新しい道路が出来て車が猛スピードで走る

熊野神社は伊東彦四郎入道が建立したそうだ 

 

中山を通る山陽道の街並みは新しかった 多分道路建設の保障があったのだろう

  

本陣めぐりは終了して観光の秋芳洞へ向かう

秋吉台の展望台で広いカルスト台地を眺める

  クリックで拡大

エレベーターで秋芳洞に下りて涼しい洞内を下る
私は何回目だろうと思いながら歩く ずいぶん整備されて観光用になった

黄金柱 と 傘尽くし

   

洞内富士 と 千枚皿
  

いつも思うが洞内の広さに比べて入口は狭い
商店街の土産屋によって終了

  

新山口駅から新幹線で大阪へ

2日目歩行距離  18,000歩


山陽道を歩く・・⑧広島~山口・・宮島弥山登山

2017年04月20日 | 山陽道を歩く

山陽道を歩く・・・宮島・弥山 (2017・5)

神の島と言われる宮島に何回か行ったことがあるが、いつも厳島神社周辺だけの観光だった
日本の御神体とされる山には必ず巨石の磐座がある
この宮島の弥山の巨石を見たいと思っていたのがやっと実現できた

 宮島口からフェリーで渡る JRフェリーの料金は鉄道一区間の料金往復¥360だった

  

宮島到着後は観光地を横目で見て、ロープウェーの表示の紅葉谷を歩く

   

  クリック

 紅葉谷入口から川沿いに整備された登山道を歩く

   

 2.2Kmは大したことないと思ったが登りばかりでかなりきつかった

 

 途中で逢った人たちの半分以上は外国人だった
太陽光での登山者カウント器が道沿いに設置されていた

   

 約1時間半で弥山神社に到着 拝殿の後ろに巨石がある

      

 でもここが頂上ではない 再び登ると道の前に巨石がごろごろとある
祠には不動像が祀られていた

 

   

 かなり登ってやっと頂上へ

 

 これが写真で紹介されている弥山の頂上  休憩所が作られトイレもあった
   

 持参の弁当を広げて海を見るが「黄砂」のひどい日で霞んでしか見えなかった

 下りは「大聖院コース」で降りる 石段が続く道だった
ここにもカウント器が設置されている

   

 昨年の大雨で土砂崩れ壊れた道は歩きやすく整備されていた

    

 下山の途中で厳島神社の全景が見下ろせた 引き潮で鳥居周辺に水がないのが見えたので、
私も是非海に下りてみたいと急ぎ足になる

  

 白糸の滝 瀧宮神社

   

 大聖院を後ろから見て、正門にまわるが中には入らなかった
宮島で最古の寺院だが寄らずに鳥居の方へ急ぐ

    

 潮はまだ引いていて 修学旅行生たちが写真を取り合っていた
私もこの海に下りたのは初体験で引き潮に時間に会えたのはラッキーだった

 

 水のない厳島神社 鳥居内での貝採りは禁止だが鳥居の外はOkとかで
潮狩りをしている人もいた

   

 弥山に登れた事、引き潮の鳥居に出会えた事、嬉しい実現だった
おわり  


 山陽道を歩く 
⑧広島~山口  (2017.4)

いいとこどりの山陽道歩き8回目は広島まで新幹線で行く

最初は宮島観光
バスで宮島口へ行き、JRのフェリーで島に渡る

 

わざわざ大回りをして鳥居に接近のサービス
宮島口駅にあった料金表を見ると運賃は¥180だった

 

案内人は昼食会場の店員さん 慣れた調子で案内してくれた
宮島の鹿はおとなしい 

  

海に浮かぶ御殿を歩く

  

 厳島神社の裏門に私の探す「尻上りの狛犬」がいた

  

昼食は牡蠣フライとアナゴ飯
もみじ饅頭の自動作成機は見ていて面白かった

  

食後は自由観光で 五重塔や満開桜を楽しんだ

  

フェリー広島へ戻り バス移動して前回続きの本宿歩きを開始する

御庄宿の本陣跡は空き地だった
 

多賀神社 本陣は無くなっても神社は地域で守られている

  

玖珂宿 ここも街道のみで本陣跡は判らなかった



菅原神社 大木の多い立派な神社だった
ここにも「尻上りの狛犬」あった 西日本に多いと聞いていたが本当だと思う

  

狭い農道を歩く これが明治前の山陽道だそうだ
この道沿いの畑に「刀工仁王清綱屋敷跡」標識がある
広大な屋敷で栄え、ここで造られた刀で近藤勇が処刑されとか

   

高森宿
高森町は本陣を整備していた 公的な支援がないと保存は難しいのだと思う

  

この高森に宇野千代の碑がある 
本家が造り酒屋だったそうで、屋敷があったという広い空地と立派長屋が残っていた 

    

高森天満宮もピンクのきれいな神社だった

  

今夜のホテル湯田温泉 フグ刺しの夕食の後、温泉を楽しむ

  

1日目歩行距離  15,200歩

2日目は瑠璃光寺へ 大内時代の檜皮葺の華麗な五重塔を見る

近くの毛利家の墓の石畳は手をたたくと響く うぐいす張りである
白い部分で手を打つと本当に響いた

 

バスで再び岩国へ戻り 錦帯橋を観光 山の上に岩国城が見える

  

堤防の桜がきれいでここでも桜をたのしむ

橋のたもとにある臥龍の松は岩国武士の意地の証

   

佐々木小次郎の燕返しを練習した柳の木が残る

  

橋を渡ると吉香公園が広がる ここで自由散策



私は以前、白蛇も岩国城も見たので、今回は岩国美術館へ行く
展示内容は「戦国の重宝」 見やすい充実した展示を楽しんだ

昼食は岩国国際観光ホテルで「岩国寿司」蓮根煮物  

   

以前の山口、岩国、美祢の記録  ご参考までに
 http://blog.goo.ne.jp/goorosy/e/69179902ecb3c8cdc87f5fd16f080fec

 

バスは西に向かい、昨日の続きの本陣めぐりを開始する

「今市宿」
本陣は今は空き地で地元の集会所になっていた
今は周南市になっているが熊毛町はナベツルの渡りで有名なところ

 

「呼坂宿」
本陣は立派に残っていた 

   

この山陽道に「吉田松陰と中島忠三郎決別の地」碑がある
松陰が江戸に送られる時に、弟子の忠三郎が師と無言の別れをしたそうだ

 

西善寺は立派な門のある浄土真宗のお寺

   

お寺に比べて地元の由加社は素朴で味わい深い

  

最後は「久保市宿」
旧道を登って視界が広がった所に祠は残るだけだった
 

  

バスは新山口駅へ 新幹線で帰る
山口駅の南北の通路は壁に緑が植えられている

 

2日目歩行距離  12,000歩 


山陽道を歩く・・⑦福山~広島~関戸

2017年03月20日 | 山陽道を歩く

山陽道を歩く 
⑦福山~広島~関戸  (2017.3)

いいとこどりの山陽歩きは今回からJR新幹線で移動。 1泊2日のハイキング
福山駅で下車からスタート

福山城は新幹線福山駅のすぐ前にある(昔の内堀あたり)
場内は資料館 天守閣からの見晴らしは素晴らしい

   

城から新幹線駅を見る

 

バスに乗り前回の尾道を越えて三原市の本郷町 本郷宿へ

旧街道沿いの「恵比寿神社」を見る
沼田川沿いだったこの神社 鯛の形の手洗い 鯛の扁額が恵比寿神社らしい

  

  

同じ通りにある昔からのお醤油屋の由緒ある屋敷の入口の扉が凄かった
板戸を綱で引き上げる方式 昔の人の工夫を初めてみた
「御先祖さんの家を守るのが私の役目と思う」と言って年配の奥さんが開閉して見せてくれた

    

 紐で大板戸を引き上げる

 

広島の酒で有名な西条市へ

 ここで昼食「美酒鍋定食」食後、酒蔵周辺を散策
 酒名が書かれた赤レンガの煙突が建ち、建物は白の漆喰が塗られ町が観光用になっていた

西条廿日市本陣「御茶屋跡」

 

  

賀茂鶴酒造でビデオ見学、話を聞き、試飲するが
この後大山越えのハイキングなので飲みすぎないようにと
注意された

   

 

「大山越え」

これが本当に旧山陽道かと思う山道だった
江戸時代は2間幅(3.6m)の整備された街道で大名行列も通ったという
今は放置されて雑木林になったハイキングコース

  

次は「海田宿」 
海田恵比寿神社 昔は栄えた土地らしいが今は民家で標識のみだった

   

本陣、脇本陣あった所は案内板のみだが道路沿いで狭いのに車が多く 添乗員はハラハラしていた
 

これで1日目は終わり  14,700歩

 

宿泊の広島のホテルへ
県庁前のリーガロイヤルホテル泊  ハイキングでこんな立派な宿に驚く
17階でバスセンターが見下ろせた

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2日目はホテルから歩いて平和公園へ

資料館を見学する、原爆の被害の展示に言葉なく考え込んでしまう

  

   

オバマ大統領の写真と折鶴も展示されていた

  

原爆ドームを後ろから撮る 近くに来たのは初めてで当時はずいぶん立派な産業館だったと思う

広島城へ

入口近くの「ゆうかり」は被爆後も生き残った樹
被爆当時は幹だけだったが根元からヒコバエが生えて70年でこの大木になったとボランティアさんが写真を見せてくれた 
この園内には他にも被爆木が生きている

  

「広島護国神社」は原爆投下で犠牲になった動員学徒、女子挺身隊を祀る神社
ここに私の探す「尻上りの狛犬」があった 新しい神社なのに珍しい

     

一番奥に広島城 この中も資料館だった 天守から町が見下ろせる

 天守からの展望

 

バスに乗り廿日市へ ここでは天満宮を見る
天満宮はコンクリートの山の上にあった 階段の登って行く

この神社にも「尻上りの狛犬」があった こちらは苔むして古い
一度の旅行で2体も出会えたのは不思議だ

     

玖玻宿へ 
玖玻峠越えの道はトンネルが掘られて使われなくなり自然の藪に戻った
旧街道のトンネルを歩く 昭和の街並みへ

   

ここに残るのは高札場跡と角屋の釣井
昔は本陣があり栄えたという

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最後は岩国市の「関戸宿」 錦帯橋のある錦川沿いの宿
山陽高速道に3,300mの関戸トンネルがある この山を峠越えした昔は大変だったと思う

  

吉田松陰が安政の大獄で江戸に護送されるときにこの本陣に泊まったという
本陣跡の奥には子孫の民家があったが道路沿いは草地で土塀が崩れていた

山側に「客神社」(まろうど)がある

   

これで2日目終了

広島駅から新幹線 待ち時間で各自夕食 
私はお好み焼き店を探して広島焼を食べるが大阪焼の方が口に合ってると思った

  

2日目 19,000歩 


山陽道を歩く・・⑥岡山~三原

2017年02月12日 | 山陽道を歩く

山陽道を歩く 
⑥岡山~三原  (2017.2)

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⑤赤穂~和気~岡山が日程が合わず参加できなかったのが残念
⑥からは1泊二日のバスツアーである
参加者22名 初回から皆勤の人が多かった

備中国分寺が最初の場所 五重の塔が田園の中に立つ
塔の庇に干支の彫られていた

  

寒波襲来の寒い日 境内で赤米の甘酒が暖かく美味しかった

川辺宿  本陣跡の石柱が残る 

  

艮(うしとら)神社 
こんな文字を初めて見た 北東の方向(鬼門)を守るそうだ

 

白壁、丸瓦の立派な家並みが保存される

  

昼食は矢掛け宿の古民家レストランにて

  

食後は矢掛脇本陣を地元の人の説明で見学
島津の篤姫もここに泊まったそうだ 立派な造りだった

  

 

この宿場は京都のように間口は狭いが奥が深い家の造り
陣屋のほかに本業は酒作り 奥に酒蔵があり、見ごたえある家だった

 

七日市宿は石碑のみ

 

井原市 武速神社 奥殿基礎の石垣の緻密な組み上げは見事だった

 

夕方になり寒い 高屋宿跡を見た後は夕食を摂り
泊まりは福山市のビジネスホテル 

  

 一日目歩行距離  12,000歩

二日目の朝は凍っていた 最初は天別豊姫神社
この鳥居は笠木の下の柱に輪が付いていた 珍しい


神社の急な階段を踏みしめながら登る
本殿横の見晴らしが良かった

 

神辺宿の本陣は残っていたが前を通るだけ

 

今津宿のアプローチは立派だが残っているのは入口門のみ
屋敷は石垣に囲まれて広かった 個人で維持は大変と思う

  

廉塾、管茶山旧宅 この地での塾跡

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バスは尾道へ

千光寺公園へロープウェーで登り、下りは自由行動で観光する

 

ここからの展望は写真でよく見る尾道の風景 晴れて良かった

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岩の多い文学の小道 俳句や短歌が石に刻まれる
多くの文学者が尾道を好んだことを知る

  

千光寺本殿から見下ろす

  

ここは奇岩が多いのに驚く

 

坂の町は狭いが車が通れないのが良い 生活はしんどいだろうと思うけど

  

絵葉書のような写真も撮れた

尾道の「艮神社」は、 門の上をロープウェーが通る 境内のクスノキの大木が凄い

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旧街道が商店街になっている尾道の町を歩く
栄えたころの建物が残る

尾道と言えば「放浪記」の林芙美子 少女時代に住んだ家が資料館になっていた

  

旧商工会議所の建物は観光案内所になっていて、2Fの会議場も見ることが出来た

  

大浴場は喫茶店になっていた

  

昼食は海岸沿いの店で新鮮な刺身、手作りの豆腐 美味しかった

   

バスに乗り、三原へ 丁度お祭りの日で屋台が沢山出ている
三原ダルマが売られていた

 

小早川氏の三原城は現在、新幹線の駅になっている

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バスが待っていて、帰路へ 渋滞もなく予定より早く帰宅出来た

二日目歩行距離  17,000歩 


西国、山陽道を歩く・・①東寺~山崎 * ④姫路~龍野

2016年09月17日 | 山陽道を歩く

西国、山陽道を歩く  (2016.9~)

①東寺~山崎

京都から福岡の天神までを、いいとこどりで10回で歩くというシリーズの一回目に参加した
京都駅集合 25名の参加だった

街道歩きの地図を貰う
   クリック拡大

西国街道は京都から淀川の北側を歩く道で国道171と並行する
以前歩いた京街道は宇治川沿いの国道1号線と並行だった

東寺のの境内を通り抜けて、出発点の羅生門跡へ
昔はここから朱雀大通りが大極殿に向かっていたそうだ 今の御所の位置と違う

    

西高瀬川を渡る 小さな川なのに1級河川だそうだ

   

日向け地蔵を通り、桂川の土手に愛宕灯籠がある ここから愛宕山のコブが見えた

   

R171の久世橋は下をくぐって人と自転車はと歩道橋を通る

  

橋のたもとの「久世ニューリバー公園」で休憩 

JR線を越えて向日町駅へ 手この辺りは開発工事中 
工事発掘で平安より昔の遺跡が沢山出たそうだ

 

向日町市の西国街道の石碑は最近整備されて新しい 築榊講常夜灯がある
道路整備で石碑が集められている

   

西山高校の前を通り、須田住宅へ 明治まで醤油屋をしていた「松葉屋」 
京都府指定文化財だが非公開 ここは物集街道、丹波道の交差点だった 石碑がある

 

街道沿い(R67)にある古い建物は「富永屋」という宿屋 この街道は栄えていて伊能忠敬も宿泊した記録があるとか

向日神社 奥行きが深い 門前の岩に日蓮教の坊さんが座って説法をした説法石

    

石塔寺の前を通る 

この先の西国街道は観光用に整備されていた 竹のパネルが道路にある

   

一文橋 度々の洪水に架け替える為の費用として昔は有料だったそうだ 

  

長岡京に到着 駅前レストラン昼食 街道歩きは弁当でなく、店で食べれるのが嬉しい

  

 長岡京から山崎まで一駅JRに乗る 「良い所取り」とはこんな方法らしい
楽に山崎に到着
  

駅前の妙喜庵を外から見る 千利休が建てた国宝の茶室「待庵」があるそうだが、予約制で団体は不可
本当にお茶をする人しかダメらしい 和服姿の婦人が出てきたところに会う

離宮八幡宮 エゴマ油販売権で栄えた 油壷を抱えた「油租像」がある

  

 

関大明神社
山城と摂津の国境 今でも京都府と大山崎町の境でもある

  

大山崎町資料館を見学 このあたりの歴史を勉強した
千利休「待庵」の模型も展示されている 質素だけど凝った作りのたった二畳のお茶室

山崎駅で解散  4時間10km 歩数23,000歩 


山陽道を歩く 
④姫路~龍野  (2016.12)

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全行程を歩きたかったけど、②高槻~西宮 ③兵庫~加古川の2回は別用で参加できなかった
今回4回目の姫路~龍野に参加 16名のコンパクトなグループだった

姫路城に改装後初めて入場 さすがきれいだった

黒田官兵衛ゆかりの石垣 紅葉も残っていた

  

菱の門から入り 沢山の門をくぐり 天守閣の急な階段を登る
最上階から姫路の町を見下ろす

  

   

広場(本丸跡)からの見上げる白鷺城は素晴らしかったが人が多い 時間たつほど増える感じだ
以前来た時と見学の行程が違っていたのは、観光客の流れを工夫しているのだと思う

城の西側にある「好古園」 平成4年に武家屋敷跡に作られた日本庭園 私は初めて入るが良かった
それぞれの庭園の趣が異なり、もっと時間欲しいほどだった 花の時期に来たら楽しいだろう

 

   

歩きに戻り 外堀の場所に西国街道の本陣跡から旧街道を歩く

  

「いいとこどり」なのでバスで山田峠に行き、ポイントだけを歩く
黒田官兵衛が10倍の赤松軍と戦った場所だそうだ

    

山越えだったのが明治天皇の行幸の為に道が広げられたそうだ

   

峠を下りた所へバスが待っていて、昼食会場へ このシリーズは弁当ではなくレストラン食
姫路おでん、揖保にゅう麺の献立

 

太子町までバス移動 資料館を見る
なぜ太子町? 
ここ播磨の国は聖徳太子の時に法隆寺の荘園寺領だった この資料館で納得した

  

ここから国道2号線(山陽道)を歩くが交差点の名が「鵤」(いかるが)と言う
初めて見る漢字だ

斑鳩寺 こちらは奈良と同じ文字の寺で聖徳太子を祀る
三重塔は重要文化財

         

住職が宝生院を開き、説明案内をしてくれた
阿弥陀像に日光、月光菩薩、12神将 當麻寺と同じ菩薩練供養のお面があった

太子堂の中の「十六歳太子孝養像」も扉を開いて見せてくれて
植髪で着物をまとった立像を拝見する 絵では見たことあるが像は初めてで感激した

    

 次は揖保川を渡り 「正絛の渡し」の跡を見る

  

本陣跡は明治天皇行幸の碑の方が大きい

    

山陽道の古い町並みを歩き JR龍野駅へ

  

暗くなり最後の片島宿 本陣跡は石碑のみ

帰りのバスは西宮の渋滞にあって帰宅は遅かった

歩数 20,000