カテゴリー、日記です。
我が家のネコちゃんがデビューします。
フォトチャンネルがいいですか。
まず、こんにちは、わたしは誰か、とすでにフェースブックに出ました。
名前はビーです。
拾われたときに、ビービー泣いていましたから、Beeとなりました。
そのころ、ほんとに小さくて泣き声だけがおおきかったようです。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 767 は、すべては私に責めがある を、例題にしている。
誤りとするのは、責め の使い方にあり、責任がある と言えばよいと解説する。はて、何がいけないのか。
わたしに責任がある
わたしに責めがある
責め は、責任の意味がある というのだから、それを誤りだとするのは、おかしい。
この2つの表現で、何ら、誤りの表現を説明することはできない。
これは、わたしに責めを受けることがある、責められることである、と言っているのだから。 . . . 本文を読む
室生犀星と聞けば、純情小曲集の詩と、兄と妹の作品と、あとは、性に目覚めるころ。彼の文学記念館があるそうだ。その生い立ちは、いまからは考えにくい、波乱とも定めとも。故郷を思慕し続けたとも、その詩に歌うは 美しき川は流れたり そのほとりに我はすみぬ 春は春、なつはなつの 花つける堤に坐りて こまやけき本の情けと愛とを知りぬ いまもその川のながれ 美しき微風ととも 蒼き波たたへたり [犀川] 有名な詩に ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや
[小景異情ーその二]
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現代日本語「誤」百科 766 は、もしも地震が起きた時 身を守る家 を、例題にしている。誤りとするのは、ひとつは、もしも と、時 の結びつきについて、もうひとつは、身を守る家 の言い方にあるらしい。らしいというのは、まず、身を守る家 について、身を守ってくれる家 にするとよいそうだが、違いを説明する、その説明自体が、それがわからないからである。家が主語になって、身を守る家 は、家が自分を守ることになってしまう から、と説明して、この自分は家そのもの、つまり家自身と解釈しているようだ。この説明は、まったくおかしいと思う。地震から身を守る家のことだから、主語を家にして解釈して、身については、家自身なのか、自分自身つまり表現者を含むわたし自身のことか、このいずれであるか、解釈は自明のことだ。いつも思うことだが、この論法でいけば誤りだと解説するコラムは、日本語表現の誤りだとする自身の誤り、その説明の誤りを直さなければならないだろう。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 766 は、ぜいたく好きな日本人に一石を投じる を、例題にしている。正しくは、場所を表している表現なので、日本人の間に一石を投じる とすべきである、と解説をしている。慣用句、一石を投じる には、水面に当たる何らかの場所が必要だから というふうに説明をして、日本人では場所にならない とする。しかし、誤りだとするなら、この表現におかしさを感じることはないので、何がいけないのかわからない。つまり、慣用句を用いた表現法は、もともとその慣用句が持つ意味内容で文脈を理解するので、水面に一石を投じる行為は、そこに投げる目的を指す言い方でもある。多くの、この慣用句を用いた表現は、そのように表している。
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眼力、めぢから、と読む。視力、眼力、そしてガンリキだ。これも眼力と書く。ここに、めぢからとキーを打つと、目力と出る。DSに眼力トレーニングというゲームがあって、その監修者が書いた本だ。視力は3歳から6歳までの間に、その能力を完成させるそうだ。成人時の視力に6歳でなるのは驚きでもあるし、それ以後は、そうするとそれを維持するか、視力は変わらないか、悪くなるというようなことだから、いろいろ思い当たる。この著者はスポーツビジョンを研究する、そのトレーニングの実践指導をする医学博士だ。眼力を鍛えるという話で、とても面白い。動体視力を鍛えるということになるが、それだけではない。鍛えると10%、良くなるようだ。
眼力の鍛え方 (新潮新書) 2009年2月20日 石垣 尚男 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 659 は、今日は気候がいい を、例題にしている。この誤りは 気候 の語が表す時間長さを、今日 には使えないと解説する。今日が一日だけを指すから、その気象状態は、天気 を使うと言わなければならないとしている。天気 天候 気候 の使いわけを区別することがないと指摘するが、どのように決められているのだろう。そこで、今日の気候と言えば天気の良しあしを気候に照らして言い、今日の天候と言えばこの数日間か昨日や明日との関係で言い、今日の気象と言えば少し難しげに現象を語りだすということであろう。気候の場合には季節を合わせて考えることが普通だ。 . . . 本文を読む
ひらがな、カタカナ、読み方がたくさんある漢字、日本語って難しいデスヨネといわれて、日本人の母国語への誇りを感じていたのに、日本人の原点といえる、日本語の言葉や文字に対するプライドや意識が薄くなってきている!
日本人が世界に誇れる33のこと あさ出版 2012年5月22日 ルース・ジャーマン・白石
本書の特色は、日本人探求をする著者の視点にある。甘えあう関係を否定しない。甘え上手な日本人は、甘えを生かす組織の構造ができている。それを支えあう人間関係の大切さとして、日本人に向けて認識を求める。
そのうちの、part1 世界中の人たちに誇りたい日本人の気質に続く。
日本人の習慣について9つをあげる。part2 わたしが尊ぶ日本人の習慣
1 「安心感」というはかり知れない"恵み"
2 現金の「落し物」をポケットに入れない国
3 外国人は、日本を学ぶなら日本語を学ぶこと
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現代日本語「誤」百科 658 は、次へのステップアップにする を、例題にしている。
コラムが言う、この誤りは、ステップアップにする という言い方にあり、正しくは、ステップアップする または、ステップアップをする と、使うとよい、と、コラムは解説する。これは、その通りだ、動詞としての用法だからである。しかし、次のステップアップする、とか、次のステップアップをする、とか、言うかどうかが、問題にはなっていない。
その解説は、~にする を変化させること、変化の結果を表す場合に使うと説明するのだけれど、これについては、もう一つの用法をとらえていないところから、説明が異なる。
たとえば、行くことにする、食べることにする、などと使うと、予定または決定、あるいは、予定、決定することにかかわる意思としての用法が説明できる。
また、ステップアップは、向上すること、という意味であるから、例題が、次の向上することにする、と表現にしようとすると、その意味するところで、カタカナ語を用いて、次のステップアップにする と言うほうが表現しやすい。ステップアップをただ、向上 とだけ表すとすると、次の向上にする と言う表現になって、言いにくくなるというのは、その表現についての理由がある。
それは、ステップアップには向上することについてのカタカナ語としての意味があり、ステップアップしたステージが予想されるので、向上という漢語名詞と違って、ステップアップ後の意味表現となり、アップすることをとらえたカタカナ語の意味として使われているからである。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 657 は、リスクを過大評価する を、例題にしている。耳にすると、おや、首をひねる表現だ。目にすると、しばし考えてしまう。いずれもこの表現を聞いたり読んだりする場面や文脈があれば、この用語を、そうだと思うだろう。リスクは危険性を言う。評価するのはその危険な度合いを指す。それを過大にするということで、実際にはリスクが低いが、安全か安心のためにリスクを高くとって、設計なり、それを報告をするなりするわけだろう。コラムの説明は評価をとらえて、価値を高く判断する、過大評価となると、重要度が高いことを意味する、と言っている。この例題は、リスクの重要性を言うわけだから、過大評価でも過小評価でも、いずれでも言いうる。リスクを過大に見積もる、と言い換えると、リスクについての管理、それはまたマネジメント、アセスメントの評価をとらえることと、また異なる物言いである。 . . . 本文を読む