ひもとく 日本「誤」百科 というコラムに、日本語新百科をこしらえようとして、日本語はどうなっているかと、日本語百科を書いてしまいました。コラムの著者には解説を簡潔に書いていくという制約があるでしょう。ご苦労を思いつつ、このようなブログを書くきっかけをくださって感謝いたします。
現代日本語「誤」百科 766 は、もしも地震が起きた時 身を守る家 を、例題にしている。
誤りとするのは、ひとつは、もしも と、時 の結びつきについて、もうひとつは、身を守る家 の言い方にあるらしい。
らしいというのは、まず、身を守る家 について、身を守ってくれる家 にするとよいそうだが、違いを説明する、その説明自体が、それがわからないからである。
家が主語になって、身を守る家 は、家が自分を守ることになってしまう から、と説明して、この自分は家そのもの、つまり家自身と解釈しているようだ。
この説明は、まったくおかしいと思う。
地震から身を守る家のことだから、主語を家にして解釈して、身については、家自身なのか、自分自身つまり表現者を含むわたし自身のことか、このいずれであるか、解釈は自明のことだ。それを、身を守ってくれる とすれば、表現は、詳しくなって具体的にとらえるとわたし自身と分かるが、これはまた、解釈をせばめている。
いつも思うことだが、この論法でいけば誤りだと解説するコラムは、日本語表現の誤りだとする自身の誤り、その説明の誤りを直さなければならないだろう。
もしも について、次を比べてみると、どうか。
もしも地震が起こった時
もしも地震が起こったら
万一 地震が起こった時
この3つの表現の違いが説明できるかどうか、そのうえで、どれが正しいか、どれが正しくないか。どれも正しいのである、日本語の表現はどれも理解できるとするのが普通だ。
そして、そのあとに続く 身を守る家 という表現の整合性との関係についてはどうだろう。
もしも地震が起こった時 身を守る家
もしも地震が起こったら 身を守る家
万一 地震が起こったら 身を守ってくれる家
これは、2番目の表現の場合、聞くとすぐに、と たら れば の、条件法の説明から、恒常または仮定としてとらえることができるので、頑丈な作りのびくともしない家、もしくは、ゆらゆら揺れ動いても倒れないだけの家、場合によっては、この表現では、倒れない家だからそれで身を守るの意味か、と考えてしまう。
万一地震が起こったら 身を守ってくれる家
これを聞くと、そんな家は、どうすればできるのかと、かえって不安になるだろう。
もしも地震が起こった時、地震災害から身を守る家
この表現を日本語らしく簡潔な表現にしただけである。
現代日本語「誤」百科 766 は、もしも地震が起きた時 身を守る家 を、例題にしている。
誤りとするのは、ひとつは、もしも と、時 の結びつきについて、もうひとつは、身を守る家 の言い方にあるらしい。
らしいというのは、まず、身を守る家 について、身を守ってくれる家 にするとよいそうだが、違いを説明する、その説明自体が、それがわからないからである。
家が主語になって、身を守る家 は、家が自分を守ることになってしまう から、と説明して、この自分は家そのもの、つまり家自身と解釈しているようだ。
この説明は、まったくおかしいと思う。
地震から身を守る家のことだから、主語を家にして解釈して、身については、家自身なのか、自分自身つまり表現者を含むわたし自身のことか、このいずれであるか、解釈は自明のことだ。それを、身を守ってくれる とすれば、表現は、詳しくなって具体的にとらえるとわたし自身と分かるが、これはまた、解釈をせばめている。
いつも思うことだが、この論法でいけば誤りだと解説するコラムは、日本語表現の誤りだとする自身の誤り、その説明の誤りを直さなければならないだろう。
もしも について、次を比べてみると、どうか。
もしも地震が起こった時
もしも地震が起こったら
万一 地震が起こった時
この3つの表現の違いが説明できるかどうか、そのうえで、どれが正しいか、どれが正しくないか。どれも正しいのである、日本語の表現はどれも理解できるとするのが普通だ。
そして、そのあとに続く 身を守る家 という表現の整合性との関係についてはどうだろう。
もしも地震が起こった時 身を守る家
もしも地震が起こったら 身を守る家
万一 地震が起こったら 身を守ってくれる家
これは、2番目の表現の場合、聞くとすぐに、と たら れば の、条件法の説明から、恒常または仮定としてとらえることができるので、頑丈な作りのびくともしない家、もしくは、ゆらゆら揺れ動いても倒れないだけの家、場合によっては、この表現では、倒れない家だからそれで身を守るの意味か、と考えてしまう。
万一地震が起こったら 身を守ってくれる家
これを聞くと、そんな家は、どうすればできるのかと、かえって不安になるだろう。
もしも地震が起こった時、地震災害から身を守る家
この表現を日本語らしく簡潔な表現にしただけである。
いまもって災害から復興を願って日々暮らしている方がいるので、心よりお見舞いをもうします。
その方たちにとって、
地震が起きたら
地震が起きたとき
この二つの日本語の微妙なちがいによる言い分けは、とても大切だと思います。また
身を守ってくれる家は津波の被害が大きくて、そうならなかった思いを、
身を守る家
身を守ってくれる家
この二つにも日本語の微妙な意味が現れて、自分自身をどこにおくか、考えさせられますね。