言志耋録六二から 六五まで 善に遷り過を改む . . . 本文を読む
メディアの甚だしい偏向は、もりかけ問題から共謀罪の呼称でもって、世論をリードして政局がらみに見え始めた、その報道の自由の正体を明らかにした。新聞ニュース、テレビ報道に愛想をつかす国民が気づきだしたのである。なにが起こっていたかというよりも、なにを起こそうとしているのかを、新聞各紙にテレビのワイド番組に、SNSに加えての情報攪乱に人々が見向きもしなくなった結果、そこにあるのは憲法の改正でもなく、秘密保護法、組織犯罪取り締まりでもなく、民主、自民の政権の揺れからこのかた、日本国内にある見えざる物がじわじわと浮き彫りになってきた。軍隊のすることを、いちいちに知るべき権利があるとばかりに、大本営の発表は繰り返させまいという勢力が、そういう一方で、何を作り出そうとしているか、あるいは教育の根幹にかかわってまでも組織をまろうとする、そこにある既得権益が国のためでなく組織体のうちにある思想があって、それぞれに現れ出た、この17年代の転換には、この70年をさかのぼる、その10数年前の日本逼迫の再来である、その様相が現れている。 . . . 本文を読む
12年前の日記に、テロルの記事がある。
20050801 八朔
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葉月は、中国では月に生えると信じられていた桂の葉の月という意味とか、葉落ち月の約まったもの、とする説もある。
暦では8月7日立秋がすぐ、秋の季節到来を教える。
すると、季節のめぐりでは訪れを気配に感じて、日中の盛りを夏とおもわなかったのか、どう感じていたのだろう、やはり残りの暑さだった、そして野 . . . 本文を読む