易地思之の知恵、相手の立場になって考えてみたら合意点を見つけることができる、ということ。>もう一つの「易地思之」についてなのですが、韓国語では역지사지(ヨクチサジ)と表記され、日本語に翻訳されると「立場を変えて考えること」や「相手の身になって思うこと」といった意味になります。
要するに相手の立場に立って物事を考える事で問題を解決するという概念となるわけであり、韓国でもそのような意味で通ってはいるのですが、現実には韓国人が「相手の立場に立って考える」という事は殆どありません。
なぜなら、彼らは主観的正しさによって自らは絶対的に正しく正義であると考えているので、この「易地思之」という単語は実質「相手は常にこちらの身になって考え、こちらの事情を考慮しないといけない」という意味で使われるからです。
つまり実質的な易地思之の用法とは、「問題のある間違った側が、何の問題も無い正しい側の事情を考えを受け入れるべき」と言い換えることもできます。
勿論この「間違っている・正しい」の判断は彼らの主観によって全てが決まります。http://ch.nicovideo.jp/ooguchib/blomaga/ar853198 . . . 本文を読む
国語文法論を国語と、日本語文章論を日本語とするのは、国語は文法論で議論があり、日本語は文章論で議論するのがよいとする立場である。国語も日本語もわたしたちにとってのひとつの言語であるから、国語文法論を含めて日本語文章論とすることもできる。日本語文法文章論としての議論であるが、文法論が文を扱い、文章論が文章を扱うならば、同じ文法であって文と文章を取り上げてその範疇に議論をすることである。日本語文法単位体をもとにすれば、そのそれぞれの論には、形態論があり、語論があり、句論があり、節論があり、文論があり、段落論があり、文章論がある。この段落に文章を設定し文章論とすることで、文章作品の単位をとることができる。 . . . 本文を読む