読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

清めの塩

2007-03-17 21:39:22 | Weblog

昨日、弟の嫁のご母堂が逝去され、葬儀に行って来た。葬儀が済み斎場へ行きそこから葬儀場に戻ると清めの塩が準備されていた。まだこんな事をしているのかと思った。仏教では人の死を穢れたものとは考えない筈だ。まして浄土真宗では人は亡くなればあの阿弥陀経の描く浄土へ生まれ変わるとされる。人が亡くなれば寂しく悲しいが忌むべき事ではないのだ。その点、神道は逆で、神道では人の死を穢れたものと見る。その神道の影響が仏教に現れているのだ。墓石を作るのも本来仏教にはない考えなのだ。弟の嫁さんの話では院号を貰うのに寺から20万円を要求されたと言う。前日の通夜での導師の話も瑣末な事についての話ばかりで聞くべきものは無かった。歎異抄の原点に戻るべきだろうと思う。親鸞も驚くに違いない、親鸞の時代の仏法は葬儀とは何の関係も無かったし、自分の正信偈が葬式や法事で読まれようなどとは親鸞はつゆほども知らないのだ。