GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

2012年大晦日の実家周辺(住吉大社・住吉公園)

2012年12月31日 | Weblog

 実家がある粉浜商店街は、住吉大社の門前町として栄えた商店街。現在は兄が粉浜駅寄りで喫茶店<サンローズ>を営業しています。 近隣の店主の方々に挨拶しながら初詣客の準備で忙しい住吉大社へ向かいました。 300万人の初詣客は関西随一。 小学校の頃の最大の遊び場だった住吉大社、境内の地理は今でも明確に覚えています。

    

     

     

     

    

    

    

 私たちの初詣は数日後かな。何度訪れても懐かしい住吉公園を横切って初めてのラーメン専門に入りました。 讃岐釜揚げうどん「丸亀製麺」同様、店内にて製麺する方式は最近の流れ。 この流れを作ったのが<王将>でした。 私がいたファミリーレストラン業界はセントラルキッチンで殆どの食材を1次、2次加工済ませ、 各店に配送される方式でした。 <王将>もその方式を真似てカウンター内を見せない店舗展開を始めましたが、 店長を始め従業員の活力がなくなっていきました。 そんな状況下、現場からたたき上げてきた方が新社長となり、従来の厨房が一望できるオープンキッチン方式に戻し、 しかもセントラルキッチンを廃し店内でのプリパレーション(仕込み)方式を再導入しました。 これは時代の流れから逆行するかに思えた大きな賭だったはず。

 その決断は? 結果はオープンキッチンの為に店長や他のスタッフが活気を取り戻し、 店内はスタッフの元気な声がこだまするようになりました。お客様の反応は早かった。 これでこそ「王将!」という反響が全店に広がっていきました。 1店舗のすべてを管理する店長の裁量も基に戻しました。こうして店舗の活力を完全に取り戻しました。 これはパソコンやTVの組み立て行程の変更と似ています。 以前は各行程を数人かで別々に組み立てていましたが、一人がすべての組み立て行程を行う方が効率よく作られるとか。 各部だけを組み立てる場合と違って一人一人の達成感が違う、これが効率を上げたのです。 人間のやりがいや達成感は想像を超えた力を発揮する。 <王将>が取り戻した活力も同質のものだと思います。 時の流れはすべてに平等ですが、各産業では微妙な違いがあるようです。

    

    

 帰りはすぐそばの近商で今年最後のお買い物。大好きなミカンと<あまおう>イチゴ、剣先するめと夫婦で毎日食べるヨーグルトが半額セールだったのですぐにカゴに入れてしまいました。今年は風邪一つ引かず健康に過ごせました。

 来年もヨーグルトを食べて健康に過ごしたいと思っています。皆様の健康も祈っています!

 


「2012年、最後の親子将棋」

2012年12月31日 | Weblog

今年最後の親子将棋5番勝負。

父もマメ類が好きなので一緒に近商でビールとコーラを買い込みました。

好きな時代劇映画「たそがれ清衛兵」を見ながらの勝負でした。

私の4連勝ですが、5番勝負の決着ははなかなかつきませんでした。(写真を撮っている余裕はなかった)

  

なんと映画一本が終わる頃、ようやく父の大将を追い詰めることができました。   

「俺の5連勝だよ」というと父は「もう一番いくか!」と私をびっくりさせました。

2時間以上の白熱した勝負の後の言葉とは思えまなかったからです。

6番勝負は年明けとなりましたが、父は私の訪問をとても喜んでくれたと嬉しくなりました。

次回は宝物の中村錦之助(=萬屋錦之助)「宮本武蔵」のDVD(5本)持参を予定。

春の花見はどこにするかの話がはずみ、 息子が転勤した奈良を押しました。来年は積極的に父を連れ出そうと思っています。

     

帰りに実家近くの寺前にこんな俳句を発見し、少し驚きました。

1500人のデータを基にある学者が発表した長寿の秘訣の中で、最も重要な性格は「勤勉性」だそうですが、

続いて「慎重」「注意」「責任感」「礼節」「計画性」「ねばり強さ」「思慮深さ」だそうです。

父には母の分を含めて少しでも長生きして欲しいと思っています。

私の場合は上記の性格がどれも欠けているようなので、 長寿は難しそうだと諦めています。

さんまと親友の座右の銘ですが、

「生きてるだけ丸儲け」私もそんな気持ちになってきました。

皆様、除夜の鐘の音を聞きながら、良い年をお迎え下さい。


『誰が為に鐘は鳴るやと問うなかれ。それは汝の為に鳴るなれば 』


<光のフェスティバル>2012 12.24

2012年12月29日 | Weblog

2012年12月24日21:00。 

フェスィバルタワー13Fで開催された<光のフェスティバル>をデジカメでムービー録画しました。 

柱が何本もありスクリーンが寸断されて決して画像的にベターではありませんでしたが、 

夜景を背景にした映像は美しいと思いました。 

大阪の中之島に来て、観たかったけれど行けなかった方、5分間の映像をお楽しみ下さい!

 

●<光のフェスティバル>(youtubeへ)



「春を待ち」

2012年12月28日 | Weblog
<春を待ち>
歩き疲れて来た 名も知らない公園
はげた橋の上に いつのまにか 僕はいる
枯れ果てた木は 凍りついた水は
北風に吹かれて ゆれている
春を待ち 春を待ち
すべてを失って 春を待てというのか

霜の降りたベンチ どっかり僕はすわる 
朝のもやの中に 冬が去るのを見た
枯れ果てた木にも 凍り付いた水にも
新しい命が 宿ってる
春を待ち 春を待ち
すべてを失って 春を待てというのか 
春を待てというのか


 高校時代、15年も実家で飼っていた愛犬ハッピーが死んだときに作ったハッピーへの鎮魂歌です。私の初のオリジナルですが、大学時代この曲を4年間一緒に歌った今年亡くなりました。まだ58歳の若さでした。音源から聞こえる彼の声は永遠に私の脳裏から去ることはありません。この曲を青春の輝く時を一緒に過ごした無二の親友に捧げます。

●「春を待ち」(youtubeへ)


 今年もコメントをいただいた皆様、このブログに立ち寄っていただいた皆様、本当にありがとうございました。勇気づけられたこと、感動したこと、多々ございます。この場を借りて感謝とお礼申し上げます。

 私は過ぎて行った過去と向き合うことで今の自分、これからの自分を見いだすというスタンス、哲学?を持っています。歴史ドラマが大好きな所以です。感傷に浸りがちな私ですが、2013年も宜しくお願い申し上げます!そして良い年をお迎え下さい!

「草の輝くとき」

2012年12月27日 | Weblog
草の輝くとき 若き日の想い出
過ぎて行った思い出には楽しかった日々もあれば
思い出すと切なくて胸が締め付けられるものがある
そして それらが同時に迫ってくる思い出もある
私はこれらの思い出を持つことができたことを
心から喜びたいと思う
それこそが 先にこの世を去った友に報いる唯一のスタンスだと信じる
そんな時 脳裏にはいつもワーズワースのこの詩が浮かんでくる

 かっては草原も森も川も、
 大地とそのすべてが、
 天上の光につつまれ、
 夢幻世界の輝きと清新に
 飾られていた時があった。
 今はその昔とはこと変わり
 夜となく昼となく、
 見るところすべて、
 かっての光はもはや消え失せた。
 
 あの草原の輝きや草花の栄光が帰らなくても
 嘆くのは止そう
 残された物の中に力を見出すのだ
 かつてのあのまばゆい輝きが
 今や永遠に奪われても
 例え二度と戻らなくても
 
      
            (「頌歌―幼少の思い出に見る不滅の生命の啓示」」の一節)(加納秀夫訳)

●「Very Last Day」(youtubeへ)


●「The Best Of My Love」(youtubeへ)


大学4年生時代の最後のコンサートを当時のスナップ写真を添えて、
千葉の親友がYoutubeにアップしてくれました。
眞人くん、改めてありがとうと心から感謝の意を表します。

「2012 二人だけの忘年会」

2012年12月25日 | Weblog

 結婚して31年、一人息子もようやく巣立ちしましたが、 今年ほど様々な出来事があった年はありません。 1977年に就職して35年間、会社人として自分なりに責務を全う出来たと思っています。 父親としてはどうだったのか、その答えはまだ先になるでしょうが、 ここまで大過なくやってこられたのも連れ添ってきた家内のおかげだと、ただただ感謝しています。 その感謝の気持ちの一つとして、クリスマス・イブということもあり、 帽子好きの私が彼女に帽子を一つプレゼントしました。 昔の仕事仲間で病み上がりのT料理長の肉料理店で逆・快気祝いをし、二人だけの忘年会をした次第です。 プレゼントした帽子をさっそくかぶってもらい、本日のスケジュールがスタートしました。

 まずは、先日オープンした<プーマストア>を訪問 入口の2匹のプーマ、きっと日本人は、特に関西人は「招き猫」を思い出すに違いありません。 その店頭でシベリアンハスキーを発見し、犬大好き人間の私はすぐに頭を撫でに行っちゃいました。 大丸で・逆・快気祝いを購入し、心斎橋にくれば90%立ち寄ってしまう「三木楽器店」に入り、 今夜は少し高めのマーチン弦セットを仕入れました。

    

     

    

     

 さて次は、今夜のメイン肉料理とワイン「遊山」-YUZAN-南船場店。店内は6月の時とは大違い、全テーブルの7割が埋まっておりとても忙しそうでした。 にも関わらず人のいいT料理長は挨拶に顔を出してくれました。 メニューは今回も料理長任せ。写真を見て値段を想像して下さい。 (今回も安くしてくれました) 仲間のゲンさんも忙しいのに顔を出してくれました。 「また麻雀しましょう!」と嬉しい言葉をかけてくれました。 同じ賄い飯を食べた仲間達の健康と今後の将来に幸あれを心から祈ります。

    

    

    

 さて、最後のスケジュールは「フェスティバルタワー13階・光のフェスティバル」。 実は新聞記事を読んでとても楽しみにしていたのですが、美しさはイマイチでした。 しかし、このフェスティバルホール1階で信じられない再会がありました。 阪神電鉄・元副社長の西澤氏と氏のファミリーとばったり出会ったのです。 私が1990年に入社した時、氏はビル経営部の部長をされていて、 何度も麻雀に誘っていただいたり、ビル経営部主宰のゴルフコンペで私が優勝したときも、 氏から優勝カップをいただいた思い出があります。 一番思い出深いのは、今のハービスがある場所にビル経営部が管理しているビルがあり、部もそのビル内に入っていた時のことです。 東京出張時のららぽーとSCの研修レポートを提出しに行ったとき、優秀な女性社員をおもいっきり叱っている場面に遭遇したのです。 いつもはこやかな氏ですが、周囲の社員も驚くほどの厳しい声でした。 彼女は泣き顔になっていました。しかし、その内容はとても温かく激励の言葉が散りばめられていました。そんな氏の叱り方に私は心底感動したのです。彼女もそれをしっかりと受け止めている様子でした。  

 西澤氏は私がビル経営部から出張していた阪神エステート・サービス(株)(現在は阪神不動産に吸収)の役員もされていた関係で何度も顔を合わせていましたが、あんなに厳しくてしかも豪放かつ温厚な方とは気づきませんでした。入社して私が船井総研と調査し阪神本線の高架下SCにカウンターしゃぶしゃぶの店オープンしたときも非常に喜んでくださいました。阪神エステート・サービス(株)の設立以来直営部の赤字が続いていましたが、その新店のおかげで黒字化に成功したからです。その後、尼崎に高級割烹店をオープンしたときも駆けつけて下さいました。その時、こんなことがありました。ご夫婦でのお食事の後、支払いをクレジッドカードを出された時のことです。私が胸からボールペンを出して手渡すとサインされた後、一言「お疲れさま、新規オープンは大変ですが、身体に気をつけて下さい。もう少し滑らかなボールペンを使うように…」と囁かれました。優しい言葉でしたが、しっかり叱られました。

 こんなこともありました。阪神大震災後、三宮駅の小さな喫茶店の再建に夢中になっていたときのことです。突然店内に入って来られてコーヒーを飲んだ後、「西岡君、ネクタイをプレゼントするよ、ついてきなさい」と、こやかに命令されました。そのまま一緒に「さんちか」のネクタイ売り場まで行き、私の好みを聞くでもなく、氏は自分で選んだネクタイをプレゼントして下さいました。「ありがとうございました!」と私は唖然としながらお礼を言うのがやっとでした。今まで男性からネクタイをプレゼントされたのは西澤氏以外にありません。きっと今後もないでしょう。私の生涯で最も尊敬できる、そして豪放でしかも心に温かい風を送ってくれる方です。

 阪神が西梅田に1,200億かけてHERBIS ハービスをオープンしたので、連れ添いと見物に出かけたときも、今夜のように偶然出会いました。あの時はネクタイのお礼を言って氏とはすぐに別れましたが、私はそのあと何故かハービスで高価なネクタイを2本も購入してしまいました。その2本のネクタイはその後大のお気に入りとなり、使用しすぎてボロボロになってしまいました。今もネクタイのガラの記憶だけが残っています。今日という日に、こんな場所でこんな時間に会える確率はまさに奇跡的です。氏とのとても不思議な縁を感じずにはいられません。きっと何か意味ある再会ではないかと私は感じ初めています。今の私にはそれが何なのかわかりませせんが… ただただ氏のご健康を祈るだけです。  

     

     

    

    

 中之島からの帰りは車内から御堂筋のクリスマスイルミネーションを堪能しました。定年退職した年の二人だけのクリスマス・イブ忘年会は、同じ賄い飯を食べたリゾの仲間二人と再会し、そして阪神での恩師でもある西澤氏と奇跡的な再会もあり、本当に今年を象徴するかのような充実した一日となりました。

    

    

     

 フロントガラスから見えては過ぎ去っていく

 クリスマスイルミネーションを眺めながらこんなことを思った

 時が過ぎていつか思い出深い今夜を思い出すに違いない

 私を支えてくれた人たちのことを

 そして私の運の良さを改めて感謝するだろうと  


「予定がなくても至高の時」

2012年12月23日 | Weblog

 何も予定がない日は、朝からたっぷり時間をかけて新聞を読む。定年退職後の新たな習慣になりつつある。読んでいると落としたてのコーヒーや暖かいロイヤルミルクティが、トーストや小さなパンを添えて私の書斎の机に届けられる。連れ添いと一緒になって31年を過ぎたが、こんな優雅な時間は今年の4月までなかった時間だ。新聞を読みながら気になる記事を書き留めたり、切り取ったり、今日はデジカメで記事を撮り、<23日記事>としてPCのドキュメントに保管した。

 時として新たな予定が決まることもある。明日の24日のクリスマスイブには二人だけの忘年会予約を入れているが、先ほどその前後スケジュールの追加を連れ添いに伝えた。あいらんど大先輩が何度も語っている「心斎橋プーマストアの訪問」、そしてメインの「肉料理&ワインYUZAN南船場店」での忘年会、帰りに今日の新聞で知ったフェスティバルタワー13階のスカイロビーで開催されている「映像ショー見物」(25日までの18:00~21:00)という盛りだくさん?の予定だ。 

     

 YUZAN南船場店のT料理長は1998年以来の友人だ。私が最後の支配人をしたフランス&イタリンアン料理店の料理長で、何度もゴルフや麻雀したかけがえのない戦友と云える。彼はかなりの巨漢で、そのためか心臓病をかかえている。先日その手術をしたばかり。しかも手術後ほんの2,3日でもう現場に立っているという勇者でもある。厨房に立ち続けることが彼の生き甲斐だ。明日は忘年会と逆・快気祝いを兼ねた日になる。北新地にあったYUZANも含めると彼の店に行くのは今回で4度目かな。毎回普通の焼き肉店では食べられないさまざまな至高の肉を、凝った調理法で、斬新な食べ方で、幾つかの好みに合ったソースで食べさせてくれる。彼の友人でもある「あまから手帖」の編集長ぞっこんのお店だ。皆様にも自信を持ってご紹介できる。

        

 この写真は今年の6月に「肉料理とワインYUZAN南船場店」を訪れた時のものだ。背の高いイケメン男性はT料理長の愛弟子で、私と何度も麻雀した仕事仲間でもあるゲンさん。彼等を部下だったと一度も思ったことはない。仕事仲間、言い換えれば同じ釜の飯を食べた戦友と思っている。ただ彼等を守り切れなった後悔の念が個人的に私の胸に重たく残っているが、写真に写る二人の笑顔は、その想いを拭い去って余りあるものがある。今は一緒に働けたことを感謝したい気持ちで一杯だ

●http://www.a-nest.co.jp/yuzan-senba.html


映画「レ・ミゼラブル」

2012年12月21日 | Weblog

 珍しく「観たい!」と連れ添いが云うので、映画「レ・ミゼラブル」を観てきました。世界中で愛され続ける空前の大ヒット・ミュージカルを、豪華キャストを起用し圧倒的なスケールでスクリーンへと昇華させたミュージカル超大作、これが宣伝文句ですが、本当にその通りの超力作でした。

        

 ジャン・バルジャンを演じたのは芸達者なヒュー・ジャックマン。ようやく豊かな技量を発揮できる映画に出会えたな、そう感じました。一番驚いたのはアン・ハサウェイ。先日wowowで映画「ラブ&ドラッグ」(2010)で美しい彼女を観たばかり。しかも、美しすぎる彼女の乳房が脳裏に残っていただけに、今回の汚れ役には本当に驚きました。長い髪を実際に切られるシーンもあり短髪になった彼女は、まさしく『悲惨な人々』(レ・ミゼラブル)の代表でした。そして、見事にその役を熱演していました。<一皮むけた>そんな感じです。

         

 ブルドック似のジャヴェール警部を演じたラッセル・クロウ、歌声にも驚かされました(結構上手い)が、彼の代表作の一つになるくらいの名演を魅せてくれます。(今後も冷血な悪役が回ってくるのでは…)
 監督のドビー・フーパー、前作の映画「英国王のスピーチ」ではアカデミー作品賞と監督賞に輝き、この映画に於いてもその手腕を遺憾なく発揮しました。(拍手、パチパチ!)

 19世紀初頭のパリの汚い下町の臭いがまるで画面から臭ってくるような映画でした。映画「パフューム」も醜悪な臭いが漂ってくるような映画でしたが、当時パリのような大都会でもまだまだインフラが整備されていなかったのでしょう。19世紀後半、英国から始まった産業革命によって世界中の大都市から一気にインフラ設備が充実していきましたが、文明の進歩とはライフラインの整備に代表されているかもしれませんね。

 とにかく映画「レ・ミゼラブル」は、ミュージカル嫌いの男性陣が高い入場料を払っても、決して後悔しない上質な映画です。クリスマスの時期にぴったりかもしれませんよ。

 今年はもう一本観なくてはならないシリーズ物の最終話があります。12/28公開の映画「トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part 2」です。前作の「Part 1」ではもったいぶってジリジリさせられましたが、最終話では小気味いい展開を期待したいと思っています。


「2012GOODLUCK感動の映画賞、発表!」

2012年12月18日 | Weblog

この28本が今年映画館で見た映画です。

1)哀しき野獣
2)マイウェイ 12,000キロの真実
3) 白夜行(韓国版)
4)J・エドガー
5)ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
6)ミレニアム ドラゴンタトゥーの女(ハリウッド版)
7)ドライブ
8)BRAVE HARTS 海猿
9)リンカーン弁護士
10)ヘルター・スケルター
11)ダークナイト・ライジング
12)トータル・リコール
13)アベンジャーズ
14)プロメテウス
15)依頼人
16)The Grey 凍える太陽
17)デンジェラス・ラン
18)るろうに剣心
19)コロンビアーナ
20)天地明察
21)踊る大捜査線FINAL新たなる希望
22)ボーン・レガシー
23)エクスペンダブルス2
24)アルゴ
25)のぼうの城
26)黄金を抱いて翔べ
27)人生の特等席
28)007スカイフォール

【発表!2012年 グッドラック感動の映画賞】

               
☆最優秀作品賞       「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

                     

★オリジナルストーリー賞   「マイウェイ 12,000キロの真実」

★アクション賞        「ワイルド・スピード MEGA MAX」  

★サスペンススリラー賞    「哀しき野獣」(韓国映画)

★掘り出し賞        「阪急電車 片道15分の奇跡」 「探偵はバーにいる」

★ジャパン作品賞      「天地明察」 「麒麟の翼」
 
★TVドラマ作品賞      「プラチナタウン」(wowow)

 20012年度も200本以上の映画やMTVを見ましたが、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を2度観ましたが、2度ともティッシュなくして観られないほど泣けました。親と子の絆、そして希望がちりばめられていました。映画はこうでなくてはいけないと、改めて思った次第です。「マイウェイ12,000キロの真実」の民族や人種を超えた人間愛賛歌にも大きな感動をいただきました。

 愛と涙溢れる感動のストーリー、納得できる意外な展開、心に残るセリフ、目を見はる映像、心に染みこむ音楽が一体となり一本の素晴らしい映画が生まれます。そんな映画やTVドラマに出会えて今年もたくさんの感動と元気を貰いました。

 映画との出会いは人との出会いに似ていると思います。そしてタイムトンネルであるとも。ある時代のある場所に私たちを誘ってくれるからです。そして登場人物と共に過去や現在、未来の出来事に遭遇し、彼らの心情の変化に共感し、成長していくたくましい姿に力を貰い、堕落していく切ない姿に胸を痛める。このような疑似体験を重ねられるからです。最初は小説からこの疑似体験を学び、私の心の旅路が始まりました。そして映画との出会いによって、私の心の旅路は遙か世界の辺境の地まで飛んで行くことが出来るようになりました。

2012年もあとわずかになりましたが、2013年も皆様、共に素晴らしい映画に共感し、心の旅路を大いに楽しみましょう!

 


「親父と将棋、そして衆院選投票」

2012年12月17日 | Weblog

 衆議院選の投票日。以前は殆ど期日前投票していたが、今回は夫婦で新北島小学校に行った。その後実家に帰って親父との4番勝負に挑んだ。昼の2時を過ぎてたが、親父はまだ布団の中にいました。私の声を聞いて起きてきて、すぐに将棋が始まった。私の3連勝中だったが、今回のオヤジは少し違っていた。1回の勝負がなんと2時間近くも要したのだ。結局、親父の王将は、将棋盤の中央付近でチェックメイトとなったが、勝負がどちらに傾くか本当にわからないほどの激戦だった。

    

 お互いに昼食前だったのでトンカツを食べに行き、その後、親父が投票に行くのに付き添った。投票所の粉浜小学校に入ったのは卒業以来か、とても懐かしく感じた。

    

  

 数年前まで、親父は選挙管理委員をしており、「この歳になって国から給料を貰うようになったよ」と喜んでいた。老いを感じて自ら委員を降りたが、母がなくなった2007年5月、父が地域の選挙管理委員をしていた関係で なんと自由民主党総裁:安倍晋三氏から弔電が届いた。現役の衆議院議員や国会議員が2名、市会議員が1名が告別式に顔を見せた。お祭り騒ぎが大好きだった母はきっと喜んだろう。 父は選挙運動にほとんど参加したことはない。粉浜商店街で長い期間婦人部長として、自民党を応援し続けた母の勲章と云うよりほかはない。今回の自由民主党の大勝に二人は喜んでいるだろう。

 今テレビの中継を観ているが、「今回の総選挙によって、まっとうな政権運営ができなければ、政権与党であっても、たった3年あまりで惨敗するという恐怖を、民主党も自民党も公明党も味わったはずだ。これからの選挙は大きく変わるはずだ。我が党は従来の野党のように何でもかんでも反対するような党にならない。国民の審判を真摯に受け止めたい」

インタビューに答える維新の会の橋下氏の言葉が印象に残った。

        

 


「2012今高軽音フォークソングクラブ24期の忘年会」

2012年12月15日 | Weblog
      

2012年の今高軽音フォークソングクラブ24期の忘年会は、桜川にある<うを佐>にて行いました。
ノーちゃんの妹さんが大女将をしてるので、てっちりのフルコースをとてもお安くしていただきました。
初めてカラオケにも行かず、個室での3時間半はとても楽しい語らいの時間となりました。
でもお店の身内のノーちゃんだけにはとても気遣いさせてしまい、
彼女一人楽しめなかったに違いありません。(悪かったね!)

数年ぶりの<てっちりフルコース>はとても美味しくて、てっちりがこんなにも美味しい料理とは思いませんでした。
年を重ねてきたこともあるかもしれませんが、本当に美味しいお料理でした。
ランチメニューを見ると<すき焼き定食が800円台>この価格には驚きました。
皆さん、桜川の<うを佐>は、お奨めできる店ですよ。ノーちゃん、本当にお疲れさまでした。

    
 
    

  


     
 
   ●桜川の<うを佐>1階のカウンターに入っての写真撮影。

中央のジャズシンガーをしているノーちゃんの実の妹さんが大女将をしていて、ノーちゃんにそっくりなんで驚きました。
私の右側の沢井くん(左から2番目)は、私の生涯で最も長いつきあいの親友(小学校以来)です。

帰りは河内長野の彼の自宅まで車で送って行きました。
高校時代は彼とノーちゃんと今は鎌倉に住む瀬川さんと4人で<四暗刻>というフォークソンググループを組み
「キダタローのスタジオ貸します!」というラジオ番組にも出演しました。

車中では、お互いに大好きなPPMの曲を大音響で流し、二人で大声で歌いました。
1時間くらいの道のりでしたが、これもまたとても楽しい時間となりました。
家に着いた時間は午前12時をはるかに超えていました。皆様、お疲れ様でした!
 
     
 
 同窓会に類するものは、基本的に幸せな連中しか楽しんで参加できないしろものです。小心で仕事人間(?)だった私は、どうしても頭の隅で仕事の事が渦巻いていてどうにもなりませんでした。しかし、今年の3月末に定年退職してからは、明日のことも考えずに本当に楽しめるようになりました。一人息子が就職して家を出たことも楽しめる要因の一つになりました。
 
 生きていくということは次々に自然発生する心の債務を消化していく作業と云えます。しかし、えてして債務超過や債務不履行という状況に陥るものです。ここにストレスが生まれます。この葛藤こそ人生そのものと云えるかもしれません。自然界の生物にはこの葛藤がありません。ただ「本能に任せて生きる」それだけだからです。とてもシンプルで憧れる気持ちもありますが、彼等には同窓会も忘年会なるものも決して存在しません。当然、喜びも楽しみも悲しみもありません。
 
デミ・ムーアが丸刈りにして熱演した映画「G・Iジェーン」の中で、 過激な上官がシールズ(海軍特殊部隊:United States Navy SEALs)訓練生たちに、 こんな詩を聞かせます。 

  『野性なるものが自らを憐れむのを私はみたことがない。 
   小鳥は凍え死んで枝から落ちようとも、自分を惨めだとは決して思わないもの』
 
(D・H・ロレンス) 

敵地に向かう特殊部隊、勇猛果敢でしかも孤高の兵士たちを育てる為に聞かせた詩です。 
与えられた任務を全うするために、人の心を捨て野性なるものになれと悟したのです。 
 
今私は人である喜びを感じています。残された時間は決して多くはないでしょうが、
これから先も野生なるものを秘めた人として、喜びや悲しみを感じながら時を過ごして行きたいと思っています。

「元職場仲間との楽しいラウンド」(堺CC)

2012年12月12日 | Weblog

 今日のホームコース堺CCは、素晴らしい晴天の小春日和。日曜日の吹雪のラウンドとは大違いでした。月例のような緊張感もなく、最高に楽しいラウンドになりました。

 メンバーはいつものゴルフ仲間のK氏と、体育大出身・運動指導士(今もバクテン・大車輪ができる)H君、そして紅一点、武○○女子大学院出身・栄養士の才女Yちゃんです。先日の寒さが堪えたので、耳まで隠せる帽子と防寒&発熱のインナーを準備したのですが、本当にうれしい予測違いとなりました。

    

 在職中に一度だけYちゃんを連れてゴルフ練習場に行ったことがあります。「こうするんだよ」「それではダメだよ」といつもの熱血指導を試みたのですが、Yちゃんは一度も「はい!」と云わず、私を困らせました。とにかく、自分でこうと思ったら、絶対にそれを実行してしまう超積極的天然才女、これではボーイフレンドも大変だろうなと思いました。

 私は今日も懲りずに、いつもの熱血指導を試みたのですが、当然Yちゃんはゴーイングマイウェイ。私の言葉など耳も傾けずのやりたい放題。特に強気のパターには3人の男性陣、全員が唖然! しかも良く入ること! カップを通り過ぎようがガンガン打ってくる。入るときはカップの向こうの淵に思いっきりぶつかり、ボールもびっくりして垂直に15cm飛び上がってカップイン! こんなシーンを何度見たことか。

「心臓が飛び出る!」と一緒に回った人が言ったとか。本当にその気持ちが良くわかりました。何度心臓が飛び出しそうになったことか。

     

 天然才女のYちゃん、昼食後の1番ホール(345Y:パー4)(女性は324Y)のティーショットはスーパーショット。坂道をゴロゴロ転がったボールはグリーンまで120ヤード。「下りのフェアウエイは大好き!一杯転がってくれるもん」(さすがのコメントです・苦笑)

 私もナイスショットして残り100Y。セカンドは9番アイアンでまたもナイスショット。ボールはピン奥6m。彼女はボールの頭を叩いて、残り60Y。そして、3打目は、なんとナイスショットしてピン横3m。K氏は3オン。体育大出身のH君はOBを含めて5オン。グリーンに上がってみると、なんとカップに一番近いのがYちゃん。男性3人も唖然。

 私は無難に2パットのパー。K氏は2パットのボギー。H君は3パットの8を叩いてしまいました。(もうH君、切れかかる寸前)そして、Yちゃんは残り3mの少し曲がるラインなど全くお構いなしに真っ直ぐ強打。

「カツン!」

飛び出したボールはカップの正面に当たり20cmも飛び上がり、

私たちが「ワッ!強いっ!」と声を上げる間もなく、大きな音を立ててカップイン。

「キャー、入ったー!」  ナイスパーをもぎ取った直後の写真

3人とも目玉も心臓も飛び出しそうになりました!!!

 前半72打も叩いた天然才女のYちゃん。このパーで絶好調スタート!その後も10打や12打を叩こうが、なんのその。最後まで全然めげることなく楽しさ満開、笑顔炸裂のラウンドを展開。後半67打目の最終パットまで全くテンションは下がりませんでした。同じ職場のH君、彼女に当てられっ放しの一日でした。明日の職場が心配になるくらいでした。

    

●天然才女のYちゃんにお手上げー!

 

 結果報告、私は45.45の90、K氏は45.43の88。2打差で私の負け、H君は54.59の113。「私の前で100を切る!」という勢いは、天然才女のYちゃんのおかげで(?)完全消滅。

「いつでも挑戦してきなさい、H君! Yちゃん、また楽しいラウンドをしましょう!」

 福井県出身の天然才女のお嬢様Yちゃん、そろそろ年頃なので両親もひやひやしているようです。(私も心底そう思います) 職場では男性フィットネス会員に絶大な人気を誇るYちゃん。こんな彼女も粋なメガネを光らせ、白衣を着ての栄養学講座時は、真顔でスピーチします。この大ギャップが人気の最大要因です。迷惑をかけていることを感じつつ縦横無尽に走り回る姿、その健気さは私とK氏の不安さを補って余りある。この辺りが天然かつ、才女たる所以か。もう「ガンバレー!」という以外、あっけにとられ、言葉ナシ、の一日でした。

 ゴルフ仲間のジェントルマンK氏、Yちゃんとのラウンドを心配していたのですが、クラブを何本も持ってフェアウエーを走り回る彼女の勢いに圧倒されぱっなしでした。でも最後に「これならなんとか遅れないで回れそうですね」のジェントル・コメントを残して堺CCを後にしました。

 

      

 ●天然才女との感激・唖然のツーショット!


「日本人は愛の表現をしない!?」

2012年12月11日 | Weblog

 好きな映画への想い、感動した本への想い、父への想い、母への想い、子供への想い、友人への想い、連れ添いへの想い…人の想いにはそれぞれに温度があり、しかも、人はその温度差になかなか気づかないようです。

 若い頃の私はこの温度差に対して「わかってくれない」と放り投げるような気持ちでしたが、今ではこの温度差こそ、人間特有のものだと思えるようになりました。それぞれの気持ちに愛や心が存在しないわけではない、そして、その愛も心も命も永遠ではない。無神論者でどの宗派にも属していませんが、この温度差について仏教の根本思想の<無常>が教えているような気がしています。 

 誰が言ったのかわかりませんが「仏教には愛がない」という言葉を聞いたことがあります。そして、「日本人は最終的に愛の表現をしない傾向がある」と。この言葉にも何処かで納得するものがあります。欧米の白雪姫にしろシンデレラにしろ最後は愛を得てハッピーエンドで終わる話が多いのですが、日本の『かぐや姫』にしろ『鶴の恩返し』などはその典型で、姫も妻も手の届かない遠くへ行ってしまうのです。欧米流のハッピーエンドとはほど遠い結末です。しかし、日本人の誰もが不自然だと思わないのです。決して「愛がない」話ではありませんが、表現の仕方が諸外国と違い独特のようです。これを紐解くのは<無常>というキーワードしかないと私は感じています。論理的に上手く説明できませんが、<直感>です。

   

 授かった我が子は<天からの授かりもの、預かりもの>、このようなスタンスで『かぐや姫』や『鶴の恩返し』を読み返すと物語の趣旨がより伝わってくるように思うのは私だけでしょうか。民話の時代から科学の時代へと進歩し「卵子と精子の受精によって生命が誕生する」と明確な説明がなされてきました。とうとう民話が生まれない時代に入ってしまったということです。

 司馬遼太郎氏は、『この国のかたち』(華厳)の中で次のような話をしています。『仏教には、啓示がない。解脱(悟り)だけを目的としている。解脱とは煩悩から解き放たれることで、本来の仏教というのは、極端にいえば解脱の必要と、そのための多少の方法しか説いていない(釈迦の在世中は、その教説は文字として表現されなかった。仏教は、本来不立文字が本質だったのである)』

       

『かぐや姫』や『鶴の恩返し』のラストシーンこそ、<解脱>の気持ちではないだろうか。そして、その想いは<無常>そのものではないか。<想いの温度差>を受け止めるのも<解脱>の気持ちを持ってすればクリアーできるような気がしています。

 


「父との将棋、三番勝負」

2012年12月07日 | Weblog

今日の昼過ぎ、将棋セットとミニPCを持参して実家に向かった。
私が行く連絡は入れなかったが、
偶然にも親父は実家の喫茶店のカウンターでコーヒーを飲んでいた。

粉浜商店街で兄夫婦が喫茶店を営業し始めたのは私が大学4年生の時だった。
喫茶店への商売替えは兄の強い意志だった。
父が田舎から出てきて靴屋を始めたのは20歳の時だった。
私が生まれた年に現在の店や裏の納屋も買い取った。
納屋は今では兄夫婦の3階建ての住居となった。
設計は母方の祖父だった。当時は2階建てだったが、
子供が増えたら3階建てにできるようしっかりしたコンクリート造りだった。
私や兄の部屋、住み込みの従業員の部屋も作られた。
祖父の想いは今や3階建ての住居となって実を結んでいる。

   

兄が結婚し、兄嫁が喫茶店を手伝い始めて店は軌道に乗り出し繁盛した。
兄嫁は素晴らしい人で、私は初対面のときから大好きになった。
二人の結婚式には私の気持ちをオりジナルの歌にして披露宴で唄った。
兄嫁の気持ちを代弁した「今、私は嫁いでゆく」という歌だった。

●今私は嫁いでゆく(youtubeへ)

さて、将棋の話に戻ろう。
突然、86歳の親父に「将棋しよう!」というのも妙なので、
ミニPCに入っている夫婦旅行の写真集を見ることにした。

今年4月に出かけた<びわ湖周辺桜の名所七カ所巡り>、
10月下旬に出かけた<安芸の宮島厳島神社詣・広島城編>、
<岡山城・後楽園編>等を喫茶店のカウンターで一緒に見た。

写真好き・城好きの親父は、
昔オートフォーカスの一眼レフカメラで写真を撮っていたので、
私の写真集に見入ってくれた。
「よう撮れとる」と何度も云ってくれた。

店が混んできたので2階の父の部屋に上がった。
そして、おもむろに切り出した。
「この間、映画を観ていたら親子で将棋を指すシーンがあってな。
 無性に親父と将棋を指したくなったんだ。今からやろうよ」といいながら、
購入したばかりの将棋盤と駒を取り出した。
そして、スムーズに将棋が始まった。

二人ともかなりのヘボだった。
何度かお互いに「待った!」をかけながらゆっくり勝負は進んだ。

「温かくなったら旅行に行こうか?」
「いいな」
「花見の頃がいいんじゃないかな」
「そうだな」

こんな会話がドンドン進む。
こんな楽しい時間を親父と過ごせるなんて、今更ながら嬉しくてたまらなかった。
時間があっという間に過ぎていった。
幸せな時間とはこんな時間のことを云うのだろう。

勝負を始める前、私に支えられながら階段を上がる父がふと呟いた。
「最近、もうそろそろ、ええかなと思う」
「なに云ってんだよ、淋しいこというなよ」
「迷惑かけてるのも嫌だし…」

親父が指す将棋を見ていても心配な面がたくさんあったが、
父のこの言葉はあとあとまで胸を締め付けた。

     

   

勝負は三番続いた。父は負けても負けても挑んできた。
幼い頃の私のように。
圧倒的な差などなかった。
だからうまく負けることなど出来るはずがなかった。
私は賢明に父に挑んだ。
結果、3連勝になっただけだ。

父はとても喜んでいた。
私にはそう見えた。

「またやりたい」と云ってくれた。
私はとても嬉しかった。でも切なくなった…

    


「親父と将棋を指そう!」

2012年12月07日 | Weblog

映画「麒麟の翼」を観て、無性に将棋を指したくなった。
やりたいと本当に思ったことは、すぐに実行に移すのが最近のグッドラック。

先日ネットで将棋盤と駒を別々に注文し、一日置きに送られてきた。
セット物もあったのですが気に入らなかったので、別注文になってしまった。

明日、これを実家に持っていき父と勝負しようと思っている。
小学校卒業以来、つまり46年間、将棋を指していないので、
まずは連れ添いにルールを説明しながらひと勝負。

彼女は私の目的も十分理解しているの断ることはないが、
もともと非常に好奇心旺盛な人物で、「とりあえず、やってみよう」という性格の持ち主。
この当たりは私と同じ。(しかも、負けず嫌いのところも…)

当然私が勝ったが、詰みそうだ(チェックメイトできる→勝てそうだ)と見えて、
なかなかいい手が思い浮かばず、少し時間がかかった。

      

今から麻雀ゲームのように将棋ゲームをダウンロードして明日に備えようと思っている。
ただヘン骨親父に「オヤジ、将棋しようよ!」ではアプローチがイマイチなので、
営業的戦略?を考える必要がある。

例えば、「堺CCはいつも込んでて、食事休憩がえらい長いんだ。同じパーティーの人に、よく将棋で時間を潰そう!と誘われるんだけど、しばらく将棋を指していないんでいつも断っているんだ。昔のように教えてくれへんか?」

もう一つ、「この間映画を見ていたら親子で将棋を指すシーンがあったんだけど、急に将棋を指したくなったんだ。昔みたいに教えてよ」(これはそのままだが…)

さて、明日はどんな戦略で親父に将棋を指させるか、準備を整えて望みたい。

 まだ仕事をしていたら決してこんなことを考えなかっただろう。私の場合、仕事はすべてに優先していた。よっぽどのことがない限り、他人に休みを変えてもらってまでやろうとは思わなかった。2006年まで新婚旅行以外、一度も3連休以上取ったこともなかった。桜見や紅葉狩りも一切興味がなかった。

 50歳を過ぎて、仕事での自分の限界を感じたこともあるが、連れ添いの両親の死、母の死が、私の人生観に大きな影響を与えた。3人の死は、<私自身の残された時間>を初めて意識させてくれたのだ。

『死を間近に迎えたとき、人はやっとプライドや意地というものを捨て、本当の心を取り戻す。
 死んでいく人のメッセージを受け取るのは生きている人の義務だ』

このセリフも映画「麒麟の翼」で加賀が語った。

     

大切なことは体力・気力がまだ充実している時期に、このことに気づかねばならないということ。
でなければ、間に合わないからだ。

父と将棋を指しながら母の思い出や父のやってきた仕事、私のやってきた仕事など
じっくり時間をかけて語り尽くそうと思っている、母ともそうしたように…。