GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「篤姫」のここが面白い!

2008年09月29日 | Weblog
大河ドラマ「篤姫」では、初め母親が役割の話をしていました。
「女の道は一本道。引返すは恥にございます」
死を持って菊本は、篤姫に役割の大切さと女の誇りを教えます。
菊本の死をどう受け止めていいのか、理解できないでいる篤姫。

菊本は織田信長が「吉法師・尾張のおおうつけ」と
呼ばれた頃からの教育係りだった重臣平手政秀を思い出させます。
彼も又、死を持って信長を諭しました。
斉彬の養子となって大奥に上がり、慶喜を次期将軍にする密命を受けます。
生まれて初めての大きな<役割>を持ちましたが、その役割は斉彬の命(メイ)でした……。

人は長い人生をかけて自分の役割を探しています。
篤姫の周囲にいる人が一生懸命自分の役割を信じて生きています。
菊本や幾島、滝山、井伊直弼らがそのように描かれています。
その特徴は決して野心を持っておらず、
自分の信念だけで一生懸命役割を果たそうとしているところです。

若い小松帯刀や西郷、大久保、そして坂本竜馬が登場し、
自分の役割を暗中模索しながら一生懸命生きようとしています。
彼らも又篤姫を少し遅れて自分の位置と役割に気づいていきます。
ここが私にとって「篤姫」の一番面白いところです。



菊本や幾島や井伊直弼、勝は登場したとき、すでに自分の役割を知っていました。
だから真っ正面から篤姫と対決してきます。
若き篤姫はタジタジになります。

まだ17歳だった篤姫は江戸城大奥に入っても本当の役割に気づいていませんでした。
与えられた役割は島津斉彬の命(メイ)であり、自分の本当の役割ではありませんでした。
西郷もまた、心服していた島津斉彬の命が役割でした。
ようやく表舞台に登場できた大久保も、いまだ自分の本当に役割に気づいていません。
竜馬もまた、自分のやりたいことをやろうとして、本当の役割のことなど考えも及びません。
勝を暗殺しようと出向きますが、勝の世界観に圧倒され、
今度は海そのものに夢を馳せ始めます。
倒幕のことなど微塵も考えていなかったのです。
彼らは、時代の流れ、熱気の中で試行錯誤しているといっていいでしょう。

その流れの中で様々な人と出会い、今まで知らなかった世界や考え方や先進技術を知り、
刺激を受けて摩擦し合い、熱気の中で篤姫のように自分の役割に気づいていくのです。
(この辺りが本当に面白い!)
篤姫は、家定という夫と出会い、愛し始めて本当の役割に気づきます。


仮に坂本竜馬が時代の流れの中で勝や西郷や桂と出会っていても、
役割を探そうともがいていなければ、自分の役割に気づかなかったはずです。
小松帯刀もまた、まだ自分本来の役割まで到達していません。
しかし、薩英戦争後、老中という要職に付いて初めて、自分の位置が初めて見えてくるはずです。
それは斉彬や西郷や大久保、久光に導かれ翻弄さて続けていた中で、
自分が何をなすべきかを必死で考えようとしていたからこそ、
薩摩を守るという本当の役割も見いだすでしょう。

天璋院篤姫と小松帯刀が江戸城で碁を打つシーンがありました。
篤姫は思春期頃、帯刀が恋心を持っていたこと知りつつ、
将軍家を守り、私の立場で日本国を守り続けることを帯刀に伝えます。
帯刀にとって篤姫はまだ忘れられない大きな存在でしたが、
篤姫の熱い意志は帯刀の思春期の頃の淡い恋心を完全に吹き飛ばしたように感じました。
その想いは薩摩に帰って我妻に触れたとき、
「俺はこの妻を守り、この家を守り、薩摩を守る」という固い決心へと繋がっていきます。
画面からそんなふうに感じました。
「これが私の本当の役割なんだ」と気づいたように思えました。


今まで何度か日記に書いてきましたが、
<自分の位置を知る>ことがどうしても人には必要な気がします。
今いる船の位置、地球上の経緯・緯度を知って、初めて方向が定まる航海と似ています。
どの方向が北なのか、南なのか、コンパスも持たず、
東西南北という方向があることすら知らないで人は生まれてくるのです。星座を見て北斗七星がどこあるのかも知らないで、
太陽が昇る方向が東だと知らないで、
行きたいところに行けいるはずがないのです。

小松も西郷も大久保も竜馬も自分の位置をまだ分からないのです。
そして日本と世界の大きな時代の流れとの対比ができないのです。

自分の位置を知り、自分の役割に気づくことはとても困難で、なかなか辿り着けません。
多くの人が気づかずに人生を終えると云っても過言ではありません。


では何故、多くの人が辿り着けないのか? 
それは欲望が理性より遥かに大きな存在で、
多くの人がすべきことよりしたいことを選ぶからです。

社会主義の崩壊も、資本主義の堕落も、
様々な醜い犯罪も役人達の汚職も離婚率の増加も
欲望が理性を遥かに凌いでいるからと私は考えています。

勇気を持って、自らの役割を探す旅に出なくてはなりません。
それが生きるということの意味だとも感じています。
それが菊本の「女の道は一本道。引返すは恥にございます」に
象徴されているような気がしてなりません。

人が自分の役割を気づいたとき、大きな感動が訪れるでしょう。
それはある種、悟りの瞬間と云ってもいいかもしれません。


「篤姫」がとても面白いところは、
歴史上有名な若い人物たちが時代という流れの中で、
様々な人たちとの出会い、数多くの摩擦を経てようやく訪れる、
「役割を知る瞬間に立ち会えること」ではないでしょうか。

あと10回ほどになった2008年の大河ドラマ「篤姫」は、
私にとって忘れられないドラマとなるのは間違いないようです。

「私の原点」

2008年09月26日 | Weblog
 ポール・ニューマン主演の映画「長く熱い夜」(1958年)を深夜テレビで見たのは、思春期真っ直中の中学生時代だったと思う。休みの日には朝から晩まで6本も見た記憶がある。観たい映画があると地方の映画館まで足を運んだほどだった。この映画は、その頃の私の心を大きく揺さぶり今も心に強く残っている。

 商店街で2軒の店を経営する我が家では、長男の兄が店を継ぐことが早くから決まっていた。次男の私は家を出ることを、ごく当たり前のように受け入れていた。それは裸一貫で家をでることを幼くして自覚していたということだ。2軒あるならそれぞれに店をと考えても不思議ではないが、歴史小説が好きだった父は、多くの骨肉の争いを過去の歴史の中で数多く読んできたのだろう。二人しかいない肉親の兄弟が憎しみ合うことだけは避けたかったはずだ。幼い頃からどのように私を言い含めたのか分からないが、母も納得し私にそのように接してきた。

 私はその運命を、何のプレッシャーもなく受け入れていたようだ。中学生の頃「アメリカに行きたい。皿洗いでもして広大なアメリカを見てきたい!」と云って母を困らせたことがあったが、東京の大学に行くことで話はついた。

 次男坊で甘やかされて育った私は「一人で生きていくためにはどうしても強いガッツが必要だ。そのためには親元を離れ、一人で生きる術を学ばなければ……」真剣にそう考えた。

 映画「長い熱い夜」を見てそんなふうに考え始めたのか、そんなふうにすでに思っていて、この映画を観て大方針を堅固にしたのか、はっきりとはしないが、間違いなく主人公ベン・クィックの生き様に私の原点があるような気がする。

 吉川英治の小説「宮本武蔵」を一年かけて読破したのもこの思春期だった。暴れん坊の武蔵(タケゾウ)は豊臣側に味方して関ヶ原の戦いに参加したが、大敗し故郷に帰る途中で落人狩りに遭い、役人を殺してしまう。千年杉に吊された武蔵の運命はいかに? 中村錦之介の三部作映画「宮本武蔵」の第一部はこの場面で終わる。その続きを知りたくて本棚にあった吉川英治の「宮本武蔵」を読み始めたのだ。これがその後、乱読に耽るきっかけだった。

 映画も本も夢中になって追いかけた思春期だった。女性への想いも同時に高まったが、告白など決してできない弱虫だった。多くの人の原点がその思春期にあるように、私の原点もこの思春期に形成されたように思う。女性への想いが内にこもり、頭の中で想像の世界を作り上げた。

 飽食の時代を経てバブルが弾け、いまだに迷走を続ける日本。そんな中で育った若者達の環境はどうだったのだろう。私の就職活動の頃も、第二次石油ショックがあり、就職難で今の時代とかなり似通っている。しかし、一度飽食の時代を経験した親たちがどう子供達と接してきたか、私の時代の親たちとは大きく違っているように思えてならない。 
 
 私の両親が過去の歴史を見て肉親同士の骨肉の争いを避けるために、次男を本家から意識して遠ざけることなど現在の親たちにできるだろうか? もし出来ていたのなら<モンスターペアレンツ>のような異常な言葉が生まれてこなかったのでは、と考えてしまう。

 我が家のように一人っ子の家庭で、甘やかして育ててしまった子供のサバイバル能力は? 自立の大切さを叫んできた私も、我が子(25歳)の自立が遅れていることを危惧している。幼い頃から我が子に強い心を持て! 自らを強い体に鍛えろ! と言い続け、意識してそんな後ろ姿を見せてきたつもりだが、その横に甘やかす母親が存在する。

 だが、この微妙なバランスが子供にとって重要な環境となっている。強く云いすぎてもダメ、甘やかしすぎてもダメ。このバランスのことだ。夫婦の「あ・うんの呼吸」とも云うべきバランスだ。そして「偏っていないか?」子供の様子をしっかりと観察していかねばなりません。

 映画「長く熱い夜」の話から大きくそれたかもしれないが、どんな環境でも生き抜く強い心さえあればなんとかなる。他人のせいにしたり、社会のせいにして逃避するのではなく、孤島で生き抜くサバイバル精神こそ、現在の親や子供達に必要なことに思えてならない。若き日のポール・ニューマンが演じた主人公ベン・クィックの生き様に、私は現代人が失ったものを改めて強く感じる。


「心の体積とアルキメデスの法則」

2008年09月19日 | Weblog
 小さなボートに水が入ってきたら、あっという間に沈んでしまいす。浮力を失うからです。風呂の中で頭を風呂の縁に乗せ、全身の力を抜いて思いっきり息を吸い込むと、体がググッと持ち上がるのを体感できます。これは、体積が増えれば、浮力が大きくなるというアルキメデスの原理そのものの現象です。

*F = pvg
      F:浮力
      p:流体の密度
      v:物体の体積
      g:重力加速度

これはアルキメデスの原理(物体が受ける浮力は、その物体と同じ体積の(周囲の)流体に作用する重力に等しい)を数式化したものです。

*(重力加速度):万有引力定数をG、地球の質量をM、地球の半径をR、自転の影響を考えず、地球の密度が一様であると考えるのであれば、万有引力の法則から重力加速度の大きさは以下のように表わすことができる。
     重力可速度の大きさ=GM/R・R (ウィキペディアより)

「???」

 私は以前から考えていたことと相似しているのでは? 昨夜、突然アルキメデスのように風呂の中でこの想いがわき上がりました。前回や前々回の日記で親子の絆の為にはいっしょに何かをして(スポーツetc.)、思い出作りをしましょう、そして多くの物語を知って多くの世界の存在を知ることが大切だと云う内容でした。
昨夜、風呂場で心に体積があるのでは? と気づいたのです。

そして「思い出作りや多くの物語こそ、<心の体積>を増加するものだ」という答えに到達しました。

 私はゲームが好きではありません。その理由もこのアルキメデスの原理でうまく説明できます。心の体積が小さい幼い子供にとって、ゲームはあまりに刺激的過ぎるのです。(すべてのゲームが刺激的ではないですが…)ぶつかり合うカーレースや悪者を殺戮していく刺激的な展開が心に充満して、他のことが入ってこなくなるのです。ゲームの中には心を豊かにしていく展開も決してないわけではないですが、多くは刺激と苛立ちしか心に残りません。楽器で弾けないスコアが練習によって弾けるようになる感激と次画面にジャンプできる感激とは大きな違いがあると思います。F = pvgのpもvもゲームでは増加せず、マイナスの苛立ちだけが増加し、Fの浮力はいっこうに増えないのです。

 幼い子が自殺に走るのもアルキメデスの原理の「浮力が足りない」ことと似ています。体積の小さい心に虐めや暴力から逃げ切れない思いが充満し、浮力を失ってしまい、ボートに水が入って沈むがごとく海底へ向かうしかないと思うのです。そんな時、子供を救うには沈む前に引き上げるしかないのですが、悲しいかな心の浮き沈みは周囲からは見えないのです。だから幼い子が自力で浮き上がれるように、体積を増やし浮力の素(もと)も意識して授けるのです。

<体積を倍にすれば浮力も倍になる> 2F = p2vg

 このことはピタゴラスの定理でも証明されているように、心にも当てはまると思うのです。しかし、沈没したタイタニック号のように、いくら体積が大きくても船底に穴が空いて浸水する量が多い場合は、これまた同じように沈むことを知っておかねばなりません。
それは<p:流体の密度>の関係です。

では、まず幼い子の<心の体積大きくする>にはどうすればいのか?

 私は何度も書いてきましたが、知っている物語の量を増やすことだと思っています。昔からよく言われますが、偉人や先人たちの伝記はとてもいいように思います。幼い子供の心が成長する過程を知ることができるからです。最近は動画技術が進み、物語の数を読書で増やすのは少し難しいのでアニメでもいいと思います。孫悟空の物語やジブリの「風の谷のナウシカ」や「千と千尋の神隠し」のような心の成長が展開する物語が最適です。『山椒大夫』(「安寿と厨子王」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=522796973&owner_id=3915793)のような悲劇的な物語も強く心に残ります。世界少年少女文学集のように昔から推薦図書に上げられているのは決して間違っていないと私は思います。

 心に蓄えた多くの物語と、年齢と共に体験していく実世界が、挫折と成長を繰り返えしながら物語の疑似体験が実績の伴った実感として蓄積され、自信という宝物になっていくのです。タイタニック号のように氷山で大きな穴が空いて大量の水が入ってきても、蓄積された宝物、言い換えれば<心の強さ>がその水を排水し、沈没から守ってくれるのです。

 たとえ多くの物語を得て心の体積を増加させても、実体験の蓄積がなければ本当の宝物は手に入りません。これが<p:流体の密度>に当てはまります。人との絆(信頼関係作り)が欠けているからです。

 人との摩擦で疲れきった人を最近周囲によく見かけます。人が集まれば集まるほど孤独になっていくのは、わがままな大人が増加しているからです。文明は間違いなく進化しているにも関わらず、人の心は刺激や快楽を求め野獣へと退化しているように見えます。その方が楽だからです。自分を律するのが苦痛だからです。心の体積が少ない人に強い律する心は生まれません。誰かを誹謗して他人のせいにし、誰かを貶めて影から赤い獣のような舌を出しているのです。
 しかし、そんな輩は刺激と快楽しかなく、愛情も感激も涙も切なさも幸せも感じられない哀れな獣なのです。どうかそんな獣になり果てないよう我が子に、周囲の少年少女に、物語を語ってあげて下さい。そして若者は、もっと多くの物語を知って実体験の中で人との絆作りを行って欲しいと願います。人との摩擦の中でしか、心の強さは鍛えられないのですから。

「将来を決める瞬間」

2008年09月16日 | Weblog
自分の将来の職業を決める瞬間が、幼いとき訪れることがあります。
たとえば、小学校の頃担任だった先生に憧れて
「〇〇先生のような先生になりたい!」

親が病気で入院して見舞いに行ったとき、テキパキと働く看護師さんやお医者さんを見て
「私、看護師になりたい!」
「お医者さんになりたい!」

電車の一番前に座ったとき、運転席で自ら声を出して信号を確認しながら運転している姿を見て、
「電車の運転手になりたい!」

野球を見ていて、素晴らしい投球を見たり、大きなホームランを見て
「野球選手になりたい!」

誰もが幼い頃一度はこんな人になりたい! なんて考えたことがあるのでは?

私はアメリカの連続TVドラマ「弁護士ペリー・メイスン」を見て、「弁護士になりたい」
脳外科の病院ドラマ「ベン・ケーシー」を見ては、「医者になりたい」と思ったものです。
こういった想いは、人が成長して行く上でとても大切なことだと想っています。

しかし、中学、高校を卒業していく過程で、幼い頃の夢や希望が変色していきます。
「変色」という言葉はあまり良い響きではありませんが、最初の色では決してないようです。
もっと深い豊かな色になったり、まったく異質の色に様変わりすることも多いでしょう。

様変わりする事を<挫折>と呼ぶか、成長と位置づけるかで
人生のスタンスが変わっていくように思います。

たとえば、社会にでると「この会社に入って宣伝部門で頑張りたい」と思っても
会社の都合や上司の見方で配属が変わる場合があります。
自分の想いが強すぎる場合は、その人事異動を受け入れられずストレスを溜めたり、
他の会社への再就職を考えてしまいます。
反対にそれを受け入れて余計なことを考えず、頑張っているうちに
自分でも気が付かなかった才能に気づき営業畑で頭角を現すことがあります。
会社都合という場合の人事異動もたまに発生しますが、
基本的に人事異動は上司や周囲の人が良かれと思ったものです。

<他力>という風によって自分でも考えもしなかった方向へ導かれ、
成功していくパターンは決して少なくありません。

スポーツ選手でもそんな例が良くあります。
イチロー選手も元は投手志望だったのです。
巨人の投手だった尾崎将司はプロゴルファーに転向して、
ジャンボ尾崎として一時代を築きました。
ソフトボールの選手だった岡本綾子も周囲に勧められてゴルフに転向し、
アメリカで賞金王にもなりました。

幼い頃の夢とは異なりますが、
他力を受けて精進し(これがなければ、どんな成長も成功もない)
自ら新たな道を切り開いたのです。

転向を挫折と考えるか、
それとも新たなジャンプのための<しゃがみ込み>と考えるか、
「心のチカラ」の強さが試される瞬間です。


学生の皆さんが新たな門出として就職しても、
決して自分の想像した現場ではないことが世間では多いのです。

「石の上にも三年」という言葉があります。

たとえ自分の希望する職種ではないかもしれませんが、
その余計なことを考えない三年、
真摯な三年(真摯でなければなんの意味もない)のおかげで、
後々希望する職場に移ったとき、違った知識・経験を身に付けたことが自信となり、
その部署の人たちとの繋がり・絆が生まれます。
これがとても大切で価値あることなのです。

また、その職場の人の気持ちを理解出来たり、
それぞれの部署の役割に気づいたりして、組織での自らの立ち位置を客観的に分析し、
判断する力を身に付けることが可能になるのです。
人との絆作り(信頼関係の構築)こそ最大の宝物だと思って下さい。

よくヘッドハンティングという言葉を耳にしますが、
何年もいた組織で身に付けた知識や経験が、
移った会社ですぐに活かされ、尊ばれることなどごくまれにしかないと思って下さい。
しかもそんな場合、今まで以上に大きな努力が必要とされます。
以前からいる職場の人の特別な視線・風当たりは、決して弱いものではないのです。


人生は決して誰かとの勝負ではなく、
自分自身で良かったか、幸せだった、と思うか、
結構辛いときがあったけど、いい人に巡り会えて良かった、
良い子たちに囲まれて幸せだった、
幸せで楽しい時期もあったけど、辛いことの方が多かった、
大きなことは出来なかったけれど、〇〇を残せたので価値があったかな…。
このように人生は勝ち負けや白黒といった単純な言い方では、決して表現できないものだと思います。


幼い頃の想いを貫くには相当な決意と、周囲からの<他力>を必要とするようです。
そして、どんな人もこのままの道でいいのか、それとも違った道を行くべきなのか
このような選択に迫られるときがきっと来ると思っておいて下さい。

その時の選択を誤らないために自らの判断力・直感力を磨いておいて下さい。
その時の選択こそ、それからの長い半生を決定づける大切な選択となるからです。

「若い女性の心の成長物語」(映画「クローズド・ノート」)

2008年09月15日 | Weblog
 女子大生の香恵(沢尻エリカ)は、引越したアパートで1冊のノートを見つけた。そのノートは前の住人だった真野伊吹(竹内結子)という名の小学校の女性教師が書いた日記だった。開いてはいけないと思いつつ、香恵はついノートを読み始める。そこには生徒との温かい交流とその苦心が綴られていた。そして、タカシという名の男性に想いを寄せるほのかな恋心まで書かれていた。香恵はバイト先の万年筆屋にお客様としてきた石飛リュウという青年への想いと次第に同化させていくのでした……。

「パッチギ!」で沢尻エリカを見て以来、ファンになった私は、「手紙」でも大いに満足しました。(「シュガー&スパイス 風味絶佳」、「オトシモノ」、「天使の卵」はイマイチでした)彼女のオリジナリティの高い点は「タンカを切れる美人」というところです。「パッチギ!」で見せた演技は「手紙」でも健在でした。今回のように少し時間経過が遅く感じるような静かな映画では「タンカ」は見られませんでしたが、香恵が恋を意識してからの積極的な行動は、エリカ自身の持ち味を行定勲監督流に演出したのでしょう。雫井脩介氏の同名小説は読んでいませんが、想いを寄せても決して言い出せないおとなしい伊吹先生と香恵の対比がとてもすんなりと入ってきました。映画は「配役」でほとんど決まると誰かがいいましたが、この映画もそう感じました。

 
この映画で私の印象に残ったところは、
小学校4年生を初めて担任する伊吹先生の真摯で誠実な姿です。
最初、幼い生徒たちを前にこのような話をします。

「皆さんが自宅でオナラをしても誰もそのことで虐めないでしょ。
 この教室でもそうあって欲しいのです。
 この教室の仲間は家族と思って欲しいのです。
 人の失敗を笑うのではなく家族のように励ましてあげて欲しいのです」

 この話は後半、登校拒否で自宅にこもっていた君代ちゃんが合唱コンクールの練習に参加するために登校してきます。伊吹先生は何度も自宅まで行って彼女と会って直接話そうとするのですが、会ってくれなかった。そんな君代ちゃんがようやく合唱の練習している教室に姿を見せたのです。<心のチカラ>が弱かった子が、伊吹先生から届けられた合唱練習の録音を聞いて、自分も一緒に歌いたい、<心のチカラ>を強くして教室にやってきたのです。同級のみんなは君代ちゃんを温かく迎えます。伊吹先生はまるで母親のように涙を流しながら強く抱きしめます。

 その伊吹先生のそんな後ろ姿を、幼い生徒はどんな思いで眺めたのでしょうか。

 伊吹先生は一人一人の子供たちを見続け、賞を送ってその子たちを褒め称えます。折り紙で作ったメダルをその度にみんなの前で首にかけます。校庭の隅にある鉄棒で逆上がりの練習を必死にやっている子を温かく眺め、逆上がりに成功したときは自分の事のように喜ぶ先生。その子には努力賞、それぞれの子にそれぞれの賞を見つけようと努力する伊吹先生。子供たちの自慢げな顔、本当に嬉しくてたまらない顔が心から見たいのです。

 そんな後ろ姿を1年間子供たちも見てきたのです。登校拒否していた君代ちゃんの復帰を伊吹先生と一緒になって(同化・共感)喜んだに違いありません。心の絆は<心のチカラ>、<心の強い力>となって行くはずです。自分の将来の職業を決める瞬間が、幼いとき訪れることがあります。
「伊吹先生のような先生になりたい!」
君代ちゃんを抱きしめた伊吹先生の後ろ姿を見た瞬間がそのときだったかもしれません。

 大学生の香恵は、いつの間にか伊吹先生に憧れの気持ちを抱くようになります。そして「伊吹先生のような先生になりたい」とまではっきりと自分の気持ちを表現します。伊吹先生に共感できる温かい心がそう云わせたのでしょう。
 

 次元の違う会えるはずのない香恵と伊吹先生の世界が映像技術によって二人が同じシーンに出ては静かに消えていきます。映画スターのタカシを使ったシーンも美しく、映画ならではの映像です。カットを多用した現代の映画のような急いだ展開はどこにもなく、敢えてゆっくりした流れが行定勲監督の狙いだったのでしょう。

 いつの間にか万年筆という文具は消え去り、ボールペンという使い捨ての時代と変わってしまいました。物へのこだわりや執着は、高く付くという考え方は合理的思考からの変遷か。そして、ブランドに走る人たちの執着はブランドそのものであって、自分の体型に合うとか、着心地や使用しやすいとか丈夫といったものではなく、誰かに見せて誇るものとなってしまったようです。

 ものを大切にする習慣は、使い捨てという安価で容易という<合理的で効率のいい>という神話の流れの中にいつの間にか消滅して行ったかに見えます。誰かに想いを寄せ始めても、傷つくことを恐れて100%ではなく想いを小出しているように見えます。他人からの厚意や誠意さえ、その裏を読もうとして純粋に想いを受け入れられなくなってしまった。そんな時代だからこそ誠意が人の心を打つと思います。

カーネギーは「大誠意こそ、人を動かす」と云った。

 最初に真野伊吹先生は、名前で呼んで欲しいとみんなに「伊吹先生」と自己紹介します。先生と生徒という関係を、より密接な高い関係、つまり家族という関係にしたかった表れだと思います。物への執着も薄くなり、家族の絆もどんどん薄れようとしている現代、「クローズド・ノート」の伊吹先生は大誠意を子供たちの前で見せ続け、短い期間の中で多くの思い出作りを実践しました。子供たちの心にきっと素晴らしい思い出(絆)が残ったはずです。

 大学生の香恵は、吹先生の心の内を書いた日記を読むうちに、子供たちとの触れあいと苦悩を知り、自分の恋愛、伊吹先生の恋愛を通して<心のチカラ>の存在を知り、勇気づけられ、自分の将来まで見据えていきます。香恵という若い女性のとてもいい成長物語です。皆様もご鑑賞あれ。

グッドラック感動のお奨め度:(77点)

「野茂英雄投手に捧ぐ」

2008年09月13日 | Weblog
どれほど多くの野球少年達に
夢を抱かせてくれたのだろう

どれほど多くの現役プロ野球選手達に
大きな目標を与えただろう

たとえ あなたが大リーグのマウンドを去ろうとも
多くの人の瞼に あのトルネード投法が焼き付けられている

二度のノーヒットノーランは その輝かしき功績の勲章だ

剛速球も鋭く落ちるフォークも ほぼ同じフォームで投げられたことが大きな武器だった


想いを遂げる素晴らしさをあなたは私たちに教えてくれた
決して容易ではないことも私たちに教えてくれた
そして、岩をも砕く強い信念を教えてくれた

本当にありがとうと心から叫びたい
私たちのこの感謝の想いはきっとあなたにも届くに違いない

あなたが熱い想いで架けた大リーグへの架け橋を
これからも多くの人たちが渡っていくだろう

そのとき あなたのシャイな笑顔を多くの人が思い出すに違いない
そして「頑張れ!」という熱い言葉を背中に感じるに違いない


野茂英雄投手、ありがとうございました



これからも多くの少年たちに 夢とはなんたるかを教えてあげて欲しい
野球の楽しさを教えて上げて欲しい

これからの人生も今まで以上に
幸多かれとお祈ります


from GOODLUCK

(日本プロ野球)
最多勝利4回 :1990年 (18)、1991年 (17)、1992年 (18)、1993年 (17)
最高勝率1回 :1990年 (.692)
最優秀防御率1回 :1990年 (2.91)
最多奪三振4回 :1990年 (287)、1991年 (287)、1992年 (228)、1993年 (276)
新人王 :1990年
ベストナイン1回 :1990年
沢村賞1回 :1990年
MVP1回 :1990年
1試合17奪三振 達成当時プロ野球タイ記録:1990年4月29日
1試合個人最多与四球16 プロ野球新記録 :1994年
シーズン奪三振率10.99 プロ野球新記録 :1990年、達成当時
6試合連続2桁奪三振 プロ野球新記録 :1991年4月7日~5月9日
プロ野球史上最速で通算1000奪三振達成
オールスター出場4回 :1990年、1991年、1992年、1993年


(MLB記録)
最多奪三振2回 :1995年 (236)、2001年 (220)
新人王 :1995年
ノーヒット・ノーラン2回 :1996年、2001年
オールスター選出:1995年(先発投手)
日本人メジャー1号ホームラン:1998年
                     (ウィキペディアより)

「比較はしないように!」

2008年09月09日 | Weblog
私の家族は息子と妻の3名だけですが、
お子さんが多い家は毎日が戦争のようだと思います。

でも人は大抵ことは、様々な工夫を凝らして合理的にし、
息抜きや手抜きを覚え、気分転換をうまく図りながら
いつの間にかそれが当たり前となり、
通常と呼ばれる日常にしてしまうようです。
もし子育てで病気になる主婦がいたら
純粋すぎたり、要領が悪かったり、
旦那や周囲のフォローがなかったりすることが大きな要因かもしれません。


30歳半ばまで、毎日15時間くらい仕事場(レストラン)で
走り回っていた私は、

「これが仕事、日常の仕事」だと
開き直ることがなかなか出来ませでした。

しかし、今の会社で(関西の電鉄会社)に入社して4,5年経ったとき、
健康診断で引っかかり、初めて胃カメラを飲まされました。

一緒に自分の胃の内壁を見ながら
「何度も十二指腸潰瘍・胃潰瘍をやっていますね」
と医者から云われた時、本当に驚きました。
「これからは毎年、検査しましょうね」
しかし、あれからのレントゲン検査では悪い影は出ていないようです。


でも父のように血を吐いたり、入院せずに済んだのは何故?
ストレス?
ガンをこの延長線上にある?
いろんなことが脳裏をよぎりました。

そんな時、「お前に他の仕事、いったい何ができるのだ?」と
自問自答しました。

「何もできない」
「そうだろう、だったら今の飲食の仕事を天職と思え」
「天職?」
「そうだ、天職だ。実際にそうじゃないのか。
 そう思えたら、今の仕事を心から楽しめ。
 そう思えなかったからストレスが溜まり潰瘍になったんだよ」

「天職? ストレス? ………。」


しばらくして、開き直るのではなく、
「天職だ」と心の奥底からそう思えてきた。
自問自答してからさほど時間はかかりませんでした。

まるでそれは、私にとって人生の<悟り>の瞬間でした。

目の前が明るく体が軽くなったような気がした。
そして胃の中で重く消化されないでいた鉛のような流動物が
サーと十二指腸から小腸に流れていくような気持ちになりました。


人にはもともと困難な出来事を乗り越える能力が、
非日常を日常にしていく能力が、
スポーツ合宿の最初の3日間はきついですがその後は慣れる能力が、
備わっています。

最初から逃げては決してその能力は発揮できず、
「ウサギとカメ」のウサギのように宝の持ち腐れとなり、
強く育てることもできません。

一度には無理でも少しだけ受け入れるのです。
(それで給料をもらっている)
(これが主婦の仕事なんだ)
(これが新米の役目なんだ)

この少しだけ受け入れることがコツです。

そうして、アマチュアだった自分をプロにしようと夢中で努力するのです。

10人中トップになる必要は決してありません。
6番目、7番目でいいのです。

新入社員だったら、その職場での夢中でプロを目指すのです
若い主婦だったらプロの主婦を夢中で目指すのです。

そして、決してやってはいけないのは
<友人・知人との比較>です。
人と比較していいことなど一つもないのです。
彼や彼女に勝ちたいなどと考えるのは愚の骨頂です。
人生は彼や彼女との勝負事ではないのです。

「自分の給料は彼奴より低い、休みが少ない、しんどい」
妬む気持ちは、仕事現場から前向きな気持ちを忘れさせ、
横道に逸れて行ってしまうことまで気づかずにいます。

「あの子は私と同い年なのに、
 いまだに独身貴族で海外旅行に買い物を楽しんでいる。
 私は3人の子育てで、見るも無惨…」

もしこんなふうに考えたならその瞬間、母ではなくなります。
そして主婦いることの意義を見失い逃避を考えるようになります。
他人を妬むことが好きな人が多くいますが、
それは自らを貶めることだと明確に気づくべきです。
そんな考え方は幸せの国に行き届かない道だと知って下さい。

「子育ての時期は夢中だった」とある女性が云ってました。
子育ての本を読んでも個人差があるので
比較して心配するような暇もなかったとも云ってました。

「夢中」

私の好きな言葉です。
「夢中」の中に、幸せが潜んでいると私は確信しています。

他人と比較したりして客観的に振り返る心の余裕のない状態、
少しでも長くこの状態でいたいと願う状態です。

この単語の前に、「無我」が付く四文字熟語があります。
無我とは「私心」がないことです。

帰納法的に考えると、
「私心」(自分のことを考えたら)、
「夢中」にはなれない、
そして、幸せにもなれないということになります。

人には理解しにくいGOODLUCK論法かもしれませんが、
できるだけ分かりやすく述べたつもりです。

「後から気づく」幸せとはそんなものだと私は思います。

人の人生で本当に幸せな時期は
自己に目覚める前だったかもしれません。
いや、もっと前かもしれません。

母親の胎内から引っぱり出されて
幸せから引き離されたから
「人は泣きながら生まれてくる」と
シェイクピアがリア王で嘆いたのかもしれません。

「親と子の絆」

2008年09月07日 | Weblog
関東から関西に引っ越してきた時、息子は小学校1年生(今は25歳)でした。
私の仕事の都合で2学期から今の大阪市内の小学校に編入しました。
アメリカ映画の喧嘩シーンを見ても泣いてしまうような心根の弱い息子で、
東京弁や顔のホクロのことで随分虐められました。

そこで私は息子に少林寺拳法を学ばせようとしました。
しかし、そこでも暴力的虐め行為うけて、家を出るのですが教室には行かず、
電車を見るために一番近い踏切まで歩いて行って時間をつぶしていたことを
しばらくして知りました。当然教室は辞めさせました。


私は堪忍袋が切れて、虐める子の家に行って片親だった子とお母さんの前で、
「もう二度と息子を虐めるな。今度は俺が相手だ。」とその子を脅しました。

そして、その子に「どうして虐めるの?」と尋ねると
「僕も引っ越してきて、虐められた」というのです。

お母さんは平謝りでしたが、思わず父のいないその子が、
可哀想になってきました。

「だったら息子と同じじゃないか。
 知り合いのいない教室で一人ぼっちの寂しさを、君には分かるはずだろ。
 自分が虐められたことを逆恨みして、息子を虐めるなんて弱虫の証拠だよ。 
 もう二度としないようにね。」

その子は、ようやく「はい」と頷きました。
私は息子と握手させ、これから一緒に遊びなさいと云いました。

その子の虐めはなくなりましたが、
また違う暴力的な子が息子を虐めてきました。

小6の時、息子はついに勇気を振り絞って、
少林寺で少しだけ学んだ正拳をその子のお腹にたたき込んだそうです。

その子はお腹を両手で押さえてしゃがみ込み泣き出したそうです。
そして先生や周囲の子供達から拍手?を受けたそうです。
まるで映画のような話ですが、息子はうれしそう語ってくれました。

何だか日頃の息子を見ていると信じられない話で、
いまだに私は話半分だと思っています。
とにかく、息子は小学校の6年間で多くの虐めを受けてきたことは確かなようです。


私は結婚して子供ができる前から考えてたことは
一緒に遊びながら、知っている遊びをすべて教え込もうと思っていました。
男の子の世界では遊びで優位に立てることが、
いかに有効か私は体験して十分すぎるくらい知っていたのです。

小学校の担任に「遊びの天才!」を呼ばれていた私は、
息子に様々な遊びをマンツーマンで伝授しました。
  (「教育の真髄はマンツーマン」だと思う)

・駒回し(これには、かなりの時間を要しました)
・剣玉
・チョロQ遊び
・トランプ(ババヌキ、神経衰弱、カブ、ポーカー、7ブリッジ)
・プラモデル作り
・野球
・ゴルフ(3歳の頃から始め、小1の時、本格的幼児用セットを購入、
  今でもしょっちゅう一緒にやっています)
・ボーリング (昨夜の大会で、私は212点を出し優勝)

一人息子だったので遊ぶときは対等に徹底的に遊びました。
その物理的な時間の量こそ
子供にとってかけがえのない親との絆(思い出)となります。
その絆の厚さが、逃避や引きこもり、
登校拒否や自殺から身を守ってくれるような気がしています。


私の親は商店街で商売をしていたため、その時間を持てませんでした。
しかし、両親が商売(2軒の店で、母はもう一店にいた)をしている姿を毎日、
何度も行き来しながら見ていたので、鍵っ子というような孤独感はありませんでした。


中学校に入学した息子は野球部に入り、
急に体力が付いてきてボーリングやゴルフも突如うまくなっていきました。

高校でも3年間野球部にいましたが、6,7人しか部員がいなくて、
試合の時だけどこかのクラブから臨時の人間を2,3人引っ張ってきたそうです。
そんなお粗末な部でしたが、なんと3年間もいたことがいまだに驚きです。

子供の自慢をしてきたようになってしまいましたが、
伝えたかった<親と子の絆>は、
親が面と向かって時間をかけて構築しなけれなならないということです。
この物理的な時間の量、お互いの吐く息や汗を感じ合う至近距離で
しかも、体を使った動きの中で感じ合うことこそ、大切なのです。
何事も練習なくして決してうまくはならないことを実地で体で教えるのです。

今も黙々とゴルフ練習場で私がボールを打つシーンを息子は見続けています。
(最近の私の真摯な練習風景にきっと驚いているはずです)
(8月27日の結果:息子99、私90、何とか威厳を保つ)


子供が男の子で良かったと常々思います。
しかし、女の子でも一通りの遊びはきっと教えたでしょう。
ゲームは嫌いなのでほとんど一緒にやったことがありません。
何故、嫌いなのか息子は良く知っています。
あまりに刺激的だからです。


多くの映画や本を読んできた私は、私なりに子育ての方法を考えていたようです。
当初は<親子の絆作り>など、考えていなかったような気がしますが、
練習の大切さは、教えようと思っていました。

そして、男の子は中学生になると男親を煩わしく思うものです。
だから決して遠ざからないようゴルフやボーリング、トランプを通して
コミュニケーションが取れるようにしようと思っていたことは確かです。


親が子供に伝えなければならない最終目標は
<自立と自律>だと私は思います。

そのことを親が何を通して教えられるか、
幼い子に自立や自律など分かるはずがないのです。

その道のりが子育てのような気がします。



■今まで見てきた洋画の中で一番の作品が
 デカプリオが出演する映画「ブラッド・ダイヤモンド」です。
(彼は決して主演ではありません)
 この映画はまさに<親と子の絆の映画>です。


アフリカの小国でダイヤモンドを巡って
反政府ゲリラや仲買人や西洋諸国のシンジケートが暗躍する物語です。
ゲリラに誘拐された我が子を必死に助けようとする父親、
ゲリラに洗脳され酒やドラッグや殺人を犯して野獣と化していく幼い子供たち、
残虐なシーンが続きますが、そんなシーンは目をつむって下さい。

黒沢明監督は、「赤ひげ」のあるシーンを
「あんなシーンは本当は必要ない。サービスだ」と語っていました。
(まるで客集めの予告編のために撮ったカットのようなものかもしれません)
主題はそんな場面にはないのです。
大切な主題をつかみ取る勇気を持って下さい。


命をかけてようやく助け出した子は野獣と化しており、
最初は父を思い出せないのです。
実の親に銃を向け、引き金を引こうとするのです。
父は必死に、必死に息子に語りかけます。

もしこのとき、親とのなんの思い出もなければ
子供に何一つ思い出す幸せな思い出がなければ
そして、父と子に強い絆がなければ、躊躇なく父は撃ち殺されていたでしょう。


子が親を殺すような痛ましい事件、
日本でもたびたび報道されるようになりました。
本当に辛くて胸が締め付けられる思いになります。

何故、子供は親の気持ちが分からないのか?
親を苦しめたい、殺したいと思うのか?
自殺したいと思うのか?

<絆>がないからです。
親との楽しい思い出がないからです。
幼い頃、親と夢中になって何かを練習した思い出がないからです。
母から掃除や洗濯や楽しい料理作りや編み物を教わったことがないからです。

遊園地に連れていった、動物園に連れていった、
映画に連れていった、ご飯を食べさせ、
学校に行かせていただけでは絆など生まれるはずはないのです。
殆どの親がやっていることを子供達は知っているのです。

もっとオリジナルの、他の家ではなさそうな特別の思い出が必要なのです。
しかも、幼稚園や小学校低学年では記憶に残りません。


<親と子の絆>は、肌の温度を感じられるくらいの身近さで
小学校の高学年から中学に入学してからの5,6年間
ティーンエイジャーと呼ばれる時期
人生で最も多感で純粋な時期にこそ、必要な気がしてなりません。

非行はこの時期から始まります。
異性への興味、初潮、夢精、マスターベーションという体の秘密もこの時期から発生します。
だからこそ、人にとって最も微妙で重要な時期だと思って下さい。
共に練習で汗を流しながら、父親、母親が過去に経験してきたことを
我が子に伝えるのです。


体を動かすスポーツが一番適しているような気がします。
できれば結果が明確にでるものをお奨めします。
練習の効果が数字になって明らかになるからです。
 
 スイミング・ウオーキング・ランニング(タイム)
 ボーリング・ゴルフ(スコア)etc.
 一人でもできるスポーツを探して下さい。
 編み物や料理のように客観的に判断できるものでも良いのです。
 
そして体と共に心を鍛えるのです。
弱いからだには弱い心と悪い心が育ちやすくなるのです。



大学生時代に読んだジャン=ジャック・ルソーの『エミール』
   この部分がとても印象的でいまや私の心の道しるべとなりました。


 「悪はすべて弱さから生まれる。

  子どもが悪くなるのは、その子が弱いからにほかならない。

  強くすれば善良になる。
  なんでもできる者はけっして悪いことをしない。」


         ……………



●映画「ブラッド・ダイヤモンド」
  (グッドラックのお奨め映画度:98点 過去見た洋画の最高点) 

●邦画の最高点は黒沢明監督の「赤ひげ」(95点)
  (-3点低いのは、若い加山雄三の下手な演技)

「出そろった米国大統領・副大統領候補

2008年09月01日 | Weblog
 マケイン共和党は副大統領候補にアラスカ州女性知事、サラ・ペイリン氏(44歳)を選んだ。共和党の女性副大統領候補は史上初めてだ。彼女はアイダホ州生まれでアイダホ大卒業後、アンカレッジのテレビ局でスポーツ記者として活躍した後、夫と共に漁業などに従事。同州のワシラ市議会議員を経て96年、同市長に選出。06年、アラスカ州知事選に出馬。共和党の現職知事を予備選で破り、本選挙では民主党の元知事に勝利。同州初の女性知事に就任した。

 最近の世論調査でクリントン氏の支持者の2,3割はオバマ氏に投票しないと回答している。この結果はオバマ氏がクリントン氏の牙城とした白人労働者層、ヒスパニック(中南米系)、中高年女性への浸透が遅れていることを露呈している。当然このことを十分踏まえて共和党は、妊娠中絶反対派(民主党は賛成)で知られ、アラスカの市長から予備選で現職共和党知事を破り、本選挙で民主党の元知事を破って改革色豊かな44歳の女性知事を選んだ。

以前アメリカの保守本流の事を述べたが、再度記述する。
■保守本流とは、東海岸や西海岸に住む人たちの事ではない。米国のキリスト教プロテスタントは一般に「主流派(メインライン)」と「福音派(エバンジェリカル)」があり、2004年の大統領選で大きな影響を与えたのが福音派である。大統領選の出口調査で回答者の22%を占めた「福音派」の78%がブッシュに投票した。福音派は共和党の大票田だ。この宗教に属する人たちこそアメリカの本流と呼ばれている。(アメリカ最大の妊娠中絶反対派)

 クリントン氏は民主党候補でありながら、この保守層の指示を得てきた。オバマ氏に投票しないと云っている2,3割の中には、この保守層が多く含まれている。共和党は現職知事を破って改革色豊かでしかも、妊娠中絶反対派で知られるペイリン氏選び、クリントン票をそのままいただく大奇襲作戦にでた。

 民主党大統領候補がオバマ氏に決まり、副大統領を選んだ頃からオバマ氏の支持率が急落したのは、当然、熱狂的なクリントン氏支持者の民主党離れが起因している。この亀裂を修復するために、8月28日の民主党大会までクリントン氏を候補者として扱い、全国大会の場で同氏に開票打ち切りを提案させ、全会一致でオバマ氏支持という離れ業を行った。

 それはまるで秀吉が大阪城で威厳を示すために、家康にひれ伏してくれと事前に頼んだという逸話と似ている。ここまでしなくてはならないといことは民主党の亀裂はかなり大きいと云わざるを得ない。そこに焦点を当てて、共和党はクリントン氏を彷彿させるペイリン氏を候補としたのだ。

 民主党にとって、ブッシュの不人気、イラク戦争の泥沼化、景気悪化という素晴らしい追い風にも関わらず、年初の勢いは今はない。クリントン・オバマの候補者選びが長く続きすぎたことが大きな亀裂を生んだ。クリントン氏を副大統領にという選択は当然オバマ陣営にはあったはずだが、ベテランで外交に強いと云われるハイデン上院議員を選んだのは自分の経験不足を補う人選だ。ここにオバマの弱さが見えてくる。私はもし、クリントン氏を選んだのならオバマ氏は相当な自信・心臓の持ち主だと思っていたが、言動通り誠実な人物なのだろう。

 オバマ民主党のハイデン上院議員の選出は、自ら自分の欠点を露呈することになった。最近のグルジア紛争でロシアが軍事侵攻した直後から、マケイン氏はロシア軍の即時撤退と欧米の結束を訴え「危機に強い最高指揮官」という印象をきわだたせた。反対に若くて経験不足というオバマ氏の欠点をよりクローズアップさせることとなった。

 ペイリン氏は女性の強みを押し出し、民主党に対抗して超党派の支持拡大を目指す考えを示し、8月29日の演説できっぱりとこう言ってみせた。
「ヒラリーは天井のガラスにひびを入れたが、私たちはガラスを打ち破ってみせる」

 元スポーツ紙の記者のペイリン氏も自分の置かれている状況・位置をしっかり捉えている。日本のバカ大臣のような失言をするはずもなく、この発言だけで共和党支持を1ポイント以上あげたのではないだろうか。

 11月4日の投票日まであと2ヶ月。現在の支持率(ラスムセン社:8月15日~27日)は互いに47ポイント。当初民主党に吹いていた追い風が今はない。グルジア紛争の火種はアメリカの大統領選にあるとプーチン首相が述べているが、まんざら当たらずとも遠からず。(戦争に強い共和党)また、プーチン首相は8月28日の米CNNとの会見で、「米産鶏肉を輸入禁止」を予告し、「グルジア問題とは一切関係ない。政治的意図はなく、制裁でもない。」と語っている。KGB上がりの元大統領、強烈な国粋主義者の言葉を真に受けられない。しかし、対ロシアというきな臭い風は共和党に追い風を呼び込み始めたのだ。
 
 オバマ氏が勝てば国内産業優先の保守貿易、つまり日本には厳しい対米関係となるだろう。だから決して対岸の火事とは云えないが、党の政策や人心の動き、候補者の言葉にはいつも個人的に興味がある。

 今年1月に書いた日記では<クリントン氏の辛勝>を予測して外してしまったが(2008 1.29の日記http://blog.goo.ne.jp/goodluckyuji713/5)、その後のアメリカ国内景気の低迷や石油の急騰、グルジア紛争など国内外の状況に決して停滞などない。今ここで新たな予測など私にはとても難しい。ただ云えることは、この時点(あと2ヶ月)で追い風がなくなり、反対にアゲイストの風が吹き始め、オバマ民主党の勝利は遠退いていることは事実のようだ。

 この危機を救えるのはヒラリー・クリントン氏しかいないと思えてならない。今後の上院議員・政治家としてのあり方、組閣後の入閣、及びその他のポジション確保を含めて、これからの彼女の言動に目を離せない。

 教育改革が大きな政治理念だったヒラリー。
 ガチガチの共和党員だった学生時代に民主党に鞍替えし
 大統領候補までのし上がったヒラリー。
 女性で最も大統領に近いと云われ続けたヒラリー。

 今後の政治生命をかけたこれからの言動に注目したい。その影響力の大小が、米国史上初めての黒人大統領誕生に直結しているように思うからだ。