大河ドラマ「篤姫」では、初め母親が役割の話をしていました。
「女の道は一本道。引返すは恥にございます」
死を持って菊本は、篤姫に役割の大切さと女の誇りを教えます。
菊本の死をどう受け止めていいのか、理解できないでいる篤姫。
菊本は織田信長が「吉法師・尾張のおおうつけ」と
呼ばれた頃からの教育係りだった重臣平手政秀を思い出させます。
彼も又、死を持って信長を諭しました。
斉彬の養子となって大奥に上がり、慶喜を次期将軍にする密命を受けます。
生まれて初めての大きな<役割>を持ちましたが、その役割は斉彬の命(メイ)でした……。
人は長い人生をかけて自分の役割を探しています。
篤姫の周囲にいる人が一生懸命自分の役割を信じて生きています。
菊本や幾島、滝山、井伊直弼らがそのように描かれています。
その特徴は決して野心を持っておらず、
自分の信念だけで一生懸命役割を果たそうとしているところです。
若い小松帯刀や西郷、大久保、そして坂本竜馬が登場し、
自分の役割を暗中模索しながら一生懸命生きようとしています。
彼らも又篤姫を少し遅れて自分の位置と役割に気づいていきます。
ここが私にとって「篤姫」の一番面白いところです。
菊本や幾島や井伊直弼、勝は登場したとき、すでに自分の役割を知っていました。
だから真っ正面から篤姫と対決してきます。
若き篤姫はタジタジになります。
まだ17歳だった篤姫は江戸城大奥に入っても本当の役割に気づいていませんでした。
与えられた役割は島津斉彬の命(メイ)であり、自分の本当の役割ではありませんでした。
西郷もまた、心服していた島津斉彬の命が役割でした。
ようやく表舞台に登場できた大久保も、いまだ自分の本当に役割に気づいていません。
竜馬もまた、自分のやりたいことをやろうとして、本当の役割のことなど考えも及びません。
勝を暗殺しようと出向きますが、勝の世界観に圧倒され、
今度は海そのものに夢を馳せ始めます。
倒幕のことなど微塵も考えていなかったのです。
彼らは、時代の流れ、熱気の中で試行錯誤しているといっていいでしょう。
その流れの中で様々な人と出会い、今まで知らなかった世界や考え方や先進技術を知り、
刺激を受けて摩擦し合い、熱気の中で篤姫のように自分の役割に気づいていくのです。
(この辺りが本当に面白い!)
篤姫は、家定という夫と出会い、愛し始めて本当の役割に気づきます。
仮に坂本竜馬が時代の流れの中で勝や西郷や桂と出会っていても、
役割を探そうともがいていなければ、自分の役割に気づかなかったはずです。
小松帯刀もまた、まだ自分本来の役割まで到達していません。
しかし、薩英戦争後、老中という要職に付いて初めて、自分の位置が初めて見えてくるはずです。
それは斉彬や西郷や大久保、久光に導かれ翻弄さて続けていた中で、
自分が何をなすべきかを必死で考えようとしていたからこそ、
薩摩を守るという本当の役割も見いだすでしょう。
天璋院篤姫と小松帯刀が江戸城で碁を打つシーンがありました。
篤姫は思春期頃、帯刀が恋心を持っていたこと知りつつ、
将軍家を守り、私の立場で日本国を守り続けることを帯刀に伝えます。
帯刀にとって篤姫はまだ忘れられない大きな存在でしたが、
篤姫の熱い意志は帯刀の思春期の頃の淡い恋心を完全に吹き飛ばしたように感じました。
その想いは薩摩に帰って我妻に触れたとき、
「俺はこの妻を守り、この家を守り、薩摩を守る」という固い決心へと繋がっていきます。
画面からそんなふうに感じました。
「これが私の本当の役割なんだ」と気づいたように思えました。
今まで何度か日記に書いてきましたが、
<自分の位置を知る>ことがどうしても人には必要な気がします。
今いる船の位置、地球上の経緯・緯度を知って、初めて方向が定まる航海と似ています。
どの方向が北なのか、南なのか、コンパスも持たず、
東西南北という方向があることすら知らないで人は生まれてくるのです。星座を見て北斗七星がどこあるのかも知らないで、
太陽が昇る方向が東だと知らないで、
行きたいところに行けいるはずがないのです。
小松も西郷も大久保も竜馬も自分の位置をまだ分からないのです。
そして日本と世界の大きな時代の流れとの対比ができないのです。
自分の位置を知り、自分の役割に気づくことはとても困難で、なかなか辿り着けません。
多くの人が気づかずに人生を終えると云っても過言ではありません。
では何故、多くの人が辿り着けないのか?
それは欲望が理性より遥かに大きな存在で、
多くの人がすべきことよりしたいことを選ぶからです。
社会主義の崩壊も、資本主義の堕落も、
様々な醜い犯罪も役人達の汚職も離婚率の増加も
欲望が理性を遥かに凌いでいるからと私は考えています。
勇気を持って、自らの役割を探す旅に出なくてはなりません。
それが生きるということの意味だとも感じています。
それが菊本の「女の道は一本道。引返すは恥にございます」に
象徴されているような気がしてなりません。
人が自分の役割を気づいたとき、大きな感動が訪れるでしょう。
それはある種、悟りの瞬間と云ってもいいかもしれません。
「篤姫」がとても面白いところは、
歴史上有名な若い人物たちが時代という流れの中で、
様々な人たちとの出会い、数多くの摩擦を経てようやく訪れる、
「役割を知る瞬間に立ち会えること」ではないでしょうか。
あと10回ほどになった2008年の大河ドラマ「篤姫」は、
私にとって忘れられないドラマとなるのは間違いないようです。
「女の道は一本道。引返すは恥にございます」
死を持って菊本は、篤姫に役割の大切さと女の誇りを教えます。
菊本の死をどう受け止めていいのか、理解できないでいる篤姫。
菊本は織田信長が「吉法師・尾張のおおうつけ」と
呼ばれた頃からの教育係りだった重臣平手政秀を思い出させます。
彼も又、死を持って信長を諭しました。
斉彬の養子となって大奥に上がり、慶喜を次期将軍にする密命を受けます。
生まれて初めての大きな<役割>を持ちましたが、その役割は斉彬の命(メイ)でした……。
人は長い人生をかけて自分の役割を探しています。
篤姫の周囲にいる人が一生懸命自分の役割を信じて生きています。
菊本や幾島、滝山、井伊直弼らがそのように描かれています。
その特徴は決して野心を持っておらず、
自分の信念だけで一生懸命役割を果たそうとしているところです。
若い小松帯刀や西郷、大久保、そして坂本竜馬が登場し、
自分の役割を暗中模索しながら一生懸命生きようとしています。
彼らも又篤姫を少し遅れて自分の位置と役割に気づいていきます。
ここが私にとって「篤姫」の一番面白いところです。
菊本や幾島や井伊直弼、勝は登場したとき、すでに自分の役割を知っていました。
だから真っ正面から篤姫と対決してきます。
若き篤姫はタジタジになります。
まだ17歳だった篤姫は江戸城大奥に入っても本当の役割に気づいていませんでした。
与えられた役割は島津斉彬の命(メイ)であり、自分の本当の役割ではありませんでした。
西郷もまた、心服していた島津斉彬の命が役割でした。
ようやく表舞台に登場できた大久保も、いまだ自分の本当に役割に気づいていません。
竜馬もまた、自分のやりたいことをやろうとして、本当の役割のことなど考えも及びません。
勝を暗殺しようと出向きますが、勝の世界観に圧倒され、
今度は海そのものに夢を馳せ始めます。
倒幕のことなど微塵も考えていなかったのです。
彼らは、時代の流れ、熱気の中で試行錯誤しているといっていいでしょう。
その流れの中で様々な人と出会い、今まで知らなかった世界や考え方や先進技術を知り、
刺激を受けて摩擦し合い、熱気の中で篤姫のように自分の役割に気づいていくのです。
(この辺りが本当に面白い!)
篤姫は、家定という夫と出会い、愛し始めて本当の役割に気づきます。
仮に坂本竜馬が時代の流れの中で勝や西郷や桂と出会っていても、
役割を探そうともがいていなければ、自分の役割に気づかなかったはずです。
小松帯刀もまた、まだ自分本来の役割まで到達していません。
しかし、薩英戦争後、老中という要職に付いて初めて、自分の位置が初めて見えてくるはずです。
それは斉彬や西郷や大久保、久光に導かれ翻弄さて続けていた中で、
自分が何をなすべきかを必死で考えようとしていたからこそ、
薩摩を守るという本当の役割も見いだすでしょう。
天璋院篤姫と小松帯刀が江戸城で碁を打つシーンがありました。
篤姫は思春期頃、帯刀が恋心を持っていたこと知りつつ、
将軍家を守り、私の立場で日本国を守り続けることを帯刀に伝えます。
帯刀にとって篤姫はまだ忘れられない大きな存在でしたが、
篤姫の熱い意志は帯刀の思春期の頃の淡い恋心を完全に吹き飛ばしたように感じました。
その想いは薩摩に帰って我妻に触れたとき、
「俺はこの妻を守り、この家を守り、薩摩を守る」という固い決心へと繋がっていきます。
画面からそんなふうに感じました。
「これが私の本当の役割なんだ」と気づいたように思えました。
今まで何度か日記に書いてきましたが、
<自分の位置を知る>ことがどうしても人には必要な気がします。
今いる船の位置、地球上の経緯・緯度を知って、初めて方向が定まる航海と似ています。
どの方向が北なのか、南なのか、コンパスも持たず、
東西南北という方向があることすら知らないで人は生まれてくるのです。星座を見て北斗七星がどこあるのかも知らないで、
太陽が昇る方向が東だと知らないで、
行きたいところに行けいるはずがないのです。
小松も西郷も大久保も竜馬も自分の位置をまだ分からないのです。
そして日本と世界の大きな時代の流れとの対比ができないのです。
自分の位置を知り、自分の役割に気づくことはとても困難で、なかなか辿り着けません。
多くの人が気づかずに人生を終えると云っても過言ではありません。
では何故、多くの人が辿り着けないのか?
それは欲望が理性より遥かに大きな存在で、
多くの人がすべきことよりしたいことを選ぶからです。
社会主義の崩壊も、資本主義の堕落も、
様々な醜い犯罪も役人達の汚職も離婚率の増加も
欲望が理性を遥かに凌いでいるからと私は考えています。
勇気を持って、自らの役割を探す旅に出なくてはなりません。
それが生きるということの意味だとも感じています。
それが菊本の「女の道は一本道。引返すは恥にございます」に
象徴されているような気がしてなりません。
人が自分の役割を気づいたとき、大きな感動が訪れるでしょう。
それはある種、悟りの瞬間と云ってもいいかもしれません。
「篤姫」がとても面白いところは、
歴史上有名な若い人物たちが時代という流れの中で、
様々な人たちとの出会い、数多くの摩擦を経てようやく訪れる、
「役割を知る瞬間に立ち会えること」ではないでしょうか。
あと10回ほどになった2008年の大河ドラマ「篤姫」は、
私にとって忘れられないドラマとなるのは間違いないようです。