GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「風のガーデン」(第8話)

2008年11月28日 | Weblog
「残された人生があと数ヶ月と宣言された人が
 その期間に何をするべきなのか?」

 これが「風のガーデン」の主題です。

その問いは、人生を80年としてみれば、
健常者が残された人生をどう臨むべきなのか?  
と同じ問いとも思える。

状況は全く違いますが、俯瞰的?に見れば期間だけの違いだからです。
50歳の人には30年、65歳の方には15年あるのです。
ただ、貞美には3ヶ月ほどしかないのですが……。

貞美は若い頃からの女好き。
不倫で妻を泣かせ、障害のある我が子を放棄し、
ついに妻を自殺にまで追いやってしまう。

そんな過去を悔いて、大天使ガブリエルの名を借りて
知能の発育が止まった息子岳の前で懺悔する。

「つまり… この世で生きている間にいいことをしたか、悪いことをしたか、
 お父さんは悪いことをいっぱいしてたんで……審査会で大分引っかかっているようです」
「父をよろしくお願いします!」

父は死んだと聞かされている岳は、
一度も見ない父の過ちを許してあげてと大天使ガブリエルに祈るようにお願いします。

その言葉を間近に聞く父。
その想いを思うと同じ息子を持つ父親として胸を締め付けられる。

娘ルイもまた、憎みきれない父への想いを隠しきれない。
岳には父ではなく大天使として接することを同意する。

素晴らしい大人の女性に成長したルイや純粋なままの岳に対面し、
貞美は本当に帰ってきて良かったと思ったことでしょう。

職を辞して二人のそばにいることを決心したのもそのためでした。

残されたわずかな期間で、人生の過ちを精算できるのでしょうか?
そんなことは決して誰もできないと知っている。

過去に戻ることも、逝ってしまった人に謝ることも、
子育てを放棄したことを後悔しても
今更取り戻せないことを……。

しかし、せめて、せめて残された時間を、
そのつぐないのために使いたい。
たとえ、それが周囲にわがままと云われても…。

貞美は子供たちとも、妻とも、父とも、地元の友人たちとも
今まで<いい別れ>などしたことがなかったのだ。

今自分自身が、人生と別れを告げなくてはならないと意識したときから
周囲の人たちの想いが直接肌を通して沁みてくるようになってきた


こんな受動的な想いは、かつて経験したことがなかった。

「これが共に生きることかもしれない」

「これが生きていくということだったんだ」

若い頃から感情のままに次々と女に手をだし、
使い捨てのように置き去りにしてきた。
妻や我が子さえ同じように……。

そして、職場という象牙の塔に逃げ込み、
医師として患者を助けることで 現実社会から逃避してきたのだ。

貞美は、ただのわがままな子供と同じだったのだと初めて気づいた。

純粋なままの息子岳や大人の女性になった娘ルイと接して
父としての不甲斐なさよりも
己の人間としての未熟さを痛感した貞美。

残された人生だけでも
もう一度生き直したい。

欲望や感情に押し流されてきた今までの人生から抜け出し、
人間として、父として、友人として
もっと誠実に接していきたいと貞美は考えたに違いない。



「残された人生があと数ヶ月と宣言された人が
 その期間に何をするべきなのか?」

貞美のこれからの行動は、
もしかして、私たち健常者たちに何かを示してくれるのではあるまいか?

貞美と私たちとは、残された期間の大小の違いしかないのだから。

大小の違いだけしかないのだから……。

「篤姫」(大奥の使者)

2008年11月24日 | Weblog
二人が向き合った瞬間、多量の涙が零れました。
こんなことは今まで記憶にありません。

二人の胸に押し寄せる想いが<共感>できたからでしょう。
「篤姫」ファンの全員が涙したに違いありません。


篤姫を大奥に上げるために斉彬から鬼教官として送り込まれた幾島。
大奥のトップに登り詰め、今や徳川家存亡の危機を迎えた天璋院篤姫。
二人の感動の再会シーンを一晩おいて自分なりに分析してみました。



二人の出会いは斉彬の思惑でしたが、
その後の二人は、まさに人生の友として
お互いに生涯忘れ得ぬ絆を築いていきます。

人生でこんな絆作りを経験できることは決して多くはありません。
お互いを尊敬し合い、お互いの気持ちを共感できる関係は、
滅多にないように思います。

だからこそ、今回の再会に万感の想いが押し寄せ、
向き合っただけで言葉を発しなくてても、
お互いの心の内を共感できたでしょう。

幾島との出会いは篤姫には辛いことの連続でしたが、
その辛い想い出の数々を輝くような宝物にしたのは篤姫の希にみる向上心と
幾島の忠義を越えた篤姫自身への愛情でした。

幾島に子供があったとは思えませんが、
まさに母としての愛情を感じざるをえません。

嫁にやった我が娘が、大奥のトップとして天下を揺るがす様々な大事件に対処し
しかもすべての人から敬愛を受け、孤軍奮闘してきた篤姫(=娘)を見て
鬼教官として、友として、
そして母としてどんなにたくましく、
そして愛しく可哀想に思えたでしょうか。

篤姫の目にも大粒の涙が零れんばかりに輝いて見えました。
徳川家を守るのは今や自分しかおらず、しかも戦となった今
おなごとしてできることなどないのです。
唯一信頼を寄せる勝に頼るしかないのです。
そんな心細いときに、人生の師匠たる幾島の姿を目の前に見たのです。
きっと、飛びついて抱き合いたい想いを抑えるのに苦心したに違いありません。


いい別れがあって初めていい再会ができるようです。

二人の別れもそうでした。
鬼教師の役目を終えたと自覚し、見事な引き際を見せた幾島。
若い篤姫には大奥を取り仕切るトップとしての自信などありませんでしたが、
薩摩ではなく徳川家の嫁としての新たなスタンスが生まれていました。
その思いが幾島との別れは必然と受け入れ、心細くなる心を自ら戒めたのです。

こんな大人の別れがあったからこそ、
二人の再会に涙か零れて止まらなかったのです。

    
      …………


いい別れを意識して今生まれている関係を大切にしたい。
今築かれている関係、そして絆を大切にしたい。
別れは必然、
永遠に続くことなどこの世にない、
無常の世だからこそ、

いい別れができるような誠実な関係を大切にしたいと思います。


「篤姫」(慶喜救出)

2008年11月17日 | Weblog
坂本龍馬の「大政奉還」の策は、
日本を内戦から守とうとするとんでもないビッグアイデアだった。

慶喜がこの案を受け入れながらも180万石という財力と
今までの将軍職をかさに、薩長の思い通りににはならんぞと威嚇した。
これでは今までと何も変わらないと見た西郷、大久保、木戸、
そして岩倉具視は、武力によって徳川家を倒すことを決心する。

これに小松帯刀が反対するが、
家臣である西郷・大久保の勢い(封建制崩壊という時代の流れ)を
制することができなかった。

「内戦は、人材を失うことなって国力を低下させ、
 迫ってくる英・仏・露・米に付け入る隙を与えるだけだ」

勝・龍馬のこの思いは、小松が引き継いではいたが、
西郷・大久保は、
「封建制打破という革命は、武力ですべてを破壊して初めて達成できる」
というスタンスを家老の小松が納得できるはずがないと分析していた。

小松は有力大名による議会制による政府を夢見ていたのだろうか、
革命のための倒幕など思いもよらぬことだった。
龍馬もまたこのスタンス違いで暗殺されたと言えよう。

さて、今回の「慶喜救出」では、慶喜が船で江戸に逃げ帰ってくるが、
勝に諫められ天璋院と会って将軍家の総領としての重責を慰められ、
朝敵になることを潔しとはしなかった慶喜を最後は暖かく迎えた。

憎々しい島津藩分家出身の天璋院を侮っていた自分を恥じ、
謹慎蟄居を素直に受け入れた。

いつもながらの天璋院も天璋院なら、将軍だった慶喜も慶喜だと思う。
鳥羽伏見の初戦敗退という不甲斐なさ、
部下を置き去りに、しかもお忍びで帰ってきた行いに対して
将軍家を守る名目とはいえ、謹慎蟄居を受け入れたことの賢明さに涙する思いだった。

<謹慎蟄居>は、決して妥協ではない。
妥協というスタンスでは、直参旗本連中がいづれ慶喜を担ぎ出し、
江戸の町を主戦場とした大戦が発生するだろう。

<生き恥をさらす>ことこそ、
武家の総領として封建制破壊を自ら認めたことを意味する。
武家社会では「恥は切腹」とう絶対的な不文律があった。

総領の恥を謹慎蟄居で終わらせることは、封建制の崩壊を意味し、
西郷らが唱える武家(武官)や帝によるものでない
「文民よる政治」を受け入れたことを意味する。
(しかし、維新後、貴族という階級が残ってしまったが…)


天璋院は、徳川家の行く末を勝海舟に委ねた。
この潔さも常人では真似しがたいものがある。

「お前の骨は拾ってやる、思い存分やってみろ!」

そんなことを云ってくれた上司が今まで何人いただろうか?
私の場合、30年の組織人人生ですが二人しかいない。
(今もその方々とは年賀状だけは交わしています。)

勝海舟は、身が引き締まる想いだったに違いありません。
いよいよ「篤姫」のクライマックス、
<江戸城無血開城>が近づいてきました。

「風のガーデン」(第6話)

2008年11月16日 | Weblog
 脚本家・倉本聰が3年ぶりに富良野を舞台にした新作ドラマを書き下ろした。タイトルは『風のガーデン』。死を目前にした男が絶縁していた家族のもとへ戻っていく物語を通して“生きること・死ぬこと”を描いている人間ドラマだ。

麻酔科医の白鳥貞美(45)は、麻酔学界の権威として東京で活躍していたが、実は6年前、不倫関係から妻が自殺した事が元で、父親に勘当され、北海道富良野市にいる家族とは絶縁していた。同じ膵臓ガンを患った株ブローカーの治療しているうちに、貞美は姉の誘いで、故郷を訪ねる決心をした。

息子の白鳥 岳(14)は6-7歳の知能しか持っていないが、ピアノの調律ができ、花の名前を記憶力に優れていた。父親は死んだと思い込んでいた。

膵臓の末期ガンを患っていた貞美は、朝もやに包まれた風のガーデンにいた。この町では彼は妻を自殺に追い込んだ悪者だったが、どうしても息子の姿を見たかったのだ。岳は草むらに隠れていた貞美を見つけ驚くが 、「大天使ガブリエル様ですか?」と父に尋ねた。貞美はとっさに「そうです」と答えた。父だとは名乗れるはずがなかった。
 翌日の早朝も二人は密かに会った。風のガーデンのグリーンハウスで岳はガブさん(大天使ガブレエルの呼び名)にハーブティーを出して質問をした。

「質問その一、ガブさんは僕の家族の事を知っていますか?」
「何でも知っています。一応私は天使だからみんな知っています」
「お母さんのことも知っていますか?」
「はい、知っています」
「会ったことはありますか?」
「はい、しょっちゅうお会いします」
「どこで?」
「天国で」
「お母さんは元気にしてますか?」
「とてもお元気で…毎日お婆ちゃんと花の手入れをなさっています」
「ホタル(死んだばかりの愛犬)はそっちに行ってますか?」
「まだ、あっちには着いていないようです。天国への道も近頃時々渋滞していますので。
 まもなくこっちに着くでしょう」

「質問二、僕のお父さんには会ったことがありますか?
「あります」
「僕はありません。顔も知りません。お父さんも天国にいるんですか?」
「…もうじき来ると噂には聞いています」(末期ガンが進行していた)
「もうじきっていつですか?」
「今年の冬か、そのぐらいでしょう」
「どうして今はいないのですか?」
「…資格審査で手間取っているようです」
「資格審査ってなんですか?」
「天国に行ける資格があるか、難しい審査があるんです」
「難しい審査ってなんですか?」
「つまり… この世で生きている間にいいことをしたか、悪いことをしたか、
 お父さんは悪いことをいっぱいしてたんで……審査会で大分引っかかっているようです」
「父をよろしくお願いします!」岳は大声をあげて深々と頭を下げた。
 ガブリエルを演じる父は唇をかみ締め言葉を詰まらせた。

そして父は涙を隠しながら、お母さんがいつも弾いていた「乙女の祈り」を岳に頼んで弾いて貰った。
……………

なんと素晴らしい脚本か!

 この場面で思わず号泣しそうになった。こんなことは久しぶりだ。昼間、映画館で「容疑者Xの献身」を見てきたがその感動もこのセリフを聞いて吹き飛んでしまった。緒形拳の遺作と聞いて、倉本聰氏2年ぶりの脚本を楽しみにしていたが、拳さんが出演するシーン、特に岳くんとの会話シーンはどこも素晴らしく、亡くなった事を思うと余計に胸が締め付けられる。

 末期ガンの痛みは壮絶なものだそうで、多くの小説で何度も読んで知っているが、麻薬で抑えるしかない現代医療の限界を、このドラマを見て改めて考えさせられた。敬愛するポール・ニューマンもガンを患い、最後は愛する妻の元で死を迎えたいと病院治療から自宅治療に切りかえ、最近亡くなった。このドラマでも本人にとっても家族にとっても残された時間は大切だということを語っていた。それは本人の希望を聞いて自宅治療を受け入れることは、家族に辛くてきつい看病行為を強いることになるが、のちのち残された家族の気持ちを癒すからだという。




人は生き続けることは許されない
誰もが死の招きを受け入れるしかないのだ
<無常>とはそういうことをいうのだろう

三島由紀夫は「桜は散り際が美しい」と云った
このドラマを見ながら 改めて自分の散り際を考えるようになった

今思うことは いい出会いといい別れをし続けたいということだ
若い連中にもそう語っている
特にいい別れができるように今を大切にしようと
今できることを懸命に、賢明にやろうと
それはいい思い出をたくさん持って逝くことを意味する
その数の多さで天国の扉が開くように思うからだ

「篤姫」(母からの文)

2008年11月11日 | Weblog
また、泣けましたね。

 母と娘の愛、男である私にはどうしても届かぬ想いがあるように思えてなりません。「嫌なことがあったらいつでも帰っておいで」私には息子しかいませんが、もし娘がいたらこのように云ってしまいそうです。

 篤姫の素晴らしいところは勝や滝山、「母からの文」、周囲の意見・気持ちをしっかりくみ取りますが、決してそれらに影響されて決断するわけではなく、すべてを受け入れた上で自分の気持ちと対峙し、やりたい事とすべき事を一緒に昇華し決断するところです。つまり、彼女には本音も建て前もないのです。自分の心を一つにしようとしているところが素晴らしいのです。

 本音を抑えて建前で生きようと多くの人は試みます。そのときストレスを溜めてしまうことに気づきません。これが大人になる事だと妥協し我慢します。こんな姿勢は篤姫には決して見あたりません。彼女が強く見えるのはそのためです。

 篤姫には二枚舌や腹黒さも決して見あたりません。それは感情と理性の狭間が極めて狭いからです。多くの人が感情が優先すること、感情が理性を越えてしまう事を学んでいます。しかし、篤姫はその感情と理性を一つにすることが幸せになる事(ストレスを感じない生き方・自分の成長を自覚できる生き方)だと本能的に知っているように思えてなりません。そのスタンスが私たちには強く、崇高に見えるのです。だから宮様も祖母も家茂や家定も、勝でさえひれ伏すのです。そして私たちも。

 母からの文や帯刀の気持ちを心からありがたく受け止めますが、篤姫は自分の心を一つにして徳川家の「家族を守る」という母、祖母の立場で決断します。自立している人だけが自分の立場・位置を自覚できるのです。そして、今自分に「足りないもの」に気づくのです。地図上の自分の位置(立場)が分かって、初めて目的地が明確になるのです。大海原を海図だけでは渡れないのです。ましてや目的地には決して辿り着けないのです。篤姫の目的地とは、「家族を守る」ことなのです。

 自立もできず、自分の位置や立場も知らず、「あんな事をしたい」、「誰かみたいになりたい」と、幼い子のように恥ずかしげもなく言う若い人が世間には大勢います。しかし、篤姫は若い頃から自立した女性を目指していました。母が意識してそのように接し、育ててきたのです。だから自分に「足りないもの」が分かっていたからこそ、女の子であっても歴史書を読んだり、男子が通う塾にも行ったのです。すべては自立のための方法・手段だったのです。だから母には彼女の気持ちや決断は、悲しいけれどよく分かるのです。

 龍馬暗殺により、武倒派による倒幕が決定的となった今、篤姫の「目的地」(家族を守る)も明確になりました。どんな手段や方法で「家族を守る」のか、大河ドラマ「篤姫」からますます目が離せません。

「龍馬暗殺とその後の日本」

2008年11月07日 | Weblog
龍馬が暗殺された後、日本の流れはどうなったか。

 忍び寄る列強の国々から日本を守ろうとした龍馬が考えていた平和的政権交代(大政奉還)は、薩長武闘派による幕府討伐へと移行した。岩倉も西郷も大久保もそうでなければ真の政権交代はできないと考えていた(それ故、江戸城無血開城はまさに奇跡的なことでだと思う)。その後、明治政府は多くの政策を打ち出していく。明治4年(1871年)の廃藩置県、明治6年(1873年)の徴兵令、そして明治9年(1876年)の廃刀令。ここに来て、ついに旧士族を中心とした若者たちの不満が爆発した(徴兵令で代々の武人であることを奪われ、帯刀と知行地という士族最後の特権をも奪われたことへの不満)。西南の役(戦争)という維新後、最大の内戦の経て日本は近代国家への道を突き進む。

では、近代国家とは? 言葉を変えると資本主義経済を導入した国家と云えないだろうか?

 264年続いた江戸幕府の封建制度は士農工商という身分制度の中でしか存在できなかった。龍馬が夢想した議会制民主主義国家は、封建制度の打破が必要だった。しかし、倒幕後の明治政府は藩閥政治であり、その後の殖産興業・富国強兵を旗印に進められた明治政府の舵取りは、資本主義経済の積極的導入だった。明治13年(1880年)に軍関係を除く官営事業は三井、三菱など民間に払下げられ(財閥の誕生)、明治15年(1882年)には大阪貿易会社が設立されて紡績業が確立し、日清戦争、日露戦争を経て日本の産業革命が進んでいった。

この急激な変化はどこかの国の変化と似てはいないか?

南北戦争後のアメリカの歴史だ。
南北戦争(1861年~1865年)は、アメリカ合衆国に起こった内戦である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部(11州)が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部(23州)との間で戦争となった。

 イギリスの産業革命によって綿工場が機械化され、大量の綿花が必要となった。これに応えたのがアメリカ南部の貴族によるプランテーションであった。この大規模農園経営には奴隷の労働力が不可欠となった。これによって、アメリカの奴隷人口は1800年の89万人から、1860年には400万人に膨れ上がった。一方、北部ではイギリスから機械技術を輸入し、自国での生産を目指し、輸入品に関税をかけることや国内産業を保護育成することを国に求めたのである。ここに南部と北部の対立(経済戦争)が始まった。

北部=資本主義社会、保護貿易、中央集権、奴隷制反対、共和党
南部=奴隷制社会、自由貿易、各州自治、奴隷制維持、民主党

「(南北戦争は)北部と西部の資本家・労働者・農民が、南部のプランター貴族を権力の座から追放した社会的大改革であった」というアメリカの歴史・政治学者のスチュアート・オースチンの言葉がある。 戦争の結果、北部側の勝利となり、リンカーンは奴隷制廃止を実現させた。
しかし、リンカーンが当初目指していたのは、「白人と黒人を分離し、別々の場所で暮らす」ことであったという。南北戦争後も、戦前に黒人奴隷を合法としていた南部諸州では依然として黒人に対する蔑視が続き、19世紀末から20世紀初頭にはこれら南部諸州で人種分離政策が合法的に進められた。

 黒人をはじめとする有色人種がアメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的とした公民権運動。この運動に比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々に成立させたのがジョン・F・ケネディ大統領だ。1963年ケネディが凶弾に倒れた後、リンドン・ジョンソン大統領が1964年、公民権法を成立させる。この法律はベトナム戦争への有色人種の積極的な参加意識を後押ししなかっただろうか? 国家は肌の色を問わず兵隊を必要としていたに違いない。奴隷解放を目的した(?)南北戦争後、約100年してキング氏をはじめとする多くの尊い血を流しながらも公民権法が成立し、リンカーン(共和党初代大統領)の死から143年たった2008年11月4日(現地時間)、黒人の大統領が初めて誕生した。1776年からの<アメリカの約束>がようやく陽の目をみたのだ。

 アメリカの近代史は、南北戦争後から資本主義経済の発展と共に始まり、日本の近代史もまた西南戦争後の資本主義経済導入から始まっている。そう考えるとリンカーンの暗殺と龍馬の暗殺は同じような意味に思えてくる。リンカーンが理想とした共和党国家、龍馬が夢想した議会制民主主義国家とは違っていたかもしれないが、二人の出現と暗殺が新たな近代国家への扉を押し開けたことは確かなようだ。新たな近代国家とは経済力と武力優先の国家だ。アメリカと日本は、その後同じ国家戦略のもとにNO.1、NO.2を目指しながら市場経済主導の資本主義国家を確立する。

さて、今後、同じ道を辿ってきた2国の行く末は?

オバマは<アメリカの約束>を実現できるのか。
黒船の到来以来、否応なしにアメリカに導かれてきた日本。

 一度は勝海舟が唱えた『日本・朝鮮・支那三国合縦連衝の思想』を実行に移し、その構想は五族協和(大和・朝鮮・漢・満州・蒙古)政策となって太平洋戦争を招いた。しかし、アメリカの強硬な姿勢(米国にとって日本はアジア戦略の最優先軍事拠点)によって、昭和26年(1951年)9月7日、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の締結という結果を迎える。その条約の意味するものは、龍馬、海舟、そして昭和初期の構想が完全に消滅したということだ。しかし、その後、日本はアメリカも目を見張る驚異的な繁栄を手にしてきたが、失ってきたものは決して少なくはない。独立した民主国家である日本からアメリカは軍備を撤廃することはない。それは日本が中国・朝鮮、そしてロシアに向けた軍事拠点であるというスタンスに変わりないことを意味する。

坂本龍馬が目指した理想国家からどんなに離れてきたか、
私たちはもう一度心の中でかみ締めたい。
彼の死を無駄にしないためにも。





「龍馬暗殺」

2008年11月04日 | Weblog
坂本龍馬は靖国神社に祭られています。

明治政府がお国の為に戦った人たちを祭った神社が靖国神社です。
龍馬は江戸幕府に大政奉還させ、
明治政府樹立に大きな功績があったとして祭られました。

しかし、明治政府は正に薩摩と長州の連合政権でした。
議会制民主主義を目指して作られた政府(龍馬の願い)でしたが、
実際は独裁政治色がはっきりと見えていました。

そんな政府に反乱を起こしたのが 西郷隆盛の西南の役です。
西郷さんは江戸幕府を倒した最大の武倒派実力者ですが、
明治政府樹立後、平和を求める大久保・木戸らと対立。
不満分子を集めて明治政府に対して反乱を起こしました。

しかし、元々温厚な西郷さんは新たな時代の為に
自らの命をかけて不満分子を集めその先頭をきって
向けたくない刃を政府に向け、鎮圧されることによって
明治政府に貢献したと私は解釈しています。

西郷さんは倒幕の最大の実力者ですが、
反乱を起こした為に、靖国神社には祭られていません。

さて、「坂本龍馬の暗殺」の主犯は?

西郷・大久保が率いる薩摩藩の刺客に
倒れたのではないかと私は想像しています。

議会制民主主義を目指し大政奉還という
正に禁じ手のような妙案を出して、日本国内での争いを避けようとした龍馬。

264年続いた幕藩体制を完全に消滅させるには
幕府軍を徹底的に倒すしかないとした西郷と大久保。

この3人は友好関係にあったと思いますが、
龍馬が目指す議会制民主主義は、
西郷さんや大久保・木戸が目論む政府より
もっと純粋で理想主義的要素が高かったように思います。

薩摩有利(島津斉彬) を想う昔ながらの武士だった西郷さんにとって、
龍馬の思想は異宗教のように思えたのではないでしょうか。

危険思想の龍馬を排除する条件がまだまだ乏しいのですが、
西郷、大久保以後、土佐や長州と比べて、
薩摩からの自由民権運動者の排出が少ないのは、
地元・土地を守り、親を想い、君主に仕えるといった
昔ながらの保守的思想が浸透していたからだろうと思います。

しかし、龍馬は薩長連合の立て役者。
薩摩藩が龍馬を討ったと分かっては後々大問題となる。
西郷と大久保の命令は薩摩武士にとって絶対的なもので
その後も、堅固な密議は永遠に漏れなかった。

明治政府になって、引き続き江戸時代の事件を調査したのは
「龍馬暗殺事件」のみだと云われています。
しかし、政府はその犯人を見つけられませんでした。
それは、政府の中に犯人がいたからだと思っています。

京都見見廻組のしわざと云う説が有力ですが、
幕府からは暗殺指令は出してないといわれています。
当然、新撰組も彼を単独で追ったことは一度もない。
暗殺の場に残されていた鞘と草履から新撰組が疑われたが…。

大政奉還後、京都守護職会津藩の指揮能力が落ちてきた京都で
龍馬の存在が周囲からどう見えたのだろうか。

決して幕府側ではない、かといって勤王派とも思えない。
龍馬の真の想いに気づかない血気盛んな幕府側の若者が彼を襲った?

私はそうは思わない。
暗殺者はかなりの手練れの者で、その後一切の公言などはない。
指示したものとの関係も絶対的なものを感じる。
ここにも質実剛健な薩摩の武士魂を感じてしまう。
そして、倒幕後の薩摩主動による明治政府樹立、その後の藩閥政治を考えると
西郷・大久保が黒幕だったという説を私は押したい。

西郷さんは彼の事をこんなふうに評しています。
「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、
 龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」

西郷さんのいつ頃の言葉かまでは分かりませんが、
この言葉には「本当に惜しい人物をなくした」という気持ちが込められています。


ここからは余談です。

 西郷は単純に征韓論に立脚したものではなく、そもそも征韓論の根底には、西洋諸国に対抗するための『日本・朝鮮・支那三国合縦連衝の思想』(勝海舟)があったと云われています。

 この思想は押し寄せる列強国家(米・英・仏・露)からアジアの三国が合同して身を守もろうとするもので、幕府に対抗して薩長連合を考えた龍馬の案と似ているように思えてなりません。

 一旦決定しかけた征韓の議は、欧米視察から帰国した岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らによって翻された。明治4年10月23日の御前会議で近代国家完成のためには内治を治め、不平等条約の改正こそ最優先で、征韓などは問題に非ずと決定した。

 その後、旧士族や新政府への不満分子による反乱が各地で勃発する。その最大のものが西南の役である。戦役と云われたほど大きな内戦となった。明治10年1月、不穏な動きを察知した政府は、鹿児島にあった武器・弾薬を大阪に移転しようとしたが西郷の作った私学校の生徒がこれを奪取、占拠してしまった。明治4年の廃藩置県、明治6年の徴兵令、そして明治9年(1876年)の廃刀令でついに若者たちが爆発した(徴兵令で代々の武人であることを奪われたことに続き、帯刀と知行地という士族最後の特権をも奪われたことに憤慨)。

 そして大久保による西郷暗殺の流言が広がり、大隈高山の別荘にいた西郷の耳に入った。西郷はその顛末を聞き終わると「今更起こったことは致し方あるまい。」と、やおら立ち上がり鹿児島に向かった。明治10年2月15日 13000名の薩摩健児は「政府に尋問の廉これあり」として進撃を開始した。これが西南の役です。
 明治4年の御前会議から5年4ヶ月後のことである。こうして九州の山野に戦うこと7ヶ月、明治10年9月24日、城山にて西郷は自刃、薩摩軍も全滅した。

映画「ラスト・サムライ」は、西郷さんの物語がモチーフだといって過言ではありません。

 西郷が自刃する4ヶ月前の5月26日 木戸孝允が西郷の行く末を案じながら京都で病死した。そして翌明治11年5月14日 大久保利通は宮中に赴く途中、刺客に襲われて死亡した。木戸45歳、西郷51歳、大久保49歳であった。

「日本は侵略国家であったのか」

2008年11月03日 | Weblog
空幕長更迭、慎重に報道=中国
                   11月1日12時13分配信 時事通信


 【北京1日時事】中国国営新華社通信は1日、日本の過去の植民地支配を正当化する論文を発表した航空自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が更迭されたことについて「浜田靖一防衛相が10月31日夜、更迭を発表した」と報じ、問題が既に処理されたことを前面に出して慎重に伝えた。
 また、日本メディアの報道を引用する形で、田母神空幕長の論文を紹介。麻生太郎首相が論文について「適切でない」と指摘したことや、日本政府高官が強い不満を示したことなども伝えた。国際問題紙・環球時報(電子版)もほぼ同様の内容を報じた。 


 現役の空幕長が民間の懸賞論文に投稿して、更迭されるなど前代未聞の話だ。しかも審査委員長渡辺昇一氏らが最優秀賞を与え、賞金300万円を獲得した論文となると新内閣を初め、政府関係各位は黙ってもいられないのだろう。

実際の論文とはいかなるものか?

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 私は中学時代から多くの歴史物を読んできた。吉川英治から始まり、山岡荘八、司馬遼太郎らを好んで読んできた。最近では加藤廣の『信長の棺』を含めた3部作にも惚れ込みました。彼の言葉を借りると過去の文献は、覇者側から書かれた虚構の歴史と捉えるべきだという。 マット・デイモン主演の映画「ボーン・アルティメイタム」の中にこんなセリフがある。
「物事はどこから見るかで違ってくる」
まさに加藤廣が75歳でペンを取った要因の一つに違いない。

 新内閣を揺るがし、政府が60歳現役の航空幕僚長を更迭せざるをえなかった論文の内容とはいかなるものだったのか?

 実際にこの論文を読んで、小説『亡国のイージス』にあった「亡国の楯」という宮津艦長の息子の論文を思い出した。

「……日米安保はあくまで国連貢献の一環であることを明示して、片務ではない、両国の相互利益に基づいて運営されていることを互いに自覚しあうこと。それには、何よりもまず日本が自らの所信を表明し、ひとつの国家として一貫した主張とカラーを打ち出してゆかなければならない。今までそれを怠ってきた結果が、未だに大日本帝国の復活を恐れるアジアの愚にもつかない誤解と誹謗を招き、誰からも、自分自身からも信用されないし、尊敬もされない体質を作り続けてきたのではないだろうか……」

 あの本に登場する人物は誰もが熱かった。その印象が強く残っている。映画では、それぞれの立場に立っている人物の熱さは、残念ながら伝わってこなかったが、田母神俊雄氏の論文には、あの熱い想いが込められている。それはきっと40年近く日本という国を実際に身体を張って守ってきた経験と自信が熱い想いとなって現れるに違いない。

 宮崎県出身の遠藤武彦氏が、今まで口に出して云えなかったことを、農水省の大臣になってあえて口にして、問題になった後も、何度も肯定して5日間で更迭された。どうしても現役大臣の内に云いたかったのでしょう。

 田母神俊雄航空幕僚長もどうしても現役の内に、今まで積もり積もった熱い想いを語りたかったのでしょう。退官後の論文ではニュースにならず、多くの人の目にも止まらないと考え、あえて民間の懸賞論文に投稿したのでしょう。そこには論文の内容と共に熱い男の矜持を感ぜずにはいられない。

論文の最後の文章は、

『歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。』


皆様もご一読して。


冷静に分析し判断してみて下さい。