GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<クリスマスの約束>2011

2011年12月26日 | Weblog
 今年で11年目の〈クリスマスの約束〉は、2009年の放送で話題となった〈22分50秒〉を超えるSINGOUTメドレーに挑戦した。前回のいきものがかり、キマグレン、鈴木雅之、スターダストレビュー、松たか子といったアーティストに加え、MONGOL800のキヨサク、本格的なソロ活動を開始したKiroroの玉城千春、FUNKY MONKEY BABYS、THE BOOMの宮沢和史、MONKEY MAJIK、矢井田瞳、TRICERATOPSの和田唱らが新たに参加。小田氏が全曲アレンジし、楽譜19枚に及んだという大SINGOUTメドレー<28分58秒>を唄い終えた出演者は、満面の笑顔でお互いを称え合い、約3,000人の観客が集まった幕張メッセ会場は、大歓声と惜しみない拍手で溢れかえった。

 出演:Aqua Timez、いきものがかり、小田和正、キマグレン、キヨサク(MONGOL800)、Crystal Kay、佐藤竹善、 清水翔太、JUJU、スキマスイッチ、鈴木雅之、スターダストレビュー、玉城千春、中村 中、夏川りみ、一青窈、平原綾香、FUNKY MONKEY BABYS、藤井フミヤ、松たか子、宮沢和史(THE BOOM)、MONKEY MAJIK、矢井田瞳、和田唱(TRICERATOPS)計24組 42名。

 

 2009年では、小田氏が夢見る有名アーティストたちによるSING OUTメドレー計画に対して、個性の強い若いアーティストが独自の意見を主張するために、さすがの氏も当初困惑した様子が放映されていた。参加したアーティストそれぞれが、大会場で単独コンサートが開催できる人たち。そんな人たちが自分の曲を1コーラス歌うためだけに集まることに反発したのだ。それでは最高のパフォーマンスを見せられないという主張だった。しかも、他人の曲にコーラスを付けることに何の意味があるのか、そんな憤慨した気持ちだった。しかし、本番のSINGOUTメドレーは大成功し、出演者すべてが涙を流して感動の渦に飲み込まれた。参加したアーティストたちは、かつて経験したことのない高潔で連帯感のある感動を小田氏からプレゼントされたのだ。

 2011年、その大成功と経験が小田氏を後押しした。難航する要素はアーティシトのスケジュールと凝りに凝ったアレンジの消化だけだったに違いない。しかし、素晴らしい彼のアレンジに誰もが圧倒され、まさしくコンサートマスターとして参加者全員が指揮権を与えた、そんなライブにも思えた。

                 

 小田氏のアレンジもやっているうちに変更や意見の衝突があったかもしれない。しかし、その衝突は前回のような自身の音楽性追求による衝突でなく、<クリスマスの約束>の成功・向上のための衝突であり、互いに心地よいものになったに違いない。参加者それぞれの目的地ではなく、たった一つの目的地、<最高のパフォーマンス>を見せたい、それを一緒に全員が感じたいという共通の目的地だったと思う。

 2009年のSING OUTメドレーを見終わって、一回だけで終わって欲しくないと願っていた。それだけ苦労があったように思えたからだ。その願いが今年、叶ったのだ。それだけでも感激だった。24組、42名ものアーティストが集結し、組数、曲数、時間も増加して披露された。こんな試みを2回も挑戦した小田和正氏に惜しみない拍手を送りたい。
 「感動は伝わる」、「人は音楽を通して共感できる」ことを実証してみせた小田氏に、心からありがとうとお礼を云いたい。「絆はこうして作るんだぞ」と再び教えられた気分た。しかも、押しつけではなく、清々しく、心地よく。
 今や、<クリスマスの約束>は小田和正氏のライフワークへと昇華したかに思えてしまう。本当に彼しかできない素晴らしいオリジナルのクリスマスの贈り物でした。

『イブの別れ』

2011年12月25日 | Weblog
   

「別れるときが来たみたいね」
「……」
「いつかはこうなると分かっていたでしょ」
「別れると思って、付き合い始めた覚えはない」
「でも分かってきたでしょ、こんな日が来るのを… 」

俺を見捨てたひとを 恨んで生きるより
幼い心に秘めた むなしい涙の捨て場所を
さがしてみたい
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことが なかったこの街で


「何度もここに来たね、あなたと」
「ああ、君が船が見たいと云ったから」
「船に乗ってここを去ることを夢見ていたのかも」
「どうして俺たちこうなっちまったのかな」
「私の想いと、あなたの想いが違っていることに気づいたから」
「……」
「あなたも気づいていたはず」
「若過ぎたのかな、俺たち」
「そうじゃない… 私が先に年老いただけ…」

      

  カツカツと岸壁にヒールの音が響く
  強い風は、凍り付いた俺の心まで持っていくように感じた
  想い出にしがみつこうとするバカ者が悲しく思えてきた

せめて一夜の夢と 泣いて泣き明かして
自分の言葉に 嘘はつくまい ひとを裏切るまい


ただ生きるなら容易いかもしれない
でも生きようとするのは決して容易くはない
この違いをようやく俺は学んだようだ
君がいなくなってそのことに気づいた

生きて行きたい 

そう感じ始めた
冷え切った心がそう感じ始めた

遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことが なかったこの街で


                       
                      「遠くで汽笛を聞きながら」(作詞:谷村新司・作曲:堀内孝雄より)
      

「出会い」を考察する(3)<父と子>

2011年12月21日 | Weblog
 人として最初の出会いは、やはり親になるでしょう。時として、その大切な出会いを味わえない人がいることはとても残念なことです。母との出会い、父との出会い。人それぞれに得られるものが違うかもしれません。私は母から「愛情」を刷り込まれたように思います。そして、父からは「男としての生き方」を刷り込まれたように思います。若い頃は刷り込まれている分、気がつかずにいたように思いますが、半世紀以上も生きてくると二人から何を授かったのか考える時間も豊富になりました。こんなことを考えたのは最近見た映画のお陰です。今私の中で一番のお奨め俳優、ヒュー・ジャックマン主演の映画「リアル・スティール」がその映画です。

               

ストーリーは父の子の絆の話です。
 近未来、人類は格闘技に興味を失い『リアル・スティール』と呼ばれるロボット同士の死闘を繰り広げる最高の舞台に狂乱するようになっていました。(この発想がとてもいい) ボクシングに全てを捧げてきた男チャーリー(ヒュー・ジャックマン)は、プライドも生きる目的も失っていました。しかし、格闘技の世界から足を洗うことができず、妻子を捨てて場末のロボット格闘技大会で、食い扶持を稼ぐというどん底の生活を送っていました。ある日、母が亡くなったことで11歳の息子マックスが現われます。そんな彼らが偶然ゴミ置き場でスクラップ同然の旧式ロボット“ATOM”を発見します。小さくてオンボロの“ATOM”でしたが、彼には特別な能力が備わっていました……。

 ロボットの“ATOM”を通して、父と子の絆を再確認していく単純なストーリーですが、とても良くできていました。トム・クルーズ主演の大作「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」より、感情移入できて、まるでロッキー映画のような出来映えに、予想以上に喜びました。映画館を出るときはとても清々しい気持ちになりました。お奨め映画です。

 母親はお腹の中で10ヶ月も我が子を抱き、生まれてからは乳を与え、衣食住をしっかりと密着するので、愛を注ぐには父親よりいい環境にあります。父親は外に出て、衣食住のための資金を稼ぐために、我が子と密着する時間が乏しくなります。だから子供との絆の種類が変わって当然と云えます。母親の「愛情」とは違い、父親の責務は「生き方」を背中で我が子に教えることだと私は思っています。

 先日「トヨタカップ」で優勝し、世界No.1のクラブチームとなったFCバルセロナ。
バルサでは、「クラブ以上の存在」がクラブのスローガン、「攻撃的でスペクタクルなフットボール」をアイデンティティーとしています。サポーターにも誇りがあり、試合に勝ったとしても内容が伴わなければ容赦ないブーイングが浴びせることは有名です。(12/18のトヨタカップ優勝戦の試合内容には全世界のサポーターがきっと満足したでしょう)
 バルサのクラブ運営上の特徴として一般市民などから会員を募り、その会費でチームを運営している点が挙げられます。これを<ソシオ>といい、<ソシオ>の会員は現在世界中で14万に達しており、日本でも2004年6月より会員の募集が行われています。「カンテラ」と呼ばれる下部組織が非常に発達しており、現チームの選手も含め幾多の名選手を輩出してきました。このカンテラ出身選手は生え抜きとしてサポーターから特に絶大な声援を受けることになります。

               

 私が注目するのはカンテラという下部組織から育ったメンバーが先日の試合でも数多く占めている点です。ペップ・グァルディオラ監督はバルサのカンテラ(下部組織)出身です。メッシはそのカンテラの生え抜きではありませんでしたが、13歳の時にFCバルセロナの入団テストに合格しました。当然、その後、カンテラで経験を積んだでしょう。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体(143cm)に驚くべき才能と将来性が宿っていることに気づき、すぐさま合格を決めたと云います。FCバルサは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費(成長ホルモンの分泌異常の症状:低身長)を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾します。2001年3月1日正式契約を結びスペインでの新たな生活を始めることになりました。この家族も抱え込んでしまおうというクラブ姿勢が凄い。現在のメッシの活躍は、そんなFCバルセロナのクラブ姿勢のお陰だと言えます。リオネル・メッシは今後もその恩に報いているのでしょう。これからの数年間は彼のサッカー人生の黄金期となるに違いありません。

               

 幼い頃からカンテラのメンバーは徹底して「攻撃的でスペクタクルなフットボール」を刷り込まれてきたはずです。間違いなく父親以上の刷り込みがあったに違いありません。サッカー技術だけなく、挨拶や礼儀、尊敬心や忠誠心といった事も含まれるはずです。対する相手がどんなチームでも、FCバルセロナのサッカーをするだけだという単純なストーリーを選手たちは組み立てられるに違いありません。その戦略を理解する選手にもブレはないはず。監督の指示も優先順位も的確に選手に伝わるでしょう。ここにFCバルセロナの最大の強みがあるように思います。レアルや野球の巨人のように大金でスター選手を沢山連れてきて、にわかチームを作っても、尊大になってしまったスター選手たちにはスローガンや戦略の徹底は難しくなるのではないか。レアルにも下部組織がありますが、大金を積んでの移籍が頻繁になりチームに生え抜き選手が少なくなれば、巨人のように周囲の選手のモチベーションが上がらなくなります。きっと監督の指導力にも影響するでしょう。

 バルサの宿敵であるレアルの監督ジョゼ・モウリーニョは、かつてバルサで通訳兼助監督を経験したことがあります。父親は元ポルトガル代表のゴールキーパーで、裕福な家庭に生まれましたが、彼自身プロサッカー選手としてのキャリアはありません。モウリーニョは、スコットランドで語学を勉強後、FCポルト、FCバルセロナといった名門クラブで通訳を務めます。その後、監督に就いたルイス・ファン・ハールのアシスタントコーチも経験しました。つまりバルサを熟知していると云っていいのではないでしょうか。現在はクラシコ(バルサ対レアルの試合)ではバルサが圧倒していますが、今後のメッシの活躍、そして、モウリーニョ監督の巻き返し、そんな展開をじっくりと楽しみたいと思います。

               

 話を戻します。父と子の絆には母とは違うものがあります。サッカーのように幼い頃から始められ易いスポーツでは、その時出会った指導者のすり込みが将来に多大の影響を与えると思います。またメッシが成長した時期の出会い(ロナウジーニョ2003~2008)も大きな影響を与えたと想像します。
 ボクシングのカシカス・クレイ(後のモハメド・アリ)は、幼い頃自転車を盗まれ、警察にいった際、この時出会った警官がボクシングジムのトレーナーをしていたことがきっかけとなりました。王さんの場合は、中学生の時、偶然巨人の荒川コーチとの出会いです。その後、二人で一本足打法を作り上げることになります。イチロー選手の場合は仰木彬監督との出会いでしょう。それまでの土井監督やコーチと意見が合わず、一軍に定着できませんでした。しかし、新しく指揮を執った仰木監督は、彼の類い希ない才能を見抜きイチローとして世に送り出したのです。城島や小久保選手の場合は、王さんとの出会いです。クレイにボクシングを教えた警官や荒川コーチ、仰木監督、王さんも、彼らの才能を見出し、まるで父親のような気持ちになって純粋に彼らを愛したのではないでしょうか。

 後に恩師と呼べる人との出会い、その時二人ともそんな意識など微塵もなかったに違いありません。だからこそ、人との出会いは常に誠実になるべきだと思います。出会いと別れは必然です。クラブや会社、他の組織や集まりでも同じです。いい別れ方を出来る接し方をし続けること、これがとても大切なような気がしています。いい出会いはそのあとから向こうから訪れてくるような気がします。
 最初に入社したD社とは1年かけて、いい別れ方をしたお陰で、現在の会社から声がかかりました。学生時代、大恋愛(?)した相手とも悔いのない付き合い方ができたお陰で、今の連れ添いと出会いました。最も充実した店長時代、私の部下だった女性との再会が高校の大先輩との再会に繋がりました。どこかで人と人が繋がっているように思います。
 母とはいい別れが出来たように思っていますが、父とは出来かねています。それを自覚しながら父との関係を修復できるよう、これから努めたいと思っています。皆様もいい別れ方ができるかどうか、日頃のつきあい方を振り返って見て下さい。

「出会い」を考察する(2)<ブレない>

2011年12月20日 | Weblog
 素晴らしい出会いであったに違いないと思われる出会いを紹介します。先日王貞治氏の特集番組を見ました。その中で王さんと出会った3人の野球選手の言葉から、出会いについて印象的な言葉があったのでお話します。WBC(ワールド・ベイスボール・クラッシック)に参加したイチロー選手、育ててもらった城島と小久保選手のお話です。彼らのインタビューから人との出会いを大切したい気持ちが生まれる要因を考えてみたいと思います。

 2005年、日本(NPB)はWBC(ワールド・ベイスボール・クラッシック)への参加に対して、MLB側の一方的な開催通告やMLB中心の利益配分に反発し、参加を保留していました。日本プロ野球選手会も開催時期の問題から参加に反対し、2005年7月22日の選手会総会で不参加を決議しました。しかし、米国のMLB機構は、参加を保留するNPBに対し、改めて参加を要求し、もし日本の不参加によりWBCが失敗に終わった場合、日本に経済的補償を要求することを通達してきました。更に、WBCへの不参加は「日本の国際的な孤立を招くだろう」と警告しました。酷い通達と警告です。これを受けて、日本プロ野球選手会は不参加の方針を撤回し、9月16日、最終的に選手会の古田敦也会長がNPB機構に参加の意向を伝え、日本の参加が決まりました。(参考:ウィキペディアより)


               
 王貞治氏の日本代表監督が決定し、選手の選考時期に入った9月後半以降だと思われますが、イチロー選手がWBC参加について王監督に電話ました。イチロー選手はどうすれば参加しないでいられるか考えていたそうです。理由は開幕に近い時期のWBC開催では、今までのオフの身体作り・コンディション作りとはまったく違う時期から始めなくてならないことや開幕後の体力的不安、また米国MLBの強引な参加支持にも憤りを感じていたのかもしれません。王さんにかけた電話は非通知の携帯であったにも関わらず、「はい、王です!」という信じられない大らかな声が聞こえてきたそうです。イチロー選手は、オリックス時代、王監督率いるダイエーホークスとの試合で初回から敬遠されたことで、人物的にいい評価をしていませんでした。(非通知という失礼も、不参加の意志、王さんへの不信感が感じられる)。しかし、話せば話すほど野球を愛する純真な気持ちが伝わってきました。そして、日本を代表するチームの監督を引き受けた野球人としての覚悟を考えたとき、並々ならぬ覚悟であることを知りました。(自分が王さんの立場だったら引き受けられただろうかと自問自答したに違いありません) そして、会って話せば話すほど世界の王選手を世界の王監督したいという気持ちが沸き上がってきたそうです。

イチローは王さんに対して、このように評しています。
「王さんと会って、話したらきっと嫌う人は一人もいないと思います。王貞治という人の心の中に私がわずかでも存在しているというだけで十分です。そんな人から優勝したとき、日の丸の旗に囲まれながら、君のお陰だと云われました。人から言葉を受けて、あんなに感激したことは生涯で初めてでした」
 イチロー選手は、マスコミのインタビューに対して、なかなか正対して言葉を発しません。相手を煙に巻くような比喩を多用し、本音を表しません。言い換えれば、マスコミに対しては不信感(邪な感情)を持っていると思います。王さんも、監督、選手時代を含めてたくさんのマスコミに囲まれ、イチロー選手以上に数多くのインタビュー受け、不振な時は、マスコミから叩かれてきたはずです。そんな王さんが、非通知の突然の電話に、あんなに大らかに出られたことに、イチロー選手は自分とは違う人間的大きさ感じたに違いありません。王さんの話をするイチロー選手の言葉や表情には、いつもの斜に構えた表情ではなく、本当に心から王貞治という人間その人に心酔し、少年のような憧れの気持ちすら感じられました。
 イチロー選手は、最後にこのように云っていました。「人は最初は真っ白な心を持っていても、だんだんといろんな色に染まってくるものです。そして、最後はとても綺麗な色とは云えない色になってしまうものです。しかし、王さんは真っ白なんです。どうしてあんなに真っ白でいられるのか、私にはわかりません。本当に素晴らしい人です」
イチロー選手はインタビューの最後まで、自らの言動を恥じるような謙虚で尊敬心溢れる言葉を連発していました。

               

 王監督の愛弟子である城島選手や小久保選手が別々のインタビューの中で同じ言葉を使って王監督を評していました。二人は王さんが14年間Bクラスに低迷してきたダイエーホークスの監督を引き受けたことを信じられなかったそうです。
(城島)『ドラフト当時、私は大学進学を決めていました。ところが王さんから直接「優勝するには君の力が必要だ。一緒にプレーして欲しい」に頼まれました。世界の王さんのラブコールを断ることができる人がいますか? 入団してからも王監督の気持ちは一度もブレませんでした。(入団後ダイエーの投手陣がエラーの多い城島選手に不信感を抱いた時期があった)監督はエラーの多かった私を一度も外すことなく使い続けてくれました。そして、野球人は勝負師だ。負けてくやしがらないのはおかしい。優勝できるチームになるんだ。私は恩義に報いようと必死なって練習しました。私を使って優勝できるチームにしたいという目標から一度もブレることがありませんでした」
(小久保)『どんなに負けが続いても、ブレることがありませんでした。「目先の小さな勝ちではなく、ずっと先の優勝を目指す気持ちを持て!」とおっしゃり続けられました』

 二人が偶然に発した<ブレない>という言葉です。<ブレない>、指導者にはとても大切なスタンスです。私も指導的立場の経験がありますが、上司達の新しい指示、周囲の意見や視線、、変化する状況のために、方針を変えざるえなかったことが何度もあります。<ブレない>ということが如何に難しいかを身に沁みて知っているだけに、イチローや城島、小久保という一流選手の言葉から、王さんの偉大さが、改めて知ることができました。

 イチロー選手が感じた<真っ白>という王さんのイメージは、どんな色にも染まってしまう白色ではなく、どんな色にも染まらない野球への類い希ない純真な想いの白であり、言い換えればブレることのない固い意志を示す強烈な<白>だったに違いありません。

               

 私の大切な恩人や友人たち、本や映画で出会った素晴らしい人たちを思うとき、そのすべての人たちは、今も一度もブレるとがありません。「ブレない」という言葉は、信念やスタンスを形容するときに用いる言葉です。自分自身を振り返るとき、自分の信念やスタンスの堅固さにまだまだ足りないものを感じてしまいます。竜安寺のつくばいには「吾唯足知」(われただたるをしる)と掘られています。私は物質欲を捨てなさいと理解していますが、私はこのように言い換えたい。精神的な意味で「吾唯足りずを知る」つまり、まだまだ青二才だということを忘れてはならないということです。

「ブレない」たった四文字ですが、3人の野球選手の言葉を聞いて、とても大切な意味を感じるようになりました。そして、それはリーダーや指導的立場の人間において、重要な資質であるという理解と共に、一つの出会いがその後も続くためのキーワードのような気がするのです。


     (http://rkb.jp/oh/ 2011 12.11放映のRKB60周年記念番組を見て)  

「出会い」を考察する(1)

2011年12月17日 | Weblog
 人との出会い、本や映画との出会い、音楽での出会い、スポーツでの出会い、そんな出会いが、刺激を与え、微妙に、あるいは大きな影響を人に与えます。その時の自分の心情や前向き、後ろ向き、斜め向きの姿勢によって影響度が違ってくるように思います。私の場合、夢中になってクラブ活動や仕事に取り組んでいるとき出会った人や本・映画が、少なからず影響を与えてきたように感じます。出会いを優先していたのではなく、夢中になるものがあって、その時の二次的な出会いが、今も長く続いています。
 商売や企業で云えば、儲けることが優先ではなく、消費者・生活者が喜び、満足していただくことを優先している姿勢が大切です。つまり出会いや金儲けを優先すれば、決していい出会いはなく、よりいい人と出会いたいとか、もっと儲けたいという邪(よこしま)な気持ちが生じてしまうのです。

 人の中には孤独を酷く恐れる人がいます。いつも誰かがそばにいて欲しいと思っている人です。友だちや恋人は作ろうとするのではなく、できると考えている人もいます。こういった人は孤独を恐れることはありません。また、歳を重ねることで食事の好みが変わってくるようにDoing志向からBeing志向へと移行して、出会いのスタンスそのものが変わる場合もあります。


 
 Doing志向の場合、自分で選ぶことを優先します。自分の人生をコントロールしたいという願望が強いと云えます。この場合、人間関係の状況を把握しづらい現象が生じます。自分の感情を満たすことが最大の目的ですから、当然自分のいる位置にも周囲の状況にも無頓着になりがちです。その分想いがより強くなります。若い人の象徴と云えますが、これらがミスを犯す要因となります。つまり強すぎる想いが相手を見誤らせるのかなと思います。

 Being志向の場合、受け止める穏やかな気持ちですから、人間関係の状況も把握できており、気持ちは穏やかです。よって人の言動をじっくり観察できていることが多いのでミスの発生が少ないのではないかと思います。Beingの場合、常に心は穏やかですから、何事も正対しているように思います。平常心という言葉もBeingの気持ちを表していると思います。
 どちらにしても、大切なのは自分自身が邪ではなく前向きな姿勢です。いつでも正対していることが重要だと考えています。ただ自分にとって前向きとはどの方向かを自覚していなくてはなりません。

 出会いを求めて合コンに出席する人たちがいるようですが、私はこの種の出会いを求めようとしたことはありません。自分の信条に合わないと思っているからです。そんなところに出かければ、身も心も着飾ってしまい、メッキはやはりメッキでしかなく相手の方々にも失礼だと思うからです。だからmixiやbookfaceに参加することは私にはとても特別な出来事です。半世紀以上も生きてきて、出会いを求める気持ちが薄れてきているのでいいかなと思っています。



 中学時代、違うクラスの女の子に恋したことがあります。俗にいう一目惚れです。色の白い貴婦人のような雰囲気に一目ぼれしたのです。2年生になったとき、偶然同じクラスになり大喜びしたのでが、この子の言動があまりにも薄っぺらく、自分の想いと違っていたので、あっという間に熱が冷めてしまいました。そんな経験から一目惚れを避けるようになりました。同じクラスになってその子の言動を何度も観察したのでしょう。そして、自分の理想像と無意識に比較したのかもしれません。まさにDoing時代の真っ直中でした。

 一目惚れが一瞬にして冷めた原因を思い出していると、あの頃の自分自身が無意識に求めていた女性像の存在に気づきました。さて、どんなイメージだったのか。
「誰に対しても同じ笑顔で、同じ口調で、同じ態度で接し、自分を飾らない誠実な人」
この想いは今も変わらず、今では人を見る時の自分の信条となりました。

 多感な中学生時代、無意識のうちにすでに理想の女性像を作り上げていたことに気づきませんでした。そんな女性が近くにいたのか、中学生の頃までにそんな女性と出会っていたのか。これもまた、初めて振り返ってみました。

いました!まさにぴったりの女性が。

 小学校6年生の後半から読み始め、1年かかって読み終えた吉川英治の『宮本武蔵』のヒロイン<お通>さんがその人でした。半世紀以上生きてきて、初めて自分自身の理想の女性に気づいたのは自分でも驚きでした。

剣の道に一生を捧げた宮本武蔵
その武蔵を一生愛した女性<お通>
女を愛するという邪心を追い払い 武蔵は剣の道に精進した
そして、お通は一途にそんな彼を追い続け、想い続けたが、結ばれぬ恋だった…

   
    
 悪童だった武蔵は千年杉に吊されましたが、お通さんの助けを借りて逃げ出し二人で故郷を出奔します。沢庵和尚は若い二人を引き離し、武蔵を万巻の書がある姫路城天守閣に閉じ込めます。今考えると沢庵和尚はまるで映画「ニュー・シネマ・バラダイス」のアルフレード的存在です。お通さんには天守閣が見える花田橋の茶屋で武蔵の帰りを待てと説得します。武蔵は3年間全ての書を読み自分自身と初めて向き合うことができました。そして、自我に目覚め、今までの無知に気づきます。そして、剣の道に命を捧げるという目標を立て、姫路城天守閣から出てくることになります。花田橋の茶屋でお通さんに出会った途端に決心が揺らぐ武蔵。しかし、そんな未練を断ち切り、お通さんが荷造りをする間に橋の欄干に「許してたもれ、許してたもれ」と書き残し、一人武者修行に出ていきます。お通さんはそんな武蔵を生涯をかけて追い続けることになりました……。


     
 佐々木小次郎との巌流島の決闘までに、お通さんは多くの人と出会います。どんな人との出会いでも彼女の言動はいつも優しく思いやりに溢れていました。どんな時でも誠実で相手を信じ、いたわり続けます。お通さんの許嫁だった又八(武蔵の親友)の母、本位田家のおばばは、又八を捨てて出奔した二人を仇のように何年も追い続けました。そして、ついに我が子(又八)を愛しすぎたために武蔵とお通を見誤っていたことに気づきます。巌流島に向かう浜辺で武蔵とお通さんがようやく再会します。二人だけのわずかな逢瀬を邪魔せず、おばばは木陰からそっと見つめます。おばばもついに武蔵とお通さんを許したのです。お通さんの大誠意が頑固なおばばの心を動かしたのです。(私が最も感動し涙した場面)

             

 多くの人が無意識である方向を選んで進んでいくように思います。行く道を自分で意識して行くことはとても大切ですが、これを自覚することは容易ではありません。映画や小説で、「こんなことをしていたら、ろくなもんにはならないよ」というような年輩者の言葉に遭遇します。特に若者は知識と経験が少ないためその先が見通せないのです。私はこの原因は無知によるものだと思っています。若い人の自殺や怒りのために切れて他人に刃傷をしかける場合も、無知が原因の場合が多いのではないかと思っています。もっと広い世界や違う世界の存在を知らないために、行き詰まってしまうと考えています。見聞を広め自分の未来を信じ、可能性を信じることによって、このような生涯を送りたいと望むことは、決してその後の行動や出会いにマイナスにならないと思います。ただ寂しさを癒すために出会いを求めすぎたり、反対に待つだけの人生も決して楽しくはありません。このような道を歩むんだという漠然とした意思を持つことでも、単なる出会いを大切にしていく気持ちが生まれるのではないでしょうか。

 お通さんのようにどんな人との出会いも常に誠実であるべきですが、邪な気持ちが生じる出会いも決してないわけではありません。また自分の邪な気持ちに気づかない場合も多いのですが…。その時、この出会いは自分のためにならないと気づくかどうか、一線を越えてはいけないと自分を律するかどうかで、その後の人生が大きく変化していきます。人は邪悪な心が常に生じる生きものであることを意識しておく必要があります。つまり、人は永遠に不完全な生きものであり、永遠に純粋無垢であり続けることなど不可能だと自覚しておかねばなりません。そして、すべて自分が選んだ結果として受け止める覚悟をもつことです。

 道を歩めば様々な出会いがあるのは当たり前です。ただ、その時の姿勢や心の有り様によってその後の道行きが変わってくると私は学びました。そして邪な気持ちとは如何なるものかも気づきました。随分時間がかかったようにも思いますが、あっという間のようにも思います。残された道のりを惜しみながら今の気持ちを忘れずに歩んで行こうと思っています。

試写会「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」

2011年12月09日 | Weblog
 洋画を鑑賞するときは私はいつも一番後ろの中央辺りの左寄りを選ぶ。字幕を読みながらスクリーン全体を視界に入れるためだ。今回は全席指定の試写会ということもあって、午前中に車で一人梅田に向かい、いつも座る辺りの席を確保した。その後、一旦自宅に帰り、夕方連れ添い引っ張り出し地下鉄を使って梅田に出向いた。

 トム・クルーズの新作「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」の試写会は阪急百貨店横のナビオ8Fにある梅田TOHOシネマズで行われた。会場はスクリーン1(西日本最大級の751席)。18:10に開場され、私たちはポップコーンとドリンクセット、照り焼きチキンラップサンドとポテトを買い込み入場した。いつも行く堺のMOVIXと比べても倍くらい大きい会場に驚いた。最後列の為、スクリーンまでの距離がありスクリーンが小さく感じた。

18:30 司会の森川みどりさんがステージに上がり映画紹介を始めた。「関西でこの映画を見るのは皆さんが初めてですよ。私もまだ見ていません」とおっしゃっていた。マスコミ関係者も多数来られていたようだ。私のすぐ横に座った女性もそれらしき人で、来年用の少し大きめの手帳を出してメモ書きの準備をしていた。仕事で映画を観るという気持ちを考え、少し可哀想になってしまった。

          
                            
 さて、MIシリーズは、映像の魔術師と言われたブライアン・デ・パルマ監督、今やアクション映画の巨匠となったジョン・ウー監督、そしてベテランJ・J・エイブラムス監督という実力派監督が支えてきたが、この4作目の新作はピクサーで「Mr.インクレディブル」「レミーのおいしいレストラン」を手がけてきたブラッド・バード監督の初の実写映画。かなりの冒険だったと思うが、成功したように感じた。

 ウィキペディアによると「プロトコル」とは、複数の者が対象となる事項を確実に実行するための手順等について定めたもの。日本語では「規定」「議定書」「儀典」などと意訳される。映画の副題「ゴースト・プロトコル」をどのように解すればいいのか、鑑賞後考えてみた。前回までのシリーズでは仲間の裏切りが多々みられたが、今回は裏切りは皆無で、この点は非常に共感が持てた。映画のテーマは<絆>だと思う。4名の仲間がそれぞれの絆や情を胸に秘めてミッションに向かう。しかし、今回のミッションを知るのはイーサンの仲間4人だけとなったことからこんな題名が付いたのかもしれない。そして<絆>や<情>が薄れ、京都議定書の存在が揺らいできた現代を憂いているのかもしれない。

 私や連れ添いだけの現象かもしれないが、最近アクション映画では時々眠たくなくことがある。先月見たブラピ主演の「マネーボール」のような映画では決してそんなことにはならないが、この映画ではそんな状態に瞬間だが陥ってしまった。大好きな映画「ダークナイト」も実は初めの方で同じ現象に陥ったが、その後は予想を超える展開に心を掴まれてしまった。登場人物たちの意外行動や胸を打つセリフに感動したり、予想を越える彼らの変貌に共感できたからだ。アクションをメインにした映画ではそんなドラマ的展開が乏しくなる。目で追っているだけでストーリーが入ってくる作りになっているからだと思う。
 
           
               
 速読法を身に付けた人は目で追うだけで文章の意味が把握できるが、一般的に本を読むときは文章を目で追いながら頭の中で意味を考え、またイメージしながら内容を把握する。アクション映画にはそんな必要がない。だからこそ、多くの大衆に受け、大ヒットするのだが。

 会場を出ながら「頭を働かせないからアクション映画は眠たくなるのだ」と初めて気がついた。MI:3ではそれまでのフィリップ・シーモア・ホフマンの演技からは予想もできない悪役ぶりに驚いた。アカデミー賞助演男優賞を獲得した俳優を立てていたが、今回悪役を演じたミカエル・ニクヴィスト(スウェーデン製「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」)は、酷い扱いだったように思う。あまりにもセリフやシーンが少なすぎて悪役の人物像が構築できないまま終わってしまった。アクション映画では敵味方の対比こそが、映画の価値を引き上げる。アクションシーンに熱が入りすぎると危険な結果を招く。連れ添いは映画を見終わって「このシリーズはもういい。ボーンシリーズは眠たくならなかったのに…」と残念がった。同じように感じていたようで内心驚いた。30年も一緒に映画を見続けて、感想を言い合っているうちに感性が似通ってくるのかもしれない。

 トム・クルーズが自ら「自分はディスレクシアだ」と 公表した事によって、この障害の存在が広まったが、『ディスレクシア』(失語症・難読症・識字障害・読字障害)とは、2つの文字の違いがわからない、文字や単語の理解まで非常に時間がかかる、文字の並びが歪んで見える、文字自体が二重に見えるなど様々な症状がある。トーマス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・アインシュタインも同じディスレクシアだったと云われている。そんな障害を持っているにも関わらず、トムはハリウッドのスーパースターに登り詰めた。その頑張りは尋常ではなかったはずだ。ハンディー乗り越えた彼を心から尊敬する。

 三谷幸喜監督が新聞エッセイの中で「ファンというのは、映画や劇に出演する役者の役柄を見に来るのではなく彼らの人間性を見に来る」と語っていたが、私も同感だ。役者たちはそれぞれのスタンスで役柄を演じようとする。同じ台本・同じ監督でも演じる役者によってファンには違って見えてくるはずだ。その違いが人間性の違いだと私は思っている。マット・デイモン主演のボーン・シリーズも、当初ブラッド・ピットでという話があったそうだが、彼が主演だったらあのシリーズはきっと違ったものになっていたのではないか。

          

 トムの出世作が「トップ・ガン」だったことからアクションスターとして歩み始めたが、好きな作品は、「ラスト サムライ」 (2003)、「ザ・エージェント」 (1996)、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア 」(1994)、「ザ・ファーム 法律事務所」(1993)、「遥かなる大地へ」 (1992)、「カクテル」 (1988)で、展開の中で心の弱さが浮き彫りになってくる彼の演技に共感が持てた。彼の温かそうな人間性を感じるからだ。きっと人に対して優しい性格の持ち主に違いない。多感なの頃の両親の離婚、新興宗教への傾倒が彼の優しさと弱さの人間性を伺わせる。これは私の自論だが、宗教に傾倒する人に決して悪い人はない。
 4作のMIシリーズ比較では、3作目に軍配を挙げる。トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが1、2作目と違って与えられたミッション(悪人退治)で、予想を越える反撃を受け、慌てふためき必死になった姿に共感できたからだ。今回の4作目では主たる登場人物たちに共感を受けるとこまではいかなかった、これが敗因だ。連れ添いとは似てきたようだが、人それぞれに感性は違う。私たちにはイマイチでも、日本や世界では大ヒットするような気がする。
 私にとってのアクション映画最高傑作はマット・デイモン主演の「ボーン・アルティメイタム」だが、それを5点満点とすれば、MI:3が4点、新作MI:4は3.5点だったことを最後にご報告しておきます。

 

「人生初の紅葉狩り」2011京都平安神宮・知恩院・円山公園・八坂神社

2011年12月02日 | Weblog
昨夜はホテルで2本の洋画を鑑賞。
映画館で見たマット・デイモン主演、クリント・イーストウッド監督の「ヒアーアフター」(こちらは秀作)と
ロバート・デ・ニーロ主演の「ストーン」(こちらの作品はあまりお薦めできない駄作でした)

無料のモーニングセットを食べて京都南インター近くのホテルを出たのが、ちょうど12時。
京都市美術館に向かいましたが、「夢二」だったので近くの平安神宮の紅葉見物に変更。
今日の予定は未定だったので気分で行き先を決めました。

7)平安神宮
  立ち寄った平安神宮でも紅葉は見られました。

 

 

 

 

8)知恩院
  知恩院は、全国に7000余の寺院を擁する浄土宗の総本山。
  法然上人が晩年住まわれ、念仏の教えを説かれたお寺です。
  江戸時代、元和7年(1621)、二代将軍徳川家忠が三門を建立、
  寛永16年(1639)に徳川家光公が御影堂を建立するなどし、現在の寺が形づくられた。
 
 

 
 木造建築としては日本最大級の三門(国宝)!
 一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。
 これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という、
 悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味しているそうです。
 

 

 
知恩院奥の納骨堂(私の後ろ)付近に素晴らしい紅葉を発見!
モミジが紅葉で色の染まり方が微妙に変化している様子がとても美しく観賞できます。
右の方が南側で日当たりが良く左側がまだ緑色で、少し上が橙色に染まっています。
一番のお気に入り写真になりました!

 

9)円山公園
  知恩院の横道から円山公園に入る
 
 敬愛する竜馬と慎太郎の銅像を発見!

 

 

 


10)八坂神社
   円山公園を降りていくと大阪の住吉っさんと雰囲気が似ている八坂神社に到着。
   かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれ、7月の祇園祭(祇園会)で知られ、
   旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。
   慶応4年(1868年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、元々「祇園神社」
   「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていたのが、「八坂神社」と改められた。

 

 

 

 
 これで「人生初の紅葉狩り」紀行はおしまい!


           
 最近wowowで録画した「座頭市」シリーズ全27本を毎日のように観ています。人間の悪と善、貧困と富、農民や町民とヤクザ、哀愁に満ちた女郎たち、悪代官とつるむ卑しきもの達、身を崩し酒に溺れた浪人たちが毎回のように登場します。目が見えないの座頭市を卑しめた輩たちは、最後にはたたっ切られ、弱い人たちに情けをかけた市はその重さに堪えきれず、また一人その町を去ります。今更ながら良くできたシリーズだと感心しながら観ています。

          

 劇場で見たのは小学校から中学生時代でしたが、今見ると、全然違う印象を受けます。子供が見る映画がではなく、枯れゆく大人の映画だったと気づきました。座頭市映画以降、私は007を代表するアクション系の洋画に傾倒していきましたが、それらの映画を今観ると、「どうしてこんな映画に夢中になってしまったのだろうか」と思わざるを得ません。その後の「ジョーズ」や「ダイ・ハード」、「インディージョーンズ」等は、確かに心がワクワクするくらいに面白い映像を見せてくれましたが、ただそれだけで心の中に何(その後の人生で糧になるもの)も残っていないような気がしてなりません。  

            

淡い色を付けて満開になり、散っていく桜。
新緑の木の葉が様々な色に染まり、冷たくなった風に吹かれて散っていく木の葉。
自然の営みには人の一生を当てはめて感じるもものが潜んでいる。
桜や紅葉に感動する人たちはきっと同じ気持ちの人たちがたくさんいるに違いない。

 自然の営みや人の心の動きがだんだん分かるようになると、周囲の世界や自然の移り変わりが違って見えてくるようになりました。昔見た名作と呼ばれる映画も違って観えてきたものもそのためです。それはただ時を過ごすだけでは得られないものかもしれません。限りある時を心から惜しむことができて、人を深く愛することができて、初めて「無常」を受け止められる心が育つと思うからです。


  思い通りにならない人生
  想いが届かない人生
  掴みたいものがあるのに掴めない人生
  もっと生きたいのに限りある人生
  昨日吹いた風が今日には吹かない人生
  永遠などないことを知っていながら永遠を求めてしまう人生
  いつまでも若く、健康でありたいと思ってしまう人生

「無常」とはすべてのものが、そのままではなく変化することを意味します。すなわち、自然界にあるのものはすべて刻一刻と老化し、最後に死んでいくということです。ところが私たちは誰もが若くありたい、死にたくないと思っています。「事実」と私たちの「思い」が食い違いを起こします。これが「苦」というものが起こる要因です。その「苦」から逃れるためには、「事実」と「思い」との間に食い違いを起こさないようにするしかありません。「事実」の方は変えようがないので、私たちの「思い」を換えて「事実」に合わせるしかないのです。この方法が<受け止める>というスタンスです。つまり「やがては誰もが死ぬのだ」と思い切り、心から認めるのです。そうすると「事実」との食い違いがないので、「苦」というものは起こらず、心は穏やかになるというわけです。

 この心をもっと探求していけば「悟りの境地」、つまり解脱できるかもしれませんが、信心している修行僧でもない、煩悩の世界を惜しんでいる私にはとても行き着けるとは思えません。この悲哀に満ちた<無常>の世界に未練を感じている私ですから、行き着きたいと思ったこともありません。ただ心を穏やかにして暮らしたいと考えています。

         

 歳を重ねてきて自分自身もまた無常の世界にいることに初めて気づきました。無神論者ですが、上記のような仏法の話も理解できるようになりました。そして、惜しむ気持ちや愛する気持ちをより深く感じ始めたのです。それは緑色の紅葉がどんどん色を変えていく様と似ているような気がしてなりません。しかも、同じモミジの木でも枝のつき方や方角によって陽当たりが違い、紅葉の色に変化が生じます。私たち人間が特別ではなく、同じ自然界に住んでいることを強く意識します。

「限りある命の尊さを実感しながら、心から<生>を惜しむ」

そんな気持ちになったとき
人は生まれてきたことを きっと感謝できるに違いありません。


「紅葉狩り」から帰ってきてこんなことを考えてしまいました。(ホントにおしまい)

「人生初の紅葉狩り」2011京都嵯峨野(清涼寺・宝筐院)

2011年12月02日 | Weblog
5)清涼寺
  地元では嵯峨の“釈迦堂さん”の名で親しまれ、嵯峨源氏の祖・源融は光源氏の
  モデルになった人で、この人の山荘棲観が棲霞寺となり、超然上人が宋から持ち帰った
  釈迦如来を本尊として寺の創建を志し、その弟子が清涼寺を造る。

 



6)宝筐院(ほうきょういん)
  臨済宗の寺院で室町幕府二代将軍足利義詮の墓所で楠正行の首塚がある。
  二人はともに南北朝争乱期の武将で対戦の相手である。
  敵将正行を武将として尊敬していた足利義詮が慕い、
  彼の近くで眠りたいという遺言を残した。 
  その義詮の法号「宝筐院」と山号として建立されたお寺で、
  寺内の楓樹は格別の美しさを感じられました。  

  あるサイトで見つけた至高の紅葉はこの寺院の写真でした。
  確かに素晴らしい紅葉でした。一本の紅葉(モミジ)も日光の良く当たる南側の
  高い部分から紅葉(コウヨウ)していく様がとても良く分かりました。
  こんなに美しい自然を遅ればせながらでも鑑賞して感動する心が
  熟成できたことがとてもうれしくなりました。

 

 

 

 

 

 

この日の予定はすべて終了。

ようやく昼食を取ったのは15時を過ぎていましたが、
さほどお腹も空かず「人生初の4時間の紅葉狩り」がとても有意義のある時でした。

駐車した喫茶店から少し渡月橋に向かいモダンで小綺麗な和食店「庵珠」を発見。
湯豆腐のセットメニュー(1,890円)を注文ました。

 

 残念ながら、味はイマイチでした。
 
11時過ぎから約4時間近く嵯峨野の紅葉狩りを堪能しました。
60歳まで後2年弱ありますが、この歳になって初めて紅葉が美しいと感じられるようになったこと、
素直に喜びたいと思います。
連れ添いは以前から見に行きたかったそうですが…。        (続く)    

「人生初の紅葉狩り」2011京都嵯峨野(天龍寺・宝厳院・常寂光院・祇王寺)

2011年12月02日 | Weblog
「連れ添いと 京都嵯峨野に 紅葉狩り」

「南側 紅葉の赤は こちらから」

 この歳になって、生まれて初めて京都嵯峨野に紅葉狩りにでかけました。桜の美しさと違う趣に気づいたのがきっかけです。今回鑑賞していて、同じ紅葉でも日光を受ける南側からだんだん赤く染まってくることにも気づきました。
春には桜のお花見、そして秋には紅葉狩りの楽しみができました。歳を重ねることで楽しみが加わったことをうれしく思います。

1)天龍寺の紅葉
  足利尊氏が後醍醐天皇を菩提を弔うために建てたお寺。
  観光名所の渡月橋や天龍寺北側の亀山公園などもかつては天龍寺の境内地でした。

 







2)宝厳院の紅葉
  天龍寺の塔頭で2002年、140年ぶりに公開された至極の庭園。
  庭園内の大きな石は獅子岩と名付けられ、「獅子吼の庭」とも呼ばれる。

 







●次の常寂光院に向かうために嵯峨野の竹林を行く。この大河内山荘がある。

 



3)常寂光院の紅葉
  京都屈指の紅葉の名所。仁王門は南北朝時代に造られた運慶の作。

 











京都屈指の名所と云われるだけあって、立ち止まって見ほれてしまいました。
ホントに凄かったです。

次の目的地、祇王寺に向かう道もたくさんの紅葉がお出迎え。
少しお腹が空いてきたので、ソフトクリームとコロッケを一つずつ購入。
二人で食べながら紅葉狩りを続ける。

4)祇王寺
  赴きのある佇まいの尼寺。
  建物は廃寺となった後、明治中期、京都知事が別荘の一棟を寄付し再建される。