GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「大人になるとは?」

2010年06月23日 | Weblog
「ロンサム・ダブ」(1989年:西部劇MTV映画)

 まず、私が最も涙を流した最高の西部劇を紹介します。「大人になる話」は、この映画の後にお話します。映画の字幕付きDVDはまだ販売されていませんが、レンタルビデオは4巻・6時間でTSUTAYAの棚にあります。西部劇ファンだけでなく、もっと多くの人に見て貰いたい作品です。原作はピューリツァー賞受賞の有名な作品です。この映画の主役を演じたガスのロバート・デュバル、不器用なウッドロウを演じたトーミー・リー・ジョーンズはその後もその役柄を、どの映画でもいまだに演じているように感じます。とにかく二人の演技はまさにアカデミー主演男優賞ものです。本当に本当に心から奨めたい最高質の大人の作品です。過激なアクションシーンがなく、最初は淡々と物語は展開しますが、その分後半は涙なしには決して見ることができない展開へ変貌していきます。きっと素晴らしい作品として記憶に残るでしょう。 

(物語)
 メキシコに近いテキサスの小さな町「ロンサム・ダブ」で、元テキサスレンジャーの隊員だったガス(ロバート・デュバル)とウッドロウ(トミー・リー・ジョーンズ)は初老にさしかかってはいたが、身を持て余していた。そこに遊び仲間だった若いジェイクが久しぶりに帰ってきた。そして夢の土地“モンタナ”で牧場を開く話で盛り上がる。彼らは仲間を募り、メキシコに侵入し夜盗たちが集めた牛や馬を強奪した。そして長年住み慣れた「ロンサム・ダブ」を捨て4.000キロ離れたモンタナへの道を踏み出した。ガスとも関係のあった町の美しい売春婦ローリー(ダイアン・レイン)は、惚れていたジェイクに誘われ彼らと旅を共にすることになる。ローリーに惚れていた老いた酒場主は、悲嘆にくれて酒場を焼いて自分も命も絶ってしまった。

 ガスは陽気で遊び心のある性格だったが、ウッドロウは正反対で無骨者で頑固な性格だった。性格は違っても、二人はお互いを認め合い固い絆が根底に流れていた。牛を追いながら育ていていくという単純でしかも過酷な作業に若いジェイクは、途中で嫌気がさして仲間から離れ、悪党達の集団に入っていく。悲しむローリーを慰めるガス。その後の二人の哀しい恋の行方。様々な人との出会いが何かを残しながらも消えていく。腹に子供がいるにも関わらず、恋人を追って町を去っていく女性を捜すひ弱な夫の保安官とその子が旅の道連れとなっていく。牛を追う4,000キロの旅はまさに人生そのものというべき旅へと変貌していった…。

 旅の途中、残忍な殺しをした馬泥棒たちを保安官らと遭遇したガスたちは、元テキサスレンジャーの経験をいかして協力する。しかし、追いつめた馬泥棒の中にジェイクがいるのを知る。残忍な殺しの現場を見てきたガスたちは、泣きながら逃がしてくれと叫ぶジェイクを許すことができなかった。男たちは<夢のモンタナへの道>を守るために切り捨てるべきこととして進んでいくしかなかった。それが西部の掟だった。

 先住民に襲われローリーが略奪される出来事が起きた。レンジャー時代から追い続け、逃げられた先住民の凶悪なブルー・ダックと知ったガスたちは、必死にダックを追いつめる。牢屋に閉じこめたが、脱獄して二階から空を舞ってダックは自害する。ガスは奴隷のような扱いを受けて精神的に病んでいたローリーを最愛のクララに預ける。彼女は馬に蹴られて植物人間となった牧場主の妻となっていた。そんな彼女と最後の別れを惜しみながらも、帰ってくるとは云えないガスだった。ガスの包み込むような深い抱擁と優しい眼差しにローリーはジェイクへの憧れとは違う本当の愛を感じ始めていた。しかし、ガスはそんなローリーの気持ちを感じつつも報いることができない愛だと知っていた…。

 ようやくモンタナに辿り着いたとき、 最悪の出来事が起こった。ガスが先住民に襲われ足に重傷を負う。ウッドロウ達がようやくガスを見つけたときは、両足が壊疽に冒され切断しなければ死ぬと医者から宣告される。しかし、誇り高いガスは死を選ぶのだった。彼の固い決意を知るウッドロウは、涙を堪えてただ見送るしかなかった。ガスは死の間際にクララと過ごしたテキサスの想い出の地に死体を埋葬してくれとウッドロウに過酷な遺言する。それは棺桶を4,000キロ運ぶことを意味していた。

「ロンサム・ダブ」から連れてきた少年ニュートもいつの間にかひげを生やす若い青年に成長していた。そんな彼に牧場を託し、再び苦難の4.000キロの道をただ一人で引き返すことになるのだった。ニュートは昔、ウッドロウがある売春婦に生ませた自分の子供だったが、それを口に出して云えるウッドロウではなかった。父としての責任を一度も果たしたことがなかったからだ。牧場を任せることでニュートに知らしめることしかできない不器用な男だった。

 1年以上もかかる命懸けの過酷な旅が始まった。腐敗を防ぐためにロウで固めた死体を命をかけてクララの元に送り届けることが友情の証だった。テキサスのクララの元へ辿り着いたウッドロウは、無骨な性格の為にクララやローリーに語りかける優しい言葉を持ち合わせてはいなかった。クララが泣きながら責めても、ウッドロウに返す言葉などあるはずがなかった…。



       ………………………………………



 自分の生き方を器用に変えられない二人の男の生き様を通して、現代人がどこかに置き忘れてきた男の誇りを思い出させるかもしれません。憧れや恋に恋するような若き女性が、真の愛とは何かを学べるかもしれません。何千頭もの牛を4,000キロも離れたモンタナへと追って行く旅は、想像以上に過酷で命をも賭けた道程となります。私は幼い頃「ローハイド」という人気TV番組を見て西部のカーボーイに憧れたものでしたが、当時そんな過酷さや命懸けの旅など想像もできませんでした。

大人になるということはいったいどういうことを云うのでしょうか?

 小学校の校庭を大きくなって見た人は、その狭さに愕然とした記憶があるはずです。小学校当時、こんなに狭いとは思いもしなかったはずです。また幼い頃、親からあの道路を越えて向こう側には行かないように、あの川向こうには行かないように、あの電車道を超えては行かないようにといった注意をされたことがありませんか?それが自転車を乗りこなせるようになると一気にその境界がなくなります。どんどん行動範囲が広まり、その分視野が広がっていきます。電車も一人で乗れるようになると突然世界は変わります。大人になるということは、この変化ととても似ているように思います。つまり現実に見える世界が広がり、しかもそこにいる人たちの存在を知ることが、実は大人になることに直結しているのです。

 幼い頃、ただ怖かった大人の喧嘩シーンも実は子供の喧嘩と同じだったことを知ります。自分の悲しみや怒りが周囲の人も、離れた世界に生きている人も同じような感じる心の持ち主だったことを知ります。そして歴史や地理、生物や自然を勉強することによって自分と社会の関わりがもっと明確になっていきます。これが大人になって行くことです。分かりやすく云えば、視野が広がり、あらゆる存在が多くの情報の蓄積によってより明確になり、自分の位置が分かる、これが大人になることなのです。

 これを逆説的に云えば、最低限の情報量が大人になるためには必要だということを意味します。算数や国語、理科や社会や音楽の学習も大人になるために大切な知識の蓄積なのです。経済のことや社会の出来事、世界で起こっている事象についての知識も自立した大人が正しい判断を下すためには必要な事柄なのです。「子供だなあ、おまえは」と言われるのは「知識が足りないなあ」と云われていることと同義語だと思って下さい。100%の知識の充実なのど現実にはありえません。それは永遠に大人になれないことを意味しているのかもしれません。


久しぶりに大好きな「ロンサム・ダブ」見直してこんなことを感じてしまいました。
間違いなくお子ちゃまでは見られない大人の西部劇であることは間違いございません。
長いのでお暇な時を見つけて大人になろうとしている恋人と見るのが、
実は一番適しているように思います。
きっとこれからの人生の一部が見えるかもしれないからです。

「イムジン河」

2010年06月21日 | Weblog
人間は二本で立つように、人は<自立>する必要が思います。
自立とは自分の足でしっかりと立ち、
誰の世話にもならずとも一人でも生きていけることです。

何をして生きるか? これが長い人生の課題です。
その為に心の奥の自分とちゃんと向き合わねばなりません。
ふだん自分がしたいことだけをしていても生きてはいけません。
食べていけない、つまり生きていけないのです。
やりたこともを見つける前に、やるべきことをしなくてなならないのです。

人は自立して、その自立を通して周囲の人と接し、
社会を知り、世界の現実が少しずつ見えてきます。

 高校1年生の時(1968年)「イムジン河」という美しい歌がラジオから流れてきていっぺんに好きになりました。ギターを少し弾けた私は簡単なコードと哀愁に満ちた歌詞をすぐに覚え、一人で何度も歌っていました。ところが突然放送禁止になり、それからはラジオから聞かれることはなくなりました。当時、この理由がどうしても分かりませんでした。友人の中にはその理由を知っている人もいたようですが、説明されても納得ができませんでした。

 2005年公開の映画『パッチギ!』は、1968年の京都を描いています。映画の中で「イムジン河」の曲をギターで弾いて歌う少年の姿は、当時の自分としっかりと被さりました。この映画のプロモーションで各放送局を廻った担当者は、今でも「イムジン河」と聞いただけで難色を示されたと聞きます。この歌が昼間からラジオやテレビから流れることは、今でさえ残念ながらないのです。韓国と北朝鮮がいまだに微妙な関係であり、韓国や日本に米国軍が駐留する理由も、北朝鮮というよりは中国が控えているからに他なりません。
 米国にとって、もし朝鮮半島の統一がなされば、2国に軍を駐留する大義名分を失い、その後も駐留し続けることは中国に対する軍備と判断され、米国は国際的に即座に窮地に追いやられることになります。朝鮮半島にはこのような微妙な問題があり、冷戦時代の負の遺産をいつまでも引きずり、同じ言葉を使用する同一民族だけが悲しい現実に堪えているのです。本当に悲しくてやりきれません。

 こんな説明をその当時受けたわけでもなく、「イムジン河」という曲をいまだに、何故日本のラジオ局が放送しがたいのか、数十年してようやく判断することができるようになりました。そしてこれは日本が<自立>していないという根本的な理由にも気づきました。


年を重ねていくと、若い頃どうしても分からなかったことが、
まるで濃い霧が飛散して、突然よく見えてくることがあります。
分からない方が良かった、見えない方が良かったといったこともありますが、
知ることによって初めて自分自身の質量に気づき、
心の容積の欠如、知識の足り無さを学ぶことがあります。

幼い頃、自分が地図上の何処にいるのか、分からないものです。
自分に足りないものを知り得たとき、人は自分の位置に初めて気づくように思います。
このとき初めて目標を立てられ、道筋が見えてくるものです。
そして「足りない」ことに気づきます。
社会の出て自分に何が足りないかに気づき、もう一度大学に戻った人は、
大変よく勉強するのはこういった理由からでしょう。
本当にやりたいとことを気づくのは、それからかもしれません。




「イムジン河」
                        朴世永原詩・松山猛訳詞
                        高宗漢作曲

イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る


無知だった頃の私、しかし限りなく純粋だった頃の曲。
北山さんは今、人生をどのように感じているでしょうか?
はしださんのその後の苦難の道、音楽界にトップとして君臨したがための苦悩を味わった加藤さん。
医師の道を志し、不幸な人と接してきて今年64歳になった北山さんには、
人生がどのように見えているのでしょうか?

2008年の新聞のコラムでこんなことを語っています。
『購買欲や食欲、性欲や人を殴りたい攻撃欲は満たされると快感を感じてすかっとするのだ。しかし、この快感は一瞬である。どのような欲求充足も長続きしないし、またすぐに不満がつのる。こんなDoingの幸せに対して、Beingの幸せがある。「することを忘れ、何もしないで、ボーッとして、ただ「いる」だけでいい時の幸せというのがある。幼い頃はそういう幸せに溢れていたようだ。泳ぎ疲れてただ波間に浮かんでいた浮袋の中。学校の帰り道、土手に寝ころんで雲の形が人の顔に見えたあの「ながーい時間」。あるときはただアリたちを見つめているだけで幸せだった。』

高校時代よりもっと以前の純真だった頃、欲望と意味も知り得なかった頃の、
Beingの幸せを思い返すとき、人生の戻れ得ぬ切なさを感じるのでしょうか。



「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストシーンが浮かびます。
試写室のスクリーンにアルフレードの形見、
検閲でカットしてきたキスシーンの連続が映し出されます。

北山さんの想いは、こぼれ落ちるサルバトーレの涙の意味と似ているような気がします。


「未完の政権交代」

2010年06月18日 | Weblog
 6月17日の神戸新聞で芹沢一也氏(社会学者:『狂気と犯罪-なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか』)の鋭い論考『未完の政権交代』を読ませていただきました。私のような凡人が現在の政治不信の状態をただ嘆くのではなく、氏の根拠ある洞察を読ませていただき、改めて謙虚に受け止めたいと思いました。

 大竹文雄大阪大学教授「競争と公平感」(中公新書)によると「貧しい人の面倒をみるのは国の責任か」という問いに対して、世界各国のほとんどの国は80%がYesと答え、自己責任国であるアメリカは70%がYesでしたが、日本は59%がYesという国際的に際だって低い数字を示したそうです。この数字に関して、芹沢一也氏は以下のような論考を述べられていました。

『近代日本の黎明期、明治政府は統治に当たって国民が権利意識に目覚める事態を忌避するために「自助」(他人の力によらず、自分の力だけで事を成し遂げること)という観念を植え付け、国民からの要求が国家の義務へと転化するのを恐れたからである。よって戦前日本にかたちづくられたのは、国民の自助と国家の恩恵が織りなす社会だった。戦後、国民主権がうたわれたが、自助と恩恵の関係が払拭されたとは言い難い。だからこそ、貧困解消は国家の責任だという認識が、きわめて希薄なのである。また、自助イデオロギーのもとでは、健全な中間団体の伝統もはぐくまれなかった。それゆえ、「新しい公共」と、官民対等の協働を掲げようが、財政難にある政府が行政の下請けとして、安価な労働力であるNPOを利用するのが実態となる。

 維新がなって封建の世を脱し、日本が近代国家としての歩を進めたとき、福沢諭吉は「日本には政府ありて国民なし」と嘆いた。西洋の文明諸国と伍するためには、自由で独立した精神を備えた人びと、すなわち国民が不可欠だと考えたからだ。

 90年代の政治改革の時代以来、わたしたちは学んだはずである。小選挙区制によっても、マニフェスト選挙によっても、そして政権交代によっても、それだけでは「国民の政治」は実現しないのだと。』

 何度も日記に書いてきましたが、日本は国民の総意によって封建社会から脱却した経験がありません。庶民の力によって自由や平等、民主主義を獲得した歴史がない、他に類を見ない文明国家が日本と云えます。戦後、アメリカと協力して共産・社会主義思想を徹底して摘み取り、政治的イデオロギーまでが見事に摘み取られてしまいました。その結果として、選挙に参加しない、誰が議員になっても、誰が大臣になっても同じ、政権交代しても変わらないといった不毛の観念が充満するに至ってしまいました。

 民主主義国家にとって、主人公はわたしたち国民だということは衆知の事実です。しかし、残念ながら陳腐な「公式」となり果てたのは、今までの為政者たちの責任もあるでしょうが、私たち国民がその事実に改めて気づかねばなりません。

芹沢氏はこのように続けて述べています。
『党利党略や利益配分政治から、理念と政策の競い合い政治へと転回させるためには、民主政治の伝統を少しずつ成熟させていくしか途はない。即効性のある特効薬など存在しないのだ。 政権交代に託した国民の意思は、いまだ未完である。そしてこの「未完の政権交代」を完遂できるのは、私たち国民以外にないのである。』

 戦後の日本を統治したGHQのトップマッカーサーは日本国民は12歳の子供だと評しましたが、12歳というのは小学6年生にあたります。小学校、もしくは中学1年生の頃を考えれば先生の云われるままに従業を受け、時代遅れの校則を変更するなどと一切考えもしませんでした。学校で従業を受ける権利や義務もまた頭の中にはありませんでした。高校に入る頃になってようやく校則や高圧的な学校側の姿勢にも気がつき始めました。

 政治的イデオロギーに関する授業は、大学に入学するまで皆無といっていいでしょう。無知が故の幸せもないではありませんが、無知が故の不幸の方が根が深いように思います。参議院選を前にして、民主主義国家の国民としての権利と義務を改めて考え直していきたいものです。

「ワールドカップ初戦、日本勝利!」

2010年06月15日 | Weblog
2010年 6月14日、日本はワールドカップ初戦、勝ち点3の歴史的勝利をおさめました。
本田の落ち着いた見事なシュートに思わず大声を上げてしまいました。


最高のクロスを上げた松井は、
あのシュート生まれるまでに3回同じようなクロスを放っていた。
高地の為にカーブがかかりにくく、
しかも予想以上に飛ぶボールコントロールに苦心していた。
当然相手側のカメルーンも同じだ。
ロングパス、クロス、コーナーキックを合わせることに苦心していた。
松井のクロスに何度も大久保が必死に合わせようとしていた。

前半39分、ついに決定的瞬間がやってきた。
松井の狙いすましたクロスがゴール左角に放たれた。
攻守に躍動していた大久保の動きにカメルーンのバックは反応し、
その先に飛び込んだ本田がノーマークだった。

サッカーの女神が微笑んてくれた瞬間だった。

松井の3度目のクロス、ボールが伸びてくることを本能的に感じ取っていた本田、
そして、しっかりとバックやGKの動きを見抜いた落ち着きあるシュート、
ディフェンダーを引きつけた大久保、
これらすべてが合わさって生まれた最高のシュートだった。
ゴールネットを揺らした瞬間、鳥肌が立った。
その後カメルーンの怒濤の攻撃に何度もファインセーブを見せたGKの川島、
1点を守りきったバックの闘莉王と中沢の身体を張った闘志を称えたい。


各国メディアの反応を集めてみました。
・サッカー・ワールドカップ(W杯)のカメルーン戦で日本が勝利したことについて、海外メディアは「番狂わせ」「驚き」と報じた。エトーなど欧州で活躍する一流選手を擁するカメルーンに、「格下」とみられた日本が勝ったことは意外だったようだが、「オランダ、デンマークは何の心配もない」(英BBC)
・「日本のE組での1次リーグ突破は困難」(欧州総局)
・「大成功」(独紙)
・「番狂わせ」(伊紙)
・「サプライズ」(米CNN)。
・「『不屈のライオン』が『青いサムライ』の決死の守りを崩すことができなかった」。英大衆紙サン(電子版)
「大物エトーは日本のディフェンスに巧みに阻まれ、ほとんどプレーができなかった」(英タイムズ紙)
「『不屈のライオン』は日本の戦士に苦い薬を飲まされることになった」(カメルーン国営放送局CRTV電子版)
・「日本は驚くべき勝利を収めた」(オランダ地元ラジオ局)
・「生ぬるい試合」(英BBC)
・「これが(日本には)最後の幸運」(南ドイツ新聞)

●試合前の予想
・中国ネットユーザーアンケート
「日本代表を応援するか?」41.2%
「日本はカメルーンに勝利する」30.5%
「引き分ける」12.5%(中国環球網)
・韓国ファン「カメルーンの勝利」73.1%
「日本が勝利をおさめる」10.1%(韓国スポーツTOTO公式のオンライン販売サイト)
・「サムライブルーの日本が勝利する」(英国のデイリー・テレグラフ紙)


 隣国、中国の反応が以前と変わって友好的に思えます。前回のワールドカップの頃よりは大きく変化したように思えてとてもうれしくなりました。ここには民主党政権の存在が影響しているようにも思います。アジア発展の為には中国、韓国、日本がしっかりした信頼関係を構築していかねばなりません。侵略した過去の歴史を踏まえ、日本にも様々な言い分があるでしょうが、それを越えた絆作りには、やはり日本から手を差し伸べなければなりません。薩長同盟も龍馬の口利きから始まりましたが、薩摩が手を差し伸べたのです。過去の国家間の感情を越えた、将来の為の新しい絆作りを築いていければと、心から願っています。

新首相:菅直人(2)

2010年06月10日 | Weblog
菅直人氏にまつわる周囲の反応

■清華大学国際問題研究所の劉江永副所長
「中国との交際に対して菅氏は誠意があり、日本の新首相としてその人格や中国に対する情熱は間違いないだろう」

・中国社会科学院日本研究所の高洪副所長
「菅氏がまず日本の首相として、日本の国家の利益を守り、自国の利益を根本の出発点にして、内政や外交の戦略方針を決めるだろう。一般的にバランスを取るために、やや右寄りの政治家が政権を取った場合は少し左寄りになり、逆にやや左よりの政治家は少し右寄りになる。中国に友好的だと考えられている。1984年、中国の当時の総書記であった胡耀邦氏が3000人の日本人青年を中国に招いた時、菅氏はその中の一人として訪中した。中国側の受け入れ機関である全国青年連合会の主席は胡錦濤国家主席で、こうした政治的な縁から中国には良い印象を持っているようだ。また東京工業大学を卒業した菅氏は、政治の世界に入ってから中国への友好を表すために、数十年にもわたって毎年、東京工業大学に留学している中国人学生を自宅に呼び、ギョーザを作ったり懇談したりしている。

 民主党の中国との友好交流に参加する一方で、日本の利益を守る政治家として中国にとってあまり好ましくない発言をしたこともある。例えば台湾問題で台湾の「民主自決権利」を尊重し、「台湾独立運動」を干渉すべきではないというようなことを言ったことがあるが、その後はさまざまな事を経てそのような話はしなくなった。

 個人的に菅氏自身の政治の好みはいずれにしても、菅氏が国家の利益や世界の情勢の中で日本の戦略をどう見ているかということがもっとも肝要だ。菅氏自身の個人的色彩は、直面している国際的な環境や守るべき国家の利益にはそれほど大きく影響はしないだろう。
 日中関係に変化が生じる可能性は非常に小さい。それは鳩山内閣の屋台骨を支えていた1人であり、鳩山政権で対中政策にかかわっていた人物でもあるからだ。それに今、中国と平穏な関係を保つことは日本の国家の利益に合致し、この点を菅氏ははっきりと認識しているはずだ。」

■中国の最大手検索サイト「百度」によると、6月8日午前10時現在、ニュース検索ワードのトップは「菅直人 取消訪華(訪中取り消し)」だ。鳩山首相は上海万博で12日に行われる「日本デー」の出席を決めていたが、政権交代により日本政府のトップの訪中が取り消しになったことが注目を集めた。

■次期中国大使として伊藤忠商事相談役の丹羽宇一郎氏(71歳)を起用する方針を固めた。主要国の大使はいずれも外務省出身者が担当しており、民間人の起用はきわめて異例。菅首相は以前から民間人を大使として起用するべきと表明していた。新首相は日米同盟を基軸としつつも、日中関係を重視する外交方針を表明しているが、経済界の大物である丹羽氏の起用は対中関係重視を具現したものとなった。

■安倍晋三氏に、以下のように『マヌケ』と罵られて、反論できませんでした。
また、息子のニート・フリーターの『源太郎』氏を二度も民主党公認として、国会議員選挙に出馬させた世襲是認者です。朝日10/20(2002年) :安倍官房副長官は9日、広島、岡山両市で講演し、北朝鮮による拉致事件をめぐる民主党の菅直人前幹事長、社民党の土井党首の過去の対応を取り上げ、「極めてマヌケな議員」と名指しで批判した。安倍氏は、北朝鮮が認めた原敕晁(ただあき)さん拉致事件の実行犯とされる辛光洙容疑者に関して、「釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」と述べた。菅直人氏は一言で言えば『愚劣一徹のパフォーマンス屋』です。

■6月2日の鳩山首相の辞任を、中国の各メディアも大きく伝えた。ニュース・サイトも特集ページを設け、辞任までの経緯や、日本の政治情勢を詳しく紹介した。読者が寄せたコメントを見ると、期待に応えられなかった場合、一国の最高指導者といえども辞任を余儀なくされる「民主主義」を評価する声が多い。ニュースサイトの鳳凰網には、民主主義はすばらしいなどとするコメントが多数、寄せられた。「大和民族」と「民主体制」を称賛し、アジアの希望と未来だと、絶賛する書き込みもある。指導者に責任を取らせる国であればこそ、国民が富み栄えるとの書き込みや、逆に、だから(民意を反映するシステムが不完全な)中国はだめなのだと、自国の体制に批判的な意見がみられる。指導者の交代があまりにも多いとの批判もあるが、政治的に混乱していても、国家は安定しているとの反論も寄せられ、投稿者の間で論争が生じた。引退しても、生涯にわたりよい待遇を受けられるとの書き込みがある。中国における過去の政権争いで、失脚した政治家が徹底的に迫害される場合が多かったことが、念頭にあると思われる。

■民主党の田中真紀子・元外相は6日、大津市内で講演し、「政治は夢と理想を実現するツール(道具)。マニフェスト(政権公約)ばかり言っていたら夢のまま。新しく首相になった人が『クリーンでいきましょう』と言っているが、洗濯屋じゃないんですから。クリーンだけど何もできない人がリーダーなんですか」と、菅新首相の姿勢に疑問を呈した。さらに、「民主党は現実の政治を動かしたことがない。(過去の)閣僚経験者も数人だけで、(表舞台から)追い出された誰かさんをおいて、人材がいないと思う」と述べ、「小沢外し」と指摘されている新閣僚、党役員人事をけん制した。

■菅新首相は6日未明、アメリカ・オバマ大統領と電話で初めてとなる日米首脳会談を行った。オバマ大統領が首相就任に対する祝意を伝えたのに対し、菅新首相は「カナダでのサミット(=主要国首脳会議)でお会いすることを楽しみにしている」と応じたという。懸案のアメリカ軍普天間基地の移設問題については、先の日米合意に基づいて対応していくことで一致した。

以上すべてニュース記事の抜粋でした。

●米国からの菅氏に対するニュースがとても少ないことが気になります。鳩山氏と同様に米国にとって国益に貢献する新首相ではないと判断しているのでしょうか。 オバマ氏と菅氏にはとても似た経歴や施策があります。草の根政治家、弁護士と弁理士、社会保障制度の充実、企業家からのバックアップが少ない、理論家で弁舌家等。

 オバマ氏は民主党に関わらず、ベトナム戦争に反対したケネディ(民主党)とは違って、アフガンへの派兵を決定しています。このあたりに経済を立て直すためには地域戦争必要論を認めている強かさを感じる。私が菅直人新首相に求める最大のポイントはこの<強かさ>です。

 これから思いも寄らない暴露的ニュースや過去の生い立ち問題(祖父の帰化)、過去の女性問題等が噴出するでしょう。周恩来と手を握って日中復交を果たした田中元首相は、米国ロッキード社からの情報漏れ(CIA?→公安→検察)から、辞任に追いやられた最初の政治家主導の国会議員です(冷戦当時、米国は日本の親日外交を恐れた)。辞任に追いやられるには、まずは刑事事件(多いのは収賄)、スキャンダル(秘書、女性関係、親類縁者)、リーダーシップの欠如が上げられます。官僚主導から政治家主導を目指している菅氏にとって警察や検察、公安・外事(→米国・CIA)はすべて官僚組織であり敵対関係?にあります。その彼らによって当然様々な情報収集活動が行われているはずです。民主党最大実力者の小沢氏は、このような公正を欠いた検察の追求を批判し続けました。米国は小沢氏による300名を越える党員を連れての中国詣・中国国家主席の胡錦濤会見を苦々しく思ったに違いありません。

 菅氏も過去の国民年金未加入問題のようなイメージを損ねる報道や、特に中国のスパイめいたスキャンダルはきっと沸き上がってくるでしょう。それらすべてに落ち着いた対応、強かな対応をして欲しいと思います。そして田中元首相、小沢一郎のような中国寄りの派手なパフォーマンスをせず、強い経済を作る為に中国経済の力を必要としているスタンスを続けて欲しいと思います。強い財政作りの為には、無駄な支出を徹底して省き(事業仕分け徹底)、小さな政府を目指し、薄かった企業とのパイプを太くして低迷する経済のカンフル剤的な施策が必要だと思います。(私は高速道路の無料化はベターな施策とは思いません)

 中国との関係を密にするのはいいのですが、中国軍隊の増強には懸念しています。いずれ台湾返還問題が勃発する時が来るように感じて仕方がないからです。これは中国と米国の全面戦争にも発展しかねないキナ臭い重要な問題です。その時、日本はどう振る舞うのか? 中国は米国のようなせっかちなお国柄ではないので、米国の極東派兵にいずれ政治的、経済的に行き詰まることを知っており、その時をじっと待っている節があります。それまで虎視眈々と計り軍備を緩やかに?に増強し続けるでしょう。

 忘れてはならないのが発展を続けている核保有国インドです。米国はインドを中国についで敵対国として位置づけしています。日本はそのインドとの関係を今まで以上にパイプを太くして経済の活性化手段として有効を進めなくてはなりません。ギリシャやハンガリーの財政破綻問題はEU全体に波及する可能性(スペイン・ポルトガルも危機感がある)があり、売れるモノがある日本経済にとって、中国、インド、そしてインドネシア、ベトナム等のアジア諸国への大シフト変換が必要になるかと思っています。その時沖縄が以前の香港のように世界企業の誘致ができたならば、日本の経済は大きく様変わりするに違いありません。20、30年先の話でしょうが、その時、沖縄の在日米軍基地の存在(一等地にある膨大な面積)が、発展するアジア企業誘致に大きなマイナス要因になることは明らかです。

 台湾は元々中国の領土だったことは衆知の事実です。米国の力が衰え、今以上に中国が強大になるのはそんな先の将来ではないかもしれません。台湾経済を手中にするために上海以上の台湾フリーゾーン計画が中国首脳にあっても不思議ではありません。日本は、もしそんな計画が中国にあるならば台湾から沖縄にそのフリーゾーン構想を移行させるくらいの腹黒さを持っていて欲しいと思います。その時のために強かな外交、強かな政治手腕が求められるのです。政治家の裏表が明確すぎるような人物ではこれからの難局を乗り切るのは無理でしょう。

 最後に、6/8のインタビューで菅首相が答えた内容について重要な3点を紹介しておきます。
「私自身は草の根から生まれた政治家でありますので草の根の政治という表現も一つ頭に浮かぶんでありますが、もう少し元気のいいところで言えば、私の趣味で言えば「奇兵隊内閣」とでも言いたいと思いますね。私は今、坂本龍馬が非常に注目されておりますが、長州生まれでありますので、高杉晋作という人はですね、逃げるときも早いし攻めるときも早い、まさに果断な行動をとりました。まさに、明治維新を成し遂げる大きな力を発揮した人です。今、日本の状況は、まさにこの停滞を打ち破るために果断に行動することが必要です。そして、奇兵隊というのは必ずしもお殿様の息子たちがやった軍隊ではありません。まさに武士階級以外からも、いろんな人が参加してこの奇兵隊を作った。まさに、幅広い、国民の中から出てきた我が党の国会議員、これが奇兵隊のような志を持って、まさに勇猛果敢に戦ってもらいたいと期待を込めて、奇兵隊内閣とでも名付けてもらえればありがたいと思います。」

「スウェーデンなどの多くの国では、社会保障を充実させることの中に、雇用を生み出し、そして若い人たちも安心して勉強や研究に励むことができる、まさに社会保障の多くの分野は、経済を成長させる分野でもある。こういう観点に立てば、この三つの、経済成長と、財政と、そして社会保障を一体として強くしていくという道は、必ず開けるものと考えております。」

「日本は戦後60年間、日米同盟を基軸として外交を進めてまいりました。その原則は今も原則としてしっかりとそうした姿勢を続けていく必要があると考えております。それと同時に、アジアにある日本として、アジアの諸国との関係をより深め、さらにヨーロッパや、あるいはアフリカや、あるいは南米といった世界の国々とも連携を深めていく、このことが必要だと思っております。
 普天間の問題で日米関係を含めていろいろと国内の問題も含めて国民の皆さんにご心配をおかけいたしました。日米の間の合意はでき、それに基づいて進めなければならないと思っておりますが、同時に、閣議決定においても述べられました、沖縄の負担の軽減ということも真摯(しんし)に全力を挙げて取り組んでいかなければならないと考えております。たいへん困難な課題でありますけれども、私もしっかりとひとつの方向性をもってこの問題に取り組んでまいりたい、このように思っているところであります。」

・上々の答弁だと思います(グッドラック[m:50])

新首相:菅直人

2010年06月08日 | Weblog
 新しく首相となった菅直人首相は草の根運動によって初めて日本の首相になった政治家です。彼の生い立ちは、宇部曹達工業(のちのセントラル硝子)の重役の長男として生まれ、工場長だった父の転勤に伴い、三鷹市下連雀に転居した関係で、山口県立宇部高等学校から東京都立小山台高等学校に編入学し、卒業。1970年に東京工業大学理学部応用物理学科卒業。1971年に弁理士試験に合格。東京工業大学在学中には、政治サークル「現代問題研究会」を創設してリーダーとして活躍。23歳の学生時代、東大安田講堂事件を間近に体験し、1974年28歳の時、7月の参議院選で田中元首相の金権政治に対抗して、引退を口にしていた81歳の市川房枝氏を担ぎ出し、見事全国区で2位で返り咲きさせた中心的存在でした。この活動が政治家への第一歩となったようです。

 1976年の第34回衆院選に東京7区(当時)から無所属で立候補し落選。江田三郎の目に止まり、誘われる形で社会市民連合に参加。 1977年の第11回参院選では社会市民連合から出馬し落選。1979年の第35回衆院選では社会市民連合から名称を変更した社会民主連合から出馬し、またも落選。1980年の第36回衆院選で初当選。土地問題などを中心に市民派の政策通として頭角を現した。社会民主連合では1978年副代表、1985年に副書記長兼政策委員長を務めた。国鉄分割民営化では民営化支持を表明した

 1996年1月、村山内閣総辞職後成立した第1次橋本内閣で厚生大臣(第74代)として入閣し、薬害エイズ事件で初めて派手なフォーマンスを繰り広げ、国民の前でスマートな姿を印象づけました。その後、菅自身の厚生大臣時代の年金未払い記録が明らかとなり、彼は行政側のミスであると何度も主張したが、行政側がその都度強く否定し、マスコミ報道等による世論の風当たりにより、1994年5月10日に党代表を辞任せざるを得ない状況に追い込まれた。菅の代表辞任後に厚生労働省自身が、菅の主張を認めて謝罪し、菅の厚生大臣時代の国民年金未納期間も国民年金に加入していたということに訂正された。

 2003年11月9日の第43回衆院選では「高速道路の原則無料化」、「小学校低学年の30人以下の学級実現」などをマニフェスト(政策綱領)に掲げ、公示前勢力を大幅に上回る177議席を獲得し、比例代表では自民党を上回った。その後、小泉自民党を含む主要政党のほとんどがマニフェストを掲げて選挙戦を戦うこととなり、結果として菅および民主党が日本におけるマニフェスト選挙の定着に大きな役割を果たすこととなりました。

 菅氏の経歴を抜粋してきましたが、こんな経験をしてきた彼が今後日本をどのように導こうとしているのか? 米国や中国、韓国や北朝鮮の周辺国家はどのような人物かを必死に分析している最中でしょう。日米安全保障条約についてどのようなスタンスを持っているのか? 米国の最大の関心事はこれに尽きるでしょう。沖縄在日米軍基地移転問題はまさしくその試金石となります。以前鳩山氏の論文を紹介しましたが(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1273367404&owner_id=3915793)、あまりにも明確なスタンスを早々と発表していた鳩山内閣は予想していた通り任期の25%もまっとうできず、辞任に追いやられました。基地問題についての交渉では米国は一度も同じ土俵に上がることなく、首相としての扱いすらしてこなかったように見えました。戦後レジーム(打倒すべき、忌避すべき悪しき旧体制)と所信演説で述べてしまった安倍晋三元首相、『…「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造』と謳った鳩山由起夫元首相、共に短命内閣となりました。

 日本の若き?政治家達はどうしてこのような状況把握ができない連中ばかりなのかと歯ぎしりしてしまいます。世論として日米安保条約の是非について東大安田講堂以来、沸き上がってきたことがあったでしょうか? 沖縄だけでなく在日米軍基地の是非について我々国民が真剣になって口にしてきたことがあるでしょうか?

 在日米軍は、横田飛行場に司令部を置き、地上要員約37,000人、洋上要員約13,000人を有する(三沢飛行場・横須賀海軍施設・厚木海軍飛行場・岩国基地・佐世保基地・嘉手納飛行場・普天間飛行場)。この数は、28,500人とも言われる在韓米軍兵力を遥かに上回るものです。このすべての基地の是非について世論が沸き上がらない限り、沖縄基地問題はあくまで各論でしか発展のしようがありません。日本の原子力発電所問題と同じです。総論(国民全体)としては認めるが、各論反対(地域住民反対)というスタンスです。米国にとって日本は極東の壁としての軍事拠点です。その戦略的重要基地の移転問題を国民の総意が認めているにもかかわらず、地域の反対だけでは日本の驚異的な経済成長を支えてきたことを自負している米国と対決などできるはずがないのです。首相の説得力欠如という図式だけが浮き彫りになっただけでした。結局このリーダーシップの無さが引き金となって鳩山首相は辞任し内閣は総辞職に追いやられました。

 米国は安田講堂事件以来日本の公安組織と手を取り合って反米組織・連合赤軍党の共産主義者、過激な社会主義者を根絶えしにしてきたのです。その後の学生運動は学費値上げ反対というチンケな運動へと様変わり果てました。1969年以降、日本国民は米軍の加護の下、国家としての自立心を完全に失い祖国を愛する精神は、発展を遂げる企業への忠誠心へと様変わりしたようにも感じます。

 安倍氏や鳩山氏が目指そうとした美しい国、東アジア共同体の思想の根本は日本の真の独立を目指したものでした。自由と平等を勝ち取った経験のない日本国民は、与えられた自由を見誤り、驚異的な経済発展を遂げることによって得た繁栄と平和を享受してきた為に、自らの独立と将来まで見失ったのです。戦後、マッカーサーが自国の公聴会で日本の国民は<12歳の子供>と評しましたが、安部氏や鳩山氏の所信演説は、12歳の子供がようやく高校生になって、学業優秀な名家のお坊ちゃんが、学校の講堂で青臭い理想論を述べているかのように感じました。

 米国は今大変な変革期にあります。「世界の警察」として、反共の姿勢を全世界に示し、民主主義国家を広げるために膨大な軍事費と犠牲を払ってきました。その行きすぎた行動が、イスラム国家との対立を深め、米国軍と行動を共にしてきた自由主義国家がテロの反撃を受けています。今まで経済を支えてきた屋台骨の車産業が破綻し、世界を一閃したIT産業も今までの勢いにかげりが見せ始めると、巨大証券会社がろくでもない紙切れにキンメッキを施し、世界中に売り込みをかけたのです。まさに忌まわしき連金術に世界中が踊らせられたのです。米国の経済はIT産業の興隆以降、破綻の道を辿っているのです。その最大の要因が「世界の警察」として、面目を保つ為の膨大な支出にあります。
 ソ連崩壊も膨大な軍事支出に経済がついていかなかったように、米国も実は本音の部分で「世界の警察」という看板を降ろしたがっているように感じます。しかし、強大な軍事国家としてのタカ派と呼ばれる保守本流の米国が存在します。日本の戦略的位置づけは、そんな保守的米国から見れば極東の壁、浮沈空母なのです。

 菅直人首相は強い経済、強い財政、強い社会保障が明確なスタンスです。石原慎太郎都知事に云わせると彼は<極左>だそうですが、民主党政権発足以来、インド洋での給油問題からぎくしゃくし始めた米国との関係、そして日米安全保障条約にも抵触する基地移転問題は最重要課題です。特にこの問題は、周辺諸国に対しても非常にナーバスにならざるをえない課題でもあります。野党時代の菅氏にはとてもスマートな印象があり、小泉元首相との国会でのやり取りをまるで映画の1シーンのように楽しんだ記憶が残っています。しかし、一国の首相となった今、その言動には想像を遥かに越えた責任がのしかかってきます。取るに足らない言動にこの5年間どれだけの新首相が足を引っ張られたでしょうか。選挙に勝ちたいがためのプレゼント施策を公表したばかりにその後の行動がどれほど制限されたでしょうか? 

 政治家を目指した限り、すべての人は頂点である日本の首相になることが最大の目標となります。市川房枝氏の後を引き継ぎ、金権政治を排除し、社会保障制度をより充実させることが、政治理念の根本にある菅直人氏です。そのためには、強い経済、強い財政がその基盤であることも十分承知しているはずです。早急に対処しなければならない基地問題とそれまでに今までの民主党ではないと国民に知らしめる明確なパフォーマンスを必要とします。そうでなければ夏の参議院選で勝つことなど不可能でしょう。まさしくせっぱ詰まった待ったなしの状況であることは事実です。この難局を乗り切るには決して以前のようなスマートさを求めてはいません。泥臭くていいのです。米国のスタンスを受け入れながらも、新たな道を探り、国民が信頼できる首相を目指して欲しいと思います。

「ブラシのような花」

2010年06月01日 | Weblog
 私が働く施設は海辺近くの臨海公園の中にあります。よって多くの方が公園内を散歩に来られたり、四季折々の植物を観賞に来られます。昼過ぎにこんな二人組の女性年輩者に出会いました。健常者の女性が白い杖の方の手を引きながら、赤い色した植物を熱心に説明していたのです。
「この花はとても深い赤い色で、まるでブラシの毛のような花をつけているの」
そういって花びらをほんの一部、もぎ取って
「こんな花びらよ」と女性の手のひらに押しつけていました。

 白い杖を持っている女性の歩き方は、本当にたどたどしく手を引かれていても重心は後ろにあるような歩き方でした。生まれつき目が悪い人ではなかったのかもしれません。年老いて急に目が悪くなったように感じました。健常者の女性が一生懸命に笑顔で花の説明をしていましたが、白い杖の女性の表情は変化に乏しく真っ赤なブラシのような花が頭に浮かんできているようには見えませんでした。今は届かぬ言葉かもしれませんが、話しかけ続けることが大切です。健常の女性が、明るく熱心に説明し続ける姿を見て、胸が締め付けられるような思いになりました。まさに愛が溢れるような姿でした。

 ふと大好きな映画「奇跡の人」を思い出しました。ヘレン・ケラーは三重苦だったにも関わらず、サリバン先生はヘレンを見捨てることなく、モノには名前があることを教え続けました。ラストシーンでヘレンが蛇口から流れ落ちる冷たい水に触れて、サリバン先生の手を取り、手話でWATERと示した時の感動が甦ります。ヘレンの両親はサリバン先生が来る前に多くの家庭教師を雇いましたが、まるで野獣のようなヘレンに手を焼き、先生方は辞めて行ったのです。サリバン先生だけがヘレンを文字がある世界、人間世界へと導いたのです。「奇跡の人」とはヘレンではなく、サリバン先生のことなのです。

 辞めて行った多くの家庭教師とサリバン先生との差は何だったのでしょうか。人一倍先生としての使命感が強かったことも上げられるでしょうが、私はサリバン先生がヘレンに接したとき、彼女の高い知性を見出すことができた能力の差ではないかと思います。サリバン先生はヘレンの前にも障害者の方と接した経験があったに違いありません。しかし、その人たちにはない優れた知性を感じたように思います。人を導く人にとって埋もれた原石を見出す力は、とても大切な能力のように思います。そして、溢れるような愛がなくては到底続けられる仕事ではありません。


 

赤いブラシのような花の名前は「ブラシの木」(カリステモン)です。