GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「ホテル阪急インターナショナル」(サービスは奥が深い)

2011年01月31日 | Weblog
 サービスはとても奥が深い。懸命になればなるほど、その難しさを知ることになるからだ。それは人それぞれに想いが違うからに他ならない。例えば、タバコの灰皿は2本で取り替えるというマニュアルがあったとする。(最近のテーブルでは灰皿はほとんど見あたらないが)3本目を吸い出すとマニアルに従って灰皿を取替に行くことになる。重要な話や聞かれたくない口説き文句もあるかもしれない。そんなテーブルには近寄らな方がいいのだ。タバコの吸い殻が4,5本になってもそっと視線だけを切らさないようにしておけばいい。
 マニュアルはあくまでサービスの最低基準だ。お水が欲しかったり食べた皿をなかなか下げに来ない場合、お客様は最初に視線でウェイターやウェイトレスを探す。この時、手を上げる前にササーと近づければいいのだ。つまり「アイコンタクト」ができない店は、お客様に応じた望むサービスができないと私は思っている。そして目があったとき、お客様の欲することを理解できる支配人や従業員がいれば、苦情の発生はない。但し、提供した料理が冷たかったり、異物混入があっては論外だ。

 私の理想の料理店を語ってみよう。店は10坪もあれば十分。よって席数は20までのカウンター席のみ。調理はすべてカンター内で行う。注文はカウンター内のシェフがオーダーを聴き、調理し、提供する。ウェイターやウェイトレスはいない。いわばカウンター方式のオーナーシェフ店だ。シェフは常連客の味加減をすべて把握しており、その日の気候や気温、来店した常連の表情、挨拶のやり取り、付き添っている人、着ている服を見ながら、常連客とアイコンタクトを取りながらオーダーを決めていく。初見のお客様にはお好みの料理を聴きながら当店自慢のシェフコースをお奨めする。好みの料理を聴けば味加減はだいたい分かるものだ。常連客が「こんな日にはあの店に行きたい」と思わせる店、そんな店が私の理想だが、残念ながらそんな店に出会ったことはない。小説やドラマの中では存在しそうだが、商売として継続して行くには7割が一般客、3割が常連客くらいでなければならない。つまり常連客だけでは商売にならないのだ。

 2月のVIP食事会では、サプライズとして、ピアニストを呼ぶつもりだ。7,8年前、当社直営のフランス&イタリアンのお店の支配人も兼ねていた頃、土日の夜は、リクエストが可能なピアニストを呼んで弾いて貰っていた。その彼女と連絡がつき、以前のように弾いて貰えることになった。昨年結婚した話を聞いたが、今も現役でラウンジでの単独プレーや歌手と共にイベント等に出演しているとのこと。うれしい話だ。しばらく誰も弾かなかったピアノも可哀想なので調律士を呼んで調律してもらうことにした。厨房では、どの料理をどの皿にのせようか、ワイワイガヤガヤの準備が始まっている。この準備が楽しいのだ。久しぶりにコンサートマスターの気分で大いに仕事を楽しみたい。ピアニストの彼女と携帯で話したが、「昔、大変お世話になったので喜んで行かせて貰います」思いがけないこの一言が私をHOTにしてくれた。

   人の心も夕暮れのように移り変わるもの

   だからこそ 美しい

   だからこそ 哀しい

   デジタルは美しく撮れる

   しかし 本当の美しさは移り変わることにある


「ホテル阪急インターナショナル」(研修篇)

2011年01月31日 | Weblog
 2回目の激寒ゴルフの翌日、11:00から休みにも関わらず市役所の局長室まで行って、2月初旬の食事会の打ち合わせに行った。市長も同席する超VIPの食事会(一人当たり10,000円)なので、お口も大変肥えていらっしゃるご様子。初めはバイキングを予定していたが、打ち合わせ中にテーブルサービスに変更になった。(さあ、大変!)
 14:00からはまた市役所横にある公社事務所にて駐車場受け渡しの引継。
 20:00梅田のホテル阪急インターナショナルにて研修?(「焼きタラバ」の見学・試食)


 研修というのは2月初旬のVIP食事会で「焼きズワイガニ」をサービスするので、若い社員と主婦のベテラン従業員を連れて見学に行った次第。ホテル阪急インターナショナルは「ミシュランガイド京都・大阪2010」において、ホテルの快適さを示す「パビリオンマーク」が4つの「最上級の快適」をご提供するホテル。(今回初めてその事実を知る) 
 私たちが向かったのは、1Fカフェ・レストラン「NIGHT&DAY」の人気のバイキング。ランチタイムはズワイ蟹、ディナータイムにはタラバ蟹が加わる。ランチ60種以上、ディナー65種以上のブッフェを提供。

(一般料金)
平日  ランチ  大人\2,500 /お子様(4~12歳)\1,500
     ディナー 大人\4,200 /お子様(4~12歳)\2,500
土日祝 ランチ  大人\3,000 /お子様(4~12歳)\1,800
     ディナー 大人\4,500 /お子様(4~12歳)\2,700
*お得な飲み放題プラン プラス\1,500
(生ビール・ワイン・焼酎・酎ハイ・ウイスキー・ソフトボリンク)
 ドリンクは別払い・ソフトドリンク700円から 

●私たちの一番の目的は<焼きタラバ>のサービス方法を見学すること。
 タラバとスターキは、ブッフェ方式ではなく料理長らしき人が個別に調理。3名で入店したが、焼きタラバ(150g)もステーキ(120g)も人数分テーブルサービス。タラバを2人前追加したが、気持ち良く調理してきてくれた。(そのときのウェーターの応対が気持ちいい。言葉遣いと優しい笑顔は満点!)
調理方法:厚い鉄板にて解凍されているタラバを人数分乗せ、適当に水分を加えながらステンレスの蓋を使用して水を加えて蒸し焼きしながらの調理。(じっくり横で見学。さすがにカメラのシャッターは切れなかった)カニは生の状態で一人前の調理時間約10分は必要。カニ、ステーキの味(ソースは2種)はとても良かった。ステーキにステーキ汁使ったライスが添えられていた。これはいける。(やってみるつもり)

デザートも20種類以上あってディナー時間(17:00~21:30)の後半になっていたが、こまめに補充を実施していた。

*21:00を過ぎての男性2名客来店も、とても閉店前とは思えない接客に感激した。見習うべき点だ。その客は恐縮しながらも笑顔で席に向かった。(満点対応!)

・小さな銅の入れ物入ったトムヤンクン、見た目は良かったが、味はイマイチだった。
・つくねとシシカバブ:写真は見本で、注文があり次第、料理長が調理してウェイターorウェイトレスがテーブルサービス。つくねは美味しかったが、シシカバブが匂いがきつく食べられなかった。決してすべての料理がが美味しいわけではない。特に日本人に合わない味付け、料理というのは残念ながらこのような大きなホテルでは存在する。その国から来られた方々は満足されるかもしれないが、私の口には合わなかった。

サラダ巻、子ガニの甘酢焼き、チーズフォンデュー、いすれもとても美味しく調理されていた。

和風の天ぷらもその場であげて調理しており揚げ置きはなかった。
抹茶塩にて食べたが、とても新鮮で美味しかった。(日本人の味!)

チャーハンはわかるが、まさかラーメンまであったのには驚かされた。(さすが65種)こちらも依頼を受けてから調理する方法を取っていた。(味は普通)
    
以前ランチのバイキングに来たことがあるが、フロアーにCOOK1名ほどいたが、ディナーでは3名もおり、調理依頼を受けての個別対応だった。(さすが!)

 今回私は4度目の利用だったが、スタッフの視線や動きに無駄はなく、とても洗練されており、しかもお客様に応じた優しい接客に見習うべき点が多かった。若い社員も勉強になったはずだ。2日後に提出させたレポートにもそれを伺わせる記述があった。 (続く)


「ストレスの開放」②

2011年01月25日 | Weblog
 人が快楽を求めるのはストレスの反作用と考えて下さい。ベータエンドルフィンやドーパミンは「快楽ホルモン」と呼ばれ、毛細血管をひろげ、血行をよくします。ドーパミンは脳を覚醒させ、快感を誘い意欲を発揮させる重要な働きがあるのです。「英雄色を好む」という言葉がありますが、これも反作用です。「快楽」といっても決して色恋だけでなく、趣味やスポーツで、身体を動かせば血液の循環は活発となりベータエンドルフィンの分泌が盛んになります。つまりハイの状態になるのです。これが血管を広げストレスの解消となります。「よく仕事をする人はよく遊ぶ」これも結局、作用・反作用の仕業です。

 私の仕事は飲食業です。この仕事は体力が60%、精神力40%の過酷な肉体労働の一つです。ストレスを溜め込んでいた30代半ば、胃カメラを飲んだ数日後、心の中でこんな自問自答がありました。

「いいかげん、飲食業から足を洗いたい。このままではまた潰瘍を患い、いずれガンになる」
「じゃあ、飲食以外に、いったいおまえに何ができるのだ?」
「…何もできない…」
「そうだろう、だったら今の飲食の仕事を天職と思え」
「天職?」
「そうだ、天職だ。実際にそうじゃないのか。気づかなかっただけなんじゃないか。
 そう思えたら、今の仕事を心から楽しめ。
 そうすればストレスがなくなり潰瘍もなくなるんだ」
「……天職?…… 楽しむ?…… ストレスがなくなる? ………」


 開き直りは今までの処理方法です。余計なことを考えず、ただ「やるっきゃない!」と思い定め、その瞬間無心になる心理状態です。しかし、「天職だったんだ」と思うことは今まで考えもしない画期的な発想でした。そう思うと心の奥底から「天職だったんだ」と思えるようになったのです。自問自答してからさほど時間はかかりませんでした。これまでに多くの時間を職業に対する不安や開き直りに費やしてきたからこそ、次の一歩は不思議なくらい簡単でした。

「天職」と思う、このスタンスは今での開き直りとは完全に受け入れるという点で根本的に違うのです。その後、偶然ある大学教授の記事を読み「色心不ニ」という仏教の開祖ブッダの教えを知りました。本来は心は一つだというのです。人は自我の目覚めと共に、やりたい心とやるべき心が葛藤し始めるものです。これがストレスの始まりです。二つの心、(仏教では)<色>と<心>の間が広い人ほどストレスが大きくなります。裏と表の差が大きい人と理解して下さい。何度開き直っても開いた距離は縮みませんが、自分の仕事が「天職」だと思う気持ちは、離れた二つの心(感情と理性)を接近させることにも気づいたのです。私はどの宗教に属していない無神論者ですが、ブッダのこの教えは正しいと心から共感したのです。

 まるでその境地は、私にとって人生の<悟り>の瞬間でした。目の前が明るく体が軽くなったような気がしたものです。そして、胃の中で重く消化されないでいた鉛のような流動物がサーと十二指腸から小腸に流れていくように感じました。本当に血管が萎縮を解いたように身体中で感じたのです。
               

 人にはもともと困難な出来事を乗り越える能力、非日常を日常にしていく能力、スポーツ合宿の最初の3日間はきついがその後は慣れるような素晴らしい能力が備わっています。

最初は開き直りでいいのです。一度には無理でも少しづつ受け入れるのです。
(この仕事で給料をもらっている)
(これが主婦の仕事なんだ)
(これが新米の役目なんだ)
この少しだけ受け入れることがコツです。
そうして、アマチュアだった自分がプロになろうと一生懸命に取り組むのです。
一生懸命=夢中でも一種の戦闘状態ですから、ストレスがないわけではありません。
しかし、余計なことは考えない分、肉体的疲労がメインで精神的苦痛が軽減されているのです。

新入社員だったら、夢中になってその職場でのプロを目指すのです
若い主婦だったら夢中になってプロの主婦を目指すのです。
子育てが始まったら夢中になって子育てに励むのです。

 初心者 →(開き直り)→ プロ(職人) → 天職(=幸福感)

 →の間に、必ずストレスがかかるものです。でも子供の笑顔や成長を間近に見て、また仕事の改善や独自の工夫で進歩を自覚し、組織での昇格や昇給で認められる喜びを自覚することでストレスは軽減できるものです。スポーツや音楽、読書、芸術、旅行のように文化に触れることでも萎縮した血管が広がりストレスを軽減できるものです。

             
 決してやってはいけないのは<友人・知人との比較>です。人と比較していいことなど一つもないのです。ないものねだりしてしまう事からストレスが始まるのです。あくまでオリジナルの人生を目指すのです。彼や彼女に勝ちたいなどと考えるのは愚の骨頂です。人生は人との勝負事ではないのです。妬む気持ちは、現場から前向きな気持ちを失わせ、横道に逸れることを気づかせず、本当の愚か者へと誘うのです。その方が楽だからです。そして愚かな怠け者と化すのです。
               

「夢中」

私の好きな言葉です。
「夢中」の中に、幸せの元が潜んでいると私は確信しています。

他人と比較したりして客観的に振り返る心の余裕のない、ハイテンションな状態。
この単語の前に、「無我」が付く四文字熟語があります。
無我とは「私心」がないことです。
帰納法的に考えると、
「私心」(自分のことを考えたら)、
「夢中」にはなれない、
つまり、無心になれば幸せにもなれないということになります。

人生で本当に幸せな時期は、自己に目覚める前でしょう。
いや、もっと前、母の体内にいる時期かもしれません。
母親の胎内から引っぱり出されて完全無欠の幸せ状態から引き離されて、
「人は泣きながら生まれてくる」とシェイクピアがリア王で嘆いたのです。

最後にブッダの「色心不二」の教えを象徴する大好きな詩を紹介します。

『こころ』

  おかあさまは
  おとなで大きいけれど、
  おかあさまの
  おこころはちいさい。

  だって、おかあさまはいいました。
  ちいさいわたしでいっぱいだって。

  わたしは子どもで
  ちいさいけれど、
  ちいさいわたしの
  こころは大きい。

  だって、大きいおかあさまで、
  まだいっぱいにならないで、
  いろんなことをおもうから。


               「金子みすゞ童謡詩集 あした」教育出版より

「ストレスの開放」①

2011年01月25日 | Weblog
 時々、テレビで子だくさんの家庭風景を見ることがあります。家事については、ほとんどなにもしてこなかった私、洗濯も掃除も買い物もした記憶がありません。今思い返えしても連れ添いに感謝し、申し訳なかったと思っています。唯一の自慢?が、生まれたばかりの息子を半年ほど毎日お風呂に入れたことくらいです。24時間営業のレストランの店長時代に結婚しましたが、15時間は毎日店内で仕事に追いまくられていました。「従業員を教育し生産性を上げて人員削減し、無駄なコスト見つけて削減し利益を上げる」このことに本当に夢中になって取り組んでいました。胃の痛みさえ気づかなかったほどです。地区マネジャーに昇格しても休日でも何度もポケベルがなった時期でした。12年の就業間で旅行に出かけたのは、新婚旅行と両親を香港に連れて行った2回だけでした。家にいるときはずっと息子と戯れており、3歳の頃からオモチャのゴルフクラブを買ってきて、その頃住んでいた藤沢市の鵠沼海岸の公園でパター遊びをしたものでした。

 家事も仕事も同様ですが、人は自分なりに工夫を凝らして大抵の事は合理的に処理できるようになります。そして、息抜き手抜きを覚え、気分転換をうまく図りながらいつの間にかそれが当たり前となり、日常となっていきます。

              
 もし子育てで病気になる主婦がいたら、純粋でやりすぎたり、要領が悪かったり、子育ての本との比較で神経質になったり、自分の時間が消失したこと嘆いたり、旦那様のフォローがまったくなかったり、義母との確執と子育ての違いに悩んだり、親や親戚が周囲におらず、しかも頼れる人もおらず、孤独な環境が大きな原因になることが多いようです。
 30歳半ばまで、毎日長時間仕事場(レストラン)で常時緊張感の中にいた私は、「これが仕事、日常の仕事」だと開き直ることがなかなか出来ませでした。しかし、息子の小学校入学を機にD社を退職し、今の会社(関西のH電鉄会社)に入社しました。2年後、お好み焼き屋だった不採算店を閉店し新規にオリジナルのしゃぶしゃぶ店をオープンさせた頃、健康診断で引っかかりました。そして、初めて胃カメラを飲まされたのです。 医師と共に自分の胃の内壁を見ながら「何度も十二指腸潰瘍・胃潰瘍をやっていますね」と医者から云われた時、本当に驚きました。そして「これからは毎年、検査しましょう」と付け加えられました。(あれ以来一度も飲んでませんが…)今まで父のように胃潰瘍で血を吐いたり、入院せずに済んだのは幸いでした。延長線上にあるガン、いろんなことが脳裏をよぎりました。何故ストレスが生じるのか? 時間をかけて自分なりにストレスについて考え始めたのです。

 そんな時、TVでネズミを用いた胃潰瘍発生を解明する番組を見ました。ストレスや潰瘍について考えていなければ、きっと見落としていたにちがいありません。真摯に物事に取り組もうとしたとき、助け船があるものです。実験ではネズミのシッポに細い電線をくくりつけ、その先に少し強めのバネをつけます。ネズミの目先に餌を置いて、普通に歩んでも届かないが、少し勢いをつけてバネが伸びれば餌にありつけるようにしてありました。そして、バネが伸びきった時、電流が走るようになっていました。ネズミは目先の餌に向かいますが、少しのところで届きません。しばらくは見つめているのですが、勢いをつけるとバネが伸びることに気づき、必死なってバネを伸ばして餌にかぶりつくようになりました。しかし、その時、突然全身に電流が走り、ネズミは苦痛で飛び上がりました。餌も口から離してしまいます。しかし、しばらくするとまた餌に近づきます。そしてひとかぶりするとまた、電流が走ります。これを繰り返しているうちに電流にも慣れてきます。電流を我慢してでも餌に向かいます。哀しい姿でした。2週間以内にネズミは胃潰瘍が発生し、3週間経たずに死にました。

「ストレスとは何だ?」こんなことを考えていた時、この恐ろしい番組を見ました。人間の場合に当てはめて考えました。やりたいことをしたいが出来ない、そんな苦痛を伴う状況を思い浮かべました。
・家のローンや子供の教育費の為にやりたくない残業をする。
・自分の出世やボーナス査定を良くするために嫌いな上司にオベンチャラをする。
・仕事の成果を求め、周囲の同僚以上に過剰な努力を続ける。
・本来望む仕事でない、好きでもない仕事でも愛想笑いを浮かべて自分を殺しながら堪える。
・子育てと家事で必死なのに旦那は振り向きもせず、自分だけ遊び惚けている。
・アル中やギャンブル中毒の旦那と子供たちの間で悩む母親。
・会社でも上司にこき使われ、我慢しているのに家でも妻にガミガミ云われ、
 居場所を失っている夫。
こんな時、人はストレスを感じるのでしょう。

 医学界の報告書を調べると、潰瘍の発生の男女比は、胃潰瘍では男性2:女性1、十二指腸潰瘍は男性3:女性1といわれています。当然個人差もあるでしょうが、仕事場での拘束時間や肉体労働を伴う勤務状況による違いが男女の差に顕れていると解されています。潰瘍もガンも血液の病気です。緊張状態が続くとアドレナリンが多量に分泌され<血管が萎縮>します。つまり獣が戦闘状態に入り、怪我しても血があまり流れないようにする動物的な反作用だと思って下さい。食欲もなくなり、トイレの回数も減ります。胃酸も多く分泌して消化を早めようとします。すべて野性たる身体の仕組みです。痩せるのもこのためです。野性の生物は太っていては死を意味するのです。人間の場合、この状況が長時間、何日も続いて解消出来ない時、ストレスが発生し血管の習慣的萎縮によって胃や十二指腸の血液の循環を阻害し、潰瘍が発生します。ネズミの場合2週間で発病したのです。いづれガンへと移行すると私は考えています。

 ガンや潰瘍になる人は実は人がよくてストレスを自分で必死に処理しようとします。周囲を巻き込もうとしません。悪口も少なくおとなしい人が多いようです。解消できなかった未処理部分がガンや潰瘍を発生させます。ここにも物事の原理原則たる<作用反作用の原則>があるように思います。つまりストレスが少なければ、作用も少なくなり、血液の萎縮も少ないのです。ストレスによる粘膜の萎縮の強い人は、萎縮のない人に比べて5倍も胃がんになりやすく、萎縮性胃炎が進行したところにさまざまな発がん因子が積み重なり、胃がんが発生すると考えられています。


「完全休養日のハードな一日」

2011年01月20日 | Weblog
 1月19日(水)、夜明け前の5時に就寝した。原因はジャッキー・チェンのリメイク映画「ベスト・キッド」を途中で止められなかったせいだ。息子も仕事が休みだったので連れ添いも私につきあったのだ。真剣な表情のジャッキーに違和感を感じなかった。期待する空手の練習シーンが見始めて60分過ぎても始まらない。しかし、イライラもなかったのは、ウィル・スミスの息子ジェイデン・スミスのしっかりした演技が光っていたからだ。お奨めの映画だ。

 朝10時過ぎに目が覚め、はまっている佐々木穣の警察小説『警官の紋章』を読み始めた。物語は中盤にさしかかり、北海道洞爺湖サミットを控え道内の警察は騒然としていた。そんななか、父親の事故死が自殺だと知った若い警官が制服と拳銃を持ったまま失踪した。サミット警備の結団式の日は父親の命日に当たる。彼は何をしようとしているのか。父の死を事故死として扱った道警に対して彼は復讐をしているのか、そうでないのか。

 2時間ほど読んでいると連れ添いが起床。そしてTVをONしてWOWOWの全豪にセットした。音は出さなかったが、私の神経は画面に移った。

 昨夜、「ベスト・キッド」の前にクルム伊達の試合を見た。今年最初のグランドスラム、全豪オープンテニスだ。1回戦でクルム伊達が勝っていた試合を落とした。1セットオールで迎えた第3セット、4-1で伊達が優位に進めていたが、相手の12シードのラドワンスカがメディカルタイムアウト後、3ゲーム連取され、一旦は5-5にしたが、40歳を超えた伊達には盛り返す体力はなかった。あのままゲームが続いていれば…。伊達はマッサージとテーピングの約5分間、スキップをしたりして身体を動かしながら身体の状態を保とうとしていた。ゴルフでもショートホールで何分間も待たされることがあるが、その後のショットは大変難しくなる。身体の状態を保てないのだ。残念だった。

 読書を止めて錦織圭の2回戦、録画中だったが最初から観戦し始めた。1回戦の動きを見て身体は絶好調のように思えた。しかも新しく元アガシのコーチを迎えて戦略的にも新たな展開を感じるゲーム運びに、今まで以上にワクワク感が沸き上がってきた。2回戦の相手は世界ランキング36位のフロリアン・マイヤー。彼の試合は1度も見たことはなかったが、ランキング通り決して楽に勝てる相手ではないはずだった。しかし、そんな相手に錦織は見事に勝ちきった。2セット連取後、第3セット、マイヤーに早々に2ブレイクされた後のゲーム、体力の温存を計り無理な動きを抑えていた。こんなに見え見えなゲームの捨て方をして、第4セットで再びギアチェンジができるのかと心配になった。しかし、そんな心配は今回の錦織には不必要だった。
 昨年まで頻繁に見せたエアーKショットこそ一度きりだったが、見事なウイニングショットを見せてくれた。まだアンフォーストエラーが多いが、昨年よりサーブも早くなり、ダウン・ザ・ラインへの攻撃的ショット、緩急をつけたショットもより多彩になったように思えた。成長を感じる。次の相手はスペインのベルダスコ。ナダルと似た選手だけにかなりハードな試合になるに違いない。今年の錦織を見極める上でとても楽しみな試合だ。

 午後は今年2回目の映画館での鑑賞だ。アカデミー賞の大本命とも評されるデビット・フィンチャー監督作品「ソーシャル・ネットワーク」。鑑賞後、予想を超える出来に拍手したい気持ちになった。
 ダークなタッチと独特の世界観が持ち味のD・フィンチャー監督、1962年生まれなので今年49歳になる。「セブン」を撮った時は弱冠33歳。彼の作品は総べて見ているが、この「ソーシャル・ネットワーク」は「ベンジャミン・バトンの奇妙な人生」のような奇を衒った脚本ではなく、若い起業家たちの群像劇を第一級のサスペンス映画に仕上げたところが私にはドンデンだった。超スピーディーな編集は緊迫感を高め、上映時間120分映画をまるでノンストップアクション映画のようだった。息もつかせぬ機関銃のようなセリフ(脚本)が、天才たちが集まるハーバード大学の学生たちの優秀さを感じさせることにも成功していた。D・フィンチャー監督の力量に拍手を贈りたい。            

 自宅に帰って全豪第2試合のシャラポワ、そしてフェデラーの試合を録画で見た。シャラポワのサーブが本当に良くなった。常に70%を超えるファーストサーブの成功率は、ここ2年近く見たことがない。そして、ただ強打で打ちまくるシャラポワではなくなり、緩急をつけてたショットに成長を感じるのだ。昨年日本での伊達戦で打ち込み過ぎてライジングショットに負けた経験が生きていたようにも思う。彼女のカムバックを待ちに待っていただけに、今年はとても楽しみだ。
 王者フェデラーの変幻自在の流れるようなテニスは健全だった。今年6試合して負けなしという成績という。少し心配だったバックの威力も、スピンやスライス、様々なボールを打ち分けながらも強打で返している。右肩も絶好調と見た。フェデラーの素晴らしさはオールラウンドプレーヤーにあるが、私は流れるようなフットワークにその秘密があるように思う。シャラポワの試合を見たすぐ後だけに、サササーと動いて最高のショットを打てる地点にいる動きに見とれてしまう。相手はもっと際どい所を狙わずにいられなくなる。これがプレッシャーとなるのだ。2回戦の相手シモンも元シード選手、決して下手な選手ではないが、見ていて可哀想になってきた。ところが2セット連取した後、シモンに2セットを連取されフルセットにもつれ込んだが、辛くも逃げ切った。ナダルの試合はまだ見ていないが、ジョコビッチも好調そうなのでこれからの展開が本当に楽しみになってきた。


[m:184]夜中の4時半を過ぎた。完全休養日のハードな一日も終わりにするかな。


「人を好きになる能力」

2011年01月19日 | Weblog
人を好きになる能力」という言葉を見つけ、私なりにこの言葉を考察してみました。

■「好きになる能力」http://d.hatena.ne.jp/tpandco/20090502/1241245628
赤ちゃんは生まれて3ヶ月ほどでようやく目が見えてくる。この時まだ自我が目覚めておらず、初めてお母さんという他者を目にしても、自分の中の一部だと感じている。だからお母さんが喜ぶと赤ちゃんも嬉しい。自分の一部が喜んでいることだから、嬉しいのだそうだ。赤ちゃんはお母さんを好きになることで、人を好きになるという能力を身につけた。だから人間は他者を好きになる能力がある。

■「経営者は自分のキャパ以上には会社が成長しない」という言葉があります。自社の社員であっても、この野郎!と思うときが社長にもあるものです。また社員の陰口が、社長の耳に入ることもあります。でも、そんな時にどれだけ人の良い点だけを見れる力があるかどうか。極端に言い換えれば、視点や考え方一つで全ての人を好きになる力があるかどうかではないかとも思います。社員、顧客、関係者、その全ての人の良い部分だけを見て、好きになれる人数が増えれば増えるほど、経営者としてのキャパや器が大きくなったとも言えるのではないでしょうか。商売も、所詮は人間ドラマ。単に笑顔で人に接して、謙虚な姿勢と感謝の気持ち、そして人を好きになる力が社長に備わっていれば、たいていの会社は発展するものなんです。http://compas.livedoor.biz/archives/50933342.html

■「恋に落ちる瞬間」http://shinkieigyou.sblo.jp/article/33589443.html
恋愛感情の背景にある八つの要因についてご紹介しましょう。
①相手の特性
 外見や性格、特質などが自分の基準と合致したとき。
 明るい人が好きとか、背の高いスポーツマンがいいなどの好みのこと。
②相手の行動特徴
 自分を評価してくれた、サポートしてくれたなど、
 自分と好意的な行動をとる相手に好意を感じることになる。
③自己の特性
 相手だけでなく、自分自身に自信や誇りを持っていること。
 自己卑下したり、不当に自尊心が低い人は、なかなか恋ができない。
④自己の心理状態・行動特徴
 そのときの気分や生理的状態で、恋愛感情は左右される。
 気分がよかったり、興奮している状態だと、恋をしやすい。
⑤相互的特性関係
 性格や好みなどが一致している。
 趣味や好みが同じである二人はお互いに好意を持ちやすい。
⑥相互作用
 しょっちゅう顔を会わせていたり会話をかわしたり、協力しあって何かを行うなど、
 互いに関わりあうことが多い相手とは恋に落ちやすい。
⑦社会的要因
 この年で好きな人ができないのはおかしいとか、恋人がいて当たり前の時期だとか、
 社会的な規範に合わせたい気持ちや友達に恋人がいて当たり前の時期だなど。
⑧環境的要因
 海やスキー場でのナンパが成立しやすいといった例のように、
 環境や雰囲気によって、恋愛の成立は大きく作用される。

 
 立派な医学博士や偉いコンサルタント、心理学者の言葉を読み解くと、幼い頃に人を好きになる能力を身につけ、信じる能力も育成されていくようです。小学校を卒業するまでには人は<もの心>が備わるのですが、それまでの育ち方にも大きな影響を受けるようです。幼児が救いを欲しているのにほって置かれることが多発すると、信じる能力の育成が熟成されないのではと考えます。つまり人を好きになる能力まで止まってしまうのではないでしょうか。


●私がどんな時に恋に落ちてきたかを振りかえってみました。

 私の場合をいうと、ヤクルト元監督の古田選手をあるシーンを見てあっというまにファンになりました。開幕した頃にキャッチャーフライを顔の半面を人工芝にこすり付けながらも必死にボールに食らいつき、ワンナウトを取りました。長い間プロ野球を見てきましたが、あのように自分の顔を傷つけてまでボールに食らいついた選手を見たことがなかったのです。その後の彼は正捕手になり、リーディングヒッターになり、日本で最高のキャッチャーと云われるようになり、選手仲間から信頼されて監督という野球選手の夢の地位まで掴みました。この成長ぶりを私は心から喜びました。いまもテレビの解説で言葉を聞くことがありますが、彼の野球への純粋さを見つけてファン(=恋に落ちた)になったのです。

 このように私は必ず、人の言動を観てその人のファンになります。古田が顔を固い人工芝に擦ってダイビングキャッチしながら取ったファールチップは演出ではない偶然の出来事です。こういった偶発的な行為、他人の目を意識していない自然な行為の中に、その人が持っている本質的なスタンスや野球に対する考え方がにじみ出ると考えています。

 人との接し方や自然な気配り、無償の行為、うれしいときの表情や哀しいときの表情、声の響きやトラブルの際の対処の仕方に非凡なものを見つけ、その人のファンになります。これがスタンスです。異性である前にその<人自身>の本質を見極めて好きになるのです。本質は変わらないものです。だから過去に好きになった人を嫌いになったことは一度もありません。人にはそれぞれに非凡なものがあります。それを自分なりに見極めてファンになる。そうした気持ちは相手も伝わるものです。

「ます、ファンになりなさい、さればファンになってくれるかもしれない」
これが私の恋愛哲学、いや人生哲学です。

「アンストッパブル」

2011年01月14日 | Weblog
 今年映画館で見た最初の映画「アンストッパブル」は、今まで4度デンゼル・ワシントンとタッグを組んだベテラン監督トニー・スコットの作品です。(「サブウェイ123 激突」「マイ・ボディーガード」「デジャブ」「クリムゾン・タイド」) この二人の映画というだけで安心して見ることができます。ストーリーは危険物を積んだ無人貨物列車の暴走を止める戦慄のタイムリミット・サスペンスアクションで、予告編等で大体の腹づもりしていましたが、予想を遥かに越えるハラハラドキドキに100分間手に汗握りぱっなしでした。ホントにホントです!CGを出来るだけ排除して、実際の列車を走らせての撮影が、リアルで緊迫感のあるノンストップアクションに仕上がったように思います。


 会社側は無人暴走列車を必死に止めようと試みますが、今回のような想像を超えた未曾有のアクシデントには効果がありません。ワシントンが演じるベテラン機関士(28年勤務)の経験に基づいた勘は的確でした。会社側の反対を押し切って、彼は自分の経験と信念に従い経験の浅い車掌と共に立ち向かいます。機械やシステムに頼り、人件費削減のために給料が安い若い人に任せようとする会社側の思惑は、一つまちがうと大惨事を引き起こします。この映画は現実に発生した事故を元にして作られました。人為的ミスが重なったとき、予想を超えた大惨事につながります。どんなに安全なシステムがあっても、その安全性を保つのは現場の運転手であり管理する人であることを忘れてはなりません。暴走列車が極めて危険性の高い化学物質とディーゼル燃料を大量に積んでいるため、先に待ち受ける大曲を曲がりきれないという恐怖は、関西に住む私にとって他人事ではありませんでした。

               
 2005年(平成17年)4月25日午前9時19分のJR福知山線の大惨事も人為的ミスが最大の原因でした。列車は塚口駅 - 尼崎駅間の曲線で脱線し、先頭の2両が線路脇の9階建てマンションに激突し、先頭車は1階駐車場へ突入、2両目はマンションの壁面にぶつかり原形をとどめない形で大破しました。鉄の塊にような列車があんなにも形を崩してしまうものなのか。時速100kmを越えるスピードで列車がマンショに激突する大惨事の写真は、今もはっきりと脳裏に残っています。重量と速度の恐ろしさがこの映画の主題だと言って過言ではありません。


 以前新聞記事で、昔ながらの宮大工さんが、「最近は信じられない大惨事や大事故が起きる。それはベテランと呼ばれる人が現場にいないからだ」と語っていました。ベテランは長い経験から出来るか出来ないか、危険性が高いか、低いかを分かっています。大きなクレーンが強風に倒れたり、工事現場の重い壁が通行人や車の上に落ちてきた事故がそうです。若い人にはそうした経験と勘が足りないのです。学んできた最先端の知識を優先したり、裏付けされた経験がないにも関わらず、自分の感性を信じてしまう。その為に大きな事故につながるといった記事の内容でした。現場を監督する管理者の力量が問われています。

               
 企業の存続には人件費のコントロールが不可欠です。しかし、企業で働く従業員にとって、歳を重ねて経験を積んでの昇給は当たり前のこととして受け止めています。何年在籍しても給料が上がらない会社に、忠誠心が生じることはあり得ません。その事を熟知している会社側は、あらゆる部門で生産性を上げてより多くの仕事をこなそうとし、より質の高い仕事して売上単価を上げようとします。また、莫大な費用をかけて技術革新(イノベーション)を実施するのもこの為であり、経費の削減にも多大な努力を費やします。個人の保身ではなく突き詰めればすべて会社存続の為です。そうでなくてはなりません。

 今日どの業界でも、企業間競争が激化し、生産コストを削減するために生産工場を海外に移設せざるを得ない場合も多発してきています。日本のように人口増加が頭打ちになると、右肩上がりの売上は期待できず、古くからの大工場を閉鎖し、または集中させてランニングコストのコントロールに力を入れています。日本独特の年功序列的人件費も成果主義的にする企業も増える傾向にあります。給料を上げたいが、思うように売上や利益が上がらない為に、残業を禁止し、儲からない部門は廃止し、早期退職を実施しようとする経営者。会社を移りたくてもこの不景気では今以上の条件で新たな会社を見つけるのは困難と思ってしまう従業員。それぞれが、それぞれのプレッシャーに立ち向かいながら就業しているのが現状です。

 映画のベテラン機関士のようなの存在が、企業の存亡を決めるのかもしれません。金儲けだけを目指す爬虫類のような輩が、今後も跋扈するに違いありません。悪に走ってでも組織を守り利益を維持しようとする流れ(忠誠心がない倫理観を捨てた連中の増加)と対決を迫られる経営者たちの良心。将来、会社にとって、組織にとって、本当に必要な人を見極める経営者トップの力量が、最大のキーになると思えてなりません。イエスマンだけをはべらせていては、その味方である人に足下をすくわれかねないのです。組織において内側に潜む敵ほど恐ろしいものはありません。結局どの国でも、どの企業でも、どのチームでも、人を見極める能力、イエスマンを排除する洞察力、やるべき事を判断できる決断力が問われているように思います。


●米国大手自動車会社「フォード」のスパイ事件:元従業員が中国への機密漏洩を認める2010年11月25日。元フォード従業員で、同社の機密を中国へ売り渡した罪で起訴されていた中国籍のユー・シャンドン(49歳)が、米国の連邦裁判所で開かれ、被告が罪を認めた。http://response.jp/article/2010/11/25/148442.html。

●フランス大手自動車会社「ルノー」機密漏洩事件:ルノー幹部らが、日産自動車と開発中の電気自動車の情報を中国側)に漏えいしたとされる問題で、仏メディアは2011年1月11日、幹部らへの「報酬」として、中国企業(電気部品会社「チャイナ・パワー・グリッド」(北京)が、スイスなどの銀行口座に計63万ユーロ(約7,000万円)を振り込んでいたと報じた。http://blog.livedoor.jp/newsslash/archives/2309622.html





「2010 クリスマスの約束」

2011年01月10日 | Weblog
1.TODAY Various Artist(The New Christy Minstrels)
2.Hello, Again~昔からある場所~ JUJU(MY LITTLE LOVER)
3.空も飛べるはず 大橋卓弥(スピッツ)
4.冷たい雨 山本潤子(バンバン/ハイ・ファイ・セット/松任谷由実)
5.ラブ・ストーリーは突然に 小田和正(小田和正)
6.美しすぎて 小田和正・大橋卓弥・根本要(ガロ)
7.未来へ~長い間 玉城千春(Kiroro)
8.500マイル 松たか子(ピーター・ポール&マリー)
9.思い出はうたになった 小田和正・根本要(オダ☆レビ)
10.君が好き 清水翔太(清水翔太)
11.惑星タイマー スキマスイッチ(福耳)
12.小さな恋のうた 上江洌清作(MONGOL 800)
13.TODAY Various Artist(The New Christy Minstrels)
14.my home town 小田和正(小田和正)

 この中で私が最も感動したしたのは、忌野清志郎氏が作詞した「500マイル」です。高校時代と大学時代、PPMの曲を何度も聴いて、ギターをコピーし、大学ではクラブ部員全員で歌うSINGOUTの持ち歌となって歌い継がれきた曲でした。そんな想い出深い曲を、初めて日本語の歌詞で聴いたのです。正直驚きました。しかも、出演毎に歌が上手くなってきたと感じる松たか子が飾らないアコースティックな歌声で歌い上げました。

小田氏のアレンジ、本曲を思い出す輪唱のコーラスに感動し、今は亡き、清志郎氏の作詞、
「…抑えて 抑えて 抑えて 抑えて 悲しくなるのを 抑えて…」 が胸に響きました。

名曲がアーティスト達の力によって甦りました。
小田氏のクリスマスの約束の意義がここにあると私は思っています。
「本物に負けたくない」小田氏は自分の覚悟のほどを思わず語っていました。


   「500マイル」

  次の汽車が 駅に着いたら 
  この街を離れ 遠く

  500マイルの見知らぬ街へ 
  僕は出て行く 500マイル

  ひとつ ふたつ みっつ よっつ 
  思い出数えて 500マイル


  優しい人よ 愛しい友よ 
  懐かしい家よ さようなら

  汽車の窓に 映った夢よ 
  帰りたい 心抑えて

  抑えて 抑えて 抑えて 抑えて
  悲しくなるのを 抑えて

  次の汽車が 駅に着いたら 
  この街を離れ 500マイル



 東北大学に進学した小田氏は、建築工学を専攻、高校時代からの仲間(ジ・オフ・コース)の鈴木氏は、東京工業大学に進学、離ればなれとなりましたが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来しました。1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ、後のチューリップ)ら強敵がいました。小田氏は自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位でした。小田氏らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったのですが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決めます。財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったといいます。赤い鳥は「竹田の子守歌」で優勝を果たしましたが、そのリードボーカルが後にハイファイセットのリーボボーカルとなった終生の友、山本潤子さんです。潤子さんは今回も出演し「冷たい雨」を歌って澄んだ声を聴かせてくれました。

 小田氏にとって潤子さんが歌った「竹田の子守歌」が自分の人生を変えた曲ということになります。潤子さんはその張本人というわけです。建築家への道を志しながら、プロのミュージシャンとしての道を歩み、いまや多くの名曲を残すニューミージックの大家となりました。人との出会いが新たな人生へと誘ったのです。道を選ぶ決心をしたのは小田氏本人ですが、赤い鳥や潤子さんの歌声を聞かなければ、違った人生を歩んだかもしれません。そんなことを考えると一度っきりの人生がとてもいとおしく、しかも切なく思えてきます。潤子さんや今回出演しなかった財津和夫氏もきっと同じような想いに違いない。

かつて松山千春氏はこんな事を云っていた。
-あなたの夢はなんですか?
「俺はこの質問に一度も答えたことがない。
 30年間も人前で歌って食っていける、
 これが夢でなくて何だというんだ!」


小田氏は今年64歳、40年以上、そんな<夢の仕事>をしていることになる。
きっと今年も精力的に<夢の仕事>、音楽活動を続けるに違いない。
クリスマスの約束で共演した若手ミュージシャン達は、
小田和正という偉大なアーティストからきっと多くのものを吸収するだろう。

子どものいない小田氏は、
若手たちにスコアのようには残せない別の何かを伝えたかったのかもしれない。
それは「ミュージックへの限りない熱い想い」だと私は推測する。
そして父が子に想うように「ここまでおいで、そして追い越してくれ」と願う気持ち。
若手ミュージシャンたちはそんな想いを受け継ぎ、
世代を超えていつまでも心に残る名曲たちを作り上げて行って欲しい。
私はそう願っている。
もちろん小田氏もそう願っているに違いない。

「怒りは<猛毒>」

2011年01月08日 | Weblog
以前「怒り」についてこんなことを書きました。
音を聞いて怒りを覚えた。音は原因、怒りは結果。しかし、音はすぐに消えてしまう。その瞬間だけなのです。永久に続くものではないというふうに感じるのです。心の中に生まれた怒りも音とだと思って、怒りをおさめるのです。


「嘘、裏切り、脅し、怒り、嫉妬、そんなことから身を引こう。
 無気力や恐れや悪意が心に充満し、本当の不幸を呼び寄せないように。そして、幸せになるために…」

「許せないから人は怒り、とんでもないことをしでかします。そしてその怒りは、ストレスを増加させ成人病を誘発させます。 許せないことが増大しているのが現代人の特徴のような気がしています」

 元旦の神戸新聞を読んでいて思わず手が止まりました。スリランカの高僧アルボムッレ・スマナサーラ氏が「怒り」について語っていたからです。彼は怒りは「猛毒」であり、怒らないことが幸福の鍵だと語っていました。正月早々私は大共感しました。

「もちちろん、人間は怒るようにできています。本能です。だから怒らないということはとても大きな挑戦なのです。怒りはすべてを駄目にします。怒ることで相手はあなたの『敵』になります。敵に囲まれて、生活や仕事ができますか。また怒りは、『相手より自分が正しい』という気分から生まれるため、学ぶ態度が失われ、成長が止まります。怒りがわいてきたときには言葉を発さず、考えず、心をいったん停止させて感情が静まるのを待つことです。それは『我慢』とは違います。仕事・家庭・病気など、『この世は何一つ思い通りにならない』ことを前提とし、しかし、どうでもいいとは思わず、いかにうまく向き合うかを探る。そうした知恵が必要です」

-怒らないことは「負け」につながるのでは。

「真の競争相手は他人ではなく、日々の向上を怠けようとする自分自身です。何事も挑戦的にとらえ、謙虚に学んで心を成長させると能力があがり、社会から頼りにされます。それは成功と云えるでしょう」

-世界では、宗教や文化の対立が絶えないように映りますが。

「残念ながら、大半の宗教は人の不安をあおり、“救い”を与えることで信者を束縛してきたのが実態です。既存の教団は人間の支配欲の反映と言えるでしょう。信仰する神を信じる民のみ別格というのは彼らの教えに従えば、全人類に対するヒューマニズムは成立せず、戦争の種になるだけです」
「初期の仏教でブッダの教えを忠実に伝えられてるのが上座仏教(「テーラワーダ仏教」)を呼ばれています。私たちが掲げるのは、ある意味で『無神論』なのです。ブッタは自らへの崇拝を求めず、人間のあるべき生き方を説きました。『幸せになるためには、勉強し、親や家族を大切にし、きちんと働く。悪行をせず、自分の能力を発揮できるところに住みなさい』など、ごく当たり前の方法論を言われたのです」


-先が見えない不安や恐れは。

「予想もつかない遠い将来について悩むことを、仏教では『病気』とみなします。今この時点で何をするべきか考えれば、おのずと答えは出てきます。今なくして次の瞬間はないのですよ、今を大切にして下さい。人間には人の役に立てる可能性が必ずあります。大きな視点で考えず、まず身の回りの人間関係から道は見えてきます。この人がいれば助かる、でいい。問題があると思われている子どもでも、用事を頼み、人の役に立っていることを実感させると変わります」

●マザー・テレサも同じようなことを語っています。

-世界平和のために何をしたらいいのか。

「帰って家族を大切にしてあげて下さい」
「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
 人から見放され、『自分は誰からも必要とされていない』と感じる事なのです」

「100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ?」



基本は<身近>です。真理は常にここにあるような気がしています。
愛を注ぐことも身近な人から、怒りもまた身近な人から遠ざけること。

 ケヴィン・コスナーの海難救助隊の映画「守護神」でも同じようなことが語られていました。
「救助の基本は、そばにいる人から助ける」私はこれが真理だと思っています。
 

 身近な人に愛を注げないで、遠くの他人に愛は注げない。
 身近な人への怒りを納められないで、遠くの他人への怒りは納められない。
 身近な人を助けられないで、遠くの他人は助けられない。


「グッドラックの生き方」

2011年01月02日 | Weblog
 ある映画を見ていて、大学時代心理学の講義で学んだ有名な人を思い出しました。ニューヨーク・ブルックリンのユダヤ系ロシア人移民、貧困家庭に生まれたアブラハム・マズローです。彼は有名な人格理論を打ち立てます。それは「自己実現理論(欲求段階説)」と呼ばれたものでした。

マズローは、人間の基本的欲求を低次から5段階に定義しました。
1.生理的欲求 生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求
2.安全の欲求 衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求
3.所属と愛の欲求 集団に属したい、誰かに愛されたいといった欲求
4.承認の欲求自分が集団から価値ある存在と認められ、
  尊敬されることを求める欲求
5.自己実現の欲求 自分の能力・可能性を発揮し、
  創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求

 青春時代(結婚するまでの期間)に多くの人は「私は何のために生まれてきたのか」とか「私はいったい何ができるのだろうか」という疑問にぶち当たるものです。これは「何のために教育を受けるのか」という疑問の後からわき出てくる問いのようです。そして明確な答えを得ないまま、学校を出て食っていくためには職業を選ばなければいけない状況に追い込まれます。また親の後を継ぐための道に追いやられます。

 私の場合、大学生活でクラブという一つの組織に属することによって、アイデンティテーに目覚め、教養の欠如、経験の欠如を知ることになりました。異性との接触もあり、恋愛という嵐のような出来事も体験しました。人との出会いが摩擦熱を発生させ、競争心が自らを成長させることも学びました。社会に出て数字は客観的だとも学びました。そして大誠意が人を動かすことも体験しました。自分を貶める不毛の恋愛があることも知り、いい恋愛をしなくていけないと思ったのもその頃でした。

 再びマズローと遭遇したのはバブル崩壊後でした。二度目の就職先で社長の代わりに船〇総研の経営セミナーに参加したときでした。ファミレス業界で12年間自分を磨き、新たな会社で自分の人間力を試そうとしていた時期でした。不採算店をスクラップし、新たな店舗を作りを1から10まで自分の力でやり遂げました。金を動かし、人を動かして本当のマネージメントを経験したのです。そして改めて自分に足りない力を知り、自分の位置を初めて理解したのです。人間力の欠如を改めて実感したのです。その時、マズローの5段階の定義に初めて共感できたのです。

 人の成長にはマズロー唱えるような段階があります。生理的、安全の欲求を確保して、愛と承認の欲求、そして自己実現の欲求へと進むような段階です。異論を唱える人がいると思いますが、今私は共感しています。心の成長が、人間を幸せに導く唯一の考え方だと思うからです。

 年老いて煩悩(神から遠ざかる動物的欲求)に縛られていく人。
 反対に煩悩を捨て多くを望ます、自然を愛し、あるがままを受け入れ欲する心を待てる人(神近づく理性的人間的欲求)。
 これを両極端にして、人は死に向かって時を刻むのかもしれません。
 両極端と云えど180度ではなく、死への道行きは誰もが同じです。
 つまり、あっち、こっちを彷徨いながら極端にならず、
 お釈迦さまやイエスさまや親鸞さまが唱えた中道を行く生き方が気楽でいいのではないか
 と私は感じています。
 2011年も、そんな偉人たちの教えを少しだけ?念頭に入れて
 自らの直感力を磨き、欲張らず一歩ずつ歩みたいと思っています。