GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

クルム伊達と錦織のローランギャロス(全仏)

2010年05月29日 | Weblog
wowowで録画していた全仏でのクルム伊達のテニスを見始めた。

あっという間に第1セット、サフィーナ相手に0-5となる。
右足のテーピングが気になるが「無理かな」と思えた。
次のゲームようやく自分のサービスゲームをキープした。
昨年度ランキングNO.1を維持していたが、今期は9位、
普通では72位の伊達が勝てる相手ではない。

しかし、次のゲームからサフィーナのサービスが入らなくなってきた。
甘いボールでは伊達のライジンショットが早いボールが返ってくるからか。
伊達のリターンボールは常にバックラインぎりぎりに必死に打ってくるように見えた。
たとえ何度バックラインを超えようとバックラインぎりぎりに打つことを
決して止めようとしなかった。
何度か伊達のテニスは見てきたが、私には伊達の戦略のように思えた。
打ち返すボールのコースを変えるのは伊達の方がいつも早く思えた。

「攻撃的テニスをたとえ何度ミスしようが最後までやり続ける」
これは最大で唯一の戦略と思えた。

日記で何度か書いてきたシャラポアのテニスを思い出した。
私が彼女が好きな最大の要因はいついかなるときも攻撃的テニスを
悲壮感を感じさせるくらいにやり尽くすスタイルだ。

そんな攻撃的テニスを伊達はその後も続けた。
第2セット、なんと伊達は6-4でランキング9位のサフィーナに打ち勝った。
伊達のライジングがサフィーナにプレッシャーを与えているのだ。
サフィーナのダブルフォルトを誘発させたのだ。

第3セットもサフィーナが先行し、ようやく伊達がブレークして2-4の時、
右足の痛みに耐えかねてゲーム途中でなんとメディカルタイムを取った。
こんな途中でのタイムは見たことがない。
とても痛そうに見えた。
しかし、ゲームを捨てることなく、
しかも奥へ、奥へと打ち続けた。
そして、ランキング9位のサフィーナをほとんとネットプレーをさせなかった。
その足の痛みに顔をしかめる伊達の表情は一度もなかった。

最後まで勇気ある攻撃的テニスをし続け、
サフィーナはダブルフォルトを連発して一回戦で姿を消した。

最後のショットはサフィーナのアンフォーストエラーで終わった。

そして、39歳の伊達はまるで少女のように笑顔で叫んだ。
「やったぁ!」

レーサーのミハエルとフェンスごしにキスを交わした二人。
頬を伝った伊達の涙を右手の指で拭って勝利を二人で喜んでいた。

あんな微笑ましいシーンをテニスのグランドスラム大会で見たことはない。


右足を庇いながらもグランドスラム2回戦まで進出した
勇気あるクルム伊達を心から賞賛したいと思います。


(錦織 圭)

 錦織圭の良さはウィニングショットの多さと云えるかもしれない。追い詰められた瞬間にあんなショットをよく放てるな。あんな思いっきりの良いフォアーを強打できるな。そんなことを感じさせる多彩なショット、精神的強さ、予想を超える攻撃的テニススタイルにある。

全仏2回戦、錦織対ジョコビッチ
 
 第1セットは1-6で負けてはいたが、錦織とジョコビッチのストロークは決して大きな差はなかった。錦織は多彩なショットを放ったがジョコビッチはドロップショット3本を100%成功させ、流れを自分のものにした。第2セットはジョコビッチはドロップショットを何度も打ったが錦織はそれを読んでいて走って取りに行きポイントにした。経験をゲームの中で活かしたのだ。なかなか出来ないことだ。第2セットはウィナーは錦織が13、ジョコビット9だったが、勝負は4-6でジョコビッチだった。普通は逆になる。勝者なのにウィナーが少ないことなどほとんどないことなのだ。

 1回戦ではウィナーが数が錦織46、フェデラー23、ジョコビッチ34、ナダル20だった。この数字だけでも素晴らしいものを持っていると言える。しかし、今回もジョコビッチに2セットを取られたのは、取らなければいけないポイントでジョコビッチはきっちりとギアを入れ替えることができる集中力を持っているからだ。わかりやすく云えばファーストサーブをしっかりと入れられる、アンフォーストエラーが少なくなるということだ。

 第2セット、錦織はブレイクされたが、後半にはじめてジョコビッチのサーブをブレイクした。その直後のジョコビッチの本気モードは素晴らしいものがあった。すぐに錦織のゲームをブレイクし6-4でセットを取った。これがランキングNO.3と云える。

 第3セット、最初に錦織はサービスをブレイクされたが、すぐにジョコビッチのサービスをブレイクバックした。ジョコビッチの集中力が少し切れかかっているように見えた。肩で息をするジョコビッチの姿が気にかかった。第5ゲームが終わった結果ではウィナーとアンフォーストエラーの数は、錦織22、18、ジョコビッチ18、21。この数字では錦織が完全に勝っていたが、勝負はイーブン。このあたり、ジョコビッチの巧さが光る。

 見ていて気づいたのだが、体勢がくずれていてもジョコビッチのようなランキング上位の選手は、きっちりとコートの内側に入れてくる。錦織はとても姿勢のいい選手、フットワークもいいものがある。だからこそ打点までくれば素晴らしいショットが放てるが、一歩足りない崩れた姿勢でのショットがコートの内側に落ちないのだ。ジョコビッチはチャンスが来たとき、彼よりミスが少なかった。この差が勝敗を分けたのだ。

 試合結果は1-6、4-6,4-6、錦織のストレート負けだった。しかし、ジョコビッチ相手に32本のウィナーを取ったのだ。このことは素直に喜びたい。第2セット、第3セットは錦織がゲームを支配していたかに見えたが、決めなくてはならないショットがあと1本が足りなかった。

 観客をいつの間にか味方に付けてしまう魅せられる技量を持っている錦織選手には、何かの天分を持っていると感じる。何かの天分とは、日本人初の男子ベスト10入りの力と云いたい。そんな素晴らしい期待を抱かせる試合だった。頑張れ、錦織選手! 

「グリーン・ゾーン」

2010年05月24日 | Weblog
映画「グリーン・ゾーン」は「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」監督・主演コンビ、ポール・グリーングラス&マット・デイモンが、3度目のタッグを組んでフセイン政権陥落直後のイラクで大量破壊兵器を捜す真摯な兵士を描く社会派サスペンス映画。

 敢えて社会派と表現したのは、「ハート・ロッカー」のように爆弾処理班だけに焦点を当てたのではなく、9・11以降テロに対する強硬姿勢の大義として、大量破壊兵器の発見と撲滅がポリティカルサスペンス風に描かれていたからだ。ハラハラドキドキ度は「ハート・ロッカー」に軍配が上がるが、フセイン政権陥落直後のイラク、バグダッド市内のグリーン・ゾーン(安全地帯)と呼ばれる市内での緊迫した臨場感は一級のサスペンスだ。

 この映画を見終わった時、がトム・ハンクスが主演した「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」を思い出した。この映画は第三次世界大戦に進展しないようにソ連の侵攻を影から援助した米国のCIA職員と、酒と女にだらしない田舎者議員が協力して反政府派のテロ組織を鍛えしかも大量の武器やテリコプターを送った話だった。ソ連の侵攻は排除できたが、戦闘に明け暮れた為に政府を立ち上げる人物もおらず、疲弊したアフガンに米国は何の援助もしなかった。そのためにテロの巣窟となってしまったことを反省する映画だった。

 もともとイラクのフセイン大統領は1980年から1988年の8年間に渡って、イランを攻めた張本人だ(イラン・イラク戦争)。1979年のイラン革命で弱体化したイランに先制攻撃をかけて国境問題を有利にし、いずれアラブの盟主にならんがための戦いだった。同じイスラム教でもイラクはアラブ系、イランはペルシャ系、しかもシーア派が多数を占めるていたが、イラクはシーア派が大多数を占めているがスンニ派が主導権を握っていた。この民族紛争も見え隠れする戦争だった。戦争が長期化するに従って、サウジアラビアを中心とする国際的な石油戦略に影響が出始め、特にアメリカが関わるようになると複雑化の様相を呈してきた。1987年、国連が即時停戦を求める決議を全会一致で採択した。そしてイランは先に仕掛けてきたフセイン大統領の国際裁判、フセインの失脚を要求してこれが認められないとなると停戦要求を拒否したが、1988年ようやく停戦に応じ戦争は終結した。
 フセインは1990年クェートにも侵攻した。1961年にクウェートがイギリス領から独立して以来、クウェートの領有権を主張してきており、イラクにとって豊富な油田のあるクウェートを併合したいという実質的アピールだった。この頃のイラクは長引いたイ・イ戦争の出費が膨れ上がり、特にクェートからの負債が最も大きかったことが直接の要因だとも云われている。イスラム教徒にはスンニ派とシーア派という2大派があるが、圧倒的にスンニ派が多く、シーア派の中に絶対宗教厳守の原理主義派がある。アラブの盟主のサウジやエジプトやクェート、アラブ首長国連邦もスンニ派が実権を握っている。

 さて、映画「グリーン・ゾーン」に戻る。9.11よりアメリカはテロ撲滅を声高々に宣言し、中東の問題児、イラクのサダム・フセイン大統領をその守護神というレッテルを張り付ける。そして大量破壊兵器を隠し持っていると全世界に宣言し、国連の了承も得ず、イギリス、オーストラリア、ポーランドなどが加わる有志が連合して、2003年、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由としてイラクに侵攻を開始した。物語はバクダッドを手中に治めたアメリカ陸軍が、上級准尉・MET隊隊長ロイ・ミラーを派遣して大量破壊兵器を必死に捜そうとするシーンから映画は始まる。しかし送られてくる情報をもとに大量破壊兵器を命懸けで捜そうとするが、一向にその気配さえ見つからない。疑問に思ったミラーは上官に、情報の真偽と確かめるが命令に従っていればいいという返事しか帰ってこない。そんな姿を見ていたCIA職員から声をかけられる。上層部の政治がらみらしいという情報を得るが…。こうしてグリーン・ゾーン(安全地帯)と呼ばれているが、緊迫したバクダッド市内でポリティカルサスペンス風に物語は進行していく。

 私はアメリカ映画やアメリカのラドラム(ジェイソン・ボーンシリーズの原作者)らの陰謀小説を読み過ぎたせいか、どうにもアメリカを受け入れられないでいる。アメリカが大戦に参戦するためには、日本の先制攻撃(真珠湾攻撃)による米国民の民意が必要だったという説。ソ連のアフガン侵攻を黙認しながら影でアフガンゲリラに武器・兵器を送り続けたしたたかさ。共産主義国家を構築させないなら平気で軍事国家に武器・兵器を与える姿勢。日本の国土を極東の前線基地として扱ってきた今も変わらないスタンス。世界大戦後、ホロコーストを避けたユダヤ民族を大移動させてヨルダンの西に終結させ、イスラエル国家を樹立させて世界中に広がった裕福なユダヤ人を味方につけたしたたかさ。サウジアラビアを中心とした中東の石油戦略のガンとなっていたフセインを確かな証拠(大量破壊兵器、テロ組織擁護)もなく、葬り去った事実。
 このような過去の出来事にアメリカの陰謀が本当にあったのか、私ごときに分かるはずがないが、その後の報道や多くの小説、映画を見ていると陰謀の存在を裏付ける事実がいくつも判明しており、白ではなく限りなく黒に近い灰色を感じる。

 日本と同様にアメリカ社会は車の販売数によって大きな発展を遂げてきた。少し前トヨタ車が販売数世界一と報道され、その後米国ビッグ3の車会社が破綻したが、巨大証券会社のゴールドマンサックスの破綻と違って政府は多額の公金をつぎ込んでビッグ3の再生に力を注いでいる。その理由は理解できる。そんな真っ最中、トヨタ車のリコール騒ぎが発生しました。発端の事件は狂言だったと裁判は判定を下しましたが、一度急落したトヨタ車の人気は、そう簡単には戻りません。考えたくはないですが、ここにも陰謀説を感じてしまうのは私だけだろうかか?

 アメリカの陰謀説の存在を考えながら映画「グリーン・ゾーン」を見ていただければ、今までと違ったアメリカが見えてくるかも知れません。類似の映画を列挙すると先ほどの「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」「キングダム 見えざる敵」「シリアナ」、この3本の映画を見ていただければアメリカの石油がらみの陰謀が熱を帯びて浮き上がってくるに違いありません。

「幸せとは? 2」

2010年05月18日 | Weblog
動物園や水族館では、子供の目は特別な輝きを放ちます。
まさに幸せを絵に描いたというべき表情をしています。
不安や心配がいっさいない絶対安心状態なんでしょうね。

息子が2歳の頃、
ハトにあげたポップコーンを拾って食べようとした風景を今でも忘れられません。


好きな作家五木寛之氏がこのような意味のことを書いていました。

幼い頃の可愛さだけで、親は子育てを堪能している。
親は年老いて子供に世話になろうなんて考えてはいけない。
幼い頃、子供から十分恩をいただいているんだから。

幼い子供たちの笑顔を見ると
今でも我が子の可愛さが目に浮かびます。
五木氏の言葉が本当だったと心から感じます。

2歳の頃は、まだ表情は乏しいですが、泣き顔は一人前です。
しかし、笑い顔はまだまだ半人前です。
(写真は元従業員の2歳に満たない女の子)


そういえばウミガメのように卵を産み落とすとき、
涙を見せる動物は存在しても、笑顔を見せる動物はいません。

笑顔は人間の特権かもしれません。
そして、幸せを感じることと笑顔は特別深い関係があるようにも思います。

人は泣きながら生まれてきますが、笑顔は後天的に学ぶのものです。
どんな笑顔を教えるか、親や大人たちの大きな役目に違いありません。

そしてそのおかげで周囲の大人たちが幸せを感じるなら、
私たち大人は、改めて子供たちの笑顔について真摯に考えなくてはなりません。
子供たちへの暴力や悪戯が増えていくような社会であっては絶対にいけないのです。

「幸せとは?」

2010年05月14日 | Weblog
「幸せとは?」

 こんな単純な質問を、過去何度も自問自答してきました。自分なりに<幸せ>の定義を見つけようとしていたのでしょう。実はこの作業がとても大切なような気がしてきたので、改めて日記に書いてみようと思い立ちました。

 人にはそれぞれの人生があり、価値観や目標が異なる為に<幸せ>もそれぞれでしょう。まず、過去の自分の日記を調べてみて、私自身<幸せ>をどのようにとらえているのかチェックしてみました。

・母親の胎内という至高とも思える幸せ
・幸せとは心に不安や心配がいっさいない絶対安心状態の事(播磨屋助次郎)
・人は共感することによって心が癒されます。
 恋する相手や可愛い子供の幸せそうな笑顔を見て、
 共感し自らの幸せが達成されるものだと思っています。
・私たちは自分の幸福(?)を求めるが故、
 大切だったものをあたり構わず切り捨てようとしています。
 それは穴の開いた船にいて、ドンドン海水が入ってきて
 沈みかけているので周囲のモノをドンドン海に投げ込んでいるようなものです。
・「嫌いなものが増えるたび 受け取れるはずの幸せのの量が減っていく」(勝目梓)
・『どんな職業に就いていようとも、経済活動をしている以上、人は悲哀をかこつ。 地位や他人の評価とは無関係に、地に両足をつけて自立できているという自覚さえあれば、人は幸せなのだというフラットな目線を、7年間で養ったように思う』(横山秀夫)
・『どうしたら幸せになれるのだろうか。Doingに関わる幸せとして、腹いっぱい食べることだったり、成績が一番になったり、高い車が手に入ったり、試合に勝ったりする幸せがある。購買欲や食欲、性欲や人を殴りたい攻撃欲は満たされると快感を感じてすかっとするのだ。しかし、この快感は一瞬である。どのような欲求充足も長続きしないし、またすぐに不満がつのる。こんなDoingの幸せに対して、Beingの幸せがある。「することを忘れ、何もしないで、ボーッとして、ただ「いる」だけでいい時の幸せというのがある。幼い頃はそういう幸せに溢れていたようだ』(北山修)
・あの世まで持っていけないと気づいたとき、沢山の宝物に囲まれている人も、無意味だったと知るに違いない。幸福な人だけが風呂敷に入れられるようなものが、宝物ではないことに気づく。いつまでも気づかない人は寂しいまま人生を終えるしかないのです。
・鎌倉の海辺に寝そべって
 有名な水中花火を見ましたね
 大人でもびっくりする花火の大きな響きにも
 あなたは驚きもせず 目を輝かせていましたね
 「幸せの瞬間」とはあんな時間のことをいうのでしょう
・すべての人は幸せになるために生まれてきた。

・様々な知識や経験が、人に知恵を与えその知恵は筋肉となって心の骨格を守り、教養を身につけ、人格を構築する。そして、自分の価値観を形成し、自分の道を見いだして、
最終目標の<幸せ>向かって歩み出す。こんなふうに気づくのに多くの時間を必要としました。
・かしこい子とは「幸せになる生活をする知恵のある子」(渡辺洋一)



ブロブを振り返ってみると、幸せについての記述が一番多いような気がします。この間に多くの著名人の言葉や本の文章を読んできて私の<幸せの定義>がよりはっきりしてきたように思います。
 北山氏の文章にあったDoingの幸せは、その人が達成した時のみ感じられる幸せであって、例えば勝負に負けた相手にとってはとても不幸で悲しい出来事かも知れません。夫婦であっても配偶者の幸せが相手も同様に感じているかどうかは離婚の多さが知らしめてくています。もう一つのBeingの幸せは、母親の胎内という至高とも思える幸せ、心に不安や心配がいっさいない絶対安心状態と通じるものがあります。真の幸せはこちらに存在するようです。
 人は自我に目覚める唯一の生き物です。そして、感動や笑いや涙も他の生き物にない人間ならではの特権と云えます。考えてみると地球上のすべての生き物と比較すると、至高の知性を与えられ、自然をも変えうる能力を与えられた神に近い存在とも云えます。その為に<自律>を学ぶ唯一の生き物になったように思います。しかし、この知性という特権能力の使い方を間違ったために、得られる幸せを失ってしまっているように思います。そのために人はストレスを抱え込み、特権の優劣を競い合い、競争社会で勝ち残った者しか幸せを得られないと思い込んでしまったのです。

『野球というのは勝ち負けがありますが、野球の面白いところは勝つことが最終目標ではないところです。もちろん勝つことはひとつの目標ではありますが、例えば高校野球で、甲子園優勝を目指している全国4,000校の中で、優勝できるのは、1校だけです。そう考えますと、ほとんどの人が負ける悔しさを味わいながら野球を続けていき、かつ野球と別れていきます。もし、優勝だけが目的なら、こんなに野球は広がらないでしょうし、みんなが支持をしないでしょう』
 これは巨人軍の名誉監督長島茂雄氏の言葉ですが、野球は人生と似ていると続けています。また、『キャッチボールの基本は相手の胸に投げることで、それは捕りやすいボールを投げるということです。キャッチボールは連続性が大切です。捕って終わるのではなくて、捕ってから相手に投げ返してまた受けるわけです。それからキャッチボールの非常に奇妙で面白いところは、暴投をしたほうがボールを拾いに行くのではなくて、受け手側が「いいよ、いいよ」と言って捕りに行くところです。そうしますと「ごめんナ」と言いながら、「この次はいいボールを投げてあげなくちゃ」と考えるようになる』長嶋さんはそれが「会話」だと言います。

 人は共感することによって心が癒されます。キャッチボールで暴投した方は「ごめんナ」と言いながら、「この次はいいボールを投げてあげなくちゃ」と考える、これが受け手側の心と共感しているのです。タイムリーヒットを打って2塁ベース場ガッツポーズが当たり前になってきた高校野球ですが、長嶋氏が云う大切な「会話」や「共感」とは違ってきてるように思えてなりません。千秋楽の優勝決定戦で勝った外国人横綱がガッツポーズを取って、審議委員会から品位がないと注意を受けましたが、同じ意味です。いつの間にか、勝ちさえすればいい、勝者だけを褒める風潮がまかり通る社会になってきたのです。こんなことでは共感も共生もできるはずがありません。

 恋する相手や可愛い子供の幸せそうな笑顔を見て、共感し自らの幸せも達成されるものだと思います。Doingの喜びを得ようとしても真の幸せは得られないと気づかなければなりません。真の幸せは共感と共生の中にあるのです。母親の胸に抱かれて不安や心配がいっさいない絶対安心状態こそ幸せの真髄であり、自らが求めて与えられるものではなく親が健やかに育つ我が子の笑顔見ながら感じるものだと思います。

あらゆる人の人生はオリジナルです。
つまり唯一の存在です。

 そして、生物の進化の最終型が人類であるのは事実のようです。この進化はどのような流れでどこへ向かっているのか。進化は不幸であてはいけないと私は考えています。母のお腹の中で、人は単細胞から魚類、両生類、ほ乳類と進化の過程と辿ります。それはより幸せになるための進化だと思っています。

 ごくたまに、人は大空を舞う鷹や大海原を回遊するイルカになりたいと思うことがありますが、今度生まれ変わるときもやはり人でいたいと願うはずです。そんな人生にしたいと思います。そんな人生にしていかなければならない、これが進化の流れだと私は思います。

つまり、幸せになる流れこそ、人生の本道だと思います。

そのためにオリジナルの定義を捜すことが、自分の人生を生きることになると思っています。自我に目覚める生物は人だけなのですから<自立と自律>を大切に。人と競争するのは愚かなこと。DoingとBeingの幸せをしっかりと理解し区別する。共感し共生して、幸せを感じる。

半世紀を生きてきて
ようやくこのようなことが分かりだした新参者です。

龍馬伝考察「嘘には三種類ある」

2010年05月07日 | Weblog
『嘘には三種類ある、
自分を守る嘘、他人を欺く嘘、他人を庇う嘘だ』


これは最近気に入っているTVドラマ「新参者」の主人公加賀恭一郎のセリフだ。
どんな嘘をつくかによってその人を洞察出来るように思う。

たとえば龍馬の嘘を考えてみる。
彼は比較的に嘘が付けない人物だ。加尾を好きであるにも関わらず、自分の将来が見えないために「待っていて欲しい」とは云えない。自分を守るための嘘ではないが、正直に自分の気持ちを伝えられない。家族に脱藩したいときも周囲が先に悟られてしまう。つまりポーカーフェイスができない天然素材と云える。

 武市の嘘を考えてみる。龍馬や弥太郎が江戸に向かったにも関わらず、道場主として妻の富や母を守ると自分に対して嘘をつく。このあたりは龍馬とよく似ていると云える。しかし、武市は龍馬より本を読み教養があった。そのために自分を律していたと云える。一匹オオカミの龍馬にも家族があったが部下のような門弟はいない。この環境の違い、つまり道場の門弟たちという組織を守るために、嘘をつかざるを得なくなる。以蔵を暗殺者にすることは、以蔵に必要悪だと彼を庇いながら、自分を守り、門弟や他人を欺く嘘をついていく。土佐勤王党を守り、時代の流れに乗り遅れないように土佐藩を守る彼の大義が、自分の本意(家族と土佐勤王党を守る)にも嘘をつかざるを得なくなる。攘夷という堅固な信念は、薩英戦争や下関戦争で薩摩や長州が攘夷が不可能だと自覚するが、武市の信念は微動だにしない。まさに本当の忠義の人、信念の人、真の侍と云える。その姿は西南の役で自殺した西郷を彷彿させる。部下や門弟たちに器用に嘘をつけ切れなかった悲劇を二人に感じる。

 情報量が豊かであることは、決してそれだけではベターとは云えない。教養が足りない人物にとってその情報に影響され続け、信念のない考えや行動に走りがちになるからだ。端的な話が「この株は上がる、この話は儲かる」という情報にすぐに動かされてしまい大金を失う人たちのことだ。何故上がるのか、何故儲かるのか、この話の発信元や人物の真偽を見極められないのは教養が足りないと云って過言ではない。

 残念ながら以蔵には教養がない。自分を唯一認めてくれる武市を盲目的に信頼し、彼への恩に対して暗殺という結果で報いようとする。しかし、自分の真意(人を殺したくない)に嘘をつき恐怖観念から必死に逃れようとしながらも、武市の指示で勝の暗殺に向かう。何故、武市が勝を排除しようとしているかも認識しないで暗殺を謀ろうとしたが、その場に龍馬がいた。龍馬がいたことの安心感が以蔵の凍てついた信念のない忠義を緩め、勝得意の地球儀談話が、彼の心に温かい風を吹き込むことになる。以蔵は自分の暗殺に対して、自分を守る嘘、他人を欺く嘘、他人を庇う嘘をついたことになる。

容堂の嘘を考えてみる。
 容堂は武市との面談では嘘はついてない。しかし、収二に対しては自分を守る嘘、他人を欺く嘘をついている。組織の管理者はこのパターンの嘘をつくことが多い。役職が上がれば上がるほど、会社を守るため多くの人を利用(=異動)しなくてはならないので嘘の回数は多くなる。武市のような組織(=藩)に忠実な僕は、容堂のような上司が突然現れて酷い目に遭うことがある。反対に部署が変わって水を得た魚のように蘇る人もいる。かつて一時代を築いた西武大国の堤氏は「できる人物は間違った人事でも腐らず成果を上げ、反対に間違った人事を悟らせてくれることがある」と云っていたが、組織作りの難しさや組織の妙を言い当てているような気がする。わかりやすい例として、大リーガーのレッドソックスに移籍した岡島投手だ。彼は投手として大リーガーからしかお呼びがかからなかった。役割分担制度が確立している大リーグでは岡島のワンポントリリーフを買って呼び寄せいた。岡島投手も十分そのことを自覚して松坂投手以上に役割を今期もこなしそうだ。

 さて、このように嘘について洞察してきたが、大切なことは自分にウソはつかないと言うことだろうか。人は教養がついてくると一つの信念を構築していく。容堂の土佐を安堵の地にした徳川家康に対する忠義は、その後も微動すらない。これが幕末の幕末の四賢侯と呼ばれる所以だ。山内家の藩主としての役割を全うしたと云っていい。武市もまた自分なりの信念を貫いた忠義の人として名を残した。新撰組の近藤や西郷にも同じ匂いを感じる。しかし、三条実美のような姑息な政治家は自分を守るためだけの嘘を重ねるように見えてしかたがない。まさに政界の風見鶏に見えてくる。人物として歴史に名を残す人たちは、自分の信念に対して嘘はなかったように思う。そして自分の役割をしっかりと把握し、自己の立身栄達を望まなかったことが上げられる。

「女が男を捨てる時」

2010年05月02日 | Weblog
『有名になって金ができて、昔の女房や恋人を捨てるのはたいてい男。

 女はね、場合によっちゃ意地になるの。
 どんなことがあっても捨ててたまるかって。

 女が男を捨てるとしたら、それは自分が利口になって、

 今までつきあっていたのがさほどのものじゃないと気づいたときよ』


これは『新宿鮫』に出てくるゲイバーのママの言葉。

男性としてなんだかとても背筋が寒くなります。

昔からよく男性はロマンティスト、女性がリアシストと言われますが、
このセリフもそれを言い表しているかもしれませんね。

協議離婚が進行中のエリカ嬢の話を知って、ママさんの言葉が浮かんできました。

芸能人としての本人が持つ<イメージ>は最も大切な才能です。
映画「パッチギ!」や「手紙」の彼女は本当に瑞々しく可憐で
しかも、タンカが切れる秘めた迫力を持った女優でした。

この2本を見てきっとトップ女優になると思ったのですが、
本当にリアリストであるなら「クローズド・ノート」完成時の記者会見での応対を
どうのように考えればいいのだろうかと私なりに思い悩んだものです。

以前女優として一世を風靡した鈴木保奈美は石橋と電撃結婚した後、回ってきた役は、
時代劇の悪役の側室でした。(NHK大河ドラマ「元禄繚乱」染子役)
彼女はそれを最後にTVから姿を消してしまいました。

単純にファンだった私は「どうして、こんな役が…」と思い、
とても残念な想いがしました。
悪役がいいとか悪いとかというのではなく、
今までの役柄が回ってこないことです。
そういった意味では芸能界はとても残忍な世界です。

役者というのはあくまで現実の性格はミステリアスの方が
様々な役柄を演じやすくなります。
だからバラエティーのような番組では地が出やすく、
優しくて朗らかな性格が見えてしまうと、
ヤクザのボスや悪役がイマイチはまりが悪くなってしまいます。

声優の顔がやたらTVに映ると、洋画の吹き替えの時、
その顔が浮かんできて実際の役者のイメージがぼやけてしまう弊害が起こるのと似ています。

エリカ嬢も女優としてとても気に入っていただけに
カンバック作品が気になってしまいます。