GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「親父と将棋を指そう!」

2012年12月07日 | Weblog

映画「麒麟の翼」を観て、無性に将棋を指したくなった。
やりたいと本当に思ったことは、すぐに実行に移すのが最近のグッドラック。

先日ネットで将棋盤と駒を別々に注文し、一日置きに送られてきた。
セット物もあったのですが気に入らなかったので、別注文になってしまった。

明日、これを実家に持っていき父と勝負しようと思っている。
小学校卒業以来、つまり46年間、将棋を指していないので、
まずは連れ添いにルールを説明しながらひと勝負。

彼女は私の目的も十分理解しているの断ることはないが、
もともと非常に好奇心旺盛な人物で、「とりあえず、やってみよう」という性格の持ち主。
この当たりは私と同じ。(しかも、負けず嫌いのところも…)

当然私が勝ったが、詰みそうだ(チェックメイトできる→勝てそうだ)と見えて、
なかなかいい手が思い浮かばず、少し時間がかかった。

      

今から麻雀ゲームのように将棋ゲームをダウンロードして明日に備えようと思っている。
ただヘン骨親父に「オヤジ、将棋しようよ!」ではアプローチがイマイチなので、
営業的戦略?を考える必要がある。

例えば、「堺CCはいつも込んでて、食事休憩がえらい長いんだ。同じパーティーの人に、よく将棋で時間を潰そう!と誘われるんだけど、しばらく将棋を指していないんでいつも断っているんだ。昔のように教えてくれへんか?」

もう一つ、「この間映画を見ていたら親子で将棋を指すシーンがあったんだけど、急に将棋を指したくなったんだ。昔みたいに教えてよ」(これはそのままだが…)

さて、明日はどんな戦略で親父に将棋を指させるか、準備を整えて望みたい。

 まだ仕事をしていたら決してこんなことを考えなかっただろう。私の場合、仕事はすべてに優先していた。よっぽどのことがない限り、他人に休みを変えてもらってまでやろうとは思わなかった。2006年まで新婚旅行以外、一度も3連休以上取ったこともなかった。桜見や紅葉狩りも一切興味がなかった。

 50歳を過ぎて、仕事での自分の限界を感じたこともあるが、連れ添いの両親の死、母の死が、私の人生観に大きな影響を与えた。3人の死は、<私自身の残された時間>を初めて意識させてくれたのだ。

『死を間近に迎えたとき、人はやっとプライドや意地というものを捨て、本当の心を取り戻す。
 死んでいく人のメッセージを受け取るのは生きている人の義務だ』

このセリフも映画「麒麟の翼」で加賀が語った。

     

大切なことは体力・気力がまだ充実している時期に、このことに気づかねばならないということ。
でなければ、間に合わないからだ。

父と将棋を指しながら母の思い出や父のやってきた仕事、私のやってきた仕事など
じっくり時間をかけて語り尽くそうと思っている、母ともそうしたように…。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。