GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「クリスマスの約束」小田和正

2007年12月28日 | Weblog
 2001年から始まった年に一度の楽しみの番組『クリスマスの約束』。当初は名曲を作った彼らに7通の手紙を小田氏が書いて『クリスマスの約束』に招待するが誰一人やってこなかった。三度目の2003年、ついにやってきた。

 最初はゆず。小田氏と彼らが「クリスマスの約束」という曲を作る場面が流れた。次に現れたのはなんとチューリップの財津和夫氏だった。同時代にオフコースと競いあっら二人が同じステージに立って「青春の影」を歌った。歌い出し少し震えるような財津氏の歌声に小田氏がハモをつけいった。二人が歩いてきた青春の道、小田氏より六歳下の私もギターを持って歌を作り、間違いなく同時代を生きてきた。大学時代、オフコースやチューリップの歌は私に多くの感動を与えた。そんな二人が同じステージ歌う。ゾクゾクしながらテレビの画面に見入った。
スターダスト・レビューの根本要さんが現れ、名曲「木蓮の涙」を二人で歌った。二人の透き通るような高音の歌声がスタジオ内に響き渡った。最初根本氏が緊張するというので、小田氏がその気持ちをほぐすように二人でステージに腰をかけて歌った場面。ライブ感があってとても良かった。

 次に現れたのはMr.Childrenの桜井和寿君。小田氏と彼の曲「HERO」を歌う。打ち合わせでメッセージ性が強くてクリスマスに合わないんじゃないかなと小田氏、しかし、この歌を歌いたいと押し切った桜井君、初めての出会いから練習風景が流れる。そして当日、本当にあのときはゾクゾクした。前年の2002年、クリスマスの約束に出演依頼が桜井君にあった。『収録時はこの曲のシングル発売前であった。また桜井からの手紙によると前年の番組出演を断った理由として、同時期に他局でMr.Childrenのライブ・ドキュメント番組を放送していたことと、小田を中心にして豪華ゲストを呼ぼうというTBSに対する不信感があったこと、チャリティーでなければどこに意味を見出していいのかわからないことを挙げていたが、番組を見て自分の思っていたことが違うことに気づき、自分たちの曲を番組で取り上げてくれたことを感謝していた。これに対し小田は「番組をやるにあたって何度もくじけそうになったけど、この手紙がなかったら今回はできなかった」』(ウィキペディアより)

 今年の目玉はさだまさし氏のコーナーだった。彼の出番の前に小田氏がピアノの弾き語りで名曲「秋桜」を歌った。聞いているうちに涙が流れてきた。こんな経験は大学1年のアメリカの「I NEED YOU」を聞いて以来だった。日記を書き出したきっかけはこの歌からだった。


『秋桜』(さだまさし 作詞/作曲)

 薄紅の秋桜が秋の日の
 なにげない日溜まりに揺れている
 この頃涙もろくなった母が
 庭先でひとつせきをする
 縁側でアルバムを開いては
 私の幼い日の思い出を
 何度も同じ話繰り返す
 独り言みたいに小さな声で
 こんな小春日和の穏やかな日は
 あなたの優しさがしみてくる
 明日嫁ぐ私に苦労はしても
 笑い話に時が変えるよ
 心配いらないと笑った

 あれこれと思い出をたどったら
 いつの日も一人ではなかったと
 今さらながらわがままな私に
 唇噛んでいます
 明日への荷造りに手を借りて
 しばらくは楽しげにいたけれど
 突然涙こぼし元気でと 
 何度も何度も繰り返す母
 ありがとうの言葉をかみしめながら
 生きてみます私なりに
 こんな小春日和の穏やかな日は
 もう少しあなたの
 子供でいさせて下さい


 最愛の人を、母を亡くしたこの2007年。
私には特別な1年だった。「…もう少しあなたの子供でいさせて」という最後のフレーズはたまらなかった。小田氏は今までの書いてきた歌の中でこんなことを何度も語っている。「今が大切だ」と。その通りだと思う。今の連続が昨日になり、過去となっていく。何かに一所懸命になることで今を楽しみ、今を生き、明日につなげていく。それが親から与えられた命を自らの意志で生きていくとなのだろう。

 小田氏がさだ氏を自分の事務所に呼んで「クリスマスの約束」で二人で作った歌を歌おう、しかも今日その歌を作るとさだ氏に提案?(命令?)(さだまさしは1952年生まれで小田氏の5歳年下)「それは無茶だ」といいながらも人のいいさだ氏は提案を語り出す。「若い頃の自分に語りかける。そしてそれをつなげる現在があり未来につながっている。大切なのは今だ。」これをモチーフにしよう。そうして下記の歌が生まれた。


『たとえば』(作詞:さだまさし、作曲:小田和正)

 話したいことが幾つもある あの頃の僕に会えたら
 たとえば 迷うながら選んだ道の 辿り着く場所について
 伝えたいことは他にもある あの頃の僕に会えたら
 たとえば 信じていたことの正しさとその過ちについて 
 それから不安を胸に映し 怯えたあの夜の闇も
 たとえば ありもしない夢に紛れて逃げたことも

 あの頃の僕に告げたいのは
 ひたすら そこから ひたすら 歩き続けること
 あの頃の 歩幅でいいから
 ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと

 尋ねたいことが幾つもある 未来の僕に会えたら
 たとえば 傷ついたり 愛されたこの命の重さや
 尋ねたいことは他にもある 精一杯生きたかどうか
 たとえば 奇跡的にめぐり会えた 愛しい人のことを

 ここからの僕に云えることも
 ひたすら このまま ひたすら 歩き続けること
 今のままの歩幅でいいから
 ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと
 ひとつだけ言えることは 全ては今日のために
 たいせつなことはひとつだけ 全ては今日のために

 話したいことが幾つもある あの頃の僕に会えたら
 話したいことが幾つもある 未来の僕に会えたら


「くるり」というバンドを小田氏が、不気味と話していた。
「小田さんはとてもさわやかな方だと思っていましたが、一緒に音を出してみたらアーティスト特有の不気味さがありました。さださんの方がよっぽどさわやかでした」とくるりの岸田繁君が話していた。今までこの「クリスマスの約束」に出演した歌手の中で、さだまさし氏くらい平気で小田氏に突っ込みをいれていた歌手はいなかったが、小田氏は決してその流れに押されることもなくいつも先導を取っていた。投げられた言葉に動揺することなくさらりと体をかわして自分の思うステージを作っていった。出演した歌手は人によって気分を害するのではと思うくらい不気味な落ち着きを小田氏は持っていた。それこそが小田氏の大きなパワーであり同時にアクの強さだと私は思っている。

 2006年、小田氏の母校、早稲田大学のグリークラブから創部100周年を記念して合唱曲制作の依頼受けた。そして今年の6月、ようやく曲ができて彼らに楽譜を贈った。それからの練習風景が流れる。忙しい彼が母校に行ってクラブの練習を3時間も指揮する。
本当にそのパワフルさに驚かされた。一人の学生がこんな質問をした。

「小田さんの人生で、一番言葉にできない瞬間ってどんな時でしたか?」
「それはいっぱいある、数え切れないくらいいっぱいあるよ。コンサートで泣いているお客さんを一人見つけただけで感動するし…… そんなことだらけで… そんな時間がいっぱい作れた人間が勝ちだ……」ふと彼はそんな言葉を漏らした。

「多くの感動を得た人間が勝ちだ」

 これが彼の根底に流れている人生のスタンスではないかと思う。同じ映画で同じ時間を過ごしても多くの感動を得られる自分でいたい、より深く共感できる自分でいたいとどこかで思っている。人生は決して人との競争ではないことは百も承知している。人それぞれに、それぞれの人生があり、夢も喜びも価値観も人それぞれでいいのだから。カメはウサギに勝とうとして勝負を受けたのではない。自分のやるべきことに集中してただひたすら歩んだからこそ結果的にウサギに勝てただけだ。カメは心のどこかでウサギに勝てたことを喜んだかもしれない。人生の勝負も人より多く稼いだ方が勝ちではないことも理解しているつもりだ。しかし、ある程度はあった方がいいと思っている。若い頃は勝負にこだわっていいのかもしれない。負けず嫌いはより高い次元に自分を押し上げるからだ。
 小田氏の不気味さをくるりが話し、さだが「私の話を少しは受け入れて返してよ」と小田氏に突っ込みを入れたのも、どこか彼のアクの強さに対してささやかな不満を表現したものだろうと私は解釈している。小田氏を画面などで見ているだけでは感じないが、いざ音楽の世界で接したとき彼の「多くの感動を得た人間が勝ちだ」というスタンスがどうしても姿を現すのだろう。『…誇りある道を歩いていく どんな時も やがていつかひとりだけになってしまうとも…』(「風のように」より)が彼のスタンスなのだ。母校の早稲田大学のクラブに自分の歌を贈呈した。これから毎年その歌は歌い継がれていくだろう。小田和正の名が早稲田大学の卒業名簿にあるという記録だけではなく永遠という名のアイデンティティーを得たことになる。そしてそれは同時に彼の人生のアイデンティティーを自身の胸に刻み込んだことになるのだ。彼はオリジナルを作ることはオリジナルの人生を築いていくことに気づいている。60歳でも現役バリバリでいられる元気の素もまたそのオリジナルにあることを彼は明確に気づいているに違いない。そして『…誇りある道…』の領域に今彼はいる。

小田和正氏とさだまさし氏は若者たちにこういいたいのだろう。

  今のままの歩幅でいいから
     ひたすら このまま ひたすら 歩き続けること
     ひたすら ただ ひたすら 生きてゆくこと
     ひとつだけ言えることは 全ては今日のために
     たいせつなことはひとつだけ 全ては今日のために

「バベル」の哀しみ

2007年12月23日 | Weblog
「バベルの塔の記事は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム(名誉・名声)を高く上げ、全地のおもてに散るのを免れようと考えた。神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった。」(ウィキペディアより)

 映画はこの話をモチーフにモロッコ、メキシコ、アメリカ、日本、それぞれの場所で孤独な人たちのドラマが同時進行する。異なる言葉で互いの気持ちを伝え合うもどかしさ、同じ言葉を使っていても心触れ合わない心の葛藤が、それぞれのドラマに折り重なって切なく哀しい愛の叫び声を上げる。映画「バベル」はそんな映画でした。

 「人は分かり合えないものだ」と思っていた方がいいように思う。このブログも、もしかして多少なりとも共感できる人たちがいるかもしれない、だったらその輪を広げたいと思ったからだ。

 幼い頃の思い出に、目の前に作りかけの大きな道路があり、広い道路を前にしてただ呆然と立ちつくしている、そんな記憶だ。心を占めていたのは子供には表現できないような<孤独感>だった。以前両親にそのことを聞いたことがある。生まれ育った家は商店街で商売をしており、近くに造成中の道路などなかったからだ。親がいうには、私を幼稚園に行くまでしばらく賄いのおばさんの家に預けていたそうた。その家の近くに造成中の道路があったらしい。今でも孤独を感じたときふとあの時の風景が甦ってくる。孤独というトラウマかもしれない。最も幼い頃の記憶が<孤独>とは寂しい話だが、私の信念体系の元にあるように思う。
 
「人は泣きながら生まれてくる」
 この哀しみは、母の体内にいて大切に守られていたにも関わらず、世間に放り出され孤独と戦いながら生きていく苦しみを無理矢理背負わされたからだと「リア王」の中でシェークスピアが嘆いている。
 
 私は諸悪の根元をこの<孤独>だと定めている。
 多くの事件や様々な犯罪の根底にこの孤独の陰を感じるからだ。

 
 映画「バベル」中で織りなすドラマは、兄弟の葛藤、異境での事故、預かった子供を抱きかかえ途方にくれるハウスキーパー、父と娘の無限に広がる距離、これらすべてが言葉では通じ合わない泣きたくなるくらい哀しい展開で進行する。分かり合えない、孤独感がひしひし迫ってくる。


 ジョディー・フォスター主演の映画「コンタクト」にこんなセリフがである。「孤独を癒してくれるのは『お互いの存在』です」 五木寛之氏は『風に吹かれて』の中で孤独から逃れるには『共同の行為』しかないと書いる。半世紀を生きてきて、『お互いの存在』『共同の行為』が孤独を癒すことを知りました。しかし、癒すだけであって<孤独感>が決してなくならないことも知りました。生きていくということ事態が孤独との戦いなのかもしれません。

  <孤独>を恐れず必然と受け入れ、生きて行きましょう。
  お互いの存在を大切に思って生きていきましょう。

  たまには気の合う仲間と同じ時刻・同じ空間で、
  一つの成功を作りだす為に汗を流し
  『共同の行為』を心で共感し合いましょう。

 

 映画「バベル」を見てそんなことを改めて考えてしまいました。
 
 (感動したお奨め度:85点)

「アイ・アム・レジェンド」(ウィル、お前もか!)

2007年12月21日 | Weblog
 どうしてこの手の映画が繰り返し製作されるのだろうか? 
いやな予感があって公開してもしばらく躊躇していたのですが、ミクシイの方々の評判があまりに良くて、ついに行ってしまいました、が……。

 古典的傑作『地球最後の男』(リチャード・マシスン原作)をウィル・スミス主演で映画化したSFアクション。過去に2度映画化されています。
地球最後の男 (1964) 同一原作(ヴィンセント・プライス主演)
地球最後の男 オメガマン (1971) 同一原作(チャールトン・ヘストン主演)

 C・ヘストンの「オメガマン」は見ているが、1968年の「猿の惑星」のような明確な記憶はまったくない。「猿の惑星」のラストシーンは、その頃子供だったが良く覚えている。地球に帰還する宇宙船を失い、傷心の中、馬に乗って渚を行くシーン。その先になんと自由の女神の残骸が。「この惑星は地球だったのか……。」このラストに幼い私は胸を締め付けられた思い出があります。同じ頃のSF映画「ミクロの決死圏」では、人間がミクロになって体内の病原体を退治しに行く荒唐無稽のストーリーだったが、「猿の惑星」ほどの感動はなかった。

 この記憶の差は何だろうか? 名作、凡作の違いは当然あるだろうが、「アイ・アム・レジェンド」を見ていて思ったことがある。この映画が10年後記憶に残っているとしたら、車が放置され雑草が生い茂っている荒廃したマンハッタンの壮大な風景だけだろう。

   A)愛を感じる切ない、大きな感動。
   B)意外なストーリー展開
   C)今までにない心に残る映像

記憶に残るためにはこの3点は欠かせないようだ。
しかも、名作と名を残す為には、特にA)が必要条件らしい。

●「アイ・アム・レジェンド」まだ見ていない人にとってこれから先は、ネタバレご免になるのでご注意を! ごめんなさい!

 ニューヨークでたった一人になってしまった科学者ネビルは、愛犬と共に車で鹿を追って暮らしている。しかし、日が沈むと厚いのドアを閉め、鋼鉄の窓を閉ざして家に閉じこもり、魑魅魍魎が動き出す夜を自動小銃を抱きながらやり過ごす。「何故?」誰もいないのだろう? この疑問は時間を追うごとに家族を失った原因と共に明かされてくる。この辺の展開は今までにないもので緊迫感が高まり大いに期待できた。しかし、怪物が姿を現してからは、「バイオ・ハザード」「サイン」と同様に一気に映画はB級に下降した。その後はパニック映画と化して行く。ラストは名作「ブレードランナー」のような切なさも哀愁も感じられない。「ターミネーター2」のような意外な展開(前作で悪役だったターミネーターが、2では善玉として登場し液体金属の悪玉ターミネーターと身を挺して戦い、マシーンが涙の意味を知っていく)もなく、ただただ激しい殺戮を繰り返す後半の展開には辟易してしまった。ネズミや怪物をとらえて来て、様々な血清を試すシーンだけが科学者としてのスタンスを一人貫くシーンは今までにない場面で心に残った。しかし、怪物たちはすでに心を失い手負いの野獣として描かれており、従来のゾンビ映画となんら変わらない。

 どうしてこの手の映画が繰り返しくるられるのだろうか?

 どうしてもこの疑問が浮かんでくる。シリーズ3作品共に大ヒットした「バイオ・ハザード」。興行的にヒットしたらどんな内容でもいいというスタンスが大きな流れとなっている現状を憂いてしまうのは私だけだろうか? 若い親がDVDを借りてきて幼い子供達と一緒に見ていて、夜中に怖い夢を見て夜泣きされた経験がきっとあると思う。真っ白な心にべったりと血を塗りたくり、ぶっ飛んで目をつり上げ、野獣のように歯をむき出し怒る姿が何を培養していくのか心配でならない。

 

 ホームレスを襲ったり、モデルガンで浮浪者にBB弾を打ち込んだり、酷いのは火炎瓶まで投げつけるような事件が後を絶たないのは、この主の映画がブームになってからだと思う。愚かな若者をしかる前に、この手の規制を真剣に考えないと野獣の群を映画やゲーム市場が作り出しているかように思えてくる。邦画「どろろ」のように<PG-12>指定があるが、この映画にはない。

 先日も「オーシャンズ11」ゲームと称した中学3年生の連中が車を盗み、スリを繰り返して逮捕された事件報道を読んだが、本当に残念でしかたがない。そのような悪事をすることによって地道に働く事の意義を一生分からずじまいとなり、辛抱ができないアウトローとしての生き方しか身に付かず、未成年で逮捕された経歴は本人も周囲を決して忘れないだろう。その心の傷が一生消えないにことに到底考えは及ばない。

 かつて黒沢明監督は「天国と地獄」を作ったが、その後実際に誘拐事件が発生し社会的な問題となった。東宝映画は新たな犯罪サスペンスを作るよう黒沢氏に要望したが、社会的な影響力を心配してその後二度とこの手の映画を作らなかった。2年後作った映画は私の邦画最大のお奨め映画「赤ひげ」でした。

「アイ・アム・レジェンド」も「猿の惑星」「ターミネーター2」も「ブレード・ランナー」も人間の愚かさを提唱しているストーリーですが、この手のSFもので心に残る感動作はブルース・ウィリス主演・ブラッド・ピット共演の「12モンキーズ」です。細菌で滅んだ地上を避けて、多くの人々は地下に潜った。その原因はどこで、どうして起こったのか調べる為に未来からB・ウィルスが送られてくるストーリー。ブラピのぶっ飛んだ演技にも驚嘆(「ファイト・クラブ」以上)したが、2度は見ないと分からない難解さがありますが、見れば見るほど名作だったと感動する異色な作品です。

ついでに私のプラピ:ベスト5を紹介しておきましょう。
  1位「レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い」 (1994)
  2位「ジョー・ブラックをよろしく」 (1998)
  3位「スパイ・ゲーム」(2001)
  4位「ファイト・クラブ」(1999)
  5位「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」 (1994)

 ウィル・スミスは「バッド・ボーイズ」以来の出演した作品は「世界で一番パパが好き!」以外すべて見ている。彼にはキムタク的なウィットに富んだ性格と人の良さを感じるのですがこの映画のオファーを受けたことは残念です。プラピもまた愛のためとはいえ映画「トロイ」で伝説の男、アキレスを演じて、激しい殺戮を行ってしまいましたが、とても残念に思っています。スーパースターになってからの殺戮シーンは影響が大きいだけに回避して欲しいというのが今回の本音でした。

「レッド・オクトーバーを追え」(ブラインドコミュニケーション)

2007年12月17日 | Weblog
 ネットでのコミュニケーションはブラインドコミニケーションと云えます。それは潜水艦同士のコミュニケーションと似ています。最近では寝たきり老人を世話をする人たちが悪事を働いたり職員による年金横領事件などかつてはなかった事件が数多く発覚し、対面しているにも関わらず誰を信じればいいのか分からなくなってきています。環境が悪化していく中で人は、人を判断する能力を磨いていかねばなりません。それは自分に降りかかってくる悪意を振り払うと同時に、自分の人生を構築していく上で大切な人を選別していくことを意味します。こういった意識を客観的かつ俯瞰的に持つことがとても重要な気がします。

 潜水艦といえば、●『レッド・オクト-バーを追え』(Hunt for Red October, 1984)という小説が浮かんできます。大好きな作家トム・クランシーが書いた二十年以上も前の作品です。ショーン・コネリー主演で映画化もされましたが、ソ連が傾いた威信と復権を賭けて建造した最新鋭原子力潜水艦<レッド・オクトーバー>を巡る物語です。従来の潜水艦は海面下100m~200mしか潜れませんが、この艦はチタン製で400m以上も潜行でき地上からの探査では一切関知できず、その特殊なエンジンは遠くからではクジラと間違えるほど静かだという特性を持っていた。艦長は初航海でソ連海軍との連絡を絶ち、アメリカに向かって深く潜行していく。読みどころは、艦長が独断でアメリカに送った亡命したいというメッセージの真偽を二国間の首脳が分析し決断する過程です。レッド・オクトーバーに乗り込み真偽を確かめろとCIA分析官ジャック・ライアンに命令が下る。潜行する限られた空間の潜水艦内で艦長の思いも寄らない行動に戸惑う部下達。ソ連首脳は米国に亡命され最新鋭潜水艦を手放すわけにはいかないと自国潜水艦に攻撃指示を出し、深海でのカーチェイスばりの潜水艦チェイスが繰り広げられる。艦長の真意は本当に亡命なのか、それとも自国をも欺いたアメリカ沿岸からの核攻撃なのか。息詰まるような緊張が続く中、ライアンは艦長と対面し様々な情報を元に最終的な判断を下す。「艦長の亡命意志は本意だ」という報告を米首脳は信じようとはせずアメリカ海軍も潜水艦による攻撃命令を出す。こんなストーリーに私はゾクゾクしながら夢中になりました。ショーン・コネリーが艦長を熱演したお奨め映画です。1990年公開。その翌年ソビエト連邦が崩壊しました。あまりにタイムリーなストーリーで本当に海面下でこのような事件があったのかと騒がれたほどでした。

ジャック・ライアンが登場する他のクランシーの作品を紹介します。
○『愛国者のゲーム』(Patriot Games, 1987)
イギリスで休暇中のジャック・ライアンが偶然テロリストによるイギリス皇太子襲撃を阻止。テロリストはアメリカでライアン一家の襲撃を計画する。時代設定は『レッド・オクトーバーを追え』よりも前。『パトリオット・ゲーム』の原題で1992年にハリソン・フォード主演で映画化。

○『クレムリンの枢機卿』 (Cardinal of the Kremlin, 1988)
ソ連の高官に潜むスパイ「枢機卿」が危機にさらされる。ソ連国内の枢機卿救出にライアンが乗り出す。

○『いま、そこにある危機』 (Clear and Present Danger, 1989)
コロンビアの麻薬組織壊滅のために送り込まれたアメリカ部隊が政治的思惑で見捨てられる。彼らの救出に奔走するライアン。1994年にハリソン・フォード主演で映画化。

●『恐怖の総和』 (The Sum of All Fears, 1991)
歴史的な中東和平に反発するテロリストがアメリカで核テロを実行。疑惑が疑惑を呼びソ連と全面戦争の危機に。邦題「トータル・フィアーズ」で2002年にベン・アフレック主演で映画化。

●『日米開戦』(Debt of Honor, 1994)
日本の関税と同率にアメリカの関税を定める貿易改革法が成立。危機に陥った日本の経済的支配者がアメリカに対して戦争を仕掛けた。ジャンボジェット機を議会議事堂に突入させる描写が、9.11テロ後話題になった。
○「合衆国崩壊」(Executive Orders, 1996)
米国首脳が壊滅し、大統領職を継いだライアンを待ち受けたもの。それはイラクを併合したイランによる卑劣な戦争だった。

ジャック・ライアンは登場しないが、良くできたストーリー。
●『容赦なく』 (Without Remorse, 1993)
愛する少女のために麻薬組織に単身対決を挑むジョン・ケリー。ベトナム戦争時代の物語。映画化が決まっている。

●『レインボー・シックス』 (Rainbow Six, 1996)
世界中で勃発するテロ行為を防ぐために全世界から特殊部隊の精鋭達が集められる。ラストはオーストラリアオリンピック開催会場でのテロ集団との対決が描かれています。

 映画化されたものはすべて見てみました。●は原作も読んだものです。

 印象に残る原作は『恐怖の総和』です。これは「トータル・フィアー」という邦題で映画化され、先日も民放で放映されていました。『レッド・オクトーバーを追え』と同じような設定でストーリーは展開します。アメリカ本土で核爆発があり、米国はロシアの先制攻撃と判断し、反撃を開始しようとするが、ジャック・ライアンは新たに大統領になったメネロフは昔から親米派だった、そんなことをするはずがないとただ一人分析結果を報告するが誰も信じない。ロシアの首脳も自国からの原爆攻撃ではないと自認しているものの、軍人達はアメリカからの反撃を恐れ先制攻撃を主張する。こうして米国・ロシアの二大国首脳の恐怖が加算(原題「恐怖の総和」)されていきます。ライアンは自分の判断が正しいという客観的証拠集める為原爆の爆心点に向かう。普通のCIA分析官は現場にはでませんが、トム・クランシーはジャック・ライアンという主人公を使って分析の重要性を語ります。そして最後の土壇場、一人の人間の分析力・人間力が一国を左右する決断を下し、周囲もついにその決断に従うというクライマックスに迎えます。

 『日米開戦』のラストで、ジャック・ライアンが副大統領に任命されようとする国会議事堂で、民間旅客機の体当たり攻撃を受け大統領が死亡します。新大統領に任命されたライアンが苦悩しながら米国再生する姿を描いたのが『合衆国崩壊』です。(9.11事件の際、国内民間機ハイジャックの容易性を述べたこの小説が問題化された)

 

 人生はまさしく潜水艦で海面下を進んいくようなものかも知れません。日本は溢れかえる情報過多の時代に突入しました。人の選別の他に情報の選別も毎日のようにしていかねばなりません。テレビや新聞、ネットから配信される情報がすべて真実とは限らないのです。それらの情報を自らのフィルターで削ぎ落とし、物事の本質に迫まっていく習慣を身に付けなければ判断を誤るのです。私は情報の選別能力が人を選別する能力を向上させると思っています。

「イーグルス」と私

2007年12月09日 | Weblog
 1976年の暮れ、大学四年生だった私たちは最後のコンサートを終え、就職が決まった仲間と何度も友人宅に集まった。その頃、名曲「ホテルカリフォルニア」の切ない歌とメロディが、ラジオのFMからひっきりなしに流れていた。
 
 1971年、可愛い狸顔リンダ・ロンシュタットのバック・バンドだったグレン・フライ、バーニー・ リードン、ランディ・マイズナー、ドン・ヘンリーの4人で結成したイーグルス。72年ファースト・シングル 「テイク・イット・イージー」は、カントリーの香りを漂わせながら軽快なリズムが胸の中を爽やかに通り過ぎた。アルバム『イーグルス・ファースト』のヒットにより、 一躍ウエスト・コースト・ロックの代表的な存在となる。
74年3作目の『オン・ザ・ボーダー』 完成後、レコーディングに参加していたドン・フェルダーが正式メンバーに。まるでサンタナのリードギターのようなベースイントロから始まる名曲「呪われた夜」はあらたな幕開けを予感させた。ザ・バンドから生まれたウエストコーストサウンドが(私だけの思いかも知れないが…)、C・S・N&Yに引き継がれアメリカやロギンス&メッシーナなどのグループを排出したが、今なお健在で人気があるドゥービーブラザーズは決して忘れられない。75年バーニー・ リードンが脱退、代ってジョー・ウォルシュが加入。そして76年不滅の最高傑作『ホテル・ カリフォルニア』がリリースされた。彼らの時代は私達の大学時代とかぶり、まさしく青春時代と共にイーグルスが存在し大きく輝いた。コンサート最後のステージで披露した曲は「Best Of My Love」だった。あの奇跡的な出来映えはライブ録音として残っている。私たちの青春の金字塔として……。

 そんな絶対的存在だった彼らが新たな名盤を作った。彼らはまさにミュージックという世界を走り抜けてきた。まるでその姿は、レコード、オープンリールというアナログの世界からMD・CDというデジタル世界へと導いて行ったかのように思えてしかたがない。

 彼ら共に私達もまたそんな時代を走り抜けてきたのだ。この30年間の驚異的な進化はいったい私たちに何を残したのだろうか? 手にしたものが素晴らしいものだったことは理解できるが、失ってきたものがどれだけのものだったのか? ドン・ヘンリーをはじめとするイーグルスの仲間達は何を得て、何を失ったのか? これだけは云える。
「永遠に幼い頃の純粋な自分を失った」ことは確かなようだ。



「LONG ROAD OUT OF EDEN」

一枚目、二枚目と聞き通して感じたことは、「テイク・イット・イージー」から「ホテル・カリフォルニア」へと新たな理想郷を探し求めてエデンの園から抜け出して走り続けてきたが、気が付くと壮大な砂漠の真ん中にたたずんでいた、そんな印象を強く持った。
 
 アルバムタイトルの曲から聞こえるドン・ヘンリーの歌声は、胸に迫る哀愁が漂い、リードギターの泣くような響きは過ぎていった30年の歳月と<無常>を感じさせる。「呪われた夜」「ホテルカリフォルニア」の延長線上の名曲だ。二枚目の3曲目、まるで「テイク・イット・イージー」のような軽快なリズムでありながら、胸を締め付けられるような「サム・バディー」も私好みの曲だ。

       ………

「ホテルカリフォルニア」訳詞

暗く寂しいハイウェイ
涼しげな風に髪が揺れる
コリタス草の甘い香りがほのかに漂い
はるか前方には かすかな灯りが見える
頭は重く 視界かすむ
どうやら今夜は休息が必要だ
礼拝の鐘が鳴り
戸口に女が現れた
僕はひそかに問いかける
ここは天国? それとも地獄?
すると 女はローソクに灯を灯し
僕を部屋へと案内した
廊下の向こうから こう囁く声が聞こえる

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
ホテル・カリフォルニアは
数多くのお部屋をご用意して
あなたのお越しをいつでもお待ちしています
ティファニーの宝石のように繊細で
高級車のように優雅なその曲線美
美しいボーイたちはみな
彼女たちに心を奪われている
中庭では香しい汗を流して
ダンスを踊っている人々
思い出を心に刻もうとする者
すべてを忘れるために踊る者

そこで僕は支配人に告げた
「ワインを持ってきてくれないか」
すると彼は「そのようなスピリットは1969年以降一切ございません」
それでも人々が深い眠りについた真夜中でさえ
どこからともなく 声が聞こえてくる

ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
どなたもホテルでの人生を楽しんでいらっしゃいます
口実の許すかぎり せいぜいお楽しみください
鏡を張りめぐらせた天井
グラスにはピンクのシャンペン
誰もが自分の意思で囚われの身となった者ばかり
やがて 大広間では祝宴の準備がととのった
人々は 鋭いナイフを突き立てるが
誰ひとり内なる獣を殺せない

気がつくと僕は出口を求めて走りまわっていた
もとの場所に戻る通路を
なんとかして見つけなければ・・・
すると 夜警がいった
「落ち着いて自分の運命を受け入れるのです
チェック・アウトは自由ですが
ここを立ち去ることは永久にできません」
  

 『イーグルスと共に』 <私の補作詩>

  1969年 僕には金なんかなくても
  心に燃えている確かなものがあった それだけで良かった
  そんなみんなが集まった 

  一文無しの僕もヒッチハイクでウッドストックを目指した
  集まった人達がみんな仲間となった
  そして自由と愛と音楽を謳歌した

  ようやく一握りの金を手にした僕は
  虚構のピンクの城のようなホテルに迷い込んだ

  <ホテルカリフォルニア>にいったんチェックインすると
  退廃した甘いシガーの煙が
  いつの間にか麻薬のように心を汚染し
  今では 出口さえも見つからない

  ナイフを太ももに突き刺し 正気を取り戻そうとしても
  もはや後戻りは不可能だった

  「この運命を受け入れ虚構の箱の中で一生を送りなさい」

  僕は仕方なしに運命を受け入れ
  酒蔵のドンペリンオンをすべて飲み干した

  若い美しいボーイは今でも美しい
  しかし金持ち達は札束をポケットからはみ出させ
  腐ったガスで膨れあがった腹を自慢している
  鏡に映った僕の姿もいつの間にか醜く変わり果ていた

  ようやく見つけたドアを開けて外に出た
  そこは殺伐とした砂漠だった
  何もない 砂 砂 砂の砂漠だった

  リンゴを囓って楽園を出たが
  迷い込んだ場所は虚構の城だった
  そして行き着いたところは虚無としか云いようのない砂漠だった

  1969年 僕はエデンの園にいたことに初めて気づいた
  あの時 僕たちはエデンにいたのだ
  手にしてきたものが砂のようにこぼれるのを見て
  僕は初めて気づいた…


<ここからは新作の LONG ROAD OUT OF EDEN です>

 「アメリカのハイウェイをひた走る
  屑と残骸とゴミみたいな文化の狭間を
  膨れ上がる社会保障 肥大化するプロパガンダ
  今の俺たちは酔いどれて朦朧としたまま疾走している
  ダマスカスへの道も マンダレーへの道も走った
  アッピア街道でシーザーの亡霊に出会った
  奴は言った 味をしめたが最後 過食は止め難い
  帝国への道は 血塗られた愚かな徒労だった

  囓られた林檎を見るがいい 道具が持つ力を
  世界中の英知も 愚か者には用を為さない
  そしてそれは エデンからの遙かな道程」


 「…誰かの
  気配を感じる 誰かがお前を追っている
  お前はどこまでも邪悪だった 最低だった
  悪魔に支払うんだ しでかしたことのツケを
  お前は感じる 誰かが追ってくる…」(「サム・バディー」より)



≪温暖化対策番付≫ by ジャーマンウォッチ

2007年12月08日 | Weblog
【ベルリン12月7日時事】ドイツの環境保護団体ジャーマンウオッチ(GW)は7日、地球温暖化対策の実績や取り組みに関する世界番付を発表した。二酸化炭素(CO2)の排出量や温暖化防止の政策などを調査したもので、日本は56カ国中42位と厳しい評価となった。

  1.スウェーデン
  2.ドイツ
  3.アイスランド
    …
 42.日本
 54.オーストラリア
 55.米国
 56.サウジアラビア
 
この順位を反対にすると、見方を変えれば国家(国会議員)が大企業に汚染されている順位と云っても過言ではないだろう。

 【ロンドン2005.10月18日共同】世界各国の汚職を監視している非政府組織(NGO)トランスペアレンシー・インターナショナル(本部ベルリン)は18日、ロンドンで2005年版「汚職指数」を発表。日本の「清潔度」は159カ国・地域のうち21位で、昨年の24位(146カ国・地域)よりやや改善した。同組織は「腐敗は貧困の要因であり、貧困脱却の妨げでもある」と指摘。今年12月に発効する国連腐敗防止条約が、外国公務員らに対する贈賄などの防止に役立つことに期待を表明した。

 清潔度1位アイスランド
    2位フィンランド・ニュージーランド
    4位デンマーク
    5位シンガポール
   
   21位日本
      
      フランス
      イタリア   

  137位イラク・インドネシアな
   最下位バングラデシュ・チャド

 汚職・腐敗度指数の場合と同様,やはり北欧諸国――今回はスウェーデン――が,贈賄の可能性が最も低いと認められた。これは興味深い。というのもスウェーデンは,OECDの中で,昨年まで賄賂の課税控除が完全に否定されなかった国の一つだからである(Martine Milliet-Einbinderの記事参照)。中国は最低のランキングであり,その次が韓国である。韓国はOECD加盟国としては最も贈賄の可能性が高いと見なされている。贈賄指数が発表された後に行われたある新聞調査によれば,韓国の国民もこの調査結果に異論がないようである。(http://mamasan.blog.ocn.ne.jp/cogito/cat399314/Cogitoより)

 日本は世界の中で最も差別の少ない国・最も物資が豊富で・最も識字率の高い国・最もコンビニエンスが発達した国と私は考えています。こうした大変恵まれた国にいるにも関わらず、残念で悲惨なニュースが多すぎると多くの国民は心を痛めています。

 五木寛之氏がエッセイ『風に吹かれて』の中で「人が集まれば集まるほど孤独になるのが現代だ。この孤独から逃れるには共同の行為おいて他はない」と語っていたが、今日本はまさにこんな状況と思えてならない。毎日溢れるような情報が散乱し、人々は自分勝手に様々な方向を自由に選択し稼いだ金で時間や場所や物を購入しているが、どこか孤独を癒すためという要素が見え隠れしているように思えてならない。

 そんな状況下、国民を乗せた日本丸の進む方向がなかなか見えてこない危惧は、上記のような情報を耳にすると益々その危惧を増大させ、混乱の中安易な快楽へと流れていくように思えます。

 こんな時こそ自分の心の羅針盤を堅固なものとしなければならない。それができて初めて国政を委ねる国会議員の選択ができるのではないか? 自分のことを棚に上げ人をこき下ろしていったい誰にどんなメリットが生まれるというのか? <自分を大切に>とよく言われるが、もっと深く自分を見つめたい。改めて自らの足元を省み、スタンスを修整し、GPSで自分の位置を知り、羅針盤で進む方向を確認していかねばならない。

「椿三十郎」

2007年12月07日 | Weblog
黒沢明監督の名作時代劇「椿三十郎」を見てきました。シナリオは完成度100%なので製作総指揮の角川春樹氏はあえて手をつけなかったようだ。私のような黒沢映画オタクにとって彼のとった判断は結果としてどうなるか? それが目的というオタク的観賞意欲が高まった作品だ。

 オリジナルは何度も見ており、各シーンのセリフまで随所に覚えている。骨太の三船の役を織田裕二がどう演じるのか?カミソリのような仲代の役を豊悦がどうこなすのか?私的結論をいいましょう。

「名作の完全リメイクはホントに難しい!」

 オリジナル映画公開当時、三船は42歳、仲代は30歳。前年の「用心棒」では仲代はチンピラ役だったが、「椿三十郎」では大スター三船に敵対する共演の役を貰い、必死の憤りが感じられる熱演を見せた。30歳の仲代の名演が三船の骨太でしかもユーモアの含んだ言動が輝いてくる所以だ。これは「ラスト・サムライ」での渡辺謙と真田広之の関係と類似している。翌年仲代は「天国と地獄」で犯人を追う冷静沈着な刑事をまた見事に演じ切っている。

 今年で織田は40歳、豊川は45歳。三船とは2歳しか変わらないが、残念ながら骨太の椿三十郎は演じ切れていない。元々童顔の彼には無理がある。その為に見るに見かねて若者を指導していく三十郎役はとても無理という他ない。渡辺謙なら間違いなくうまく演じただろう。そうすればもっと豊悦も必死に演じたはずだ。彼のニヒルさを期待したのだが、五つも年下の織田を相手に最初からニヤつく場面が多すぎて室戸半兵衛の必死さが伝わってこなかった。よって二人の最後の決闘シーンがオリジナルほど印象的なシーンとして残ってこない。織田のミスキャストという他ない。
  
「椿三十郎」を初めてみる人にとって面白い映画となりうるか? オリジナル映画が染みついている私には判断出来かねるが、昔の名作をリメイクというのは如何にもハリウッド的で安易で安全としか私には思えない。映画製作を目指している若者にもっとチャンスを広げて欲しいと角川氏に期待したい。

<吉野家事件>と「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」

2007年12月04日 | Weblog
 吉野家のアルバイト店員とみられる人物が、店舗の厨房とみられる場所で豚丼を山盛りした「テラ豚丼」を作った様子を撮影し、動画投稿サイトに投稿し、ネット上で「不衛生だ」などと騒動になった。

どうしてこんな事件が起こるのだろう?
何を面白がってこんな馬鹿なことをネットで公開するのだろうか?

 ノミネート7度目にしてアカデミー主演男優賞を獲得したアル・パチーノ主演映画「セント・オブ・ウーマン」の中でも由緒あるエリート寄宿学校で同種の悪戯をして裁かれる高校生の話がある。教師の愛車ジャガーの上に風船をぶら下げその教師が取り除こうとしたとき、風船を破裂させて中のペンキが教師と車に降りかかる悪戯だ。その犯人がその高校の理事長の息子だったことから大きな問題に発展していく。盲目の退役軍人を演じるパチーノは、その悪戯を仕掛けた場面を見た苦学生を守るために立ち上がる。

 悪戯をする彼らに共通しているのは人生を真剣に生きようとはしていない点だ。周囲からの注目や笑いを得るためにした<悪戯>がどういった騒ぎになるか? 先日のニュースでも工場の壁や商店街のシャッターにペンキ入りのスプレー管で落書きする悪戯をした犯人が捕まっていたが、彼らは自ら一度っきりの人生を捨ててしまっていることに気づかないのか? 周囲の人間にそんなあきれ果てた犯罪行為でしか自己を顕示する知恵が働かない愚かな連中。そんな彼らに共通するもう一つの点は<孤独感>だ。今まで一度も先生や周囲から誉められり認められたことがないような孤独感の腹いせ的な行動に思えてならない。

 私はレストランという事業を通して多くの若い連中と接してきた。いつも彼らに心を砕いてきた点は、何とかして自分の位置に気づいて欲しいということと、自信を付けさせることが彼らの成長につながるということでだ。これは私のスタンス・信念でもある。

 学校でもクラスでも部活動でも認められずにいた彼ら。家でも親に疎まれ、仲間からも認められなかった自らのアイデンティティを顕示する行為が昔から<悪戯>だったのではないかと思えるのです。弱いものを虐めて落ち込んでいるのを見て喜びを感じる腐りきった連中も実は<孤独>を持て余し、その寂しさを慰める行為が虐めとして発芽したように思えてくる。


「セント・オブ・ウーマン」では、裕福とは云えない家庭だが、費用の高い名門校を出て大学に入学し立派な職業に就きたいと真摯に将来を考えている若者と、親が金持ちでしかも自分が入学している高校の理事長、将来になんの不安もないと思っている愚かな若者が描かれている。

 父親が理事長という事実は、自分の将来が安泰と本当に云えるのか?その発想が安易でおろかしい。今の日本と比べてもまだまだ君主への忠誠が尊ばれた戦国時代でさえ、父を退け、兄弟に刃を向けた武将が数多くいた。会社や組織が大きくなればなるほど頭脳の明晰な連中が集まってくる、そんな中で悪戯でしかアイデンティティを見いだせない若者がリーダーシップが執れるだろうか? 

 昨日もあまりに愚かで痛ましい事件をニュースで知った。
ニートの次男が両親を殺害して自宅の裏庭に埋め、不在を装っていた事件だ。

 ニート(NEET)とは英国政府が労働政策上の人口の分類として定義した言葉で「Not in Education, Employment or Training」の略語であり、日本語訳は「教育を受けず、労働をおこなわず、職業訓練もしていない人」となる(ただしこの訳は日本におけるニートの意味とは多少異なる)(ウィキペディアより)

 日本の識字率は世界最高の99.8%です。日本のニートは決して教育水準が劣っているのではなく、あまりに豊かすぎて与えられることになれきった若者が、汗をかいたりするのはいやだと駄々を捏ねている、先輩の愛の鞭か虐めか判断の付かない指導に耐えられない忍耐力がない連中のことだと私は思っている。

 海外ではドックレースなるものが人気です。偽のウサギを先頭に走らせて、そのあとをゼッケンを付けた犬たちが追いかけるレースだが、操作を誤って、犬がウサギに追いついてしまうとその犬は再びウサギを追わなくなってしまうそうだ。

 日本のニートはまさしくこんなウサギを与えられた犬と云える。親が自室を与え、部屋までご飯を持っていき、おもちゃやゲームを与え続けた結果の産物ではないだろうか。

「欲しいものがあれば自分で稼いで買う」

このことさえ、親が20年かけて教えればいいのに、
親も何故このことを教えてこなかったか。
口が悪いが「親バカ」というより他はない。

前回の日記でも書いたが無気力な若者
思慮の足りない若者
切れることが愚かと思わない若者
将来も考えず目先の感情に流されて犯罪に手を染める若者
様々な物語が頭に描けない若者
そんな若者を熟成してきた責任は親にあると思う。
しかし、20歳を過ぎてその事に気づかない若者自身に最たる責任があることを自覚せよ。


    若者よ
    大志を抱く前に
    過去、昨日を振り返れ
    そして自分の足下を見つめよ
    過去の点と今の位置の延長線上に自らの未来は存在する
                         (グッドラックの公理Ⅰ)

<岡田武史氏と「フォレスト・ガンプ」>

2007年12月03日 | Weblog
「まさかこんな風になっているとは…。人生は分からないもの…」

 これはオシム監督からバトンを受けた岡田武史氏(51)が、福島県での講演で最初に口にした言葉。(今日のサンケイスポーツより)


映画「フォレスト・ガンプ 一期一会」のセリフと大変よく似ています。

ガンプがバス停で待つ間、隣に座った見知らぬ相手に話す。
「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」

 映画では、頭の回転は人より劣るが足の早さと誠実さは他に類を見ないフォレスト・ガンプの半生をその時代が象徴する事件を背景にファンタジックに描かれています。「バック・トゥー・ザ・フューチュー」のR・ゼメキスが作品・監督・脚本といった主要部門を総嘗めにし、T・ハンクスが2年連続でアカデミー主演男優賞を取った作品です。

 こんな映画の主人公と現実の岡田氏と比較するのはどうかと思いますが、これがグッドラック流とご承知下さいませ。

 二人に共通するのは<大誠意>ではないか。多くの人が彼らの後ろ姿を見てその<大誠意>に心を打たれ根負けするかのごとく受け入れていく。岡田氏の性格を推し量る逸話。1997年サッカー日本代表フランスW杯予選中に加茂周氏が更迭され、急遽監督に抜擢された岡田氏。日本の家族に電話をかけて、「負けたら日本に住めなくなるから海外に移住しよう」という会話を夫人としている。自身だけではなく家族にまでも巨大な圧力が国民から加えられた経験から、「代表監督は外国人に限る」という発言をことあるごとにしている。「思い通りにならない事ばかりだが、たまに、思い通りになるところが忘れられない」「現状と同じでは、進歩はない」「共通意識として持って欲しい俺の考えているやり方はある。でもその中で最後はおまえが判断するんだよ」(コンサドーレ札幌を2年でJ2→J1へ、横浜F・マリノスによる3ステージ連覇)

「大誠意は人を動かす」といったのはカーネギー。
誠意には、お金を託したり自分自身までも託す力がある。これを成しえた人間が大事業を完成させるが、その誠意を悪意で操る詐欺師たちの暗躍は手を変え品を変えて尽きることはない。それだけ誠意として受けとめる人が世間に多いということです。

 ガンプと岡田氏の誠意は人を動かした。二人に共通する愚直とも思える信念・姿勢は私のような凡人とは違い、普通は「合理的で安易な手段に流れていく」が、彼らは心に決めた基本姿勢が決して変わることない。この固くて強い意志こそが壁をうち破り新たな世界を構築できることを本能的に知っているのです。そのやり方しかできないカンプは、持って生まれた性格で人と接っし誠実に約束を守る。まるで「男はつらいよ」のトラさんのようにやがて人の心の中に溶け込んでいき人を動かしていく。<合理的>な考え方には様々な大切な要因を排除していく性質があるのです。車のハンドルにも遊びと呼ばれるものがあります。「0or1の世界」デジタル的思考にはそれがありません。だからこそ反応が早く明確なのですが、幼児の思考性と云えます。単純で明解なだけに大きな力となり得ます。しかし、正反対の感情が支配する直感的思考の欠点を補い、達人としての真の直感力を養うことは大切なことだと私は考えています。大きな武器は大きな欠点となりうることを意識しておかねばなりません。

 年輩者が時代劇や西部劇を好むのは、日常の流れがデジタルではなくアナログ的に推移していることを体感しているからです。善と悪は一見したら0と1の世界と類似しているが決してそうではなく善と悪の範疇には<情>という大きな川の存在を認めているのです。最優先順位に合理的思考のみを信望している連中は、邪魔な<情>を切り捨てて迷いをなくし時間の短縮を得ようとしています。しかし、私は<情>を最優先順位に置くべきだと云っているのではなく、相反するかもしれない合理的思考と<感情的思考≒情>を重ね合わせ両者の長所と欠点を把握しながら自分なりの判断・決断を実行していくことが肝要だと思っているのです。

 誠意を尽くす二人の周囲には<他力>と呼ばれるフォローの風が吹くことが多いのです。その風を意識して生きているのではないのですが、結果的に風が集まってくる、周囲の好意的視線を集めるのです。それは他に類を見ない<大誠意>の匂いを感じるからです。大事業や一つの集まりを継続して行くには欠かせないことだと思っています。

 私の高校の大先輩(3歳上)と24期の部員で、年に一度の「ラブ・アップル コンサート」を実施しました。(http://www.love-apple.net/)第一回目より35年もの月日が流れましたが今年も8月に行われました。私も初回を含め2,3度参加させていただいていましが、今は大阪にいるにも関わらず仕事の都合で不義理しています。毎年大先輩のI氏やH氏には頭を下げながら、コンサートの継続に心から感謝しています。11月26日には毎日放送ラジオの「夢の続き」という番組に出演されていました。このように大先輩やH氏の周囲にはフォローの風が吹いて集まってくるのでしょう。私もまたその風の一人だと自認しています。

 さて、サッカーの日本代表監督就任を前回同様、決して手放しで喜べませんが、岡田氏の誠実な性格と誠意を尽くす今までの手腕を見込まれたに違いありません。来年の1月後半から始まる予選会に向けてオシム氏が構築してきた新生ジャパンサッカーに新たなエネルギーを注入してサポーターを魅了する試合を期待し、応援もしていきたいと思っています。


*最後に岡田語録をもう少しだけ。

ある選手を 「このポジションには合っていない」 と判断したとする。ところがもう一つ調子が出ない。 「ではもういっぺん見てみよう」 と再度やってみる。これをやり始めると、泥沼にはまっていく。 「1回で見極めていいのか」 という考え方もあるだろう。ただそれはまさしく感覚的な作業であり、選手を見極めるのはその感覚(直感力)だと私は信じている。

久保に1トップは合わない。私は開幕前の練習でそう判断していた。しかし1st 5節の市原戦で奥をサポート気味に置いた1トップを組んでしまった。失敗だった。「なんでこんなことをやったのか」という後悔が競りあがってきた。最初の見極めは大事にしなくてはならない。私はあらためて痛感した。

<若者たちへ>

2007年12月01日 | Weblog
 何度となく日記で書いてきましたが、新聞やテレビのニュースを賑わす虐めや恐ろしい事件の要因はいったい何なんでしょうか?他の国と比較して物質的に行き届いた国ほど、陰湿な虐めや事件が多いような気がしてなりません。つまり日本は多いということです。ブラジルの奥地に住む原始さながらのインディオには身内殺しも虐めもハゲも老人虐めもないといいます。エイズが増加している先進国は日本だけという情けない報告も気になりますが、改めてこの悲惨な日本の出来事を考えてみました。

 
 幼いとき人は多くの弱者、弱くてものも云わない、反抗してこない、小さな動物・生物に対して虐め的行動を取ってきました。昆虫採集は見方を変えればまさに虐めになります。蝉やカエルを平気で虐め、殺してしまっていたのです。ですが中学校へ上がる頃には小動物への虐めが減っていきます。

 仲良しだったチエちゃんが、放し飼いの蝉を見て「ユーちゃん!蝉の一生って、たった一週間なのよ。やめて!」あれから二度と蝉やカエルを取りに行くのは止めました。

 エラリー・クイン最高の名作「Yの悲劇」は、大人が立てた殺人計画を幼い子供が実行する物語でした。相手の気持ちを推し量れない狭き心は、その狭き分だけ想いが募れば恐ろしい行動にでるようです。(小学校の門に首を置いたり…、斧で父を襲ったり…)

 大人になればなるほど、小動物への虐めが減少していくものなのです。つまり虐めるものは<子供から脱皮していない>という見方ができます。多くの少年達が未成熟で、大人への脱皮を自ら拒否しているかのように見えるのです。ミュートはその典型だと思います。働く大人達を見て、「早く大人になりたい」とは思わず、自分自身の責任など考えたこともなく、何したいという願望(活力・欲望)も乏しいように思います。

 かつての自分を思い返せば、20歳前後にはたとえば酒を飲みたいとか、女を抱きたいとか、バイクや車に乗りたいとか、口では言い表し難いほどの欲望が溢れていたように感じます。しかし今の若者にはそんな脂ぎった情感よりもゲームや携帯やPCのような物質的欲望の前に獣として欲望を押さえ込み、それが出来ない自分の未来さえ描けない不器用な獣が陰湿な犯罪を犯してしまっているように思えてなりません。

 自分の未来も描けない不器用で大人になろうとしない名付けて<チャイルドシンドローム>が若者に蔓延しているように思うのです。こんな医学的発表など聞いたことはありませんが、精子の生存期間も減少しているのではと思うくらいです。以前、敬愛する作家高村薫さんがアエラのコラムで若者の車離れはどうしてだろうと書かれていたことを覚えています。貧乏な若者には車は高価な持ち物といえますが、持ちたいという願望を満たす苦労はごめん被りたいようです。つまり願望が希薄なのです。

 20歳を過ぎても童貞でいることを決して恥じるわけではなく(恥じる必要などないのだが…)、競い合って童貞を失うなんてこともない。修学旅行の入浴で海水パンツを身に付けないと風呂場に行けない若者。集団で風俗店に向かうことなど恥ずかしくてできない若者。女性に対してむせ返るような欲望を巧み(?)に押さえ込んでいる若者。不器用な者が膨れ上がる妄想に突き動かされて犯罪に人間として恥ずかしい犯罪に手を染めていく。そんなことで一生を棒に振ってしまうことを哀れで情けなくて残念で仕方がない。

 さて、私なりの結論です。
「大人になんかなりたくない」という若者達の明確な意志を感じてしかたがないのです。様々な要因があるだろうけれど、結婚年齢が上がってきているのもこの意志が影響しているように思えてきます。長髪やパーマをやめ、ネクタイつけて自らの感情を律してサラリーを貰う生き方、そんな大人の息苦しい生き方を背中を見続けた結果、若者は容易で気軽で辛抱など必要でない仕事を選ぶ傾向が増加しているようです。入社して3ヶ月も経たないで退職する率は確実に上昇しています。すぐ近くの未来しか描けない若者、理科系より楽に大学に行ける理科系の応募者が年々減少している現実。歯科や内科に比べて、夜中の呼び出しや緊急の医療が必要な産婦人科医や小児科の減少もこの影響があるように思えてならないのです。

 私が知っている大人は自分の苦しさを子供や周囲には見せなかった。子供達が安心してあれが食べたい、あれが欲しい、どこどこへ行きたいと云えるような家庭の雰囲気を維持させたいと思っていた。それが大人の責任だし誇りでもあったはずだ。そのために生きていくスタンスや信念・考え方が必要だったのです。しかし現代の若者は、身に付けるのに時間がかかる<盾と矛>を必要とも思わず、まるで透明のガラスに激突して壊れていく繊細な小動物のように感じるときがあります。

そんな若者たちに云いたい。

最初はむせ返るようなギトギトした欲望でもいい。
それをエネルギーに変えて自分の未来を描け。

<盾と矛>を身に付け強い心を信じて生き抜け、
そして愛する人を必死で守れ。

自分の幸せが周囲をも幸せにする、そんな大人の幸せを探せ。

たった80年しかない人生は、間違いなく自らの選ぶ道で決まる。
明るくするのか、暗くするのかすべては君たちの手中にある。 

「よくぞ男の生まれけり」男子はそんな人生を目指して欲しい。
男性も女性も自分の意識で性別が決まったのではないのだ。
「よくぞ女に生まれけり」女子はそんな人生を目指して欲しい。
この天の選択を喜んで受け入れて生き抜いて欲しい。

君たちの祖先達も間違いなくそうして膨大な時の流れを生き抜いてきたのだ。
君たちのDNAにはその為の<盾と矛>が刻まれているのだ。
その血にじっと耳を傾け自らの生きる数少ない道を探し出せ。

強い心を身に付ける時間や数少ない道を探す時間より
間違いなく空虚に過ごしてきた時間の方が長いはずだ。
今からでも十分間に合うと50歳を過ぎた私が思っているのだから。