GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

『戦争はなくならない』

2009年03月28日 | Weblog
『いつか、外務省という役所がなくなる日がくる。国家という概念がなくなれば、外務省は必要ない。その前になくなるものがある。軍隊だ。
 子供じみた仮定だというのはわかっている。現実は、軍隊も国家もなくならないだろう。利益を追求する企業の代理人としての国家やその活動の保護者としての軍隊は、これから先さらに求められるものが多くなる。
 
 戦争はなくならない。なぜなら戦争は、その行為において利益を生み、さらに結果においても利益を見こめる”経済活動”となりつつあるからだ。民間軍事会社の台頭がそれを証明している。特殊かもしれないが、戦争を莫大な富を作りだすビジネスにできるプロフェッショナルが、国家と企業のあいだに介在してシェア広げつつある。ジャーナリズムもまた然り。戦争が生む悲劇や憎しみには、ニュースとして犯罪や事故などよりはるかに高い換金性がある。

 しかしそれは世界中を呑みこむような戦争であってはならない。すべてを灰燼に帰するような戦争では、得た富を使える場所もなくなるし、悲劇や憎しみに金を払う観客もいなくなる。
 どこか”遠く”の戦争で生み出されるのが”近く”の富なのだ。したがって世界戦争が起こることはもうないだろう。平和を望む人が多いからではなく、経済原理に反する、という理由で…』

 先日読み終わった傑作、大沢在昌の『黒の狩人』からの抜粋です。日本の刑事警察と公安警察との確執、そして外務省が絡み、中国人から見た日本、日本のヤクザ社会や中国の黒社会と中国国家安全部がリアルで硬質に描かれています。

 新宿鮫シリーズのスピンオフ作品で、本作で3冊目。主人公は警視庁新宿署の暴力団担当刑事・佐江。今回は毛という名の中国人と共に謎の連続殺人を追えと命が下る。一匹狼の佐竹は最初から公安が絡み、毛を観察しながら事件を追えという命令に怒りを感じながらも毛を通訳にして次第に黒社会との深い闇に引き吊り込まれていきます。そこに由紀という外務省職員が参入し、三者の立場からの視線が読んでいてソクゾクするくらい共感できるのです。こんなことは本当に久しぶりでした。

 硬質な展開にも関わらず、映画「手錠のままの脱獄」を思わせる友情の芽生えは、今までの大沢在昌作品とはひと味違います。この作品をどう表現したらいいのか、大変難しいのですが、一言で云えば「それぞれの人間が持っている熱さ、その<自熱>が交錯し合って最後は燃え上がる」こんな感じかな。

 大沢在昌氏の作品の特徴は、敬愛する西村寿行氏の<硬質さ>と緻密な展開を見事に継承し、しかも現代の日本のヤクザ社会、中国マフィア、韓国マフィア、ロシアンマフィアとの絡む、刑事警察、公安警察、外事警察をまるでその職場で働いていたようなリアルタッチでそれぞれの立場で人物を描くところにあります。本作は寿行氏の<熱さ>が乗り移ったかのような描かれ方で上下2巻の大作を一気に読み終えてしまいました。でもその熱さは西村寿行氏のもの(情念)ではなく、別人のものだったようです。


 硬質な読み物を以前は読めなかった連れ添いに、「これならドンドン読めるよ」と半ば強引に奨めたのですが、なんと3,4日で読み終え、「こんなに興奮したのはケン・フォレット以来かな」と絶賛でした。


[m:83]ケン・フォレットのお奨め作品
(硬質度はそこそこでいつも女性が絡んで、大のお気に入りのA・J・クィネルより読み易い)

『針の眼』
『トリプル』
『レベッカへの鍵』
『獅子とともに横たわれ』
『大聖堂』
『鷲の翼に乗って』
『ペテルブルグから来た男』
『飛行艇クリッパーの客』
『ピラスター銀行の清算』

 昨夜、偶然そのケン・フォレットの超大作の『大聖堂』の続編を(大好きな児玉清さんの解説)THUTAYAの本屋で発見。(えらいこっちゃ!)現在、福井晴敏氏(『亡国のイージス』)の『Op.ローズダスト』(3巻)にかかっており、見なきゃいけない映画(昨夜は「七つの贈り物」を観賞)も数多く残っており、ゴルフの練習と実践、野球の観賞など時間が本当に足りない生活を送っています。

 福井晴敏氏の作品は『亡国のイージス』しか読んでいませんが、熱くて熱くてびっくりの作家です。「こんな作家が日本にいたのかか!」とうなり声をあげたくらいです。『Op.ローズダスト』も沸点を超えています。次回の本紹介はこの作品になるでしょう。まだ、1巻目ですが、凄い内容です。

 この福井晴敏氏の第一作『川の深さは』が第43回江戸川乱歩賞選考委員会で大きな話題となり、当時選考委員だった大沢在昌が特に絶賛しました。その後も二人の関係は続いているそうですが、私はそんな二人に完全に振り回されおります。大沢氏の熱さはこの福井氏の影響だったようです。

<WBC あの感動をもう一度!>

2009年03月27日 | Weblog
<2009年 WBC感動のラストシーン>

こんなドラマティックな幕切れを誰が、予想できたでしょうか?

3:2で迎えた最終回、
イチロー 1ボールからの2球目、
     真ん中のストレートを強烈に叩きライトフェンス直撃の二塁打。
     きょう3安打! 
     1球目のタイミングも合っていた。     

  (一球目もストライクなら振っていただろう。
   <好球必打>こそ彼の真骨頂! もう大丈夫だ! 前回だ!)

続く中島 無死二塁。2ストライク1ボールからの4球目、
     ライト前に抜けようかという当たりも高永民がダイビングキャッチしセカンドライナー。
    (凄いファインプレー! また運を引き寄せたか?!)

青木 1死二塁。キャッチャーが立ち上がって敬遠の四球。

城島 1死一、二塁。1ストライク2ボールからの4球目、
   ストレートを高々と打ち上げてセンターへの浅いフライ。
   (足が速ければバントもあったのに…。併殺だけは避けなくてはいけない。残念!)

小笠原 2死一、二塁。2ストライク2ボールからの5球目、
    外角へ落ちるシンカーに空振り三振。
    (引っ張るより、打撃に基本、センター返しを心がけて欲しかった…)

9回裏 鄭根宇 左の李晋映に代えて右打席に鄭根宇を送る。

    ここで日本は一度マウンドへ上がった杉内に代えて、
    ダルビッシュをマウンドに送る。
    
 (ダルビッシュは心の用意ができていたのだろうか? とても心配!)



鄭根宇 2ストライク2ボールからの5球目、
    外角のスライダーに空振り三振。

    (無心で投げてワンナウト。ここで初めて、
     残りツーアウトで優勝の文字が脳裏に浮かぶ。
     任された責任の重さを痛感)     

金賢洙 ストレートの四球。代走に李鍾旭。
    (ダルビッシュ、今までの野球人生で最大のプレッシャーを感じたはずだ)   

山田投手コーチがマウンドへ向かい、ダルビッシュに声をかける。
山田コーチで笑顔で、そのプレッシャーの除こうと試みる。
    (ダルビッシュ、開き直れ! ここが正念場だ!心を強く持て!)

金泰均 1死一塁。1ストライク3ボールからの5球目を見送って四球。代走に李宅根。
    (早く開き直れ! このままでは独り相撲になるぞ…)

秋信守 1死一、二塁。2ストライク1ボールからの4球目、
    低めのスライダーに空振り三振。
    (最後のボール、相手にプレッシャーが乗り移ったか?)

李机浩 2死一、二塁。1ストライク1ボールからの3球目、
    スライダーを打って三遊間を破る同点のタイムリーヒット!
    (ストライクを取りにいったボール。落ち着け! 焦るな!

高永民 2死一、二塁。2ストライクからファウルを挟んだ4球目、
    外角高めのスライダーに空振り三振。
    (ボールは高めだったが、開き直ったボールに相手もあわてたか?)
 
韓国が李机浩の値千金のタイムリーで、土壇場で同点に追いついた。試合は延長戦へ。

韓国は林昌勇が続投。(もう彼以上の投手はいないのだ! 勝てるぞ[m:76]

内川 2ストライク1ボールからの5球目を打ってライト前ヒット。
   内川は3安打目。
   (さすが首位打者、ナイスバッティング!)

稲葉 無死一塁。初球、ピッチャー前への送りバント。
   (1球目で決める。これが流れを呼ぶ込む。いけるぞ!)

岩村 1死二塁。1ストライク1ボールからの3球目、
   外角のストレートをきれいに流し打ってレフト前ヒット。
   二塁走者の内川は三塁でストップ。
   (素晴らしいバッティング! お膳立ては出来たぞ!)
 
川崎 片岡に代えて川崎。
   1死一、三塁。初球のストレートを打ち上げてショートフライ。
   (1球目を叩くこと最初から決めていたようなスイング、
   真ん中のボールを「来た!」と焦って打ったようなスイングだった)
   若さが禍したか? 本人もミスった!と思ったに違いない!

    しかし、タイガースにこの若さ、純真さが欲しい。
    イケイケ野球の中島も本当にタイガースに欲しい[m:76])

イチロー 2死一、三塁。
     1球目、アウトコース高めのボール
     2球目、アウトコースを予測していたがインコースのストライク、思わずのけぞる!
     この間に岩村が盗塁を決めた。(最高のお膳立てができたぞ!)
     2死二、三塁。
     3球目アウトコース、やや高めのストライクを強振、ファール!   
     アナウンサーが「一塁ベースが空いているんですけどね」と敬遠策を示唆する。
     4球目、真ん中低めのストライクをファール逃げる。
     (タイミングは完全に合っている[m:76]
      絶対にヒットになるボールを待っている、私にはそう見えた!)
     清原、「イチローで始まって、イチローで決めて欲しいですね」
     (そうだ! 日本の全国民がそう思っている)
     
     5球目、大好きな低めに思わず手がでるが、ファールする。
     (これが人には出来ない天才たるゆえん
      とにかく、すべてのボールについて行っている!
      来い! ストライクを取りに来い!)
     6球目、イチローの苦手の高めをキャッチャーが腰を上げて要求。
     イチロー、またもファールで逃げる。
     (もう、完全にタイミングは合っていく、来い!ストライクを取りに来い!)
     7球目、アウトコースに逃げるスライダー、ボール!
     2ストライク、2ボール。
     (ツースリーにしたくないはずだ! 来るぞ、今度こそストライク!)
     
     もう私の心臓はバクバクだった。間合いが長いぞー!
     
     8球目、まるで魅入られたようなど真ん中のシンカーだった!   
     イチローは無心にセンター返しでそのボール反応した。
     
     (試合後の会見で、この間に色々と考えたと云っていたが、
      あの最後のスイングは無心だったはずだ。私にはそう見えた!)
        

 こんな場面が来るなんて! まさに女神を感じる!
 今日は3安打しているが、累計で2割4分以下、ことごとくチャンスに凡退していた。
 どれほど心を痛めてきたことか、この瞬間の為に、2割4分という数字が輝きだす。
 本来のイチローなら韓国の監督は四球にして満塁策を取ったかもしれない。
 そうしなかったのは2割4分という数字だった。


 (イチロー、ここで打てば今回のすべての凡打が帳消しとなるぞ、
  打つのだ、最初のストライクを初回のようなセンター返しだ!
  打て、お前なら打てる!)


 (……………)

苦しみ抜いていたイチローにようやく女神が最高の笑顔で微笑んだ!

鳥肌が止まらない! 涙が溢れてきた……。

走者二人がホームにかえり、日本が勝ち越しに成功した! 


もう後は蛇足でしかない。


10回裏のダルビッシュの四球もご愛敬にしか思えない。

最後の打者
鄭根宇 2死一塁。2ストライク1ボールからの4球目、
    外角の大きく外れたスライダーに空振り三振
   
あの最後のスイングには、もう勝ちたいとう気迫は一片のかけらもなかった。

やはり、イチローの2点タイムリーがかろうじて残っていた気迫を打ち砕いたのだ。

10回延長の末、韓国との死闘を制したのだ!
5:3で日本は文句なしに勝ったのだ!

日本が大会連覇を成し遂げた。

ありがとう ありがとう ありがとう

日本の全国民がこの素晴らしい感動を共感したのだ。[m:76]





<後日談>
本当に凄い試合でしたね。
どんな映画もあの筋書きのないドラマには勝てません。
画面に釘付けでした。

あのセンター返しは、韓国バッテリーが勝負してくれたおかげです。
監督が敬遠サインを出していたそうですが、8球も投げているのです。
その間にマウンドまで行って、「敬遠しろ!」と云えたはずです。

この日のイチローは初回から見事なバッティングを披露していますが、
バッテリーはこの日までは作戦通り、イチローだけはほとんど完全に押さえていたのです。

イチローや日本側から見れば<不振>ですが、
韓国側からみれば彼だけは絶対打たせたくない相手なので、
最も研究した相手に違いありません。
その結果が2割4分という成果だったのです。

この成果が、この自信がイチロー勝負になったのです。
韓国の監督も、敬遠指示を徹底できなかったのです。

これを上から俯瞰している野球の女神から見ると、
延長10回の表、ツーストライク、ツーボール、ツーアウト、そして2塁3塁。

この瞬間をイチローにプレゼントするために、昨日までの<不振の苦難>を与えてきた
私にはそう思えてなりません。

原監督は「あのセンター返しは一生忘れません」というコメントは、
私も同じ想いです。

侍日本の全員が一つになって、つなぐ日本野球をやり抜いてきた真摯なスタンスに女神が微笑み、
最も苦しみ抜いたイチローと、彼を最後まで信じ切った原監督に
『センター返し』をプレゼントしたのです。

こんなふうに見ることが出来る野球は、観戦するには最高のスポーツだと思います。
サッカーやバスケット以上にチームワークが明確に見えてくるからです。

本当に「素晴らしい感動をありがとう」といいたい気持ちです。

<WBC 決勝予想!>

2009年03月23日 | Weblog
 いよいよWBCの決勝です。野球ファンに私にはドキドキものです。日本と韓国の盛り上がりは他国をきっと圧倒しているでしょうね。オリンピックでも同様でしたが、きっと韓国が最大の敵となると多くのファンが予想したはず、そしてその予想通りになりました。今回のWBCでの全韓国戦を見てきて、その私なりの素人分析をしてみます。そして勝敗を洞察してみたいと思います。

            日本    韓国
投手力         5     5
中継ぎ・ストッパー  5     3
打撃率         5     4
守備力         5     4
走塁           5     4
監督力         4     5
勢い           5     5
緻密さ          5     4
ミスの少なさ      5     4
勝ちたい気迫      4     5

合計          48    43

 一番大きな差異(5-3=2)があるのが<中継ぎ・ストッパー>です。7回で2点差リードならば勝てる可能性は非常に高くなるということです。帰納法的に考えれば2点以上取られなければアメリカ戦のように勝算は大となります。

 韓国選手の打撃を見ていると、安打より長打を目指しています。安打を続けて勝利を掴む緻密な日本野球とは大きな開きがあります。見ていてベースボールを感じさせられます。日本野球のずば抜けている点は<緻密さ>にあります。その第一に挙げられるのが、打者心理を読んだ配球です。そして守備、走塁にあります。
ピッチャーの基本は、
1)アウトコース低めにどれだけコントロールされたボールが投げられるか。
2)インコーナーをコントロールされたボールで強気で責められるか。
この2点です。

 速球主体の投手は速球を見せ玉にして、スライダー、フォークで三振を目指します。速球で三振とれればこれほどうれしいことはない。しかし、コントロール主体の投手は、三振を取ることが最優先ではなく、アウトが最優先です。ダブルプレーが取れる内野ゴロの山を築いて勝利投手をもぎ取ります。今回の岩隈投手の投球がまさにそれに当たります。

 ダルビッシュや松坂投手は、三振を目指しているかに見えます。よって投球数も多くなり、その日の速球の走りが勝敗の最大要素となります。ストレ-トの走りが変化球を際だたせるからです。どんな剛速球でもタイミングが合えばヒットや本塁打さえ打たれてしまいます。タイミングを狂わせたりや緩急を付けたピッチング、打者心理の裏をかく投球はレベルの高い投球術と云えます。

 さて、韓国の打者の多くはフルスィングして長打を狙い、投手を圧倒しようとしています。しかも投手の基本であるアウトコース低めを強く叩こうとしています。右打者なら左足を踏み込んで、打者から一番遠いボールを狙っています。

 城島の配球を見ていると、投手の自信のあるボールを見つけイン・アウトのコーナーに球種を選んで振り分けているように思えます。つまり投手主体の配球を感じます。決勝投手の予定だったダルビッシュを退け、岩隈投手が選ばれた要因は野村監督直伝の得意のシュートボールが、踏み込んで打とうとしている韓国強打者の弱点をつけるからです。

 城島は日頃知らない日本の最高投手に配球のサインを送るわけですから、その気配りは大変なものでしょう。打者の主体に配球を組み立てるにはかなり苦しいものがあるように見えます。韓国相手の決勝戦ではそうも云っておられません。打者主体の配球に切り替え、長打を狙っているのか、日本のように安打を狙っているのか、まだインコーナー低めを強く叩こうとしているのか、それとも岩隈のシュートに対して策を考えているのか(右方向に押っつけて打つ)、それとも、ここまで来れば、策を弄せず今まで通りの韓国野球で、真っ向勝負を挑んでいくのか?考えただけでもゾクゾクしますね。

 必ず岩隈のシュート対策は練ってくるでしょう。にわかの右打ち作戦は危険なので、バットを短く持ってシートを呼び込み、三塁線を思いっきり抜く(右打者の場合)練習をしているように思います。ホットコーナーと呼ばれる三塁は広島の栗原が予定通り入るのか、場慣れした片岡に再度やらせるのか、楽しみです。

 野球の勝負は<グランドの上にいる勝利の女神をどう引き寄せるか>だと思っています。引き寄せるために最も影響力のあるのが先発投手です。6回まで無失点なら勝利の女神は微笑んでくれるでしょう。女神が嫌うのが、投手交代の失敗(監督責任)、ダブルプレー、四球(投手責任)、エラーです。特に四球は「子宮」と云うぐらいですから女神は嫌います。つまり、四球とダブルプレーとエラーを出さなければ、女神がこちらに微笑む可能性が高いということです。こんなことを考えながら野球観戦を楽しんでいます。 頑張れ、日本!


■最終予測です。日本が5:2で勝利!

<真夜中のザ・めしや 幸福感に包まれて>

2009年03月17日 | Weblog
真夜中、録画で「チーム・バチスタの栄光」を連れ添いと肩を並べあって観賞していたら、隣から「グー」という音が響きました。いつもテレビや映画を観るとき接近して見るので、この音は今までに何度も耳にしています。

まだお風呂に入っていなかったので私はこう尋ねた。
「何か食べに行くか?」
「うん」
連れ添いは満面の笑顔で頷き、いそいそと身支度を始めました。

 今日は休みだったのですが、朝の9時から12時まで〇急電鉄本社でグループの合同会議があり、始めて参加する部下と一緒に会議に出て、昼過ぎに彼は帰社し私は自宅に直帰しました。それから一眠りしてしまい、夕方近くになってラーメン・ご飯の食事を取りました。連れ添いもそれにつき合ったために深夜になってお腹が空いてきたようでした。

 こんな時はいつも近隣のラーメン屋2店のどちらかをチョイスするのですが、今夜はそうも行かず車で5分の「ザ・めしや」をチョイス。

http://www.meshiya.co.jp/meshiya/shop.html (「ザ・めしや」のバーチャル紹介)

 私はトレーに冷や奴(これは定番)、肉じゃが、そしてイカ天とサツマイモ(これも定番
、そして小ご飯、連れ添いは温泉タマゴが乗ったマグロご飯、メンチカツ、みそ汁をチョイスしていつもテーブルに着席。
この時私は滅多に見ない光景に目を奪われました。
そして、とても幸せな気持ちに包まれました。

私たちのすぐ横のテーブルに30代後半から40代前半のご夫婦、その子供達(3姉妹)に目に入りました。(いつも周囲を観察してしまう悪い癖)
子供達は全員風呂上がりで、まだ髪の毛が濡れており、ご主人だけがまだのご様子。
子供達の学年は想像ですが、中学1年、3年生と高校2年生。
とても仲良さそうで、笑顔でワーワー云って食事していました。
ご夫婦は背中しか見えませんでした。

(平日のこんな深夜、いったいどうして?)

天ぷらとメンチ、肉じゃがをレンジで温めてもらい、冷や奴にしょう油をかけながら、どんな状況でここにきたのだろうかと考え始めました。

(私の想像)
お父さんが11時半を過ぎて帰ってくる。
「おーい、帰ったぞー。準備はできてるかあ?」

先ほど妻に帰るコールした時の会話。(夕飯の支度をすべて片づけたあとだった)

「何か、食べにいかない? 私も少しお腹が空いているの」
「子供達はどうする?」
「ちょっと待って、留守番してくれるか聞いてみる」

「〇子、〇江、〇美、お父さん帰ってきたらちょっと出かけてもええかな?」
〇美「何処へ行くの?」風呂上がりで髪を乾かしながら尋ねた。
〇子も〇江も部屋から出てきて何だかニコニコ顔。

「ご飯食べに行くんでしょ?」と長女の○子。
〇江も○子の肩にアゴを乗せてニンマリ。
そんな3人の顔を見てお母さんは待っているお父さんに答えた。

「みんなも行きたいって!」


ご夫婦の表情はまったく見えませんが、私の方を見ながらニコニコしている3姉妹の笑顔を見ていると、
(こんなふうにして、私たちこんな深夜にここに来たんですよ)

と私に答えてくれたように感じました。

私は隣の席の幸福感を共感しながら、ゆっくりと食事を始めました。
背を向けてまったくそんな家族連れの様子に気づかない連れ添いに私の想像を話すと
「………」
(面白い想像をするのね)と云わんばかりの笑顔で私を見て、腹の虫に食料を与え続けました。



家に帰って「チーム・バチスタの栄光」の後半を再開。

 医者や先生という職業は私にとっては<神なる職業>と昔から感じています。それは幼い頃見た、黒澤監督の「赤ひげ」、アーサー・ペン監督の「奇跡の人」の影響が大きいようです。この2本の映画は日記で何回も語っていますが、最高、至高の作品です。2本共にモノクロ映画ですがグッドラック絶対のお奨め作品です。何を見ようかと迷ったときはこの2作品をぜひ選んで下さい。

 医師に対してそんな想いでいる私は、「チーム・バチスタの栄光」の結末には不満が残りました。3分に2まではとても良くできていただけに残念でしかたがありません。高学歴の犯人の動機があまりに幼稚で、誇りも教養も感じさせない行為にがっかりしたのです。最近の映画やテレビドラマにはこういった犯人像が氾濫しています。本当に新聞記事やテレビニュースを見ていても悲しくなります。原作は2倍も3倍もいいと親友のH・S君が奨めてくれるので3部作を購入しようと思っています。

 医師による犯罪、政治家の汚職、検事や裁判官、警官による犯罪、先生、教授による生徒へのイタズラ、セクハラ。自分の職業に対してあまりにも<誇り>がなさ過ぎます。職業を利用してのあきれ果てる犯罪行為に目を覆いたくなります。誇りが持てないために、本はまだしもせめて映画で描かれる医師や先生だけは、子供達の夢を壊さないように描いて欲しいと願っています。(R指定を希望、よってテレビは不可)
 大人達は、どんな仕事でも自分の職業に誇りを持った生き方を子供達に示して欲しいと思っています。

「HERO」「252 生存者あり」「感染列島」「クライミング・ハイ」の展開はとても私の好みです。「アンフェアー」は仲間を裏切る人物が多すぎてがっかり。

姜尚中氏の「悩む力」という本の中にこんな記述があります。
『経済人類学者のカール・ポラニーは、共同体の牧歌的な結びつきを解体していく市場経済を、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの言葉を借りて、「悪魔のひき臼」と呼びました。ボーダーレスに広がる情報ネットワークと自由でグローバルな市場経済。誰もがその豊かさと利便性に与り、可能性としては多くの夢が約束されているように見えます。

 しかし、実際には新しい貧困が広がり、格差は目を覆いたくなるほどに拡大する一方です。しかも、誰もが新しい情報技術とコミュニケーションを通じてつながっているように見えながら、人と人との関係は、岸辺に寄せては消えていく泡のようにはかないようにも見えます。』
 さらに姜尚中氏は、仕事の内容や質ではなく、年収の高低によって<仕事の価値>を計ろういう世間の冷たい視線を感じると嘆いていました。そして、仕事の誇りは低賃金のために見失ってしまった感があると。

 深夜、ザ・めしやで見た幸福感溢れるファミリーは決して幻ではありません。父や母に向ける娘達の温かい眼差しに濁った輝きなど見られなかったからです。大人達が、親たちが自分の仕事に誇りを持ち、その後ろ姿を見せ続ける、それだけで子供達は大切なもの学んでいくと思っています。

上杉謙信の人物像

2009年03月14日 | Weblog
<上杉謙信>彼ほど日本の戦国時代に異彩を放っている人物は他に類を見ない。数え切れない戦のすべてに私心を見いだせない。自分の為の戦が見あたらない。女人を近づけず実子を持とうとしなかった大名は謙信ただ一人しかいない。

1530年、謙信は越後守護代・長尾為景の四男(または三男)・虎千代として春日山城に生まれる。1536年に兄(晴景)が家督を継いだだめに虎千代(後の謙信)は林泉寺に入れられる。父とは中が悪かったとされている。

 当時、越後(守護は上杉定実)では婿養子問題で内乱が起こり、越後国内は伊達稙宗の子・伊達時宗丸(伊達実元)を婿養子に迎える件で内乱が起こっており、賛成派と反対派に二分されていたが、兄の晴景は病弱なこともあって内紛を治めることはできなかった。

 虎千代は景虎(後の謙信)として元服した同年、病弱な晴景を侮り反乱を起こした越後の豪族を討伐し、初陣を飾った。1546年には黒滝城主の黒田秀忠が長尾氏に対して謀反を起こすと、景虎は、兄に代わって上杉定実から討伐を命じられ、総大将として黒田氏を滅ぼした。するとかねてから晴景に不満をもっていた越後の国人の一部は景虎を擁立し晴景に退陣を迫るようになり、晴景と景虎との関係は険悪なものとなった。

 1548年、兄の晴景は弟の景虎を養子とした上で家督を譲って隠退し、景虎は春日山城に入り、19歳で家督を相続し越後守護代となった。2年後の1550年には、定実が後継者を遺さずに死去したため、将軍・足利義輝は景虎の越後国主の地位を認めた。

 戦国時代は武田氏や織田氏のように、肉親による骨肉の争いが世の常と思われるような時代だった。しかし、内紛を治めるために兄(晴景)が弟(景虎)を養子にして家督を継がせた長尾家のあり方は、肉親の争いは獣と同じという宗教的な教え<義>(儒教=朱子学)の精神を強く感じる。「弱くては他国に攻められて国が滅ぶ。だから強い者が立つ」この戦国時代の理論は他国では一般的だった(武田信玄は父を追放、織田信長は弟を滅ぼす)。上杉氏の元で越後守護代を務めた長尾氏は他の戦国大名とは一線を画している。

 「天地人」第8回の「謙信の遺言」で謙信は、戦いの目的は足利幕府の再興にあり、自分は天下を目指す気がないことを告げた。衝撃を受ける景勝・景虎に、謙信は、この世には天下を取るより大切なことがあると諭す。謙信は、兼続に、「迷うことで己の義が見えてくる」と説き、「兼続こそ自分の唯一の弟子である」と告げた。ここにも武田信玄や織田信長とはまったく違う姿勢が表れている。

 足利将軍を敬い守護職としての分をわきまえ、天下取りを目指さない謙信の異次元的な想いは景勝や景虎や重臣に簡単に理解できるはずがない。私心を捨てて毘沙門天を己の神と崇め、多くの宗教的学問を修得してきた謙信ならではの姿勢と云える。この想いを理解できるのは戦場でも敵を殺せなくて思い悩む兼続と思ったのでしょう。

 跡継ぎを明確にしていなかった謙信の死後、相続争いが起こります。権利と義務という現代の言葉がありますが、越後守護職の権利(家督)を巡っての争いは、謙信の守護職を権利とは見ていなかったためではないか、越後を守る守護としての義務(責任)だけを考えていたが故に、跡継ぎ(家督を守る)など、明確にしていなかったのではないか、そんなふうにも思えてくる。

 長尾家は代々越後の守護代であり、国主は上杉家だった。その上杉定実も跡継ぎを決めないまま他界し、守護代だった謙信は足利将軍に家督を継ぐことを認められて国主となる。ここにも他に類を見ないもの感じる。他国では見られた下克上の国盗り合戦は越後においてはみられなかった。主従関係を維持し続ける為には、儒教(朱子学)を林泉寺で虎千代(謙信)を始め、小姓・衆道や家臣達に徹底して教えたのではないか(これは私の根拠なき100%推測)。

 謙信の師、天室光育(てんしつ こういく1470年-1563年)は、戦国時代の越後の僧侶、林泉寺六代住職です。(調べましたが、朱子学的思想を謙信に教えたという記録は残っていません。残念!)曹洞宗の古刹、天室光育から禅を学び、上洛時には臨済宗大徳寺の宗九のもとに参禅し「宗心」という法名を受け、晩年には真言宗に傾倒し、高野山金剛峯寺の清胤から伝法潅頂を受け阿闍梨権大僧都の位階を受けている。これほど神仏に傾倒した人物は一人もいない。そして、生涯女人と交えず、実子を残そうとしなかった戦国大名はいない、群雄割拠の戦国時代、信玄亡きあとも信長は人として理解できない謙信を恐れたに違いありません。

朱子学:自己と社会、自己と宇宙は、理という普遍的原理を通して結ばれており(理一分殊)、自己修養(修己)による理の把握から社会秩序の維持(治人)に到ることができるとする、個人と社会を統合する思想。謙信はこの思想に傾倒したように思えてなりません。

 朱子学は江戸時代に入って、家康が藤原惺窩の弟子林羅山(23才)を呼び寄せ、幕府官学の祖となり広まったが、家康は戦国時代に異彩を放つ謙信の生き方にきっと深く感じるものがあったに違いありません。信長や秀吉の生き方、死に様を見てきた家康は従来の危うい武士道に堅固なものが必要だと感じていた思われる。

 戦国武士道の根拠は、「なさけ」「ちぎり」などの情緒にあったために、きわめて不安定だった。そのとき、そのときの状況で揺れ動き、主君の恩顧に感激して、この主君のために死ぬ。しかしながら、その主君が落ちぶれて見る影も無いとなると平気で殺す。論理では矛盾しているが、情緒(=感情)はもともと論理ではない。情緒に基礎をおく武士道を不安定このうえないと徳川家康は考え、情緒ではなく規範(倫理・道徳すなわち倫理綱常)を与えるために、儒学(朱子学)を幕府の正式の学問あるいは国教とした。戦国武士道のような不安定規範ではなく、安定した規範を与え、武士道を朱子学によって改変して、太平の世の身分社会(士農工商)のための規範とした。

 謙信は関東管領を命じられても関東を支配するのではなく、自ら軍神、毘沙門天の転生であると信じ、越後の君主ではなく守護神として立場を生涯貫いた生き方。信玄が亡くなり、手取川の戦いで織田軍柴田勝家に大勝しても天下を目指さない謙信の生き方。徳川幕府は日本を統治していましたが、征夷大将軍は、日本の君主ではなく、あくまで君主は天皇である。このスタンス・姿勢にも朱子学が反映している。しかし、皮肉なことに、この朱子学の台頭によって天皇を中心とした国づくりをするべきという尊王論と尊王運動が起こり、後の倒幕運動と明治維新へ繋がっていく。朱子学の思想は、近代日本にも強い影響を与え、軍部の一部では特に心酔し、二・二六事件や満州事変にも多少なりとも影響を与えたといわれている。


 長尾家の家督を兄から譲り受け、越後の守護職を上杉定実が亡くなった後、譲り受け、上杉家が代々受け継いできた関東管領(古河公方を助けることが職務)を新しく将軍になった足利義昭から任命された。越後国内の豪族を一掃し一向一揆と戦い、信玄との川中島の5次にまで至る合戦、宿敵であった北条氏康と同盟を結び、氏康の7男である北条三郎を養子として迎え、景虎という自身の初名を与えるとともに、一族衆として厚遇したにも関わらず、後を継いだ北条氏政は上杉との同盟を破棄、武田信玄と再び和睦したため、北条氏、武田氏と再び交戦状態となる。

 国内の豪族、一向一揆、北条氏や武田氏、そして織田信長の出現、謙信の一生は、戦、戦に明け暮れた生涯だった。しかし、北条氏や北条氏のように傀儡らいとして将軍家を利用することなど考えもしない私心なき戦いだった。信長や秀吉のように他国を支配し、重臣達にその国を与えるような戦は一度もなかった。

 謙信の生き方は、戒律の最も厳しい曹洞宗の僧、そのものだった。間近に見てきた宿敵信玄は彼の生き方をどのようにみていたのだろうか?
 信玄は謙信を終生上杉姓で呼ばなかった。甲斐守護の武田家と越後守護代の長尾家の格式の差が原因だが、長尾家が関東管領として上杉姓となると、格式が逆転した。面白くなかった信玄は、最期まで長尾姓のままで呼び続けたという。



<謙信の辞世の句>

「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」

「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」