GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「インセプション」(C・ノーランの世界)

2010年07月30日 | Weblog
「ダークナイト」で空前の大ヒットを記録したクリストファー・ノーランが自分のファミリー(=一家)を使ってノーラン自ら書き下ろしたオリジナル脚本で前代未聞のSFクライム・アクション超大作「インセプション」を作り上げました。

監督: クリストファー・ノーラン
製作: クリストファー・ノーラン、エマ・トーマス(ノーランの実妻:「ダークナイト」「プレステージ」「バットマン ビギンズ」「フォロウィング」
製作総指揮: トーマス・タル(「ダークナイト」)
脚本: クリストファー・ノーラン
撮影: ウォーリー・フィスター (「ダークナイト」「プレステージ」「バットマン ビギンズ」「インソムニア」「メメント」)
編集: リー・スミス (「インセプション」「ダークナイト」「プレステージ」「バットマン ビギンズ」
音楽: ハンス・ジマー(「ダークナイト」)


 クリストファー・ノーランが製作・監督・脚本・編集・撮影した処女作「フォロウィング」を除くすべての映画を見ましたが、共通しているのが、暗い心の内を敢えて覗こうとしているところです。「ダークナイト」では登場人物に自らの良心を問いただし、揺れ動く人間的な心の葛藤をクライムアクション映画という異質な映画で描いて見せました。私が好きな「プレステージ」では19世紀末のロンドンを舞台に、マジックに人生の全てを捧げる2人の天才マジシャンの壮絶な確執が、驚愕の顛末を招いていく様を幻想的に描きました。二人の心の内を覗いているうちに観客は見事に騙されていたことに気づくラストは見事というほかありません。「メメント」は、前向性健忘という記憶障害に見舞われた男が、最愛の妻を殺した犯人を追う異色サスペンスでした。主人公の心理を再現するため、時間軸を新たに組み合わせ複雑な脚本を衝撃のラストへと観客を導く力は、今やハリウッドNO.1と云って過言ではありません。

 ノーラン監督は一映画ファンとしては007シリーズがお好きなそうで、特にボンドが自分の結婚式直後に殺された新妻を抱きしめるシーンで終わる「女王陛下の007」がお気に入りだそうです。また難解と言われているスタンリー・キューブリック作品も大好きだとか。今までの映画を見るとクライム・アクション、サスペンス映画でありながら「女王陛下の007」のような純愛的展開がベースにあり、またキューブリックのように難解な脚本ですが、巨匠ほど観念的ではなく、複雑過ぎることはありません。独創的で非現実的でありながら共感できるところがどの脚本も秀逸です。

 「インセプション」でもディカプリオ演じる主人公の純愛がベースにあり、夢の中であるという意識があるにも関わらず、愛する妻に銃を向けられないでいる彼の愛と切なさが伝わってきます。クライムアクション映画としては「ダークナイト」同様に異質な映画と云えます。しかも「七人の侍」のように最高のスペシャリストを集める娯楽映画的展開、<設計士>・<偽造士><調合師>らと一緒にターゲットの夢の中に潜入していく様は、古いSF「ミクロの決死圏」まで彷彿させました。しかし、ノーランは想像を遥かに越えたかつてない映像で観客を引き込んでいきます。まさにマジックです。しかも夢のまた夢、そのまた夢へと私たちを引き吊り込んでいく展開は「プレステージ」と同じようにとても緊迫感がありサスペンスフルです。

 ラストシーンは現実なのか、小さなコマが回り続けるのは夢の世界という映画の中のルール(=マジック)に、いつの間にか観客は引きずられていきます。このような巧みな脚本に心から感服してしまいました。かつての名画を彷彿させながらも、想像もできない世界へと私たちを誘い、しかも前代未聞のジェットコースターの行き着く先は現実的な<情>の世界でした。結末になってようやく私の心を和ませてくれました。きっとノーランの本質は愛を信じ、心優しい人であるに違いありません。「インセプション」の製作をはじめ、「ダークナイト」「プレステージ」「バットマン ビギンズ」「フォロウィング」の製作に参加している妻のエマ・トーマスの影響があるのかもしれません。


「ダークナイト」でもかつてない脚本に驚愕しましたが、今回はついに感服するに至りました。クリストファー・ノーランは実に頭のいい人です。まるで優秀な脳外科医、数学者のようでありながら、様々な非現実的なマジックを散りばめて観客を別世界へと連れていく展開(=脚本)は、今までのどの監督にもない能力と云っていいでしょう。映像も音響も編集もピカイチのファミリーと云えます。私の好きな映画「プレステージ」をまだ観賞していなければ、是非お奨めしたいと思います。幻想的世界にどっぷり浸かりきっていたマジックに、見事に填められたという驚愕と感動を味わえるはずです。
 
 今年今まで見た映画の中ではピカイチの作品です。来年のアカデミー賞レースには多数獲得が予想されます。


グッドラック感動のお奨め度:(91点)
重要・感動面積<81>

1)オリジナルティーあふれるストーリーと意外な展開は説得力があり、
  しかも様々な愛と哀愁・切なさが含まれている。(20点満点-19)

2)考え抜かれた自然なセリフ(脚本)に何度も胸を打つ(10点満点-9)

3)今までにない主演者の演技とストーリー展開での登場人物の成長・変貌
  ・怒り・悲しみに胸を打つ(10点満点-9)

4)助演者・脇役らに存在感があり、各シーンに溶け込み表情
  ・セリフを自分ものにしている(10点満点-8)

5)動と静の音楽が各シーンの感動を増幅させて、メインテーマは心に残る(10点満点-8)

6)撮影が新鮮で記憶に残るシーンが随所にある(10点満点-10)

7)テンポのいい編集は心地よい緊張と緩和を生み、
  感動のラストシーンへ導いていく(10点満点-9)

8)違和感のない特殊効果は映画の質を落とさずリアリティーを感じる or
  凝った美術・衣装・時代考証は違和感がなく自然で美しい (10点満点-9)

9)総合点:この映画・DVD・ビデオを見てもがっかりしない、満足度、お奨め度(10点満点-10)

「龍馬伝」と差別

2010年07月17日 | Weblog
 前回の「龍馬伝」で武市は、容堂公と同じ地面で相対して話せたことを涙を流して喜びます。そして龍馬のおかげだとも感謝します。私はこのとき上士と下士(郷士)との深い差別と亀裂を思わずにはいられませんでした。

 関ヶ原合戦の以後山内家は土佐に入り、それまで支配していた長宗我部氏の家臣団や郎党らが下士(郷士)となり、山内家の家臣らが上士となりました。たとえば、足袋や下駄、日傘の着用は上士にしか認められないなどその差別は多岐に渡っていました。この酷い差別は以来260年以上も続きます。明治に入って身分制が再編成されますが、新たに華族・士族・平民が定められ、・の呼称が廃止されたものの、差別は歴然と残ります。全国や西欧の平等思想を導入した福沢諭吉の訴えが知識人の間に広がりつつも、今も差別がなくなったとは云えない状況が続いています。こうした差別や迫害は日本特有のものではなく全世界で見られます。

 学校での悲惨な虐めが今もなお続いています。洋画を見ていても学校での弱いもの虐め、特異な姿や異国人、異宗教の人へ差別はどの国でも存在しています。映画「ウエストサイドストーリー」「マイ・フェア・レディ」「ベン・ハー」「砲艦サンパブロ」「遙かなる大地へ」「カラー・パープル」、大ヒットした「タイタニック」も差別が一つのテーマとなっています。

 私はこの虐めや差別に幼い頃から疑問を感じていました。小学校の頃、すぐに泣き叫ぶ男の子をよってたかって虐め、泣いて追いかけてくるのを面白がっているのです。私はいつもそんな場面に遭遇すると虐めていた連中をしかり飛ばしました。かと云って殴ったり暴力的なことは一度もしたことがありませんでした。すぐ泣く子の母親が商店街で店を守る私の母に何度も礼を云ったそうです。「またユーちゃんに助けられた」と。彼は私に恩を感じていたのでしょうが、私は目の前の虐めが許せなかったのです。

 幼い頃から虐めが大嫌いでした。そんな私のような子供もいれば、虐めて喜びを見出す不埒な奴もいます。どうしてなんでしょうか。この疑問は半世紀を生きてきた今でも私には腑に落ちません。彼らの気持ちがまったく理解できないし、ひとかけらの共感もできません。 

 幼い頃私も昆虫や小動物に虐待しましたが、人を虐めたことは一度もありませんでした。幼虫が7年も8年も土の中にいて蝉になることを学んで生命の神秘を知り、以後昆虫採集さえしなくなりました。このような段階を経て子供の小動物への虐待が減っていくものです。虐めや差別する輩は、動物と同じ命を持っているなど決して思わず、虐める相手や差別する相手を同等の人間とは思っていないのでしょう。彼等と共感などできるわけもなく、昆虫や小動物のごとく扱うのかもしれません。上士が下士を虐め、在日外国人を虐め、差別する。これと似た事が今の時代にもそこらじゅうに散らばっています。


人は何故弱い人を虐め、違った人を差別するのでしょうか?

そんなことでたとえ快感があったとしても自らが幸せにはなれるはずがありません。
こんな簡単なことが何故分からないのでしょうか。
快感は長続きしないのす。
そんなことが分からない愚かなものに幸せが訪れるわけがありません。
結局、快感を求めて彷徨い続けるしかないからです。
そして暗い闇の底に沈むしかないのです。

幼い子に虐めや差別はできません。
すべて大人や周囲の人が教えるのです。
そう考えるととても哀しく思います。
この点から見れば性善説が妥当となります。
少年の頃、虐めばかりしていた奴が大人になって虐められる側になることもあれば、
その反対の場合も存在します。
そして対する人によってもそのどちらにもなる場合も存在します。
私は人間の業が善や悪の間を彷徨い続けるのが真実のように感じます。


超大作テレビドラマ「ローマ」にこんなセリフにありました。
「人生は何を信じ、何を守ろうとしたかだ」

武市や以蔵の生き方、容堂の生き方、龍馬や勝海舟の生き方、
それぞれに何かを信じ、何かを守ろうとしたのです。

虐めや差別の実行者もまた「何かを信じ、何かを守ろうとした」のでしょうが、
幼児のようなエゴが目立つのは誠に哀しい限りです。

時代劇には大義や忠誠心や恥の文化、自分を律する文化が色濃く残っています。
今の時代から思えば不条理な差別や階級制度が存在しますが、
「龍馬伝」のような歴史ドラマを見ながら、
自分は何を大切にしているのか、
信じたいものは何か、
守りたいものは何かを改めて考えたいですね。

「こんな夫を選びなさい」

2010年07月11日 | Weblog
阪急電鉄の創始者、小林一三氏がおっしゃったお話です。

小林一三氏は、とても頭が良くて、好奇心とオリジナルティがあり、
心豊かな人だったと思います。

卒業生のタカラジェンヌに語った言葉だそうですが、
この言葉からも氏の暖かい眼差しが感じられます。
企業人として、そして人間として心から尊敬できる数少ない人として
私の心の中に存在しています。


<どんな職業でもいい。結婚相手はその仕事自体が好きなのか。
 成功したい出世したいから、
 やむなく仕事をしているのか。そこを見ろ>


出世や成功を目的に働く人は、いきおい不平が多くなる。

<自分の職業を重荷の如く考えて、その辛さ、苦しさ、
 割の悪さを並べ立てるような青年を決して選んではなりません>


<自分の職業が好きで楽しみ親身になって働く人を選べ。
 ただ、仕事ばかりの人は人間生活が狭くなるからいけない>


<趣味の広い人がいい。
 一つの趣味に凝り固まって他に見向きもしないのは無味趣味と同じ>

<趣味の広い青年は、家庭生活を楽しむことのできる青年です>


結婚相手の選び方などひとそれぞれだろうが、
楽しく働いている人のほうが、相手に選んで幸福な生活を築きやすいのはたしかだろう。

   (歴史学者・茨城大准教授:磯田道史)2010 7.10朝日新聞朝刊の記事より。


連れ添いがこの記事を見つけ、うれしそうに私に読ませました。
読んでから私は思わず苦笑いしてしまいました。[m:210]

私は人付き合いの基本は<公平に見る>ではないかな、と思っています。
満点の人などこの世には存在しません。
いいところも悪いところも誰にでもあるはずです。
そういった部分を公平に見て、公平に接することではないかなと思っています。

私は昔から会社であったことや従業員の事など、家庭でよく話します。
社会の現場で何が起こっているかを伝えたいと思っているからです。
そんな私を見て連れ添いは
「大変そうだけど、どこか楽しそう」
「えっ、楽しそう?」
楽しいと思えなかった私は意外な返答に驚きました。

「でも、話している様子は楽しそうよ。 ねぇ」と息子の方を見る。
息子もニンマリしながら「うん」と答える。

息子が幼い頃、何度もこういった場面がありました。

「楽しんでる?」私は自分自身考えたことはなかったのですが、
仕事というのは基本的に面白くないものだと思っています。
そんな仕事を面白くするには、
「オリジナルティを出す」
「準備を万端にする」
「効率を上げる方法を考える」
「人とは違うアプローチを試みる」
こんな工夫を連れ添いに話していたような気がします。
そんな様子が彼女には楽しそうと見えたのかもしれません。

<自分の職業を重荷の如く考えて、その辛さ、苦しさ、
 割の悪さを並べ立てるような青年を決して選んではなりません>

仕事場でこんなことを言い放って辞めていった仲間たちが何人もいました。
そんな状態になると仲間であっても私の慰留や誰の言葉も届きません。
その後ろ姿を見ながら、「仕事場ってどこでもよく似たもんだよ」と呟いたものです。
こんな時も<公平に見る>これが大切です。

2010 ワールドカップ

2010年07月09日 | Weblog
(日本チームのボール支配率)

カメルーン戦 44%
オランダ戦   39%
デンマーク戦 44%

この低い支配率には捨て身の大胆な戦略があったに違いない。
オランダ戦を観戦していたが、本当に良く守り切ったという試合内容だった。
ちなみに、キープ率50%以下で決勝トーナメントに進んだのは日本しかいない。
ここに日本の凄さがひそんでいると思う。


(海外の辛口コメント)

「こんな凡戦はみたことがない」
「デンマークは戦略で負けた」
「極めて守備的」
「インパクトも鋭い攻撃力も見られなかった。つまらない攻防戦だった」
「退屈な守備的サッカーで日本は沈没」
「岡田監督は野望のない臆病者」
「退屈の連続の2時間だった」

岡田監督からこんなコメントを聞いたことがある。
「あのチームはボールを支配しだすとおかしくなる傾向がある」
闘莉王のコメント
「俺たちはへタなんだから、泥臭くてもいいから勝ちにいく」


最後のパラグアイ戦を観戦していたが必死に防戦しながらも、
全員で勝機を見出し、しかも放ったシュートも決して少なくはなかった。
また、防戦とは云え一方的な試合には見えなかった。
私には攻守のバランスが取れた素晴らしい試合だったと思えた。

あれだけの攻撃を凌ぎきった事実を誇ってもいいとさえ思う。
少なくともドイツと闘ったアルゼンチンチームが受けた罵倒を
日本チームが受けるとは思えない。
どんな試合でも見方や位置を変えて、見直せば様々な意見が噴出するだろう。
しかし、チームとしての団結力、連帯感は全世界に光り輝いたに違いないと思う。

辛口の批評を岡田監督は承知の上の戦略的変更だったに違い。


岡田監督「すべての批判は俺が受け止めよう」(私の想像)
だからこそ
「もう少し彼らに試合をやらせたかった。(あんな酷な指示をしたのだから…)」
というコメントにつながったのだろう。

ワールドカップ前の4試合の結果、
岡田監督は目指す理想のレベルに達していないことを痛感したにちがいない。
このままでは以前と同様に不甲斐ない負けを喫してしまう。

それならば、(私の想像の言葉)
「負けない試合をやろう。
 日本チームには運良く中沢、闘莉王、
 そして川島という世界で通用する鉄壁のディペンダーとGKがいる。
 彼らを信じよう。
 守るときはFWを除き、全員で守ろう。
 
 与えられた一人一人の役割を明確に自覚し、
 特にMF・ボランチにアイデアを出させるな。
 彼らを攪乱するほど追い回せ。仕事をさせるな。
 
 そして勝機を掴んだら一気に陣を上げろ。
 運動量で相手を圧倒しろ。
 その時、勝機は必ずやって来る[m:76]」


こんな指示が飛んだのではないだろうか。

パラグアイ戦が0-0のままPK戦にまで行こうとは世界の誰が予想しただろう。
この素晴らしい守備力を誰が非難できようか?

守備力は世界でも通じる一級品であることを証明した試合だった。
そして攻撃力もあることを世界に示した試合だった。

次に目指すは攻撃力・決定力をいかにアップさせるかにある。
日本サッカーの位置が初めて世界の勢力図に初めて掲載されたのだ。
位置を知れば目標は、一人一人に明確となるものだ。


[m:67]「地図上の何処にいるのかを教え、目標を明確にする」
 これが部下と上司の関係だ(映画「ランボー2」より)


過去のようなあまりに不甲斐ない大会では、
欠けているものが多すぎて、呆然とするほかなかった。
だから目標を掲げても一次予選突破がせいぜいだったろう。


しかし、今は違う。
何が足りないかを彼ら自身が明確に身体で感じたはずだ。
そんな2010年ワールドカップだったと思う。
4年後の期待は、夢が目標となった気がしてならない。

岡田監督、ありがとう!

心から感謝したいと思う。


「告白」を見て 2

2010年07月04日 | Weblog
「告白」のような本がベストセラーになる今の社会状況が気にかかります。少なくても「学問のすすめ」がベストセラーになった明治維新の頃とは、当たり前ですが大きく違ってきたようです。あの当時、「モンスターペアレンツ、ドメスティックバイオレンス」こんな恐ろしい言葉は皆無だったはずです。120年の間に日本はとんでもない親や子供達を量産してしまったのです。「告白」はそんな現実を描いていました。

7/1夜のニュース番組を見ていると、スウェーデンの25%消費税や高い税金がどのように循環しているのかの報告がありました。
・大学まで教育費は本や鉛筆に至るまで無料。
・19歳以下は医療費も無料、それ以外の人は年間最高で18,000円の負担。
・食品は12%、書籍雑誌が6%。
・介護負担は最高で月22,000円の負担。
・子供3人の家庭には42,000円の子供手当。

 教育と医療が18歳まで完全無料。24%という高い消費税や日本から見れば異常とも思える所得税率の高さには驚かされますが、私はこんな社会に住みたいと昔から望んでいました。初めて日本の首相から<強い社会保障>という言葉が聞けて、実はうれしく思っています。

 スウェーデンが経済的に豊かだった1970年代から1990年代の初期までは、日本では真似することが出来ないほどに進んだシステムを持ち、設備の整った高齢者施設や身体障害者施設、さらにいろいろな障害を持つ者に対応した各種の社会構造設備が整備されたのは事実です。その後の経済不況によって1992年、経費が増加する医療問題や障害者対策の改革案とも言える「エーデル改革」が実施され、全国のコミューン(自治体)は我先にと施設や介護の民営化を推進し、歳出の節約に努めだしたのです。当然のように人員や経費が削減され、現場ではかなり逼迫している状況という報告もあります。<強い経済>がなければ安定した社会保障制度は続かないことを私たちは肝に銘じておかねばなりません。

 消費税のアップが何故必要なのか、マスコミのコメンテターは今までのように茶化した取り上げ方をするのではなく、<強い社会保障>に近づくための費用であることを明確に国民に伝わるようにして欲しいと思います。私が望む国家をすべての人が望んでいるわけではないでしょう。ここに民主主義国家としての意義が大切になってきます。単純に高福祉国家スウェーデンのシステムを導入するのではなく、成功例・失敗例を冷静に分析し、日本に合った福祉国家への道を見出さなければなりません。マスコミの真の存在理由は私たちに正しい道を選ばせる道具でなければならないのです。

 私は映画の主人公である<モンスターチルドレン>や「モンスター・ペアレンツ、ドメスティックバイオレンス」も根源は同じだと思います。それは<エゴ>です。エゴに固まった連中は、自分さえ良ければいいのですから<強い社会保障>という言葉を聞いてもなんの感動もないでしょう。自分が支払った消費税や税金が循環して自分に戻ってくると考えられないのです。親のエゴを間近に見て育った子供は深い知識も広い視野もないのですから、そのエゴを自律できるはずがなく、親以上に<エゴ>が大きくなるのは当然の結果です。そんなエゴイスト達は国家や親を信頼できるはずがないのです。

 金を儲けようとする大人たちはこのような彼らを異邦人のように眺めながら、しかも彼らを煽りモノを売ってきたのです。大企業は競って<エゴ>を刺激する商品開発を試み、企業の存在意義は売上や利益が最優先となり、エゴを満足させるヒット商品作りに没頭していきました。日本経済の発展は、膨大な<エゴ>の出現に力を貸してしまったのです。そしていつの間にか「我慢」や「辛抱」を知らない、<エゴ>と自由の区別さえつかない、「告白」に登場するようなモンスターチルドレンが出来上がってしまったのです。民主主義も主権在民も彼等はその大切さを一度も教育を受けたことはないでしょうし、考えたこともないでしょう。

 動物は欲望を制御できません。それは生存本能であり<エゴ>とは異なります。我々はそれを制御(=自律)できる心を持つことによって人となりました。欲望を制御できない最たるものが犯罪者となっていきます。ウォークマンの大ヒットは大量に<エゴ>を発生させました。やるべきことを模索する努力もせず「やりたいことをやろう!」と叫ぶ歌に付和雷同する安易な社会が生じ、エゴだらけの社会への変貌を自由への道と勘違いし、拍手喝采して安易な社会の到来を享受してしまったのです。


 <エゴ>と自由の違いを教え理解させることは、決して容易なことではありませんが、大人達は自らを律しながら、改めて子供たちに自由とその尊さを教えなければなりません。

それには<情>と教えることだと思っています。

 情とは言い換えれば“連帯感”のことです。あまりにも物質的に豊かになりすぎて、資本主義経済の終着駅である個人主義へと一気に走り込んでしまったのです。個の主張があまりに大きすぎれば連帯など生まれるはずがありません。昔から野球やサッカー、バレーボールのような団体で行うスポーツが何故推奨されるのか、この連帯感を感じて欲しいからに他なりません。グループでのコーラス活動や音楽活動もこの連帯感を味わえます。

 幼いときの団体活動はとても有意義だと思っています。規律や規範をできれば厳しく指導する必要を感じます。本当は親が家の中で教えるべき内容です。躾や挨拶、身だしなみは親が教えなければならいのです。この責任を幼稚園の先生や学校の先生に求めても、<時すでに遅し>なのです。

 社会に出れば<自由>を享受する難しさを痛感します。<エゴ>に汚染された連中はこの苦痛に堪えられずすぐにドロップアウトの道を選びます。そして、<エゴ>が餌としているかりそめの<自由>を求め彷徨い続けるのです。

「告白」を見て

2010年07月01日 | Weblog
 話題の映画「告白」を見てきましたが、15,6年前に息子の授業参観に行ったときのことを思い出しました。親が参観している授業中にも関わらず、徘徊する児童がいてとても驚きました。しかも先生は一度もその児童を注意しないのです。他の児童たちは徘徊する彼を気にしているようにも、無視しているようにも見えてとても不思議な授業でした。先生は授業を聞いている児童だけに話しかけているように感じ、先生としての尊厳は皆無のような授業でした。当時の公立の小学校が荒れていることをこの目で見たように思いました。

 映画は、春休みを前にした1年生最後のHRの時間、自分の幼い娘を殺されたシングルマザーである先生の「告白」から物語が始まる。先生は無表情で淡々と告白を続ける。生徒達は思い思いのことをしゃべり、先生の話を聞いている子もいればまったく無視している連中もいる。そんなことにはまるで無関心のように先生は話を続ける。そして幼い我が娘がこの教室の生徒2人に殺されたと衝撃的な事実を告げる。最初は彼らをAとBと呼びながら誰であるかも明確にしていく。こうして無邪気な娘を殺された母親の復讐劇が始まっていった。

福井晴敏の小説『Twelve Y.O』の中で若い連中をこのように表現してる。
「(周囲の大人たちを)同じ人間として認識していない。自分たちだけのコミュニティがすべてで、その価値観から外れるものには興味を持たないし、持てない。電話線や写真で互いの存在を確認し合い、集団で快楽という餌を探し回る群体生物」

 大きな社会の中に自分たち存在するというという実感を持てないでいる。テレビから映し出される世界の出来事は、まるでゲームの仮想現実とでも思っているような感覚。教室の仲間から外されることを恐怖のごとく感じる感覚。担任先生の衝撃的告白まで仮想現実のように思える感覚。そんな子供たちの様子に、私は恐怖映画でも見ているような気持ちになってしまいました。

 蝉やカエルを捕まえることが楽しかった頃、昆虫や小動物を殺すことなど何の躊躇もありませんでした。あの頃は、強いものが弱いものを虐める不条理を当たり前のように受け入れていたのです。やっていいことと、いけないことの規範の存在など知りもしなかった頃を経て、子供は大人になっていきます。

 映画の生徒たちは、そんな子供の世界から一歩も出ようとはしない。周囲の社会を認めようともしない。そんな群体生物に娘を殺された先生は着実に復讐を遂げていく。映画は我が子を思う母親の強い想いを通して、命の尊さをいかにして群体生物たちに学ばせるか、まるで恐怖映画の如く展開します。私たち大人もこの難題に挑戦して行かねばなりません。群体生物たちは、大人になってもつまらないと言い続けているのです。私たち大人はまずそのことをに気づかなくてはなりません。そして、私たち大人はいかにして小動物を虐待しなくなったか、その為に何を学んだか、人や動物を愛するとは責任が生まれることを子供たちに自ら示さなくてはなりません。

 映画を見終わって、子供たちに虐待を加える親たちに見て欲しいと感じました。同時に子供を捨てたが為に歪んだ心を育む不幸とも言うべき子供がいることを知って欲しいと思いました。たとえ十分な愛がなくても、愛を感じれば子供は何かを心の中で育んでいくように想います。映画では盲目的な子供への愛も映し出されていましたが、子供を愛する強い想いがこの映画の主題です。

 子供を作って育て始めたらその大変さに苛つき混乱し、逃れようとする親のなんと多いことか。犬や猫のようなペットも飽きればすぐに捨ててしまう大人たちがなんと多いことか。そして幼い子供の泣き顔を見て、苛立ちを隠せない群体生物たち。そんな彼らに犬や猫のような生き物への共感など存在するはずもありません。酷い親や大人たちと群体生物たちの悪の連鎖を何処かで断ち切らねばなりません。それは復讐の連鎖を断ち切ることと類似していると思います。そして、映画の原作者、湊かなえさんは、母親の復讐劇を書きながらその虚しさを訴えていたのかもしれません。そう思いたい映画でした。


グッドラック感動のお奨め度:(78点)

1)オリジナルティーあふれるストーリーと意外な展開は説得力があり、
  しかも様々な愛と哀愁・切なさが含まれている。(20点満点-18)

2)考え抜かれた自然なセリフ(脚本)に何度も胸を打つ(10点満点-8)

3)今までにない主演者の演技とストーリー展開での登場人物の成長・変貌
  ・怒り・悲しみに胸を打つ(10点満点-8)

4)助演者・脇役らに存在感があり、各シーンに溶け込み表情
  ・セリフを自分ものにしている(10点満点-7)

5)動と静の音楽が各シーンの感動を増幅させて、メインテーマは心に残る(10点満点-7)

6)撮影が新鮮で記憶に残るシーンが随所にある(10点満点-8)

7)テンポのいい編集は心地よい緊張と緩和を生み、
  感動のラストシーンへ導いていく(10点満点-7)

8)違和感のない特殊効果は映画の質を落とさずリアリティーを感じる or
  凝った美術・衣装・時代考証は違和感がなく自然で美しい (10点満点-7)

9)総合点:この映画・DVD・ビデオを見てもがっかりしない、満足度、お奨め度(10点満点-8)