このような世界情勢の中で、今回の大災害が起こりました。最新の原子力開発という日本の大きな輸出施策も崩壊し、日本内でも今後の電力開発のあり方を大きく変えることになるだろうと思っています。4期目の都知事選を堂々と勝ち切った石原都知事がテレビインタビューで、こんな事を語っていました。「東京が貧乏になってもいいじゃないか。復興の為に何でもやる。言われないこともやる」と少しやつれた顔で答えていました。あの言葉でも推測できるように今後、国内の動きは、すべてのキーワードに<復興>が含まれるような気してなりません。
電力供給は近代国家の根幹をなす絶対的なものです。第二次世界大戦に踏み切ったのも、海上封鎖による石油の凍結でした。原子力という最も安価で最もCO2削減にも適したエネルギーが、将来的に大きな課題を残しただけに、今後の原子力開発は頓挫する可能性が高まっています。それは、全国民の電力のあり方を考え直すことにもつながります。省エネへの取り組み方にも今までとは違った変化を見せるに違いありません。
バブルがはじけて、大災害によって<自戒>モードに切り替わるのではないか、というのが私の行き着いた結論です。円高によって日本企業は海外生産を大胆に進めてきました。かつて世界の富は、ダッチマン、ユダヤ、華僑がかき集めたと言われましたが、日本の海外進出の多くの企業は「雇用の拡大」、「日本企業を最新技術を世界に知らしめる大きな役目」を担いました。そこにはかつての連中とは大きく異なる<共存精神>が存在しています。
大戦前、台湾は日本の統治下にありましたが、今回の災害に対して500億円の援助金を申し出ています。フランスや英国のインドシナ半島やインドにて長い間食い物にしてきた歴史とは一線を画すものがあったからだと推測しています。その違いを一言でいうと統治国に教育を施すか、施さないかの違いです。
例を挙げれば1924年大正13年 京城帝国大学 (建物等はソウル大学校に引継)。1928年 昭和 3年 台北帝国大学設立です。フランスやイギリスは、統治国には大学どころか、教育を一切施することなく、隷属国として扱ってきたのです。とにかく共存の精神は昔から日本人にあった素晴らしい対応精神だと思います。この対応力は、日本人が他の民族に対して共感できる豊かな感性を有していることの証明でもあります。<共存精神>は、バブル当時の高慢な「JAPAN IS NO.1」思想を<自戒>するものであり、日本人本来が保有していた精神でもあります。日本の技術力やイノベーションを広めながら他国と共存していくことは、将来的に日本人を知らしめるために大切なことだと思っています。
バブルの崩壊は、<バベルの塔の崩壊>と似通っています。旧約聖書の書かれている<バベルの塔>の物語は、もともと人々は同じ1つの言葉を話していた事が原因で、煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔を作って神を冒涜したとされています。そして神は人々に違う言葉を話させるようにしたという。また、人々が「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを」用いたという記述から、古代における技術革新について触れながらも、人間の技術の限界について語る意味があると考えられています。私たちはこの話を逆説的に理解し、他民族が相互理解を深めるために英語という共通語を身に付ける、この発想は決して間違っていないように私は思います。
日本は自国だけの発展を優先するのではなく、共存精神を掲げて隣国との共存共栄を今まで以上に目指し、アジアの国々と共に世界でのアイデンティティーを構築して行くべきだと思います。そのためには世界共通語としての英語をもっと身近なものにして、多くの人が他民族とのコミュニケーションを図れるグローバルな国民に進化して行く必要性を強く感じます。日本語は他民族が学ぶにはとても難しい言語だと思います。だからこそ、日本人は自らが今まで以上に積極的に英語を習得し、古来の豊かな感性を活かして他民族を受け入れ、一般レベルでの積極的な交流を図り、共存共栄ができる社会を構築していくことが大復興の道筋の一つだと思います。
電力供給は近代国家の根幹をなす絶対的なものです。第二次世界大戦に踏み切ったのも、海上封鎖による石油の凍結でした。原子力という最も安価で最もCO2削減にも適したエネルギーが、将来的に大きな課題を残しただけに、今後の原子力開発は頓挫する可能性が高まっています。それは、全国民の電力のあり方を考え直すことにもつながります。省エネへの取り組み方にも今までとは違った変化を見せるに違いありません。
バブルがはじけて、大災害によって<自戒>モードに切り替わるのではないか、というのが私の行き着いた結論です。円高によって日本企業は海外生産を大胆に進めてきました。かつて世界の富は、ダッチマン、ユダヤ、華僑がかき集めたと言われましたが、日本の海外進出の多くの企業は「雇用の拡大」、「日本企業を最新技術を世界に知らしめる大きな役目」を担いました。そこにはかつての連中とは大きく異なる<共存精神>が存在しています。
大戦前、台湾は日本の統治下にありましたが、今回の災害に対して500億円の援助金を申し出ています。フランスや英国のインドシナ半島やインドにて長い間食い物にしてきた歴史とは一線を画すものがあったからだと推測しています。その違いを一言でいうと統治国に教育を施すか、施さないかの違いです。
例を挙げれば1924年大正13年 京城帝国大学 (建物等はソウル大学校に引継)。1928年 昭和 3年 台北帝国大学設立です。フランスやイギリスは、統治国には大学どころか、教育を一切施することなく、隷属国として扱ってきたのです。とにかく共存の精神は昔から日本人にあった素晴らしい対応精神だと思います。この対応力は、日本人が他の民族に対して共感できる豊かな感性を有していることの証明でもあります。<共存精神>は、バブル当時の高慢な「JAPAN IS NO.1」思想を<自戒>するものであり、日本人本来が保有していた精神でもあります。日本の技術力やイノベーションを広めながら他国と共存していくことは、将来的に日本人を知らしめるために大切なことだと思っています。
バブルの崩壊は、<バベルの塔の崩壊>と似通っています。旧約聖書の書かれている<バベルの塔>の物語は、もともと人々は同じ1つの言葉を話していた事が原因で、煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔を作って神を冒涜したとされています。そして神は人々に違う言葉を話させるようにしたという。また、人々が「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを」用いたという記述から、古代における技術革新について触れながらも、人間の技術の限界について語る意味があると考えられています。私たちはこの話を逆説的に理解し、他民族が相互理解を深めるために英語という共通語を身に付ける、この発想は決して間違っていないように私は思います。
日本は自国だけの発展を優先するのではなく、共存精神を掲げて隣国との共存共栄を今まで以上に目指し、アジアの国々と共に世界でのアイデンティティーを構築して行くべきだと思います。そのためには世界共通語としての英語をもっと身近なものにして、多くの人が他民族とのコミュニケーションを図れるグローバルな国民に進化して行く必要性を強く感じます。日本語は他民族が学ぶにはとても難しい言語だと思います。だからこそ、日本人は自らが今まで以上に積極的に英語を習得し、古来の豊かな感性を活かして他民族を受け入れ、一般レベルでの積極的な交流を図り、共存共栄ができる社会を構築していくことが大復興の道筋の一つだと思います。