仕事柄旅行に出ることがなかった私が、新婚旅行以外で初めて妻を連れ添った旅行に出たのは、元気なうちにと母との約束だった香港旅行が最初でした。子供が2歳の頃でした。そして1昨年の白浜旅行までなかったのですから、25年間も妻を旅行に連れていかなかったことになります。今在籍している施設がこの時期、長期休館(8日間)するので、異動してきて10年以上経って、ようやく旅行ができること気がついた次第です。昨年は埼玉、栃木、茨城旅行1500km、そして今年は四国鳴門旅行です。
旅では珍しい風景や食べたことのない料理、初めて会う人たちとの出会いがあります。この感動が旅行の醍醐味です。 さて今年の主たる目的は、世界の名だたる美術館にある名画をなんと陶板に焼いた大塚国際美術館、そして映画「バルトの楽園」の舞台となったドイツ村見学です。鳴門まで来たので連れ添いに世界三大潮流で有名な鳴門のうず潮を見せたいとも思いました。
二人だけの海外旅行はパリのルーブル美術館と決めているのですが、この大塚国際美術館見学によって多少影響されそうな気がしています。その原因は世界で初めて陶板に世界の名画を原寸大に焼き付けた1,000点もの作品の見事さにあります。「大塚国際美術館」は大塚製薬グループ創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立されました。日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412㎡は甲子園球場グランド面積が13,000㎡なので約2.3倍の広さ)に、古代壁画から世界25ケ国190余の美術館が所蔵する現代絵画まで一同に集めた超名画の数々、その偉業に心から驚嘆しました。陶板名画は2,000年以上そのままの色と姿が残るために、文化財の記録保管にも大いに貢献するでしょう。
気に入った名画だけを写真撮りしましたが、それでも180枚くらになりました。最も気に入ったの名画はヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」です。フェルメールの鮮やかな青は、フェルメール・ブルーとも呼ばれ、ラピスラズリという非常に貴重な鉱石を原材料としています。ラピスラズリは、17世紀には金よりも貴重であったといわれ、“天空の破片”とも呼ばれました。ラピスラズリを非常に細かく砕き、乳鉢ですりつぶして粉末状にしたものを溶液に溶かし、上澄みを捨てて純化し、それを植物油脂でとくことによってウルトラマリンブルーは生成され、通常の青い絵具の百倍の値段がついたと云われています。
モナリザも当然お気に入りです。顔の表情が左右非対称の話は聞いたことがありますが、こんな話をガイドさんから聞きました。肖像画には珍しく、自然の背景が描かれています。しかも右側と左側、その両下に描かれている絵が異なっているのです。4つの窓の中心にモナリザが描かれていると思って下さい。右肩の氷河から始まり左肩へ、そしてその下、そして最後に右の街並みです。ダ・ヴィンチは自説である地球観を絵に表わそうとしたのではないか。モナリザの背景には水の複雑な循環の様子(4つ)が描かれています。皆さんもモナリザの背景を改めて見つめ直してください。彼女の背景に何が描かれているか、氷河の次は何でしょう?そして、その次は?、最後は街が描かれています。この2番目、3番目が何なのか勉強して見て下さい。
旅行の楽しみの一つに歴史探訪があります。徳島県鳴門市に板東というところがあります。1917年から1920年の約3年間、ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵約1000名を俘虜として収容した場所です。この3年間の様子が映画「バルトの楽園」で紹介され、松江豊寿収容所長が俘虜だったドイツ人の人権を守り抜いた様子が描かれていました。日本の規律を押しつけるのではなく、ドイツ人達に規律を作らせて守らせたのです。パン職人にはパンを作らせ、新聞を発行させ、音楽を好きな人たちには楽器やオーケストラまで自由に作らせたのです。近隣の庶民の方々もドイツの進んだ技術や文化を取りいれようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導まで受けたのです。板東の街並みでは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、日常的な交歓風景があたりまえのように見られるようになりました。こんな話、本当に信じられますか?
今回の旅行でこうした事実をこの目で確かめたかったのです。鳴門市ドイツ館にはこれらが事実だった証拠の写真や当時の徳島の新聞、収容所内で発行された新聞、複数のオーケストラや合唱団が定期的にコンサート(30回以上開催)を開催し、その時発行したパンフや、使用した楽器、当時の体育の一環として使用したボ-リングボール等が展示されています。1919年12月末より翌20年1月末にかけて、ヴェルサイユ条約の締結により、捕虜達が本国送還されましたが、約170人(17%が残った事になる)が日本に残り、収容所で培った技術で生計をたて、肉屋、酪農、パン屋、レストランなどを営んだそうです。現在よく知られているユーハイムやローマイヤなどは日本に残留したドイツ兵によって創立されたものです。庶民との交流の深さが伺えます。ベートーベンの交響曲第九番が日本で最初に全曲演奏されたことは有名です。この苦労の様子が映画「バルトの楽園」で描かれています。涙が止まらない必見の映画です。
旅行のもう一つの楽しみは日頃味わえない料理を食べる楽しみがあります。料理の写真も沢山撮ってきたのでお楽しみ下さい。一番感動したのはルネッサンス鳴門リゾートホテルでの朝食でした。「サンドウィッチバイキング」、皆さん聞いたことあります?
薄くカットされたホワイトパンやライブレットに自分が好きな具(20種類以上)を乗せて食べるのです。当然フルーツや各種のソフトドリンクはとても充実していました。料理長らしき人とお話したのですが、とても気さくな方で日本食も洋食も自由に食べて貰いたいと笑顔で紹介してくれました。初見の人とすぐに話せる私の性格はこんなところでも楽しみを追加してくれました。
PS:鳴門市ドイツ館から帰ろうとするとぬいぐるみを着た若い人たちが1Fの大ホールに集まってきたので何が始まるのかなと思ってついていくと、市内で英語を教えている教師達がミュージカルを企画していて、その練習にこの会場を借りていたのです。私は気軽に話しかけました。
「May I See It ?」(こんな英語でいいのか分からないけど…)
「Yes, Of Course!」と笑顔で返事が返ってきました。
しかも連れ添いの分のイス2つまで持ってきてくれました。3月の土日、市内で講演される「ライオンキング」の衣装あわせとリハーサルだったようです。こんな楽しい出会いが旅ならではです。
■ドイツ村に行く前に、さだまさし原作で映画にもなった「眉山」まで足を伸ばしたのですが、眉山公園頂上の石碑にこんな言葉が書かれていました。
<四つのテスト>
言行はこれに照らしてから
1)真実かどうか
2)みんなに公平か
3)好意と友情を深めるか
4)みんなのためになるかどうか