GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「2010 四国鳴門旅行」

2010年02月24日 | Weblog


 仕事柄旅行に出ることがなかった私が、新婚旅行以外で初めて妻を連れ添った旅行に出たのは、元気なうちにと母との約束だった香港旅行が最初でした。子供が2歳の頃でした。そして1昨年の白浜旅行までなかったのですから、25年間も妻を旅行に連れていかなかったことになります。今在籍している施設がこの時期、長期休館(8日間)するので、異動してきて10年以上経って、ようやく旅行ができること気がついた次第です。昨年は埼玉、栃木、茨城旅行1500km、そして今年は四国鳴門旅行です。

   

 旅では珍しい風景や食べたことのない料理、初めて会う人たちとの出会いがあります。この感動が旅行の醍醐味です。 さて今年の主たる目的は、世界の名だたる美術館にある名画をなんと陶板に焼いた大塚国際美術館、そして映画「バルトの楽園」の舞台となったドイツ村見学です。鳴門まで来たので連れ添いに世界三大潮流で有名な鳴門のうず潮を見せたいとも思いました。



 二人だけの海外旅行はパリのルーブル美術館と決めているのですが、この大塚国際美術館見学によって多少影響されそうな気がしています。その原因は世界で初めて陶板に世界の名画を原寸大に焼き付けた1,000点もの作品の見事さにあります。「大塚国際美術館」は大塚製薬グループ創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立されました。日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412㎡は甲子園球場グランド面積が13,000㎡なので約2.3倍の広さ)に、古代壁画から世界25ケ国190余の美術館が所蔵する現代絵画まで一同に集めた超名画の数々、その偉業に心から驚嘆しました。陶板名画は2,000年以上そのままの色と姿が残るために、文化財の記録保管にも大いに貢献するでしょう。



 気に入った名画だけを写真撮りしましたが、それでも180枚くらになりました。最も気に入ったの名画はヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」です。フェルメールの鮮やかな青は、フェルメール・ブルーとも呼ばれ、ラピスラズリという非常に貴重な鉱石を原材料としています。ラピスラズリは、17世紀には金よりも貴重であったといわれ、“天空の破片”とも呼ばれました。ラピスラズリを非常に細かく砕き、乳鉢ですりつぶして粉末状にしたものを溶液に溶かし、上澄みを捨てて純化し、それを植物油脂でとくことによってウルトラマリンブルーは生成され、通常の青い絵具の百倍の値段がついたと云われています。

        

 モナリザも当然お気に入りです。顔の表情が左右非対称の話は聞いたことがありますが、こんな話をガイドさんから聞きました。肖像画には珍しく、自然の背景が描かれています。しかも右側と左側、その両下に描かれている絵が異なっているのです。4つの窓の中心にモナリザが描かれていると思って下さい。右肩の氷河から始まり左肩へ、そしてその下、そして最後に右の街並みです。ダ・ヴィンチは自説である地球観を絵に表わそうとしたのではないか。モナリザの背景には水の複雑な循環の様子(4つ)が描かれています。皆さんもモナリザの背景を改めて見つめ直してください。彼女の背景に何が描かれているか、氷河の次は何でしょう?そして、その次は?、最後は街が描かれています。この2番目、3番目が何なのか勉強して見て下さい。

    




 旅行の楽しみの一つに歴史探訪があります。徳島県鳴門市に板東というところがあります。1917年から1920年の約3年間、ドイツの租借地であった青島で、日本軍の捕虜となったドイツ兵約1000名を俘虜として収容した場所です。この3年間の様子が映画「バルトの楽園」で紹介され、松江豊寿収容所長が俘虜だったドイツ人の人権を守り抜いた様子が描かれていました。日本の規律を押しつけるのではなく、ドイツ人達に規律を作らせて守らせたのです。パン職人にはパンを作らせ、新聞を発行させ、音楽を好きな人たちには楽器やオーケストラまで自由に作らせたのです。近隣の庶民の方々もドイツの進んだ技術や文化を取りいれようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導まで受けたのです。板東の街並みでは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、日常的な交歓風景があたりまえのように見られるようになりました。こんな話、本当に信じられますか?



 今回の旅行でこうした事実をこの目で確かめたかったのです。鳴門市ドイツ館にはこれらが事実だった証拠の写真や当時の徳島の新聞、収容所内で発行された新聞、複数のオーケストラや合唱団が定期的にコンサート(30回以上開催)を開催し、その時発行したパンフや、使用した楽器、当時の体育の一環として使用したボ-リングボール等が展示されています。1919年12月末より翌20年1月末にかけて、ヴェルサイユ条約の締結により、捕虜達が本国送還されましたが、約170人(17%が残った事になる)が日本に残り、収容所で培った技術で生計をたて、肉屋、酪農、パン屋、レストランなどを営んだそうです。現在よく知られているユーハイムやローマイヤなどは日本に残留したドイツ兵によって創立されたものです。庶民との交流の深さが伺えます。ベートーベンの交響曲第九番が日本で最初に全曲演奏されたことは有名です。この苦労の様子が映画「バルトの楽園」で描かれています。涙が止まらない必見の映画です。



 旅行のもう一つの楽しみは日頃味わえない料理を食べる楽しみがあります。料理の写真も沢山撮ってきたのでお楽しみ下さい。一番感動したのはルネッサンス鳴門リゾートホテルでの朝食でした。「サンドウィッチバイキング」、皆さん聞いたことあります?


 薄くカットされたホワイトパンやライブレットに自分が好きな具(20種類以上)を乗せて食べるのです。当然フルーツや各種のソフトドリンクはとても充実していました。料理長らしき人とお話したのですが、とても気さくな方で日本食も洋食も自由に食べて貰いたいと笑顔で紹介してくれました。初見の人とすぐに話せる私の性格はこんなところでも楽しみを追加してくれました。


PS:鳴門市ドイツ館から帰ろうとするとぬいぐるみを着た若い人たちが1Fの大ホールに集まってきたので何が始まるのかなと思ってついていくと、市内で英語を教えている教師達がミュージカルを企画していて、その練習にこの会場を借りていたのです。私は気軽に話しかけました。

「May I See It ?」(こんな英語でいいのか分からないけど…)
「Yes, Of Course!」と笑顔で返事が返ってきました。

しかも連れ添いの分のイス2つまで持ってきてくれました。3月の土日、市内で講演される「ライオンキング」の衣装あわせとリハーサルだったようです。こんな楽しい出会いが旅ならではです。

■ドイツ村に行く前に、さだまさし原作で映画にもなった「眉山」まで足を伸ばしたのですが、眉山公園頂上の石碑にこんな言葉が書かれていました。


 
     <四つのテスト>

    言行はこれに照らしてから

     1)真実かどうか
     2)みんなに公平か
     3)好意と友情を深めるか
     4)みんなのためになるかどうか



「あるカップルの会話2」

2010年02月18日 | Weblog
「昨日のこと怒ってる?」
「当たり前やん」
「ゴメンな」
「私ね、どうしてもでけへん」
「なんでやねん、俺はぜんぜん平気やで」
「シャワーも浴びてないのに……」
「汚いと思うんか? 俺はぜんぜん思えへんけどなあ」
「私には無理、絶対無理!」
「お前な、もともと神経質やろ、それに極度のきれい好きや。セックスを不潔な行為と思ってんのちゃうか」
「……」
「初めて触ろうとしたとき手を洗ってきてって云ったやろ。ホンマびっくりしたで」
「せやかてハンドル握った手で…と思うと気になって」
「あんな事云われたん初めてやで」
「そんなこと云うたって… 気になってしもたらしょうないやろ」
「あんなこと云われたら雰囲気ぶち壊しや。でも初めてやったから濡れティッシュでキレイにしたけど」
「男の人には分からへんけど女性はデリケートなんやで」
「……」
「私ね、清潔感のない人嫌いやねん」
「おいおい、つき合ってと云いだしたんお前の方やで。今更俺が清潔感ないちゅうんか?」
「そんなこと云うてんのんちゃう! するときは清潔にしてからしよ、いうてんねん」
「それは分かるけど、いっつもラブホという訳にはいかんやろ」
「車の中なんてイヤや、云うてんねん」
「昨日はラブホやで」
「シャワーも浴びんと始めたやん」
「そのまましたかってん」
「私にはでけへん」
「だからやめてシャワー浴びたやんけ」
「あれからずっと機嫌悪かった」
「そうかな…」
「そうや。まる分かりや」
「でもシャワーの前にやりたかってん」
「いやや」
「すぐやりたかってん」
「不潔がいややねん」
「お前が着てたトレーナーの匂いをかいだことあるで。ええ匂いやけどなあ」
「そんなん知らんかった。あんた匂いフェチ?」
「フェチ?なんやそれ」
「そんな趣味あんの知らんかったわ」
「いわん方がよかったかな」
「ホンマやわ。聞きとうなかったわ」
「でもあんまり神経質にならんときや」
「しょうがないやん、性格やもん」
「イケんのもそのせいやと思うけどな。……セックス、あんまり好きやないやろ」
「……」
「もっと楽しまんと」
「恥ずかしいこと云わんといて」
「一人エッチしたことあるか?」
「そんなんしたことないわ。なんでそんなへんなこというのん」
「やったことないと思っとった。…… セックスに対して後ろめたい気があるやろ?」
「……」
「一人エッチもいけないことだと思てるやろ。えらい医者が大人になるために大切なことやと云うとったで、ホンマやで」
「そんな話聞いたことない。思うんやけど相性が悪いんと違うかな、私ら」
「おいおい、やめてくれや、こんなん些細な話やで。……別れたいんか?」
「そんなん云うてへん。でも私は潔癖性、あなたは匂いフェチ。合うわけあれへん」
「匂いフェチはないやろ。俺、潔癖なお前が好きや。繊細なお前も好きや。今のお前が好きや。丸ごと好きやで」
「私は不潔なことは嫌いや」
「俺も不潔はいやや。でもお前やったら別や」
「別って?」
「お前なら許せるねん」
「なんかおかしくない、それ」
「お前は特別や、って云うてんねん」
「それって、私が喜ぶべきこと?」
「決まってるやん」
「それがわからへん。あなたの特別が私には迷惑なことだもん」
「迷惑? そのままでもしようとする俺の気持ちが?」
「うん、だって嫌やもん。うれしくないもん」
「不潔なことを好きな奴もいるだろうけど、俺は元来きれい好きや。分かってくれるだろ」
「…」
「俺がシャワーも浴びないでさせたことがあるか?」
「ない」
「車の中でして、って云ったことないやろ」
「うん」
「仮にだよ。もし、お前がラブホに入るなりしてくれたら俺はダメダメといいながらも自宅でシャワー浴びてきたばっかりだったらさせるかもしれん。メチャ感激すると思う。きっとメチャ興奮もするやろな。俺が言っている意味分かるか?」
「わからへん。私には感激も興奮もない。ただ不快感だけよ」
「不快感だけ?」
「そう」
「オス犬がメスのおしりを舐めるやろ。あれはお前に惚れてるでという証やで」
「私は見るのもいや、考えただけで気持ち悪くなってくる。犬と一緒にせんといて」
「俺がされたらどんなにうれしいか。こんなに俺に惚れるてんのか、と思うけどな。気持ちを表現する一つの行為だと思えんか」
「……私は不潔なことがでけへん。それを惚れてないと云われたらどうしたらいいのかわかれへん。……あなたがうれしい、感激すると云われてもでけへんものはでけへん。不潔なことはやりとうない」

「……俺が小学校の頃、正月で田舎に帰ったときや。親戚のおばちゃんが赤ちゃんのおしめを取り替えててん。ちっちゃいおちんちん丸出しにしていた赤ちゃんが、突然おしっこをピユーと出しおってん。そのおしっこがおばちゃんの顔に少しかかってしもてん。俺はびっくりして汚い!と思わず声を出してしもてん。おばちゃんは「気持ちええねんな。もっと出し」と云いながら笑ろとったんや。俺びっくりしてな。これが母親の愛ちゅうんかなと子供心に感心したんや。この話、今までの俺たちの話となんか共通してへんか」
「……私、子供のおしっこやうんこの世話なんかぜんぜん自信ないわ……。犬がおしりを舐めることも理解でけへんし、あなたが感激するのも理解でけへん。不潔なことは嫌やし、我慢してやりたいとは絶対に思われへん。それが正直な気持ち…」
「ふう…しょうがないな。でも自分の子供が生まれたらきっとできるって。そんなもんちゃうか」
「私、子供なんか無理。一生無理。おしっこをかけられながら育てるなんて一生でへけんような気がする」
「……」

「あるカップルの会話」

2010年02月16日 | Weblog
「今なにやってる?」
「あなたのこと、考えてた」
「俺のこと?」
「セックス」
「なんだそれ?」
「どうしてかなって」
「どうしてって?」
「このあいだ、私だけよくなってそれだけで終わったでしょ」
「ああ」
「満足したのかなって」
「……」
「実際のところどうなの?」
「満足したからやめたんじゃぁないかな」
「ホント?」
「ウソはないよ」
「そうかなぁ…」
「そうだよ。セックスはとっても衝動的というか本能的なものだろ」
「うん」
「だから誰も途中で止めたりしない。大地震があったり、部屋に誰かが入ってきたりしたら別だけどな」 
「そりゃあそうだけどさ」
「お前も一人エッチするときがあるだろう?」
「うん」
「いつも最後までやるか?」
「う~ん、そうでもないかなぁ…」
「同じだよ」
「そうかなぁ…。 男の人って違うんじゃない?」
「……」
「私、うまくない?」
「そんなことないよ」
「ヘタだからイヤになっちゃったというか…」
「そんなことはないよ、ホント」
「正直に云って、ヘタならヘタだと」
「本当にそんなことないよ。今までの彼女の中じゃうまい方だよ」
「おセジ云っちゃって」
「いいえ、そんなことはありません」
「じゃぁ、なぜやめちゃったの?」
「いつもじゃぁ、ないだろう?」
「7回に1回くらいかな。…どうして?」
「…満足しちゃうんだよ」
「出してもないのに?」
「ああ」
「おかしいよ、絶対っ!」
「そんなことないよ」
「お前が満足する様子を見ていたら、こっちまでそう思えちゃうことがあるんだよ」
「……」
「付き合いだした頃、お前がやってくれている最中に俺が寝そうになって、ひどく怒ったことがあったろ」
「うん、覚えている」
「でも最近はそんな時、そのまま俺を寝かしちゃうだろ? それってどういう気持ちの変化?」
「う~ん、そうねぇ… 寝かせてあげよって思っちゃうのかなぁ」
「その気持ちと似てると思うよ」
「……」
「したいからする、されてもいいからする。それがセックスだろう? イヤだと云っている時、無理矢理したことあるか?」
「ない」
「レイプ魔や痴漢ほどイヤな奴はいない。殺してやりたいくらいだ。俺が裁判官なら必ず死刑だ」
「うふふ、怖い裁判官」
「時にはダメダメと云っときながらその気にさせちゃうことがあるかもしれないけど、真剣に拒絶されてて、しようと思ったことは一度もない。これは断言できる」
「それは私も認める」
「お互いが良くなくちゃ二人の関係が続くわけがない。これってとても大切なことだよ」
「そりゃぁ、そうだけど、あなたは満足してないんじゃない?」
「確かに男は出すとき、女はイッちゃうとき最高かもしれないけど、今日は7合目で十分満足したと思うことがあるんだよ。但し、お前は最高で、俺が7合目だよ。その反対はない」
「どうして、おかしいよ、平等じゃないよ」
「男女に平等なんてあるわけがない。いいか、女は子供が産めるけど男には産めない。女は妊娠させられないけど、男にはできる」
「いまは人工授精があるよ」
「そんなことを云っているんじゃない。男と女が二人でベッドにいる時のことをいっているの。女の子でも何度でもイケる子と一度しかいけない子、そしてイケない子もいる。男だって1回やるとしばらくはできない俺みたいな奴もいれば、すぐにでも回数をこなせる奴もいる。とにかく世の中は肉体的にも不平等にできているんだよ」
「……」
「いいか、その不平等を感じさせないようにするために宗教ができたんだから」
「そんな話、聞いたことない」
「そりゃぁそうだ。いま思いついたんだから。大切なのはこんな話ができる関係だと思う。いいのか、良くないのか。今やっていることが感じるのか、感じないのか。こんなふうにやって欲しいとかそれはイヤだとか。素直に話せることがとても重要なことだと思うけど。…どう思う?」
「……こんな話できるのはあなたが初めてだけど……」
「俺もお前が初めてだよ、こんなことまで話せるのは」
「こんな話が重要だなんて考えたこともない」
「でも、セックスの話でも、なんでも話せるだろ?」
「……」
「その最中に寝てしまう俺を今では許せるだろ、それって俺が気持ち良くて寝てしまうことに気がついたからだろ。以前のお前よりそんな今のお前の方が好きだよ。1年もつき合って同じように怒られていたらきっと今まで続かなかったと思うよ」
「……」
「たとえばさ、伝えると伝わるの差が分かってきたというか、分かるかなぁ?」
「…分かるような気もするけど…」
「お前も最初の頃より最近の方が感じ方が深くないか?」
「……」
「どうなの?」
「…深いと思う」
「俺にもそれが分かる。俺はそれがとてもうれしいんだ。言葉じゃなんとでも云える。からだの反応は言葉じゃなくからだで感じる情というか感性の部分だからね。ウソは付けないと思う。だからうれしいんだ。ホントを感じられて。何度好きだ、好きだと云われても、激しいキスを交わしてくれる方が雄弁だと思う」
「私のキスはどう?」
「いい、とてもよく気持ちが伝わってくる。したくないときはキスもさせないし、たとえしても乗ってこないからね」
「私、うまい?」
「うん、最高だ。最初は驚いたぐらいだ。今じゃぁ慣れたけど」
「慣れた?」
「言葉は悪いけど、慣れた。今でも興奮するよ、お前とのキスは」
「ふう~ん」
「自信を持っていいよ」
「うん」
「女子校の頃、友達としたことがあるって云ってただろ。その子に感謝したいくらいだ」
「やあねぇ」
「ホントだよ。とにかく大切なことは感じ合えること。お互いの満足度を多少なりとも感じ合えること。その為にはまずは何でも話し合えることだと思うな、俺は」
「わかった。なんかホッとした。キスがうまいなんて考えたことなかった。あなたがある程度満足しているってことも良く分かった」
「暇だったらこっちへ来いよ。こんな話をしていたら…抱きたくなったよ」
「私も…。 今のこの気持ち、あなたが好きだから逢いたいのか、抱かれたいから逢いたいのか分からなくなってきた……」
「どっちが大きい?」
「う~ん……。どっちかというと抱かれたい、かな」
「それが恋だと思うな、俺は」
「なんだか不純じゃない?」
「ぜんぜん。肉体関係が成立して初めて恋が成立すると思う。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』も、このあいだおまえんちで見た三島由紀夫の『春の雪』も肉体関係が前提だったろ。だからあんな激しい恋になったんじゃないか」
「あれは小説や映画じゃない」
「いまだに本が読まれたり、演劇や映画化がされるのは、逢いたくて切なくてたまらない恋心をみんなが理解できるからだと思うな。そんな激しい恋への憧れもあるかな」
「身を焦がすようなセックスへの憧れ?ってこと」
「そうだね。そういう願望のない人はきっといないと思うな。人は人である前に動物ってことかな。夏の終わりの蝉時雨。オス達の最後の切ない叫びに聞こえちゃってさ、同じオスとして、思わず(頑張れ!いい相手を見つけろ!)といつも応援してしまう」
「へぇー、そんなこと考えるんだ」
「ミーン、ミーン、ミーン! 早く来て!」
「……バカッ!」

「インビクタス 負けざる者たち」

2010年02月07日 | Weblog
 今年映画館で観た最初の映画は、今や巨匠という言葉がふさわしいクリント・イーストウッド監督作品「インビクタス 負けざる者たち」。フィクションを越える感動の事実に驚愕した。この映画は、1994年マンデラ氏(モーガン・フリーマン)が大統領になり、翌年に開かれたラグビーワールドカップで奇跡の優勝を治めるまでの激動の一年間が描かれている。長すぎる投獄生活において、彼は負けざる堅固な意志を作り上げた。自伝の中で「刑務所は、人間の性格の試金石のような場所だ」と語っている。

■アパルトヘイト政策は1948年以降強力に推進された。1961年、南アフリカで黒人初めての弁護士となったマンデラ氏は、アパルトヘイト政策に真っ向から反対し反政府軍事組織を作り上げ最初の司令官となった。その後反政府指導者として逮捕され27年間刑務所生活を送った。1980年代後半は、国際社会から激しい非難を浴びて様々な制裁を受け経済的に行き詰まった。1989年に当時のデクラーク大統領がアパルトヘイト撤廃を打ち出し、1990年にアフリカ民族会議(ANC)元議長だったネルソン・マンデラ氏を釈放し、1991年には全政治犯を釈放した。1994年の初の全民族参加による総選挙によって、ANC主導の民主政府が成立し、ネルソン・マンデラ氏が大統領となった。そして国際連合から「人類に対する犯罪」とまで言われたこの制度を完全に撤廃した。

(物語)
 当選後、大統領が官邸に入る初日、道路の左側では大人の白人達が青々とした芝生の上でラグビーに高じていた。プロのラグビー選手たちだ。右側では汚れたシャツとパンツ姿のやせ細った少年達がサッカーで遊んでいた。この対比がラストシーンでどのように変わったかを見て欲しい。

 官邸内では白人職員達が当然解雇されるものと思って自らのデスクを片づけていた。マンデラ氏は官邸内に残っている全職員を急遽大統領執務室に集めて演説した。
「新政権で働きたくない人は去ってもいい。しかし私は君たちの手助けを必要としている。過去は過去だ。皆さんの力が必要だ。我々が努力すれば、我が国は世界を導く光となるだろう」と白人職員達に伝えた。

「インビクタス」とは“征服されない”という意味。映画の中でマンデラ氏が熱く語る。
「私が我が運命の支配者、我が魂の指揮官だ。
(英国詩人:ウイリアム・アーネスト・ヘンリー)
 だからこそ、過去の弾圧や差別や人々が犯してきた罪を<許す>ことが
 我が魂を自由へと解き放つのだ」
と。

 4,600万人の18%が白人であり、残る82%がカラードを含めた黒人達。白人はラグビー、黒人はサッカーという図式が当たり前のように受け入れられていた。黒人達は国内でラグビー国際試合が開催されても、自国のチームを応援せずイングランドや他のチームを応援していた。激しかったアパルトヘイト政策の反動と云える。

 82%を占める庶民達の目をラグビーに向けるために、映画の中盤、フランソワ(マット・デイモン)率いる代表チームが、子供達にラグビーを指導することをマンデラ氏に命じられる。代表選手の殆どはそんな時間はない、やりたくないと反発する。代表チームには唯一チェスターと云う名の黒人選手がいた。指導現場では彼の周囲にすべての子供達が集まった。しかし、練習をしているうちに黒人の子供達は全ての白人選手達と打ち解けていった。代表選手も子供達と一緒になってラグビーというスポーツを楽しむようになっていった。

 私はこのシーンを見ていて突然目頭が熱くなった。そして何度も手の甲で涙を拭いてしまった。映画の主題はここにある。<許す>ことで我が魂を自由へと解き放つことが可能だという象徴的なシーンだった。しかし、スポーツの世界ではマンデラ氏のような大きな愛がなくても容易に魂を解き放つことができることを証明したのだ。

「ラグビーは紳士が乱暴なフリをしてやるスポーツだが、
サッカーは乱暴なものが紳士のフリをしてするスポーツだ」

というセリフも、どこか妙に言い当てているようで思わずニャリとしてしまった。このような印象に残る名セリフ?が随所にある。

 黒人達はアパルトヘイトの象徴であるとされた国旗や国歌の変更を望んだが、マンデラ氏はがんとしてそれに反対した。「(白人でも黒人でも)どんなレンガでも使えるものは使え」というセリフも印象的だ。マンデラ氏はさまさまな場所で、さまざま人たちの前で「長い間権力を保持してきた白人達が、我々黒人達を恐れては反発が益々高まって、国はいつまで経っても一つになれない」と必死に訴えていく。このエネルギッシュな行動力と堅固で、しかも明確なリーダーシップこそが、アパルトヘイト全廃後の、まだまだ続く人種差別、激しい所得格差、3割を越える失業率、犯罪の増加、エイズ蔓延等の不安の闇に光りを当て始めたのだ。ラグビーワールドカップで勝利することは、国民が一つになる最優先の人間的、かつ政治的手法であるとマンデラ氏は気づき、勇気ある決断をする。


 映画「インビクタス 負けざる者たち」は、少しでも多くの方に見て欲しい傑作だ。「アバター」では目を見張るシーンの連続だったが、この映画ではきっと感動で目頭が何度も熱くなるだろう。もう一つ今までにない感動の要因として、音楽がとても大きな力を発揮したと思う。自宅に帰って最初にした事は、PCをオンしてAmazon.のサイトからこの映画のサウンドトラック版のCDを購入した事だ。こんな事はかつて経験がない。エンドクレジッドに流れるアフリカンリズムの「ジュピター」が今も脳裏に残っている。

■この映画の素晴らしさやマンデラ氏の偉大な功績に、決して異議を唱える分けではないが、「現在の南アフリカ共和国は多くの白人たちがこの国を離れ、残された人々が混乱の中で暮らしている。アパルトヘイト全廃運動は、まだまだ国民の幸福には繋がってはいません。黒人の中から200万人規模の富裕層が生まれる一方、貧困層が以前の倍に拡大しています。特権を得た一部の黒人による逆差別現象も生じ始めた。ある黒人の金融機関では、黒人に融資する場合の利息が3%、一方白人に対しては15%、アジア系に至っては28%もの高利を堂々と行なわれている」(ウィキペディアより)
 
 国が生まれ変わろうとする混乱期に邪悪な陰獣たちが跋扈するのは、あらゆる国の人間の哀しい習性、繰り返す歴史だろう。映画の中でマンデラ氏が語った「過去の弾圧や差別や人々が犯してきた罪を<許す>ことが我が魂を自由へと解き放つ」、この精神の高みに辿り着くには彼の教養をして27年の牢獄生活を要した。南アフリカ共和国が先進国と肩を並べるには長い年月が必要かもしれない。しかし、マンデラ氏が蒔いた尊い種子は、どんなに堅い大地でさえ、きっと新たな芽を吹き出すに違いない。このクリント・イーストウッド監督作品「インビクタス 負けざる者たち」が、渇きかけているアフリカの大地に雨を降らすきっかけになることを心から祈っている。