GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「おめでとう! 藍ちゃん」

2009年07月28日 | Weblog
 宮里藍がついにやりました! 米国ゴルフツアー参戦4年目の宮里は日本選手として最年少の米国ツアー優勝を成し遂げました。エビアン・マスターズ最終日(26日、フランス、エビアン・マスターズGC、6373ヤード、パー72)、首位に1打差の4位でスタートした宮里藍(24)は、5バーディー、2ボギーの69とスコアを伸ばし、通算14アンダーで並んだソフィー・グスタフソン(35・スウェーデン)とのプレーオフも1ホール目(18番)でバーディーを奪い振り切った。

 7/12、全米女子オープン最終日の宮里プレーに素晴らしいものを感じました。折り返し直後の10番で、ピン上3メートルを沈めてバーディ。そして11番のボギーを挟み、迎えた12番パー5。ピン左10メートルのバーディパットを捻じ込み、「あれは大きかった。(入れた中で)4日間で1番長いパットだった」「あれで後半の流れが決まったと思う。気持ちは良し!と思えた」。16番パー4でも2打目を1メートルにつけるスーパーショットを見せてバーディ。この日「69」でラウンドし、通算4オーバーの6位タイに浮上してフィニッシュした。たとえ大切なところでボギーが出ようが決して動じない強い心。長いスランプを真摯に受け止めてきたからこそ、成長した自分を信じられたのでしょう。 

「勝つ準備はできています。はやる気持ちを抑えて、
 焦らずに1打1打を積み重ねていきたいと思っています」


「これまでいい経験を重ねてきました。
 その経験をもとに、今週は100%集中できています」


「いまは、すごく冷静に自分をコントロールできています。
 自分に期待しすぎることなく、自分の世界に入っています」


 そんなこともあって、エビアン・マスターズGCの初日から好調な宮里を、連れ添いがずっとネットで追いかけていました。一昨日は1打差の4位でした。もしかしたら…。そんな予感がしていました。昨日は立ち上がりの2番でバーディを奪い、逆転優勝へ向け上々のスタートを切った。その後6番でボギーを叩くも、前半上がりを連続バーディで締め(この辺り強くなった)、グスタフソンと並んで首位で前半を終える。(この数字を見ながら二人でゾクゾク)

 ネットでは数字の表示しかなく、17番を終わって3人が並んでいた。バーディーを決めて単独トップとなった。(後でTVで見たが、3mの距離にあるバーディーパットでした。よくぞ、入れたぞと思います。この時点で私たちの興奮は急上昇)
しかし、18番でグスタフソンもバーディーを決め、二人のプレーオフに突入した。二人のプレーオフというのはまさにガチンコ勝負。ネットではすぐに藍の優勝を表示した。(えっ?もう決まったの?サドンデス?)はっきり分からないまま、深夜のすぽるとを待ちました。

 すぽるとでは冒頭から藍の優勝が伝えられました。(やっぱり勝ったんだ…。ここで初めて涙)
 通算14アンダーで並んだS・グスタフソンとのプレーオフはサドンデスでしたが、
1ホール目(18番)で決着をつけました。
ロングホール、2オンを狙ってグリーン右バンカーへ。
(逃げていないっ! 勝ちにいっているっ!)
バンカーからの第3打を見事ピン1メートルに寄せた。
先ほどは3m、最後ご褒美の1mでした。
それを藍は万感の想いでねじ込んだ。

その瞬間、藍は天を仰ぐのではなく、
あふれ出るものをこらえるようにうつむいて目頭を押さえました。

「うれしいです。もう最高。最後は手が震えてしまいました」
「入った瞬間、凄く色んな思いが込み上げてきて、涙が出ました」

 
本当に価値のある優勝です。ゴルフトーナメントで一番楽な勝ち方は、ぶっちぎりの優勝ですが、今回の優勝は前半で、一時トップに立ちながらボギーや相手のバーディーで並び、3名でのプレイオフまで可能性がありました。最後のバーディーでトップ立ちましたが、グスタフソンのバーディーで追いつかれてのプレーオフでした。先週トム・ワトソンは追いつかれてのプレオフで負けました。当然追いついた方に分があります。「追いついた!」という強い気持ちでゲームを続けられるからです。先週のトムは18番、72ホールが終わった時点で、精神力も肉体も力尽きていました。本当に残念でした。でも素晴らしい活躍でした……。

 しかし、この日の藍はトムとは違っていました。強い気持ちを継続し、「グスタフソンがきっと来る」と信じてパッティンググリーンで気持ちを整えていたはずです。待っている時間を長く感じたに違いありません。そして様々な想いが脳裏をかすめたはずです。それらのすべての邪念を追いやる集中と強い気持ちを切らさなかったのです。

 苦難を乗り越えてきた自分の成長を自覚できたときの喜びは至高のものがあります。そして周囲の人への感謝の気持ちが自然に彷彿してくるものです。藍の涙にも、インタビューに答える言葉の端々にもそれが表れていました。最後に藍はTVのインタビューにこう答えました。

「ようやくスタートラインに着きました!」

「やりました!諦めないでやってきてよかったです」
「この4年間は無駄ではなかった。日本では勢いとか若さがあったけど、こっちに来てからはゴルフ以外でアジャストしないといけないことに時間が掛かって、それでも優勝出来ればと思ってやってきた。この4年間には意味がありました」

悲願の優勝でしたが、これが最終目標ではありません。
米国で戦うための自信と成長をものにした試合だったのです。

これからが本当に戦いです。
頑張れ!藍。 今田君と共に、早く2勝目を!
そして日本の少年少女達に、大いなる夢や希望、強い心を示して欲しいと願っています。


「アマルフィ 女神の報酬」

2009年07月25日 | Weblog
今までの日本映画のスケールを遥かに越えるオール海外ロケでした。
南イタリアの海岸沿いの街<アマルフィ>に誰もが魅入られるはずです。

監督は「県庁の星」「容疑者Xの献身」の西谷弘。豪華共演陣は、佐藤浩一、天海祐希、
戸田恵梨香、大塚寧々、伊藤淳史、小野寺昭、平田満、佐野史郎。


 イタリアでの邦人誘拐事件から端を発したストーリーは、二転三転するのですが、それが見ていて「エェー!」て感じがあまりしないのです。スケールと豪華俳優陣に気を取られ、セリフや人物設定の掘り下げが、もう一歩足りなかったように感じます。

 ただ織田裕二が演じた外交官の設定にはとても面白みを感じます。風光明媚な世界の観光地で、邦人を巻き込まれた事件が発生。こんな時、いつも黒田外交官が呼ばれる物語。その国独自の法律や国際情勢、地元の状況等が変化する中、浮いていたはずの黒田外交官の存在がだんだんとクローズアップされる展開。それは単なる小さな邦人が絡む事件ではなかった…。こんな設定で考えれば面白くできるような気がしますが、いかがでしょうか。

 仮に今回の物語が、邦人の誘拐事件という一点にストーリー組み立てればもっとサスペンス感が増したように思えてなりません。捜査権のない外交官と地元警察、そして国際刑事機構や各国の情報組織との軋轢、マフィアやテロ組織と三つ巴、四つ巴になりながら、犯人を追う物語。反発していた母親が、時間が経過するに連れて黒田外交官だけを信じていく展開。映画「ボーン・アルティメイタム」(お奨め度:88点)のようにハラハラドキドキ感満載の緊迫した展開。しかも南イタリアの名所を駆け巡る展開だったら…。おなじ原作者真保裕一の映画「ホワイトアウト」(お奨め度:82点)はもう少し良くできていたように思います。映画を観ながらこんなことを考えてしまいました。

グッドラック感動のお奨め度<75点>

「河野洋平の感慨」

2009年07月24日 | Weblog
 衆議院議長として2029日という最長記録を作った河野洋平の記事が、今日から「河野洋平の感慨」として朝日新聞で5回に渡って掲載されます。私にとっては彼はとても印象深い政治家です。33年前彼は新自由クラブを作って「自民党は時代の役割を果たした」と宣言しました。当時大学4年生だった私はその言葉を鮮烈に覚えています。そしてあの言葉から33年が過ぎ、今回の解散こそ、まさにその瞬間を迎えたような気がしているからです。


『自民党政治を主導してきたのは田中角栄-竹下登元首相の流れと、岸伸介-福田赳夫元首相の流れをくむ政治がありました。前者は泥をかぶることをいとわず数を集め、野党をなだめ、財界の意見も聞いて合意を作るという究極の自民党政治だが、カネにまつわる話が絶えず墓穴を掘ってしまった。それで最近隆盛を極めたのが岸さんの系統ですが、やや上から見下ろす政治で、旗を掲げて走る』
(小泉が<郵政民営化>、安倍が<憲法改正>)

-小泉さんは田中政治を壊したが、調整型の政治も壊したということですか?
『乱暴なやり方だったからねえ。勝負としてはうまくやりましたが…』

『中国の人と話すと、オバマの米国は8年間相手にできそうだからがっちり組んでいけるが、
 日本は安心できる相手が見つからず心配だという』

 外務大臣も歴任した河野氏の意味深な発言です。安倍元首相の所信演説の冒頭は、『戦後レジームからの脱却』という言葉から始まりました。憲法改正が念頭にあったのです。彼の米国詣は、戦後の全首相の中で就任後最も時間が経ってからで、しかも最短時間でした。扱いは大使級で小泉元首相やそれ以前のトップクラスの首相級ではありませんでした。米国の反応はこのようにすぐに始まりました。安倍氏の苦悩はその後も絶えることなく続き、身も心も崩壊しました。米国にとって価値ある首相ではなかった為に短命だったという印象が残っています。

 米国の日本比重は間違いなく低くなったのです。それは『戦後レジームからの脱却』という言葉が保守右派思想の彷彿を敏感に感じ取ったに違いありません。私は安倍さんの所信演説がとても気に入っていましたが、米国はそうでなかったのす。優秀な政治家は本心を悟られてはいけないのです。しかし、それでは国民を動かすことはできません。ここに政治家としての苦悩があるのかもしれません。

 民主党はマニフェスト原案にあったインド洋給油活動撤収を削除し、期限内の派遣を容認しました。「外交、現実路線」という記事が今日の朝日の夕刊に掲載されていましたが、民主党は政権交代が視野に入った途端に、現実路線にかじを切ったようです。胃にシコリが残るような行為と言うほかありません。私はこの一点だけで民主党という野党を信頼できません。政権奪取が見えてきて主たる政策を変更するのですから。民主党のインド洋給油活動撤収は保守右派思想のフォローの風を受けた政策でした。しかし、現実は日本国民のわずかなフォローの風などアメリカのハリケーンの前ではひとたまりもなかったのです。


-後輩議員への注文を。

『反省することの大切さと謙虚さですね。
 先輩にも有権者にも相手の党にも、謙虚であってほしい』
(河野洋平) 

 今TVドラマで城山三郎原作の「官僚たちの夏」が放映されています。日本の繁栄を夢見た通産省の熱い戦いが描かれています。今や日本の基幹産業となった自動車業界から始まり、今は繊維業界、そしてコンピュータ業界の発展のために通産官僚たちの熱い戦いの物語です。対する国家は米国です。戦後、資源がなくても勤勉で手先が器用だった日本人は、必死にもの造りを始めます。今の中国のように粗悪で安価というレッテルを貼られながらも、より品質の高いものを作り上げていったのです。しかし、米国はそれをよしとしなかったのです。夏のようにとても熱い物語です。グッドラックお奨めの番組です。

「何も怖くなかった…」

2009年07月21日 | Weblog
貴方は もう忘れたかしら 赤い手拭いマフラーにして
 二人で行った 横丁の風呂屋 「一緒に出ようね」って言ったのに
 いつも私が 待たされた 洗い髪が芯まで冷えて
 小さな石鹸 カタカタ鳴った 貴方は私の身体を抱いて
 「冷たいね」って 言ったのよ

 若かったあの頃 何も怖くなかった
 ただ貴方のやさしさが 怖かった

 貴方は もう捨てたのかしら 二十四色のクレパス買って
 貴方が描いた 私の似顔絵 「うまく描いてね」って言ったのに
 いつもちっとも 似てないの 窓の下には神田川
 三畳一間の小さな下宿 貴方は私の指先見詰め
 「悲しいかい」って 聞いたのよ

  若かったあの頃 何も怖くなかった
  ただ貴方のやさしさが 怖かった』
                    かぐや姫「神田川」



名曲「神田川」が流行った頃、私を含め東京に住む多くの学生達は、三畳、四畳半もしくは六畳一間のトイレもお風呂もない1.5万円以下のアパートで学生生活を送っていました。貧しいけれど愛し合う二人の慎ましい姿に共感し、私たちの心に「神田川」は今も残っています。電子レンジもビデオデッキもiPodやウォークマンもない時代、あらゆる季節に快適空間を提供できるクーラーや沢山の冷凍品が入る大きな冷蔵庫もない時代でした。今から考えればとても不自由な時代ですが、不自由と感じたことは一度もありませんでした。周囲の多くの学生が同じような境遇であり、将来の夢が実現できる可能性を感じていたからです。

愛し合っているお互いの心さえあれば
あなたさえそばにいてくれたら 私は何も怖くはない
でも、もしあなたがそばにいなくなったら
あなたの優しさを感じられなくなる 
そのことを想うとあなたの優しさが反対に怖くなってしまう……

「神田川」の切ない詞を理解できなかった母。
私に「優しさが怖いって、どういう意味? わからへん…、教えて」と尋ねた今は亡き母。
そんな母が可愛くて愛しくてしたかがなかったことを思い出します。

「何も怖くなかった時代」は誰にも存在します。
人を妬むことも憎むことも、自分の限界にも気づかなかっ時代。
必死で手を伸ばせば、なんとかなると思えた時代。
金よりも自分の夢を求めた時代。
自立して生きていくことの辛さを現実的には知らなかった時代。
わずかな給料でも自分が向かう行き先にまだ明るさを感じた時代。
親や先輩や上司が眩しく立派に思えた時代。

そんな時代を私たちは必ず通り過ぎて来ます。
通り過ぎてきた時の途中で人は、何か大切なものを落としてくるように思えてなりません。
それは光り輝いていたものが、知識を得たばかりに、また真実をも知ったばかりに、
輝きを失ってしまい幻滅を味わったことと似ています。
マジックショーのタネを知ったばかりに興味を失うことと似ています。
サンタさんがクリスマスプレゼントを運んでくるものだと思っていた時代、
私たちは「何も怖くなかった」ように思います。

誰もが通る天然素材の時代。
それはアダムとイブがエデンの園にいた時代です。
悲しみや楽しみ、孤独や喜び、妬みや恨み、辛い想いを感じなかった天然時代から
言葉や知識を得ながら一人で生きていくための(自立)力を身につけていく中で、
大切なものを気づかずに失って行くのです。
その大切なものとは<素直さや謙虚さ>と呼ばれているものだと思います。

 この「素直」や「謙虚」は、受け入れる度量が大きければ問題なく吸収して自身の規範造りに多大の影響を与えていくのですが、度量が小さい場合、一杯になると受け入れを拒否していくことになります。若い頃の反抗期が最初の拒否にあたります。一杯になったのです。つまり、忠告や指導、意見された内容を受け入れることは、一旦できてしまった自らの規範を否定しなければなりません。「うるさい!」「分かっている」「ガタガタ云うな!」と云った言葉でそれを拒絶し始めるのです。

 人が自立していく上で、反抗期は当然必要なことなのです。さらなる飛躍のためのしゃがみ込む時期と表したらいいのでしょうか。しかし、知識として受け入れるべき内容まで拒絶して、教養を構築していく時、不都合な場合が発生することが多々あるようです。このとき心の遮断機が無意識に降りてしまう現象を取り除く為に、心のスタンスをどのように作り上げておくかが重要なポイントとなります。(いつもこの問題に心を悩ませています)

 私はこれを「幸せになるスタンス」と呼んでいます。素直さや謙虚さを失わない、しかも自立するために必要なスタンスです。これを構築するためには、妬みや憎しみという負の感情を発生しないスタンスがとても重要です。その為には<知識がもたらす喜び>を感じることが大切なような気がしています。本やTVドラマ、映画やアニメのストーリーから他人の人生(行動や心の動き)を吸収しながら妬みや憎しみは自らの心を貶(おとし)め、いずれ崩壊を招くことを気づいて欲しいと願っています。


この歌も私が「何も怖くなかった」時代に流行った名曲です。
今でもこのメロディーが聞こえてくると、胸がキュンとなります。
そしてあの頃の自分を想い出します。

「明日に架ける橋」(Bridge Over Troubled Water)
 
『When you're weary, feeling small
 When tears are in your eyes, I will dry them all
 I'm on your side, when times get rough
 And friends just can't be found.
 Like a bridge over troubled water
 I will lay me down
 
 When you're down and out
 When you're on the street
 When evening falls so hard
 I will comfort you
 I'll take your part
 when darkness comes
 And pain is all around
 Like a bridge over troubled water
 I will lay me down             (Copyright: Paul Simon)

 君が疲れて しょげているなら
 瞳に涙があふれているなら、僕がすべてふいてあげる
 君のそばにいるんだ、辛い時だって
 友達が近くにいなくても
 荒れた海にかかる橋のように
 僕が体を横たえるから

 君がうちのめされ
 道で立ちすくんでいて
 ひどい夕暮れになったら
 慰めてあげるよ 君の代わりになる
 暗闇が襲い痛みでたまらないなら
 荒れた海にかかる橋のように
 僕が体を横たえるから




「さあ、振り返ろう」3

2009年07月20日 | Weblog
生きて行く途中で、人は多くの出来事に遭遇します。
楽しい出来事の場合もあれば悲しい出来事もあります。

幼い頃、エイプルフールで嘘を信じて、がっかりしたようなこともあり、
好きだった人からの辛い言葉だったりすることもあります。
親から酷く叱られたり、教室で先生に立たされたような辛い出来事だったりもします。

最も悲しい出来事はやはり死との遭遇かもしれません。
歳を重ねるに連れて、恩人と思えるような先生の死、
祖父や祖母との別れ、親しい方との別れは、いつまでも心の奥にその悲しみが沈殿します。
幼い頃に暴力的行為を受けたことも悲しい出来事です。

過去のそういった悲しい出来事を振り返ると、、
圧倒的に悲しい出来事の方が比重が大きいように感じます。

シェイクピアが『リア王』で人生を嘆きました。
母親の胎内という至高とも思える幸せから引き離されたから
「人は泣きながら生まれてくる」というセリフが生まれたのでしょう。

特に最近は目を覆いたくなるような悲惨な事件、信じられない悪夢のような事件、
弱者である人達を狙った犯罪行為、暴力行為が多発しています。
高水準を維持していた日本の警察の検挙率は下降線を辿っています。
まだまだ少年の中学生や高校生が、わずかな金欲しさの犯罪が多発しています。
とても嘆かわしく悲しく思います。

金さえあれば、日本ほど何でもすぐ手に入る国は他にないように思います。
そんな豊かな国に育った子供達は、幼い頃から多くものを親にねだってきました。
その過去の悪習慣が悪事に手を染めさせるのかもしれません。
目の前の友人が、高価な物を手にして微笑んでいるのです。
彼が親にねだったものだと知っています。
「私の親は何故、同じ物を与えてくれないのだろう」
と考えてしまうのでしょうか。
そんなことで親を恨むとはあまりにも愚かという他はありませんが、
そんな愚かで浅はかな人が少なくないような気がしてなりません。

友人を妬み、その親を妬み、他人を妬み、社会を妬み憎む。
そんな心にやがて小さな悪魔が生まれ、
そんな悪魔が次第に大きなダークサイドエネルギーを生み出す。
周囲に贅沢なものがない時代、
平等という言葉が行き渡っていない時代、
このような妬みは生まれませんでした。
豊かさゆえの弊害と思えてなりません


聖書にある最初の殺人『カインとアベル』の話も嫉妬が発端です。

生きていく途中で、人は様々な悲しい出来事に遭遇します。
その時の対処を誤ると人は思いもよらない穴凹から
悪夢のようなダークサイドに堕ちていきます。
一旦そのダークサイドに落ち込むともがけばもがくほど
まるでアリ地獄のように地底奥深く沈んでいくようです。
それは一つのウソを肯定するために数多くのウソを上塗りしていくことと似ています。

生きていく途中で、人は数多くの過ちを犯します。
それは悲しい出来事に遭遇することと似通っています。
それくらい多くの過ちを犯すということです。
そしてその過ちを過ちだったと素直に認められるか、
仕方がなかった、他人もやっているからと自らを肯定するか、
それが穴凹に落ち込みダークサイドに染まって行くかの瀬戸際のような気がしてなりません。


80年の人生は、振り返ればきっと夢のようなひとときかもしれませんが、
生きていく途中ではとても長く感じます。

映画「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーは、
愛する人を守るパワーが欲しくてダークサイドに堕ちました。
しかし、その後本当に愛する人を守れたのでしょうか?

悲しい出来事との遭遇のあとが、
あなたの行動がダークサイドに堕ちるかどうかの瀬戸際だと思って下さい。

たとえ本心がどのようにな気持ちであっても、どのように対処したかが大切です。
その行動こそが、その人の本質だからです。

「さあ、振り返ろう!」
悲しい出来事との遭遇のあと、あなたは何を想い、どんな行動を取ったでしょうか?
生きていく途中はこれからも長く続くはずです。
過去の自分自身や歴史を振り返りながら、
どんな行動を取るべきだったかをじっくりと考えましょう。
そして、したいことの中にダークサイドは姿を変えながら身を隠し
誘いの手を伸ばしてあなたを引き入れようとしていることを感じましょう。
ダークサイドは誰の心の中にも存在することを感じましょう。
ただそれだけでも拒否する心が芽生えるからです。

「ターンベリーの石川遼君」2

2009年07月18日 | Weblog
「遼君、予選堕ち」

毎日新聞から抜粋。
『強風の中で「今日はアグレッシブに攻める日ではない」と決めていたが、後半はそれが守れなくなっていたという。攻めのゴルフを信条とする石川も、この結果には「パーを取っていこうという勇気がなかった。そういう勇気も必要です」と唇をかんだ。

 4月のマスターズ(米国)に続くメジャー予選敗退。しかし、ゴルフ発祥の地での鮮烈な体験とあこがれのウッズとの2日間にわたる初対戦は、石川に更なる成長への強いモチベーションを与えたようだ。

「この悔しさを思い出し、日本に帰って練習を重ねたい。どれだけ自分に厳しく打ち込めるかです」。石川は自らに課題を与えた。

<タイガーも予選堕ち>
『 致命傷になったのは、石川と同じく10番。3番ウッドでティーショットを放った瞬間、ウッズは「しまった」という表情を見せた。ボールはギャラリーを越えてひざ丈まである右のラフへ。大勢の人たちが捜したが見つからず、打ち直しの暫定球でプレーを再開。しかし、この第4打までグリーンに遠く及ばなかった。

「ミスにミスを重ねてしまった」。ウッズはそう振り返ったが、このホールをダブルボギーにすると、13番(パー4)でもダブルボギーを繰り返した。

「最後の4ホールをバーディーにしなければならない」。予選敗退という不名誉な結果は何としても避けたかったウッズ。しかし、16番(パー4)と17番(パー5)ではバーディーを奪ったものの、決勝進出には及ばなかった。』(毎日新聞より)


 二人とも風と雨という自然との戦いに敗れました。同じ組を回っていたウェストウッドはイーブンパーの-2で終えました。この対比が実にゴルフというスポーツを象徴しています。同じ状況下でも自分のゴルフに徹した英国出身のウェストウッドは、日本で3勝して一躍海外での活躍が目立つようになりました。周囲に決して惑わされない強い精神力を持っていました。それを遼君はすぐそばでとてもいい姿を見たはずです。

ラウンドレポーターをしていた羽川プロはこのようにコメントしていました。
「10番のダブルボギーは仕方ないと思いますが、その後のボギー連発はもったいないですね。一つのミスで流れが変わってしまうのがゴルフですが、今回の石川選手はその怖さを知ることになってしまったはずです。石川選手の場合は、荒れ狂うタイガーの感情むき出しのゴルフに気遣い、自分のゴルフをすることができなくなっていました。注目選手どうしのペアリングがもたらす最悪の結果、共倒れという結末を迎えることになってしまったのです。」

 私もそのように見えました。タイガーのロストボールを捜す時間、心も体も冷え切っていったように思えてなりません。あんなに酷いタイガーを間近に見ながらゴルフの恐ろしさを痛感していたはずです。あのとき、まさか自分の予選突破の危機など考えもしなかったはずです。

 タイガーは暫定球を打ちましたが、あんなに安易に打ったタイガーを見たこともありません。強靱の精神力をもってしても、初日からの自分の酷いゴルフに怒り心頭に達していたように見えました。当然遼君に同じように見えたはずです。

 10番、ブッシュから打ったボールがバンカーの中のブッシュ。打てないことを確信して、アンプレアブルを宣言して手前から4打目を放ちますが、寄らず入らず、ダブルボギーとなりました。打ってはいけないドライバーを打ったり、抑えて3番を使ったにも関わらず、ランして330ヤードも転がり、入るはずのないバンカーに。その後も寄らず入らずが続き、バーディーが一つがやっとでした。

 あのような場面を今までのメジャー大会で何度も見てきました。見ていて遼君が経験少ない少年だけに、痛々しく思えました。しかし、誰もが1億円を超える優勝賞金を狙ってしのぎを競うプロの世界なのです。周囲の雑音や気まぐれな自然に一喜一憂していては絶対に優勝には届きません。

 勝負の世界に「もし」など存在しませんが、タイガーがいつものようなプレーを見せていれば、遼君はきっと食い下がりながらいいプレーを見せてくれたのではないかと思っています。

 この2日間でいずれメジャーを取るだろウェストウッドと自分との違いを目の当たりにしたに違いありません。何が自分に足りないかを学んだだずです。

 もう一つ、見ながら再確認したのは、崩れそうになるのと止める、大事な短いパーパットです。遼君の11番のパーパットもそうでした。今までは入っていたにも関わらず、左に外しました。打ち急ぎです。その後も同じように外してしまいました。

「絶対に入れるべきパット」というのがあります。
スリーパットを防ぐ、返しのパットや寄せワンのパットです。これを入れ続けているうちに、長いバーディーが入る場面が訪れます。この辺りがゴルフの醍醐味であり、ゴルフに人生を感じるという人がはまっていく要因でもあります。

 まず、堪えうるだけの体力、そして精神力が勝負を決めるのがゴルフです。どこか人生と似ていると思っています。最後はいつも自分との戦いだからです。遼君は崩れて怒り狂うタイガーを間近に見、周囲の雑音にも一切影響されない強靱な精神力を持ったウェストウッドを間近に見たのです。それは、将来のために、目の前の1勝を勝ち取る以上の価値があったのではと思っています。人並みはずれた素直さと謙虚さを兼ね備えた遼君の今後に期待したいと思っています。

「ターンベリーの石川遼君」(勇気の謎)

2009年07月17日 | Weblog
 最近<勇気の謎>が少し分かってきました。ゴルフの練習を通して学んだのですが、実は3,40ヤードの距離が私はとても苦手でした。そのくせ、練習場では今までほとんど練習もしませんでした。やってもわずかな時間を割くだけでした。スコアを少しでも縮める為には苦手な距離をなくさねばなりません。そんな単純なことにようやく気が付き、最近は練習場で時間の半分はその練習に費やします。その効果がようやくこの頃出てきたのです。
 今まで怖々打っていて、成功率30%以下でしたが、最近は70%と向上してきました。グリーンをすぐ前にして、今までは8番アイアンでピッチアンドランで転がしていたのですが、アップヒルの場合がいつも苦戦していました。目標がとても明確だったから練習内容が変わったのです。「目標を明解に、そして練習を」この結果、勇気が生まれてきたのです。

 練習を重ねて勇気を出して成功したときの喜びは格別なものがあります。それは自分自身の成長を自覚できる喜びが含まれているからです。仕事も人生もどこかこの練習と似ているように感じます。

「失敗を見つめ、その原因を明確にし、改善方法を真摯に努力する」これが小さな勇気を生み、成長という一歩を呼び込むのです。 

 かつてジャンボ尾崎や中島が海外のゴルフツアーに参戦した時、英語を苦手だった為に、地元のキャディーを雇うのではなく、日本ツアーで使用していたキャディーを連れていきました。昨夜の石川遼君は違っていました。ターンベリーゴルフクラブのキャディーと契約し、しっかりとコミュケーションを取りながらコースを回っていました。17歳の少年プロゴルファーが必死に英語を勉強し、BBCの単独インタビューもしっかりと英語で答えていました。私はこのシーンを見ながら胸が熱くなりました。父が語学の大切さを教え、自らもその大切さを自覚し、地元メディアとのコミュニケーション、地元キャディーの大切さを知って実践したのです。

 今まで多くの日本人ゴルファーが海外でも渡り合える技術を持っていながら大活躍できない原因を知っていたのです。ラウンドレポーターの、元プロゴルファー羽川氏は地元キャディーを使用するのとしないのでは前半で2つは違うだろうと語っていました。ラストの18番、2m弱くらいの返しのパーパット、遼君はカップからボール半個左と読みましたが、14歳からキャディーをしている彼は、カップを外さず、左縁を狙えと教えました。もう少し長かったですが同じような所からタイガーがパットして、ほとんどスライスせずに左に外しました。自分の目よりキャディーの言葉を信じた遼君は見事にパーをセーブして-2をキープし、トップと4打差という日本人トップの成績でした。二人の絆が見事な成績を上げたのです。

 17歳という若さからくるものででしょうが、遼君は決して無謀ではないと私は感じています。学校以外の勉強の他に、語学を必死に勉強し、しかも父から人との接し方、敬語の使い方、メディアとの対処の仕方、コメントの仕方など、多くの学ぶべきことをしっかりと消化しながら、それらすべてが<勇気>の基を構築していると感じるのです。だから無謀ではないのです。プロの戦いはこれからも続きますが、17歳の戦いは2度とないのです。17歳しか戦えない戦いが今なのです。結果を恐れるのはタイガーのように王者になってからの話です。天性の素直さ・謙虚さが、The Openでの戦いで素晴らしいプレゼントを残してくれるに違いありません。

 ターンベリーの1番から18番までのすべての戦いをあんなにじっくりTV観戦したことはありません。王者タイガーやウエストウッドというベテランと戦いながら、遼君は彼らに影響されることはありませんでした。タイガーがアイアンを持とうが、彼はドライバーと決めたコースは勇気を持って責めていきました。ドライバーでのティーショットは1回もフェアウェーを捉えれませんでしたが、その後の彼のコメントにも驚きました。「1回はブッシュでしたが、その他は大きくは曲がりませんでした。上々ですよ」フェアウェーキープが絶対条件とすべての選手が思っているにも関わらず、遼君は異次元のスタンスで戦っていたのです。

 アイアンに使用する頻度の高いタイガーやウエストウッドより先に遼君のボールが転がる。同じ3ウッドでも遼君のボールが先にありました。しかし、遠くから打った彼らのセカンドがピンに寄ろうが、ミスしようがまったく動揺を見せず、自分のセカンドに集中していました。短いパットにもすべてを込める集中力を感じました。

 遼君が尊敬し憧れる世界一のタイガー・ウッズと同じ組みで戦っているにも関わらず、遼君の視線は<自分のゴルフ>でした。信じられない少年です。こんな事ができる日本人少年の存在が胸を熱くしてくれます。前半は3バーディー、3ボギーでしたが、後半はなんとボギーなしですべてパーオンし2バーディーでトータル、-2アンダーは立派というほかありません。この成績が明日から3日間続くとは思えませんが、その可能性を大いに感じさせてくれます。
 
 ゴルフ発生の地、伝統ある最古の4大タイトル「The Open」に、最年少で参加し(今までの最年少は22歳の倉本)、17歳の少年プロゴルファーが今まで誰もできなかった地元キャディーとの厚い絆を交わしながらワンランドを見事な成績で回りきったのです。天性の素直さと謙虚さを持っている遼君、これからも数多くの困難が待ち受けているプロの道ですが、きっと私たちに素晴らしい感動と夢を与えてくれるに違いありません。解説者の青木、戸張らが本当に驚いていました。キャディーが「遼君の良いところは?」という質問に、「No Fear(恐れを知らない)」と云ったそうです。これからの3日間彼の勇気を見ながら、時にヒヤヒヤしながら、そして、時に感動しながら、時に胸を熱くしながらThe Openの戦いを楽しみたいと思っています。

「ウイグル」2

2009年07月14日 | Weblog
 基本は人対人だと思います。自分の誠意が通じる人なら相手が誰であろうと、尊敬しあいながら生きていくべきだと思います。 


 仮に、北海道が日本の僻地と仮定します。いつのまにか他民族が入り込んできて北日本トルキスタン共和国として独立を宣言したら、日本政府として、近隣に住む日本人としてどう対処すべきなのでしょうか?

 日本の人口がどんどん増加して、今まで僻地だった北海道に多くの人は移住をしてきている状況下、しかも、北海道には石油や地下資源が多く眠っていることが最近になって判明してきたとしたら……。

 日本政府は間違いなく、中国政府と同じように共和国の宣言を認めず、武力を持って排除するでしょう。いくら僻地とはいえ、日本国民が住んでおり、政府は国民の財産を守る義務があり、日本の国土を守る責任があります。第二次世界大戦後、中国・北朝鮮・ロシアが何度も侵略計画を実際に立てています。年間に何度もミグ戦闘機が国境を侵略し、日本空軍がスクランブル発進して威嚇しています。このようなことを繰り返し日本の防衛体制をチェックしています。

 今日の新聞で、北方四島返還の話が振り出しに戻ったと報道がありましたが、ロシアはもともと四島を返還するつもりなどはじめからありません。せいぜい共同で(殆ど日本の金)資源を発掘し、うまい汁はすべて持って行かれるのがおちでしょう。

 どの国家もいったん自分の国土になった土地を他国に譲ることはありません。もしあるとすれば戦争に負けた時だけです。よって圧倒時武力で共和国の独立を阻止するでしょう。ソ連の崩壊後、一気に数々の国が独立したのその為です。ソ連は武力を失ったからです。今、石油を背景に国力をつけてきたロシアはある国に天然ガスを送らず、弾圧を加えています。

話を戻します。
仮に1億2千万人の日本民族の中にほんの数%のアイヌ民族が蜂起して、今まで僻地だった北海道で共和国を打ち立てられたら、私たちは漢民族と違った行動を取ることができるでしょうか? かつてアイヌの人達に日本政府は差別と弾圧を加えてきた暗い歴史が存在するのです。どこでも圧倒的多数が、少数派を差別・弾圧するのが人の常、国の常道と理解しておかねばねりません。

かつて日本政府は、9つの帝大を創設しました。
1)1886年 明治19年 帝国大学(東京帝国大学)
2)1897年 明治30年 京都帝国大学
3) 1907年 明治40年 東北帝国大学
4)1911年 明治44年 九州帝国大学
5)1918年 大正 7年 北海道帝国大学
6)1924年 大正13年 京城帝国大学 (建物等はソウル大学校に引継)
7)1928年 昭和 3年 台北帝国大学
8)1931年 昭和 6年 大阪帝国大学
9)1939年 昭和14年 名古屋帝国大

 韓国と台湾を支配下に置いたとき、その地に大学を創り、その地の知識人から同じ教育を実施しようとしました。こんなことを実施した国家は日本しかありません。そこには差別や弾圧がかなったわけではありませんが、その国の知識人のレベルを上げることでその地を共有しながら共に成長していこうとしたようです。洗脳という悪い面もあったに違いありませんが、士官学校にもその地の支配階級から選んで同じ教育をしたと聞いています。

 これは地元の優秀な人材を発掘し教育して五族協和(大和・朝鮮・漢・満州・蒙古)を押し進める政策の一環でした。かなり大和民族(日本国)中心の超右翼的思想が反映していますが、このような政策の元、創られた日本の理想国家が「満州国」でした。1908年の時点で、満洲の人口は1583万人でしたが、満洲国建国前の1931年には3000万人近く増加して4300万人になっていました。人口比率としては女性100に対して男性123の割合で、1941年には人口は5000万人にまで増加していした。(これは異常な人口増加です。当時の中国では考えられない安全で生活水準高い都市だったために多く人々が集まったとされています)。戦後この日本の統治を真似て作った都市が上海と云われています。今も上海への移住を望む国民がカ数多くいると聞きます。

 長くなりましたが、私は互いの経済発展(中国とウイグル)を押し進めると同時に教育レベルの均等化を計り、レベルアップを望む真摯な姿勢が民族を越えた結びつきを強くしていくのではないかと私は考えています。ここには他民族といった宗教がかった政策は一切含まれません。他民族の宗教を権力や政治力で弾圧を加えてはいけないのです。

 金にはダークサイドが存在します。金は醜い欲望が発生しますが、大きなエネルギーが存在するのは確かなようです。理念なき金が人々を、国家を堕落させるのです。金を持ちすぎた日本には今、その悪臭と病原菌が散らばってしまったように感じているのは私だけでしょうか。

幼い頃、特に男の子は小動物や昆虫を虐めたり、殺傷したりします。同じようなことが国家の歴史でも起こるようです。
・英国のオールストラリア、インド支配
・フランスのインドシナ半島支配
・イギリス・アイルランドからの移民によるアメリカ支配
人が人であることを忘れたような残虐行為が繰り返されました。
共感や共有などの女々しい考えなど微塵も感じられない、
同じ人間であるにも関わらず、まるで獣のような対処でした。

中には優しい方がいたはずですが、圧倒的多数の強者が弱者を虐めたのです。それを「NO!」という人の数は極端に少なく、もし口に出せば教室内と同じように仲間外れされるのを恐れ、口をつぐんできたのです。

「ウイグル」<降りかかる火の粉>

2009年07月10日 | Weblog
<降りかかる火の粉>

 ウイグル自治区の大暴動は、私たちにとって<対岸の火事>と見る人が多いに違いありません。しかし、何故あのような暴動が発生するのか、その原因を自分なりに分析することは決して無駄ではないと思っています。それは国と民族、民族同士の紛争という大きな捉え方だけでなく、見方を変えれば、個人と組織、個人と個人の衝突と捉えることができます。また、中国政府という圧倒的権力を持つ組織が武器を持たない市民グループへの弾圧とはいかなるものか、日本や世界のメディアはこの衝突をどのように報道するのか、周囲の国々の反応、相手が中国だけに米国の反応(中国は多額の米国国債を買っている)など、とても関心があります。
 確かに遠い中央アジアの事件、<対岸の火事>かもしれません。しかし、もし我が身や家族に火の粉が降りかかったならば、強い信念を持って振り払いたいと考えます。たとえ、相手が国であろうと、組織であろうと、個人であろうと。強い信念はこのような事件があったとき、そのウィグル自治区に生まれ育ったとして私がその住人だったらどう対処するのだろうか。彼らと共に暴動に加わるのか。「お前ならどう行動するのか?」自分なりのスタンスを決めたいと考えています。

 9.11テロが発生した時、何度もTVで信じられない光景が映し出されました。最初、まるで映画の一場面のように感じながらも、次第に現実の恐怖が津波のように襲ってきました。そしてまるで金縛りにあったような状態になりながら、「何故? 何故こんなことが…」

 今となって多くの事が分かってきました。その後のアメリカ合衆国国内の世論は急速に保守化し、ネオコン(新保守主義)勢力が政治の舞台に全面的に登場しました。過剰なマスコミ報道によりそれが増幅された為国民の間にイラクとサダム・フセインに対する敵愾心が増大し、2年後のイラク戦争を引き起こしました。そして大量破壊兵器が見つからないままにフセインは処刑されました。それからのイラクの混迷は説明する必要がありません。このような非情な大規模テロの背景には何が存在するのか、イスラム教国家の姿勢、ウサマ・ビン・ラビンとは、石油の利権(埋蔵量:サウジ20%以上・イラン11%・イラク10%)、サウジアラビア、アフガニスタン…。映画や小説、本やネットで多くのことが分かってきました。

「お前ならテロ集団アルカイーダに賛同、もしくは参加するか?」
答えは当然「NO!」です。
しかし、9.11の光景を見て「何故?」の背景が、その後得た知識でわずか数パーセントでも分かってきました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=814542946&owner_id=3915793
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=594037957&owner_id=3915793

今回の事件の背景にはどのような民族の苦悩があるのか。
自分自身ならその苦悩に堪えられるのか。
ウイグル自治区、東トルキスタン共和国の歴史とは。
自分なりに情報を集めて、今回の紛争をひもときたいと思っています。
何故、そんなやっかいなことを試みるのか?

それは最初に書いたように、火の粉が降りかかった時、強い信念を持って振り払いたいからです。このような民族紛争は今の日本で怒ることはほとんどありませんが、国と民族とはいえ、つき詰めれば人と人の衝突に他なりません。今回の暴動の背景を分析することは、歴史を改めて考察し、欠落していた知識の充実することであり、自分なりの判断を明確にすることになります。そして必ず自分の心を堅固なものし、強い信念の構築になるであろうと考えるからです。
ヘレン・ケラーがおっしゃった<Unlearn>(学び解きほぐす)とは、
こういう意味だと解釈しています。


それでは学んだことを少し紹介したいと思います。

<地理>
 新疆ウイグル自治区の面積165万km²は中国の省・自治区の中で最大であり、中国全土の約1/6を占める。(日本の約4.5倍)ただし、面積の約4分の1は砂漠が占めており、これは中国の砂漠総面積の約3分の2に相当する。総人口は約1,900万人で、その3分の2は漢族以外の少数民族である。また、新疆ウイグル自治区ではロプノール核実験場の付近を中心に、1964年から46回の中国による核実験が行われており、放射能汚染による地域住民の健康状態や、農作物への被害が指摘されている。研究者の推計によると同地域で19万人が死亡しており、健康被害者は129万人とも言われている。中国の人口13億人のうち、漢族は絶対多数の92%を占める。55の少数民族は全体の8%(約1億4000万人)を占めるにすぎない。しかし、わずか8%の少数民族の居住地帯は新疆、チベット、雲南など中国の国土面積(957万平方キロ)の73%に達する。この広大な地域には天然ガス、石油、各種鉱物資源が豊富にあり、中国としては放棄できない地域です。

 これら55の少数民族のうち、中央政府が最も頭を痛めるのは今回大規模な流血事態が起きた新疆ウイグル自治区とその南にあるチベット自治区だ。55の少数民族の中で3番目に人口が多いウイグル族とチベット自治区で人口(267万人)の93%を占めるチベット族は、いずれも「独立」を求めて闘うケースが多く、流血事態を招く「時限爆弾」となっている。

<歴史>
 18世紀、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「新しい土地」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれた。19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となった。

 辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられましたが、国共内戦後の1949年に再び中国の侵略により支配下におかれ、1955年に新疆ウイグル自治区が設置されました。しかし、直後に開始された大躍進政策とその影響による飢饉のため、自治区の経済及び住民生活は大打撃を受け、数千万人ともいわれる、大規模な死者を生み出しました。1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡しました。また、1966年には自治区内に文化大革命が波及し、モスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかりました。

 文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル人住民の中で、新疆における民族自治の拡大や、中華人民共和国からの独立を唱える動きが見られましたが、1989年の天安門事件で中国共産党による自国民虐殺以降、こうした動きは当局の厳しい監視・取り締まりの対象とされています。

 弾圧により独立運動は収まりかけたが、1991年のソ連解体後、中央アジア各国で高まる独立機運の影響を受け、ウイグル人の独立運動は再び活発化した。独立を求める組織、団体は100以上といわれ、爆破工作や要人テロを行う過激グループもあります。

 特に民族対立が深刻化するここ数年、独立派の抵抗は過激化しており、中国政府は平和的な運動を続ける活動家への拘束を含め、取り締まりを徹底する姿勢を明確にしている。これに対し国際社会は、「中国政府は『反テロ』という名目の下で、新疆で激しい人権弾圧を行っている」と批判を繰り返しています。

 新疆ウイグル自治区を中心に暮らすトルコ系民族は、主にイスラム教を信仰し、人口は839万人。漢族の流入に反発し、当局への襲撃事件などが繰り返し伝えられたが、新華社通信は7月6日、140人が死亡、828人が負傷したと伝えた。死傷者数はさらに増える見通し。1949年の建国以来、当局が認めた少数民族の騒乱では最大級の規模とみられる。 
                         (ニュース報道&ウィキペディアを参考)

「劔岳 点の記」

2009年07月09日 | Weblog
 弘法大師が3000足の草鞋を持ってしても登頂できなかったと言われた「劔岳」。その死の山に挑む熱い男たちの物語。それが映画「劔岳 点の記」です。人を寄せ付けず、過酷でしかも荘厳な美を保つ大自然に感動し、そしてその光景を余すことなく映像にした監督・撮影の木村大作氏に心からエールを送ります。

 出演は「モンゴル」「母べえ」(この二つの映画の役柄の違いに驚嘆)の浅野忠信と「利家とまつ」で秀吉役を演じた香川照之(「坂の上の雲」(2009年 - 2011年、NHK) - 正岡子規役 ・龍馬伝(2010年、NHK大河ドラマ)-岩崎弥太郎役)。この二人はいつも主役級の脇役でいつも輝きます。この映画の主役は「剣岳」なので、二人は見事に役柄を演じきったと思います。

 明治39年、陸軍参謀本部陸地測量部は日本地図完成のために「劔岳」初登頂を目指しますが、時を同じくして日本山岳界の連中も「劔岳」に挑みます。陸軍の威信にかけて、初登頂の至上命令を受けながら過酷な山に挑む柴崎芳太郎(浅野忠信:陸軍参謀本部 陸地測量部測量手)は、信頼する先輩古田盛作(役所広司:元陸軍参謀本部 陸地測量部測量手)の勧めによって測量隊案内人に宇治長次郎(香川照之)を選びます。地元の案内人ですら死の山として恐れる「劔岳」、その圧倒的な石の壁を前にして自らの仕事に疑問を持つ二人はやがて熱い絆に結ばれていきます……。

 浅野と香川の押さえた演技が仕事に徹する職人らしさや存在感を沸き立たせます。彼らが出演した数多くの作品を見ましたが、演じる役柄の多さにいつも驚かされます。最近見た「モンゴル」の浅野には本当に驚かされました。しかもTVのCMに出ている神様役の軽さにも驚嘆します。香川もまた大河で小早川秀秋を演じ、秀吉を演じ、忍び役を見事に演じ分けています。彼らの特徴は映画やドラマでの存在感ではなく、監督の求める演技(重たさ・軽さ)に徹する役者魂です。言い換えれば「カメレオン」のような役者と云えます。

 そしてもう一つの特徴的は「シャイ」な性格だと感じます。テレビのバラエティーには不向きな俳優ということです。優秀な監督、演出家が彼らを主役の周囲にはべらせ、主役を輝かせ、シーンを深くも重くも軽くもさせるのでしょう。そういったバイプレヤーの存在こそ映画やドラマには欠かせません。木村大作撮影監督は名監督(岡本喜八・降旗康男・森谷司郎・チャン・イーモウetc.)と一緒に映画を作ってきました。その過程の中で映画作りに携わるすべて人が作品のバイプレーヤー(脇役)だと学んだ方だと思います。その姿勢はきっと人生においても同じに違いありません。自分の人生は自分一人が築くのではなく、連れ添いがいて、両親がいて、子供がいて、先輩や部下がいて、そうしたすべての人々の存在があって自分の人生が存在するのだときっと感じておられるのでしょう。

 映画「劔岳 点の記」を見て木村大作という人柄に触れことができました。映画を見て監督の人柄に惚れ、監督本人を尊敬するに至ったことはかつて一度もありません。映画作りに携わるすべての人は仲間なのです。組織を表現するとフラットな組織です。監督やプロデューサーが偉いという意識がない組織、チームだと云えます。きっとごらんになった多くの人が私と同じようなお気持ちになるでしょう。

 原作の新田次郎氏は『強力伝』で直木賞(芥川賞より好きな賞)を受賞しましたが、もともと気象学者でした。気象職員として最も知られている仕事に富士山気象レーダー建設があります(石原裕次郎が主演した映画「富士山頂」)。富士山気象レーダーは当時世界最高(高度)・世界最大だったのでその後も多くの国から説明を求められたそうです。私が好きな本は『強力伝』『武田信玄』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』です。登場する男性達は常に寡黙で孤高で熱くて堅い意志を持っています。そして「何のためにするのか」を常に信条として描かれ、とても印象に残る生き様で迫ってきます。

「2009 ウィンブルドン」

2009年07月06日 | Weblog
<セレナ・ウィリアムズ 対 エレーナ・デメンティエワ>

6-7(4) 7-5 8-6

これぞ、テニス、まさにテニスの醍醐味でした。
本当に凄い試合でした。
今までも何度かパワーのある女子のグランドスラムがありましたが、
こんなに両者が伯仲し、どちらに転ぶか分からない試合は見たことがありませんでした。

デメンティエワのフォアはあのセレナのパワーを圧倒していましたが、
セレナの190キロを超えるスーパーサーブに波に乗り切れませんでした。
セレナはデメンティエワのショットに何度も身体を起こされてのけぞっていましたが、
持ち前のパワーが炸裂させてしのぎ切りました。
そして最後まで苦手にも関わらず、
ネットに出ようとする攻撃的姿勢は崩れませんでした。


6-7(4) 7-5で迎えた最終セット、
両者がおなじところに打ち返すシーンが何度もありました。
まさに「息を飲む」シーンの連続でした。
吠えるセレナ、打ち負けてしゃがみ込むデメンティエワ。

際どいダウンザラインの連続に
何度もチャレンジシステムを指示する両者。
コードボールの行方に互いに揺れ動く心。

それでも一度だけデメンティエワにマッチポイントを迎えた瞬間がありました。
しかし、自分のミスでデュースに持ち込まれチャンスを失いました。

それにしてもデメンティエワ、
こんなショット打てる選手とは思いもしませんでした。
驚くべき選手に成長しました。
ファンになりました。

結局、女子ファイナルはウィリアム姉妹の対決です。


<男子のクォーターファイナル>
レイトン・ヒューイット 対 アンディー・ロディック

3 7 6 6 4
6 6 7 4 6


昨夜のこの試合も凄い戦いでした。
どちらが勝手も不思議ではない試合でした。
この試合でもヒューイットのショットはロディックを上回ってましたが、
最後はやはり210kmを超えるスーパーサーブの壁を破れませんでした。


男子シングルス準決勝は、
第6シードのアンディ・ロディック(米国)が第3シードのアンディ・マリー(英国)を
6-4、4-6、7-6、7-6で下し、
4年ぶり3度目の決勝進出を決めました。。

こんなにいいロディックは初めてです。
ヒューイットとの壮絶な試合も、220kmを超えるスーパーサーブで波にのりましたが、
マリーの頑張りもこのサーブの前に頭を垂れたという感じでした。

しかし、決勝に進出したロディックは、
軽快なフットワークと多彩な攻撃のフェデラー相手に、
あの80%を超えるファーストサーブを同じように炸裂できるか。

今大会最速229kmを記録したロディックの強烈サーブ対
フェデラーのスーパーレシーブ力と多彩な攻撃がポイントだと思います。

しかし、フェデラーに負けたトミー・ハースはとても素晴らしい戦いぶりでした。
タイブレークでのアンフォーストエラーの数が勝敗を分けた感がありました。
怪我から復帰して、今後の活躍がますます期待できる選手だと思えました。


<ファイナル>


女子のファイナルは全豪・全仏に続いてあっけない試合となりました。
ヴィーナスの動きが最初からおかしく見えました。
あのスーパーサーブもほとんど見ることができませんでした。

あまりにもセレナが良すぎた、そんな結果でした。


さて、昨日の男子ファイナルは記憶に残る名試合となりました。

ヒューイットとの壮絶な試合を制したロディックの好調さはファイナルでも変わりませんでした。とにかくこんなに素晴らしいロディックは見たことがありませんでした。

スポーツナビの記事を紹介します。
『記録よりもテニスファンの心に深く刻まれる試合だった。最終セットはロングセット(タイブレークを行わず、2ゲーム差がつくまで行う)を採用するウィンブルドン。スコアボードには「11」とか「12」とか、めったに見ることのない数字が映し出された。この第5セットは、人間の集中力の限界に挑戦するような戦いだった。両選手とも一歩も引かなかった。試合開始から3時間を超え、さらに4時間を超えても、プレーの質は尻上がりに良くなっていった。

 特にロディックが素晴らしかった。試合開始から第5セット第30ゲームが始まるまで、一度もサービスブレークを許さなかった。以前の彼のように力任せにサーブを打ち込んでいたのではない。ファーストサーブはセンターを中心に、セカンドサーブはフェデラーのボディ(体の正面)を中心に攻め、自由にリターンを打たせなかった。ただ、7本のブレークポイントのうち6本までは逃れたロディックだったが、最後の7本目でつかまった。

試合後の会見で「体力面は問題なかった」と話したロディックだが、体力と集中力は切り離して語れない。フェデラーのサーブで始まった最終セットは、ロディックが常に1ゲーム追いかける形となった。「行くしかなかった。1ポイント1ポイントだと思っていた」というロディックだが、サービスダウンすなわち負けという“サドンデス”の重圧が、ボディブローのように体力と集中力を奪っていったのではないか。

 とうとうフェデラーにマッチポイントが訪れた。最後もロディックのフォアハンドがフレームショットとなり、コートの外へ飛び出していった。このボールと一緒に、2003年の全米オープン以来2つ目のグランドスラムタイトルは、ロディックの手から逃げていった。試合後の会見で「今日の試合をどう表現する?」と聞かれたロディックは、ひとこと、こう答えた。「負けたよ」。

「僕はウィンブルドンの決勝での戦い方を知っているつもりだ。決勝での5セットマッチの戦い方をね。でも、今日はアンディが素晴らしいプレーをしたので、大変な試合になった。最後までブレークできなくてイライラしたし、まったく試合を支配できなかったけれど、その分、今の満足感は大きいね」

フェデラーは、いつものように笑顔を絶やさず、穏やかに語るのだった。』

            ………

ウィンブルドンでの優勝は2年ぶり、通算6度目の栄冠だった。通算15個目のグランドスラムタイトルは、ピート・サンプラス(米国)を抜き、史上最多となった。また、この決勝の総ゲーム数「77」は、昨年、ラファエル・ナダル(スペイン)とフェデラーが戦った62ゲームを抜いて、ウィンブルドンの男子シングルス決勝での最多記録となった。』


ナダルファンの私にはフェデラーが偉大なほど楽しみや喜びが大きくなります。少年期から青年期へと脱皮して想像を遥かに越える成長を見せるナダル。迎えるは実質共に史上最高のテニスプレーヤーとなった王者フェデラー。この図式がとてもスキです。二人のいないグランドスラムを見たくないと言いたいほどです。

しかし、このウィンブルドンではデメンティエワの成長を見届ける大きな喜びがありました。そしてヒューイットとロディックの大活躍はがっかりしていた私を大いに楽しませてくれました。

スポーツ観戦の醍醐味は、「筋書きのない死闘」そして「信じられない選手のパフォーマンス」、
そして「映画や小説を越える観客との感動の共有・共感」です。

残る全米オープンでナダルの復帰戦を楽しみにしています。

「さあ、振り返ろう!」2

2009年07月04日 | Weblog
今の自分を少なくても肯定できる人は、歩むべき道を歩いていると思います。
そのような人にとってきっと大切な出会いがあったはずです。
その時の自分の真摯な姿勢や気持ちが出会いを導くのだと私は思っています。
言い換えれば幸福を呼び込む、他力を呼び込む真摯な姿勢や気持ちがあると思っています。


このブログを読んでいただいている人は、今までに多くの出会いがあったと思います。
その多くが音信が取れない別れになっているはずです。
しかし、当然ですが出会いの方が別れの数より多いはずです。
そして、大切な人が数多く今も絆が続いていると思います。
これらの絆が自分の人生を豊かにしているんだと思います。

「いい出会いは、いい別れから」私が学んだ大切な人生訓です。


少し話題が少し変わりますが、原発の話をしましょう。

 日本の近代化は石炭や鉄鋼、そして自動車、家電、そしてITという企業による工業化が土台です。つまり希にみる企業の大発展がその原動力です。よって企業家は自分達こそ日本の屋台骨を自認しています。それはそれで大切なことですが、それが過ぎるから汚職や贈収賄が絶えないのです。原発問題もここに起因しています。膨大な自然を破壊し、膨大な時間と労力を必要とする水力発電から原子力発電に移行したのはその為です。大多数を救うために少数を犠牲にしてもいいという多数決主義、そして運営する企業の資本主義的合理思想が元になっています。テロが乗っ取った旅客機に多くの国民が乗っていようが、ホワイトハウスに突っ込んで来れば、「打ち落とせ」という指示を出すのがトップとしての苦渋の決断です。しかし、原発問題はこの決断とは全く違う問題です。沖縄での米軍基地問題も別問題と思っています。時代が変化しているからです。今では原発しかないという過去に決断した時代と格段の科学の進歩があるのです。

 米国がかつて電気自動の開発に力を入れていたにも関わらず、石油業界、力ある自動車業界が圧力をかけてその動きを消滅させました。そうした動きの重要性を政治家が見抜けず、今回のようなビッグスリーの大破綻を招いたのです。電気自動を「NO!」と云った石油業界、多額の開発費を必要とする自動車業界から政治家に金が流れたのです。悪魔の選択です。資本主義にどっぷりつかりきった企業と議員が手を結び、国の将来を誤ったのです。金のある地獄とはこういうことだと思います。

 多くの原発が地震の活断層付近にあることが騒がれ出しました。設立された当時は、その危険性や活断層も一切騒がれませんでした。多発する地震の要因を探るうちに活断層の存在が明らかになってきました。同時に度重なる原発事故、それに伴う危機管理能力の杜撰さも表に出てきました。それをひた隠す電力会社と政府の姿勢も見えてきました。米国と同じような政府と企業の醜い悪魔の選択が垣間見えてきます。ここに資本主義の限界を感じてなりません。

 イスラム教のトップは自由主義・資本主義の導入を拒む原因はここにあると思っています。企業に買われた政治家では原発はいつまで経ってもなくなることはありません。過疎や少子化で悩み、破綻している市町村経営に悩むトップと関電や東電といった大企業トップと売れない土地に四苦八苦しているバカ息子が手を組み悪魔の選択をするでしょう。それが市場原理です。

<原発の研究費97%、再生可能エネルギーの研究費3%>

 これでは日本の将来を見据えたスタンスとは云えません。以前Newsweekで読んだのですが今世紀末までは石油は枯渇しないそうですが、間違いなく枯渇するのです。中国やインド、その他の人口増加が進む途上国が、急激な工業化が進めば、その予測をきっと短縮されるに違いありません。水力発電を見直し、太陽光による効率的な発電、日本の地下には他国にない有力な地熱発電の要素が存在しています。わずか四半期で企業の業績悪化が騒がれ、重役のすげ替え行われる現代の企業では50年先の日本を考える余裕などどこにもないのが現状です。

 ここに真摯な政治家の出現が必要になります。しかし、その為には今、日本に住んでいる我々市民レベルでそういった問題提起、問題意識を彷彿させることが一番大切です。優秀な政治家とは我々市民の願いや想いを集約して政界に躍り出、現状を変える人のことです。最初の第一歩とは常に我々の足下にあります。

 偽りの自由主義にかぶれ、金にまみれた資本主義にどっぷり浸かり、無責任な個人主義を謳歌する一般市民の意識を変革しない限り、原発のある県に住む市民の意識と共感できるはすがありません。選挙にも行かない、新聞も読まない、誰が政治家になっても日本は変わらないと思っている大勢の人達。思いたくても今日のパンを最優先に求める人達。主権在民を勝ち取った歴史がない為にその大切さを学べなかった日本国民。その意識が変わらない限り、原発問題、米軍基地問題、食糧自給問題、エネルギー問題、少子化問題、教育問題等が改善されていくとは到底思えません。

 首相や大臣のバカ呼ばわりは誰にでもできます。マスコミは真摯に改善していく側に立って聞くべき話を熱心に伝えようとはしません。企業の金でマスコミが成り立っているからです。だから売上や視聴率のために一緒になって騒ぎを大きくする側にいます。企業がスタンスを変更するには膨大なコストを必要とします。マスコミは保身の為に、企業を追い詰められないのです。国民はそんなバカ騒ぎに翻弄されて、企業の改善にはあまり目を向けようとはしません。

 市民である我々が意識を変えて、地元の議員と国政を任せる国会議員の区別をはっきりと認識して、選挙で議員を議会に送り込むという議会制民主主義の根本をもう一度考え直さねばなりません。馬鹿な議員と揶揄するのはすべて我々に責任があることを何故、多くの人は気づかないのだろうと腹立たしくなります。 お願いだから選挙日に投票して意思表示をして欲しいと強く願っています。

歴史を振り返り、自らの過去を振り返りながら自らの本質を見定めなければなりません。
そして、幼い子供たちに安心できる国を自らの手で構築していかねばなりません。


その為に「さあ、振り返ろう!」と叫びたい。


「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル)

「さあ、振り返ろう!」

2009年07月01日 | Weblog
通り過ぎてしまってから振り返った時、多くのことが客観的に見えます。

大学の頃私のオリジナル曲「さあ、振り返ろう!」というおかしな曲名の歌を日比谷の野外音楽堂でクラブ全員で歌ったことがあります。あまりに妙な歌詞で恥ずかしくて、ここで披露することができませんが…。

自分を分析する時、自分自身を洞察する時、
振り返ることはとても大切なこと、とても必要なことだと今でも思っています。


私が歴史物の本やTV大河ドラマを好きな要因もそのあたりにありそうです。
そこには原作者や脚本家の分析力・洞察力が反映しています。
「篤姫」の脚本に今までにない共感を覚えましたが、
今年の「天地人」には、あまり共感できないでいます。
それは今までの戦国武将には見られない特異な上杉謙信や直江兼続の言動から分析・洞察して生まれた、脚本に原因があるようです。つまり自分の感性では納得できないセリフや展開だからです。

たとえば、 第18回の「義の戦士」の展開です。
信長の軍勢に包囲された越中・魚津城では、吉江、安部らが必死に防戦していた。景勝は魚津へ向かおうとするが、越後を手薄にすることはできず、苦渋の思いで踏みとどまる。兼続は苦肉の策として、一旦魚津に援軍に向い、敵が越後領内に入ったところで急きょ引き返して討つ、という奇襲作戦を考案。景勝と泉沢のみに話す。景勝もこれを了承し、出陣の命を出す。上杉軍は魚津側の天神山に陣をかまえる。そこに敵軍が越後領内に進軍したとの知らせが入り、兼続は一同に作戦を打ち明ける。反発、動揺する上田衆たちを景勝とともに説き伏せた兼続は、魚津城本丸に乗り込み、ろう城組に降伏するよう説得する。しかし、吉江も安部も上杉の侍として武士道を貫きたい、と拒否。兼続に上杉の未来を託して城に残る。兼続と景勝は吉江らの思いを胸に、急ぎ越後へ引き返した。

この内容は本当に史実なのか?
実際に家老の職にいた兼続が戦場真っ直中の魚津城に向かったのか?
しかも、説得できずに大切な部下を見殺しにしたのか?
この兼続の言動に共感を覚えられないのです。

今日、映画「ハゲタカ」を見てきました。
2007年のTVドラマではピカイチだった「ハゲタカ」の4年後の日本を描いた映画版です。 
最後にこんな印象的なセリフが出てきます。
「世に中には二つの地獄がある。一つは金のない地獄。もう一つは金のある地獄」
(「天地人」にはこのような説得力のあるセリフがあまりありません)
映画の出来はTVを超えられませんでしたが、このセリフはとても心に残りました。
中国政府をバックにした赤いハゲタカからTOB(株式公開買付けのこと)を仕掛けられた会社社長が主人公のファンドマネジャー鷲津に救いを求めて来ました。しかし、社長は状況が悪くなってきて、鷲津を切り赤いハゲタカと手を組みます。鷲津は戦う相手の赤いハゲタカの原点(生まれ・育ち)を知ろうと部下を彼の故郷に送り込みます。そして彼の本質を見抜いていきます(「敵を知り己を知らば百戦危うからず」)。しかし、会社社長の選んだ赤いハゲタカの行動は、結局裏目に出て自分の社長としての地位を失うことに……。

映画を見終わってこんなことを思いました。
結局人生は、「誰を選ぶか」で決まるのではないだろうか。

人は長い人生で多くの選択をします。
幼い頃は、どんな遊びを好んだか。
どんな友人や異性(同性)を選んだか。
どんな学校を選び、どんな仕事、どんな気持ちで会社を選んだか。
そして誰の言動を信じ、誰を心の上司と選んだか。
政治家の何を信じて投票し、政界に送り込んだのか。

その時々の行動の集積に自分の本質があります。
「さあ、振り返ろう!」という意味はここにあります。

今、あなたのそばに誰がいますか?
その人を心から信頼していますか?